魔法少女RIRIKARUなのは ~Rを冠すは人か、それとも~ 作:koth3
夜空を満天に輝かす星明かりがちらちらと降り注ぐ鬱蒼と木々が生い茂った林に、時折百舌の鳴き声ばかりが虚しく響く。誰も立ち入ることのない、自然にとっての平和な世界がそこに広がっていた。
だがその平和が突如破られた。草木の間を二つの見慣れない影が駆けずり回り、平穏を滅茶苦茶に掻き乱し破壊し尽くした。鳥たちはこの侵略者に驚き大童に飛び立ち、昆虫や小動物たちも身を守ろうと狂乱して逃げ惑う。草木は影たちに踏み砕かれ、へし折られた傷口から哀れにも粘ついた樹脂を垂れ流す。
だというのに侵略者たちは多くの命が失われかけたというそんなことを気にもとめずに、お互いにらみ合っていた。片方はずんぐりとした黒い獣のようなもので、もう一方は民族衣装らしきものを来た少年だった。
相対する両者はお互いの動きを注視し、しばし静寂が広がった。少年が赤い宝石らしきものを取り出す。それを見た黒い獣は恐れを抱いたのか、後込みし後退る。それを許さないとばかりに、少年は赤い宝石らしきものを突きつける。
するとその赤い宝石から奇妙な光が発せられた。その光は有機的に動き出し、何らかの模様を少年の眼前の空中に形作ると動きを止めた。その模様は円を基本とし、その内側に見たこともない文字が並ぶ複雑怪奇なもので、所謂魔方陣と呼ばれるもののようだった。
魔方陣の中央から鎖が飛び出す。鎖は宙を飛び交い、獣を縛り上げようとする。しかし悲しいかな、獣を捕らえるには動きが遅すぎた。獣は自らが捕らえられかけていると知るや、その巨体からは信じられない速度で前へ突き進み、少年をはじき飛ばした。宙高く舞い上がった少年は、地面に叩きつけられ身動きを取ることができずにいた。その隙に、獣はどこかへ消えてしまった。
【誰、か……あれを、止めてくだ、さい】
再び林に静寂が戻った。しばらくすると、百舌が鳴く声だけが林を満たす。何もなかったかのように。何も起きなかったように。
九条甲矢はベッドから跳ね起きた。辺りを見回すと、自分が世話になっている孤児院の一室だったことに安堵の息を漏らす。奇妙な夢を見たと脂汗を拭いながら壁に掛けられている時計を見れば、六時を過ぎたころだった。カーテン越しでも朝日がうっすらと差しているのがわかる。まだ起きるには早いが、それでも寝ようと瞼を閉ざせば、先程の夢が何度でも繰り返されてしまい、眠れそうにない。あきらめて三文の得を得ることにした。
だがその日は、一日中夢にとらわれる日となった。朝食の場でも、通学中でも、学校でも、そして帰宅途中の今でも。コーヒーを紙にこぼしてしまったように、頭の片隅にあの奇妙な夢がこびりついて自己主張し、忘れることを許さなかった。そのせいだろう。帰宅途中にある林につい足を向けてしまったのは。
その林は夢にでた林にそっくりだった。
ばかばかしい夢に振り回され続けるのは、御免だった。
林は木漏れ日が降り注ぎ、種々の香りで満たされ、甲矢の高ぶっていた感情を上手に鎮めてくれた。それだけで寄り道をした甲斐はあったと思った甲矢だが、唐突に見えた光景に歩みを止めた。
先程まではただの林道だったというのに、眼前の場所から奥は、何かが暴れ回ったかのような有様だった。地面には折れた枝がばらばらと散らばり、踏みつぶされたらしき昆虫が地面に貼り付き、蟻のえさとなっていた。
不思議とその光景は夢とそっくりだと甲矢は思った。ばかばかしい、すぐにそう吐き捨てたが、それでも抱いた印象を消すことはできずにいた。帰るべきか、それとも先を行くべきか。迷ったものの、夢が嘘であることを証明しようと恐る恐る先へ進むことにした。
