「たっ、タツ姉!大丈夫か?!」
「・・・・・・随分手酷くやられたねえ。余程の手練だったのかい?」
「むー」
工場の扉の影で倒れ伏す辰子の下に駆け寄る影は二つ。
一つはすらりと長い手足に括れた腰、優れた容貌を持った大人の女性のもの。
紫色の口紅と暗いアイシャドウ、そして露出度の高い服装が揃えば、いかにも夜の女といった風情だ。
もう一つは、腰より下まで伸びた長い髪をツインテールにした少女のもの。
小づくりで可愛らしい顔立ちに、とがった犬歯がワンポイントを添えている。
体格に合わせているのか胸元の露出は少ないが、もう一人の女性と似たデザインの服を身に着けていた。
ほかでもない、板垣辰子の姉の板垣亜巳。そして、妹の板垣天使だった。
なお、天使、と書いて、えんじぇる、と読む。住民票にもそう書いてある。
天使は姉を救出しようと彼女を拘束するベルトやズボンを解こうとした。
「・・・・・・んー?」
「天、ちょっとどきな」
しかし、なかなか上手くいかない。
時間がかかりそうだと判断した亜巳は、先に辰子が噛まされているハンカチの結び目を解く。
口が自由になった辰子は、まずそうにハンカチと血液交じりの唾を吐き出した。
「・・・・・・ぷはっ・・・・・・ありがと、アミ姉。助かったよー」
「血・・・・・・怪我は、大丈夫かい?」
「ううん、怪我はしてないよ」
辰子の有り様は一見酷いものだったが、よく見れば大した怪我は無いことがわかっただろう。
強いて言えば、腕に小さなかすり傷があるくらいか。
目くらましでタックルに失敗し、胸と腹を地面に打ち付けた際のものだった。
「あーっ、ウっザいなぁ、この結び目!」
「あ、天ちゃん。切っちゃヤダよ、気に入ってる服だし・・・・・・ね、天ちゃん。リュウちゃんの方も見てきてよ。ほら、あっち」
「えー?リュウ?」
「おねがい」
「ちぇ、しょーがないな」
拘束を解こうと躍起になる妹に、辰子は姉らしい包容力のある対応で他の仕事を任せた。
体よく追い払ったとも言う。
工場内へとのろのろと入っていく天使を尻目に、亜巳はそっと辰子に耳打ちした。
今までは平静を装っていたのか、囁く彼女の瞳は揺れている。
「タツ、言いづらいことがあっても、私にはちゃんと言うんだよ」
「言いづらいこと・・・・・・?」
言いづらいこと、と言われても、辰子には特に姉に内緒にするような秘密は無い。
確かに、姉妹の関係とはいえ全く隠し事が無いではない。
だが、後ろめたいと思うような事は思いつかなかった。
さらに十数秒かけ、ここ数時間ほどのことを辰子は思い出してみるが、それでも思い当たることはない。
晩御飯の仕度を終えて、メールが届いて、竜兵を呼びにこの工場まで来て、戦って、負けた。
それだけだった。
きょとんと彼女は姉の顔を見つめ返す。
工場の暗がりのせいか、少しばかり顔色が悪いように見えた。
「ほ、ほら。その・・・・・・あるじゃないか・・・・・・くっ・・・・・・!我ながら不甲斐無いね・・・・・・!」
「アミ姉?」
「辛いことがあったんだから、ゆっくり休んで・・・・・・後のことは、私にまかせておきな。
下手人は必ず見つけ出して落とし前は付けさせるから・・・・・・」
「・・・・・・」
妹が自分の職場のSMクラブでもなかなかお目にかかれないような緊縛術で拘束された挙句、口では言えないような辱めを受けたと思っているらしい。
豚(隠語)のような姿に縛り上げられた妹の姿が相当ショックだったらしく、目が僅かに潤んでいる。
目にしたことのない姉の姿に辰子はなんと言っていいのかわからず、口をぽかんと開いた。
「・・・・・・えっと・・・・・・別に何もされてないよ?本当だよ」
「いいのさ。言わなくても、わかるから」
