つま先立ちのアクトレス ~ Story of Eli 作:Kohya S.
7. パーティ (2)
車はスロープをゆっくりと上がり、ホテルの車寄せに止まった。黒田が先に降りて絵里に手を差し出す。絵里はその手を取った。
目の前の広い玄関からなかへ。黒田は勝手知ったようすで歩いていく。会場はホテルの通路をすこし左に進んだところにあった。
黒田は受付の女性となにか会話を交わしてから先へ進んだ。
受付の先は左手が会場のバンケットルームのようだった。茶色とシルバーのツートーンの、両開きの扉がある。右手には手前に化粧室、奥にはもうひとつ部屋があるようだった。
絵里はいよいよ緊張感が高まるのを感じた。ちらっと黒田を見ると涼しい顔を――むしろ退屈そうな顔をしている。絵里はなにか悔しいものを感じて、すっと背中を伸ばした。
ふたりは会場に入った。
会場は学院の教室ふたつぶんほどの広さだった。七、八個の白いクロスのかけられた丸テーブルが間隔をあけて置かれている。それぞれのテーブルには豪華なフラワーアレンジメントが飾られていた。
天井は折り上げになっており段差部分に照明が埋め込まれていた。その中央には大きなシャンデリアがある。
部屋の一辺にはステージが、もう一辺には料理が整然と並べられた長いテーブルがあった。いくつか隙間があるのはあとから温かい料理が出てくるのだろう。
そして床はホテルのロゴ入りカーペット、壁はチーク色のウォールパネルで飾られていた。
室内にはダークスーツやカクテルドレスの数十人の先客が来ていた。ふたりに視線が注がれる。黒田は知った顔を見つけたのか目礼する。
もう始まってる、ってわけね……。絵里は深呼吸して表情を消し、口元にわずかに笑みを浮かべるだけにした。
黒田は一角の会話の群れに近付いた。話が途切れたのをみて、そのなかの日本人の男性の視線をとらえる。外国人の夫妻、それに日本人の夫妻、四人と向き合う形になった。
「
「Oh, クロダサン、コンバンハ」と外人の男性。
黒田はさきほどとは裏腹に満面の笑顔だった。
黒田と外人の男性、それに日本人の男性は英語で会話を始めた。女性陣はとりあえず口をはさまずにいるようだった。
きっとあの外人夫妻がこのパーティの主賓ね、と絵里はあたりを付けた。
「
話が一段落したところで外人の男性はそういって絵里に微笑んだ。
「
えっと、I can speak a little Englishだと、すこしできます、になっちゃうのよね……。
「Good evening, Mr. and Mrs. Gould. Unfortunately I can't speak English very well...」
絵里は英語の授業を思い出して必死にそれだけいった。
黒田が吹き出しそうになっているのが片目に見えた。笑わなくてもいいじゃない。あとでぜったい、問い詰めてやるわ。
グールドはにこりと微笑んだ。絵里も笑みを返した。
三人は会話を再開した。ちらりとロシアという単語が聞こえたので、きっと自分のことも話しているのだろう、と絵里は思った。
次の客が来たのをみて黒田は彼らとの会話を終えた。
「上出来だ」
絵里を見てにやりと笑う。
「ふん、当然よ」
絵里はつんと顔をそらした。
それから時をおかず、さきほどの山根という男性がステージに上がった。
「皆様、本日はお集まりいただき、ありがとうございます……」
いよいよパーティが始まるらしかった。客がステージに注目するあいだにホテルの制服姿の給仕たちが料理を追加していく。
黒田がグラスを取り絵里にもうながす。ソフトドリンクであることはしっかりと確認した。
「……それでは、乾杯!」
まわりにならって、グラスを掲げた。
それから絵里は黒田について回った。黒田は料理もそこそこに歩き回り、会話を重ねていった。絵里はときおり紹介されたり、ちょっとした話題に加わったりした。外国人客がすくないのはありがたかった。
黒田が話し込んだときには料理を取りに行ったり、すこしひとりで見てまわったりしたものの、絵里に話しかけてくる客は多くはなかった。男性は彼女が男と一緒だと見ると、すぐに離れていく。若い女性からは刺すような視線を感じたものの、近寄ってはこない。
例外は年上の女性で――絵里の母親と同じかそれ以上――絵里のスタイルや服を褒めるのだった。こういった相手なら絵里もそれほど緊張せずに対応できた。
絵里が会場の雰囲気もすこし落ち着いたかと思ったとき、ひとりの女性が黒田に話しかけた。