五分もしないうちにすこし開けた場所に着いた。そこはあの夢で影の獣と少年が戦っていた場所だった。もし夢が本当だったら、少年が倒れているはず。痛いほど早まった鼓動を打つ心臓を押さえ込み、甲矢は荒くなりそうな息を抑えながらあたりをゆっくりと見回した。
「は、はは。やっぱりな」
そこには少年の影など一つもなかった。歪んだ笑みを浮かべるが、その笑みはすぐに消え去った。風に混じり僅かであるが血の臭いがした。まさかとつぶやき、甲矢は風上の茂みの裏を覗いた。そこには一匹の小動物、イタチらしき白い獣が傷だらけで倒れていた。まだ息は合った。
しばし迷ったものの、甲矢はその場を後にしようとした。
「ちょっと、アンタ。見捨てるなんてひどいじゃないの」
声が背後からした。振り返れば、そこには同い年くらいの少女が三人横並びに立っていた。気が強そうな少女、おしとやかなカチューシャをつけた少女、そして獣の傷を見て顔をゆがめている少女。
「ひどい、だって」
「そうよ、怪我をしている動物を放っておくなんて、人でなしじゃないの」
勝ち気そうな少女が指を突きつけ、二人より前に出てきた。
なるほどその言葉は正しい。正論だ。それを認めながらも、甲矢はため息をついた。
「確かにそうかもしれない。だがな、そいつを助けるとしてどうするつもりだ」
「え」
謝るか、それとも向かっ腹を立てるかだとでも思っていたのだろう。少女は甲矢の冷静な回答に言葉を詰まらせた。
「助けるとしても、野生の動物は人間が近づくだけでストレスをため込み死ぬこともあるそうだ。しかも今は怪我を負っている。神経過敏な状態だ。人が近くにいるだけで体力を余計消耗する。それに素人の手当なぞ、疲れるだけで意味がないだろうよ。そいつにとってはありがた迷惑だろう。それにたとえ獣医のようなプロにでも預けたとしても、獣医はボランティアじゃない。治療代を払う必要がある。治療代を払えないのに連れて行っても断られるだけだ」
「でも、かわいそうじゃない」
「そうだな、かわいそうだな。だがな、かわいそうだからと言って野生の獣に人が手を貸すと、余計事態を悪化させるものだ。助けたとして、また自然に返すのか。治療をし、その間餌を与えて野生の牙を失った畜生なぞ、すぐに天敵に食われるか獲物を捕まえることができなくなり死ぬだけだ。もしそれでも助けたいというならば、そいつを飼うくらいの気構えを持ってしなければ、それはただのエゴだと俺は思う。だから俺は助けなかった。俺が住んでいる場所は孤児院だ。ペットなんて飼える場所じゃない」
そこまで言い切れば、勝ち気そうな少女は下を向き震えていた。些か言い過ぎたかと甲矢が反省していると、少女は顔をがばとあげ、叫んだ。
「あったまきたっ。だったら私が飼うわよ。獣医さんに診てもらえるだけのお金ならあるし、これでも沢山のペットを飼っているもの。その子をきちんと飼うわよ」
「……そうか。だったら、この子を頼む」
ハンカチでくるみ、甲矢は少女にイタチらしき獣を手渡す。
少女は受け取るやいなやものすごいスピードで走り去って行く。おそらく動物病院にでも駆け込みに行ったのだろう。残された二人は目を瞬かせるばかりで、おいていかれたと言うことに気づいていなかった。
「良いのか、おいていかれるぞ」
「にゃあっ、そうだった」
栗色の髪をツインテールにした少女が、猫のような鳴き声をあげた。だがすぐに勝ち気な少女を追いかけなかった。
「えっと、アリサちゃんが迷惑をおかけしました」
紫色の髪を腰まで伸ばした少女が、深々とお辞儀した。それを見た甲矢は自身の首に手を当てながら、少女に頭をあげさせる。
「いいや、あの子が言っているのは正しいさ。ただ俺はその正しいことができなかっただけの言い訳をしただけだ。それに、少し言い過ぎた。謝っておいてくれないか」
「そんなことないですよ、でも、わかりました。それじゃあ」
「ああ」
