「Flightは何時デシタ?」
「えぇっと、夜の10時前です。6時くらいの空港バスを予約してて……。」
「じゃあ、夕方まではデートできますネー。」
葵は由希子の隣に回り、ごく自然に手を繋いできた。細くしなやかな指先が由希子の指に柔らかく絡む。二人が向かうのは、駅に直結した商業施設。横に並ぶとわかることであるが、身長は由希子の方が少し上といったところ。戦中は彼女の方が背が高かったのを、追い抜いてしまったのだ。なのに、シルエットの起伏という意味で言うスタイルの良さにおいては圧倒的に負けているのは少々悔しいところだった。
二社の私鉄と市営地下鉄、さらに新幹線が通る駅に繋がっているためか、施設内は非常に混雑していた。行き交う人たちの流れに乗るように、少々窮屈な歩幅で歩く最中、すれ違いざまに二人に――正確に言えば葵に――視線を向ける人は少なくない。しかし、それは単に葵の人目を引く整った容姿がためである。世界を救った艦娘の二人だからという理由ではない。艦娘の存在そのものを知らないという人は極めて少ないにしても、個々人としての艦娘を知る人は少ないのである。不満を抱く者もいたようだが、少なくとも由希子は納得していた。個人として賞賛されたいとは思わなかったし、のんびりとした日常生活を送るには丁度いいからだ。
向かったコーヒー店は既に混雑していたが、どうにか窓際のテーブル席を確保できた。由希子は抹茶のフラッペ、葵は紅茶とスコーンをそれぞれ頼んだ。コーヒーが飲めないわけではないが、この手の店に来るといつもこの手のフラッペを頼んでしまう。うずたかく盛られたホイップクリームをストローで混ぜながら、向かいに座る葵を見遣る。戦中から戦後しばらくの間まで、由希子は何もかもを葵に倣うようにしていた節があった。彼女のように英語が喋れるようになりたいと勉強したり、紅茶を嗜んでみたり、私服のセンスを真似したりもした。どれもそれなりに身についたし、今の自分を形作る大切な要素である。それと同時に、年頃の少女が抱く健気な憧憬に葵が気づいていたかどうかはともかくとして、気恥ずかしさとある種の喪失感を含んだ思い出の一つとなった。自分には葵になる才能がなかった――彼女には絶対に追いつけないし、藤堂由希子が彼女になろうとするのは愚かなことだと痛感したのだ。そうだとしても、彼女が由希子にとって依然として憧れの代名詞であることは間違いない。
「ユッキーが旅に出たら、寂しくなりマース。」
「毎日メッセージ送りますよ。」
「ユッキーが旅先でちゃっかりカレシを作らないか心配デース。やっぱり行っちゃ駄目ネ。」
静かに紅茶を飲んでいたら一枚の絵画にでもなりそうな葵は、しかし大袈裟に泣きそうな表情で由希子に懇願する。とは言え、声量自体は由希子だけに届く程度に抑えているのはさすがであった。
「みんなに会いに行くのがメインなんですから、男性との接点なんてないですよ。まぁ、よっぽど素敵な人がいたら恋しちゃうかもしれないですけど、それは葵さんだって同じ筈ですよね。」
「Of course! Chanceを逃すつもりはないデス。Loveは早く育つように見えて、実は何よりも晩成なんだから。」
当然だとばかりに言ってのける葵を半眼になって見つめる由希子。葵はといえば、澄ました顔で紅茶を一口飲みがてら視線を逸らした。
「でも、シゴトシゴトの毎日だから、このままじゃChanceすらないままネ。一緒にハワイに行きたかったデス……。彼女にも会いたかった。」
「昨夜も少し電話で話したんですけど、葵さんが来れないこと、やっぱり残念って言ってました。と言っても、その残念には、会えなくて残念、以外の意味があるような気がしますけれど。」
「I think so much. でも、それも含めて彼女の魅力デス。」
「うん、そうですね。本当に、葵さんと二人で行きたかったな。」
葵は指先でちぎったスコーンを口に放り込んだ。その様子をぼんやりと見ていた由希子に気づいたのだろう、何も言わないままに表情を緩ませた彼女は同じようにちぎったスコーンを由希子の顔の前へ差し出した。葵が何をするつもりなのかを察して気恥ずかしさに視線を逸らすものの、最終的には素直に口を開けることにした。軽く暖められたスコーンは、フラッペで冷えた口にちょうど良い。ほろほろと崩れる生地の感触と少しくどいくらいの甘さを十分に堪能する。ふと、何かを思い出したように由希子はかばんからスマートフォンを取り出した。
「葵さん、来週もずっと仕事ですか?」
「Yes. この感じだと土日も潰れちゃいそうネ。だから、mailは職場のアドレスに送ってクダサイ。」
「確か、こっちがお仕事のアドレスですよね。」
軽く身を乗り出しながら、葵にスマートフォンの画面を見せる。
「Yes. 向こうの写真、たくさん送って欲しいデス。」
「葵さんが悔しく思うくらい、楽しい写真をたくさん送りますから、覚悟しててください。」
「Well. 構いまセン。その分、帰ってきたらワタシが満足するまで旅の話を聞かせてもらいマス。」
その後も葵との会話は続いた。彼女の仕事のこと、気になっているレストランのこと、昔の仲間達のこと。やろうとおもえば、一日中だって話し続けることができたはずだ。結局その喫茶店で少し早めの軽い夕食まで摂って、二人は空港バスのターミナルへと向かった。
「ユッキー、気をつけて。あとは、たくさん楽しんできてクダサイ。」
「ありがとう、葵さん。行ってきます。」
定刻どおりに到着した空港バスに乗り込んで、窓越しに彼女に手を振る。両手でおおげさに手を振り返す彼女に少しだけ気恥ずかしさを感じるものの、そんな彼女としばらく会えなくなることが、少しだけ寂しかった。