今日も今日とて、店員の少女の仕事は掃除や片づけが主である。面倒くさくはあるが、彼女がやらないといつの間にか店が渾沌と化すので、自分がなんとかしなければという気持ちがあった。
「あれま、枝毛だ」
さりとて、自分の雇用主である男があんなざまではなんとも言えない気分になるのは仕方がないといえるだろう。
「店長、店長が基本働かないダメ人間なのは知ってます。ですが、もう少し勤労意欲を持たないとお客さんに呆れられると思うんですけど」
「ありのままの私を見せるのが私流さぁ」
「冷凍保存でもしてしまってください、そんな流儀」
粗方品物の片付けが終わったため、一旦休憩のために椅子へと座る。相変わらず店主は欠伸を噛み殺したりとやる気の欠片もないが、とりあえずもう考えるだけ無駄だと思い、ポケットから知恵の輪を取り出して弄り始めた。
「ほうほう、知恵の輪かい?」
「最近少しハマってまして。ちょっとした時間を潰すにはちょうどいいんです」
前回休みをもらった際、自分が思った以上に趣味を持っていないことを少し気にして、近所の玩具屋に行ってみたら見つけたのだ。大抵、こういうものは馬鹿みたいに値段が張るものだが、在庫処分のために半額だったので購入してみたのである。
「君、そういうのは苦手そうだけどねぇ」
「む、私だってこのぐらいなら解けますよ」
そう言うと、カチャカチャと金属音をさせながら2分ほど経過した後、店員の少女は知恵の輪を外すことに成功した。
「どうです、この程度なら朝飯前ですよ?」
フフン、とどこか誇らしげに胸を反る。それによって胸が強調されてしまっていることに気づいていないが。
「ふむ、じゃあもっと難しいのに挑戦してみるかい?」
「え、うちの店に知恵の輪なんて置いてありましたっけ?」
毎度毎度、品物の整理や棚卸しなどをしている彼女は、基本すべての物品を熟知している。だから彼女が知らない品があるとすれば倉庫にしまわれているものぐらいだろう。
「いや、別にそういうものがあるわけじゃないよ。ただ、似たようなものを知っているだけさ」
そう言うと、店主はテーブルの下でいそいそと何か作業を始めた。十数秒でそれを終えた彼が取り出したのは、一本の紐であった。紐の先には、お菓子の入ったビニール袋が繋がっている。
「この結び目、解くことができるかい?」
「え、なんですかそれ。ひょっとしてバカにされてるんですか?」
怪訝な顔で店主を睨む。大抵の場合碌でもないことを企んだり相手をからかったりするのがこの店主の習性であり特徴である。疑われるのも無理はなかった。
「しちゃいないさぁ。こいつはねぇ、ちょっと特殊な結び方をしているんだよ」
「特殊な結び方?」
ちょっと得意そうな顔をしている店主にイラッとしつつも、店員の少女はその特殊な結び方とやらについて尋ねてみる。
「『ゴルディアスの結び目』、というものを知っているかい?」
「…………全ッ然解けない!」
店主から渡された紐の結び目をと格闘して既に1時間。お昼の時間になっても悪戦苦闘を続けていた。一見すると簡単な結び目のように見えるのだが、解こうとするととたんに複雑な絡まり方をするのだ。
「それが解けたら今月のお給金を倍にしてあげてもいいよぉ」
ニヤニヤとこちらを眺めつつコーヒーを啜る店主に恨みがましい視線を向けつつも、手元では解くのをやめない。別に給金がほしいわけではない、ただ解けないまま終わるのはこの店主に負けるような気がして、意地でも解こうとしているのである。
「こうなったら意地でもぎゃふんと言わせてやる……!」
「ま、頑張り給えよぉ」
そう言いつつ、コーヒーのおかわりを注ぐ店主。いつの間にかサンドイッチまで用意されている。
「ふむ、梅のサンドイッチというのも中々乙なものだねぇ……」
挟まっている赤い色のものは、どうやら梅であるらしい。一緒に挟まっている白いのは生クリームのようだが、どう考えてもミスマッチな組み合わせである。が、抵抗なく店主はそれを口に運んでいることから、意外と相性がいいのかもしれない。
