島風は旅に出るようです。   作:delled

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4.始まりの楽園(2)

 深海棲艦の出現は2012年に遡る。当時ハワイ周辺海域で実施中であった環太平洋合同演習。これに参加中の艦隊が深海棲艦からの攻撃を受けたことが、彼女たちとの邂逅とされている。未知なる敵を前に先進各国の最新鋭艦艇は無力であった。主義主張らしきものを持たず、ただ猛然と襲い来る人類共通の敵が確認された瞬間である。攻撃を逃れた海路の取扱いなどを巡る小競り合いはあったものの、彼女たちの存在により人類同士の戦いは一時世界から消えることになった。

 あれから七年の歳月がながれてもなお、深海棲艦の目的ははっきりとはしていない。曰く、人類の次に地球を支配するのは彼女たちだ、あるいは彼女たちは人類の愚かさを警告するための神の遣いであった、といった様々な憶測が見られた。しかし、結局のところ深海棲艦は人類に、艦娘に負けたのである。

 

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 由希子にとって、深海棲艦とは倒すべき敵であり、それ以上の意味を持たなかった。しかし、この防空棲姫だけは、藤堂由希子が――駆逐艦島風が――倒す必要があった。

 防空棲姫の赤い瞳はまだ由希子の姿を捉えていない。見知らぬ少女が唐突に眼前で姿を消した、というところにすら認識が追いついていないのだろう。建物全体に響くほどの強靭な踏み込みによって生じた力を、一切の無駄なく拳に乗せて突き上げる。防空棲姫の頭部と言わず、上体を爆ぜさせるに余りある拳は、しかしその狙いを果たすことはできなかった。二人の間に割り込むようにして立つ人影が、右腕で防空棲姫を抱き寄せて、後ろ手にした左腕で由希子の拳を受け止めたからだ。

 

「二人とも、ごめん……。先にちゃんと説明しておけば良かったね。本当にごめん。由希子、この子は大丈夫だから、お願い……少しだけ落ち着いて。」

 

「晴妃さん……。わかり、ました。」

 

 緑灰色に煌く髪をなびかせて、晴妃は肩越しに振り返って由希子の瞳を見つめた。請うような彼女の瞳を見ていられずに由希子は視線を逸らしたが、それでも小さく頷いて拳を引いた。二人の髪が、同時に元の色に戻っていく。

 

「その子、艦娘? ドク、どうイうこと……?」

 

「全部、ちゃんと話すから。あなたのことも、彼女のことも。」

 

 状況を理解できないままでいた防空棲姫が、晴妃に抱き寄せられたままに問う。晴妃はそんな防空棲姫を宥めるように、壊れ物でも扱うような緩やかな手つきでその白い絹のような髪を撫でていた。

 

「そうね。とりあえずあっちに行きましょう。ほら、由希子も、ね。」

 

「わかッた。お茶、用意しなキゃ。だかラちょっと待っテて。あなタ、緑茶と紅茶とコーヒー、何がイい?」

 

 防空棲姫が晴妃の胸を押してその腕から離れると、由希子の方を向いて首を傾げた。その赤い瞳が自分を見ていると思うと、肌が粟立つのを感じるが、軽く首を振って平静を装った。

 

「どれも好きだけど……お手間じゃなかったら緑茶で。」

 

「ン……。ドクはコーヒーね。」

 

「うん、お願い。由希子はこっち来て。」

 

 防空棲姫と晴妃に続いて、研究室から続く扉を抜けた隣室。事務作業や打ち合わせをする執務室として使われているのであろう。部屋の奥には事務机があり、パーティションで区切られた手前側には複数人での打ち合わせなどに使われるような長机が設置されていた。長机の一長辺、その中央辺りに晴妃が座り、その対辺に由希子が腰を下ろした。防空棲姫は部屋の端にある給湯スペースへと入っていった。

 

「何から聞いたら良いのかわからないんですけど、あの女の子……。」

 

「由希子の想像通り。でも、あなたが知っている彼女とは違うはず。ま、少し待ちましょう。それにしても、由希子ってば全然衰えてないわね。うちに来てくれた甲斐があるってものよ。」

