如何にして隊長を尊敬している戦車道に対して真面目な黒森峰女学園機甲科生徒達は副隊長の下着を盗むようになったか   作:てきとうあき

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第四話 【良く聞いて、あなたは私の白馬の騎士なのよ。】

 -1-

 

 

逸見エリカは熊本の裕福な家庭に次女として生まれた。

由緒ある家という訳ではないが、事業に成功した祖父と優秀な入り婿の父の収入もあって、その経済規模は西住の家と比較すると流石に大きく見劣りするが、平均水準を多大に上回っていた。

客観的に見てこの家庭は概ね理想的な家庭だったと言えるだろう。

夫婦間は良好な関係を維持し、親として二人の娘を良く愛していた。

姉も年の近い妹をとても可愛がっていた。

欠点を強いて挙げるなら、家族全体が少々この末女に対して甘過ぎるきらいがあったが、それも平穏な家庭の要素の一つとも言えるだろう。

しかし、それらが無条件の幸福を保証するかと言えば、そうとは限らないのも現実である。

 

ドイツ人である祖母の血が色濃くでたのかエリカは綺麗なプラチナブロンドの持ち主であった。

容姿も白人の血が流れている事が一目瞭然であり、彫りが深く端的に言えばアジア人離れした端正な容貌であった。

人間が集団になった時、異色の存在が加わると概ね二つの反応に分けられる。

即ち特別視して上位に置かれるか排他されるかである。

これは特に児童の間では顕著であり、大抵は後者のパターンに落ち着く事が多い。

つまり、被差別階級の対象として認識される事が割合的に多いといえる。

ところがエリカの場合はまず本人の資質が非常に高かった。

頭脳面は勿論、体力面でも同年代の男子相手にも引けを取らなかった。

子供の場合は様々な要素でカーストが決定されるが、この二つは"階級分け"に置いて重要な要素である。

であれば特殊な容姿も仮に特記たる能力も無く性格も内向的であれば減点要素であっただろうが、能力を示し性格も外交的であったエリカにはむしろ加点要素となった。

これによりエリカは幼稚園時代から集団の中で最上位の階級につく事に成功した。

この時はまだエリカの強い正義感も良い方向に働いていた時期であったといえる。

まだ大人の言う事を正しい指針としてのみ受動していた(それをどの程度真面目に受け取るかは個々に拠るが)事もあって、"正しい事"を通す者は一定の価値観の元で評価されていたからだ。

しかし、小学校に進学するとそうも上手くいかなくなってきた。

幼児に比べて飛躍的に聡くなるこの時期では大人の言う事は全面的に正しいものとして一方的に感受する物ではなく、自身等を拘束する不当な物と感じるようになっていく。

これは精神年齢が高くなった事により、思考の幅が広がり、独立心と自尊心が成立していく事に起因すると言えるだろう。

それでもまだ少なくとも表向きにはエリカは排斥されていなかった。

知性面と肉体面に置いて優秀であったエリカは小学校でもクラス内でも高い地位に置かれていた事もあって、彼女がリーダーシップを発揮して主導していく事は全員が受け入れていた。

しかし、ある時にエリカによって糾弾されてクラス中から非難の声を浴びせられながら憎憎しげな視線でエリカを見つめていた少年が、

別の機会にエリカが別の少女を注意していた時にそれに乗るように周囲と一緒にその少女を非難している光景はとてもではないが健全な状況と言えなかった。

 

ある日、エリカが珍しく忘れ物を教室にして取りに戻った時、既に皆が帰ったはずの教室から話し声が聞こえてきた。

それが聞こえた時、何らかの予想かまたは感によってかエリカはそっと足音を殺して聞き耳を立てた。

 

「何時までこんな事してなきゃならないんだろうね」

「この学校ってクラス替えしないからね……」

 

それは普段良くエリカと一緒にいる二人であった。

少なくとも学校生活において最もエリカと一緒にいる時間が長いクラスメイトである事には間違いない。

 

「もう疲れちゃったなぁ…」

「……逸見さんの傍にいればマシだと思ったんだけどね」

「台風の目こそ無風で一番安全だと思ったのに……」

 

ガンッという音が扉越しに聞こえた。

音の発生源から推測するに……それは恐らくエリカの座席が蹴られた音であっただろう。

 

「もう耐えられない…!」

 

「でも……今更離れられないよ…。

 不自然に離れたらもっと目をつけられるかもしれないし…」

 

「……明日もまた逸見さんの傍で逸見さんの言う事に頷かないと…」

 

そこまで聞こえた時、逸見は忘れ物の事など失念して静かに後ずさりした。

 

「……逸見さんがこの学校に来なければ良かったのに…!」

 

その声と共に再びエリカの席が蹴られる音を背にしつつ、涙を流しながらエリカは足音を殺しながら去った。

 

エリカは家に帰ると何処か落ち込んだ様子に心配する家族の視線を振り切って自室に戻るとそのままベッドに飛び込んだ。

友人と思っていた存在に裏切られたから泣いている……そういう訳ではなかった。

その気持ちが無いといえば嘘になるだろう。割合としても確かに大きい。

しかし悲しみの原因を構成する割合ではなく基幹という点で言えばもっと別の気持ちがエリカを悲しみに導いていた。

驚き、そしてショックではあったが……同時にエリカは薄々と何処かで察していたのだ。

その高い知性面と精神性によって無意識に現状を推察と検証していたエリカは、自分を客観的に見る事もできた。

その結果、自分が恐らくは口煩い厄介な存在であると認知されているであろう事は十分ありえる事であると自分でも認めていたのだ。

エリカが正しいのは間違いない。

それはエリカのみならず疎んでいる側も理解している事である。

しかし、正しいという事が常に歓迎されるかというと別である。

 

『人に最も簡単かつ効率的に嫌われる方法は正論を吐き続ける事である』

 

誰が言ったかは不明であるが、少なくともこのエリカの状況に置いて真理であっただろう。

それでも確認しなければ不明のままであった。

世界は自分の主観によってのみ描写されるのだから、自分の知らない所は存在しないも同義である。

であればエリカが真実を探索しようと、箱を開けて事実を確定させなければエリカにとってみれば可能性は波動の揺らぎを抱えたままであった。

しかし、今エリカは箱を開けてしまい、恐れていた現実という悪魔を開放させてしまった。

これがパンドラの箱であればラプラスの悪魔だけを箱のそこに残して"不確定性原理"という希望が残ったであろうが、残念ながらエリカが開けた箱は現実を確定させるシュレディンガーの箱であったのだ。

 

無論、結果のみならずそれに至るまでの過程と原因も察していたのだから、幾らでも改善の方法は見出せていた。

最もシンプルかつ効果的な方法は当然ながらエリカが口煩くする事を辞めれば良い。

それはエリカも重々承知していた。

しかし、幾らそう心がけていても、いざそういった場面に直面するとどうしても口にだしてしまうのだ。

エリカ自身はこの性分を自分でも疎んでいたが、自分の性格の短所を自覚したからと言って簡単に改善できれば人間はそう苦労はしなかっただろう。

 

