どなたさまも二人の物語の終幕を、優しい気持ちで読み終わっていただけますように……(^人^)
*ラストの長いモノローグが始まった辺りで『ユキトキ』とか『春擬き』なんかを脳内BGMにしてお楽しみくださいませ♪
修学旅行も終わり、昨日までのたった三泊四日の非日常がまるで夢まぼろしでもあったかのように、俺たち学生はたったの半日後には、常と変わらぬ日常を取り戻している。
いや、約一名に限り、平和な日常を取り戻せていないのだが。
その約一名とは言うまでもなく俺、比企谷八幡である。俺は朝からこの教室で、これでもかというほど居心地の悪い思いを強いられている。とあるバカによって。
くっそ、マジかよあのバカ……やっぱ助けてやるんじゃなかったわ。
「やー、ヒキタニくんマジすげーんだって! あれもう男じゃなくて漢でしょー。つーかヒキタニくんの彼女っつーのがまた漢なんよ。俺マジ感動しちゃったわー」
と、ご覧の通りアホが朝からクラスで騒いでんのよね。
海老名さんのことも考えて(てかもちろん自身の保身も大いにあるんだろうが)自分の告白の件には一切触れず、ただただ『修学旅行の夜に他校の女子を竹林に呼び出して告って、彼女持ちになったヒキタニくんマジパねー』を連呼してるんだよあいつ。勘弁してくれ……
通常であれば気にも止められないような、どこぞのヒキタニくんとやらの恋愛事情なはずなのだが、あいにく体育祭後の相模の暴挙により、このクラス内ではそのヒキタニくんとやらが結構な知名度だったりするのだ。
それゆえ、俺が朝一で教室に入るや否や、一斉に好奇の視線がバシバシと飛んできた。「あ、来た来た〜」「ああ見えてなかなかやるよね〜」「よくよく見たら目以外は悪くないし、実は優良物件だったりすんじゃね?」等々、実に煩わしいことこの上ない。なんだよ優良物件って。スーモに紹介してもらうのん?
そしてそんな風に騒がれれば騒がれるほどにガハマさんの頬が膨らんでいき、それに比例するように獄炎の女王陛下の視線が鋭くなるというデススパイラル。
もう生きた心地がしませんよ。俺には安息の地は無いのか。あ、そもそも教室に安息の地なんてありませんでした!
まぁそれでも戸塚以外誰も話し掛けてこないのは唯一の救いであろう。フッ、それもこれも、普段からぼっち道の邁進を怠らなかった賜物だな。
ただその戸塚に満面の笑顔で「おめでとう! 八幡っ」と祝福されてしまったときの、あの何とも切なくやるせない気持ちは、一体なんだったのだろうか……?
べ、別に戸塚に「……え、八幡、……か、彼女出来たんだ……その……おめでと……う」とかって悲しそうに言ってもらいたかったわけじゃ無いんだからね!?
そんな針のムシロのような一日をなんとか堪えきり、ようやく俺はこの荒みきった心を休ませられる、紅茶の香りが漂う安息の地の扉を開けるのだ。
「……来たのね」
「……むー」
「う、うっす……」
安息の地なんてなかった。
部室の扉を開けた先で待っていたのは、雪ノ下の射竦めるような極寒の眼差しと、マグカップに口をつけながら不満そうに膨らむ由比ヶ浜のじとっとした眼差しでした。
ふぇぇ……恐いよぅ……!
どどどどうしよう……!
俺、今日部活早退しようと思ってるんだけど、これ、そんなこと申告できる雰囲気なの……?
──俺は先日のダブルデートの早退の申告で大きな失敗をしでかしてしまっている。
だから部長様が「申告理由を述べなさい」と仰られた場合、こないだみたいな嘘は吐きたくない……ってか吐けない。だって即バレ確実ですもん。
とはいえ、たぶん言っても地獄、言わなくても地獄待った無しのこの早退、どう切り出せばいいんでしょうかね……もうこのまま帰りたい。
しかし俺は我が身可愛さにそれを口に出す事が出来ず、とりあえずいそいそと定位置に腰掛ける。
よ、よし、少しだけ本読んでから、様子を見て早退を切り出そうかな……と問題を先送りにして鞄から文庫本を取り出していると、不意にコトリと机に何かが置かれた。
「……どうぞ」
それは雪ノ下の手により置かれたひとつの紙コップ。……おお、まさか紅茶淹れてくれたの?
