如何にして隊長を尊敬している戦車道に対して真面目な黒森峰女学園機甲科生徒達は副隊長の下着を盗むようになったか 作:てきとうあき
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「暑いわね…」
もはや暦の上では秋である筈なのに、茹だる様な暑さに逸見エリカは襲われていた。
僅かにでも熱を避けようと手のひらを日光を遮るべく顔の前にかざすが、顔を伝い顎の先から滴り落ちる汗の量は変わらなかった。
これには我慢強い方であると自認していたエリカも流石に白旗を揚げるしかなかった。
このままでは日射病になりかねないと退避先を探すと、一軒の喫茶店が目に映った。
これ幸いであると言わんばかりにエリカはその喫茶店へと向かった。
入り口のドアを開けると、ドアに付けられた鐘がちゃりんちゃりんと鳴り、来客を店内に告げる。
同時に良く冷房の効いた店内の涼しい風がエリカの全身の肌を撫で、その心地良い感触にエリカははぁと一息ついた。
「いらっしゃいませ。お一人でしょうか?」
「はい、そうです」
「申し訳ありませんが店内が満員で……相席でもよろしいでしょうか?」
ともかく暑さから逃げる事だけを考えており、そして店内に入ってからは涼しい空気による心地良さに考えを占められていたエリカはここで初めて店内の様子に気を回した。
なるほど、確かに店内は混雑している。
どうやら他の人たちもエリカと同様にこの季節はずれの猛暑に堪らずこの店に避難してきた様だ。
店員が指し示す席を見るとどうやら座っているのは同性でエリカと同じ学生の様だ。
一見しただけの第一印象に過ぎないが、おとなしめで無駄に騒ぎ立てたり常識が著しく欠如している類の人間ではない様に見える。
これなら問題ないだろうとエリカは了承の意を伝えると店員は礼を言って先に席に座っていた女子にも確認を取りに行った。
彼女はエリカを顔を見ると一瞬だけ驚いた様な表情をして店員に同じ様に了承の意を伝えた。
エリカが店員に促されて席に座ると、彼女はちらちらとエリカの方を見ている。
(……はぁ、またかしら)
あの決勝戦以降、戦車道に興味を持った婦女子は多い。
それだけあの大会は劇的であった。
試合内容もさることながら、大洗のバックグラウンドは物語として大変な魅力に溢れていた訳だ。
少女達が自分達の母校の存続をかけて全国大会の優勝を目指す。
その少女達は素人ばかりで戦車の揃えもろくなものではない。
対するは人員も戦車も豊富な強豪校ばかり。
特に最後に鎮座するのは全国大会常勝校。
そんな彼女達を率いるのは、去年に人を助ける為に哀れにもその常勝校の敗北の原因となってしまった心優しい少女。
そして最後に相対するのは彼女の実の姉……。
どれか一つだけだとしてもマスコミが幾らでも盛り上げられるだろう要素が幾重にも積み重なっているのだ。
最初はローカル局のちょっとしたニュース程度だったが、大洗が次の試合へと一つコマを進める度にネットやSNS等で話題になり、プラウダを破り決勝へと進んだ頃にはTVや新聞等で全国規模で取り扱われていた。
そして比喩や誇張無しで全国が注目した全国大会決勝戦。
高校大会として唯一全国生放送されたこの試合は非常に高い視聴率を叩き出したそうだ。
それも無理はない。
前評判だけで既に注目度は高かったが、その試合内容は戦車道自体にはさして興味がない人間が見ても解りやすく、そして凄まじかった。
確かに前半に関しては遠距離砲撃によって黒森峰が一方的にやられているシーンは経験者ならばその独特の戦術に驚嘆を持って迎えられただろうが、素人からするとあまり見ごたえはないだろう。
しかし、後半の市街地に移ってからは、素人の目にも明らかなほど強固で強大なマウスを、見事な連携によって撃破。