それ以降、エリカは少しずつ態度が変化して言った。

例えば学校についての家族との会話「友達が~」と表現していたのを「クラスメイトが~」「同級生が~」と表現するようになったり等である。

……そう、エリカは友達が欲しかったのだ。

しかし、エリカが(本人としては)気軽な態度で取る様に臨んでも、もはやクラスメイトはエリカをそういった存在として認識していなかった。

別に表立って排斥されたり苛められたりされた訳ではない。

むしろ、依然としてエリカはカーストの中でトップに君臨していた。

エリカが遊ぼうと声をかければその子は他に何をしていてもエリカとの遊びを優先させた。

エリカが何かに誘えば誰かに断られる事はなかった。

それでもエリカからすれば友達としては見れなかったのだ。

何故なら、別の人間と楽しそうに話している時と自分が話しかけた時を比べて、口に出す言葉や態度は大体同じであっても、その表情と目が違っている事がエリカには解ってしまっているのだから。

……実際、相手からしてもエリカを友達とは見ていなかっただろう。

 

 

 

 

-2-

 

 

夏休みに入るとしばらくの間、エリカは祖父の家に泊まる事になった。

これは原因を明確には察していなかったが、エリカが何処か気分が暗くなっている事に気づいた両親が気分転換にと薦めた事であった。

エリカ本人も祖父も祖母には懐いていた事もあってこれには了承した。

両親は車で送ると言ったが、エリカは交通機関を使って一人で行きたいと主張した。

これには思春期特有の自立心と独立心からくる物であったが、同時にエリカ自身の人に頼らない気質もあっての主張だっただろう。

娘を溺愛しているといってもよい両親はこの案に不安を示したが、同時に娘に甘いといってもよい両親は最終的にこれを許した。

初めて一人で交通機関を利用して遠出するという行為は冒険心を感じさせ、エリカの気分を若干ではあるが晴れさせる効果があった。

 

青い空の中で僅かだがくっきりと白く存在を主張する雲が疎らに散らばる晴天の下で、エリカは日差しを麦藁帽子で遮断しながらも汗を流しつつエリカは祖父の家にたどり着いた。

エリカの祖父は経済的成功者の家なだけあって、平均よりはかなり広いであろうエリカの家を更に上回る広さを持っていた。

木造の古風とも言えるが決してボロさと古臭さは感じさせず、趣きと落ち着きを感じさせる家であった。

エリカは家を囲む高い塀の周囲をぐるりと回り、大きな門にたどり着くとその横にある人が出入りする為の小さな門についていたインターホンを鳴らした。

 

『何方様でしょうか?』

 

「こんにちわ、エリカです」

 

『まぁまぁ、お待ちしておりました!

 旦那様も奥様もお嬢様のご到着を楽しみにしてましたよ!

 少しお待ちくださいね』

 

しばらく待つと門が開き、そこには予想していた使用人の姿ではなく、満面の笑みの祖父と祖母が自ら可愛い孫娘を迎えに来ていたのを見てエリカは若干の呆れを見せていた。

 

 

エリカが懐いているように、祖母もこの異国の地で自分の血を一番色濃く受け継いでいる孫娘を溺愛しており、祖父も自分の愛する妻の面影を一番感じさせる孫娘を愛していた。

初日に豪勢な山の珍味によって大歓待を受けたエリカはこの静かな地で普段からは考えられないほどゆっくりと過ごしていた。

たとえ休みでも自宅ではこの様にだらりと何もしないで寝そべっている事などした事もないだろう。

この遠く離れた静かな田舎がそうさせるのかエリカは久方ぶりの休養を取っている気分であった。

そんなエリカに祖母も祖父も少しは外にでてみてはどうか?等といった言葉は一切投げかける事は無く、起きたい時に起きて寝たい時に寝るというエリカを何時までも好きな様にさせていた。

 

そうして数日ほど過ごしているとエリカの中で溜まっていた疲れが解消されたのか、外に遊びに行こうと思い立った。

それを告げると祖父母はやはりにこりと笑ってここに来た日に被っていた麦藁帽子を出してくれて、何時の間に用意したのかエリカの寸法丁度の白いフリルが沢山装飾されたワンピースを着せてくれた。

そして「暗くなる前に帰ってくるんだよ」とだけ告げて幾らかのお小遣いを持たせて見送ってくれたのだった。

服の趣味に関して学校の"友人"達には公言していないが、こういった少女趣味の服装をエリカは好んでいたし、家から持ってきた白いウサギのヌイグルミを抱え込んでみるとよく似合っていた。

この新しい装いで外を久々に出歩く事は大きくエリカを高揚とさせた。

 

日差しがちらちらと降り注ぐ中をエリカはどこまでも続く田園の風景の中を歩いていた。

汗が全身から滲み出ていたが元々活発的であったエリカは久方ぶりに体を動かした事もあってそれすらも心地良かった。

そうして歩いているときゅらきゅらと何かが近づいてきた。

それは巨大な……いや、実際には"ソレ"はむしろカテゴリー的には小さい方であっただろう。

しかしまだ幼いエリカにとって始めて目にした"ソレ"は力強く、重厚で、巨大な物と目に映った。

眼前を横切る鉄の塊をよく見ると子供が……自分と同じ年代の子供が二人乗っていたのだ。

ある意味では戦車道の本場ともいえる熊本に住んでいるだけあって、エリカも知識としてはソレがなんであるかは知っていた。

ただ本や伝聞だけで知りえた知識のとは違い、いざそれを直接目にすると、エリカは圧巻されてしまったのだ。

エリカはつい昔までは自分らしく思うままに自由に生きてきたと思っていた。

しかし、実はそうではなく、自分を殺して周囲が求める理想像を演じていた事を最近理解した。

しかも、それすらも求めておきながら疎ましがられていたのだ。

エリカはもはや自分らしく生きるという事が解らなくなっていた。

いや、より正確に言うのならば自分らしいということが解らなくなっていたのだ。

そんなエリカの前に自分の理想する生き方を体現したような存在が現れた。

どんな障害にも負けず、大きく思うがままに直進していく鋼鉄の塊を……。

 

「貴方!子供だけで戦車を動かしちゃいけないのよ!」

 

つい口から出た言葉にエリカは瞬時に後悔した。

本当はこんな風に喧嘩腰に声をかけるつもりは無かった。

戦車には興味があったし、できればお願いして載せて欲しかった。

また、この見知らぬ土地で始めてであった同年代の子供である。

それも初対面で学校の同級生の様にしがらみが無く、エリカに対して悪印象がある訳ではない存在だ。

できれば仲良くなり、そして友達になってほしかった。

ところがエリカの生来の"癖"がついついマウントを取る様な発言をさせてしまったのだ。

二人の(……容姿からでは性別の判別がつき難かったが、格好からして恐らくは)少年達はエリカの発言に互いに顔を見合わせた。

 

