待っていた夜は 作:厨二患者第138号
第1話
――――――どうしてこうなったのだろうか。
少女はそう思わずにはいられなかった。眼前には蛸の様な生き物が迫りくる。しかし、果たして蛸とは見ているだけで狂ってしまいな程冒涜的な生き物だっただろうか。
断じて違う。
あの生き物は、いや、そもそもアレは生き物ではない。アレは存在すらしてはいけないモノだ。いうなら化け物。アレは化け物だ。今、真正面で触手をうねらせている化け物は、どうしようもなく化け物で、だから化け物は少女を殺そうとしている。
「は、はは」
ふと、乾いた笑いが零れた。目の前はもう絶望しかなく、希望など欠片も見えない。一匹や二匹ではないのだ。化け物は十や二十を超える数が四方八方にいる。
故に、どう足掻いても少女は死ぬ。分かり切っていたことだ。だから逃げることを止めたのだし、抵抗することすらも諦めた。化け物らは、ゆっくりと少女に近づく。逃げ道など最初からなかった。
「あっは」
化け物を直視すれば、それだけ少女の大切な何かが削がれていく。その実感もある。だからもういっそのこと、狂って、叫んで、死んでしまいたい。その方がきっと気が楽だ、そんな風に思った。
――――――どうしてこうなったのだろうか。
少女は気が狂いそうになる頭で、気が狂いきる前にもう一度思い馳せた。
確か両親と喧嘩したことが発端だった筈だ。何でもない些細なことで言い争いが始まり、それがエスカレートした。少女は癇癪をおこして家から飛び出し、自分に理解を示してくれない母親の顔なんて見たくない、そんな幼い意地っ張りが原因で未遠橋で長いこと時間を潰してしまったのだ。そうして夜になり、周囲が薄暗くなったことに遅まきながら焦りを感じた訳だ。
だから急いで帰ろうとしたら、こんな化け物らと出くわした。
ただ母親と喧嘩をしたから、ただ帰りが遅くなったから、こんなことになったのか。ただ小さな偶然が重なり、自分は死ぬのか。そう思うと、今度は少女は怒りを覚えた。
―――――どうして、どうして私が死ななければならないの。
当然の疑問だろう。たかだか偶然の重なりが原因で、少女は惨めに死ぬのだ。そして少女を殺すという理不尽を全うするのは眼前に広がる化け物である。ならば、この化け物たちは少女にとって『敵』だ。敵は排除しなければならない。完全なる正当防衛だ。
いや、そもそも化け物相手に人間の法律など何ら意味はない。法は人の命を助けない。
「は、ははは」
また笑いが零れた。ただ、今度は恐怖によるものではない。震える自分を鼓舞するためだ。怖くとも、生きることはあきらめてはいけない。何故か先程とは打って変わって、猛烈に諦める気が失せた。
逃げ道がないのなら、作ればいい。
少女は視線を地面におろす。何か武器になる物はないか探し始めたのだ。そんな都合のいい展開などある筈がない。そんなことは分かりきっている。それでも、少女は生きる努力をするために必死に探した。
助かった、訳でない。今この瞬間、明確に死の気配を感じる少女にはそれが分かった。
「おお、貴方の様な人がまだこの現に居ましたか!! その勇気、正にあの聖処女の様に気高い!! 素晴らしい、素晴らしいですぞぉ!!」
狂人とはまさにあの事を言うのだろう。眼はもはや焦点が合っておらず、腰は酷く折り曲がっている。不気味と言う言葉を体現したかのような出で立ち。そんな男が化け物らが開けた道から、つまり少女の目の前に現れた。
そして少女は直感する。あの男こそがこの化け物らを操る親玉だという事に。ならば、少女が殺すべき障害はあの男に他ならない。何故か地面にある杭を拾い、強く握りしめる。不思議なことに、ただそれだけの行為で少女は自身に力が沸いた気がした。
「だからこそ残念でなりません。ええ、神は勇敢な貴方を見捨てるでしょう! 断言しましょう! 悪逆を尽くし、世からは忌み嫌われる私から、神は貴女を救わないぃぃ!!」
当然ながら男は狂っていた。神を連呼し、紳士的な言葉遣いの裏腹に狂気を孕ませている。何せ化け物を統べる親だ。頭がおかしくない訳がない。男は発狂し、叫び始めた。
「あああぁぁ!! では、大人しく我が血肉となりなさい! 聖杯に選ばれた私、このジル・ド・レェの現界に貴女が必要なのですっ!!」
