Grade I 「廻想」
雪が解ければ水になり、春が来て、ツクシが顔を出す。幻想郷には、一年ぶりの暖かい陽光が注いでいた。ぽかぽかとした陽気に誘われて、鬼が顔を出し、毎年宴会をやらないかと誘いにくる。
そんな日常が、いつも通りに訪れると思っていた。そう、願っていた。
午睡からの起床。上半身を起き上がらせて、縁側のその先の、庭に目を向ける。
「…………」
相変わらず鬼は現れず、四月になってから早三週間が経つ。
「………はあ」
ここ最近、ため息ばかりついている気がする。
そんな時。ふと、庭に咲く一本の桜の木が目に入った。
私が博麗神社の巫女になる前から生えてる桜。いつ植えられたのかはわからないが、毎年桜を咲かせていて、酒のお供として活躍してくれていた。
「今年も、綺麗ね…」
木からの返事は、勿論返ってこない。
庭に群生した草が、さらりと揺れたかと思うと、突風が巻き起こった。
目も開けられぬ風。衣服が揺れ動く。起き抜けには少し辛いかしら。
薄目では桜の花が全部散ってしまって、なんとなく哀しい。
この風には原因があるわけで。庭には一人の人間───いや魔法使いが居た。
彼女は先ほどまで(必要無い筈だが)飛ぶために使用していた箒を肩にのっけて、のっしのっしとこちら側にやってきた。
「よお、元気か? 霊夢」
「そうだったら良いんだけどね。いらっしゃい、魔理沙」
先ほども言ったとおり、彼女は魔法使い。歳を二十から少し超えたあたりで捨虫・捨食の術を会得・使用した。
捨食の術とは、文字通り食べることを捨てる術で、何を食べなくともよい体になれる。
ただし彼女は、嗜好品として朝昼晩しっかりご飯を食べている。
では捨虫の術とは、虫を捨てる術ではない。肉体の老いを停止させ、老衰で死亡することは無くなる。詰まるところ、不老の術だ。
ただ、それ以外の要因で死亡することもあるので、不死の術ではない。人間より体が頑丈になるのは確かだが。
さて、そんな魔法使い・霧雨魔理沙は、かなり特徴的な姿をしている。
白いリボンのついた黒いトンガリ帽子の下には、サラサラの金髪と片っぽお下げ。黒いドレスの上からは白いエプロン。そして黒いブーツ。
一言で言うなれば、『白黒』でいいだろう。
そんな姿は、ここ何十年も変わらない。そんな彼女が、少し羨ましかった。
「ブーツはちゃんと脱いでよね」
「ああ、わかってるぜぇ」
と、億劫そうに言った。分かっているのなら、何故一回靴を履いたまま縁側に上がろうとしたのだろうか。
魔理沙は縁側にどっかと座り、足元でゴソゴソやりだした。脱ぎ終わったと思ったら、またもや私の横にどっかり座った。
「裸足だったの? 足が臭くなるわよ」
「魔法のおかげで代謝が少ないからな。大丈夫なんだよ」
もし私がそっち方面に才能があったら、是非やってみたいものだ。
「お茶、飲む?」
「飲むぜ」
「じゃあ、ちょっと淹れてくるから待っててね」
確認をとったところで、布団から出て立ち上がろうとした。
「ああ、待て、待て。藍は居ないのか?」
「居ないわよ」
「無理すんなよ、私が淹れてくる」
むう。自由に動く事はできるのだが……。
しかし、いくら言っても彼女は聞いてくれなさそうで。言っても体力の無駄になりそうなので、大人しく布団に戻った。
台所に歩いていく魔理沙の後ろ姿を見て、不思議と過保護への怒りは湧かない。むしろ、優しさへの感謝だけだった。
「……もう、勝手なんだから」
でも、贅言してしまうくらいが私らの関係だ。
花弁がばら撒かれた庭を見てしばらく。魔理沙はお盆に湯呑みを二つと急須を乗せてやってきた。
「あちちっと。ほい、ほい」
素早く湯呑みをちゃぶ台の上へ移す。
どれだけ熱くいれたのだろうか。
上半身を起こし、湯呑みへ手を伸ばす。
「ふーふー。……そう熱くもないじゃない」
飲んでみると、そうでもなかった。これは強がりでもなんでもない。
そして魔理沙は。
「そうか?どれどれ……」
ずずっとお茶を舌で味わい、喉へ流した。
「…あ、熱いじゃないか」
顔を真っ赤にして、火傷したのか、舌を出しながらそう言った。
「文句を言わないでよ。アンタが淹れたんでしょ」
「そりゃそうだが…。どういうことだ? 舌の構造が違うのか?」
「年の功かしらね」
「羨ましくないぜ……」
なんだかイラっとしたから、魔理沙の横腹に拳を入れておいた。ゲシっと。
「な、なにすんだよ」
「………」
「まあいいか…」
それから数十分、他愛ない雑談が続いた。
彼女の笑顔は晴れやかだけど、いつもどこか曇っていた。今日はそれがやけに引っかかった。
気付いていて、何故それを言えないのか?