きっと嫌われただろう。

誰が好き好んでこんな面倒臭い奴とかかわるだろうか。

 

そう思いながら内心で自嘲していると、片方の活発そうな男の子がキューポラから降りると

 

「ほら、一緒に乗ろう!」

 

と笑顔と共に手を差し出してきたのだった。

 

「……戦車に乗りたかったんだよね?」

 

「だ、誰が!」

 

「一緒に乗ろう!ね!」

 

「……」

 

エリカはおずおずと手を取ると、少年はエリカをキューポラに引っ張り挙げた。

 

「……うわぁ」

 

普段見る視点よりはるかに高く、そして遥か遠くまで見渡せる。

始めて戦車の上からみる光景にエリカは感嘆の声を自然に漏らしていた。

あの遠い空でさえ、現実的には僅か何メートルか近づいただけだろうに、エリカには手を伸ばせばあの白い雲ですら掴み取れそうな錯覚を覚えていた。

 

「じゃあ、パンツァーフォー!って言ってみて」

「ぱ、ぱんつぁー?」

「パンツァーフォー!戦車前進って掛け声だよ」

「ぱ、パンツァーフォー!」

 

エリカがそういうなり操縦席にいたもう一人の少年がペダルを踏み込み、戦車はエンジンから猛音を奏で、振動と共に力強く動き出した。

 

「……うわぁ!!」

 

エリカは先程と同じ様な、それでいてより心の底から漏れた様な声を出した。

見渡すような視点の高さ、風を感じながら移動する爽快さ。

まるで今まで感じていた悩みが馬鹿馬鹿しくなるような瞬間だった。

自分の理想の生き様と感じていた戦車の力強さ。

今まさにそれと同体になっている。

エリカは何処までも行ける様な万能感を感じていた。

 

「……ね?戦車って楽しいでしょ!?」

 

ふと隣を見ると自分の手を引っ張ってくれた男の子がニコニコしながら此方を見ていた。

エリカは子供っぽい部分を見られたと恥ずかしくなり顔を赤くしたが……その子の邪気の無い笑顔を見て何だか自分も妙におかしくなってきた……。

 

「……そうね、楽しいわね!」

 

そうして戦車の上で二人で笑いあった。

 

 

 

 

-3-

 

 

その後、日が落ちるまで遊んだ三人はまた会おうと約束をして解散した。

すっかり遅くなった事にエリカは慌てて帰ったが、家をでる時と帰ってきた時のエリカの表情の違いに気づいた祖父母は叱る事無く「楽しかったか?」とだけ聞き、それにエリカが元気良く返事をすると「そうかそうか、それは良かった。じゃあ次からは心配するから日が落ちる前に帰りなさい」とニコニコしながら言った。

夕食時に祖父母が今日の出来事を聞くと、エリカは普段の年に似合わずクールな様子からは想像できない様子で少しばかり興奮した様に二人の少年と出会った事を語ったのだった。

 

それからエリカは毎日の様にその兄弟と待ち合わせして遊んだ。

と言ってもどうやら兄の方は小学生であるにも関わらず家の都合で忙しい時が多く、弟の方と二人で遊ぶ機会が多かった。

戦車に乗って山や川に行き、水に濡れながら魚や昆虫と遊ぶのはエリカにとって初めての体験であった。

……いや、遊びの内容の問題ではなく、そもそもエリカにとって同年代の子供と遊ぶという事自体が初体験であった。

そういう意味ではエリカは今まで幼年期に誰もが感じていた楽しさを知る事が無く、そして今始めてその当たり前を感じたのだ。

ケラケラと笑い合いながら夕陽が朱くなるまで気持ち良く体を動かして遊び、そして別れる時に明日の再会を約束して手を振る。

男の子に教えられて一緒に戦車の上で飲んだラムネの味は今まで飲んだどの飲料よりも美味しかった。

祖父母も中年女性の使用人も日が経つ毎に年相応の子供らしい笑顔と活発さを取り戻していくエリカを微笑ましい様に見守っていた。

 

男の子と遊ぶ時は常に戦車が傍にあった。

これは単に遊びに行く時の移動手段という訳でなく、日によってはエリカを乗せてただひたすら戦車で駆けるだけの時もあった。

このある意味ではエリカにとって理想の体現である戦車に搭乗するという行為は、まるでエリカ自身がそういった存在になれたかの様な錯覚を覚えさせた。

 

「うん、だって戦車だもん」

 

ある日、何気なくその事を男の子に話すと当たり前だよ?と言わんばかりの表情と共にそんな答えが返ってきた。

 

「だって戦車道はりょうさいけんぼの……ええっと、ともかく立派な女性になれるしゅくじょの嗜みなんだよ!」

 

困惑しているエリカを見て彼は更に言葉を重ねてきた。

なるほど、そういった言葉は確かに聞いた事がある。

贔屓目に言っても年齢からすれば"博識"と称されてもおかしくないエリカにとってこの熊本に住んでいれば戦車道の基本的な知識は知っていてもおかしくは無い事だった。

そして戦車道が掲げる理念である『礼節のある、淑やかで慎ましく、凛々しい婦女子』はエリカの理想とも言える存在であった。

 

「……私もなれるかな」

「え?無理でしょ?」

 

何気なく零したエリカの呟きに男の子が即座に否定を返した。

一瞬、何を言われたのか理解が追いつかなかったエリカに男の子は何を言っているんだろうと言わんばかりの表情だった。

やはり自分みたいな存在にそんな女性は無理だったのだろうか?それとも戦車道の理想の体現は生半ばでは不可能なのだろうか?

そんな思いと同時に"友達"と思っていたこの少年に真っ向から否定された事が何よりも悲しかった。

 

「……そうだよね…」

「うん!だってエリカちゃんは優しいし可愛いし……もう立派なしゅくじょだよ!」

 

振り向くとそこには何時ものようにニコニコと笑顔を浮かべている少年がいた。

お世辞でも社交辞令でもなく、当たり前の事だと言わんばかりの様子であった。

 

「……嘘よ!私、可愛くないもん……。

 生意気で口うるさくて……嫌われていて…」

 

それはエリカの自分自身を客観的にみた自己分析であった。

自分の発言や態度とクラスメイトの反応を省みても、どう考えてもそういう結論に落ち着くのだ。

そしてそれは恐らくは間違っていないだろう事も……。

 

「それ、誰が言っているの?」

「誰って……」

「そんな事を言う人は見る目がないよ!節穴だよ!

 だって……エリカちゃんは遊んでいてもとっても優しいし一緒にいて楽しいし……

 それに…」

「あっ…」

 

そう言いながら男の子はエリカの手を強く握ると、真っ直ぐな目でエリカの目を見つめた。

 

「……うん!やっぱり可愛いよ!

