如何にして隊長を尊敬している戦車道に対して真面目な黒森峰女学園機甲科生徒達は副隊長の下着を盗むようになったか 作:てきとうあき
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サンダースの隊長が馴れ馴れしくも妹様に抱きつく姿を見てから私達は撤収する事にした。
一瞬、手に持っていた双眼鏡に力を入れすぎて壊しそうになったが、それ以上に不穏なオーラを発生させる隊長を見て直ぐに冷静になった。
自分以上に激怒をしている人を見ると冷静になるとよく言われているが、あれは本当だったんだな……。
というより試合後の健闘を称える抱擁ぐらいで静かにキレ過ぎだろうこの人は……。
いい加減、そろそろ妹離れした方がいいのではないだろうか?
移動に使用したドラッヘの所へ向かっている最中に何やら騒がしさを感じた。
騒がしさに近づくにつれてより大きく鮮明に聞こえてきた声の中に、私が聞き覚えのある……いや、忘れようもない声を聞いた。
それは今まで何度も夢で聞いた声だったが、現実では久しく聞いていない声だった。
その声を脳が認識したとたん、私は僅かに体が電流が走り、震え、無意識に右胸に手を当てていた。
妹様の声だ……。
久しぶりに妹様の声を聞いた……。
姿は遠くから見たことはあった。
映像や写真でその姿を見たこともある。
だが、声を聞いたのは本当に久しぶりだった。
昔も妹様の指示を受ける度に同種の感覚に襲われる事は度々あった。
しかし、ここまでの衝撃力を受けたのは初めてであった。
しばらくしてから冷静さを取り戻し、会話の内容を聞き取るとどうやらあの操縦手……冷泉麻子の家族が倒れたそうだ。
しかし、移動手段も無く切羽詰って冷静さを失っているのか泳いで行くと言っているらしく、それを周囲の四人が必死に止めている。
「私達のヘリを使って」
隊長がそう声をかけると四人が……妹様が驚いた様に此方を向く。
視線が合うと妹様は心苦しそうで表情で私を見て、視線をそむけた。
……何故、そんな目で私を見るのですか?
昔は私には常に笑顔を浮かべてくれたではないですか?
……いや、これも当然だろう。
私はあの日から妹様に何もしてやれなかったのだから。
私に妹様を追及する権利はないのだろう……。
「よろしいのですか?」
「これも戦車道よ」
私が確認すると隊長は正面を向いたまま言った。
……言わんとする事は解るが、どうせこの人は妹様に良い所を見せたいだけだろう。
久々に出会った妹様に姉として何かをしてやりたいのだろう。
私には姉しかいないが、何となくその気持ちは解る様な気がした。
「斑鳩は反対なのか?」
「……そんな事はありません」
反対するつもりは無い……筈であった。
平時であれば人道上の事であるし、他人から御人好しの気があると言われる事が多い私は恐らくは積極的に賛成していただろう。
しかし……その対象が冷泉麻子だという事が私の心に微かなしこりを残していた。
自分でも馬鹿馬鹿しいとは思う。
嫉妬交じりの複雑な感情に我ながら狭量と嘆きもした。
それでも私は思わざるを得ない。
何故、私ではなく彼女が其処にいるのだと。
「お姉ちゃん……ありがとう」
背を向けて歩き出す隊長の背に妹様が礼を言う。
此方からは見えないが、きっと隊長は何時も冷静な表情を僅かに歪ませているに違いない。
「斑鳩さんも……ありがとうございます」
……私も隊長と同じように背を向けてドラッヘに乗り込んだ。
尤も私の場合は妹様に以前良く言われていた……しかし弾んだ声ではなく何処か他人行儀な礼の言葉に、泣きそうになっている表情を見られたくないからで、声を出せば掠れそうだから無言を貫いている訳だが。
……だからこの時の私には妹様がどういう表情だったのか解らなかったのだ。
-2-
冷泉と付き添いの武部という子が搭乗したのを確認し、ヘリのローターを音を立てて回して離陸した。
「……本来ならこれも逸見の役目だったんだろうなぁ」
私はどうやらその方面の才覚に恵まれていたようで戦車のみならず様々な乗物を運転をする事ができた。
逸見も同様に必死に勉強をしてヘリコプター、飛行船、ホバークラフト、輸送機、輸送車等の免許を取得していた。
尤も私と違い、それが特定の個人の為だという事は明らかであった。
何故なら常々逸見本人が言っていたからだ。
私は隊長となったみほを支える……と。
その逸見は今回は来なかった。
尊敬する隊長相手だとしても、自分が運ぶのは妹様だけだという想いがあったのかもしれない。
ただ、戦車道をしている妹様を見たくはないと逸見は言った。
一方で私は戦車に乗っている妹様を是非ともこの目で見たかった。
両者の利害が一致する形で逸見はこの場におらず、私がこの場にいることになったのだ。
……私と逸見の思いは両極端にあったと言える。
しかし、方向性は異なっていてもその種別はほぼ同一のものだったのだろう……。
私には見たくないという逸見の気持ちがよく解ったし、恐らく逸見にも私の見たいという気持ちがよく解っているだろう……。
ちらりと操縦席から後方を伺うと俯いている冷泉を武部が必死に励ましていた。
「……すこし良いかな?」
「……はい、なんでしょうか?」
「そこの冷泉さんに妹さ……みほさんの事について聞きたい事があるんだ。
こういう状況でこういう事を聞くのは不躾かもしれないがどうか許してほしい」
「斑鳩さん……でしたっけ。
貴方もみぽりんのせいで負けたと思っているんですか?