航空機による上空から俯瞰的にみた入り組んだ市街地における、有機的な見事な連携。
そして何よりも最後の一騎打ちだ。
素人の目から見ても理解しやすいダイナミックなタンク・ジョスト。
巨大な二対の鉄の塊がいっそ優雅で華麗な動きを見せつつ、互いに紙一重に砲弾を避けながら舞う。
肉薄し車体をぶつけ合いながら砲塔を絡ませたと思ったら、またぱっと離れて軽やかに機動戦を行う静と動の変化。
そして最後の静かに相対した次の瞬間に、猛烈な勢いで接近し、まるで二人でワルツを踊っているかのように交差し決着したあの一瞬。
最後のタンク・ジョストは放送後もワイドショーやスポーツ番組やバラエティ番組でも繰り返しテレビに流れたが、特にあの最後の戦劇は繰り返された。
動画投稿サイトにも幾つも投稿され、国内のみならず海外からも反響があったほどだ。
プロ顔負けの機動が高校生によるものであると知った海外の反応に逸見エリカはまるで我が事のように誇らしかった。
その戦いはあらゆる年代に加えて男性もひきつけた。
単に観戦者としても戦車道とはこれほど見ごたえのあるスポーツなのだと。
そして何より同年代の女子高校生からは憧憬をもって迎えられた。
自分と同じ年齢の少女があんな風に輝けるなんて……と。
そういう事もあって高校戦車道界の選手は半ばアイドル的側面を帯びてきたのだ。
それに斜陽であった戦車道を復興させ、更に盛り上げる機会であると機を見るに敏である戦車道連盟が促進させ、主要選手のメディアへの露出等の協力も依頼してきた。
当然、断トツの一番人気は西住姉妹であるが、各校隊長も中々であった。
そして、逸見エリカ自身も西住姉妹には負けるが中々強い人気を誇っていた。
異国の血が流れている端整な顔立ちとその強い意志を帯びたような鋭い眼は異性のみならず同性からも人気が高かった。
またあの決勝戦でも最後の戦いの時に三台で平行して大洗の援軍を止め、キューポラから姿を出し大洗を睨み付けるシーンもそこそこ話題になったからだ。
そういう訳でエリカ自身も好まざる事ではあるが、戦車道界の為だと思い何度か雑誌のインタビューを受けたり広報ポスターに写ったりしている。
そんな事情から時々ではあるが自分のファンだという子から握手やサインを求められたりするのだ。
(……まぁしょうがないか。相席になったって言うのに断ってずっと気まずくなるのは嫌だし。
ただ、ずっとあれこれ聞かれたりするのは嫌ね…)
「……あ、あの!黒森峰の副隊長の逸見エリカさんですか!?」
(はぁ…やっぱりね)
心の中で嘆息しながらエリカは答えた。
「ええ、そうよ。ただサインとかはしてあげるけど「私に副隊長としての心得を教えてください!!」」
「…………は?」
"あまり質問とかには答えられないわ"と続けようとした台詞を遮ってがばりと頭を下げながら不可解な事を叫んだ目の前の少女にエリカは珍しく呆気に取られた。
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(……ああ、なるほど。見覚えはあるわ。
というより散々写真で見たわね)
一先ず注文してから事情を聞いて理解した。
逸見エリカは……というより黒森峰生徒は決勝戦に備えて一丸となって大洗対策を考案していた。
当然、選手のプロフィールは何度も何度も熟読したが、決勝戦も終わり頭から抜けていたと言う事と、やはり写真で見るのと現実で会うのは何処か印象が違うから気づけなかったのだ。
「……それで何で副隊長の?
確か、副隊長は3年の河島という人じゃなかった?
それとももう貴女が次の副隊長として決まっているのかしら?」
「……そういう流れができ始めているのも確かです。
ですが、単純に私は隊長の役に立ちたいんです!」
「十分、役に立っているんじゃないの?