「こんばんは、いらしてたんですね」にこりと微笑む。
「ああ、岡本さん。こんばんは……。よくお似合いですね」
彼女はパープルカラーの膝丈のドレスだった。襟ぐりの広いノースリーブだが、レースのボレロをかけている。胸元にはパールとラインストーンのネックレス。
絵里は黒田のうしろにさりげなく近付く。
「ありがとう。……そちらの方は?」
岡本と呼ばれた女性は絵里をちらっと眺める。
「ああ、友人の絢瀬さんです。今日はちょっとお願いして付き合ってもらって……。絵里、こちら、岡本さん。鋭い記事で有名な記者の方だ」
「初めまして、絢瀬絵里です」
そう、
岡本の目が細められた。彼女は失礼にならない程度に頭を下げてすぐに黒田に向き直った。
「この前お会いしたのは、発表会のときかしら。新サービスのほうはいかが? もうすぐ一か月だけど、順調なの」
「ええ、おかげさまで」
「トラブルのほうも落ち着いた?」
「そうですね、なんとかなりそうです」
「……どうかしら、そろそろインタビューさせていただけない?」
「いえ、その件はやはり私の一存ではなんとも……。すみません」
「そう、残念ですわね。……それでは、また」
彼女は軽く会釈して離れていった。
黒田がかすかにため息をつくのが聞こえた。顔にはいらつきとも軽蔑ともとれるような表情が浮かんでいる。
どういう関係なのかしらね……。絵里は疑問に思ったものの――あえて聞くことはしなかった。
・
「ちょっと失礼していいかしら」
会話が途切れたのを見て絵里は黒田に声をかけた。
「ん?」黒田は眉を上げる。すぐに合点がいったのだろう、続ける。「ああ、わかった。場所はわかるかな」
「ええ、大丈夫よ」
絵里は部屋から出ると、通路をはさんで向かいの女子トイレへ向かった。
用を足して手を洗い、鏡を眺めた。バッグからコスメを取り出してすこしだけ化粧を直す。
にこにこしていればいい、っていわれたけど……やっぱり疲れるわね。早く終わらないかしら……。
そう思いながらバッグを閉じた。
ちょうどそのとき、女性がひとり入ってきた。さきほど黒田と会話していた岡本だった。
絵里が目礼してそのまま出ようとすると岡本は口を開いた。
「絢瀬さん、でしたっけ?」
「はい、そうですが……」
絵里は
「単刀直入に聞くわ。黒田さんとどういう関係なの?」
「どういう関係……。それは……」絵里はいいよどむ。「ただの友人です」
「そうかしら。友人ねえ……」
岡本はその
「黒田さんに目をつけられたのも、どうせその金髪のおかげでしょ」
「そんな……」
絵里は反論しようとしたが――それは事実なのかもしれなかった。そして自分は、それを利用しようとしているのかも、と思う。
絵里の沈黙を受けて岡本は勝ち誇ったように続けた。
「彼のことをどう思っているのか知らないけど……。外見だけで気を引いたって、すぐに捨てられるのが落ちよ。私、いままで何人も見てきたんだから」
外見だけ……? 失礼しちゃうわ。絵里の心に火が付いた。
「私は、あの人のことは、なんとも思ってません。捨てられるなんて……そうなったらそうなったで、せいせいするわ。いいえ、むしろ私のほうから別れてやるわ」
「……なんですって」
今度は岡本が押し黙った。鋭い瞳で絵里をにらみつけるが、絵里も引かなかった。
とうとう岡本が目をそらした。ふんっと鼻で笑ってから続ける。
「あなた、意外に若いみたいね。あなたみたいなひよっこ、彼には似合わないわ」
「おばさんよりは、ふさわしいと思います」
「……!」
岡本は眉を吊り上げたが、なにもいわず個室のほうへ歩き出した。絵里も足早にトイレを出た。
通路の真ん中で絵里は大きく息をはいた。
私、やっちゃったわ……。売り言葉に買い言葉、とはいえ、さすがにまずいわよね。でも、どうこたえればよかったっていうの。
岡本への怒りはまだ残っていたが――それよりも後悔のほうが大きかった。重い足取りで絵里は会場に戻った。
「大丈夫かい?」
絵里のようすが異なることに気付いたのか黒田が気遣わしげに声をかけた。
「ええ、大丈夫よ」
「そうか、ならいいが……。慣れていないだろうから、なにかあったらいってくれ」
「ありがとう」
黒田は来客との会話を再開した。
絵里はさきほどの応酬で喉が渇いていることに気付いた。適当に炭酸飲料らしきグラスを取り半分ほど飲んだ。
あら、これ、おいしいわね。サイダーとも違う感じだし……。
もう一口飲む。さわやかな香りが喉から鼻へと抜けていった。
