(一応)警告。いつにもましてバイオレンスなので注意
「クソ、期待外れだ。全然収まらねえ・・・・・・こっちで少しは楽しめるか?」
「あんま無茶すっとそいつ死にますよ」
竜兵は倒れた藤枝を見下ろし、吐き捨てるように呟いた。
不意打ちだろうが騙し討ちだろうが、自分と双子の姉を倒した男だ。
だというのに、これほど呆気無いとは拍子抜けにも程がある。
わき腹をつま先で小突いて様子を伺うが、意味をなさないうわ言を呟くばかりでろくな反応を見せない。
胸ぐらをつかんで引きずろうとするも、仲間に窘められて手を放した。
「チッ、仕方ねえ。伊藤とやらで処理するか・・・・・・」
不服そうに舌打ちしつつも、竜兵はすぐに気を取り直して口の端を歪める。
彼らは、天使が情報を引き出した伊藤誠を口封じの為に拉致していた。
ベランダから地上を見下ろせば、アパート前の路上に駐車されたワンボックス車の姿が確認できる。
あの車内でもう一人の仲間が監視している筈だ。
彼の顔を思い出した竜兵は、どちらが好みか、ともう一度倒れた男を振り返り、見比べる。
すると、彼はあることに気が付いた。
「ん・・・・・・?こいつ見覚えあるな。おい、ケン!」
「え?いや・・・・・・知らないっすよ」
「お前に因縁つけた女と一緒にいただろ」
「・・・・・・ああ!あの腰抜けですか」
因縁をつけたのはどちらかなど、彼らは覚えていなかった。
女を連れて逃げた腰抜けとして記憶していた相手が昨晩の襲撃者だったとは、と顔をまじまじと見る。
元々は整った顔立ちだったのだろうが、今は左目の横が痛々しく赤く腫れ上がっていた。
指輪でついたであろう、髪の生え際に刻まれた傷からは血が零れ、髪を汚している。
顔の右側も、殴られた際に絆創膏が剥がれ、塞がりかけの傷が抉られて出血していた。
半開きの口から覗く白い歯は赤く汚れて、口内もひどく切っていることがわかる。
「は?どゆこと?」
「さらった女の彼氏だ。大方、一昨日は自分の女を助けに来たってとこだろ」
「ふーん・・・・・・?」
「ハ、何が品行方正に生きろだ、カスの分際で・・・・・・おい、ルディも呼んで女の方も探すぞ。変な名前だったよな」
「え?もうよくないすか?彼氏こんだけボコられればあの女もショック受けるだろーし、溜飲下がったっつーか・・・・・・」
これ以上やるとか引いちゃうんだけど、と直截に言えないから、ケンは言葉尻を濁した。
眼下に仰向けに倒れた藤枝の姿はそれだけ惨いものだった。
苦しげに呻き、時折咳き込むように血を吐き出す様は命の危険すら感じさせる。
道端で発見されれば、まともな人間なら即座に119番をプッシュするだろう。
「何甘いこと抜かしてんだ。雑魚が二度と増長しないように思い知らせてやるんだろうが」
「オイ、その前に礼ぐらい言えや。リベンジできたのウチのおかげだろーが」
「・・・・・・」
「んだよその目!」
「ま、まあまあ、落ち着いて・・・・・・ええと・・・・・・駅名っぽかったっけ。武蔵新城とか、そんな感じの・・・・・・」
「イトーガ、ムサシコガネイ、ッテイッテタヨ」
「どういう名前だよ。何考えてそんな名前つけたんだ?」
「あァ?!今なんつった?」
「え、あ、いや・・・・・・天さんはいい名前っすよ!エンジェルって天使でしょ?」
「うるせー!その名前で呼ぶんじゃねー!ブっ殺すぞ!」
既に倒れ伏した男へ注意を払っている者は誰一人としていない。
あるものは新たな獲物を夢想して舌なめずりし、あるものは写真を破棄できたことに安堵のため息を吐く。
あるものは仲間の失言に顔を紅潮させ、あるものは必死の体で仲間のご機嫌取りをする。
だから、背後で何が起こっていても、彼らは気づくことはなかった。
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・
痛む頭を冷たくて硬い床に押し付け、藤枝はぼんやりと天井を眺めていた。
意識は壊れた電子機器のように、着いたり切れたりを繰り返している。
やがてバッテリーが無くなれば、切れたままになるだろう。
「チッ、仕方ねえ。伊藤とやらで処理するか・・・・・・」
耳は正常に周囲の音を拾い続けている。
しかし、聞こえてはいても、聴こえてはいなかった。
誰が言っているのか、誰に言っているのか、何の事を言っているのか。
そんな、常ならば無意識に脳が判別している情報も、対応しない拡張子のように頭が読み込もうとしない。