ひとしきり叫び終えた後、男はゆっくり手を上げた。さながらその動作は大軍を率いる軍師のそれである。だが、男は誉れある軍師とはかけ離れた雰囲気を纏っている。そして仮に彼が軍師だとしても男が率いるのは化け物の群れだ。いくらその仕草が様になっていようと、少女にとっては本当に迷惑な話なだけだ。
「やりなさい」
静かで、無慈悲な宣告。男の手を振り下ろす合図とともに、周囲の化け物は少女に飛び掛かる。死を悟るのには一瞬で十分だった。
しかし、それでも少女は杭を振り上げた。眼前の化け物は己に死をもたらす。それを振り払うには化け物自体を殺すしかない。だから、無駄でもやらなければならないのだ。
「……」
握った杭は驚くくらい手になじむ。きっと殺せる。確信なんてないが、最後に良い夢を見せてくれた。
だってそうだ。
化け物が目の前で
まだ少女の手にある杭の先端は化け物に届いてさえいない。だからきっと少女は化け物に殺されて、死後の夢を見ているのだ。
だが、夢にしては妙にリアルだ。夢とは果たして臭覚が働くものなのだろうか。悪臭が漂っている。それが手を斬れば出る、身近にあっても見るのは恐ろしい赤い液体と同じ金属質の臭いなのだと分かった。
そして気づけば目の前の化け物だけでなく、少女を取り囲んでいた無数の化け物もただの肉塊に成り下がっている。明らかに少女の仕業ではない。多少武術の心得があるとはえ、それ以外はまるで平凡な少女に、自身よりも一回りも二回りも大きい化け物相手に解体する技術など持ち合わせていないのだ。
「……なんだ、もう終わりか。呆気ない」
そんな声が聞こえた。何が何だか分からない。ただ、それでも間違いなくその声が先の狂った男の物ではないという事だけは分かる。落胆が入り混じった、全く別の人間の声。恐る恐る、聞こえた方に顔を向けた。
そこには、狂った男の首を片手に佇む影がいた。
「……これがフランスの英雄の末路か。アンタ、死ぬ間際に改心したんじゃなかったのか?」
影はどこか悲し気に、首だけとなった狂人に語り掛ける。しかし狂人が返事を返すことはなかった。完全に狂人が死んだことを悟った影は首を丁寧に地面におく。そして静かに何か言葉を紡ぐと、狂人の男の首は燃え去った。
あまりの非現実に、少女は言葉を失った。後に残ったのは何もなく、いつの間にか惨殺され尽した化け物達の死体も跡形もなくなっていたのだ。
影のもう片方の手には剣よりは短く、かといって短剣よりは長い『剣』を持っていた。本能的に恐怖を感じる。影の持つ剣は赤く塗れていた。一目で、その剣があの狂った男の頭と上半身を切り離したのだと分かった。
――――――次は自分の番かも知れない。
そう思うと、少女の身が竦みそうになった。先程までの立ち向かおうとする勇気も、あの影の前では無意味に思えたのである。化け物を統べるあの狂人を瞬く間に化け物ごと屠った影。勝ち目が元々なかったものが更にその絶望性を増した気がする。
影は静かに、本当に不自然なくらい静謐な動作で少女の下にいた。
少女は何もできずにいた。恐怖で体が硬直していたからだけではない。影の動きがあまりにも静かな上に存在そのものが希薄せいで、近づいてきたという事実の認識が遅れたのだ。
おかしな話だ。
影は確かに実体を持っているように見えるのに、存在してるのかどうかさえ疑ってしまう程
「大丈夫か?」
影は剣を、人間で言うところの懐に仕舞いながらそう問うてくる。近づいてきて分かったのは、少女が影と勘違いしたのはその影の纏っている黒いフード付きの外套が幽鬼の如く揺らめいていたからだ。
つまるところ影は手も足も備わっている人間だったのである。
体格から鑑みるに性別は男だろうか。警戒を解いたわけではないが、同じ人間で多少はマトモ(少なくともあの狂人よりかは)なのだと分かって少しばかり少女は安心した。先程の化け物や狂人に比べたら、この人はまだどうにか出来る余地がある。
「……は、はい、大丈夫、です」
どうにか言葉を発することが出来た。極度の興奮状態で身体と口元は震えて動くことも喋ることも困難になっていたのだ。その反面、頭は比較的冷静に働いている。不思議な話だが、今の少女にとってはありがたいことだった。
男は被っていたフードを下ろすと、骸骨の仮面をのぞかせた。そしてその仮面も外して素顔を晒す。やはり影だったものは人間で、想像通り男だった。ただ、日本人ではなかった。褐色肌を持つ以外は凡庸の容姿を持つアラブ系の男である。