紫髪の少女が別れを告げると、ツインテールの子も慌てて頭を下げた。
「あっ、えと。それじゃあ、ありがとうございました」
その言葉に苦笑いを浮かべながら、甲矢は「じゃあな」とだけ残し、元来た道を戻った。後ろでは二人がアリサという少女を追って走っていた。
ツインテールの子が転んだ。再び猫のような悲鳴をあげた。
その様子に思わず含み笑いをした甲矢だが、手助けするよりも早く少女は立ち上がり去って行った。
「まったく、今日は面倒な日だ」
そう言い、甲矢は笑いながら林を後にした。
深夜布団にくるまる甲矢は、奇妙なほど胸がざわめき眠ることができずにいた。
カッチコッチと時計の音を聞きながら、甲矢はあきらめるように上体を起こす。水でも飲もうと冷蔵庫を開けた瞬間、声が聞こえた。それは不思議な声だった。誰もいないというのに確かに聞こえる。それも声が近づいたり遠ざかったりとする、ラジオのチューニングがうまくいかないような、不安定な声。
【お願いです。僕の声が聞こえる人がいらっしゃるなら、助けてください】
――幻聴。
脳裏に過ぎる言葉は一つ。それにしては余りにはっきりしているように思えた。幻聴というのはここまで生々しいのかと。甲矢は苦笑いを浮かべ、明日も幻聴が聞こえるならば医者にでも相談した方が良いかもしれないと考えつつコップに水を注ぐ。施設の人に迷惑を余りかけたくないが。
コップの縁に口をつけた。
【――ッ】
絶叫が脳裏を貫いた。それは悲鳴だ。それは慟哭だ。それは哭声だ。失われたものを求める声。失う恐怖に狂う声。がりがりと頭蓋骨の裏側をひっかき回し、幾度もこだまして己という存在を主張し続ける。甲矢のすべてを塗りつぶし、己のものとせんとばかりに。
コップが床に落ち、水がまき散らされる。甲矢は蹲り、頭を両手で押さえ込んだ。脈動するような痛みが僅かに軽くなる。目がちかちかとし、息が荒くなり、脂汗が流れ落ちていく。
「なんだ、よ。これ」
痛みをこらえながら、甲矢は身体を起こそうとする。しかし頭に響く声は甲矢の体力・気力を根こそぎ奪い取っていた。すでに立つことすら難儀で、甲矢はバランスを崩し壁に寄りかかる。そんな甲矢の中ではいまだ絶叫が続いている。
もはや猶予はなかった。幻聴だろうが何だろうが、その声を聴き続ければ、精神が狂ってしまう。甲矢はふらふらとした足取りで、ぼんやりした視界に鈍い思考を持って、声を止めるため動き出した。
甲矢が気がつけば、そこは海鳴市にある動物病院の近くだった。いよいよ持って絶叫は大きくなっている。頭が割れそうな痛みをこらえ、甲矢は歩き続ける。もはやなぜ歩いているかもわかっていなかった。
轟音が響いた。その音は甲矢の意識を覚醒させた。甲矢は迷うことなく音のした方へ歩んでいった。
「とうとう気が狂ったのか」
眼前の光景に、甲矢は己が正気である自信が無かった。黒い獣、いや化け物が暴れ回り、昼間見たツインテールの少女を襲っている。必死になって逃げようとしている少女だが、慌てすぎたのか足をもつれさせて転んでしまう。そしてそれは化け物にとって格好の的だった。
「い、いや……」
腰が抜けたのか、後退る少女。その少女へ迫る化け物。その瞳に理性は無く、ただ目の前の存在を壊そうという意思だけがらんらんと光っている。化け物がその身を撓める。ボールを叩いた瞬間のようにその身をゆがめた。
「畜生ッ」
頭の痛みも身体のだるさも全てを忘れ、甲矢は駆け出した。少女ごと倒れ込むように化け物の前から離す。風切り音を轟かせ、化け物はさきほど少女がいた空間を、その巨体を生かし高速でなぎ払った。
甲矢が振り返り見れば、コンクリートの地面が黒く焼き付き、焦げ臭い白煙を発している。あんな体当たりを食らえば、たとえプロレスラーだろうともミンチとなるだろう。血の気が引く。
「無事かッ」