 

 拳を受け止めた左手を振りながら晴妃は楽しげに笑う。ややあって、トレイに三人分の飲み物を載せた防空棲姫が戻ってきた。無駄のない慣れた動作で由希子に緑茶、晴妃にコーヒーを出して、晴妃の隣に腰を下ろす。防空棲姫自身は紅茶を飲むらしい。由希子は湯飲みを手に取ってしばし止まってしまう。そもそもこの状況が異常なのだからもはや些細なことなのだろうが、とは言え深海棲艦らしき人物が淹れたお茶をあっさり飲めるかといえば、である。まとまらない思考と予想外の状況に理解が追い付かなくなり始めていた由希子であったが――。

 

「……どウぞ?」

 

「いただきます……。」

 

 由希子の様子に首を傾げた防空棲姫の一言で覚悟を決めて、湯飲みに唇を寄せた。適度な渋みこそあるが、それ以上に舌を優しく潤すような甘さがある。緑茶特有の豊かな香りも、日本で普段飲むようなペットボトルのお茶よりも濃い気がする。

 

「おいしいです。」

 

「……良かッた。普通の煎茶なンだけどね。」

 

「この子、お茶とかコーヒー淹れるのすっごい上手なんだから。」

 

 三人ともがそれぞれの飲み物を一口二口飲んだ後、無言のまま視線を交し合う。なんとなく口火を切り難い雰囲気を感じていたのだろう。晴妃がわざとらしい咳払いをした。

 

「まぁ、私から始めないとね。まずは、二人をそれぞれに紹介するわ。」

 

 晴妃は掌を上に向けて、指先を由希子のほうへと向ける。防空棲姫から向けられるのは、その指先を辿るかのようなまっすぐな視線。なんとなく居心地の悪さを覚えて、由希子は視線を伏せた。

 

「こちらは藤堂由希子、深海棲艦との戦いのとき、駆逐艦島風だった子よ。今は……自分探しの旅行中って感じ。」

 

「……、ですね。」

 

「ユキコ。シマカゼ。うン、覚えタよ。」

 

 防空棲姫の表情は、由希子を知っていた風には見えない。すなわち、晴妃が言うように由希子が知る防空棲姫ではないのだろう。由希子は少しだけ瞳を細める。

 

「で、この子はシャノン。由希子の想像通り、深海棲艦……だとされているわ。」

 

「そウ。防空棲姫って言ウらしいね。でモ、アタシはシャノンだかラ。ドクやユキコみたいに強くナいし、ヒトに酷いことしタいなんて思わナいよ。だカら、いきナり殴りかかってこらレるのはちょっと辛いかナ。」

 

 シャノンと呼ばれた防空棲姫が由希子に向けるのは、どこか悲しげな瞳。自分が何であるかをわかっているからこその諦念を滲ませた表情に見えたから、思わず伏せた由希子の視線は緑茶が淹れられた湯のみへと意味もなく向けられる。

 

「ごめんなさい。」

 

「ううン、良イの。深海棲艦がしてきタことは知ッてるよ。だから、無理ないっテのもわかルんだ。ちょッとイジワルな言い方しちゃッた。アタシの方こそ、ごメんね。」

 

「その、あなたの……シャノンさんと同じ姿をした深海棲艦を知ってたから、それで……。」

 

「そうナの? アタシはユキコに見覚エない。忘れテる、のカな。自分デもよくわかんナいから。」

 

 少々身を乗り出して由希子の表情を確かめるシャノンであったが、緩くその首を傾げるばかり。本当に心当たりがないらしい。こちらの感覚では見分けもつかない深海棲艦は多数いたからおかしな話ではないが、どうにも腑に落ちず口を噤む。一方で、シャノンは隣の晴妃を見つめて首を傾げた。

 

「そこら辺は、私もわからないところが沢山あるわ。ただ、ある程度整理はできると思うの。この子が何故ここにいるのかって話からになっちゃうんだけど、聞いてもらえるかしら?シャノンも、由希子に話して良い?」

 