え。
「……あ、あの、これは……」
「白湯(さゆ)だけれど」
「ア、ハイ」
いやいや雪ノ下さん。なにを言っているのかしらこの男は……みたいに眉を潜めて首をかしげるのはやめてください。白湯って温いものじゃないの? なんかフツフツと煮えたぎってますけれど。
「……どうかしたのかしら。冷めてしまうから早く飲みなさい。……ふふふ、もちろん一気によ」
なにこれ新手の虐めかな?
いや、確かに君たちが怒ってる事はよく分かってるんですよ、ええ。
でもスミマセン、さすがにこれは飲めないっす。
「ね、猫舌なんで……」
「あらそう、それは残念ね」
嗜虐的な凍える微笑の雪ノ下が美しすぎてつらい。
そしてしばらくの沈黙。あかん、これは胃に穴が開きそうだ。
「ああ、そうそう比企谷くん」
「お、おう、どうした」
「先ほど由比ヶ浜さんに聞いたのだけれど、あなたのクラスでは例の噂で持ちきりらしいわね」
「……」
さ、寒いよぅ……! 大丈夫? ヒーターが寿命なんじゃない? あ、だから熱湯が用意されてるんだね! 八幡納得!
「そうなんだよゆきの〜ん! ヒッキーってば教室であの噂が耳に入る度に超デレデレしちゃって超キモいの!」
おい、風評被害はよせ。一切デレデレなんてしてないだろうが。
え、デレデレしてないよね? どうしよう、気付かないうちにニヤニヤしちゃってたとしたら死ぬほど恥ずかしいんですけど。
「まったく……この下衆な男には困ったものね……。……で?」
なんの前触れもなく、たった一文字で何かを問うてきた雪ノ下さん。
「……で? とは……?」
マジで主語とか入れてくれませんかね。全然わかんねぇよ。
すると雪ノ下はほんのりと頬を赤らめ、目を泳がせながらコホンと咳払いをひとつ。
「……察しの悪い男ね。……その……お、折本さんとは……は、話は付いたのかしら……?」
はい? なんだ? 折本との話って。
よく意味の分からない俺は、どういうことだ? と目で促す。
そんな俺の訝しげな視線を受け取った雪ノ下は不服そうに表情を渋らせつつも、さらに頬を赤く染めて、チラチラとこちらの様子を窺いその答えを口にする。
「ほ、本当に察しが悪い……わね。……その……昨夜あたり、電話でもしたのではないの……? ……そして、ちゃんと別れられたの……かしら」
「わ、別れる……?」
なんでしょうか、それは。
「あ、あの竹林での交際発言は、そ、その……折本さんの咄嗟のお芝居だったのでしょう? ……であるのならば、事後にお互いに意思の疎通をはかって、……関係をきちんと清算しておいて然るべきではないのかしら……」
「そ、そうだよヒッキー! や、やっぱ石のソツーとかちょー重要だし! んで、ビシッと叱っとくべきだし!」
おい、なんか意思の疎通のイントネーションが若干怪しいぞお前。あと“然る”な。叱ってどうすんだよ。むしろお前がママに叱られろ。
にしても、そういう事か。そういやこいつらには京都駅の屋上での出来事はまだ話してないんだった。
……いやいやいや、あんなもん話せるわけねぇだろ……
つーかなに? お前ら俺のこと好き過ぎじゃね?
だがここで「なんなの? お前ら俺のこと好きなの?」なんて言ってしまったら取り返しのつかない惨事になっちゃうだろうから、どんなに口が裂けようとも決して言いません。
まぁこいつらの事だ。折本の為を思っての心配なのだろう。
「……あ、や……その事なんだが……」
さすがにアレは言えたもんじゃねぇし、かといって黙ってるってのも気持ちが悪い。
……っべー、これ、どうしたらいいんでしょうか……?
そんな時だった。二人に迫られて頭が真っ白になっていると、
こんこん
……不意に扉をノックする音が部室に響き渡る。
た、助かった……とりあえず一難去ってくれた。これでこの話題は一旦お開きに……って、全然一難去ってねぇよ。まさかここにきて来客なの? 依頼入っちゃうの?