「う、うん」
少女の返答を聴くや素早く立ち上がり、少女を助け起こし走って逃げる。
もはや頭の痛みなど抜かしている余裕はない。ただひたすら、必死に足を動かして化け物から少しでも離れることだけを考えなければならない。
「何だ、あれはッ」
「わ、わかんないよっ。誰かが助ける声が聞こえて、それでここに来たら襲われたんだもん」
「助けを呼ぶ声だと」
絶叫を聞く前、助けを呼ぶ声を甲矢は確かに聞いた。そのことを思い出すが、頭を振り思考から消し去る。今考えるべきは逃げることだけだ。幸い、化け物は溜めをしなければ素早く移動できないようで、二人は近くの茂みに身を隠すことができた。しかし化け物はゆっくりであるが動き回り、二人を捜しているようで、あちらこちらから這いずる音が響いている。
心臓が早鐘を打つ。息が荒くなり、ドクドクという音が耳からする。身体が震え出す。
(落ち着け、落ち着け。まだ猶予はある。見つかる前に逃げる方法を探せば……)
口を片手で押さえ、少しでも音が漏れないようにする。化け物の音が少しずつ離れていく。今ならば逃げられるかもしれない。だがすぐにその考えを甲矢は捨てた。運の悪いことに甲矢たちがいる場所は、長い長い直線の道路だった。こんな場所を走って逃げたら、最高速度の速い化け物から逃げられる余地はない。
次々と脈絡もなくそして非合理的な考えが浮かんでは、かき消えそうになっている理性で一つ一つ消していく。そんなことをしているうちに、叫びたくなる欲求に駆られるようになっていく。
段々と歯の根が合わなくなり、音を立て始める。すぐさま力一杯歯をかみしめる。こんなときでも歯が痛む。それが煩わしい。
――ガサッ。
二人の肩が跳ね上がる。二人が隠れた茂みの近くにある別の茂みがガサガサと揺れ動いている。
少女は身体を震わし、甲矢の服を必死につかんでいる。甲矢は少女を背中に隠し、様子を窺う。つばを飲み込む音がうるさく感じられた。意味がないとわかっていても足下の石をそっと拾い上げる。
ひときわ大きく茂みが揺れる。二人の身体に力がこもる。
「大丈夫ですかっ」
しかし茂みから出てきたのは化け物ではなかった。いや、ある意味は化け物以上に常識離れした存在であった。
昼間倒れていた小動物が、人間の、それも日本語を話すなど、夢としか思えない。
ぶり返した頭の痛みと闘いながら、甲矢は力を抜く。ぼとりと音を立てて石が落ちた。眼前の白昼夢は、理解できずとも化け物よりかはいくらかましな存在だった。
「……」
「どうやら怪我はないようですね。良かった……」
「昼間の、イタチさんなの。……本当に」
「ええ、そうです。ですが今はそれどころではありません。申し訳ありませんが、僕に力を貸してください。あれを止めなければ」
「力を貸せだと。正気か。子供二人にしゃべる愉快なマスコット一匹、それでイノシシよりも強靱な化け物を相手取るだと。マタギでも連れてこい。あるいは機動隊だ。話はそれからだ」
「待ってください、できるんです。いえ、あなた方二人以外はあれを止めることができないんです」
小動物は甲矢の前ですがるように頭を下げた。
「あれは僕たちの世界から流れ着いてしまったもの。詳細は省きますが、あれは魔力というエネルギーで動いています。その魔力エネルギーを分散ないし押さえ込むことができれば、あれは暴れることができなくなります」
「魔力だと、お前、魔法だなんだとかぬかすつもりか」
「そうです。あれは魔法によって動く厄災です」
「ふざけているのか。それだったらまだお前がどこかの組織が作ったロボットで、俺たちを利用しようとしているみたいな荒唐無稽な話の方が納得いく。あるいは俺がとっくの昔に狂っていて妄想を見ているという方がな」
「お願いです、信じてください」
