結果から話すと、藤枝の所持金は三百円ほど増えた。とはいえ、すぐに泡銭と消えたが。
「このおにぎり美味いな。昆布の佃煮が入ってる……好きなんだよ、これ。よくスーパーとかで買うよ。葉唐辛子の入っているのが一番好きなんだけど」
「……」
「半分食うか?」
「いっ、いえ、もしかして私、そんなにもの欲しそうに見ていましたか?!」
「してないさ。ただ、一人で食うのもなんかデリカシーに欠ける行いかな、って思ったり、思わなかったり」
食べかけのおにぎりを、クラスメイトとはいえ女性に渡そうとするのもデリカシーに欠ける行いなのだが。
ともあれ、冗談めかして笑うと、藤枝は残りのおにぎりを一口で食べてしまった。
先ほど売り子から買ったもので、中身が不明なロシアンおにぎり、百円のものだ。
「あー、美味かった。そろそろ戻るか……あ、どうも」
HRがつぶれたとはいえ一時間目は時間通り行われる。
人が少なくなり始めたグラウンドで、ゴミ収集に勤しんでいる料理部の部員に空き缶とラップを渡し、藤枝は黛を伴って昇降口へと足を向けた。
「いやあ、しかし武道の型って綺麗だよな。ああいうのはあまり見ないから新鮮だったし、面白かった」
先ほどの決闘の様子を思い出して藤枝は両手をわきわきと動かした。
勝負自体はほんの一分足らずの時間で、クリスティアーネ・フリードリヒの勝利で幕をおろした。
しかし、その一分足らずの時間はとても密度の高いものだったと言える。
まず、川神が最大射程で牽制を繰り返した。そして、相手のステップの隙を突き、下段への攻撃で勝負を決めようと猛攻をしかける。
しかし、既に射程距離を見切られていたのか、逆にクリスティアーネが射程の更に内側に飛び込むことで回避。
そしてそのまま川神の肩口に強烈な一撃を返し、決着。
「そうなんですか?」
「身近にやってる人はいたけど、当時は全然興味無かった」
ほら、同じことやってても、女の子とおっさんじゃぜんぜん違うものに見えるだろ?と冗談めかして藤枝は笑った。
エンターテインメント的に考えて、美少女同士のチャンバラに優るものではない。
「そうでしたか、てっきり……歩き方が綺麗でしたから、武道をやっているのかと」
何の武術かまではわからなかったから、もしかして陸上競技をやっていたのかと思っていた、と黛は言った。
藤枝の所作を見張る眼差しは、おどおどきょろきょろした不審者のそれではなく、冷静なものだ。
やはり、背負った刀は伊達ではないらしい。
「山歩きの経験があるからそう思うんだろう……狩りも少しは出来るから、そのせいかもしれないな」
言いながら、藤枝はかつて山寺で冬を越した時の事を思い出した。
石の穂先をつけた槍を持ち、手製の罠に猪を追い込んだりしたものだ。
客観的に見ればろくでなしの、アホな思い出の一つだが、本人だけの思い出としては少しばかり誇らしく、懐かしくもある。
「ああ、そうだ」
「え?」
ぼんやりと記憶に意識を沈めかけて、藤枝はあることを思い出した。武蔵のことだった。
責任を感じているわけではないが、間抜け晒して気絶した彼女のことが少しばかり気になった。
保健室のある棟はクラスとは逆方向だったから、上靴に履き替えているうちに気づいて丁度よかった。
こっちに用事があるんだ、とジェスチャーで示して、遅れたら先生に伝えといて、と頼む。
「保健室にちょっと用事がある。そういうわけなんで、それじゃまたな」
「……あっ、あの!」
「ん?」
ひらひらと手を振って背を向けると、黛はためらいがちに呼び止めた。
言うべきか、言うまいか、数秒だけ懊悩して、脳内を駆け巡る言葉を一語一語かたちにする。
「え、ええと、その……!よろしければ、また、今日みたいに、お喋りして貰ってもいいですか?」
「いいよ」
「私、その、友達がまだいなくて……って、本当にいいんですか?!」
あまりにもあっさりとしたその言葉に黛は驚きに目を丸くする。
四半世紀も生きていないとはいえ、物心ついて十数年。
どれだけ望んでもさっぱり出来なかった友人がこれだけあっさりできたのだから、彼女にとっては当然のこと。
とは言っても、藤枝からしてみれば大したことではない。
心底頼れる親友なんてものはそういないが、友人自体は人並みにいる。
