島風は旅に出るようです。   作:delled

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3.始まりの楽園(1)

 搭乗手続きを済ませる前に、文庫本を二冊買ってかばんに放り込んだ。航空会社の窓口で搭乗手続きを済ませて、受託荷物を預けてからセキュリティチェックを抜ける。その先で待っていた入国審査官が、由希子を別室へと案内した。所属する国家を問わず、元艦娘は出入国に際し通常の旅客とは異なる扱いを受けることになっている。由希子にとっても、艦娘時代から慣れた手続きであった。

 

「藤堂由希子様、チケットとパスポートを拝見します。アメリカ合衆国――ハワイにご出国ですね。目的をお伺いしてもよろしいですか。」

 

「はい、現地で仕事をしている艦娘時代の仲間に会いに行きます。あとは、観光です。」

 

「承知しました。招聘状はお持ちでしょうか――拝見します。」

 

 一般的にはインビテーションレターと呼ばれる、入国先の団体や個人からの入国推薦状が用意されていない限り、一度でも艦娘であった人物は公式な任務以外で国境を越えられないことになっている。どこの国も艦娘の力を手放したくなく、同時に恐れているということなのだろう。今回は、会いに行く予定となっている元艦娘に用意してもらった招聘状を提出した。

 

「ありがとうございました。出国審査は完了です。どうぞ、お気をつけて。」

 

「こちらこそ、ありがとうございました。」

 

 管理官から返却されたパスポートと搭乗券を受け取って、互いに礼をしあってから、通常の出国審査場とは異なる出口からゲートへと向かう。深海棲艦との戦争が終って、各国の出国者数が回復するのにかかったのはほんの1年足らずだった。今年は入国者数、出国者数ともに過去二十年で最高を記録する見込みらしい。ゲートに向かう途中の免税店にも、日本人を含めていろいろな国の人々が見える。それを由希子は瞳を細めて見つめた。自分が世界を救ったなどとは思っていない。けれど、この風景を取り戻す助けになれたと思えば、自分が艦娘になったことにも、あの戦いにも意味があったと思えるから。

 

 搭乗ゲートに着いたのは、搭乗開始の20分ほど前。世界的なリゾート地に向かうだけあって、ゲートには子どもがいる家族連れや大学生くらいのグループ、あるいはお年寄りの夫婦まで幅広い層の人々が集まっていた。自分はどう見えるかと考えてみたが、やはり一人旅行の大学生くらいに映るのだろう。搭乗が開始され、由希子も機内へと足を踏み入れる。機体の右側、ちょうど翼の位置にある窓際が自分の席だった。向かってみると、通路側から二人分の席には小学校低学年くらいの女の子と、その母親であろう若い女性の姿があった。通路側に母親、三人がけの真ん中に女の子が座っている。

 

「こんばんは、すみません。私、向こうの席なので。」

 

「ごめんなさい。ほら、優ちゃん、お姉さんが通るから、足をくっつけて。」

 

「はーい。」

 

 優ちゃんと呼ばれた女の子は、明らかに不機嫌そうであった。しかし、口を尖らせながらも由希子が通れるように投げ出していた足をひっこめてくれたから、由希子は笑顔でありがとう、と告げる。女の子を挟んだ向こう側から、彼女の母親がこちらに視線を向けた。

 

「ごめんなさいね。この子、席が気に入らないみたいなんです。」

 

「あ、窓際……ごめんなさい、気づかなくて。席、交換しましょうか。私、どこでもいいですから。」

 

「いいえ、違うの。ほら、翼が完全にかかっちゃって、ほとんど外が見えないでしょう?」

 

 言われて由希子は窓の方に目を向ける。確かに、翼が邪魔になって現時点では辛うじて滑走路の誘導灯がいくつか見える程度だ。窓から見える景色の八割方は鈍色の翼が占めている。

 

「――ですね。じゃあ、私と一緒に遊ぼうか。ほら、トランプを持ってるんだ。」

 

 由希子は隣に座る女の子に視線を落として、鞄からトランプのケースを取り出した。特に使うことは無いと踏んでいたが、なんとなく持ってきていた。艦娘時代も遠征や遠方への出撃の際はこっそりとポケットに忍ばせていたから、そのときの癖のようなものかもしれない。退屈な海上の長距離移動では、こういうアナログな遊びの方が何かと安心だった。