ちょっと勘弁してくれよぅ……俺、もう帰りたいんだよぅ……
「し、失礼しまーす……」
しかし、来客には俺のそんな願いなど一切関係がないのである。
無情にも開かれた部室の扉。その開かれた扉の向こうに立っていた人物を視界に入れた奉仕部一同は完全に固まった。それほどまでに意外すぎる人物だったわけだ。
そしてその人物は、恐る恐るではあるが、ゆっくりと部室へと足を踏み入れてきた。
「……なんで?」
頭に浮かんだ疑問を、思わずそのまま口に出してしまった俺を憎々しげに睨んできたその人物 相模南は、雪ノ下達にペコリと頭を下げると、なんの迷いもなく、不機嫌そうに真っ直ぐに俺の前へと歩いてくるのだった。
× × ×
相模南。
あの体育祭以来、俺はこいつと言葉を交わした事などない。
だが一時はそうなるだろうと疑わなかった、完全なる無関係という間柄では決して無かった。
体育祭後に自身の行いと反省を、誰も頼んでもいないのに友人らに広めた相模。
その事がクラスに広まり、誠に迷惑な事に、俺はまたもやクラス内では時の人となってしまった。以前の嘲笑の目とは違う好意の目での時の人なわけだが。
そんなことしたらクラスで居場所が無くなってしまうのでは? と心ぱ……(し、心配なんてしてないんだからね!)げふんげふん、とにかくそう思っていたわけなのだが、意外や意外、こいつは今まで通りに友人らとリア充として青春を謳歌出来ているようだ。
あの体育祭での大きな成長が、こういった所で結果として実を実らせたのかもしれない。
とまぁそれはそれとして、とにかく俺はあれ以来こいつと会話など一切していないわけで、こうして突然詰め寄られるという状況が全く理解出来ないでいる。
「……ちょっと、あんたに聞きたい事あんだけど」
「い、意味分かんねーんだけど」
「……いいから質問に答えてくんない?」
「お、おう」
なんなの? 俺、女難の相でも出ちゃってんの? なんで昨日今日とこんなに全周囲の女子から凄まれなきゃなんないの?
どいつもこいつもすげー恐くて逆らえる気がしないです。
しかしなぜか質問があると凄んできた相模は、俺が答えると意思表明をした途端に俯いてしまい、なぜか何も聞いてこない。
こいつショートカットだから耳が丸見えなんだけど、どうやらその耳を見る限りではかなり怒っているらしい。だって真っ赤だもん。
仕方がないので、怒りからかぷるぷると震えてる肩をぼんやり眺めていると、こいつは急に真っ赤な顔をガバッと上げて、とんでもない質問を浴びせてきやがった。
「ひ、比企谷さぁ……! お、折本さんと付き合い始めたって、マジ……なの……!?」
「……っへ?」
俺の口から漏れ出た音は当然のように相当に間が抜けている。
「だ、だって、戸部くんが教室でずっと騒いでたじゃん! あれ、マジ……!?」
だめだよパトラッシュ……思考が追い付かないよ……僕、もう眠いんだ……
「……いやいや、なんでお前がそんなどうでもいいこと聞いてくんの? …………つーか、あ、れ……?」
なんだ? この違和感。
さっきの相模のセリフに、どうしても納得の出来ない違和感が潜んでいる…………あ。
「……な、なぁ、なんでお前折本知ってんの……? 戸部のアホは、別に名前まで出して無かったよな」
そう。なんでこいつ、なんの躊躇もなく『折本さんと』なんて口に出したの?
まるで知り合いみたいな言い草なんだけど?
「そんなことどうだっていいから! 今は早く質問に答えりゃいいのよ!」
えぇぇえ……どうだっていいってレベルじゃなくないですか……?
とは思っても、綺麗な顔した女子にここまで詰め寄られるってのはなかなかの恐怖なのである。
そりゃ雪ノ下ほど綺麗でもなければ三浦ほどの圧でもないけど、それでもやはり慣れていない綺麗な顔の女子に凄まれるのはかなり恐い。
それでも俺は言ってやるぜ。うるせぇよ、お前には関係ねぇだろ、と。はいはいフラグフラグ。
「……おおおう、ま、まぁ付き合う事に……なったっちゃ、なったの……か? な、成り行きでな……」
この上なくカッコ悪い。どんだけびびっちゃってんだよ。
だって仕方ないじゃない、恐いんだもの。
いや、別に付き合う事が確定したわけでは無いんだよ。というかただヘタレな俺が答えを出せずにいるだけだけど。
しかしこのシチュエーションではそう答えるのが正解のはずだ。何故ならば相模は事情を知らない人間。下手な事を言ってそれが戸部の耳にでも入れば、またややこしい事になるのは明白である。
そう、正解のはずなのだが……はて? それならばこの部室内の冷え込みはどういう事なのだろうか。
え? なんで雪ノ下と由比ヶ浜がそんなに睨んでくるん?