 青い目も銀色の髪の毛も綺麗でお人形さんみたいだし、それに笑った顔はとっても暖かいし…。

 私、エリカちゃんの笑顔好きだよ!」

「……ちょっ!待って…」

 

エリカは己の顔が熱くなるのを自覚した。

家族からは確かに良くエリカは美人さんだとか褒められた事はあった。

だが、それは身内贔屓だろうとエリカは思っていたし、事実、他人からその様に称されたことなんて一度も無かった。

実際にはクラスメイトから……それもエリカに近い取り巻きほどエリカの容姿を褒める言葉は多く出てきたが、その言葉の向こうにある本音は硝子より透けて見えていた。

しかし、こんな風に別の意味で透けて見える賞賛を受けたのは始めてであった。

その言葉は自分自身を一切隠す事無く、飾る事無く、発言者の素直な心を水晶の様に透き通らせていた。

こんな風に明け透けも無く人を褒める事ができる人に出会ったのは初めてであった。

同時に、それが自分には決してできない事だとも自覚していた。

 

「…私、可愛い?」

「うん!」

「……そっかぁ」

 

初めて人に……それも異性に可愛いと言われてしまった。

しかし……思い返せば確かに初対面の時を除けばこの男の子と付き合ってから角が取れた対応をしてきた気がする。

口煩く無く、正義感を振りかざす事無く、上位に立とうとせず、ごく普通に友人として接することができた。

それはよくよく考えればエリカが此方に来る前に望んでいた自分の姿だったのかもしれない。

 

「……じゃあもっと戦車道について教えてあげる!」

「戦車道を?」

「そう!エリカちゃんが自分がしゅくじょかどうか不安なら戦車道を知ればもっとしゅくじょになれるよ!」

 

それはエリカにとって魅力的な提案であった。

もっと戦車道に精通すればより理想の自分に……別の言い方をすれば家に帰り、夏休みがあけた後の学校でもこの少年に相対しいている今の時の自分を維持できるのではないかと思えたからだ。

 

「……うん、戦車道やってみたい」

「任せて!わたしがエリカちゃんを立派なしゅくじょにしてみせるよ!」

 

こうしてエリカはこの少年に戦車道について教わる事になった。

と言っても後に本当の西住流戦車道を学んだエリカがこの時の事を振り返ってみても、戦車の動かし方こそ教えてもらったが、"戦車道"を教えてもらったというには疑問が残った。

しかし、更に振り返ってみて考えてみても戦車に乗っていて一番楽しかった時期がこの時であった事もまた間違いではなかった。

 

この日から遊びの内容にエリカが男の子から戦車の操縦の仕方を教わるというのが追加された。

戦車に乗っていただけでも全能感を錯覚していたのだから、自分自身で操縦して動かすとなるとそれは更なる高揚感をエリカに感じさせた。

今、自分はこの何の障害にも屈しない己の道を歩み続ける鉄の塊と一体となっている。

それは正にエリカが望んでいた自分そのものであった。

男の子の「パンツァーフォー!」という号令でペダルを踏み込むのも好きであったし、また車長としての役割を教えられて自分の号令によって戦車が動き出すのも好きであった。

この夏はエリカにとって人生で一番幸福だった時期と言えただろう。

しかし、時という物は水の流れと一緒で不定であり流動的であるのは絶対の法則であり、この輝かしい夏と言えどもその制約から逃れる事はできなかった。

そう、別れと時は必ずやって来るのだ。

 

 

 

 

-4-

 

 

楽しければ楽しいほど、それの終わりが怖くなるのは人間として自然な事である。

そして同時に本来なら一定のリズムを刻む筈の時の流れが、心地よい時間ほど早く過ぎ去る様に感じられるのも人間の不可思議な点である。

エリカはこの時間が終わるのが怖くてたまらなかった。

もはや帰る日にちはすぐそこまで迫っていたが、エリカは男の子にそれを伝える事はできなかった。

無意識に認めたくなく、口に出せばその事実をはっきりと認知してしまい、そしてその時が直ぐに来てしまうのではないかと怖かったからだ。

 

結果的にエリカがその事を男の子に伝えたのは帰る二日前であった。

 

「明後日、おうちに帰るの……」

「そう…なんだ……。寂しくなるね」

 

最初はポツリポツリといった雰囲気の会話であった。

しかし、話している内にこの目の前の友人ともう会えなくなるのだという現実を実感し始めたエリカはぽろぽろと泣き出した。

男の子はそれに困惑する事無く、エリカを宥め、あやし、決して嫌な顔を見せる事無くエリカの心が落ち着くまで手を握ってあげていた。

そうしてある程度までエリカの心が落ち着くと、彼女は帰りたくない理由を話した。

それはエリカにとって懺悔にも等しい行為であった。

せっかくできた"友人"に自分は本当はこんな嫌な奴なのだと告白する行為にエリカは恐怖を感じていた。

 

"そんな奴とは思わなかった" "騙していたんだ"

 

そんな言葉が彼の口から出てしまったのならば一体どうすればいいのだろうか?

そう思いながらもエリカは男の子に対して隠し事をする事に耐えられなく、そして心の何処かでは彼を信頼して悩みを打ち明けていたのだ。

そして男の子はそれを相槌だけして全てを聞き終えると「明日、会えるかな?」とだけ約束だけして帰っていった。

その事にエリカは落胆や失望を感じる……という事は欠片も無かった。

何故ならばそう約束した時の男の子の顔はじっと此方を見つつも全部自分に任せろ!と言わんばかりの表情だったからだ。

 

そして次の日、約束の場所に行くとそこにはⅡ号戦車と一緒にまっていた男の子の姿があった。

 

「それじゃあ、エリカちゃん!今日は山に行くよ!」

 

挨拶もそこらに指示されて操縦席に乗り込むと男の子は宣言した。

これに慌てたのはエリカだ。

確かにずっと教えられてきてエリカの操縦技術は当初に比べて遥かに上達した。

しかし、所詮は最近やっと戦車に触り始めた小学校低学年である。

舗装された平たい場所で何とか操縦できるに過ぎないエリカの技術で凹凸が激しく視界も通りにくい斜面のある山になど行ける筈も無い。

そう抗弁したが、それを受けて男の子は自信満々な表情でこう言いきった。

 

「エリカちゃんなら絶対にできるよ」

 

たったそれだけの言葉。

具体的な根拠の添えも何も無い。

そしてその目はただ真っ直ぐで気休めや勇気付ける為の鼓舞等ではなく、単に揺るがない事実を言っているだけと言わんばかりの眼差しだった。

それ故にエリカはそれが事実なんだろうと受け入れた。

しかし、驚くべき事に……エリカがそれを受け入れる過程において場の雰囲気や流れといったロマンチシズムを考慮していた訳ではない。

この男の子がその視線にある様に"本当"にできると信じている事が解ったからだ。

そう信じているいるのも恐らくはこの男の子が今までのエリカとの訓練を見ての分析の結果なのだろう。

つまり……これは"卒業試験"なのだろう。

そうおぼろげながらも理解したエリカは己の中の心と言う炉にある消えかかっていた火種を急速的に燃やし始めた。

 

「……うん!」

 

そうだ、このまま別れるのは……空虚すぎる。

おぼろげでただ惰性的で無意味な物だっただろう。

しかし、ここで区切りをつけて何かをやり遂げて……そして意味を持たせる事で別れは価値を持つのだ。

 

「じゃあ……行こう!