「良イよ。といウか、話して欲シい。アタシじゃ上手ニ説明できナい。」

 

「はい、シャノンさんが良いなら。」

 

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 晴妃が語ったところによれば、彼女はハナウマベイと呼ばれるオアフ島南東の浜辺で発見されたらしい。それも、由希子たちが最後の深海棲艦を打倒したその翌晩に、である。装備は身に付けておらず、それどころか一糸まとわぬ姿で倒れていたところを浜辺のライフセーバーに保護された。病院に搬送された彼女は、最初は性犯罪の被害に遭った普通の少女と考えられていたが、一向に目を覚まさないことと、いくつかの極めて特異な体質を不審に思った医師により、海軍の研究機関へと搬送さることになる。米軍は当時既に深海棲艦の遺体やその一部を回収しており、彼女たちの身体的特徴、遺伝子等に関する相応の情報を持っていた。それらに鑑みて彼女は深海棲艦と考えるのが妥当であり、それも上位種とされる防空棲姫と判断されたのである。彼女は初めて、生きた状態で鹵獲された深海棲艦と言えた。

 

「……っていう流れだと、もうありとあらゆる人体実験がされたと思うでしょ? でも、案外そうでもなかったのよ。」

 

 そもそも、深海棲艦が人類の艦隊を圧倒せしめたのは、単純に彼女たちはあらゆる既存の攻撃を受けつけなかったからである。そして、それは意識を失ったままのシャノンに対しても同様であった。最初に搬送された病院が彼女を海軍へと回したのも、これが原因の一つと言える。例えば注射器で血液を抜こうとすれば、10mlも採取しないうちに強い力で皮膚から針が押し出されてしまい、そこから数日間は極めて細い針すらも彼女の皮膚は通さなかった。あるいはメスを入れようとすれば、その白い皮膚に触れた刃はステンレスやカーボンの粉に分解されてしまう。X線やMRIによる画像検査も一度だけは可能であったが、それ以降は機器そのものが彼女を拒むかのように起動しなかったのである。したがって、米軍が調べることができたのはわずかな血液からの遺伝情報くらいなもので、そもそも強引な検査や実験が不可能だったのだ。

 

「そもそも生きた唯一のサンプルを死なせるようなことしちゃうのは、あまりにリターンが少ないでしょ? だから、元々そこまで酷いことするつもりはなかったらしいわ。でも開腹くらいはしたかったんじゃないかしら。」

 

 後はこのままシャノンの観察記録を残すだけの仕事を続けるかと思われた米軍は、自衛隊で艦娘に関する研究を続けていた晴妃に助けを請うことにした。元艦娘にして医官経由の研究者であった晴妃は、日本にとっても非常に貴重な人材であったが、だからこそ日本はその要請を受け入れることになる。技術交流を兼ねた出向という特例が用意された晴妃は、自分が強力な外交カードであることも理解したうえで、喜び勇んでハワイの地を踏み、シャノンとの邂逅を果たす。それは、シャノンが発見されてからわずか一ヶ月後のことであった。

 

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「どうぞ、一条さん。彼女の部屋はこの先です。私達はここで待機していますので、何かあれば……。と言っても、ヴォイドが万が一攻撃してきたときは、むしろ私達が一条さんに守ってもらわねばならない側なのが情けないですが。」

 

「気にしないでください。最悪の事態が起こったとしても、当時の彼女と同じ強さなら私一人で十分ですから。では、行ってきますね。」

 

 辞令を受け取って、現地の司令官との挨拶もそこそこに案内されたのは、虚しさを意味する『ヴォイド』と当時呼ばれていたシャノンが収容された部屋であった。黒のスーツに白衣を羽織った晴妃は真新しいIDカードでいくつかのゲートを開き、ようやく部屋に足を踏み入れる。そこは、ただベッドがあるだけのまっしろの部屋であった。