そんな冷え込みを作り上げた張本人はといえばなんともお怒りのご様子で、歯をぎりぎりくいしばってぷるぷる震えている。
そして……
「あーもう! なんなのよあの女ァ! ただの友達って言ってたじゃんよ! なによ結局こうなんの!? あー、マジでムカつくぅ! 誰が友達なんかになってやるかぁぁ!」
勇ましく猛りました。もうわけが分からないよ。
しかしひとつだけ確実に分かった事がある。
やはり相模はどうやら折本と知り合いらしい。それも単なる知り合いというよりは、…………敵?
どう考えたって繋がりようが無いこの二人の接点ってなんなのだろうか。そもそも折本は相模と知り合いだなんて一言だって言ってない。
あえて隠していたのか、それともわざわざ言うほどの事でも無かったのかは知らんけど、まぁあいつが言わないというのにはそれなりに理由があるのだろう。
であるのなら、わざわざ俺から折本に聞くような事ではない。気になっちゃうけどね。
俺はいつの間にこんなにも他人を……折本を信用していたんだろうな……なんて、半ば己に呆れて苦笑を浮かべていると、それに相模が噛み付いてきた。
「は? なに笑ってんの? ムカつく」
あ、すみません。
ギロッと睨んできた相模の目は若干涙目になっているのだが、こいつはそんな涙目のまま、びしぃっと真っ直ぐに俺を指差す。
「ぐぬぬ……あぁもう! ……じゃ、じゃあとりあえずはまぁいいや……! いやいや全然良くないけども! …………いい!? 比企谷よく聞けよ!?」
そして相模は俺の歌を聴けぇぇ! とばかりにとんでもない宣言をかますのだ。
ちょっと予想の斜め上を行き過ぎてポカンとしてしまうくらいに理解が追い付きません。
「うち、今度の生徒会役員選挙で生徒会長に立候補する事にしたから!」
「は? お前なに言ってんの?」
マジでいきなりなにを言いだすんだよこいつは。思わず被せ気味で突っ込んじゃったじゃん。熱でもあんの?
「は? なにその顔ムカつくんだけど」
おい、生まれつきの顔をディスんじゃねーよ。母ちゃんに謝れ。
「こないだ城廻先輩が言ってたのよ、生徒会長に立候補してくれる子が居なくて困ってるんだ〜、って! だからうちが生徒会長になることにした」
「おい、自分の器を考えろ。あれだけやらかしときながら生徒会長とかアホか」
なんなの? 体育祭のあと少しは成長したのかと思ってたのに、やっぱアホはアホだな。
「うっさい! むしろアレがあったから生徒会長になろうと思ったんだっての! ……あんな情けなくてみっともない自分をもう卒業したいから……だから、うちは今度こそちゃんと成長したい……!」
『うちもこの文化祭を通して成長したいっていうか……』
「うちはぶっちゃけ大したこと無い人間だけど、でも今度は誰かに頼ったり押しつけたりするんじゃなくて、自分でやり遂げたいって思ってんの……! でもやっぱどこかで失敗とかしちゃうかも知んないけど、みんなに迷惑かけちゃうかも知んないけど、……でも最後には失敗も迷惑も笑い話に出来るくらいに、頑張って努力したいって思ってんのよ……!」
『実行委員長やることになったんだけどさ、こう自信がないっていうか……だから助けてほしいんだ。……やっぱりみんなに迷惑かけるのが一番まずいっていうか、失敗したくないじゃない? それに誰かと協力して成し遂げることもうちの成長の一つだと思うし』
あの文化祭でのクソみたいなセリフと、今のこいつのセリフが微妙に被る。
……被っているはずなのに、なんだろうか。中身は全くの別物だ。
あの時は中身も外見も空っぽだった相模は、今や中身もそして外見も……というよりは、この目が力強い意思を持っている。
だからこそこうも違うんだろう。
「……つってもだな、確か立候補するには推薦人が三十人とか必要じゃなかったか? 人望の無いお前に、そんなに集められんのか?」
「はぁ? 人望が無い事についてあんただけには言われたくないんだけど!? ……ま、まぁそりゃ確かに人望は無いけども、一応クラスの仲のいい子たちは推薦人になってくれてるし……それに……遥とゆっこも協力してくれてて、あの時の運営委員会のメンバーにも、声……掛けてくれてる……」
遥とゆっこ……? 誰?