それから更に1時間後。
「うぐぐ、また輪っかになってる……!」
「まあまあ、好きに解いてくれて構わないんだから休憩ぐらいは挟んだらどうかね?」
「集中力が切れたら解けなさそうな気がするんで無理です!」
「あっそう、まあ仕事に支障がない範囲でやってねぇ」
なおも目の前の結び目に集中する彼女だが、解こうとすればするほど結び目はより複雑な絡まり方へと変化する。まるで出口のない迷路を延々と彷徨っているかのようだ。
「おや、今日は随分と剣呑な雰囲気ですね」
そんな中、黒い漆喰の扉が開かれ、少年の声が聞こえてきた。
「ん、君が来るのは久々だね?」
「私も暇というわけではないので」
話し方は丁寧であるように感じられるが、どこか慇懃無礼なふうにも取れる話し方をする少年であった。顔には目を覆い隠すようにしてベルトと包帯が巻かれており、どう見ても前が見えないはずな風貌でありながら、邪魔な商品をひょいひょいと避けてカウンターまでやってきた。
「君が忙しいっていうのはあまりいいことではないと思うがねぇ、ハイエナ」
「私の知ったことではないですけどね」
「そういう態度を改めたら年相応なのになぁ?」
「心にもないことを言ったところで、私には響きませんよ。尤も、あなたの言葉は大抵の人間の心には響かないようなものばかりでしょうがね。戯れ言吐き」
ハイエナと呼ばれた少年は、店主の戯れ言に対しても口角を上げつつ返した。ただし、その声色には若干の棘が含まれていたが。
「ところで、彼女は何をしてるんですか?」
「うん? あー、お客が来たのにまーだやってたんだねぇ」
ハイエナが指差した先では、未だに結び目と格闘している店員の少女の姿があった。さすがにここまで意地になって解こうとするとは店主も思っていなかったため、半分呆れ気味の様子である。
「何ですかその言い草は、渡してきたのは店長じゃないですか」
「そりゃそうだけど、そこまで執着されると正直、引く……」
「終いにゃそのドタマかち割りますよ? この性悪虚言癖」
「それは褒め言葉にしかならんよぉ、私にとってはねぇ」
互いにニンマリと笑いながらも、毒々しい空気を周囲にはなっている。近づくだけ損だと見切りをつけたハイエナは、視線を前に戻す。すると、カウンターの上に置かれているものに気づいた。
「このテーブルの金属棒はなんですかね?」
お互いの顔を引っ張り合ってジタバタしている店主に尋ねる。
「ふぉれふぁい? ふぉれは……はなふぃをふぃふらいはらふぇをはなふぇ、ふぇを」
「チッ、わふぁりまふぃた。……いたた、女の子の顔をあんな引っ張るなんてほんとド外道ですね店長は」
「舌打ちしてんじゃないよ、一応お客の前だよ君? ……で、そいつのことを聞きたかったんだっけ? それは知恵の輪と言ってだねぇ……」
そう言って、知恵の輪について説明する。既に少女は解いてしまったあとなので、ご自由にと彼女は言い再び結び目へと挑戦を始めた。
「ふむ……」
カチャカチャと手の中で弄んでみるハイエナ。相変わらず包帯とベルトは両眼を塞ぐように巻かれたままだ。彼には目の前のものが見えてはいない、見えるはずがない。
「容易い。この程度が遊戯とは、少々拍子抜けです」
だが、ハイエナはものの数秒でそれを解いてしまった。目の前のものが、どういうふうに見え、どう動かせばいいのかが分かるように。
「ほほう、伊達に『千里眼』を持ってるわけじゃあないねぇ」
「前にも言いましたが、言いふらすことだけはしないで欲しいですね。こっちも闇討ちが本職なんですから」
「あぁ、分かってるともさぁ。しかしまあ、君といいあの世界は力を工夫するものが多いね。電気で物を見るなんて私も最初は驚いたねぇ」