 パンツァー・フォー!」

 

 

 

 

-5-

 

 

だが熱意とモチベーションはあっても所詮は幼い小学生である。

大人ですら自動車の運転を習熟する為に決して少なくない時間を要する。

ましてや戦車だ。

子供でも扱える様に改造されているとはいえ、平地である程度操縦できるだけでも賞賛されるべき事である。

 

舗装もされていない凹凸も多く、木々によって視界も悪く、更には曲がりくねった道も多い。

エリカは持ち前の能力の……特に集中力の高さによって何とか道を進んでいたが、その額に滲み出る汗が示すようにそれは困難極まる行為であった。

それでもエリカは何とか投げ出さず、それ所か一言の弱音すら漏らさなかったのは後方の車長席から男の子が時には指示を、時には助言を、時には激励の言葉をかけてくれたからだ。

そして日が地平線に差し掛かった頃、ついに二人が駆る戦車は山頂付近の開けた場所にたどり着いた。

 

「よし!間に合った!

 ほら、エリカちゃん見てみて!」

 

「……わぁ!」

 

疲労困憊のエリカは男の子に手を引かれてキューポラから一緒に顔を覗かせると……そこには美しい光景が広がっていた。

小さくかつどこまでも続いていく地面と対比するように広大な空。

地平線に僅かに隠れた真っ赤な陽から朱色の光が奔り、その空を同じ様に朱色に染めていき、その中に幾つか浮かぶ白い雲を斑にオレンジ色に輝かせていた。

その光景はエリカを強く……とても強く感動させていた。

無論、その光景が美しい景観であるのは間違いない。

しかし、単にその風景を見ただけではここまで……心の奥底に刻み込まれるような感動は得なかったであろう。

苦難の連続を己の力で乗り越えて辿り着いた。

この光景を自らの行為によって掴み取った。

その事実がエリカにこの光景の価値を極大に感じさせていたのだ。

 

「ここはね……私が見つけてまだ誰にも見せてないんだ」

「……え?」

「だからね、ここを一緒に見たのはエリカちゃんが最初」

 

それはエリカにとって十分に驚愕に値する事であった。

一緒に会える機会はこの男の子よりは確かに少ないが、それでも彼が兄と非常に仲が良いのははっきりと解る。

だからあの兄よりも先に自分教えたと言う事実にエリカは驚き……そして嬉しかった。

 

「……会う前のエリカちゃんがどんな子だったのかは知らない」

 

 ―――それはそうだろう。

  自分は良い子という皮を被って彼を騙していたのだから。

 

「エリカちゃんが嫌な子だったなんて信じられないけれど、エリカちゃんが自分でそう思っているのは解る」

 

 ―――そうだ、私は私自身をも信じていないのだ。

 

「……でもね?もうそんな事はない筈だよ?」

 

 ―――え?

 

「だってエリカちゃんは自分の操縦で戦車を動かしてここまで来れたんだよ?

 もう凄く立派に戦車道を歩んできたんだから、エリカちゃんは凄く立派なしゅくじょになっているんだよ!」

「……私が?」

 

自分が、戦車道の掲げる、私が理想とした女性。

誰にも憚る事無く、誰かに求められる自分ではなく、自分が自分らしくいられる様に、理想の自分に……。

 

視線を男の子から再び夕焼けに戻し、光景を見つめる。

そうだ、これを自分の手で得た自分なら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからエリカちゃんは帰った後も大丈夫!

 エリカちゃんは演じるとか騙すとか、そんな事をしないでも良い子になってるよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……いや、違う。

そんな根拠はもう関係ないのだ。

自分の力だとか戦車道を歩んだだとか、そんな物がもつ意味は目の前にあるものと比べれば限りなく小さいのだ。

彼がエリカが淑女であると、良い子だと信じている。

それだけで十分であった。

 

 

 

 

-6-

 

その後、今度は男の子が操縦席に座り、エリカのパンツァー・フォーの号令と共に下山を開始した。

そして男の子のアドバイスを聞きながら車長として指示を出す事を覚えて行った。

登りに対してはるかに少ない時間で下山し、男の子が遅くなったからとエリカを家まで送って別れた。

 

そして、次の日。

ついに別れの時が来たがつい先日までと違い、エリカは晴々とした気分でいた。

 

「これ、貸してあげる」

「……ヌイグルミ?」

 

それはエリカが常に持っていた白いウサギのヌイグルミであった。

 

「次に会った時に絶対に返して」

「……! うん!」

 

こうして再会の約束は交わされた。

 

 

 

 

-7-

 

 

夏休みが終わり、エリカの学校の新学期が始まった。

夏休み前は学校に行く事すらも憂鬱であったが、今ではそんな暗い気持ちは欠片も無くなっていた。

 

エリカには確実に変化が起きていた。

高圧的な様子は無くなり、周囲の失態や規則違反に穏やかな対応をする様になり、誰かが困っていれば積極的に手助けをし、しかし甘やかす事無くあくまで補助に徹していた。

この変化を当初周囲は困惑と共に懐疑的な目で見ていた。

今更、掌を返したようにあざとい人気取りをしているようにも見えたからだ。

 

「逸見さん、どうしたんだろうね?」

「やっと皆に嫌われている事が解って焦りだしたんじゃないの?」

 

今までであればエリカからの報復を恐れてできなかった陰口も、エリカが"温く"なった事により急に圧力が無くなり噴出してきた水流の如く湧き出した。

そういった態度や空気は直ぐにエリカ自身に直接感じるようになるまで蔓延したが、エリカはそんな事も一切気にした態度を見せずに己を貫き通した。

 

夏休みを挟んだ事が幸運だったのだろう。

もし、連続した日常の中で急にエリカが性格を改めてもそれが定着化するには大きな障害が幾つもあっただろう。

しかし、クラスメイトは夏休みという長い冷却期間があった。

基本的に記憶や感情は時と共に薄れてぼやけて行く。

小学生にとって夏休みという約一ヵ月半という基幹はエリカに対する記憶や感情が過去の物となるには十分な長さであった。

陰口を一切に気にする事無く、直接行ってくる者には堂々とした態度であの時はごめんなさいと頭を下げるエリカに徐々にクラス全体にエリカは本当に変わったのではないだろうか?という意識が芽生え始めていった。