「驚いたな。日本人に君の様な人がいたなんて。良ければ名前、を聞く前にまずその杭を返してもらってもいいかな? 実はソレ、俺のなんだ」
外国人とは思えない流暢な日本語と、先程とは打って変わって優しい口調。男はいつの間にか少女の杭を握る手に触れて、丁寧に指の一本一本を杭から離すよう促した。
少女にとって杭は唯一の攻撃手段。
それを手放すという事は、数少ない生き残る確率を止めを刺すようにゼロにすることに他ならない。頭の中では分かっているというのに、少女はあっさり指から杭を離してしまった。それ以上に何故か、男に触れられただけで手だけではなく体全体の震えが収まったのだ。
そして心なしか気持ちも落ち着いた気がした。
「おう、素直なのはとてもいいことだ。それじゃあ、自己紹介に移ろうか。俺はー……まぁアサシンって呼んでくれ。お嬢ちゃんのお名前は?」
アサシンと名乗った男は目が少女の視線と丁度同じ位置になるようにしゃがみ込む。その時には化け物や狂った男の放っていた殺意は微塵も感じられなかった。ただあるのは温情の詰まった男の言葉と瞳だけ。全力で影の男は少女を気遣っていた。
一方、真正面から純粋な好意を受けた少女は照れくさくなった。今思えばその時から一目ぼれだったのかもしれない。少女のピンチに颯爽と現れ、ヒーローの様に『悪』を倒す。惚れなくとも、幼い少女の分かりやすい好感度が鰻登るのはしようのない事だった。
「あの、私、みつづり。美綴綾子って言います」
――――――――――――――――――
目が覚めた。どうやらテーブルに伏すように寝ていたようで、頬には痕が残っている。時刻は六時ちょっと。少女は、美綴綾子は寝ぼけた様子で部屋を見渡すと、テレビの電源がついていた。ただし、ニュースやテレビ体操が流れている訳ではなく、乙女ゲームの選択画面が映っていた。二人の男が言い争っている状況らしく、主人公の女の子は何と言ってこの場を治めるかの選択を迫られていた。
「ふぁ、寝落ちしちゃったかぁ」
美綴は口を大きく開けて欠伸を掻きながら、コントローラーを手早く操作して即座にセーブした。そしてテレビとゲームの電源をぶちっと消して、大きく背伸びをした。
「うーん。結構面白いじゃん、これ」
最初はいきなりバッドエンドを迎えて何事かと思ったが、時を駆けることでこれから起きるであろう災厄を未然に防ぐというシナリオは実にいい。それがしっかりと体感できるように、選択肢がさりげなく一つ増えていたり、主人公の台詞が若干変わってたりと細部に渡って配慮がなされていた。
正直に言って、起きたからには続きをプレイしたい。だが、今日は生憎のこと平日である。加えて美綴綾子は私立穂群原高校の弓道部に所属しており、極めつけにそこの主将を任されている。
そんな彼女が朝練に赴かないのは些か以上に筋が通ってない。夜遅くまで乙女ゲームをする割には、存外彼女は生真面目だった。
「よし!」
気合を入れる。そして勢いよく部屋を出て、洗面所に向かうために階段を下りようとする。だが、何か思いついたようにまたすぐ自室へ戻った。
そしてベッドの裏に隠してある物体を大事そうに取り出す。
ソレは『杭』だった。鋭利な先端は容易に人の肉を傷つけるだろう。取っ手の部分は包帯で何重にも巻かれており、中腹から先端にかけては何か怪しい文字の様なモノが刻まれている。美綴はその杭、正確には文字に触れた途端、言いようもない安心感を覚えた。
あの日、美綴がまだ幼い少女だった頃の話。名状しがたい、神話でさえも登場しそうに
しかし救世主はいた。影の様に曖昧な存在感を放っている人だった。気配なんてまるで感じられなかったのだ。黒い外套は本来の不気味さをなくし、寧ろ安心感があった。短いとも長いとも言えない不細工な剣を片手に、一瞬の内に化け物を惨殺した。
きっと
――――――二度と大事に遭わないように。これは君を守ってくれるお守りだ。
そういって、小さな掌の上にそっとこの杭を置いてくれたのをよく覚えている。彼と彼女を繋ぐたった一つの接点は、不思議と触れるだけで安心する。持っているだけで不幸の方から逃げていく気さえした。
だからこの杭は彼女にとってこれは色んな意味で宝物だ。美綴は杭を大事そうに鞄の中に仕舞い込んだ。
「よし」
もう一度、気合を入れた。今日もいつも通り平和な一日であると信じて。
地雷とかそんなレベルじゃない。
でもアニメの美綴たんの鍵クルクルがあまりに可愛くて……
気づいたらこんなのを書いてたw