「信じてほしいというならば、この状況を打開する案を出せ。荒唐無稽な餓鬼の戯言ではなく、実現可能な現実的な案を。でなければ貴様はただの薬物中毒者以下だ」
「あなたたちしかできないんです」
「黙れっ、お前の戯れ言を聞いて死ぬつもりはない」
甲矢は目の前の小動物を追い立てるように腕を振った。
そして視界を元へ戻す。視界のうちには化け物の姿はなかった。あまりの馬鹿さ加減に叫んでしまったため、化け物を引き寄せてしまったかと甲矢は考えたが、それは杞憂に終わったようだ。
「ねえ、本当にこの状況をどうにかできるの」
「は、はい。あなた方が力を貸してくださるならば」
「やめておけ、そいつに助けを乞うくらいならば、詐欺師に教えを請うた方がましだ」
振り返ることなく甲矢は吐き捨てた。だが少女は聞く耳を持たないようで、話を続ける。
「どうすればいいの」
「これを持って、呪文を唱えてください」
「呪文」
「ええ、あなたの心に浮かんだ言葉をそのままに」
甲矢はため息を漏らしあたりに注意を払う。どこからかはわからないが、再び音が近づいている。冷や汗がこめかみを伝う。震える腕を腹に押し当て、震えを無理矢理に止める。
――ズザッ。
「上だッ」
振り返れば、化け物は上空から落ちてきていた。迂回してきて、後ろをとった上で飛んできた。明らかな知性に驚く暇もなく、甲矢は二人に警告を飛ばすが、もはや間に合う道理はない。
必死に駆け出そうとするが、先程まで走り続けたうえにしゃがみ続けて酷使した脚は言うことを利かず、甲矢は足をもつれさせてしまい転んでしまう。
咄嗟に頭を上げる。その脳裏には、つぶされた二人の姿があった。
だが見えた光景は予想を裏切っていた。そこには淡い桜色の光を放つ少女の姿があった。いつの間にか着替えたのか、学生服らしき衣装を着、長杖を携えている。長杖は少女の背丈ほどもあり、先は音叉のように二叉に分かれている。別れた先は片方が長く、二つの間に赤い宝玉のようなものが鎮座している。そしてその光は宝石を中心に発しており、何らかの力場を生み出しているのか、化け物をはじき飛ばしていた。
「馬鹿な、まさか本当に魔法なんて……」
唖然とし、甲矢は倒れたままその光景を静観するしかできなかった。常識が崩れていく。
「な、なにこれっ。何が起きているのっ。私の着ているこの服はなんなのッ」
「落ち着いてください、それはバリアジャケットというものです。あなたの身体を守る鎧みたいなものです」
「わ、わかったの。でも私は何をすれば良いの。よく考えれば、私魔法の使い方なんて知らないよっ」
「落ち着いて集中してください、大丈夫です。レイジングハートが手伝ってくれます。イメージをしてください。自分の力を解き放つイメージを」
少女は胸に手を当て目を瞑る。すぐに少女を中心に、桜色の魔方陣が現れる。それに同期して宝玉を中心に同じような魔方陣が現れる。そしてそれが最大半径を形成するや、淡い桜色の光は凝縮され解き放たれた。それはまるで光線だった。一直線に突き進むそれはレーザーのようで、とても力強い。威力の余波で、甲矢の髪がかきみだされる。
だが化け物は疾速に飛び跳ねる。その高さは信じられないほど高い。ビルの三階建てに匹敵するほどだ。哺乳類の限界を軽々と超えている。少女の魔法とやらは、化け物がいた場所をまっすぐ突き抜け、空振りに終わってしまう。
「集束型だってッ。いや、まずい。魔法を初めて使うというのに集束型だとしたら、まともに狙いをつけることなんてできやしないッ」
慌てふためく小動物に、甲矢は覚悟を決めた。
「おい」
「えっ」
「さっきは悪かった」
頭を下げた。訳のわからないものに巻き込まれ、さらには小動物風情に頭を下げる。それは屈辱と言えよう。だがそれでも生き残るために、甲矢はそれを受け入れた。唇を噛みちぎり、生暖かい塩味の利いた液体が口の中に広がる。