 

「え? 本当……? うん、遊ぶ遊ぶ。」

 

「そんな、ご迷惑をおかけするわけには……」

 

「むしろ、私も着くまで退屈だなぁと思っていたので。」

 

 程なくして飛行機は定刻通りにハワイに向けて離陸した。由希子は優花という名前であるらしい女の子と、その母親も交えてトランプに興じたり、優花の学校での話を聞いたりしながら時間を過ごした。優花は由希子にだけ聞こえる程度の声でしか話さなかったし、機内の灯りが落とされると、話し疲れたのかすぐに眠ってしまっていた。由希子もいつの間にか眠っていたらしく、目を覚ました頃には着陸まで一時間ほどとなっていた。

 

「由希子お姉ちゃん、艦娘になるにはどうしたらいいのかな?」

 

 優花の将来の夢は、艦娘になることであるらしい。最近の女の子の夢としては、比較的良く聞くところである。というのも、戦いが終わった今でも自衛隊所属の艦娘は多数存在するし、素養のある少女達の徴用は今も続けられているからである。先進各国も同様の状況である。たとえ深海棲艦の脅威が去ったとしても、またいつ現れないとも限らないのだから、有事に備えて艦娘艦隊を維持するのは必要である。これが表向きの理由であるが、実際には、既存の戦略ならびに戦術の枠を超えた、文字通り一線を画す戦闘力を誇る彼女達を手放しては、国力に影響を与えるからであろう。

 

「うーん、私も詳しくないけど、お母さんの言うことをちゃんと聞いて、たくさんお友達を作って、一生懸命勉強したら、優花ちゃんならきっとなれるよ。」

 

「そっかぁ、もっと勉強頑張らないと。私が艦娘になったら、由希子お姉ちゃんを護ってあげるね。」

 

「うん、ありがとう。楽しみにしてる。」

 

 屈託なく笑う優花につられるように、由希子も微笑みながら優花の髪を優しく撫でる。

 

 ----------

 

 やがて、飛行機は定刻通り、ホノルル国際空港に到着した。優花たちとはお手洗いに行くことを理由に別れて、由希子は日本出国時と同様に別室で入国審査を受ける。

 

「藤堂由希子さん、ですね。入国審査を始めさせていただきます。まずは、ご用意いただいた書類を拝見しましょう。」

 

「どうぞ、一通り揃っていると思います。」

 

「お預かりします。今回の目的は、観光と、真珠湾の海軍研究室に勤務する一条晴妃(イチジョウ ハルヒ)さん。元、軽巡洋艦 夕張との面会をなさる、と。間違いございませんか。」

 

 審査官は由希子が手渡した書面を一瞥しただけである。実際には、事前に由希子が渡航することも、その目的も完全に把握していたのだろう。この入国審査は、実施細則としての書面上の形式を満たすためだけのものだ。

 

「はい、間違いありません。」

 

「結構です。藤堂由希子さん、合衆国へようこそ。我々は、あなたの入国を歓迎します。」

 

「ありがとうございます。」

 

 預けていたキャリーバッグを受け取り、空港の建物から出る。花の匂いだろうか。外に出た途端にほのかに甘い匂いが鼻腔をくすぐる。時刻は10時過ぎ、気温は25度くらいだろう。機内での寒さ対策に来ていたパーカーを脱いで腰に巻く。ノースリーブのシャツ一枚でちょうど良い気温だ。空港を出てすぐの駐車場には、日本の旅行会社の担当者たちが忙しく動き回っていて、観光客を乗せる大型バスが並べられている。由希子はスマートフォンの電源を入れながら、事前に約束していた場所へと向かう。

 空港バス停留場の近く、路肩に止まるサイドカー付きの大型バイクに跨る女性が由希子を見つけて片手を上げた。ポニーテールにした長い黒髪と理知的な顔立ち、華奢な身体。一方で、Tシャツにハーフ丈のカーゴパンツを着て、極めて無骨で重厚な大型バイクに乗ってしまうような、そんな彼女こそが一条晴妃――元 軽巡洋艦 夕張――である。大仰な動作で手招きする晴妃へと、由希子はキャリーバッグを引っ張りながら小走りで駆け寄った。