「だから本当に違うの!天ちゃんに電話かけるなりどこかに消えちゃったし、すぐ二人とも来てくれたから何もされてないよ」
「ほ、本当かい?」
「アミ姉に嘘は言わないよ」
「・・・・・・そっ・・・・・・そっか・・・・・・・ほっ・・・・・・」
「そーそー」
心底安心したようにほっと溜息をついた姉の姿に、意味するところは別であれ、辰子も内心でため息をついた。
そして、冷静になると、ふと彼女は考える。
自分を取り押さえ、緊縛した襲撃者のことだ。
思えば、あの男は必要以上に自分を痛めつけるようなことは何もしなかったな、と。
ズボンを下ろされたあげく、縛り上げられたことは腹立たしくもあるが、それだけだ。
拘束を終えたら、乱暴するどころか迎えを呼び、速やかに立ち去った。
格闘中に何度も話をするように呼びかけていたことも含め、非常に理性的だったように感じる。
襲撃者が竜兵を痛めつけ、屈辱的な格好に縛り上げたのも事実ではあるが、本当にそれだけだったのだろうか、と辰子は襲撃者の姿形、それから言動を思い出そうとする。
背丈は辰子本人と同じくらいで、広い肩幅や太い手足は明らかに男性のものだ。
頭髪は黒か茶の暗い色であることは判別できたが、すぐに帽子を被ってしまったのではっきりしたことは言えない。
顔も同様で、室内の暗さと帽子のせいで殆ど見えなかった。
おそらく、日中に当人とすれ違ったとしても気づくことはないだろう。
唯一、しっかり覚えているのは低く、柔らかい声だけ。
「なんて言ってたっけ・・・・・・誤解って言ってたような・・・・・・」
「・・・・・・だけど、リュウはともかく、タツに手を出したんだ。タダじゃあ・・・・・・」
「次があるならこんなに寛容にはなれない、だっけ・・・・・・次?」
「え?」
「がああっ、いっってえッ!!」
辰子の言葉に亜巳が首をかしげると同時、工場内から怒号が響き渡った。
彼女達にとってはなじみのある野太い声だった。
ほかでもない、弟である板垣竜兵の声だ。
拘束を解き終えると、二人は工場内へと足を向ける。
「ぶはははは!アホ丸出しじゃん!ブタっ鼻ー!」
「貴様・・・・・・!天、今すぐ解け!」
甲高い笑い声を発しているのは他でもない板垣天使であった。
工場内の柱に縛り付けられている己が兄を指差して笑っている。
無理もない。ズボンを下ろされて縛られているというだけでも滑稽なのに、鼻の頭をガムテープでフックされているのだ。
おまけに固まった鼻血が口元にこびりついていた。
「スゴんだって怖くねーっての。リュウのくせにタツ姉に迷惑かけやがって」
「一体何があった・・・・・・?くそ、全然思いだせん・・・・・・」
「つーか、ここで何してたのさ。野郎四人で気持わりー」
そう言うと、天使は疑わしげな眼差しを目の前の柱に縛られた男達へと向けた。
誰も彼もが竜兵と同じようにズボンで足を縛られ、ベルトで腕を縛られている。
今さっき目を覚ましたようだが、天使の眼差しから目をそらしているのは、自分の無様な格好を恥じているからだけではないだろう。
「・・・・・・」
「答えたくねーなら、ホウチすっけど」
「・・・・・・だから、俺たちは何も知らないんスよ天さん。ここで駄弁ってたら急に変な野郎が・・・・・・」
「嘘ついてんじゃねー!・・・・・・あり?なにこれ」
「携帯・・・・・・?」
嘘を並べる無様な男に怒鳴り声を浴びせると、不意に天使の視界の端で何かが光った。
見れば、携帯電話が四台並べて作業台の上に置かれている。
光ったのは携帯電話のメール受信を伝えるランプだった。
彼女が好奇心からその一つを手にし、液晶を開いてみると、待ち受け画面が表示される。
開いた瞳孔に眩い光が差し込み、反射的に目を細める。
「・・・・・・は?!」
光に目が慣れてくると、ぼんやりしていた像が輪郭を取り戻す。