……いや、冗談はよしておこう。遥とゆっこと言えばもちろんあの時の二人、文化祭での相模のよっ友であり、そして体育祭で相模の敵に回った、あのモブ子とモブ美の事だろう。
その導きだされた人物達というのがさらなる疑問を生んだのだが、少しずつ変わってきている目の前のこいつを見ていると、なぜだか腑に落ちた。
そうか……こいつら、仲直りしたのか。
体育祭での相模運営委員長の大泣きにより、確かこいつは運営委員会中は腫れ物扱いになっていたはずだ。だから俺は、相模と遥とゆっこ達は二度と交わらない関係性になるものだろうと評した。
でも、そうだよな。二度と交わらないはずだった俺と相模の人生が、なんの因果かこうして交わっちまってんだもんな。それも、あの体育祭の放課後にこいつの方から歩み寄ってきたのだ。
俺にでさえ歩み寄れるこいつなら、もう交わる事などないだろうと思われていた遥やゆっこに自分から歩み寄れたって、そしてそんな相模を目の当たりにした遥とゆっこが歩み寄って来たって、なんらおかしくはない。
「そうか」
「……うん」
自分と遥ゆっこ達とのいざこざを知っているはずなのに、それに一切触れずに今の関係を聞いて納得した俺を見て、相模は嬉しそうに首肯する。
しかし話はまだ終わらなかった。
「……で、でも」
そう言って相模は所在なさげに目を泳がせると、ぷいっとそっぽを向いて口を尖らせる。
「それでも……もし推薦人の数が足んなかったら…………ひぃっ……ん! んん! ……比企谷も、署名してくれると助かんだけど……」
途中とんでもなく声がひっくり返ったみたいだけど、そこは優しさで聞かなかった事にしてやろう。
それはそれとして……え? 俺が相模を推薦すんの? なにが悲しくて相模ごときを推薦しなきゃなんねぇんだよ。来年小町が入学してくる学校を、自らの手を汚してまでカオスにしなきゃなんないの?
大体さっき“誰かに頼ったりせずに”とか言ってたくせに、しょっぱなから誰かに頼る気まんまんじゃないですかやだー。
いくら目の前で不安そうにもじもじしている相模の姿を見ちゃってるとはいえ、そんなもん容認できるわけ無いだろ。
だから俺もそっぽを向いて、強くこう言ってやったのさ。
「……ま、足りなかった時はな」
署名しちゃうのかよ。
「……ん、ありがと」
……んだよ、署名してもらえる事がそんなに嬉しいのかよ。
そんなに口元をだらしなく緩めやがって、そこまで生徒会長になりたいんですかね、この子。
こいつもホント変わったよな……なんて、ついつい俺も口元の緩みを憶えていると、そんな俺と目が合った相模がハッと我に返る。
先ほどまでの猛る自分を思い出したのか、みるみる顔を紅潮させると、「と、とにかく!」と両手で机をばぁんと叩き、憤怒の表情でまた詰め寄ってきた。
「うち、いい生徒会長になってみせるから! いい学校にしてみせるから! ……そんであんたを見返してやる! あんたにうちを認めさせてやる! そしたら折本さんなんて関係ない! いつか絶対にっ……! ………………あぁぁ! 覚えてろ、このばぁぁぁぁかっ!!」
そう叫んだ相模はあの体育祭の放課後と同じように、どかどかと足音を立てながら奉仕部を去っていった。
「くっそー! このまま負けたままでいられるかぁぁ!」
廊下の向こうに、そんな物騒な声を残して。
……意味が分からん。だからお前は小学生かよ。
「……なんだあれ」
わけが分からないものを目の当たりにした時は、近くにいる奴に同意を求めるのが世の流れ。
俺はそんな世の流れに従い、この部室に居る、近くに居る奴二名に向けて呆れ顔と共に疑問を投げ掛けてみたのだが…………おや? なんだか様子がおかしいようだ。
「……節操なし谷くん? あなた、いったいどれだけの女性をたらしこむつもりなのかしら……?」
「……ヒッキー? いつの間にさがみんとあんなに仲良くなってたの……?」
え、と……なんでキミ達そんな素敵な笑顔なのに目が笑ってないのん……?
あとついにヒーターが仕事を放棄したのかな?