 

「長旅お疲れ様。ハワイへようこそ、ってね。」

 

「お久しぶりです、晴妃さん。これから一週間、お世話になります。」

 

 頭を下げる由希子に晴妃はゆっくりと首を振って、気にしないでと言った。

 

「というか、私もあなたにいくつかお願い事があるし、紹介したい人もいるから。」

 

「……お願い事っていうのは、なんとなく予想してました。紹介したい人って?」

 

「それは追々ね。さ、とりあえず乗ってちょうだい。」

 

 キャリーバッグはサイドカーに積んで固定し、由希子自身は晴妃の乗るバイクの後ろに跨る。

 

「それにしても由希子、また背が伸びたわね。170cmくらい……?」

 

「172cmです。あれから5cm伸びました。さすがにもう止まったと思いたいです。」

 

「どうして? 足も長いし、むしろ羨ましいんだけど。」

 

 しっかり掴まっていてね、と言う晴妃に従って、その細い腰に腕を回す。うなじの辺りで結わえられた晴妃の黒髪からは、ほのかにいい匂いがする。思春期の男子でもあるまいに、と思いながらも、その背中にもう少し顔を近づけようとした瞬間、バイクはすさまじい加速を伴って発進する。顔を近づけるどころか、額を押し付けるくらいに力いっぱい晴妃にしがみついて、由希子は声を張り上げた。

 

「飛ばし過ぎですっ!!」

 

「こっちのハイウェイはみんなこんなものなの。むしろ、流れに乗らないと危ないわ。」

 

 辺りを見ると、確かにどの車も二人が乗るバイクと同じか、あるいはそれよりも速いくらいの速度で走っている。日本ではあまり見ないほどに大きなトラックが真横の車線を走り抜けたときは、晴妃の腰に回した腕に無意識に力を込めてしまった。実際のところ、たとえどんな大事故に巻き込まれようとも二人が怪我をすることはありえないのだが、それでも本能的な恐怖は抑えられないのである。

 二人が向かう先は真珠湾。日本とハワイの関係を語るうえで避けて通れない場所でもある。この島の旧王朝が主な貿易品として真珠を用いていたことがその名の由来であるらしいが、今はアメリカ海軍における太平洋上の拠点の一つだ。いくつかの検問を抜けた後、桟橋にほど近い建物の前でバイクは止まる。

 

「なんだか意外。由希子って、スピードには慣れてるもんだと思ってたんだけど。」

 

「乗り物はまた別ですよ……。」

 

 バイクを降りて、ヘルメットを外した由希子の表情は心なしか青ざめている。結局、高速道路を抜けるまでの30分ほどの間、由希子は一時も腕の力を抜くことができなかった。嫌な汗をかいたせいで、ノースリーブのシャツが素肌に張り付いているのを感じる。

 

「この建物は……?」

 

「海軍関係者の宿舎よ。私の部屋もここにあるわ。シャワー、浴びたいでしょ。」

 

「はい。ものすごく。」

 

 深海棲艦との戦いが終わって以降、晴妃は艦娘の研究者として米軍で働いている。戦時下の特例として防衛大学を飛び級で卒業した彼女は、研究者として自衛隊に所属していたところ、艦娘の適正を見出されたという経緯を持っている。艦娘になる前から士官であった珍しいケースと言えた。そんな彼女が戦後日本を離れたのは、上の事情と、何より彼女自身の希望であったらしい。

 案内された彼女の自室は思っていたよりも広い間取りであった。本来はルームシェアを前提に設計されているとのことだ。自由に使っていいから、と案内された部屋は備え付けらしいベッドとデスクがあるだけで、普段は使われていないらしい。キャリーバッグを開いて適当に着替えを用意した後、早々にシャワーを借りることにした。

 