確かに貴女の戦車は最初は全くの役立たず……いえ、それどころか足手纏いでしかなかったわ。
特に練習試合の車輛を放棄して逃げ出すなんて、私なら殴っているわ。
いえ、殴る価値すらない。
明日からもう来なくて良いとだけ告げるわね」
「……うう、あの時の事は言わないでください」
「でも、サンダース戦では腕はまだまだだけど戦車乗りとして及第点をあげられたわ。
準決勝では二砲塔を活用してよくプラウダを引き付けていた。
そして決勝のうちとの試合では市街地で見事な立ち回りをしていたじゃない。
正直、かなり見直してるし、個人としても尊敬に値すると思っている。
みほの教練があったとはいえ、始めたばかりの初心者がよくあそこまで……。
勘違いしないでほしいのは単に技量だけを褒めている訳じゃないわ。
相当の熱意と本気さがないとああはならない。
貴方達が真剣に戦車道に向き合っている事を褒めているの」
「……ありがとうございます。
えへへ、天下の黒森峰の副隊長さんに褒められると自信がつきます」
エリカは何と無しに注文したブラックのアイスコーヒーを口に含んで表情を隠した。
何となく今の澤梓が照れた様子が西住みほに似ていたからだ。
(……弟子は師に似るのかしらね…)
「でも逸見さんから見て本当に私は役に立っていると思います?」
「そりゃあ……M3リーでエレファントとヤークトティーガーを倒したのよ?
それが役に立っていない訳がないでしょう」
「……隊長から良く聞いています。
エリカさんは私の事をよく理解してくれている。
一番頼りになった人だって」
(……あの子は何を言い回っているのよ!)
再びアイスコーヒーを口に付ける。
「だからこそ解ると思います。
"本当に"私達が役に立ったと思いますか?
私達が必要だったと思いますか?
私達でなければならないと思いますか?」
「……思わないわね。
極論を言えばみほは貴女達がいなければいないなりに作戦を立てるでしょうね」
「私もそう思います。
でも隊長の車輛に乗っている先輩達は違います。
皆、隊長から心より頼りにされています。
会長もそうです。
戦車道の試合においてもそうですが、それ以外の"外"に関する事では隊長は絶対の信頼を感じています。
……私もそうなりたいんです!
隊長のお役に立ちたい!
隊長に頼りにされたい!
……隊長に信頼されたい!!」
「……」
それが恐ろしくハードルが高い事であるとエリカは知っていた。
西住みほは心優しい。
その心の器も限りなく大きいだろう。
だが、同時に人を信頼するという事を殆どしない子である。
別に疑い深いと言う訳ではない。
人格面の問題ではなく単に能力面での話だ。
通常ならば相手が失敗すれば、注意したり改善点を述べたり、次からは頑張ろうと声をかけるだろうが、幾らかは失望なり怒り等を心のどこかに感じるだろう。
だがみほはそんな事すらも思いはしない。
「気にしないでください」と声をかけて本人も本当に欠片も気にする事無く、直ぐに改善案を出す。
何故ならば相手に期待していないから、万全を求めていないから。
最初から失敗する事も織り込み済みで考えるから。
そしてそれでも本当にどうにかなってしまうから。
だから「この人ならば絶対にやってくれる!」と信頼する事もする必要もない。
他人の失敗を気にする事も追求する気も起きないみほの心優しく大きな心と、どんな状況すらひっくり返せるみほの能力がそうさせていた。
それは通常ならば安心できる事だ。
自分の責を批判される事もないし、自分の失態を幾らでもカバーしてくれるからだ。
だが、もっとより深く、彼女の役に立ちたいと思う者にとってそれは……とても寂しい事であった。
「……みほの戦車に乗せてもらって見学させてもらうとかどう?