「・・・・・・ああ!あの腰抜けか」
キーボードのケーブルが抜けたように、身体は頭の命令を受け付けない。
かといって、頭は正常に働いているというわけではないのだが。
口の中の傷を舌で弄繰り回して自身の苦痛を増しているのは、意味や意義のある行動ではない。
「さらった女の彼氏だってことだ。大方、昨日は自分の女を助けに来たってとこだろ」
目に疲れを覚えると同時に、無意識に瞼が閉じられた。
すると、瞼の裏に過去の記憶がスライドショーさながらに映し出される。
見ているだけで何を思うわけでもないが、心地よい夢の中に誘われているような気がした。
浅い呼吸が整いだして、意識が輪郭を失い、痛みが紛れていく。
そんな時、ぼやけたスライドの中に、藤枝は懐かしいものを見た。
満面の笑みを湛えた父の顔だ。
「何甘いこと抜かしてんだ。雑魚が二度と増長しないように思い知らせてやるんだろうが」
あの写真を焼き増しして部屋に飾ろうか、などと考えて、胡乱な思考が僅かに形を取り戻した。
その代わりに痛みがぶり返してくるも、彼は構わず幻に手を伸ばす。
いつの間にか、体は動いていた。
痛みは引かず、頭は働かない。
だが、首の部分で断線していた神経がつながったようだ。
「え、あ、いや・・・・・・天さんはいい名前っすよ!エンジェルって天使でしょ?」
伸ばした手がコンクリートの壁を引っ掻くと、目が勝手に開いた。
暗い天井と、そこからはみ出た赤黒い空が視界に映る。
身じろぎ、寝返り、立ち上がる。
目の前に誰かがいるが、誰だったのかは思い出せない。
思考回路は失われたままだというのに、体だけが先んじて動いた。
「うるせー!その名前で呼ぶんじゃねー!ブっ殺すぞ!」
「待て」
「あん?」
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・
「待て」
「あん?」
去ろうとする四人のうち、最初に反応したのはケンだった。
声をかけられただけではなく、肩を叩かれたから、そして、他のものよりも、少しばかり背後のことを心配していたからだ。
とは言っても、攻撃を受けることを予想していたわけではないし、藤枝の体の具合を心配していたわけではない。
単に、彼が死んだりしたら自分は罪に問われるのだろうか、という心配だ。
俺は殴ってないし、脅迫写真を取り返すためだから、正当防衛だよな―――その証拠など既に失われているのに、そんな風に内心で言い訳しながら振り返る。
「うガッ」
そこで、彼の意識は途切れた。
振り向きざまに硬い拳で顎を一撃され、腰が砕け、膝から崩れ落ちた。
倒れるよりも早く、肩に担いでいたバットを奪われるが、それを認識するよりも早く、彼は意識を失っていた。
「っのヤロっ!」
次に反応したのは、ほぼ三人同時。
しかし、最も早くアクションを起こしたのは天使だった。
血まみれの男が半開きの口から血を垂らしながらバットを構えるよりも早く、手にしたゴルフクラブを振るう。
先ほどと同じ左側頭部を狙いすまし、先ほどとは異なり、振り返りざまの遠心力で威力を増した一撃。
少なくとも、相手を気遣うような手加減は一切無い。
そして、二番目に動いたのは彼らの仲間内でボブと呼ばれている男だ。
天使がゴルフクラブを振るうのとほぼ同時に、彼は半ば反射的に血まみれの男につかみかかった。
今日は手ひどくやっつけてやるつもりだったのに、出番がなくて体力が有り余っていたのかもしれない。
意外なことに竜兵は動かなかった。
血まみれの男は全くの無表情だったが、腫れて細くなった左目がまるで笑っているように見えたからだった。
自分の拳を馬鹿にされたような気分になって、彼は怒りを拳を握りこんでいた。
「っと」
しかし、男は襲いかかる二つの攻撃を、ボブの腕をつかんで上体を反らすだけで回避した。
血がこびりついて垂れた前髪をクラブヘッドが僅かに掠める。
しかし、避けられたからと言って鈍器という武器の特性上、そこですぐに切り返せない。
慣性に従って動いたクラブヘッドは引き込まれたボブの首元にめり込み、めき、と嫌な音を立てた。
「アッ!」
打撲だろうがひびだろうが骨折だろうが、鎖骨の訴える痛みは行動を停止させるに十分なものだった。
間髪入れず、大きく息を吐いて身を固めたボブの股間に追撃のつま先が叩き込まれる。
苦痛に目を剥き、身体がくの字に折れる。
