島風は旅に出るようです。   作:delled

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Extra ep(1). Bartleby on the sea bed

 降り注ぐ日差しは海面で細切れにされて、ここまで届くときには緩く不定形な光となる。海上で受ける突き刺さるような陽光に比べて、この光のなんと饒舌なことだろう。海底のしじまとあいまって、時間の感覚すらも曖昧になってくる。だが、そこに不安などあるはずもない。静かで、満たされているのだ。両手を一杯に広げて、すべてを水のうねるがままに任せることにした。ほとんど何の衝撃も感じないままに、堆積した砂の層にこの体は包み込まれていく。海上でこの感覚は味わえまい。静かな優越感に浸る前に、頭上から降る声にまぶたを開けた。

 

「ねぇ、映画のマネでもしてるつもり? 私が仕事を片付けたのに、貴女がそれじゃあ、格好がつかないわ。」

 

「失礼ですが、姫。私たちの仕事というのは、彼女たちを殺すことではないんですか。」

 

 私の片腕を掴んで、海底堆積物に埋もれかけていた体を引き上げるのは、長い白磁のような髪を海水のうねりに遊ばせた人影。彼女のそれを"人"影、と表現する奇妙さはあえて無視したい。とにかく、彼女は姫と呼ばれる私の上位存在だ。彼らが私たちを呼称する際の規則に従うならば、潜水棲姫といったところになるらしい。

 

「”どちらかといえば、やらない方がいいんですよ。” 向こうだって、海に潜れる子たちは溺れた私たちのお仲間を助けたりしているみたいよ。だったら、持ちつ持たれつでいいじゃない?」

 

 “I would prefer not to.” 姫は口角を上げて、悪戯っぽく笑いながら最初にそう答えた。語法としては、消極的な意思に基づいて、消極的に拒絶する、ことを示すのだろうか。いずれにせよ、妙なフレーズだった。

 

「また、何かに影響されましたか。まぁ、海中がグロテスクな死体で汚されるのは我慢なりませんから、彼女たちもそういう意図でやってるというなら、多少の共感もできますけど。」

 

 長い黒髪が鬱陶しい。どうにかして切りたいところだったが、引き千切ろうと擦り切ろうと、すぐに伸びるものだから始末に終えない。両手で額に被る髪をかきあげて、姫を見上げる。

 

「せめて、活動中の奴への攻撃くらいはして欲しいところですね。」

 

「どちらかといえば、やらない方がいいんですよ。だって、一緒だもの。もしその子が沈んできちゃったら、抱っこして基地の近くまで連れていってあげないと駄目になるわ。不毛過ぎる。だったら最初から何もしない。」

 

 また、例のフレーズだ。姫は小魚の群れに手を突っ込んで戯れている。

 

「ねぇ? この戦いって、終ったらどうなるのかしら。」

 

「どうでしょう。考えたこともありません。それこそ、母君が考えているのではないですか。」

 

 私たちは何もかもを知らないままだった。とはいえ、意味のない知識はやたらとあるのだ。例えば、この海から程近い島国が辿った歴史、あるいは遙か西の大陸に君臨する超大国の経済状況。こういった事柄なら、何かしらの専門書が目の前にあるかのように、すらすらと記憶を辿れるにもかかわらず、自分たちのことは何一つわからない。誰から生まれたのか、何故ヒトの女性と同じ体を持っているのかなんて当然知らない。そもそも、私たち自身を呼称するにおいて、彼らが名づけた深海棲艦という名前を使うしかない辺りの哀れさは、説明するまでもないはずだ。

 

「嘘ばっかり。というかね、あれが私たちの始祖だなんて考えたくもないわ。ボキャブラリーに乏しすぎるわよ。ええっと、殺せ、食らえ、奪え、だったかしら。酷いにもほどがある。」

 

「まぁ……。」

 