それは柱に縛り付けられた上、鼻フックをされた大の男四人の集合写真だった。
ただ、眼下の光景と決定的に違う点が一つ。
彼らは恥部を露出させていた。
モザイクはない。
汚いものを触ってしまったかのように天使は携帯を放り投げた。
「うぎゃあ!なんじゃこりゃ!?」
「どうした、天」
「ア、アミ姉・・・・・・や、目が腐るから見ねーほーがいいと思うケド・・・・・・」
「・・・・・・」
「おい、それは俺の携帯だ・・・・・・何が映ってるんだ?」
「酸鼻とはこのことさね・・・・・・read me?」
足元に転がってきた携帯の待ち受け画面に眉をしかめ、液晶を閉じようとした瞬間、亜巳はショートカットに設定されているメモに気がついた。
タイトルは≪read me!!!≫
いかにも怪しいが、感嘆符が三つもついているあたり、よほど重要らしい。
亜巳はテキストファイルを開き、出てきた文字を読み上げる。
「・・・・・・春暖の候、ご健勝にてお過ごしかと思います。
このたびは皆様へどうしてもお伝えしたいことがあり、筆を執った次第です。
先ほど、皆様が眠っている間に集合写真を撮影させていただきました。
データーに写真を残しておきましたが、気に入りましたでしょうか。
気に入ったよな暴力ホモの腐れ誘拐犯。高画質で撮ってやったからマス掻きのネタにでもしやがれ。
特別に今日のことは無かったことにしてやるから、これからは品行方正に生きな。
チラっとでもお前らの悪い噂聞いたら世界中にこの写真バラ撒くぞ・・・・・・途中で飽きたのかねェ」
「写真・・・・・・?おい、見せてくれ!というか、解いてくれないのか?!」
「その前に、今日のこと、ってのは何なのか知りたいね。暴力ホモの腐れ誘拐犯ってのはアンタたちのことかい・・・・・・」
仮に、このread me!!!、と名づけられた文章の内容が真実だとする。
その場合、彼らは愚行の結果として襲撃を受けたということだ。
さらに言えば、これを残した人物と辰子を縛り上げた人物が同一の場合、辰子は彼らのとばっちりを受けたということになる。
亜巳は眉根にしわを寄せて彼らを睨み、問い詰めた。
容姿が整っている分だけ、凄むと迫力がある。
「答えな」
「それは・・・・・・」
「そんな、ありえないっスよ。まさかそんなの信じるんスか?証拠もないっしょ・・・・・・?」
確かに、その誘拐された被害者の姿はないし、痕跡らしきものも見当たらない。
既にこの場を立ち去ったのか、あるいは、男の言うように携帯に残された文章自体が出鱈目なのか。
亜巳はどちらを信じたものか、と一瞬だけ考え、自分が血迷っているんじゃないかと自嘲した。
普通ならば、後者を信じようとするのだろう。
たかが数バイトの文章で、弟や、その友人が誘拐事件を起こしたなど、信じるものか。
だが、性犯罪の常習者である弟への信用は既に底を打っている。彼の友人に対しても同様だ。
彼女は上着に隠した携帯式の得物に手をかけ、一歩詰め寄った。
「仕置きが必要みたいだね・・・・・・」
「ケンが因縁つけて返り討ちにされたから金柳駅前の路地裏でボコるつもりでした!でも関係ねえヤツに見られたんで拉致りました!」
「あっ、テメエ言うんじゃねえよ!ブッ殺すぞ!」
「俺をどうやって殺すってんだよ!これからおっ死ぬテメーがよおォ!」
「ケンチャン、ナンダヨ、サカウラミダッタノカヨ。イセイノイイコトイッテタノニ、カエリウチッテ、ダセッ、ププッ」
「う、うるせえうるせえ!」
脅し文句は効果覿面だった。
自分の責任を追及されると感じた誘拐犯たちは必死に罪を擦り付けあう。
しかし、聞きたいのはそれだけではない。
この状態では話にならないと判断し、亜巳は手にした得物を抜き放った。
それは鎖で繋がれた三節の棍だった。