 移動時間がある分、丸一日以上ぶりとなるシャワーは、由希子の疲れを十分に癒していくれた。バスタブが設置されておらず、お風呂に浸かれなかったのは少し残念ではあったが、部屋を貸してもらえるのだ。むしろ十分過ぎるくらいだ。濡れた髪と身体を軽く拭いて、裸身のまま脱衣場の姿見の前に立つ。艦娘の力を日常的に使わなくなって、淡いブロンドであった長い髪は半年ほどで黒髪に戻った。腰まで届く黒髪が似合うような大人っぽい顔立ちではなかったから、軽めのショートボブに髪型を変えたのだ。由希子自身は軽い気持ちで切ったのだが、失恋でもしたのかと葵に随分心配されたのを覚えている。顔立ちの方も多少は大人びてきたと思いたかった。何より、背は明らかに随分伸びた。背だけは、成長した。だからなおさら切ないのであるが、それを語るのはまた別の機会を設けたい。ともあれ――艦娘であった頃から、外見は変わった。一方で、変わらない、変われないものも多くある。指先で右の太腿を緩く撫でた。懐かしい痛みを覚えた気がして、小さく息を詰める。今更思い出すことでもないのだが――。

 下着を替えて、半袖のブラウスとゆったりした七分丈のパンツに着替えて、晴妃が待つリビングへと足を踏み入れる。ノートに何やら書き込んでいる様子の彼女が、由希子に気づいて視線を向けた。

 

「ごめんねー。シャワーしかなくって。何度か要望出したんだけどね。こっちもかけられる予算は決まってるから。」

 

「いいえ、とんでもないです。十分すっきりできました。」

 

「由希子、お腹空いてる? ちょうどお昼だから、良かったら。」

 

 言われてポケットに入れていたスマートフォンを確かめると、時刻は正午を少し回ったところだった。着陸前に朝食として軽い機内食が供されたが、そこから三時間ほどは経過している。

 

「そういえば……はい。少し、空いてます。」

 

「うん、オッケー。何がいいかしら。何度かハワイには来てたわよね。」

 

「はい。共同作戦のときに何度か。その時はミズーリさんに色々案内してもらいました。」

 

「……となると、基本は押えてそうよね。例のパンケーキのお店には連れて行って貰った?」

 

 晴妃は右手に持ったペンを指先で回しながら、上向かせた視線で由希子を見遣った。

 

「あ、日本にもあるお店ですよね? はい、ミズーリさんと一緒に。ホイップクリームが物凄くて、ちょっと胸焼けするけどおいしいんですよね。」

 

「よし、じゃあちょっと遠いけど、個人的にそこよりも好きなパンケーキのお店があるの。そこでもいい?」

 

「はい、もちろん!」

 

 オッケー、と立てた親指を由希子の方へと向けてから立ち上がった晴妃の後に続き、二人は部屋を後にする。

 

 ----------

 

 再度、晴妃の駆るバイクに肝を冷やされること一時間ほど。島南東に位置する海岸沿いの街に辿り着く。目的の店には既に10人ほどの行列ができていた。

 

「わりと回転が早いから、そんなに待つことはないと思うわ。多分、二十分くらいかしら。由希子、待てる?」

 

「はい、大丈夫です。葵さんと東京にあるスイーツのお店で一時間半くらい並んだこともありますから。」

 

「一時間半!? 私、それ絶対無理よ。三十分が限度ね。」

 

 確かに、店の出入り口に視線を向けると比較的短い間隔で客が出入りしていることがわかる。晴妃の言う通り、行列の長さほどには待たなくて済みそうだった。ちらりと自分達の前に並んでいる人々に視線を向けると、観光客よりも現地の住民が多いように見える。

 

「おや、一条先生じゃないか。今日は非番かい?」

 

 二人が行列の最後尾へと並んでしばらくもしないうちに、大柄な初老の男性が晴妃に話しかけてきた。明るい色使いのアロハシャツをうまく着こなして、その奥さんであろう同じ年頃の女性と腕を組んでいる彼を見て、晴妃は軽く右手を上げた。

 

「こんにちは。今日は奥さんとデートですか?」

 

「あぁ、そうだよ。君たちのおかげで休暇も取りやすくなってありがたい限りさ。先生は……ご友人と、かな?」

 

 男性の視線が由希子の方へと向けられる。由希子が軽く頭を下げると、彼も由希子に倣う。晴妃と彼の英語は遠慮のないスピードであったが、どうにか由希子にも聞き取ることができた。

 