あの子がどういう指示を出しているのか間近で見るのは副隊長をする上で役に立つと思うけど……」
「……もうしました」
俯きながら答える梓にエリカはそれが上手く行かなかった事を察した。
「何の参考にもならなかったです。
だって指示と言っても"秋山さん"とか"麻子さん"とか名前を呼ぶだけ。
それだけで先輩達は"解りました"とか"ん"と返事するだけ。
試合が佳境に入るとそれすらしないんです。
隊長が肩に手を置いたり、目配せするだけで先輩達が頷いて……」
……それはエリカにも覚えがあった。
何故ならかつての自分達……去年にみほの車輛に乗っていたエリカ達と同じであったからだ。
いや、その中でも純粋な意味でその境地に達していたのはエリカだけであった。
何故なら始めて乗った戦車がみほの戦車であったのはエリカだけであったからだ。
だが、当然ながら今年から戦車道を始めた素人であったあんこうチームの面々は全員が初搭乗車輛がみほの車輛だった者たちだ。
特異的で常識はずれのみほの指揮に完全に沿う事はできない。
既に常識的な戦車道に触れていた者には異質すぎて理解が及ばないからだ。
だが未経験者はそういった常識やセオリーは一切ない。
無からみほの好みに沿うように、みほの世界観にだけ染められる。
だから彼女達はみほの戦車の最適な部品として適用されているのだ。
だがそれは同時に特殊すぎて他の構成部品としては一切規格が合わない。
もう彼女達はみほの戦車以外ではまともに戦車道ができなくなっているだろう。
本来なら今年も自分達がその位置にいる筈であった。
……だが、今ではみほの車輛には見知らぬ者たちが乗っている。
エリカはとっくに吹っ切れた筈であるのに、その事実を改めて再認識した時、どうしても何ともいえぬ感情が湧き上がるのを自覚していた。
「黒森峰ではどうか知らないですけどうちって反省会というか検証会みたいなのやるんです。
それでエキシビジョンマッチの時に当然ですけど私は隊長の記録が見たいってお願いして見せてもらったんです。
神社の階段を隊長の車輛が降りていった所なんですけど」
反省会を行うのは黒森峰も同様であった。
同時に、そのエキシビジョンの様子も見た事がある。
しかし、それは一般に公開されている映像に過ぎず、各車両の内部記録までは見た事がない。
その場面の映像では無茶をするなと思ったが、同時に冷泉麻子の技量の高さに驚いたものだ。
後に続いたプラウダの二輌も階段を降りる事は成功していたが、麻子の操る車輛は戦車の超重量からすれば驚くほど揺れが少なく、スムーズにかつ手早く降りていったのだ。
この時に距離を稼いだ事が、その後の展開に繋げた大きな要因であっただろう。
「"麻子さんなら大丈夫"
そう隊長は言っていたんです。
あんこうの先輩達が隊長から信頼されているってのは解っていたんです。
でも……でも実際にそれを聞いた時、私は冷泉先輩が羨ましくてっ…羨ましくて仕方がなかった!
ずるいとも思った!
私だって最初に隊長の車輛に乗っていれば!
……憎いとも思いました。
思った後で何て嫌な子なんだろうって自己嫌悪しました……。
あんこうの先輩達だけじゃないんです。
二度目の大洗廃校の時に会長がいなくなって皆が不安になっている時に、隊長は一人で涼しい顔をしながら"会長が何とかしてくれます"って言い切ったんです。
会長が戻って隊長がおかえりなさいって迎えて、会長がただいまって笑って返した時、この二人の間には余人には決して踏み入れない繋がりがあるんだなって解りました。
隊長も冷泉先輩も会長も、はっきり言って天才と分類される人達です。
常人にはない感性と才覚がある事は凡人の私にでもわかります。
……じゃあ凡人の私には無理なんでしょうか?
…………そんなの嫌です……」
それを聞いてエリカは驚いた。
あのみほが人に対して「彼女なら大丈夫」と言い切る?