 まだ時間は朝の10時、窓から差し込む南国特有の眩い朝日が、部屋をなおさら眩く照らしている。あらゆる計測機器は意味がなく、食事や水を摂らずともただ眠り続ける彼女に点滴も必要なかった。だからこその、この殺風景な部屋。静謐な気配に沈むように、ベッドで寝息を立てるヴォイドのそばへと歩み寄る。ゆっくりと伸ばした右手が彼女に触れる直前、晴妃は一度呼気を整えて深呼吸した。深く息を吐くと同時、晴妃の周囲に翡翠にも似た光が弾ける。彼女を警戒してのことではない、なんとなくそうした方がいいだろうという、らしくない直感からの行動だった。

 

「そろそろ起きる時間じゃないかしら、お姫様?」

 

 白く、柔らかい頬に指先で触れる。そのままそっと、唇の近くまで指先で撫でた。

 

「アタシ、クールな王子様の口付けじゃなキゃ起きナいから。」

 

 目を閉じたままの彼女の言葉は、いままでただ目を閉じていただけだと思えるほどに明瞭だった。さすがに目を見開いた晴妃であったが、それ以上に予想外の反応に笑い声を零した。

 

「私じゃ駄目かしら?」

 

「うーん、顔はきれいだケど、アナタ女の子デしょ? アタシ、そうイう趣味はなイの。」

 

「あら、残念。じゃあ、私が良さげな男の子連れてくるまで、お目覚めはなし?」

 

「本当ナらそうしタいけど、お腹空イた。イチゴが食べタい。」

 

「オーケー。持ってきてあげるから、とりあえず起きてちょうだいな。」

 

「仕方ナい。起きてアげよっかな。」

 

 それからゆっくりと、彼女は上体を起こした。開かれたまぶたの下には、ルビーよりも深い赤を湛えた瞳。視線を交わしながら、二人は口を揃えた。

 

 ――おはよう、と――。

 

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 その日、真珠湾に併設された米海軍の研究施設はにわかに喧騒に包まれた。日本からやってきたばかりの元艦娘の研究者が、眠り続けていた防空棲姫を起こしたのだから。一方晴妃はといえば、施設内の騒ぎなんざどこ吹く風といった体で、彼女の要望通りイチゴを買って帰ってきていた。

 

「はい、ご所望のイチゴを買ってきたわ。食べるでしょ?」

 

「うン、食べル。ありがトう。」

 

「カリフォルニア産なのよね。日本のイチゴもおいしいんだけど、ここでは手に入らないだろうから。」

 

「ニホン……アナタはニホン人なの? デも、随分英語が上手。"えッと、日本語っテこんな感ジだっタ? アタシ、できルよ。こっチの方が楽?"」

 

 ヴォイドとの会話において、晴妃は英語を使い続けていた。彼女の英語はあまりに流暢で、例えば日本で手に入るリスニング教材くらいに不自然な程の正確さであったから、当然彼女が使える人類の言語は英語だけなのだろうと思い込んでいた。しかし、ちらりと天井を一瞥して、何かを思い出そうとするような仕草の直後、ヴォイドは当然のように日本語を使ってみせた。

 

「"うそ、日本語もネイティブと変わらないじゃない。じゃあ、お言葉に甘えて日本語でお願いしてもいいかしら。"」

 

「良イよ。どっちモ好キな言葉だから。」

 

 どちらの言葉を使っても違和感を生じさせないヴォイドの言語能力が相当に高いことは間違いなかった。とはいっても晴妃の興味と専門は、彼女達の生物学的な側面にある。だから、彼女が日本語を使ってくれるなら、それに越したことはない、くらいの気持ちだった。

 

 良いかしら、と声をかけてから晴妃はベッドの端へと腰を下ろすと、プラスチック製の透明な容器に入ったイチゴの箱を開けてヴォイドへと手渡す。イチゴを受け取るやいなや、早速一粒口に放り込むヴォイド。満足そうに頬を緩める彼女の方に少しだけ身を乗り出して、晴妃が尋ねる。

 

「イチゴ、すっぱくておいしイから好キ。」

 

「これまでに食べたこと、ある?」

 

「なンで? イチゴくらい誰デも食べたこと、あるデしょ?」

 

「うん、そうね。最近だといつ食べたか、とか思い出せるかしら。」

 