「日本に居た頃一緒に戦っていた艦娘の仲間で、今は親友です。」

 

「おお、そりゃあ素晴らしい。是非ハワイでの時間を楽しんでください。」

 

「はい、ありがとうございます。」

 

 差し出された彼の手を握り、次いで彼の妻とも握手を交わしてから、去っていく彼らに手を振って見送る。この近くに軍関係者の居住区があるため、よく海軍の知り合いに声をかけられるらしい。そんな晴妃の説明を聞きながらも、少々上の空だったのは、親友、と紹介されたからだ。気恥ずかしくて、何より嬉しくて、なんとなく唇が緩むのを抑えられなかった。

 程なくして、店内へと案内される。テーブルや椅子は木製で統一されていて、店の建屋そのものも含めて決して新しくはないが手入れが行き届いている。こじんまりとした雰囲気もあいまって、全体的に可愛らしいお店だ。晴妃の勧めにしたがって、彼女と同じものを注文する。リリコイ――つまりパッションフルーツ――のパンケーキらしい。10分ほどで運ばれてきたのは、柑橘系の甘い香りがするソースと生クリームが乗った三枚の大きなパンケーキ。ミズーリに案内してもらった店では山のような生クリームがかけられていたことに比べると、思っていたほどの派手さはない。かかっているソースがリリコイから作られているのだろう。

 

「ちょっと地味な感じでしょ。でもおいしいから、食べてみて。」

 

「はい。いただきます。」

 

 由希子が考えていたことを察していたような晴妃の言葉に促され、パンケーキにナイフを入れる。程よくソースが染みこんだ生地は驚くほど柔らかいが、同時にしっかりした厚みもあることがわかる。一口分を切り分けて、口に運ぶ。最初に覚えるのは、バターの香りと生地の甘み。油っぽくはないが、しっかりした味付けがされていた。加えて、酸味を含んだリリコイのソースは生地の甘さによく合っていて、濃い目の味なのに爽やかさすら感じた。

 

「何これ、おいしいっ!」

 

「でしょー。色々好みはあるけど、日本人にあってるのはここだと思うのよね。」

 

 思わず緩んだ頬を幸せそうに手で抑える。いくらでも食べられそうなパンケーキを次々に口に運びながら、由希子は疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

 

「そういえば、晴妃さんが艦娘だったこと、軍の人たちはみんな知ってるような感じでしたね。」

 

「うん。軍関係者だけじゃないわよ。こっちだと、艦娘はスーパーヒロインって扱いだからね。アイオワちゃん、エンタープライズさん、ミズーリさんあたりは特に人気なんじゃないかしら。彼女達は現職のままだし、テレビにも良く出るんだもの。バラエティ番組とかに。」

 

「お国柄でしょうか。」

 

「……かもしれないわ。」

 

 日本では、自衛隊でもごく限られたポジションの人物だけが艦娘の情報を扱うことができる。深海棲艦との戦いに終止符を打ったのは、日本の艦娘では戦艦金剛と駆逐艦島風である、という事実は広く知られているが、その二人の容姿や本名、現在を知る者はごく限られている、というようなものだ。米国での扱いはその対極に位置するのだろう。これを羨ましがっていた日本の艦娘も少なくない。しかし、どちらが良いというわけでもない、と由希子は思う。退役したかどうかにかかわらず、この国では、彼女達は艦娘であり続けることになる。戦艦ミズーリの本名を由希子は知っているが、この国に彼女をその名前で呼ぶ人がどれ程いるのだろうか。とは言っても、彼女達もそんな扱いを望んでいる。つまりは、その国の文化が反映されているのだろう。

 戦いが終わってからの互いの暮らしぶりを話しているうちに、三枚もあったパンケーキは平らげてしまっていた。長旅のあとにこの量を食べたのに、胸焼けしない辺りからも、日本人に向いた味付けであることがわかる。

 

「この後はちょっと私の研究室に来て欲しいの。その、ね。由希子のデータも欲しいなって思ってて……。夜はまたワイキキ辺りまで案内するから、お願い。」

 

「……そうだろうなぁと思っていたんです。もちろん、構いませんよ。泊めてくださるんだから、何かお返しをしないと。」

 

