真剣で青春謳歌しなさい!   作:阿見

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うっかり更新


第十二話

川神学園一年C組。

壁に掛けられた時計が示す時刻は十時二十八分。

黒板の掃除を終えた黛由紀江は、何と無しに背後を振り返り、教室の中を見回してみる。

思い思いに休憩時間を過ごすクラスメイトたちに視線を巡らせていき、最後に教室の中央付近の席に目が留まった。

男子生徒数人が集まってトランプタワーを作っている。

とても仲がよさそうで、友達百人を目標に川神学園にやってきた黛にとっては眩しい光景だ。

しかし、今彼女が気にしているのは彼らではない。

ほかでもない、彼らの集まっている席の本来の主だった。

 

「藤枝さん、どうしたんでしょうか・・・・・・」

 

誰にともなくひとりごちる。

今日、藤枝は無断で欠席していた。

今朝のホームルームで、担任の綾小路が五月病にはまだ早いと胡散臭い御所言葉で憤っていた。

しかし、昨晩起きたことを知っている黛には、これがただの寝坊の結果だとは思えなかった。

顎に指をあて、昨日のことを思い出す。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

黛由紀江が線路をたどり、目的地である駅まで到着したのは七時を少し過ぎた頃だった。

藤枝に五、六分遅れて駅へと到着した彼女は深呼吸をしながら周囲を見回す。

ビルディングや工場、資材置き場などが目立ち、民家はそう多くない。

道路の先、高層建築の切れ目からはコンビナートから立ち昇る炎が見えた。

 

彼女が北陸の実家を出て、この街で暮らし始めてからまだ一月と経っていない。

それでも念願の友人を得て、この街にも少しずつ慣れ始めたと思っていた。

しかし、街の知らない一面を前にして心細くなったのかもしれない。彼女は肩を縮めて手にした刀を胸にかき抱いた。

 

あらためて周囲の様子を伺う。

民家の少ない土地柄ではあるが、七時前後の駅前であるだけに人通りはそれなりに多い。

人波に藤枝の姿は見つからなかったが、無理もなかった。

今は一分一秒を争う状況だ。駅前で待つようなことはないだろう。

黛には藤枝がここからどこに向かったのか見当もつかない。それこそ方角さえ不明だ。

 

「こっ、こうなったら、聞いてみましょうか・・・・・・」

 

聞き込みなど、普通の人間からしてみれば口の端を歪めて覚悟を決めるほどのことではない。

しかし、黛由紀江は所謂人見知りであった。

他人とのコミュニケーション経験が非常に少なく、見ず知らずの人間に話しかけることに強い苦手意識を持っている。

 

だが、ここで怖気づくわけにはいかない。

一度呼吸を落ち着かせると、彼女は口をへの字に結んで気合を入れる。

そして、周囲の人混みの中から。一番藤枝を見ている可能性が高そうで、かつ、一番話しかけやすそうな人物を物色する。

 

「あっ、あああのっ!!少しよろっ、よろしいでしょうか?!」

 

「は・・・・・・? はい!?」

 

彼女が目を付けたのは有人窓口の駅員だった。

ここまで息を切らしながら駆けてきた黛とは違い、藤枝は電車でここまでやって来た。

ならば、必ずここの改札を通過しただろう。

窓口で仕事をしていた駅員が見ていてもおかしくはない。

にこやかな笑みを作ろうと、黛は口の端をゆがめて駅員に話しかけた。

歯に衣着せず藤枝が客観的な評価を述べたなら、噛みつかれそうだ、と言ったかもしれない。

 

「あの・・・・・・なっ、何か、ご用でしょうか・・・・・・?」

 

「そ、その・・・・・・人を探していましてっ・・・・・・ここを通った筈なんです!!」

 

「はっ、はい・・・・・・ええと・・・・・・どのような・・・・・・?その、それから・・・・・・その長いものは一体・・・・・・」

 

「ただの釣竿です!」

 

『目の前にいるのはただの釣り人、いいね?』

 

「はい」

 

危険物と思しき長物を片手に、木彫りの馬のマスコットで腹話術をしながら据わった目で凄まれる。

高級そうな紫色の布袋に入っている〝釣竿〟とやらは、持ち主が大きく動いてもしなりもしない。

どう見ても危険人物だが、駅員の男性の頭には通報のつの字も浮かんでは来なかった。

仕事や使命感より自分の命のほうが大事だった。

 