「いやちょっと待て、なんだよたらしこむって。人を節操の無い遊び人みたいに言わないでくんない? あと今のどのへんが仲良く見えたんだよ。酷い罵声浴びせられたじゃねーか。大体いつの間にもなにも、相模と口きいたのなんて体育祭の放課後以来だっての」
「能書きは結構よ。先ほどの折本さんの件も話はついていないのだし、相模さんの事と合わせて、これからゆっくりと聞かせてもらえるかしら」
「そうだよヒッキー、あたしも色々と聞きたいし」
「……」
うん。これはアレだ。よく分かんないけど非常にあかんやつや。
時間も時間だし、ここは速やかに退散しようかな。
さっきの相模の数倍の圧で詰め寄ってくる部活仲間から逃れるように、俺は光の速さで鞄を手に取り立ち上がり、速攻で部室の出口へと駆けだす。
「す、すまん、今日はちょっとこのあと用事があってだな、ちょっと早いが帰らせてもらうわ。……は、話はまた今度ってことで」
速い! はちまん速い! 体感ではあるが、たぶん今までの人生の中で、一番素早く体が動いたのでは無いだろうか。
電光石火で、追いすがる雪ノ下達を置き去りだぜ!
「待ちなさい! それは初耳なのだけれど。いったい何の用事があって早退するつもりなのかしら」
……いくら逃げ出したとはいえ、あのダブルデートで大きな失敗をしてしまった俺は、ここで早退の理由で嘘を吐くわけにはいかない。
この現状で白状してしまうのは悪手なのかも知れないが、それでもやはり今回ばかりは本当のことを伝えよう。こいつらだって、大切な部活仲間なのだから。
「……あー、修学旅行に出発する前からちょっと約束しててな……ま、まぁあれだ、……折本を駅まで迎えに行かなきゃならないんだわ。じゃ、じゃあ」
よし。早退理由報告完了。
俺は正直にそれだけを言い残すと、後ろで喚いている声なんて全然聞こえないフリをして昇降口へGO。
……ふぇぇ、これ、休日明けはどうすればいいのん? 今は勢いに任せて上手く逃げ出せたけど、月曜日からの学校生活に一抹の不安を覚えるどうも俺でした。
× × ×
十一月の冷え込む夕方の風を全身に受け、学校から地元の駅へと真っ直ぐに自転車を走らせながら俺は思う。
あと少ししたら、俺は折本と真正面から向かい合わなきゃならないのか。
まったく……マジでどんなツラして顔を合わせりゃいいんだよ。どんだけ照れ臭いと思ってんだ、昨日の今日で。
そしてあんなもん読まされて……
ゆうべ俺は修学旅行の疲れを押して、ベッドに寝っころがって例の日記を読んでみた。いや、正確には途中までしか読めなかった。
……だってあれは無理だ。とてもじゃないけど読めたもんじゃないっての。
[比企谷ってマジやばい! 超ウケるし超バカすぎ! でも…超ウケるし超バカだけど、超いいヤツ…
今さらだけど、ホント心から後悔してる。
なんで中学の時、ちゃんと比企谷を見なかったんだろ。表面ばっかじゃなくて、もっと中身を見ようよ昔のあたし。
あの頃の自分に説教したい。あたしのバカ!]
他人の日記を読むという行為の罪悪感てのは、想像してたよりもずっと半端ない。例え本人が読めと言ったからって、はいそうですかと、なんの迷いもなく冷静に読めるようなものではなかった。
[今日は初めて比企谷の、てか男の子の部屋にひとりで入ってしまった。あたし大胆すぎたかな?比企谷に呆れられてないといいけど。
でも、ホント行って良かった。だってさー、超楽しかったんだもん。
エロい比企谷にパンツ覗かれちゃったけど、へへー、なんか全然嫌な気しなかった。
むしろ見てたことをからかうと真っ赤になっちゃって可愛いんだよねあいつ。
ふっふっふ、もっともっとからかってやりたい。だからしばらくはこのネタで比企谷の可愛いトコを堪能してやろっかな、ヤバいウケる!]
そしてなによりも折本の気持ちが溢れ過ぎていた日記の内容に、俺は夜のかなり深い時間まで布団の中で悶え苦しまされた。
なにあれ、あいつ俺のこと好き過ぎだろ。あんなん無理だって、途中でTKOだわ。なんならもっと早くレフェリーに止めて欲しかったまである。
[最近比企谷から全然連絡ない。まぁ体育祭で忙しいみたいだから仕方ないし、ちゃんと本人からもそう言われてたからいいんだけどさー。
いいんだけど…でも、ちょっとくらいいいじゃん…ちょっとくらい連絡くれたってよくない?