「それでも私は役に立ちたかった。
だからどうしたら役に立てるか、何が大洗に足りていないか考えたんです。
例えばレオポンさんチーム……あ、うちの戦車の修理や整備を担当している先輩達の事です。
あの先輩達の事は整備能力に関しては隊長も信頼しているのが解ります。
そういう風に私にできる役割を考えた時……大洗には隊長の指示を伝達し負担を軽くする事ができる中間が存在しない事に気づいたんです。
だから、私はそれをする為に副隊長として隊長の役に立ちたいんです」
そこにはエリカがいた。
かつてのエリカがいた。
子供の頃に見知らぬ男の子と思っていたみほに手を引っ張られて戦車に乗った時のエリカ。
その後に自分の初恋に気づいたエリカ。
黒森峰で再開してみほがあの時の男の子だと気づいたエリカ。
あの頃のエリカが目指していた物を見上げている。
そして今でも密かに夢見ている物を追い続けている。
凡人である事を自覚しているが故に、何度も諦めそうになった物を。
それでも諦めないと突き進んで望んだ物を……。
"この子は凡人だ。
これまでのデータや試合の様子を見れば頑張っているのは解る。
数ヶ月前まで素人だったにしては驚異的な伸びを見せているのも認める。
それでも凡人の域は出ない。
天才と呼べる人種とは絶対に対等になれない。
……自分と同じなんだ…………。"
「……常にみほの事を考えなさい」
「……え?」
「普通に考えてもみほの思考は絶対に理解できない。
だから普通じゃなくなりなさい。
常にみほの事を考え続けなさい。
それを白痴の様に唯ひたすら馬鹿みたいに続けなさい。
みほがいる所では可能な限りみほを見続けて、いない所ではみほが何をしているか考えなさい。
そうすれば何時の間にかここにみほがいれば何をするか考えるようになる。
何をするか考えるようになれれば、それはみほの行動を予測しようと、トレースしようとしている事になる。
それでもみほの思考は完全にはエミュレートする事はできない。
でも擬似的に、断片的になら、その異質な思考の一端に触れる事もできる。
良い?みほの思考や価値観……いえ、世界観は常人のそれとは全く違うもの。
つまり……言ってしまえば狂気に満ち溢れている。
狂気を理解するには自分も狂うしかない。
……文字通り、"狂気に触れる"しかない。
貴女にその覚悟がある?」
「……あります。
あります!
あの人から信頼されるなら狂うくらいなんて幾らでもやります!」
「……解ったわ」
そう言いながらエリカは一片の紙を梓に差し出した。
「……これは、連絡先?」
そこには携帯のと思われる番号とネット通話アプリのIDが書かれていた。
「定期的に連絡して、みほの行動を報告しなさい。
そこに自分なりの考察と解釈を添えて。
それでみほの思考の検証に付き合ってあげる。
これでも私はみほと付き合ってから結構長いの。
……追い求めていた時間もあのみほのお友達よりも私の方が遥かに長いんだから…」
それはちょっとしたエリカの意趣返しなのかもしれない。
あんなぽっと出の新参よりも自分の方が遥かにみほに関しては古参なのだという自尊心がそうさせたのかもしれない。
それでも一番大きいのは……単にこの目の前の少女に自分を投影してしまったからだろう。
「……ふふふ、知ってますよ」
「……え?」
「忘れたんですか?
あの時に私達を前にしてこう啖呵をきったのは逸見さんじゃないですか。
"私がみほを一番良く知っているんだから!"って」
「……あっ!」
エリカの顔が赤く染まる。
そういえば全国中継下にも関わらず、ついそのような事を言ってしまったのだった。
その様子を見てまたくすくすと笑いながら梓は礼を述べるのであった……。
テーブルの上の真っ黒の液体が注がれた二つのガラスコップ。
それぞれのブラックコーヒーに浮かぶ氷が同時にからぁんと音を鳴らしたのだった。
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「あ!エリカさん!