「え、ええと、背丈は175センチぐらいで・・・・・・中肉中背の、年齢は私と同じ男性なんですが」

 

「・・・・・・いっぱいいますねえ」

 

駅員の男性は駅の改札付近にいる青少年をじろりと見まわした。

今の条件に当てはまる人間は彼の視界に収まっているだけでも四人いる。

確かに、乗客が改札を通るときは大まかに確認しているものの、一人一人の背丈や年齢、顔まで判別しているわけではなかった。

 

「服装は深緑色のジャンパーと紺のスラックスで・・・・・・顔の彫りは深めで、髪は短く刈っていて・・・・・・通りましたか?」

 

「いっぱい、いますねえ・・・・・・」

 

「そうですか・・・・・・」

 

深緑色のジャンパーを羽織り、紺のスラックスを履いた中肉中背でスポーツ刈りの男など、それこそごまんといる。

クラスメイトたちよりも彫りは深めで大人びた顔立ちではあるものの、生粋のコーカソイドほどではない。

顔もそれなりにハンサムではあったが、かえって、なまじ整っているだけに特徴らしい特徴がなかった。

 

結局、有力情報は得られずじまい。

肩を落とした彼女は再び駅前のロータリーに戻る。

 

「どうしましょう・・・・・・」

 

『気で探すにも、藤枝っちやムサコッスじゃよっぽど近づかないと判別つかないなー』

 

「さっき、一瞬だけ強い気を感じましたけど・・・・・・」

 

『すぐ消えちゃったし、なんだったんだろね』

 

仮に、武蔵や藤枝、あるいは伊藤が一廉の武芸者であれば黛は容易く追跡できただろう。

黛家は数百年もの長きにわたり剣の流派を受け継いできた家系で、彼女はその跡取り娘だ。

幼少からの鍛錬により、気、と呼ばれる生命エネルギーの操作や感知に長けた彼女であれば、強く、特徴的な気を察知し、追跡するのは造作もないことだった。

しかし、今回トラブルに巻き込まれている友人たちはいずれも一般人か、それに毛が生えた程度の者たちである。

さらに言えば、細かな特徴の差異を捉えきれるほど長い付き合いでもなかった。

 

「・・・・・・どうしましょう」

 

テイク2、と松風の合いの手は入らなかった。

いつになく深刻な表情の黛は無力感に打ちひしがれながら、それでも、と考える。

どうにかして追跡する方法はないものだろうか、と。

困難だろうと決して諦めるわけにはいかなかった。

 

彼女にとって、生まれて初めてできた友人たちの危機なのだ。

簡単に諦められるはずもなく、無意識に唇を噛みしめると、ふと脳裏にある単語がよぎった。

すぐさま駅の改札まで引き返して窓口に身を乗り出す。

 

「あ、あのっ!この近くに京羅木工業はありますか?!」

 

「ひっ?!・・・・・・こ、ここの北口のロータリーを右に出て・・・・・・そこの地図に詳しく載ってますね」

 

駅員が指し示した先には確かに駅付近の地図看板があった。

近づいて伊藤が電話で話していた京羅木工業を探してみると、一分もしないうちに見つかる。

 

伊藤はここを曲がってさらに進むと言っていた。

彼がこの工場地帯へとやって来た行きの道が金柳街方面からの接続橋ならば、京羅木工業に突き当たる道はT字路となっている。

左右何れかに曲がったのであれば、どちらに向かったのか。

 

「・・・・・・確か・・・・・・」

 

黛の記憶には、まっすぐ行っている、あった。

どちらも長い通りに入るが、左に曲がれば道は沿岸に沿って緩やかなカーブに入る。

それならば、まっすぐ、というよりも、道なり、と言うだろう。

 

そう考えた彼女は地図上に指を走らせ、右に曲がった道の先のどこが最も不良のたまり場になりやすいだろうか、と考える。

一緒に屯する友人など今までいなかった彼女には、たまり場になりやすい条件などわかるはずもない。

しかし、漫画や小説、ドラマなどで得たイメージに当てはめると、工場やビルの廃墟が一番に思い浮かんだ。

その上で、利便性を考えてみる。

たとえば、コンビニや自動販売機が近くにある場所。

仮に水道や電気が通っていない廃墟で屯するならば、トイレなどがある施設を近くに欲するのではないか。

 

そして、通り沿いのコインランドリーやコンビニエンスストアの半径百メートルに検討をつける。

工場ばかりで友人たちが見つかる保証などどこにもないが、ここで悩んでいても仕方がない。

そう考えた黛は眉間に皺を寄せて覚悟を決めた。

 

(待っていてください、藤枝さん、武蔵さん、あと・・・・・・ええと・・・・・・今行きます!)