あーもう…比企谷のバ〜カ…]
あいつマジですげぇな、よくあんなもんを他人に……つうか本人に読ませられるな。
黒歴史製造機だった中学時代の俺が書いたラブレターなんてものじゃないくらいに、あんなにも恥ずかしくて……あんなにも気持ちが溢れまくった日記。
体育祭の前くらいに、何日か黒塗りになってた箇所があったのは多少気になったけれども。さすがの折本でも恥ずかしい内容が書かれてたんだろうか。
なんにせよ、あれを俺に読ませるってのはとんでもない覚悟が必要だっただろうし、読まれてるって考えてる時、折本も相当悶えてるんだろうな。
[ヤバいどうしよう! ついに明日は総武の体育祭が終わる日だ! もー! マジで何回カレンダーに×書かせる気なのよ比企谷め!
あー、明日は比企谷から連絡くるかなぁ…比企谷の声聞けるかなぁ…比企谷に会いたいなぁ…
でも会うのは我慢我慢! そこは自重しないとね。たぶん超疲れてるだろうから迷惑とか掛けたくないし。
でも…会いたいな。
…追記☆
ねぇ比企谷、こんなに幸せな気持ちにしてくれてありがと。あたしと再会してくれて…ありがと]
確かここくらいで俺の精神は力尽きたっけ。
あれ以上一晩で読むとか無理すぎる。あのまま読み続けて、折本曰くベタ惚れしちゃった所まで進んでしまったら、たぶん俺は深夜の千葉を、奇声を発しながら朝日が昇るまで全力疾走しなければならなくなっていただろう。
あれはヤバいって。あれはもうヤバい薬のレベル。
──俺はあの日記を通して折本の本物の心に触れた気がする。
マジであれは卑怯だろ折本。あんなん見せられたら、お前の言ってた通り得意の逃げ道なんて用意出来ないっての。
……あれは、勘違いとか一時の気の迷いなんかでは誤魔化しきれない本物の想い。
さすがの俺でも、あれを勘違いや気の迷いだなんて誤魔化して逃げてしまうような真似は、相手にとんでもなく失礼な行為だってことくらい分かる。
それなのに、解っているのに、未だに答えを出す事を恐れている俺は……未だに自分が出す答えは正解なんだろうか、自分が出す答えで折本は本当に幸せになれるのだろうか、なんてビビッちまって答えを出せずにいる俺は、本当にどうしようもないアホだ。
折本と偶然の再会を果たしてからまだたったの二ヶ月やそこらだというのに、本当に色々あった。
……文化祭での偶然の再会。そしてあの屋上での忘れられない出来事。
あれが無かったら、俺のあれからの生活は激変していたのかもしれない。それほどまでに、あの出来事は俺の心を救ってくれた。
……体育祭、あれも大変だったな。しかし結果だけを見れば大成功とまで言えた。それはあの相模の不可解な変化があったからに他ならない。
しかし今日の相模を見る限り、もしかしたらだけれど、あの不可解な変化に折本が関わっていたんじゃないのか? なんて、漠然とだけど思ってしまった。
それほどまでに“あの相模”の成長とも取れる突然の変化は謎だらけだし、それでもその変化が折本によるものなのだと考えたら、なぜかストンと納得できてしまう。
だって、相模みたいなどうしようもない奴をいい方向へと変えられるのは、折本みたいに自由に強引に、無理やり引っ張ってくれる奴くらいだろ。実例、俺氏が語る。
……あいつがウチに来たり俺があいつのウチに行ったり、そしてまさかのダブルデートなんてものもしてしまった。
どの経験も生まれて初めての経験で、始めこそあれだけめんどくさいわ恥ずかしいわで嫌で嫌で仕方なかったってのに、なんていうか……あいつの楽しそうな笑顔を見てる内に、そんなに悪いもんでもねぇな、なんて思えてしまったっけ。
……そして修学旅行。これに関しては、もう語るまでもない。
どれもこれも今となっては忘れがたい思い出なのだが、もし、もしもだ。もしもあの日、文化祭で盛り上がる安っぽい飾りまみれの総武高校の校舎で偶然あいつと再会しなかったら、俺のこの二ヶ月はどうなっていたことだろう。
こんなに素敵な思い出に包まれる二ヶ月になれていただろうか。先ほどの部室でのバカで騒がしいやりとりなど、果たして俺たちの間で行えていたのだろうか。