みぽりんを裏切り者だと……」
「……そんな訳があるか!!」
私は思わず怒鳴ってしまった。
だが……そう思われても仕方がないことだ。
いや、より言ってしまえば……内心はどうあれ行動自体を振り返ればそう違わないのかもしれない。
何せ何も行動を起こさなかったのだ。
暗に妹様を攻めたという事と何が違うというのだ……。
兎も角、無様にも年下に対して怒鳴りつけてしまった事を恥じて、取り繕うように私は続けた。
「怒鳴ってすまない……そんな風に思っている人は黒森峰には"誰一人"いないさ。
誰もが副隊長を慕っていたし好きだった。
だから皆後悔してたよ……。
一番辛い時に支えてやれ無かったって……」
「……誰一人と言いますけど、其方の副隊長さんはみぽりんの事をかなり憎んでいましたけど」
「副隊長……?逸見が?」
そんな馬鹿な。
「それはあり得ない!
黒森峰の中でみほさんに近い存在だったのが逸見だ。
同室だったし、一番みほさんを支えていたのもあいつだ。
……誰よりも彼女から信頼されていたのも逸見だ」
「え、だってあの人みぽりんに酷い事を……」
逸見が妹様に悪意のある発言を?
正直、考えられないが……。
「……ひょっとしたら本当に裏切られたと思ったのかもしれないな。
何せみほさんが隊長になった時、自分が副隊長になって支えると約束しあっていた仲だ。
何も言わずに転校した事を許せなくなったのかもしれない……」
「あの人が……そんなにみぽりんの事を…」
複雑そうな表情を浮かべる武部を見て、私は安心した。
この子は良い子なのだろう。
心の底から、妹様を心配して、案じている。
……こういう友人が転校した妹様の傍にいてくれて良かった
「それで…私に聞きたい事とは何だ」
麻子!敬語!と叫ぶ武部に私は構わないと手を振って続けた。
「……私もみほさんの操縦手だった。
だからこそ聞きたい。
貴方は戦車に乗っている時にどう感じている?」
「強いて言えば……"楽しい"だな」
「……楽しい?」
「私はこれまで生きてきた中で何かを成し遂げたという感覚を味わった事が無かった。
解りやすい所で学校の勉強がそうであるし、他にも何かの技術を要するものも手順さえ記されればそれを問題なくなぞる事ができた。
"努力して達成する"という事を求めて、難解とされている専門書を読み、複数の外国語の習得に手を出し、分野問わず最先端の論文も読み解いた。
それらも結局はそこに記されている事に必要とされる要項があるのだから、それに目を通すだけで問題は無かった。
恐らく創造性を要する事柄……たとえば芸術の分野などなら知識以上の物が必要になるのだから私も最善の結果を出す事は不可能であっただろうが、言ってしまえばそういう曖昧な事柄には興味が沸かなかった。
身体能力が必要なスポーツの分野も同じ様に結果を出す為に努力が必要だったのだろうが、それも結局は"何故できないのか"と"できる為に必要な能力"が全て理解できてしまったからこれも同じ様に興味が無かった」
麻子は学年首席で天才なんです。とまるで自分の事を誇る様に武部が補足した。
確かにファイルのデータにはギフテッドの可能性あり添えられていたが、この発言が本当なら正しくそうとしか思えないだろう。
「だけど西住さんの指示は違う。
最初は具体的かつ詳細な指示で言われた事をそのまま実行すれば良かった。
しかし、徐々に指示は簡潔に省略され、具体性は無くなっていき抽象的になっていった。
その内容も此方に裁量と解釈を委ねつつ、複雑で高難易度になっていった。
しかも、それは私の技量と経験において達成できるかという境界線を奇跡的なまでにギリギリまで迫ったものだった」
……それは良く解る。
私も実感していたからだ。
「西住さんはそういった人の能力を把握して見極めるという点において天才なのだと思う。
実戦ではギリギリ達成できる事を、練習ではギリギリ達成できない事を指示した。
そしてそれの基準が引き上げられる度に私は今までの人生で決して味わえなかった達成感と共に成長というものを感じた。
今までの私の人生は灰色と表現するのが的確だったのだろう。
惰性で生きていたに過ぎず、普通の人が感じて当たり前の事すら私には無かったのだから。
しかし、西住さんはそんな私の人生に目的と意義をもたらせてくれた。
なにより、私という人間の能力を余すことなく最大限まで活用してくれた。
そして更に私の能力を限界以上まで引き出してくれようとしている。
……私が今までで一番楽しかった時、充実感を得た時、……それは西住さんの指示が『麻子さん』と私の名前を呼んだだけの時であり、そして私がそれに含まれた意図を全て把握して実行に移せた時だ……」