しかし、その苦しみは長くは続かなかった。
下がった顎をバットの柄頭で殴りつけられたのだ。
冷たい床に丸まりながら、彼は意識を手放した。
「ッ、ア・・・・・・ウゥ・・・・・・」
「て、てめっ・・・・・・!」
「かわいそ」
「ざっけんな!テメーが避けるからだろうが!って、おわっ?!」
「ウオォッラァ!」
予期せぬフレンドリーファイアに動揺する少女を押しのけ、六尺豊かな巨躯が躍動した。
猛烈なダッシュから繰り出されるのは打ち下ろしの右。
先ほど藤枝に叩き込んだ二発の拳と同質のものだ。
「ッ、なっ、貴さッ・・・・・・!」
だからだろう。
半身に構えただけで容易く避けられてしまったのは。
「真っすぐなだけじゃ」
渾身の右ストレートを回避され、竜兵は右肩越しに血まみれの男、藤枝の顔を見た。
薄暗い空の下、口と二つの傷から零れた血で赤黒く汚れた顔に、ぞっとするほど冷たい瞳が光る。
ケンから奪った金属バットを構える彼の姿が、竜兵の目にはスローモーションのように映っていた。
「すぐ打たれちまうんだぜ」
グリップを絞り、彫りの深い背が引き伸ばされる。
肩と言わず、背と言わず、腰と言わず、全身が捩じられる。
そして繰り出される、鋭いステップイン。
どこまでも基本に忠実な、オーソドックスなバッティングフォーム。
「ぎいッ・・・・・・が、はーッ・・・・・・!」
伸びきった右脇腹に金属バットが打ち込まれた。
スローモーションの目にも影すら捉えられない超高速スイング。
分厚い筋肉の鎧を断ち切り、衝撃が五臓六腑に掻き回し、骨の髄まで苦痛で満たす。
竜兵はその場で倒れこみ、高い鼻から水っぽい汁を垂らして悶絶した。
「あッ、やめっ、げッ!・・・・・・あ・・・・・・」
「・・・・・・」
しかし、意識を失っていないからだろうか。
藤枝はさらに彼の横顔を踏みつけ、側頭部をコンクリートの床と激突させる。
二発、三発。脳を揺らされた彼がやがて動かなくなると、藤枝は天使に向き直った。
「・・・・・・あっ、う、嘘だろ?!」
豹変とはこのことか。
つい一分前には血まみれで倒れ伏していた相手が、今ではまるで別人のようだった。
そのあまりの変わり様に、天使は姉の辰子のことを思い出したが、すぐに否定して首を横に振る。
目前の〝敵〟と〝家族〟をダブらせるなど、あってはならないことだ。
「く、くそ・・・・・・!ふざけんなッ、こんなヤツにっ!」
一歩下がり、萎えかけた気力を奮い立たせるために彼女は片手でポケットを漁った。
目当ては、強い興奮を喚起し、強心作用を生ず、中毒性を持つ未認可薬物。
むき出しの錠剤を口へ放り、かみ砕いてから唾で飲み込むと、たちまち効果が顕れる。
瞳孔が開き、顔や首に赤みが差す様子は、藤枝とは意味合いが異なるものの、これも豹変と呼ぶにふさわしいものだ。
「・・・・・・」
しかし、そんな彼女の様子には目もくれずに、藤枝は身にまとった深緑色のジャンパーと格闘している。
戦っているうちに壊れてしまったのか、ジッパーが行違ってしまって脱げないらしい。
金属バットは無防備に床へ放り出されていた。
「・・・・・・て、め、え」
再び目にした男の姿に呆気にとられること数秒。
尖った犬歯をむき出し、怒りに表情を歪めた顔は、いっそ、紅潮を通り越して赤黒くなっていた。
「よそ見してんじゃねー!」
一投足で射程距離まで飛び込み、躊躇いなくゴルフクラブを振り下ろす。
先ほどよりも鋭い一撃は、直撃さえすれば間違いなく骨を砕くだろう。
薬物の興奮作用により無意識に働く躊躇は殺され、身体能力は増している。今までのものとは威力が違う。
「・・・・・・」
結局、藤枝はジッパーの留め具を乱暴に引きちぎってしまっていた。
彼は脱いだ上着の片手の袖を掴み、襲い掛かる少女へ向かって振るう。
だぶついた2Xサイズのジャンパーはじきに五月になろうかというのに、いまだに冬用だ。
ただでさえ五百グラム以上ある重たいジャンパーは、片側のポケットに財布を重石代わりに詰められ、質量でもってゴルフクラブを絡め取る。
「はあっ?!」
いなされ、絡めとられたゴルフクラブは強引に引っ張っても、ヘッドが引っかかってしまって抜けない。
避けられるなり、受けられるなりは想定していても、まさか、こんな手段で凶器を封じられるなど天使は考えもしなかった。
故に、驚きで判断が一瞬遅れる。グリップから両手を放した時には、もう遅い。