その間にも少女は必死になって魔法を打ち続けていた。弾幕を張らなければ、化け物はあっと言う間に襲ってくるだろう。そうなればおそらく最初に死ぬのは甲矢だ。次に少女が殺されるだろう。そんな最悪の未来は避けなければならない。
「その上で訊くが、どうにかする方法があるか」
「それは……ありません。僕にはもう魔力が残っていません。魔力があるのはあの子とあなただけです。でもあの子は今戦っており、あなたに至っては魔法を使えません」
「だが、イメージとやらで魔法を使えるようになるのだろう」
「それはデバイスがあるからです。あの子に渡したデバイスはとびきり優れたもので、それがあるからこそ初めてでも魔法を使えるんです」
「そのデバイスというのはもうないのか、予備か何かはっ」
「あるにはあります。ですが、それは誰にも使えないんです。以前発掘したときに出土したもので状態は完璧ですが、誰が魔力を流してもうんともすんともいわず、結局壊れたものとして僕が記念としてもらったんです」
「……くそったれッ」
甲矢は地面を蹴り飛ばす。何か方法はないか、何か手は、あるなら何でもしてやると内心で考え込んでいたとき、再び頭痛が襲った。あまりの痛みに立つことができず、膝から崩れ落ちる。
何かが聞こえる。それは琥珀色の蠱惑的な声だった。
『戦いを、争いを、戦争を望むのですか』
それは荒々しい力が込められた声だった。屈辱の中に生まれ、汚濁にまみれ育ち、それでもなお絶望を友に最期まで戦い続けた怨嗟の声。その声は問いを続ける。嘘偽りは許さないとばかりに力強く。
『あなたは何のために戦うのですか』
「生きるためだ」
迷うことなく意識する必要すらなくその言葉が甲矢の口から出た。
『生きるため……。ああ……人類は、人間は、いついかなる時でも変わらないのですね。……権力を求め闘うくだらない人々を長い間見てきました。しかしそれでも生きるために戦う、そのことを覚えている人はいたのですね。いえ、いるのですね。良いでしょう、ならば私も再び飛び立ち敵を粉砕しましょう。私の翼は困難を飛び越え、私の銃は怨敵を打ち砕く。そして私の力は全ての事象を屈服させ、破壊する。識別名称 R-102 LAST-ARROW、起動します』
小動物の身体から何かが飛び出し、甲矢の前に浮いた。それは一本の棒だった。への字形をした機械的なデザインをしたただのロッドだ。ぐんぐんと拡大していたそれが伸びるのを止める。無意識に甲矢は手を伸ばす。
指先がロッドの表面に触れる。一瞬痛みが指の腹に走るが、すぐにそれは消え去った。いや、それ以上の衝撃に打ちのめされ、気にする余裕など消え去った。
甲矢の頭に何かが流れ込んでくる。最初それはあやふやなものだった。モザイクをかけたようで、ただぼんやりとした白い影だった。しかしすぐにそれははっきりと克明となり、甲矢に伝える。
――それは涯てることない戦いの記憶だった。人類と■■■との生存戦争の。
「大丈夫ですかッ。そんなあれが動くなんて」
耳元で聞かされた大声に、甲矢は意識を取り戻す。LAST-ARROWに触れた瞬間倒れてしまったらしい。頬に地面の冷たさが伝わる。ゆっくりと身体を起こすが、その動きは緩慢だった。立ち上がっても、身体はふらつきコンディションは最悪といえる状態だ。
「だ、大丈夫なんですか」
不安げに見上げてくる小動物に大丈夫だと返し、甲矢はLAST-ARROWを両手で握る。生まれたときから身体の一部だったかのようになじむ。そのことに恐怖を覚える暇もなかった。
『戦うかぎり私はあなたの味方です。さあ、初陣と行きましょう。まずは私を構えてください。戦うのならば武器をとりなさい』
指示されたとおりにする。ロッドは重さを感じない。甲矢はふらつきそうな身体を、脚を広げて支え立つ。