「……」
「あぁ……戦車というものに初めて乗ったが……こんなに楽しいものとは思わなかったなぁ」
それを聞いた時、私は全てを察した。
理解してしまった。
私とこの冷泉麻子の違いが。
絶望的なまでの、決して覆せない差を。
私を含め、黒森峰の隊員が妹様の車輌に乗ると引きずり込まれていった理由は初めて戦車に載った時の事をリフレインしてしまったからだ。
何も複雑な事も世俗的なことも考えず、純粋な気持ちで戦車に載り、操り、日が落ちるまで夢中で楽しんだあの時の頃の事を。
練習し、勝つ事を目的とし、嫌な事も我慢して、他人を蹴落とす事すらも考え、負けないように、機械的に練習を繰り返し、疲れ、時には苦痛を感じ、そして慣れていくにつれて捨て去っていったあの時の感情を。
……だが、彼女は、彼女達は違う。
"初めて乗った戦車が妹様の戦車なのだ。"
それはどういう体験なのだろう。
初体験が妹様だというのは。
それは決して私達の様に長年戦車道に身を費やしてきた経験者では決して味わえないのだろう。
そして彼女達は二度・三度と妹様の戦車に乗る度に私達のように始めて戦車に乗った時の事を思い出すのだ。
そう、妹様の戦車に乗る度に妹様の戦車に乗ったときの事をリフレインする……。
それは妹様による影響を共鳴・反響させ、相乗効果を起こし、回数を重ねる毎に更に色濃く強くなっていくのだろう。
妹様の戦車道に強く影響され、最適化され、専用化される。
……恐らく、もう彼女達は妹様の戦車以外には乗れないだろう。
彼女以外の指示や指揮ではまず違和感を感じ、閉塞感を覚え、そしてついには衣服を着けたまま水中にいるような重い束縛感と共に不快感を得る。
何故なら……もう妹様にだけ適した"部品"と化しているから。
他では規格が合わないから…。
「……答えてくれてありがとう。
参考になった」
私は振り向けなかった。
こんな表情を見せたくなかったからだ。
……ふざけるな!!
こんな理不尽な話が合ってたまるか!!
では何か!?私は今まで積み重ねていた戦車道の修練と時間と努力があるからこそ妹様に最も適した人員にはなれないのだと!?
そんな不条理な事が!
……しかし、感情的な部分ではなく、理性的な思考においては私は何処か納得してしまっていた。
あの人の戦車道は独特すぎる。自由すぎる。個性的過ぎる。
戦車道の経験者であればあるほどその"常識"が足を引っ張るのだろう。
一方で完全な純白で何にも染まっていない初心者ならば、そういった弊害もなく、抵抗も無く妹様の色に染まっていくのだろう。
だからこそ妹様にとって最適な隊員になるのだ……。
だからといって認められなかった。
認めたくは無かった。
理屈や道理を無視してでも覆したくは無かった。
……それをする為には勝つしかない。
隊長の操縦手として妹様の操縦手である冷泉麻子と戦い、勝つ。
一度だけでいい、勝利すれば私はそれに縋れる。
これが決して理論的でない事は解る。
それでも私はその考えに縋るしかないのだ。
……尤もこのままでは大洗はプラウダには勝てないだろうからその願いも叶いそうに無いが……。
-3-
トーナメントの二回戦が終わり、大洗はアンツィオに勝利して準決勝へと駒を進めた。
私は今回は見に行かなかった。
……私ではない誰かが操る妹様の戦車など見たくはなかったからだ。
今なら見たくないと言った逸見の気持ちが本当の意味でよく解る。
……それにアンツィオ相手ならば見るまでも無いだろう。
あそこの隊長は戦車道としては底辺だったアンツィオをある程度まで立て直した事も会って中々の実力者である事は間違いない。
しかし、大洗にすら劣りうる戦車の編成であの妹様に勝てる訳が無い。
案の定、大洗は一輌も損ねることなく完勝した。
問題は準決勝でのプラウダだ。
しかし、サンダースやアンツィオの試合経過を見る限り、妹様の戦車道は以前とさほど変わっていない。
これでは大洗がプラウダに勝つ事は難しいだろう。
そんな中で私は隊長室に呼び出された。
入室し、隊長の許可を貰ってソファーに座ると隊長が開口一番に切り出した。
「……大洗が負けた場合、大洗学園艦は廃校となる。
そしてみほが黒森峰に戻ってくる……というよりは連れ戻される」
……は?
-了-
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『Love means never having to say you're sorry.』
(「愛とは決して後悔しない事」)
映画「Love Story(邦題:ある愛の詩)」(1970)より