「絵里、それは……」
「あ、くろ……隆司さん。これ、おいしいですね」
「シャンパンだよ。君にはまだ早い……」
あきれたように首を振った。
シャンパン……アルコールね。しまったわ。絵里はそう思ったがすでに現実感は急速に薄れてきていた。顔がほてるのを感じる。
「もうすこしで終わるから、なにもいわずにいるんだ。いいね」
「はい、隆司さん」
「……妙に素直になるんだな、君は」
来客とのやりとりはもうすこし続いたが、絵里は大人しく黒田のうしろに控えていた。
最後にグールドの英語での挨拶と、山根の挨拶があり、ようやくパーティはお開きになった。
名残惜しそうに会場に残る客もいたが、黒田はさっさと切り上げることにしたようだった。主賓とだけ簡単に言葉を交わす。
絵里の手を取って会場をあとにした。
途中、岡本とすれ違った。黒田は「お先に失礼します」と一礼する。絵里は優雅に上半身を傾けてお辞儀をしてみせた。
玄関を出るとすぐに車が回されてきた。
絵里と黒田が乗ると運転手がドアを閉じた。ホテルの玄関の明かりがまばゆく輝いているのが車の窓越しに見えた。
・
車は通行量の減った通りを抜けていく。黒田が口を開いた。
「絢瀬君……今日はありがとう、といっておくよ。ただ、最後はいただけないな」
「ごめんなさい。まったく気付かなくて」
ようやく酔いは抜けつつあった。
「しっかりと振る舞ってもらうのも契約のうちだ。……とはいえ、君のおかけで、今日はいくぶん楽だったよ」
「私は、たいへんだったけどね」
「……英語も、堪能じゃないか」
にやりと笑う。絵里はその態度が気に入らなかった。
「せめてもの努力よ。笑わないでちょうだい」
「ああ、すまない」
今度はすこしだけ心のこもった笑顔になった。
「……その年頃だと、パーティとかに憧れるものじゃないのかい」
「とんでもない。願い下げだわ」
正直にいえば憧れはないわけではなかったが――今日の経験を振り返ると、やはり現実はそう甘くない、と思い知らされた気がした。
絵里は岡本に詰め寄られたことを話そうとしたが、思いとどまった。もし話せば、岡本がいったこと――黒田が以前も別の女と付き合い、そして捨てたことを、いわなくてはならないだろう。
そんなこと、私の知ったことじゃないわ。岡本さんと黒田さんが、どういう関係かってことも。
「ところで、家まで送ればいいのかな」
「そうね……」すでに調べられているかもしれないが、自宅の場所を黒田に知られるのは嫌だ。「カローデンまで送ってもらえば、いいわ」
「わかった。……カローデンまで。大学博物館の裏手だ」
「これを、返しておくよ」
黒田が差し出したのは白い鞄だった。服飾店で着替えたものだ。つい数時間前なのに、ずっとずっと昔のような気がする。そしてそれは絵里の心を現実に引き戻した。
「ありがとう」
絵里は鞄を胸の前でしっかりと抱えた。
「それに、これだ」
透明なプラスチックのケースに収められた一枚のカード。ネックストラップがついている。
「うちの会社のIDカードだ。写真は省略したよ。表からでも裏からでも、十七階にはそれで入れる」
お礼をいうのも変な気がして絵里は黙ってうなずいた。
車窓に見覚えのある風景が見えてきた。そろそろだ。
「廃校のこと、頼むわよ」
「ああ、わかってる」
カローデンはまだ開いていた。ということは、九時は回っていない。すこしだけ絵里は安心した。
運転手は絵里を下ろすと一礼した。車は音もなく夜の街に消えていった。
絵里は自分の体を見下ろした。白い鞄からカーディガンを引っ張り出して羽織る。
さて、妹に見つからないように、部屋まで行かなくちゃね。
・
幸い妹が自室から出てくる前に、絵里は自分の部屋までたどり着いた。ドレスを脱ぎ捨てると、ようやく肩の荷が下りた気がした。
そのまま入浴することにする。妹に一声かけてから浴室へ。
バスタブにお湯がたまるまで熱いシャワーを浴びた。疲れがお湯に溶けていく。そのまま絵里は考えた。
今日は、本当に気疲れしたわ。まさか、あんなことになるとは思わなかったし。そうね、ドレスはちょっと素敵だったけど……。
それに、黒田さん。ビジネスライクなところはいいけど、私をモノとしてしか、見てないわね。まあ、そのほうが気が楽だけど……。
廃校阻止のためといっても、これが続くのかと思うと、気が重いわ。回数の上限、決めておけばよかったかしら……。
バスタブからお湯があふれそうになり絵里はあわてて蛇口を閉めた。