きっと怖いのだろう。彼女との関係が壊れる事が。
さすがに産まれた時から、というわけじゃないが、幼い頃から仲が良かった。あれから数十年、下積みは決して薄くも軽くも無い。
それでも、崩れるのはきっと一瞬。その瞬間が怖かったのだ。
こんな老いぼれになっても、人間関係が怖いのは変わらないのだ。
「じゃ、私はそろそろ帰るぜ」
「そう。またいらっしゃい」
「ああ、また来るぜ。お大事にな」
話がひと段落ついたところで、魔理沙は神社から出て行った。
面倒そうにブーツを履き、必要の無い箒に跨り、桜吹雪を作って飛び去っていった。
舞い散ることを二度体験した桜を見ながら、心の中にある言葉が浮かぶ。
────お大事にな。
魔理沙の
これ以上、どう体を大事にすればよいと言うのだ。こんな、たった、あと数ヶ月の体なのに。
発端は。いや、病はとうの昔から罹っていた。
その病が見つかったきっかけは、数週間前まで遡る。
齢六十を越した初春、私は博麗の巫女として幻想郷の巡回に繰り出していた。
とは言っても、毎度毎度、妖怪退治をしているわけじゃない。そこまでやる必要もない。
では何をしていたのか。遊んでいたのだ。チルノという氷の妖精に誘われて、隠れんぼをすることになった。
▼-▼-▼
「もういいかい?」
「もーいーよ!!」
霧の湖周辺。チルノの家もこの辺りにあるらしい。
私が探す役で、チルノが隠れる役だ。
チルノは、十かそこらの少女に見える妖精だ。『冷気を操る程度の能力』を持つ。
私と初めて出会った頃からその装いはほぼ変わらず、水の色の髪には緑色の大きなリボン。スカートのフチに白いギザギザがある青いワンピースを着ている。背中には妖怪の中でも特徴的な、氷の結晶の羽がある。
出会った頃は、見た目にそこまで年齢差は無かったはずだが……。今ではすっかりお婆ちゃんと孫みたいである。
ほんの遊びとは言え、手加減はすまい。返事が聞こえた方向に全神経を集中させる。
………居た。
正確な距離を図り、気配を消して近寄る。
しばらく進むと木の横から、彼女の氷の羽が丸見えに。こういうあたりがバカである。
これだったら、サーチしなくても良かったな。また彼女には長い鬼役地獄をやってもらおう。
みーつけた、と言おうとした時だった。
視界がぐらりと揺れ、眩暈が。
倒れるのはなんとか堪えたが、木に掴まって体を支えなければ立っていられないほどフラフラする。
ガサッという音に気が付いて、チルノが私に見つかったことを知った。
「あーあ、見つかっちゃったか。霊夢は強すぎるよー。………霊夢?」
うわあ、何だこれ。頭が痛くてチカチカして、視界が狭められる。落ち着くまで、木に体重をかけていよう。
そんな私に心配して、チルノが声をかけてくる。
「だいじょぶ? 霊夢」
「たぶん大丈夫。いつものことだから」
ああ、やっと落ち着いてきた。これだからトシは困るのだ。
「……一応、永遠亭に行こうよ」
大丈夫だと言うのに。しょうがないから行くことにした。
♢
「症状は?」
「頭痛と眩暈と、あとあれね。時々視界が狭くなるわ」
永遠亭。永琳の診察室。彼女はカルテを片手に、要項を素早くメモしていく。
チルノは私の後ろで待機している。
「それは、いつも?」
「そうね。頭痛は特に…朝が多いわ」
一瞬、永琳の顔に影が差す。思案げだ。
「……そう、ですか。では、少しこのままお待ちください」
「はぁい」
言い残したっきり、永琳はどこか、別の部屋へ立ち去ってしまった。
頃合いを見計らって、鈴仙がお茶を運んできた。お盆の上には三つ。チルノに一つ、私に一つ。あと一つは永琳の分かと思いきや、鈴仙が自分で飲み始めた。
「……私、どうなのかな?」
「どうって?」
お茶を美味しそうに飲む鈴仙に、相談をしてみた。
「さっきの永琳の表情…。なんか、重い病気なんじゃないかって」
だが鈴仙は。いや私の希望通り不安を打ち破ってくれた。
「大丈夫よ。なんてったってお師匠さまよ? どんな病でも治せるわよ」
「そうよね…」
「それに、貴方がそんな弱気になるなんて珍しいわね。貴方らしくないわ」
少し、そうだったかもしれない。病は気からと良く言うだろう。気を強く保てば大丈夫よ。
ただのチルノの、バカの思い過ごしだ、と思った。
だが、事態はそう上手くいかなかった。
「ごめんなさい。先に謝っておくわ」
しばらくして戻ってきた永琳が、私の向かいに座るなりそう言い出した。
「わたしに、あなたの病は、治せない」
「な、治せない?」
私も驚いたが、永琳の後ろに佇む鈴仙もかなり驚いてるようだった。
「そう。単刀直入に言わせてもらうけど────」
「あなたの余命はあと、たったの五ヶ月も無い」
衝撃的だった。信じられなかった。言葉の意味が理解できなかった。したくなかった。
この日から、死へのカウントダウンが始まったのだった。
▽-▽-▽
少し、眠っていたようだった。朝も寝て、昼寝もして、さらにこれじゃあだらしなさの極みである。
外はすっかり暗くなっていた。夜風に当たっては身体にも障る。
久しぶりに立ち上がって、障子に手を掛けた。そこでふと、外の桜の木が目に留まった。
全て散ってしまったと思っていたが、違った。
たった一輪だけ、散らずに残っていた。
「…………」
障子を、閉めた。