 

刀を握りしめて駆け出す。

武蔵を背に負ぶった藤枝とすれ違ったのはその五秒後のことだった。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

勢い余ってつんのめりながらも、宙返りからの完璧な着地を果たした自分を見る友人のまなざしを思い出し、黛は赤面した。

誤魔化すようにかぶりを振ると、入口から教室の中を伺っていた人物と目があう。

その人物は相変わらず体操服姿の武蔵小杉であった。

 

「おっ、おはっ・・・・・・おはようございます!ご機嫌はいかがですか?!」

 

「ご機嫌いかがって・・・・・・ええっと、おはよ。調子はまあ、普通ね。ところであいつまだ来てないの?」

 

誘拐事件から昨日の今日であったが、武蔵は既に快調のようだった。

藤枝に背負われて駅前まで戻ってきた武蔵だったが、その時既に意識は取り戻していた。

薬物を嗅がされてせいで、暫く足取りこそおぼつかなかったものの、藤枝が工場で格闘を行っていた時には既に目覚めていたようだ。

駅前で藤枝の傷の手当てを行っている短い間に、その足取りもしっかりしたものに戻っていた。

 

「いえ、先生にも連絡は無いみたいで・・・・・・」

 

「携帯は?」

 

「その・・・・・・番号は知っているんですが」

 

携帯電話の普及によって、その役割を失いつつある公衆電話。

昨今ではめっきり数も減り、街中だけでなく、学内からも徐々に姿を消している。

ここ、川神学園も御多分に漏れず、既に撤去されていた。

どんなに需要が減っても、無ければ無いで不便なものだった。

 

『まゆっちケータイ持ってないしね』

 

「ナチュラルに腹話術挟んでくるわねー」

 

「昨日も言いましたけど、松風は九十九神なので、腹話術ではないですよ?」

 

『常識というルールじゃ測れないことが世の中にはあるんだぜ』

 

「あっそ」

 

『ふーん、とか、あっそ、とかなんなん?』

 

「半ギレで言われても・・・・・・そうだ、携帯貸すから掛けてみてよ」

 

毎度毎度、引きつる表情筋とか、馴れ馴れしく話しかけてくる携帯ストラップや刀にツッコミを入れていたらきりがない。

武蔵は一度軽くため息をついてかぶりを振ると、ポケットから携帯電話を取り出して見せた。

さっきの会話から察するに、藤枝と連絡が取りたいようだ。

黛はまじまじと携帯を差し出したままの武蔵を見つめる。

 

『やっぱムサコッスも心配?』

 

「そ・・・・・・そりゃあ?迷惑かけたし、ちょっとくらいはね」

 

問いに答えながらも、武蔵はつい、と視線を逸らした。

日頃素っ気ない藤枝相手だから、素直に心配していると言うのも照れくさいのかもしれない。

それでも、顔や腕を血で汚した姿を見てしまった以上、無関心ではいられないようだ。

 

「ツッコミが入りませんでしたね、松風」

 

「む、ムサっ、ムサコッスって言うな!」

 

『気に入ったならどんどん自称してっていいんだぜー』

 

「えぇい、うっさい!気に入ってないし自称もしない!ほ、ほらっ、携帯!」

 

「あっ、はい」

 

押し付けるようにして渡された携帯電話の待ち受け画面を数秒眺めてから、恐る恐る、といった様子で黛はボタンを押した。

昨日もらったメモを取り出すでもなく、空で十一桁の番号を入力する。

彼女は物覚えの良いほうだったが、一度掛けたからそれだけで覚えていたわけではない。

他でもない、初めて友人から貰った電話番号だったからだ。

その番号をくれた相手がトラブルに巻き込まれた昨日今日で学校を無断欠席している。

心配でないわけがなかった。

 

「ここを押すんですよね」

 

「そうそう」

 

≪・・・・・・≫

 

番号の後に通話ボタンを押すと、ツ、ツ、ツ、と無機質なダイヤル音から一拍おいて、呼び出し音がかかった。

それだけ確認すると黛は武蔵に携帯電話を差し出した。

武蔵の携帯電話で掛けているのだから、武蔵が出るべきだと思ったのかもしれない。

 