完璧な友情でなければ友人ではない、などとは言わない。
「友達いないのか……それは可哀想だな。よし、今から俺を友達と思ってくれ。いつでも気安く話しかけてくれよ」
「……く、苦節、十数年」
「まあ、遊び相手の一人もいないんじゃ退屈だろうし……ん?」
「と、とと……友達がっ!できました!」
『よくやったまゆっち!おめでとー!』
「……」
何人かクラスメイトでも誘ってカラオケでも行こうか、と財布の中の割引券の期日をチェックしていると、奇妙な声が聞こえて藤枝は視線を上げる。
彼女の手のひらには、いつも彼女がお喋りしている馬の人形付き携帯ストラップが載っていた。
よく見れば綺麗な細工の施されたもので、どこかの民芸品のようにも見える。
少なくとも、大量生産品のそれではないな、と思いつつ、彼女の顔をまじまじと見つめた。
「……はっ!?」
「ファンシーな趣味だな」
女の子っぽいというか、ほほえましいというか、なんというか。
小さな子供でも見るような気持ちになって、藤枝はふっと、僅かに口の端を緩めた。
そんな藤枝の様子とは裏腹に、黛は顔を赤くしてあたふたしだす。
彼女の目の焦点は藤枝の顔の周りをぐるぐると動いて定まらず、まるで薬物中毒者のようだ、と失礼な感想を藤枝に抱かせた。
「あっ、そっ、その、これはその、そういうアレではなくてですね、ああああうあう」
『落ち着くんだまゆっち!be cool!』
「すー、はー、すー、はー……げ、限界です!撤退します!」
『だけど千載一遇のチャンスだってばよ!』
プレッシャーに押しつぶされたらしく、黛はこの場から逃げ出そうとする。
しかし、友達ができるかもしれない絶好のチャンスを放り出して撤退することに苦悩を覚えているようだった。
携帯ストラップ、松風との一人芝居……と表現するべきか。会話と表現しよう。それが会話に顕れている。
そんな懊悩を数十秒繰り返し、葛藤に決着をつけた彼女は表情をきりりと引き締める。
「危ないと思ったらいつでも引き返す勇気を持つこと、と友達道の教えにありました!松風、殿を!」
登山かよ、と内心でつっこみをいれながら、藤枝はぼんやりと彼女を見送る。
どうせ同じクラスなんだからそのうちまた話すだろう、と思ったが故だ。
武蔵の様子も見てきたいし、彼は黛が去った方向に背を向けて保健室へと向かっていった。
……
…………
……
「いたたた……」
「失礼しまー……あれ」
遅まきながらやってきた保健室には養護教諭の狐門の姿はなかった。
デスクには≪三十分ほど空けます≫との書置き。
その代わりと言うべきか。先ほどグラウンドで生徒たちの注目を集めていた人物がそこにはいた。
「あっ」
藤枝に気づき、声を上げたのは川神一子だった。肩口に受けたうち身の治療に来ていたらしい。
上着を脱ぎ、体操服の袖を捲り上げてアイシング用の氷嚢を押し当てている。
別にいけない格好でもないのだが、じろじろ見るのもはばかられて藤枝はさりげなく目を逸らした。
「ああ、申し訳ない。ノックするべきだった」
「別に大丈夫よ。もう手当ても済んだし。だけど、先生は職員室に行ってるみたい」
「いや、俺は寝てる人に用があるもんで……」
「え?アタシのほかには誰もいないわよ?」
見れば、三つ並んだベッドからは人のいるような気配がないことに気づいた。
カーテンを開けても、中に武蔵はいなかった。
「あっれ、アテが外れたなあ……教室に戻るか」
「誰か探してるの?」
「ん?いやね。机の角におでこぶつけて気を失ったやつがいまして……武蔵小杉って奴なんですが」
人懐こいというか、なんというか、人見知りと言う言葉からはかけ離れている。
積極的に話しかけてくる川神一子は、先ほど話をした黛由紀江とはまるで逆のタイプだった。
こういったタイプと接するのが苦手、という人間はあまりいない。友達も多いのだろう、そう、藤枝は思った。
「……駅?」
「生まれ持った名前を侮辱するなんて酷すぎる! 出るとこ出ますよ!」
「わー、わー!そんなつもりじゃないわ!」
冗談っぽく笑いながら藤枝が言うと、一子は慌てた様子で氷嚢を持っているほうの手を振り乱した。
一年生の身分で先輩をからかうのはいかにも無謀な行為だが、あまりにも邪気のない様子でボケをかますもんだから、悪戯したくなったのだ。