滑らかな動作で連結されたそれは、身の丈ほどもある杖となり、男たちの頭上すれすれを薙ぎ払った。
彼らは首をひねって柱に刻まれた傷跡を見上げる。
「ひっ・・・・・・!」
「動機なんてどうでもいいさね。誰を拉致って誰にやられたのかとっとと吐きな」
「な、名前は知らないけど、拉致ったのは川神学園の生徒の女・・・・・・!背は俺より十センチぐらい低くて、ブルマだった!」
「顔は?」
「生意気そうだったけど、よく覚えてねえ・・・・・・です。結構強かったから、とにかく拉致るのに必死で・・・・・・」
ケン、と呼ばれた男が拉致した女学生の特徴を話す。
腕を捻りあげられて仲間の前で恥をかかされたことを恨んでいたから全体的な印象はよく覚えている。
ただ、ショートヘアとブルマ、そして向こう気が強そうな声といった特徴のみを記憶していた故に、顔だちはよく覚えていない。
「アンタの背は?」
「百七十」
「嘘つくなよ。百六十七だろ」
「うるせえな!似たようなもんだろ!」
「・・・・・・で、誰がアンタらを縛り上げたんだい」
「それがわからないんスよ。コンビニ店員が襲い掛かってきたんっスけど、返り討ちにして・・・・・・そんで気づいたらこうだ」
「コンビニ店員?」
「エイトの制服着た・・・・・・確か、名札ついてた。伊藤だっけ?リュウさん間近で見ましたよね?」
「ああ。多分学生か・・・・・・?なかなか可愛い顔をしていたが、ヤり損ねたな・・・・・・」
拉致の際に車を運転した男と竜兵が工場へ押し入った闖入者のことを話す。
全国展開している大手コンビニエンスストア〝8-8〟の制服を着た男だった。
元は営業時間が午前八時から午後十時までであったことから、8-10という名前だった。
しかし、今では二十四時間営業となって名前も変わったのだ。その略称がエイトである。
襲撃者と彼がどのような関係にあるのか彼らにとって知る由もないことだったが、現状最大の手がかりだ。
「そうだ、あいつ確か川神百代を呼んだとか言ってた!」
「ソウダヨ!モモーヨキタノカヨ?!オレノカラダドッカナクナッテナイ?!」
「タマ食われてないか確認しとけ」
「マジカ・・・・・・マジカヨ!?」
本人が聞いたら怒り狂いそうな物言いだった。
とはいえ、実際のところ襲撃者が彼女であれば今回のように無傷では済まなかっただろう。
最低でも骨の一本や二本は覚悟する必要がある。
「川神百代ねぇ・・・・・・」
「言っておくが、俺も同じだ。本当に何も覚えてねえ」
「マジかよ、スネークみてー!」
「笑い事じゃねえ!天、いいかげん解け!それと写真見せろ!」
「うるせー!負け犬がウチに命令すんじゃねー!」
「なんだと貴様・・・・・・ッ!」
「まったく・・・・・・タツ、あんたをやったのは誰だかわかるかい?」
「え?・・・・・・えーっと・・・・・・」
突然の姉の問いに辰子は口ごもった。
背丈と性別ぐらいで大した情報ではなかったが、答えてしまっていいものか、と。
何が何でも襲撃者を探し出して落とし前をつけさせるつもりの姉とは裏腹に、彼女は二の足を踏んでいた。
「仕返しするの?リュウちゃんたち、写真ばらまかれちゃわない?」
「写真だったら痛めつけて消させちまえばいい話さね」
「でも、多分こっちが原因だと思うし・・・・・・私もそんなに酷い事されてないからいいよー」
そう口にするものの、襲撃者に正義があると思って庇っているわけではなかった。
温厚な人柄の辰子だったが、法や道理よりも己の欲望や感情に従う傾向にある。
その点においては、血を分けた彼女の姉妹や弟と何ら変わりはない。
ただ、彼女としては家族が無事であればそれでよかった。
脅迫そのものには腹が立たないでもなかったが、弟の起こすトラブルが減るというのならば、要求に不満はない。