「む、武蔵さんどうぞ」

 

「えっ、わ、私はいいわよ・・・・・・!黛さん出ればいいじゃない」

 

「いっ、いい、いえいえ、そんな。私よりも武蔵さんのほうが・・・・・・あっ!繋がりました!」

 

『パスパス!ムサコッスパス!』

 

「だぁーれがムサコッスか!・・・・・・だ、だけど、そうまで言うなら仕方ないわね・・・・・・ごほん、ごほん、んんっ!」

 

『へっ、おびえてやがるぜ・・・・・・』

 

「うるさいっ!・・・・・・あっ」

 

「ど、どうしました・・・・・・?」

 

「切れた・・・・・・」

 

通話口を押さえて悠長にしていたからか、通話を切られたようだった。

液晶画面を見れば、映し出された通話時間十一秒の文字が。

 

「実は私も昨日同じことされたんですよ」

 

「なんでうれしそうなの・・・・・・?」

 

武蔵は黛から一歩だけ距離を取りつつ、リダイヤルを行おうと液晶画面に視線を落とす。

背後から聞き覚えのある男の声がかけられたのは、ちょうど通話ボタンを押した瞬間だった。

二秒ほど間を空け、声と同じ場所から能天気な着信メロディが鳴る。

 

「おはよう」

 

「ん?」

 

「えっ・・・・・・あっ、おはようございま・・・・・・ふっ、藤枝さん・・・・・・!」

 

声の主は携帯の電源ボタンを押しながら、軽く左手を挙げて口の端を緩めて見せた。

噂をすれば影というのはこのことだろう。誰あろう、藤枝だった。

右頬に大きな絆創膏を貼り付けてはいるものの、一見する限りいつもと同じ調子に見えた。

彼は驚いた顔をして見上げる黛と武蔵の内心を知ってか知らずか、能天気に話を始める。

 

「寝坊した。目覚まし時計の電池が切れてるのに気づかなかった」

 

「・・・・・・おはよう。病院行ってたんでしょ、その・・・・・・怪我の具合は?」

 

頭を掻きながら遅刻した言い訳を口にする藤枝に、武蔵が口ごもりつつも尋ねる。

寝坊とは言うが、大方病院に行っていて遅刻したのだろう、と。

現に、藤枝の体からはかすかに消毒液や軟膏の匂いがした。

素直に心配しているとは口にしないものの、彼女も藤枝の怪我に責任を感じていたようだ。

 

「気にするなよ、どれも大した怪我じゃない。血も止まってるし、痛みも引いた」

 

「顔に絆創膏貼ってあるけど」

 

「顔が命の男に見えるか?」

 

派手に出血したが傷自体は浅いし、痕も残るまい、と藤枝は親指の腹で絆創膏を撫でる。

彼の言葉はどれも事実だった。後遺症が残るような怪我は一つもないと診断されている。

武蔵の予想通り、腕や顔の傷の治療に病院に寄っていたせいで遅刻したのだ。

 

「昨日はお役に立てずにすみませんでした・・・・・・」

 

「俺の手当してくれただろ、充分だ。おかげで化膿もしてないから、すぐ治るとさ」

 

「友達の暖かい言葉が心に染み入ります・・・・・・」

 

『藤枝っちのそういうトコ、オラとしては結構好感度高いよー』

 

「・・・・・・」

 

いちいち大げさな物言いである。

照れくさいのかあきれているのか、藤枝は何か言おうと口を開いたが、結局何も言わなかった。

先日チョロいやつ呼ばわりした際に大層機嫌を損ねたようなので、今回は黙ることにしたのかもしれない。

 

「というか、やっぱり病院行ってたんじゃない。学園に遅刻の連絡ぐらい入れなさいよ。しんっ・・・・・・常識でしょ」

 

武蔵も何か続けて言おうと口をもごもごと動かしたが、結局目をそらして取って付けたように常識を説いた。

 

「新常識・・・・・・?いや、連絡は入れた。綾小路先生は携帯電話が繋がらなかったから職員室にな。

 電話に出た宇佐美先生は綾小路先生に伝えておくと言ってくれたんだが」

 

「宇佐美先生・・・・・・ですか?」

 

「人間学のヒゲでしょ。そっちももう授業やったんじゃないの?」

 