こっちですよー!」
エリカが喫茶店に入店するとその姿を見つけた梓が声を上げる。
「はいはい、大声を出さなくても解るわよ梓」
エリカが席に座ると素早くブラックコーヒーを頼む。
そろそろ付き合いもある程度重ねた事もあって、梓はエリカが自分と同じ様に何時もブラックコーヒーを頼む事は知っていた。
しかし、最初はそのクールな様子から気づかなかったが、どうやら彼女はブラックコーヒーを飲んでは僅かに苦味を顔をしかめる事に気づいたのだった。
どうもブラックコーヒーをそれほど好んでいない様なのだが、それならば何故いつも注文するかは謎であった。
「久しぶりに会えましたね!」
「……まぁこうして対面するのは確かに久しぶりだけど。
貴女とは頻繁にしゃべっているからそんな感動もないわね」
その言葉の通り、この二人はあれからネットを通じてボイスチャットツール等で頻繁に会話していた。
もちろん、主目的は明言したようにみほの思考と行動についての検証なのだが、雑談に移るとやはりみほについての話をしていたのだ。
梓は大洗でのみほを、エリカは黒森峰時代のエリカを、互いに相手の知らないみほを語り合うのはとても楽しいものであった
そうしている内に自然と二人は親交を深め、何時しか互いに名前で呼び合うようになっていた。
「何時もはエリカさんに奢って貰っていますから今日は私が奢ります!」
「……年下に奢らせる訳にいかないでしょう。
素直に奢られなさい!」
「いいえ!今日は譲れません!
お礼もかねて奢らせてください!」
「……何か良い事でもあったの?」
「はい!この前に隊長に褒められたんです!
"最近の梓さんは副隊長として本当に助かっている"って!
それで思い返すと確かに少しずつですが私への指示の量が減っているんです!」
つまり、こういう事である。
常人にはみほの思考や意図を理解する事ができないので命令の伝達と言ってもみほの命令をそのまま復唱するしかなかった。
ところがある日ふと、自分が他の車輛に命令を伝達して指揮をする時、みほからの指示以外に言葉を付けたしている事に気づいたのだ。
それまでと比べて自分の言葉の量が多くなった訳ではない。
みほからの指示の量が少なくなっているのだ。
それはつまり、みほから梓への指示がいくらか内容が省略されている事を示し、そして梓がその省略された内容についてその意図を明確に把握している事になる。
僅かな差ではあった。
しかし、それは零から一への進歩であった。
今まではどんなに我武者羅に考えて行動しても糸口すら掴めず一切の成果を感じる事もできなかった。
それが例え目的地がどんなに遠くとも、そこに近づいている事が解ったのだ。
ならば歩み続ける限りはそこに近づけるし、何時かはたどり着ける筈だ。
何故なら前に進んでいるからだ。
「それもこれもエリカさんのおかげなんです!
だから是非とも奢らせてください」
そういい切る梓にエリカは大きな溜息をついた。
「……まぁそういう事なら仕方がないわね…。
解った、奢られてあげましょう」
「はい!
あ、店員さん!ホットコーヒーを二つ!
ブラックでお願いします!」
勝手知ったるなんとやらと言わんばかりにエリカの分も注文する梓。
直ぐに運ばれてきたコーヒーを一口飲み、僅かに苦味に顔を歪ませながらも一息ついてから梓が話を切り出してきた。
「そう言えば隊長から伝言です。
"梓さんに協力してくれてありがとう"だそうです」
「ちょ、ちょっと梓!
貴女、みほに喋ったの!?」
事前にエリカは梓にこの件についてみほには内緒にする様にいい含めていた。
理由は実に単純明快で恥ずかしいからであった。
「違いますよ!