そして、それが芽生え始めれば後はそれが全体を支配するまでに時間はかからなかった。

クラスメイトは何かがあればエリカに時には頼り、時には相談をしてはエリカはそれに真摯に対応した。

運動が苦手で体育が嫌いな生徒がいれば励まし練習に付き合い、宿題や勉強に悩む生徒がいれば時間をかけて教えた。

エリカは恐怖と息苦しさを感じさせていたクラスのボスから、本当の意味で誰からも頼られるリーダーと成っていった。

エリカにとって今の人生は輝いて見える物であった。

寝る時に明日という未来に不安を覚えて疼くお腹を押さえる事もなく晴れやかな気分で夢を見る事も恐れずに眠りにつき、外では自分の行動と発言に一々恐れを抱く必要なく堂々と振舞えた。

それもこれも切欠は全てあの夏……彼に出会った事だったのだ。

 

 

 

 

-8-

 

 

「エリカって好きな人でもいるの」

「はぁ?行き成り何言ってるの?」

 

小学校高学年になったエリカは依然としてクラスの中心であった。

以前ならこういった下らなく他愛も無い雑談をエリカにしてくるクラスメイトなどいなかっただろうが、今では友人と自信を持って言える存在も増え、こういった会話も気軽に交わされる環境になっていた。

 

「だってまた告白を断ったんでしょう?」

「興味ないからね」

 

性格が激変してからエリカは非常によくモテた。

それは同姓からも異性からも友情としても恋愛としてもであった。

外国の血が混じった人形の様な美しい容貌をしており、困っていれば黙って近づいて手を差し伸べてくる、その上ですっきりとした性格の持ち主だ。

モテない筈が無い。

 

「だからさ、エリカが告白を断るのってもう好きな人がいるからって噂が立ってるのよ。

 で、どうなの?実際?」

「いないわよ、そんなの」

「本当に?本当にいない?

 それならちょっと考えてみてよ。

 どういう男の子が好きなのかさ」

「そうねぇ……」

 

エリカ自身は恋愛自体を倦厭していた訳ではなく、単に今まで考えた事が無かっただけであった。

確かに言われてみればどういう異性が好きなのだろうかと自分でも気になっていた。

まず手始めに今まで出会った異性を思い浮かべてみて比較してみる事にした。

浮かんでは消える今まで学校等で出会った事のある男の姿。

その中には客観的に見れば容姿も性格も能力も十分に魅力的だろうと称される男子は幾つもいたが、何故かエリカは友人としてはともかく、恋愛感情としてはそれに一切惹かれることは無かった。

そして最後に浮かんだ一人の男の子……そこでエリカの選出は一旦停止した。

 

(……あれ?)

 

それはかつてあの夏に出会った男の子である。

他と違い、その男の子は一度思い浮かぶと消える事無くエリカの思考の中に何時までも残った。

 

(……あれ?あれ?)

 

消えないばかりかその男の子はエリカの頭の中で更に強く存在を主張してきた。

もしその男の子が恋人なら……。一緒にいれたのなら……。

 

「ちょ、ちょっとエリカ!?大丈夫?

 顔真っ赤だよ!?」

 

エリカは自分の顔に手を当てるとそれだけで顔の熱さが伝わってきた。

今ここで、初めてエリカは己の初恋を自覚したのだ。

 

 

 

 

-9-

 

 

己の恋心を意識するとエリカは次にどうやって再会するかを考えた。

再会の約束こそ交わしたが、それだって何かの根拠があった物ではない。

何せ名前をすら覚えていないのだ。

一体何を頼りに探せばいいのだろうか。

 

(……そうだ!戦車道だ!)

 

男の子は明らかに戦車道に関係していた。

あの戦車は恐らくは私有物のはずであり、また戦車道に関する技術や知識も豊富であった。

であるならば、エリカは戦車道を始めて歩み続ければ何時か再会できるのではないかと思ったのだ。

そう結論付けたその日の内にエリカは両親に戦車道を始めたいと頼んだ。

急な事に驚いたが、多少マイナーになって来たとはいえ伝統ある婦女子の嗜みである戦車道を娘がするのを止める理由は無い。

些かお金がかかり過ぎる武道ではあるが、逸見家にとってはその程度はそれほど負担にはならなかった。

こうしてエリカは戦車道を始める事となった。

小学生の間はそれほど本格的ではなかったが、中学校では実際に大会に出場する程であった。

しかし、エリカ自身は公平に見てその力量は中学生としては非常に優れている方ではあったが、学校の保有する戦車は数も質も低く、他の隊員もエリカの指導によって腕を上げたとはいえやはり全国大会で活躍できるほどではなかった。

中学の三年間もエリカは必死に頑張ったが、それでも最後の年度に二回戦突破が関の山であった。

それでもこの弱小と言っても差し支えの無い学校を三年間で二回戦突破まで導いたのだから賛美されてしかるべきであっただろう。

しかし、エリカはこれでも納得できなかった。

始める動機はどうあれ一度始めたのならば中途半端にする事は耐えられなかった。

……いや、あの男の子に教えてもらった事だからこそ本気でやりたかったのだ。

だからエリカは本気でこの道を歩む為の決断をした。

高校の戦車道界において間違いなく最適な環境、王者である黒森峰女学院に進学する事を。

 

……この時、エリカは見失っていた。

初めて戦車に乗った時…そうあの男の子と戦車に乗った時の楽しさを。

 

 

 

 

-10-

 

 

黒森峰女学院にはエリカが憧れていた人物がいる。

中学三年生時に見た高校戦車道の第61回全国大会で僅か一年にして黒森峰の隊長を勤めていた西住まほ。

エリカとは僅か一年しか違わないのにその凛とした佇まいとその眼光は間違いなくエリカが理想とする戦車道女子の姿であった。

彼女が在籍していると言う事実がエリカが黒森峰に進学する事を決めた最後の決め手であった。

そんな彼女が見守る中で、エリカの黒森峰の初日が始まった。

 

「それでは各自、自分の名前 出身校 主な役職を言う様に

 向かって左端から始めろ」

 

まず一年生は全員並んで順に一人ずつ自己紹介をするように指示された。

順に大きな声で名前と出身校と役職を叫び最後によろしくお願いしますと付け足す。

そして一定の間をおいて次の者が同じ様に自己紹介をするという流れがテンポ良く行われていった。

明らかに自分がいた中学とは空気が違う。

規律と規範が場を支配していた。

体育会系……というよりは軍隊の様な締まりのあるモラルであった。

これこそが強豪校なのだ!

勝利の為に一塊となって挑むのが正しい戦車道なのだ!

エリカはこの場に感激していた。

その一方で……

エリカが自分の右に目を向けるとそこには如何にも気が弱そうな小動物の様な場に似つかわしくない少女がいた。

栗毛色の可愛らしい……とてもではないが武道としての戦車道に相応しくないおどおどとした少女。

一体何の間違いで入ってしまったのだろうか?

だが恐らく直ぐに訓練に耐え切れなくなって普通科にでもドロップアウトするだろう……そうエリカは考えていた。

自分の番が来るとエリカは堂々と自己紹介を終えて戻った。

そして例の少女の番になると上級生達と新入生の一部の視線が一気に集中した事がエリカには解った。

その視線の圧力には隣にいたエリカですら一瞬怯んだ程であった。

そんな圧力にこの気弱な少女が耐えられるはずも無く、実際に小さく悲鳴を上げて身を縮こませた。

一体何故上級生達はこの少女に注目したのだろう?