「あ、はい。あの先生ですね」

 

『授業は面白かったけど、テキトーそうな雰囲気が全身から漂ってるよね』

 

「違う学年でもプッレーミアムなS組の担任なんだから、もうちょっとしっかりしてほしいわ」

 

川神学園は独自の教育方針として個性ある生徒を教育するため、人間学、という授業を行っている。

その授業を受け持つのが彼、二年S組担任の宇佐美巨人だった。

本職として代行業を営んでおり、そこで得たユニークな経験や教訓を渋い声で語ってくれるので授業そのものは人気がある。

ただ、ヤニくさいスーツに、中途半端に伸ばした白髪混じりの髪や髭といった風体がいけない。

いかにもうだつの上がらない中年男という雰囲気は、そのだらしない言動と相俟って、生徒からはいわゆる、ダメな大人、として見られてしまっている。

 

「先生は連絡受け取ってないって?」

 

「怒ってましたよ」

 

「・・・・・・嫌だな、あの先生俺にだけ妙に厳しくないか?」

 

白塗りに口紅を差し、公家のような言葉遣いの担任教師、綾小路麻呂の甲高い怒鳴り声を思い出し、藤枝は顔をしかめる。

先日、授業を受け持つ歴史への生徒の理解を深めると言い出し、資料集めを手伝わせられたことは記憶に新しい。

放課後に二時間近く拘束されただけならいざしらず、労いの言葉一つなかったことは心証を大きく下げていた。

 

『クラス委員だからっしょ』

 

「・・・・・・」

 

誰かさんらのおかげでな、と藤枝は眼差しで語るも、黛は気付かなかった。

仮に今朝のHRで何か役割を決めることがあったとして、クラス委員の時のように民主主義的に押し付けられない保証はない。

担任教師やクラスメイトたちへ不信感を募らせる藤枝だったが、武蔵が向き直るように正面に立ったことで意識を引き戻される。

 

「えっと・・・・・・藤枝、平馬。ちょっといい?」

 

「ん・・・・・・ああ、いいよ」

 

フルネームで呼ばれたからか、あるいは武蔵の内心を察してか、藤枝はいつになく真面目な顔をした。

大人びた顔立ちが口を結び、目を据えると、普段の茫洋とした雰囲気の男とはまるで違う人間に見える。

武蔵は居住まいを正し、何か言おうと彼の顔を見上げるも、すぐに視線をそらしてしまった。

彼女は仕切りなおすように、咳ばらいをする。

 

「・・・・・・ごほん、ごほん、んんっ・・・・・・!」

 

「・・・・・・」

 

黛も彼らの間に漂う空気を察したのか、口を閉じて様子を伺う。

 

「えと、昨日は・・・・・・その・・・・・・・・・・・・ごめん」

 

それだけの言葉を絞り出すのに、何度も目を合わせたり、逸らしたりしながら、十数秒の時間を要した。

プライドの高い彼女が自分の非を認めることに大きな努力を要したのは想像に難くない。

藤枝も茶化すようなことはせず、ごく当たり前のように頷いた。

 

「ああ。あまり、心配させるなよ」

 

「う、うん・・・・・・それと・・・・・・ありがと。それだけ!終わり!」

 

ありがと、の後を早口に言い切ると、彼女は赤くなった顔を隠すように藤枝に背を向け、自分のクラスへと歩き出した。

そんな彼女を藤枝と黛は何を言うでもなく見送る。

 

しかし、彼女は教室の戸に手をかけたところで何かを思い出したように足を止めて引き返してきた。

再び藤枝の前まで戻ってくると、手にしていた携帯を開いて操作を始める。

 

「どうした?」

 

「病院代とか出すから、メールで請求してよ」

 

「いや、いいよ」

 

「・・・・・・ん!」

 

「・・・・・・ん?」

 

武蔵が携帯電話を突き出す意図を掴めず、藤枝は首を傾げる。

 

「メアド知らないでしょ。赤外線!」

 

「ああ、そうか。ええと、どうやるんだったかな。これか?」

 

「そ、ここに近づけて・・・・・・」

 

クラスメイトと連絡先を交換した際にも使用した筈だったが、しばらく使っていない機能なので藤枝はその存在を半ば忘れかけていた。

携帯電話を持ち歩く習慣にまだ馴染んでいないせいかもしれない。

あるいは、彼の友人の言うように本当に鳥頭なのかもしれない。

ともかく携帯のメニューを開き、機能を選択。さらに赤外線通信を起動する。

赤外線ポートを合わせると、数秒で送受信が完了した。

 