 食後にコーヒーを飲んでいると、しばらく言い出しにくそうにもじもじしていた晴妃が、手を合わせながら、頭まで下げて頼んできた。元々予想はしていたことだ。頭をあげてください、と晴妃を止めた。そもそも、部屋を貸してもらえるだけでも非常にありがたいのだ。それくらいの恩返しをしなければむしろ申し訳なくなってしまう。

 

「あと、さっき言ってた紹介したい子もそこにいるの。由希子にとっては本当に意外な相手だろうけど、良い子だから。会ってくれるかしら。」

 

「意外……? はい、大丈夫ですけど……。」

 

 少々腑に落ちないところはあったが、由希子は軽く頷いた。あえて自分に会わせる以上、艦娘に関わりある人物なのは間違いなかろうが、どう意外なのだろうかという疑問は覚える。

 

----------

 

 再び晴妃のバイクで昼下がりのハワイの道を駆け抜ける。なんとなくそのスピードにも慣れてきたところだった。今度は先程よりもさらに厳重なチェックを抜けて、案内されたのは映画にでも出てきそうな、いかにもな研究室。部屋の中央壁際には大型のモニターがあり、ウォークイン型のドラフトも設置されているが、それ以外にもとにかく様々な実験機器が並んでいる。いずれも由希子には馴染みないものばかりだった。デスクに乱雑に広げられていた白衣を羽織った晴妃は、由希子へと向き直る。

 

「さてと、色々やりたいことはあるんだけど、まずはあの子を紹介しちゃいましょうか。隣の部屋にいるはずだから。」

 

 その人物がいるのであろう部屋へと続く扉へと、晴妃が手をかけたとき、中央のモニターから呼び出し音らしき音が鳴り始めた。こんな時に、と苛立たしげに言いながら、晴妃はモニターの正面にある端末に触れる。

 

 その時、向こう側から扉が開いた。

 

「ねぇ、私、もう出ても良いノ? というか、ドクの机の上、ぐッちゃぐちゃだったから。アタシが勝手に片付ケたからネ。ゴミっぽいのはまとメてるから、あとで……ン、あなたハ……?」

 

 涼やかな声は耳に心地よい筈なのに、わずかに不自然さを感じてしまう。もう一度でいいから聞きたかったような、あるいはもう聞きたくないような、そんな声。思わず由希子が視線を向けた先。タイトなシルエットの黒いノースリーブのワンピースから覗く手足は、いっそ病的なほどに白い。大腿まで届く豊かな髪も、すべての色が抜かれたように白一色。なのに、その瞳だけが鮮血のように赤く、こちらを怪訝そうに見つめている。

 

 その顔を忘れられるはずがなかった。

 彼女は防空棲姫――。

 

 駆逐艦島風によって沈められたはずの、そのままの姿で彼女は目の前に立っていた。あの禍々しい艤装が存在していないことなんて、認識している余裕はない。相手が彼女――防空棲姫――でさえなかったなら、たとえ深海棲艦に遭遇したとしても、まずは冷静に様子を伺うことができたはずだ。敵意、同情、そして後悔と感謝。彼女に対する感情と記憶は極めて複雑だ。何より、記憶の中の彼女が最後に残した言葉。それらが同時に思考を支配して、何も考えられなくなってしまった。ショートボブの黒髪が足元からの強い風を受けたようになびく。由希子の周囲に、まばゆい火花が無数に飛び散る。火花が触れた黒髪は、淡くきらめいて白金色に染まっていく。あの頃の髪色に戻るのは、艦娘の力が最大限に発揮されている証拠だ。

 実に三年振りにもかかわらず、極めて速やかに島風の力を取り戻した由希子は、瞬きにも満たぬ一瞬で防空棲姫の懐に潜り込む。現代の戦車すら軽く撫でるだけで鉄屑に変える膂力によって放たれるのは、獣のように低く取った姿勢から一気にその顎を突き上げる拳。防空棲姫の頭部を爆ぜさせて余りある力を込める。最初の踏み込みの衝撃で、背後の床材が大きく砕け散る音が遅れて聞こえる。対する防空棲姫は、反応すらできていないように見えた。その恐怖を感じる間もなく殺せるならば、それに越したことはない。由希子はそうも思っていた。

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