注目していた一部の新入生も良く見れば中学の時に名高い選手……それも西住流門下生が多い。

 

「……に、西住みほです!」

 

そのエリカの疑問は一瞬で氷解した。

西住!西住と名乗ったのか!?

確かに雰囲気が違いすぎて気づかなかったが顔の造形等はあの西住まほに似ている。

だが……とてもではないが凄腕の戦車乗りである西住まほとは違いすぎる。

 

自己紹介を終えても次の者が始めず、未だに視線が集中している事に困惑して泣きそうになっている姿に見てもいられず、エリカは肘で少し押してやった。

 

「……あ!しゃ、車長をやってました!よ、よろしくお願いします!」

 

緊張で忘れていたのだろう。

失敗を犯す少女をエリカはいっそ可哀想な思いで見つめていた。

恐らくこの少女は……殆ど無理に戦車道をしているのだろう。

西住は日本でも屈指の名門の流派。

その次女が戦車道をやらない訳は行かないだろう。

故に向いていないのを承知の上でやっているのだろう。

雰囲気的には武道の戦車道よりももっと大人しげな物の方がよっぽど似合っているに違いない。

 

 

 

 

-11-

 

 

自己紹介が終わると行き成り一年生で練習試合を行う事となった。

その場で4人組を組み、一人の上級生を加えて即席のチームを作って戦車に乗り込み、全員が敵と言うバトルロイヤルの中で戦う。

特に明言はされていないがこれが試験の意味を含んでいるのは間違いない。

ここでの結果が今後の高校での戦車道を左右するのだ。

当然ながら全員真剣になって死ぬ気で結果を残そうとした。

故にまずこの最初の組み分けから勝負は始まっているのだと理解した彼女達は可能な限り強者と組もうと奔走した。

勿論、エリカもそうしようとした。

最初の自己紹介を頼りに中学の時に結果を残した実力のある選手に声をかけにいった。

しかし、彼女達も当然同じ様に実力のある選手と組みたいと言うのは当然の心境だった。

エリカは自分の実力という点では決して低くない……それ所かトップクラスであると自負していた。

それは決してエリカの自分に対する過大評価ではなかった。

だが、公式大会で所属校が結果を残せず、知名度が低いエリカにそれを証明する物は何も無い。

次々と実力者が組んでいく中で焦り感じていたエリカが横に目をやるとそこには先ほどの少女……西住みほがいた。

 

(はぁ~ 懐かれちゃったわね……)

 

先ほど助けた事から懐かれたのか、この少女はエリカの傍にずっといた。

その上で声でもかけてくるのかと思ったら、どうやら声をかけようとしてやめると言う引込み思案を体現したような行為を繰り返していた。

確かにこの少女に同情はしたが、だからと言ってこんな足手まといになりそうな子と組むほど自己犠牲心に富んでいる訳ではない。

しかし、かといってこのまま手をこまねいていると益々人数は減って行き、もはやこの場において余っている人間は極少数になってしまった。

 

ひょっとしたら……自分は自分が思うほどたいした人間ではないのではないだろうか?

大海を知らない井の中の蛙に過ぎないのではないだろうか?

今、正にそれが証明されつつあるのではないだろうか?

 

嫌な考えが頭に浮かんでしまう。

それはかつてエリカが陥った物と同じ思考であった。

それはここで急に考えてしまった事ではない。

兆候としてもっと前からあったのだ。

中学三年間でのあまり振るわない戦車道。

何かミスをしていたのではないだろうか?もっとやれる事はあったんではないだろうか?

……自分は本当に隊員から必要とされていたのだろうか?口煩いと思われていなかったのだろうか?

そういう考えは徐々にエリカを蝕んでいった。

 

ふと再び視線を少女にやる。

……よくよく考えてみれば自分はこの少女に対して可哀相などと同情したが、その実は同じ穴の狢であり大した差など無いのかもしれない…。

そう考えたエリカは、はぁとため息を一つ零すと少女の方を向いた。

 

「……私と組む?」

「いいんですか!?」

 

先ほどまでオロオロしながらどうしようと泣きそうな表情になっていた少女……西住みほは花が咲いたような笑顔になった。

その笑顔には同姓であるエリカですら不覚にも可愛い…と思ってしまった。

 

「ありがとうございます!」

 

そんなエリカを知ってか知らずか、みほはエリカの両手をとって握り締めながら笑顔のまま礼を言った。

その様子にエリカは顔を赤くしてしまった。

その心に無意識に何故か感じた懐かしさと言う感情共に……。

 

 

 

 

 -12-

 

 

その日は組み分けで終わり、各員は寮の割り当てられた部屋に移動した。

驚くべき事にエリカの同室の相手は西住みほであり、偶然に驚いているエリカをよそにみほははしゃぎながら大げさに喜んではエリカに抱きついた。

驚きはしたものの、性格の悪い人間や気が合わない人物が同居人になる不安を感じていたエリカにとって、この少女は中々の当たりとも言えただろう。

容姿だけではなく性格も含めて見るからに"可愛い"という表現が似合う彼女ならば一緒に暮らしていても少なくとも直接的なストレスに晒される事は無いだろう。

尤もそれも少女が機甲科にいる間だけなので残念ながらそれも長くは続かないだろうが……。

 

「ねぇ……逸見さんは何で戦車道をしているの?」

 

明日は練習試合が始まるからと早々に寝床に潜り込むと、部屋の反対側のベッドからみほが声をかけてきた。

自分が無理に戦車道をやらされているから他人の動機が気になるのだろうか?

そう考えたエリカはある程度、真摯に対応して返答する事を決めた。

 

「……会いたい人がいるの。

 戦車道を続けてれば会えるかもしれない人が……」

「じゃあ逸見さんは戦車道をしているのはそれが目的じゃなくて手段なの?