ハイエナが目隠しをしても何の苦もなく動けていた理由。それは彼の能力に由来している。彼はかつて、非道な実験によって目が見えなくなってしまった。しかし代わりに目覚めた能力、電気を操る力によって新たな感覚を会得したのだ。
それは、電気を感じ取って周囲を認識するというものであった。半径300m以内であれば微弱な電気を通じて様々なものが視えるそれは、まさに『千里眼』と言えるような力だ。
「そして今解いたそれ。そんな複雑なものまでしっかり認識できるんだねぇ」
「当たり前でしょう。そうでなければ闇討ちなど務まりませんよ」
彼にかかれば、風の流れを読んで攻撃をかわすなどという離れ業でさえ容易に実現できる。実際、彼が戦った因縁の相手は風を操る能力者だったが、彼はその風すらも真正面からかわしてみせたことがある。
「面白い面白い、やはり世界というのは少し変わるだけでこうも色が変わるものか。好奇心というのはいつまで経っても私を蝕む悪い毒だよ」
「虫唾が走りますね。箱庭の連中を思い出しますよ、貴方や『教授』を見ていると」
ハイエナからすれば、この男は自分から光を奪った連中によく似ているように感じる。悪意はないが、その分碌でもなさがあるとさえ思っている。実際、この異世界の店主は善良でもないし醜悪でもない。
ハイエナは、かつて最初にこの世界へ足を踏み入れた時、目の前の男が言い放った言葉を思い出す。
『私は誰の味方でもないし、誰の敵でもない。それはつまり誰も助けないし、誰も救わない。私がするのは選択肢を与えるだけさ。商品を然るべき者に売りつける、それが私だ』
恐らく、その言葉自体も下らない戯れ言でしかないのだろう。店主は自分のことについて詳しいことは滅多に語らないし、読み取ることも出来ない。この男の根底に根ざす本質は、倫理や道徳などといった価値観では見通せないのだ。
(まあ、だからといって私が何かをする義理などありませんが)
そして、ハイエナはそれを知ってもなお何もしないだろう。たとえ店主の手渡した選択肢によって地獄へ向かいそうな客がいたとして、ハイエナがそれを止めるメリットなど何もないのだから。
恐らくは、それを分かってあの男も語ったのだろうとハイエナは思っている。どうせ理由も、その方が面白いだろうという下らないものに違いないと。
(やはり、警戒すべき相手ではありますか)
店主を一瞥したあと、ハイエナは知恵の輪をカウンターへと放り出し、武器の選定を始めた。
「……で、そっちの小煩いのをいい加減なんとかしてくれませんか。集中出来ません」
ここにきた目的である、新しいナイフの調達という割と重要なことを邪魔され、ハイエナは不機嫌に言う。
「もう諦めたらどうだい?」
「まだです、あとちょっと……」
「まさかこんなにハマってしまうとはねぇ……」
店主の説得も聞かず、店員の少女は結び目を解こうとしている。もはや完全に意地だけで続行しているような風だ。
「うがああああ、また同じ結びになったああああ!」
「うるさいよ! お客さんに迷惑がかかるでしょうが!」
店主からの叱責が飛んだと同時。風切り音とともに何かが少女の手元へと飛来した。それは彼女がたった今まで挑戦していた結び目に繋がっていたビニールを巻き添えにして、そのまま壁へと突き刺さった。
「な、な、な……」
「おお、中々扱いやすいですねこれは。適度に重量もある」
何が起こったのか理解が追いついていない店員の少女を尻目に、ハイエナはニヤリと笑みを浮かべながらナイフを手で弄んでいた。
「何やってるんですか貴方はーっ!?」
「貴方がそうやって喧しいからですよ。ならば原因から断ち切るのは当然でしょう?」
そう言うとハイエナは、ナイフの突き刺さった壁へと歩み寄り、ナイフを引き抜いた後に容赦なく結び目を断ち切った。
「あーっ!?」
「ふむ、切れ味もよさそうですね。これにしましょうか」
少女の絶叫も気にすることなく、ナイフの切れ味に満足したハイエナはそれを持って店のカウンターへと足を運ぶ。