私がエリカさんの約束を破る訳ないじゃないですか!」
「……じゃあ誰が教えたっていうのよ……」
確かにこれまでの付き合いから梓が誠実で信用できる性格なのは重々承知していた。
特に理由もなく約束を破るような事も、秘密を漏らすような子ではないというのも理解していた。
「いえ、誰も教えてませんでしたよ」
「はぁ?」
「普通に隊長は気づいていたみたいです。
何だか私の最近の行動と言うか考え方から後ろにエリカさんが関わっているだろうと。
"エリカさんが私を理解してくれているのと同じくらい、私もエリカさんを理解しているんだよ"だそうです」
「ッッ~~~!!」
「あははは、エリカさん顔真っ赤ですよ!
……でも良かったですね。
エリカさんはやっぱり隊長の一番の理解者ですよ。
……ちょっと、ううん、かなり羨ましいな」
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それから拗ねるエリカを梓が宥めながら何時もの会話を楽しんだ。
「ええっ!?
あのみほが怒鳴って怒ったですって!?」
「はい、聖グロとの練習試合の後にこういう事があって……」
「ああ~あの時の……
確かに怪我や事故には人一倍気にする性質でしょうけど……まさかみほが怒鳴り声を上げるなんて……」
「あの時は驚きましたけど今思うと隊長が私の為に怒ってくれたというのは本当に嬉しいです……。
もう一度怒られたいなぁ……」
「あなたねぇ……」
「でもその後で謝りに行ったら頭を撫でて許してもらえたんです。
あれも良かったなぁ」
「頭を撫でて……黒森峰でも見た事は……ああ、いやそういえば浅見には良くやっていたわね。
黒森峰の時は下級生だったけど、後輩ができていたらしていたのかしら……。
そういえば将来は保母さんとか憧れるとか言っていたし子供好きなのかしらね」
「ええ!?それは初めて聞きました!
詳しく教えてください!
……でも子供の相手をする隊長っていうのは何だかとても似合ってますね……」
「絶対に色んな子の初恋の相手になるわよ」
「ああ、解ります。
あの年頃の子って保母さんに将来結婚するーとか言い出しますよね。
私も隊長が保母さんだったら同性とか関係なく言いそうです…」
…
……
………
「それで、あの子ってスプラッター系は全然平気なのよ。
びっくり系ホラーとかもね。
でも和ホラーとかによくあるじわじわと迫り来るのが苦手なのよ。
殺人鬼が襲い掛かってくるってのは大丈夫なんだけど、一人でシャワーを浴びて髪を洗っていると背後に気配がする……とかそういうのが苦手で。
だからそういうのを見た日には必ず私のところに枕を持ってくるの。
"エリカさん……一緒に寝てもいいかな?"ってちょっと涙目で」
「うわーうわー!
可愛い……隊長、可愛い!」
「それで一緒に寝ると指を絡ませて手を握ってくるの。
可愛いからつい頭を撫でてあげると安心したようにふにゃりと笑って……」
「可愛い!可愛い!可愛い!
隊長可愛い!
……あれ?そういえばあんこうの先輩達が前にホラー鑑賞会をやったって言っていた様な……。
珍しくホラーが苦手な冷泉先輩も参加したらしくてびっくりしたけど……まさか……」
…
……
………
「これが隊長の膝枕で休んでいるみほの写真よ」
「わぁ~!姉妹仲良くて素敵です…尊い……。
ではこれがあんこう踊りの時の隊長です」
「……こ、これは!
こんなぴっちりなスーツで…!
ありがとう梓……ありがとう!
斑鳩先輩にも見せてあげましょう……」
…
……
………
そうして二人の会話は弾んでいくが、最後は何時も同じ言葉で締めくくられるのであった。
「みほ、良いわよね……」
「良い……」
テーブルの上の真っ黒の液体が注がれた二つのガラスコップ。
互いに同じ理由で愛飲しているブラックコーヒー。
それぞれのブラックコーヒーに浮かぶ氷が同時にからぁんと音を鳴らしたのだった。
-了-
何時も評価ありがとうございます。
本当に励みになります!