 戦車道さえしていればその内容は関係ないの?」

「いいえ、それは違うわ。

 ただ会うだけじゃ駄目。

 私は戦車道を歩んでその先にあるものに辿り着きたいの……。

 戦車道を歩んで歩んで、歩み続ければ歩み続けた分だけ私は……」

 

戦車にこそ乗らなかったが精神的な疲れがエリカを眠気襲い、思考も返答も徐々に混濁としてきた。

 

「じゃあ逸見さんは戦車道をする事で自分を磨きたいんだね」

「……そうね、私は戦車道をあゆみつづけて……もっとりっぱなしゅくじょに……」

 

そう、それこそがエリカが戦車道に本気で挑む理由であった。

無論、再会する為に実力をつけて試合に勝っていき、知名度を上げることによって彼の目につきたいという意図もある。

だが、それだけではない。

男の子に再会して自分は告白したいのだ。

そして彼と恋仲になりたいのだ。

ならば……ならばそれまでにそれが成功するように自分を磨くのは当然だろう。

だからこそ戦車道を続けて彼の理想の婦女子……そう、"りっぱなしゅくじょ"になりたいのだ。

心の底から惚れた男がいるならば、その男を振り向かせる為に努力するのは当然だろう。

そう、そうなりたかった筈なのだ……。

 

「……ごめんね。眠いのにお話に付き合ってもらって。

 おやすみ、逸見さん」

「……エリカで……いいわよ…」

 

そう言うのと同時にエリカは眠りに落ちていった。

その時、微かに「おやすみ、エリカちゃん……」と聞こえた気がしたが、恐らくはそれは寝る直前に彼の事を思い出す会話をした事から起きた夢か何かだろうと結論付けた。

 

 

 

 

-13-

 

試合当日、赤星と浅見という一年生と斑鳩という上級生を加えてエリカとみほは戦車に乗り込んだ。

担当役職は話し合いの結果、それぞれが得意としていた箇所にすんなりと割り当てられた。

エリカは中学生のときに車長をしていたが操縦も砲手もこなしていたので砲手となった。

どちらかと言えばこの頼りない少女に車長以外をやらせる事に不安を感じ、それならまだ経験していた車長をやらせた方がマシという判断の元であった。

エリカも含めて搭乗員全体がこの少女に対して決して悪感情を抱いていた訳ではないが、やはり不安を感じるのは隠せないようだった。

 

「それでは全体の方針についてですが・・・」

 

操縦席に収まった上級生の斑鳩が確認するように言うが、誰もがみほから具体的な全体方針が出てくるとは思っていなかった。

 

「はい、まずこの練習試合のルールでは遭遇戦が主となると思います。

 よって敵戦車を相手より先に発見する事が最重要となってきます。

 セオリー的には移動機会が多いと思われる要所を視界に納められる地点でハルダウンし潜伏し、アンブッシュするのが良いと思われますが私たちはこの方法を採りません」

 

全員が驚きと共に車長席にいるみほを見た。

そこにはつい先ほどまでの柔和で大人しい気の弱い少女は存在していなかった。

落ち着きの無かった視線は鋭い眼光となって遠くを見抜き、その発言には確固たる自信を強く秘めていた。

 

「で、でもそれがセオリーなのよね?

 私達……がそんなセオリーを無視していいの?」

 

エリカは危うく発言しそうになった「私の様な者が」という言葉を飲み込んだ。

そう、ここにいるのは組み分けからあぶれた残り物同士。

早々と組み分けを完了した必要とされた者達相手にそんな事をするなどおこがましいのではないだろうか。

なんとも情けない思考にエリカは自嘲した。

何時からこんな考え方をする様になったのだろうか。

いや……何時からこんな考え方をする様に"戻った"という方が正しいか……。

 

「確かにこのセオリーならば1輌、運がよければ2輌撃破出来るかもしれません。

 個人単位の乱戦という事は1輌撃破できれば平均標準より上という事になるので、成績を残すならこのセオリーが安定でしょう。

 ですが、この方法では・・・餌を待つだけのこの方法ではそれ以上の戦果が望めません。

 3輌、4輌と撃破していくには此方から索敵に出る必要があります」

 

「え、えっとー 何でより戦果を求めるの?

 いや、別に駄目って訳じゃないよ?ただ・・・なんていうか何となく西住さんっぽくないと思って」

 

赤星小梅が恐る恐るといった感じで聞く。

確かに……これまでの印象からするとこの西住みほという少女は活躍だとか成績だとか戦果だとかを求める様な人間には見えない。

よく言えば謙虚や無欲。悪く言えば上昇志向や向上心がない。

そんなイメージであった。

 

「私・・・嬉しくて・・・。

 昔からああいう組み分けの時って自分から言い出せなくて誰からも声をかけられなくて何時も最後に余った人と組まされていた・・・。

 それで高校に入ってから何とかしないとって思ってて。

 だから自己紹介の時に助けてもらった逸見さんに声をかけようと思ってた。

 だけれど結局は私は臆病だから・・・声もかけれなかった。

 周りがどんどん自分から声をかけていって組んでいくのをみて焦ったし、正直なところ胸が苦しくて呼吸もできなくなっていった。

 ああ、また私はひとりぼっちになるんだなって悲しくなった。

 でも・・・でも!逸見さんはそんな私に声をかけてくれた!それが物凄く嬉しかった!

 逸見さんだけじゃないよ。浅見さんも赤星さんも私と組んでくれて嬉しかった!

 だから、折角組んでくれたのに私の我侭でお座なりな事は出来ない。其れだけは絶対に出来ない。

 皆が笑われるような事だけはさせない。胸を張ってこの練習試合を終わらせるようにしようと思った」

 

だから―――と一拍置いてからみほは宣言した。

 

「この試合で皆で一番になろうと思ったの」

 

 

その宣言は全体に対してされたのだろう。

だが、エリカはこれが自分に向けられている様に感じたのだ。

 

――― 一番になる。

 

それはかつてエリカが確かに誓った事だ。

 

戦車道で一番になる。

一番の戦車道選手になる。

……彼の為に一番のしゅくじょになる!

 

「・・・解ったわよ!いいわよ!どうせならトップをとってやろうじゃないの!」

 

エリカは立ち上がりながら叫んだ。

恐らくみほは昨夜のエリカの言葉を真摯に受け取ってくれたのだ。

戦車道を歩み続けてその先にある物を目指したいと言う言葉を。

だからこんな風に自分の気質ではないも関わらずこうして一番を目指そうと言ってくれたのだ。

エリカにはみほが此方を手を差し伸べている姿が見えたのだ。

 

「やりましょう!」

「ここまで言われてやらなきゃ女が廃る!でっかく生きろよ女なら!」

 

赤星と浅見もエリカに続く。

 

そうだ!その通りだ!

ここまでお膳立てされて……自分の言葉を真摯に受け取ってそして背を教えてくれようとしているのだ!

ここで腐っているようでは女が廃る!

 

エリカたち3人は……いや、よく見れば上級生の斑鳩も含めて全員の心が熱く燃えていた。

その燃え上がりを図ったかのように練習試合の開始時刻を伝えるブザーが鳴り響いた。

 

「それでは行きます。

 パンツァー・フォー!」

 

『行くよ!エリカちゃん!

 パンツァーフォー!』

 

そのみほの号令にエリカは何故かあの夏の想い出を思い出したのだった。

 

 

 

 

           -了-

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------

 

 

『 Listen to me, mister. You're my knight in shining armor.

  Don't you forget it.

 You're going to get back on that horse, and I'm going to be right behind  

  you, holding on tight, and away we're gonna go, go, go!』

 

  (「いいこと、あなたは私の白馬の騎士なのよ。

   白馬に跨り私を迎えに来る。

  私はあなたにしがみつき、どこまでも駆けていくの!」)

 

      映画「On Golden Pond(邦題:黄昏)」(1981)より

 

 


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