 確かに否定はできない。浅く頷いて耳を澄ませてみる。ある特異な声で揺らされた空気が海面を叩き、この星すべての海へと伝播しているのがわかる。それが、私が言うところの母君の声だ。姫の言う通り、壊れたレコードのように同じ言葉を延々と繰り返している。意識を集中していない限りはそれほど気になることはないが、海上に顔を出す際は酷いことになってしまう。耳を塞がねば気が狂いそうだったし、一時間我慢した後は十日ほど海底で伏せってしまったものだ。海上の連中の頑強さには感服する。

 

「で、姫。今日は何人を……?」

 

 沈みゆく彼女たちを何人救い上げたのか、問いかけた。

 

「二人、ね。一人は酷かった……。あの子は、多分復帰できない。命は助かると思うけど、今後の生活も不便になっちゃうと思う。もう、意識を失ってるのに。アイツ、手足を……。」

 

 姫は奥歯を噛み締めながらに言う。アイツ、というのは、私たちの味方を指すのだろう。手足を……か。確かに、醜い戦い方だと思う。

 

「もう一人は?」

 

「え、えぇ。もう一人はわりとすぐに復帰するんじゃないかしら。長い金髪の可愛らしい子。」

 

「まぁ、死ぬよりは……どちらかといえば、死なない方がいいんじゃないですか。程度にもよるでしょうが。」

 

 姫の言葉を拝借する。私の意趣返しは予想だにしていなかったらしい、一瞬目を丸めた姫は、口を抑えて肩を震わせながらに笑い始めた。

 

「そう、かもしれないわね。やっぱり、戦いが終わるまで、私はこれだけをやり続けることにしましょう。他の一切は、どちらかといえば、やらない方が良いわ。」

 

「ご随意にどうぞ。」

 

 姫は働き者だ。結局は彼女たちを海中から救い続けるのだろう。例のフレーズが似つかわしいのは、きっと私の方なのだ。できることなら、何もしたくない。ただこの静けさに身を任せて、時々姫の涼やかな声を聞いていられるのなら、それは悪くはない日々であるはずだ。

 

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 しかし、ある日の夜、海底の静寂は唐突に蹂躙された。

 

 海中で強力な力が爆ぜて、水が秩序なく掻き乱される。母君の声よりもなお耳障りな、最悪な音が繰り返し響く。そのうちの一つが聞こえた直後、海底へと激しく叩きつけられた。自らが嘔吐したまっかな血が海水に混じるのを見ながら、私の意識は闇に沈んだ。

 

 意識を取り戻したとき、最初に呼んだのは姫の名だった。四肢のことごとくがへし折れていて、もはや使い物にならなかったから、体で這うように海底を進む。

 

「姫……?」

 

 夜の海のはずなのに、姫の周囲にだけ月明かりが差しているかのようだった。海底堆積物に下半身を覆われているのかとも思ったが、そうではなかった。その直後に確信する。姫は絶対に助からないと。それなのに、姫は私の姿を見て、満足げに微笑んですらみせた。つまり、私の無事を確認できるまで、意識を保ち続けたということだろうか。あるいは、彼女自身の行いに後悔はなかったと伝えるつもりだったのか。一瞬のあと、その瞳は何も映さなくなった。グロテスクだなんてとんでもない。誇らしげで、美しくすらあった。海水が震動して、私の耳朶を揺する。激痛に耐えながら、寝返りをうつ要領で海面方向を視界に捉えた。月明かりに映える金糸のような髪を揺らす影が、その両手で眩いばかりの光弾を弄びながら駆け回っている。なるほど、長い金髪の可愛らしい子、か。

 駄目押しのように海面からおびただしい数の光弾が降り注ぎ、そのすべてが一斉に爆ぜる。細切れに四散していく姫の体を集めようとした私の右腕が、根本から弾け飛んだところで私は意識を失った。

 

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 気がついたときには、海底は静けさを取り戻していた。姫の声がない静けさの、なんと醜悪なことか。唇を噛み締める。既に右腕を吹き飛ばされているのだから、下唇を噛みちぎるくらい、もはや気にもならない。母君の叫びの意味が、今ならわかる。なんなら、一緒に歌ってさしあげてもいいくらいだ。使命感にも似た積極的な渇望が、私の中をのた打ち回る。

 

 彼女だけは――”私のすべてを賭してでも、殺してやる”

 

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