『まだあなたに与えた記憶は消化できていないでしょう。ですのでこの戦いだけは私の指示に従ってもらいます。そうすれば生き残れます。さて状況の把握を行いましょう。味方は集束型魔導師一人、そして私たち。敵戦力はジュエルシード暴走体。戦場は住宅街および森林地帯でどちらも密集地域。移動を制限されやすく、隠れる場所が多いため奇襲を行いやすい環境です。そして今回の勝利条件は、あのロストロギア・ジュエルシードの暴走体の消滅ないし封印です。作戦は私たちがジュエルシード暴走体を足止め、そこを集束型魔導師により殲滅ないし封印を行うというストーリーです。わかりましたか』
「あ、ああ。だが足止めというがどうやってするつもりだ」
『問題ありません。宣言したはずです。すべて私の指示に従えば、勝つことができると。まずは、移動を。この状況で何かしようとも、フレンドリーファイヤーを起こしてしまうだけです。ならば射線を確保するために走るだけです。さあ、急ぎなさい。戦況は常に動くのですから』
未だふらつく身体であるが、甲矢は言われたとおり駆け出した。
「あっ、どこへッ」
「そこにお前はいろッ、俺たちでなんとかする」
高町なのははただの小学生だ。たとえ家族の大半が古流剣術を習得していたとしても、彼女自身は親兄弟のように戦った経験などない。だがそれでも戦えているのはデバイスであるレイジングハートの手助けと、彼女が持つ才能のおかげだろう。
現状でなのはが暴走体へ魔法を直撃させる確率はほとんどゼロだ。そのため、現在は弾幕を張ることで暴走体を近寄らせないようにしている。これはなのはが豊富な魔力を持っていなければできなかっただろう。次々と魔法を放ち、暴走体を足止めし続ける。しかし暴走体は飛び跳ねたりするため、必然的に弾幕の密度が薄くなりがちだ。じりじりとなのはは押し込まれている。
「くうぅ。このままじゃ負けちゃうよ、レイジングハート、何かない」
『この状況で賭けにでてしまえば、十中八九負けてしまうでしょう。そしてその負け分、私たちの生存は遠のきます。マスター、絶望的に見えるかもしれませんが、むしろ今は私たちに有利な状態です』
「それはどういうこと」
『私の所有者であるユーノ・スクライアは非常に優れた頭脳を持ちます。また彼の近くにいた少年もなかなかの戦術眼を持ち合わせているようでした。この状況を打開する案をきっと見つけ出すことでしょう。それまでは私たちが持ちこたえなければなりません』
「わかった。けど、そう長くは持たないよっ」
なのはの言葉通り、この状況は長く持たないだろう。レイジングハートの言葉も、結局なのはを励ますためについた嘘に過ぎない。状況はなのはたちにとって不利である。
魔法を使えても、攻撃が当たらないのでは意味がない。そもそも戦いの経験がないなのはにとって、戦い続けるという行為は肉体面でも精神面でもストレスとなり、体力・気力を大きく削っていく。遠からず、魔法も打ち止めになるだろう。
焦る気持ちはだんだんと攻撃にも表れていく。狙いが徐々に甘くなっていき、弾幕の密度が少しずつ薄れていく。
高町なのはの名誉のために断言するが、彼女は良くやっている。ただの少女が突如戦いの場に巻き込まれ、それでいて超常の力を使う羽目になり、ただでさえ体力・気力が消滅してくというのに、さらには自分が失敗すればほかの者も巻き込まれてしまうとというプレッシャーにさらされながら戦い続ける。もはや拷問のような現状で、防衛戦を丁寧に丁寧にこなす。それは戦闘のプロですら難しいことだ。援軍もなく孤立無援で戦い続けるというのはそれほど難しいことだ。だがそれを高町なのはし続けた。良くやっているという言葉以外送りようがないだろう。
それでもなのはは人間だ。いつしか限界が訪れてしまう。