「まいどあり、ただまあ店内であまり荒事や危ない真似はしないでほしいねぇ。下手すると店を出禁にされちゃうよぉ?」
「別に構いませんよ、それならそれで行く店が一つ減るだけのことですので」
店主の注意もどこ吹く風と言ったハイエナは、ナイフを購入するとさっさと扉の向こうへと消えてしまった。その背を見ながら、店主は笑みを浮かべつつ言葉を一つ零した。
「ここをただの店と思うのなんて、君ぐらいだよハイエナ」
ハイエナが去っていったあと、溜息を一つ吐いて店主は椅子の背もたれに体を預ける。その一方で、悶絶気味に蹲っている店員がいた。いくら原因が店主の戯れとはいえ、職務を忘れて没頭し、大声をあげたのは目に余ったらしい。
「しかし、驚いたもんだ。まさかハイエナが、偶然にもあの男に続く二人目の回答者になるとはねぇ」
「誰ですか、それ」
頭を擦りつつ少女が尋ねる。
「さっきまで君が解こうとしていた『ゴルディアスの結び目』はね、かつてその名の由来となったゴルディアスと呼ばれる人物が生み出したもので、これを解いたものは王様になれると言われていたのさ」
「……なんで店長がそんなものを知っているのかは置いときますけど。それ、往々にして大抵の場合は何人も挑戦したけど解けなかったってパターンですよね?」
「おや、正解だよ。その結び目は数百年の間解かれることなく柱に結び付けられたままだった」
少女は頭を抱えた。今度は物理的な痛みではなく精神的な頭痛から。数百年も挑戦者がいて誰一人として解けなかった代物を、彼女程度が解けるはずもない。そして、そんなものを渡してくる目の前の男が碌でもない人物であることを、少女は改めて再認識した。
「怒られたのは半分自業自得ですけど、そんなもの渡してくる店長も店長ですよ……」
「いやまあ、私だって君があそこまでハマるなんて思わなかったし。案外熱くなると周りが見えなくなるんだねぇ君は」
「……で、さっきの言い方からして、あの結び目を解いた人っているんですよね?」
「勿論さ。そしてそれを成したのはかの高名なるアレクサンドロス3世、アレキサンダー大王と呼ばれた時代の覇者だね」
思わぬ超有名人が出てきて、店員の少女は少し驚く。まさか世界史にも載っているような歴史的人物がその回答者とは思わなかったからだ。が、それよりも今少女が気になるのは、結び目を解いた方法だ。
「それで、結局どんな方法で解いたんですか?」
「斬ったんだよ、結び目を」
「へ?」
一瞬目が点となる店員の少女。
「剣でスパッとやったんだよ、結び目をね」
「……ええっ!? それってずるくないですか!?」
あんまりにもあんまりな解答に、少女は非難の言葉を吐き出す。しかし、店主はケタケタと笑いながらこう返す。
「私もゴルディアスも、解き方を指定もしていないしルールも設けていないよぉ。別にズルくもなんともないわけだ」
「ぐぬぬ、納得いかない……!」
「で、ハイエナも先程同じ方法で解いたわけだね。彼は『ゴルディアスの結び目』なんて知るはずもない、隔絶された地下の住人だ。だというのに、かつて世界中を駆け回った自由な王様と、奇しくも同じ回答になるなんて面白いと思わないかい?」
一方は雄大なる大地を駆けた栄光の王。もう一方は薄暗い限られた地下世界で生きる始末者。様々なものを見てきた男と、永遠に光を見ることのない男。まるで真逆の二人なのに、その解法は全く同じという偶然。
「全然思いません、むしろ私の悔しさが増すだけです」
が、少女からの返答は何ともへその曲がった言葉であった。解法があんまりにも白けるものだったせいか、最早結び目に対する執着は霧散したようだ。
「あ、そう。まあいいか」
所詮は店主の戯れから始まったことである。いくら結び目が解けたからといって、ハイエナに栄光が約束されたわけでもないし、少女が納得するわけでもない。
結局、これもまたこの店で起こるいつもの日常として経過していくのだった。