「冗談です。手、あまり動かさないほうがいいっすよ」
「先輩をからかうなんて生意気よ!……って、名前知ってたの?初対面……だっけ?先輩って呼ぶんだから、一年生……だよね?」
一子の言葉には、本当に一年生か、というニュアンスが含まれていた。
ここ、川神学園は一年生から三年生まで学生服は超同じで経済的に超優しい。見分けがつかないので新入生には優しくないが。
そんなこともあって、顔つきも大人びて、五尺八寸あまりの上背を持つ藤枝が一年生だと断定はできなかった。
とはいえ、正真正銘藤枝は一年生だし、年齢も彼女の一つ下だった。
「いや、一年だし、初対面ですけど一方的に知ってます。先輩結構有名ですよ。さっきの決闘も見に行ったし……あ、俺は藤枝です。C組の」
「あ、そっか」
なるほど、と得心が行ったようなジェスチャー。
クラスメイトに、しょっちゅう喧嘩売ってるとまで言われるぐらい、彼女は決闘制度を活用していた。
ギャラリーを制限しているわけでもなし、名前が知れ渡っていてもおかしくない。
「カッコよかったですよ、薙刀」
「見当外れて負けちゃったけどねー……」
「そりゃ勝つつもりなら、最初から本気でいかないと」
歯に衣着せず、藤枝は苦言を漏らした。
先ほどの決闘、勝敗がついた後に、彼女は重たいリストやアンクルを外して再試合だと吠えた。
当然学園長に却下されたが、常に修練を念頭においているがゆえの、一子のおろかな敗因だった。
ハンデをつけて負けては世話ないというもの。
それを彼女も自覚しているのか、力も内容もない反発をした。
「きびしい……アタシ先輩なのに」
「俺の師匠が言ってましたよ。一度始めた戦いは、どんな手を使ってでも勝てって……戦いなら、ですけど」
「こわい師匠なのね……けど、師匠って言うからには藤枝くんも武術やってるの?空手?剣道?」
「いえ、そういうのはさっぱり。師匠は師匠でもホームレスの師匠です。槍とかは少しぐらいなら使えますけど、武術っていうのかなあ……」
「ほ、ホームレス?……頑丈なダンボールハウスの建て方、とか?」
「どっちかって言うと、狩りとか、山菜の見分け方とか、調理法ですね」
「……ちょっと興味あるかも」
食事に関しては一家言ある一子は、藤枝の技能に興味を持ったようだ。
ホームレスマニュアルでは聞こえが悪いので、サバイバル知識と言い換えてもいい。
「山にでも行く機会があれば、簡単なものならレクチャーしますよ。料理の仕方も含めてね」
「おお……!」
色とりどりの山菜料理やジビエ料理を思い浮かべ、一子は目を輝かせた。
実際のところ、そこまで上等なものではないが、こうまで期待されると応えたくなるものだ。
機会があればと言って約束したものは、大抵の場合その機会は永遠にこないものだが、自主的に作ってもいいだろう。
近々の予定は、と考えつつ、藤枝は壁にかかっているカレンダーと時計を見やった。
「……そろそろ一時間目だ。先輩は怪我は大丈夫ですか」
「あ、うん。授業には出るつもりよ。ただの打ち身だし、冷やしておけば直るでしょ」
「言おうか迷ったんですけど、それ、タオルでも巻いたほうがいいですよ」
氷嚢のことだった。直接患部に押し付けているのでは冷えすぎる。
冷たくて痛いし、体表が冷えすぎても治癒効果が薄くなる。接する部分はセ氏零度前後がベストだとか。
しかし、一子は首を横に振って、困っているのよ、とでも言うように唇をとがらせた。
「見つからなかったのよ。置き場所をかえたみたい」
かえたって、タオルの置く場所なんてのは大体決まっている。
埃がつもらなくて、それなりにまとめておいておける広さのある場所だ。
それこそベッドの下のカラーボックスの中とか……と、探すと、案の定見つかった。
一子にそれを押し付けると、藤枝はそのまま保健室を出ようとする。
「これでしょ。それじゃ、俺、教室戻りますんで」
「あっ、待って」
「はい?」
「改めて自己紹介するわ。アタシは2Fの川神一子!」
「どうも。俺は1年C組の藤枝平馬です。いつでも声かけてください。よろしく」
元気のよい挨拶をしてくれた一子に、藤枝は笑みを添えてフルネームで名乗った。
これからますます学校生活が楽しくなりそうだ。そう、予感があった。