「――あレ? いつ、だっタかな。」

 

「じゃあ、今あなたがいるここ……どこだかわかる?」

 

「そんナの簡単……っテ、え? あれ、なんデ? わかんナイ。」

 

「大丈夫、落ち着いて。ごめんね、変なこと聞いちゃって。大丈夫だから、安心して。」

 

 片手で持っていたイチゴの箱を取り落として、ヴォイドは額を押えながら晴妃に視線を向けた。晴妃はその両肩に軽く触れて、ゆっくり、しかし力強い声で彼女をなだめる。彼女の瞳が不安そうに揺れたが、その一瞬後には再び晴妃の瞳を見つめた。なぜか、期待をこめた眼差しで、である。

 

「――アタシ、こレ……記憶喪失? ア――お約束のあレ、言っても良イ?」

 

「あぁ……あれ。良いけど、何か意味あるの?」

 

「アタシ的に、一度は言っテみたい台詞の一つ。あァ、ここハどこ――? アタシは誰? アナタは誰?」

 

「あまり不安じゃなさそうなのは、気のせいかしら。でも、良いか。よし、簡単にあなたの状況を説明するわ。」

 

「うン……って、あレ!? なンでアタシ全裸!?」

 

 特に意味もなく視線を伏せたとき、彼女の目に映ったのは何も着ていない自身の身体。これまでで最も酷く狼狽して、両腕で抱えるように身体を隠すヴォイド。今更ではあるが、晴妃が部屋に入ったときから彼女は裸だった。身体的には同性である以上気になるものではないし、人類の敵である深海棲艦なのだから、不用意に身体を隠すものを身につけさせなかったのも無理からぬことだと思っていた。そもそも、晴妃はそういった機微には無頓着なのだ。何らかの理由で要すれば、自分が服を脱ぐこともそれほど厭わなかったことだろう。だから、そんなことで狼狽するのかと面食らいながらも、慌てて下着と検査着を用意させることになった。部屋の隅っこで身体を隠しつついそいそと服を着る彼女に、アナタ本当に女ノ子ナの!? とまで言われた晴妃は平謝りするしかなかった。

 

「深海――棲艦……。そレが、アタシってこト。」

 

「えぇ、それは恐らく間違いないと思うの。」

 

 何か言いたげな視線を晴妃に向け続けながら、黙々とイチゴを食べるヴォイドを見守ることおよそ十分。苦行のような時間を乗り越えてから、晴妃は一つずつ状況を説明した。まず、人類と深海棲艦の邂逅から決着に至るまでの事実、自己紹介を含めて艦娘のこと、ヴォイドがここに収容された経緯、彼女が深海棲艦であるらしいこと。いつの間にか時刻は正午を過ぎていて、二時間近くは彼女と話していたことになる。広げた自分の手の平に赤い瞳を向けて、ヴォイドは首を傾げる。

 

「じャあ、アタシは偶然殺さレずに済んダ生き残りってコとかな?」

 

「ごめんなさい、そこまではわからないの。」

 

「そッか……。ヒトに沢山迷惑かケて、ごメんナさい。許しテもらエるとハ思わなイよ。だカら――、」

 

「待って、あなたは何もしていないかもしれない。そうでなかったとしても、あれは戦争だった。あなたが責任を感じる必要はないわ。」

 

「忘れテるだけかもシれない。ヒトの乗ってる船ヲ沢山沈メて、ミンナが溺れテるのヲ見テ笑うの。ソレヲ止メヨウトスル人タチモ殺シテ――。」

 

「落ち着いて、大丈夫だから。」

 

 不安そうに揺れる赤い瞳を真直ぐに見つめて、吐息すらも絡み合うほどに顔を近づけて晴妃はヴォイドをなだめようとした。そのとき、室内の電話が鳴り響く。受話器を取った晴妃に告げられたのは、緊急の連絡があるため部屋から一旦出て欲しいとのことだった。ヴォイドが何らかの通信をする可能性を考慮して、室内はあらゆる電波を遮蔽する構造になっている。膝を抱えて瞳を伏せたヴォイドに少し待つように伝えて、晴妃は部屋を出た。