甘くなった弾幕は、必然暴走体のチャンスに繋がってしまう。暴走体は再び力を溜めて飛び跳ねた。しかし今度は前に跳ねたわけでも、上空へ跳ねたわけでもない。暴走体は住宅街の塀に向かって跳ねた。
まるでピンボールのように壁を利用して反射を繰り返し跳ね続ける暴走体に、なのはは迎撃のために兎角魔法を撃ち続けるが、余りに速くランダムに跳ねる暴走体に魔法がかすめることはなかった。
迎撃を選択したため、なのはにはもう暴走体の暴威から逃げる時間はなかった。とっさになのは目を閉じる。無駄だとしても腕を交差して、衝撃に耐えようとする。
轟音が響く。
だがなのはは無事だった。恐る恐る目を開けてみれば、暴走体が地面にめり込んでいた。暴走体の周囲は空爆を受けたかのような有様で、所々アスファルトが溶けたいやな臭いを発する大きなクレーターができあがっていた。
「これって」
『援軍のようです。いやはや、なんとも強力な。私たちも負けていられません』
なのはがあたりを窺うと、建物の屋根に少年がいた。その少年はさきほど自分を助けてくれた人で、今もまた助けてくれた恩人だ。その少年は掌を暴走体へ向けており、次々と何らかの魔法を撃ち込んでいる。
真っ赤な線が宙を走ったかと思うと、凄まじい轟音が響き、アスファルトの破片があたりに飛び、土煙が舞う。それほどの威力の攻撃を連射し、少年は暴走体をクレーターに縫い付けていた。
「今だッ、俺たちが縫い止めている間に早くッ」
「う、うん。行くよ、レイジングハート」
『ハイ。今度は私たちの力を見せつけてやりましょう』
レイジングハートを両の手でしっかりと握り締め構える。頭に浮かび上がったイメージを信じ、なのはは魔法を発動させる。先程よりも遙かに屈強な魔法が暴走体を撃ち抜いた。
目を覆ってしまうほどの閃光があたりを照らし出す。それがはれると、暴走体のいた場所に、菱形の宝石らしきものが浮かんでいた。あたりに暴走体の姿は影一つない。
『ミッションコンプリートですね』
「う、うんっ」
なのは満面の笑顔でレイジングハートの言葉に同意した。
民家の屋根の上で甲矢は倒れ込んだ。
小動物と別れてすぐ、甲矢は塀を利用して近くの民家の屋根に飛び乗った。それは射線を確保するためだった。少女を誤って撃つことなく、そして暴走体を的確に撃ち抜ける射線を。また、攻撃まで敵に居場所を見抜かれない。それらの条件を満たすのが民家の屋根の上だった。
『初陣としてはなかなかの成果です。良い経験を積めましたね。立体的に戦況を捉えることこそが戦場において重要とわかったことでしょう。敵の上をとることの重要性を実感したはずです。さて、少年。立ちなさい。弱音を聴くつもりはありません』
「なんとも、厳しい言葉だな」
『それが生きるために戦うことに必要な能力です。動けなければ死ぬだけ。たとえどんなときでも素早く動けるようにしなさい。たとえ脚を失っても、這ってでも動きなさい』
身体中を駆け巡る激痛と戦いながら、甲矢は起き上がった。それだけで身体がばらばらに引きちぎれそうになる。だが再び倒れるつもりはない。LAST-ARROWを杖代わりに、ゆっくりであるが動き出す。
【聞こえるか】
【ひゃ、な、何。また声が】
【念話というものらしい。思ったことを伝えることができるそうだ。あの小動物を確保してくれ。それとすまないが俺の身体は限界に近い。今日はもう帰って休ませてもらう。後日再び連絡するから、そのときくわしい話をしよう】
【あ、う、うん。。……大丈夫なの】
【……問題ない】
体調は最悪だった。身体は高熱を発し、頭は緊箍児で締め付けられているようで、全身はアトラスのように重い。それでも甲矢は生き残った。生存競争に勝った。
そしてこれが九条甲矢の、血で血を洗い続ける戦いの始まりとなった。