「それじゃ、後でメールしてよ。えーっと、昨日の・・・・・・伊藤?・・・・・・にも何かあれば連絡するように伝えといて」

 

「ああ、わかった」

 

「黛さんも昨日はありがと。お礼は必ずするから」

 

「い、いえ。私は何もできませんでしたし、お礼だなんて・・・・・・」

 

「いいから。希望があれば考えといて。それと明日の昼休み屋上ね」

 

「あっ、はい」

 

すっかり元気を取り戻したようで、言いたいことだけ言って武蔵は今度こそ教室に戻っていった。

廊下に残された藤枝と黛は彼女を見送った後、どちらからともなく顔を見合わせる。

目が合った黛が反射的に目を逸らすのを眺めながら、藤枝は思い出したように口を開いた。

 

「そうだ。昨日の保冷バッグとか家にあるんだが、放課後に寮まで持っていっていいか?」

 

「あっ、すっかり忘れてました・・・・・・そういえば、荷物どうしたんですか?」

 

「追うときに駅のコインロッカーにしまっておいたんだが、タクシーに乗ったときは俺も忘れてた。

 だから、後で伊藤の自転車と一緒に回収した」

 

藤枝は黛と駅前で鉢合わせた後、伊藤と武蔵を含む四人でタクシーを借りた。

一番に武蔵の自宅へ向かい、次に黛を寮まで送り、最後に伊藤に肩を貸して自宅のあるマンションの九階まで昇った。

そこからは最寄りの駅まで歩き、その後は伊藤の自転車を回収し、再度伊藤の自宅まで届けた。

シャワーを浴びることが出来たのは、十時を回った頃だった。

 

「・・・・・・そういえばタクシー代払ってません」

 

「いい、俺の都合で借りたんだ。一人も四人も値段は変わらないしな。

 大体それを言うなら俺だって包帯とか絆創膏の代金代払ってない、いくらだ?」

 

「そんな、私が払ってないのに貰えません!」

 

藤枝は昨日、黛に豪勢な食事をご馳走になり、その上、駅に戻ってきた際に傷の手当てまでしてもらっていた。

感謝こそすれ、金をとろうなどという考えは欠片も彼の頭にはなかった。

しかし、黛は引き下がろうとしない。

律儀さか、頑固さか、いずれにせよ根負けした藤枝はいくらかかったかを思い出す。

実際よりも安く請求してもよかったが、そこまで気を遣うのも妙だと思った藤枝は、料金を乗った人数で割った、おおよその金額を告げた。

 

「・・・・・・じゃ、四人で割り勘で六百円」

 

「あ、はい・・・・・・実は、割り勘って初めてです」

 

『これ超友達っぽくね?ぽくね?』

 

「友達だからな」

 

「え、えへ、えへへ、えへへへへ」

 

『ぴろりろりん』

 

「・・・・・・」

 

『聞かないん?』

 

「何の音だ?」

 

『今の好感度の上がった音ね』

 

「そうか、そりゃ嬉しいね」

 

にやつく黛の機嫌を損なうようなことを藤枝は口にはしなかった。

この調子だと呼吸してるだけで好感度上がりそうだな、などと、間違っても口に出しはしなかった。

思うだけなら、勝手だった。

 

「そういえば、伊藤さんも連絡がないようなんですけど、何か知ってますか?」

 

一しきり、にやにやしながら一人芝居を演じた後、黛は唐突に素面に戻って藤枝に尋ねた。

今思い出したかのような口ぶりに、藤枝は少し悲しげに眉根を寄せる。

昨日の武蔵が巻き込まれたトラブルの解決にあたって、彼が一番骨身を削った筈だが、この扱いは不憫だ、と。

せめてお望みどおりに、彼の意中の大和田伊代が気に入るような武勇伝を吹聴してやらねば、と。

藤枝平馬にも一応友情は存在した。

 

「あいつからは筋肉痛で休むってメールがあった」

 

今頃何しているだろう、などと考えながら、藤枝は受け取ったメールの内容を口にする。

今日も彼はアルバイトの予定がある筈だが、学校を休むぐらいなのだから今日は交代してもらうのだろう。

そんなことを考えながら、彼は黛とともに教室へ戻っていった。

 

 

 

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