……馬鹿馬鹿しい。そんなもの分かるわけがないではないか。だってそんな二ヶ月は、この世界の俺には存在していないのだから。
それは確かに分からない。分からないけれど、ただふたつだけ解っている事がある。
ひとつは、あの日折本と再会しようが再会しまいが、あの文化祭もあの体育祭も、そしてあの修学旅行も、何一つ変わらずに厳然と存在していたという事。
ダブルデートは知らんけど。
そしてもうひとつ解っている事。
それは、あの日折本と再会する事が無かった場合のこの二ヶ月を想像するのは……あの厳然と存在していたであろうクソイベント達を、折本かおり無しでこなさなければならないという二ヶ月を想像をするのは、とてもじゃないがぞっとしねぇな、という事。
これは、折本が居たから救われたという実利があったという面もあるのかもしれない。
けれども、それよりもなによりも…………この二ヶ月は、なかなか悪くなかった……なんて誤魔化しはもうやめとくか。
楽しかったのだ。あいつと過ごしたこの二ヶ月が、堪らなく楽しかったのだ。
だからこそ、あの日もしも折本と再会しなかったらなんて考える事が馬鹿馬鹿しく思えてしまう。だって、俺の生活はもう折本無しでは考えられないのだから。
──あれ? これってもう、答え出ちゃってね?
そしてついに場面は終幕を迎える駅へと移る。
思い出話やらこれからの事やら色々と考えていたら、いつの間にか目的の駅へと到着していたようだ。
まだいくばくかの距離はあるものの、改札の方へと目をやると、すでに彼女は駅に到着していた。
どんだけ買ってんだよ……と思わず苦笑いしてしまうほどの土産を重そうに抱え、改札の横で辺りをキョロキョロと見渡している。
部室で多少のごたごたがあったから、少し待たせてしまったのだろうか。
しかし彼女は重い荷物を持って待たされている時間も、不機嫌そうにするでも不満を呟くでもなく、ワクワクもんだぁ! とでも言わんばかりに、楽しそうに嬉しそうに辺りを見渡している。
まるで、最愛の人物との数年ぶりの再会が叶うまでの大切な一分一秒を、心から楽しむ待ち人のように。
ほどなくして彼女は俺の姿を認識した。そして彼女はくしゃっと顔を綻ばせると、太陽のようなぽかぽかな笑顔を真っ直ぐ向けて、大声でこう叫ぶのだ。
「ひっきがやー! たっだいまー!」
────ああ、やっぱり答えなんてとっくに出てんじゃねぇか。
俺は、とびきりのキラキラな笑顔で元気いっぱいに駆けてくる折本かおりの姿を眺めながら、誰にも……折本にも聞こえないくらいの小さな小さな声で、ぽしょりとこう独りごちるのだった。
「……んだよ、せっかく友達出来たと思ったのに、また居なくなっちまったじゃねーか」
了
予想外に長く続いてしまった折本物語でしたが、最後まで本当にありがとうございました☆
以前も書きましたが、まさかこんなにもたくさんの方に読んでいただけるなんて、夢にも思いませんでした(*´-`*)
今まであまり折本かおりというキャラが好きでは無かった読者さまが、この作品で少しでも折本かおりを好きになっていただけたのなら幸いです!
さて、真面目な話はここまでにしまして、今回の最終回はかなりこの先の妄想が捗るお話にしてみました(笑)
生徒会選挙編、この後いろはすの登場でさがみんVSいろはすを妄想していただいても構いませんし、いろはすの居ない世界線としてそのまま選挙は終了し、相模新生徒会長率いる総武高校と海浜総合とのクリスマスイベントを妄想するのも楽しそうです♪
そんな続編も面白いかな〜?とは思うんですが、多分これ以上書くと折本の出番が激減して『あたしと比企谷の恋人Diary』どころか『うちと比企谷の友達Diary』になっちゃいそうな予感がプンプンするんでやめておきますねっ(^皿^;)
完全に迷走状態になっちゃいそうですから(苦笑)
というわけでこの折本SSはこれで完結となります!
え?After?なにそれそんなの知らなーい。
ではでは長いようで短い間ではございましたが、本当に本当にありがとうございました!
一度でも読んで下さった方、毎回読んで下さった方、感想を下さった方、評価を下さった方、誤字報告をして下さった方、すべての方々にスペシャルサンクスですっ☆