そんな彼女の内心を知ってか知らずか、亜巳は目を細めて数分前と同じ問いを繰り返した。
「・・・・・・本当に何もされてないんだね?」
「だからぁ、本当だってば」
再三の問いに、ついに呆れたように辰子が肩を落とすと、亜巳もそれが真実だと理解したようだった。
彼女は指先でサイドの髪をかき上げ、視線を落として考え込む。
「リュウはともかく、タツを怪我もさせず縛りあげる手練れだからねぇ・・・・・・
川神百代じゃなくても、川神院の修行僧って可能性も高いか・・・・・・となると、師匠が出張ってくれるとは思えないねぇ」
姿勢を保ったまま、ぽつりぽつりと亜巳は考えを口にする。
今日の襲撃者の行いは、堀之外に屯する腕自慢の不良程度では逆立ちしても出来ないことだ。
容姿などの情報がなくても、それだけで当てはまる人物は絞り込める。
そして、一番の心当たりはこの川神市のシンボル、川神院の武僧だ。
その場合、身内で最大の実力者である〝師匠〟は協力してくれない可能性が高い。
彼は川神院を破門された身であった。
「えー?!無かったことにするつもりかよアミ姉!」
「タツに何もないなら、馬鹿の面子の為だけに川神院と揉めるつもりはないよ」
天使の抗議に、亜巳はきっぱりと言い放つ。
彼女が師匠と呼ぶ存在は常人とは一線を画す戦闘能力を得た超人だった。
しかし、そんな超人でさえ、川神院では師範代争いに敗れた末、精神的な問題を糾弾されて追放されたのだ。
少なくとも、師範代と師範の二人は彼より強いと考えて間違いないだろう。
そんな相手と、愚弟や、彼の友人の愚行が原因で事を構えるなど冗談にもならない。
なにより、川神院の修行僧が襲撃者であったのならば、辰子に乱暴するなど万に一つもあり得ない。
そう考えれば、辰子や竜兵たちに大した怪我をさせず、拘束でとどめたことも、天使に連絡して迎えを読んだことも納得できる。
写真と脅迫文に関しても、相手の更生を促すための脅しと考えられなくもない。
あくまでも希望的観測でしかなかったが、可能性として無視できない。
「早く家に帰って晩御飯食べようよ。おなかすいたよ~」
「・・・・・・そうさね。ほら、まだ顔に血がついてるよ。本当に怪我は無いんだね?」
「うん」
「それじゃ、家に戻って顔洗ってきな。私もすぐ戻るから」
数秒の思考ののち、亜巳はこの一件に関わらないと結論を出した。
そして、空腹を訴える妹の背中に手をやって帰宅を促す。
暴行を受けなかったとしても、見知らぬ相手に自由を奪われた苦痛を慮っているのかもしれない。
彼女は弟妹を持つ姉であり、一家の長だ。
面倒見がよく、女性らしいこまやかな気遣いも、優しさも持っていた。
自分の身内には、と但し書きがつくが。
辰子が工場から出ていくのを見送ると、彼女は振り返って男たちへと向かい合った。
ようやく拘束を解いてもらえると思ったのか、彼らは口元を緩める。
「なあ、話は終わったんだろ?解いてくれよ」
「へへっ、すんません亜巳さん」
「・・・・・・アンタらの不始末のせいでタツが危険な目にあったんだ。わかってんのかい?」
しかし、男たちが歯を見せたことで、亜巳は不愉快そうに眉を寄せた。
彼女は顎を上げて彼らを見下すと、携帯電話を彼らの前に放るようにして置き、脅迫写真を見せる。
さあっ、と、彼らの顔が青ざめた。
「げっ」
「うっ・・・・・・!」
「粗末なもん見せびらかしたくなければ、真面目に生きろとさ」
亜巳は言いながら、作業台から他の携帯を手にして開いた。
待ち受けのショートカットに、先ほどと同じ〝read me!!!〟を見つけると、写真と同じようにして開いてみせる。
ふざけた脅迫文を目にした男たちは、青い顔をさらに青ざめさせる。
逆に、赤くするものもいたが。
「く、くそがッ、品行方正だと・・・・・・?!この俺を舐めやがって・・・・・・!」