「うぐっ!」
男の長く太い足から繰り出された回し蹴りの一撃は、天使の軽い身体を吹き飛ばすに十分なものだった。
廊下の金属製の欄干に激突し、したたか打ち付けたわき腹と腰の痛みに彼女は目を白黒させる。
片腕を欄干にひっかけて座り込むことを拒否するも、隙間から覗いた景色に身震いした。
ここはアパートの四階廊下。
地上まで十一メートルの高さにある。
「・・・・・・っ!」
とはいえ、そんなことに気を取られている時間など彼女にはない。
目前に迫る敵の姿を確認するよりも早く飛びのいて距離を取る。
すると、今まで顎があった場所を太い指を固めた鉄槌が通過した。
竦みそうになる足が辛うじてでも動いたのは、紛れもなく薬物のおかげだ。
しかし、後が続かない。
「うげえっ?!」
ステップインから繰り出された抉り込むようなの三日月蹴りに肋骨と鳩尾を抉られ、天使は蹴り足に反吐をぶちまけた。
天使の歩幅と比べ、藤枝の歩幅ははるかに大きく、同じ一歩でも詰められる距離は違う。
ましてや、体勢を崩しながらの後退では、十分な距離をとれるはずもない。
「げほッげほっ?!おえぇっ・・・・・・!」
膝から崩れ落ち、天使は胃の中身を全てコンクリートの床へ垂れ流す。
痛みは薬物によっていくらか緩和されていても、内臓がのたうつ不快感や呼吸困難による苦しみに何ら変わりはない。
まして、その薬物もたった今、汚濁とともに戻してしまったのだ。
酸素を求めて必死にもがき、顎を上げてぜいぜいと喘ぐ。
「ごほっ、はーっ、はー、く、うわあぁっ!?」
そんな状態でも、敵は容赦などしてくれない。
天使は再び顎めがけて飛んできた前蹴りを仰け反って回避する。
しかし、膝立ちの状態では踏ん張り切れず、尻もちをついてしまった。
手と言わず足と言わず、必死に動かし後ずさりして逃げようとするも、敵はそれを許さない。
「ぎゃっう、あああぁッ!」
甲高い悲鳴が廊下に響き渡った。足首を踏みつけられたのだ。
天使は絶叫しながらも、みしり、と嫌な音を聞いた気がした。
想像を絶する激痛に彼女は無意識に両手を突き出す。それはもはや、修練で身につけた防御行動ではなかった。
ただ、もうやめてくれと怯えるばかりだ。
「な、なんなんだよぉ・・・・・・!」
生まれてこの方、彼女はこれほどの暴力を身に受けたことなど無かった。
弱肉強食と嘯いて己のエゴを満たしてきたが、その本質をまるで理解していなかったことを事ここに至って思い知る。
彼女は、いつだって奪う方、強者の側だった。
しかし、今の彼女からは、立ちはだかる男の体躯がやけに大きく見えた。
パワーやスピードが先ほどと変わったわけではない。武術のような技を使い始めたわけでもない。
ただ、遠慮がなくなっただけだ。暴力を振るうにあたって、躊躇いが無くなったというだけ。
たったそれだけのことで、こんなに違う、こんなに強い、こんなに痛い、こんなに怖い。
「動くなよ」
「ひっ・・・・・・!」
最早、天使は戦意を喪失していた。
しかし、藤枝はそんなことを意に介さず、とどめを刺そうと足を振り上げる。
先ほど竜兵にしたように、頭をコンクリートに叩き付けて意識を刈り取るつもりだろう。
膝から脛にかけて引っかかった吐瀉物がぽたぽたと重力にひかれて垂れ落ちる様を見て、天使は昼食に何をとったか胡乱な思考で思い出した。
悲惨な末路を前にして、彼女は現実逃避していた。
「うおおぉッ!」
「あっ」
しかし、硬い靴底が彼女を襲うことはなかった。
見れば、藤枝が壁に手をついている。視線を下げれば、腰にしがみつく竜兵の姿が。
いつ目覚めたのか、彼は必死の体を引きずりながらも背後からタックルを敢行し、妹の危機を救ったのだ。
藤枝はもがきながら肘を横顔や肩口に叩き込むが、背後への攻撃とあって効果は芳しくない。
耐えきった竜兵は、そのままがっちりとホールドし、体格差を生かして藤枝を抱え上げた。
「ぐっ、この・・・・・・死ねよ、糞があッ!」
一切の躊躇いなく、竜兵は背後へと藤枝を放り投げた。
レスリングでいうところの、バックドロップと呼ばれる技だ。
ただし、落とす先はマットでもなければ、コンクリートの床ですらない。
「う、おおおッ・・・・・・!」
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・
放り出した先は、欄干の向こうの虚空だった。