 

 その直後、軍から支給された端末に着信が入る。液晶画面の表示は、この国だけにとどまらず、世界で最も影響力を持つといっても過言ではない場所からの着信であることを示す。

 

「はい、一条です。」

 

「こんにちは、一条博士。初日からお疲れ様です。深海棲艦の少女―通称ヴォイド。彼女と博士の会話は、国防総省が受信していることはご存知ですね。」

 

「えぇ、承知しています。」

 

「実は、我々ホワイトハウスも回線を開いているのです。そして、あなた方の会話を聞いていた彼が、どうしても博士と話がしたい、と。」

 

「――もちろん、構いません。」

 

 彼、が誰を意味するかは、聞くまでもなかった。世界最大の軍事力を指揮する権限を持ち、深海棲艦との戦いにおいても中核を担ったこの国を動かしてきた人物のことである。とはいえ、事が大きすぎる、とも晴妃は思わなかった。彼と直接話したことはなかったが、近い状況には慣れている。ヴォイドが待つ部屋の扉に背を預けて、回線が転送されるのを待つ。回線が繋がった彼が晴妃に告げたのは、ヴォイドに何らかの処罰を下すことはないという考えだった。仮に人道的な観点を考慮しなかったとしても、彼女を傷つけられるのは艦娘だけであるが、そんな汚れ役を今更この国の英雄たちにさせるわけにはいかない。さらに言えば、彼女を長期的に観察することの方が国益と今後の発展に繋がるだろう、と。今後の彼女には、一般的な米国民と同等の自由を保障する代わりに、一部軍事研究に協力して貰いたいと彼は告げた。彼に感謝の言葉を述べて回線を切った晴妃は、再び部屋へと足を踏み入れる。晴妃を見つめる赤い瞳は、相変わらず不安そうで、少しだけ潤んでいた。ベッドに座る彼女の肩に手を置いて、晴妃はまっすぐに彼女を見つめる。

 

「ね、お昼ごはん食べに行こっか。」

 

「え? でモ――。」

 

「あなたの過去のことはわからない。だから、記憶を取り戻すまではのんびり生きてみない? 自分のことを考えるのは、すべてを思い出してからでも遅くないわ。だって、現時点じゃ何もわからないんだもの。わからないことの判断は保留する。それがかしこい選択だと思うけど?」

 

「みんながそレでいイなら。」

 

「よし、オッケー。じゃあ、早速ごはんに行きましょう。構いませんよね?」

 

 この会話を聞き続けているであろう、関係者全員に確認するつもりで声にしてやった。何の反応もない以上、問題ないということなのだろう。

 

「あ、そういえば、あなたの名前がないのも不便だから……ここで考えちゃおう。」

 

「知っテるよ。ヴォイドって呼ばレてる。」

 

「却下却下。碌な意味じゃないんだもの。」

 

「別ニ、何デも良いのに――。」

 

「そんなの駄目よ。ちゃんとした名前が要るわ。」

 

 晴妃は唇に指を添えて天井へと視線を向けた。この部屋に足を踏み入れた瞬間の光景を思い出す。朝日が差し込むまっしろい部屋、純白の髪に汚れ一つない裸身。何かを思いついたように、両手を叩いた晴妃は彼女の肩を掴んで瞳を覗き込む。

 

「Shannon……そう、シャノンっていうのはどう?ほら、あなたって、なんだかまっしろで綺麗だから。Shineと語呂が似てて良いかなって。あぁ、本当はどこかの山だか川だかが由来らしいんだけどね。」

 

「シャノン……。うン。最初は何でも良かったンだケど、それがイいと思う。アタシの名前、シャノンか。」

 

 自分の頬に両手を添えて満足げに笑う彼女―シャノンにつられて、晴妃も表情を緩めた。

 

「よし、じゃあご飯にいきましょう。ヘルメット二つ買っといて良かった。」

 

 晴妃は彼女の手を取って、外に連れ出すことにした。その時検査着と下着しか身につけていなかったシャノンに再度非難されることになったのだが――。

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