「jesus・・・・・・」
「悪さをするな、なんていう気はさらさらないよ」
亜巳は出来るだけ冷たく聞こえるように、平坦な声で、額に青筋を立てて体をゆする竜兵に告げた。
弟とその友人たちを見下ろしたまま、彼女は続ける。
「・・・・・・アンタが恥をかくのはアンタの勝手さ。でも、とばっちりは許さないよ。男だっていうなら、自分の尻ぐらい自分で拭きな」
「・・・・・・」
「アンタらも他人事だって顔してんじゃないよ!」
「ヒイッ」
得物で足の間の地面を打たれたボブと呼ばれた男が悲鳴を上げる一方で、竜兵は黙って首肯するにとどめた。
彼には姉の冷たい態度が本気で怒っていることの証左だとわかっていた。
獣のような男だが、それ故に本能に根差した上下関係には逆らえない。
亜巳が一しきり説教を終えて背を向けるまで、彼は首肯と無言のみで通した。
「・・・・・・仕事帰りに来てやるから、一晩頭冷やしな」
「なっ・・・・・・!」
それでも、このまま放置されるとまでは思っていなかったらしく、姉の言葉に竜兵は目をむく。
首肯と無言だけで通したことが、かえって真面目に聞いていないととられ、不興を買ったのかもしれない。
彼と、彼の友人の必死に呼び止める声も無視し、亜巳はそのまま去って行ってしまう。
「天、行くよ」
「ん。すぐ行くから先行ってて」
「・・・・・・急ぎな」
亜巳とすれ違い、見捨てられた男たちのもとに天使の名を持つ少女が近づいてくる。
しかし、助けを期待している者は一人もいなかった。
彼女の外見は名前に恥じないほどに愛らしいものだったが、性格までそうだというわけではない。
甘く見積もっても、せいぜい小悪魔か堕天使がいいところである。
彼女は屈託のない笑みを浮かべて彼らに尋ねる。
「エイトのバイトはイトーで間違いねーんだよな」
「え?ええ、そうスけど・・・・・・」
「おい、余計なことはするな」
姉の意向とは裏腹に、彼女は面子のためにも報復を行うつもりらしい。
問いの内容から察するに、最も有力な手掛かりのコンビニ店員を当たるのだろう。
確かに、店舗名と本人の名字がわかっているのだから、当人を見つけることは不可能ではない。
しかし、目当てのコンビニ8ー8は川神市内だけでも二十店舗以上ある。
さらに言えば、金柳街からこの工場までの間に十六店舗が密集しているのだ。
あちこちで聞き込みなどしたら、報復を企んでいることが襲撃者にバレて写真が流出するかもしれない。
「バレたらどうするつもりだ!」
「バレねーよ。ウチを馬鹿にしてんのか」
「お前は馬鹿だ」
そう言う竜兵も思慮深い人間ではなかった。
今の自分の姿や状況を考えもせず、不用意な発言をするくらいには。
しかし、今回に限って彼の言うことはまったくもって真実だった。
天使は情報収集のような地味な仕事を忍耐強く行える性質ではない。
現に、兄からの侮辱に激怒した彼女は額に青筋を浮かべ、ゴルフクラブを振りかぶった。
自宅から持ってきたそれは、本当ならば姉を害した襲撃者に向けられる筈のものだった。
「んだとテメー!今の自分の姿見てからもの言えや!」
「わ、わかった!やめろ!」
身動きできない状態を凶器で狙われては、竜兵に黙る以外の選択肢などなかった。
彼にも、報復して写真を消させたいという気持ちはある。
無様を晒したのは不意を打たれたからであって、闘争において自分が敗北したとも認めていない。
しかし、甘く見ていい相手では無いということは身に染みてわかっていた。
「心配すんなっての。ちゃんと仇はとってやっから。ダブルドラゴンが虚仮にされたまんまじゃウチまで舐められちまうしな!」
そう言って天使は能天気な笑みを見せる。
意気揚々と工場を出ていく彼女を見送った者たちの表情は、皆一様に暗澹たるものだった。