立教大学、空手部、畳の部室にはいつもの三人が風呂に入り終えて座っていた。
鈴木は上半身裸で肩にタオルを巻き、三浦はTシャツにブリーフのパンツ一丁、木村は奥で何か本を読んでいた。
鈴木は三浦に訊いた。
「三浦、夜中腹へらないっすか」
三浦は頭をかきながら、面倒くさそうに答える。
「そうだな」
そう言って、立ち上がると部室を出ようとしたため、鈴木は引き止めるように言う。
「あ、ちょっと待ってくださいよ。何でそんな早く帰るんすか、もうちょっと話していきましょうよ」
三浦の足が止まり、それを見て鈴木は続ける。
「この辺にぃ、うまいラーメン屋の屋台きてるらしいんすよ。いきませんか、いきましょうよ」
三浦は静かに振り返る。
「俺は行かないゾ」
「え、なんでっすか」
「お前、もうちょっと考えるべきだゾ。俺は先輩だゾ、ずっと三浦三浦って呼び捨てにするのはおかしいだろ」
「何言ってるんですか。俺と三浦の仲っしょ、仲良くしましょうよ」
「仲良くしたいなら、第一に礼儀は重んじるべきだゾ。木村」
話を聞いていたのか、気の抜けた顔をしていた木村は、少し驚いて返事をする。
「へ、はい」
「お前もこい、帰るゾ」
「え、僕も行くんですか」
「鈴木と一緒にいたいなら、ここにいればいいぞ」
木村は、鈴木と三浦の顔を何度か往復して見た後、立ち上がった。
鈴木は言う。
「ちょ、お前も行くのかよ」
木村はどこか言いにくそうに返す。
「先輩、もうちょっと他人のことを考えるべきですよ」
それを言われて固まる鈴木を尻目に、二人は部室から出て行った。
鈴木は両ポケットに手を入れ、住宅街の細い道を不機嫌そうに歩いていた。
なんだよあいつ。池沼面のアホなんかと、付き合ってやってるだけでありがたいと思えってんだよ。何が礼儀だ。たく。
そう思いながら小さく舌打ちをすると、左に公園が見えた。
鈴木はこの公園をよく知っており、いつもこの時間帯にはほとんど人はいなかった。気分転換にブランコでも乗ろうと中に入ると、鈴木の死角だった場所に背もたれのあるベンチがあり、そこに座り黙って下を向いている小学生ぐらいの少年が見えた。
ブランコに乗るさまを見られるのに抵抗のあった鈴木は、それを見て帰ろうかと思ったが、その少年が少し気になったため、その子を横目で見つつもブランコに向かう。
ブランコに座ると、スマートフォンを取り出し、ソーシャルゲームをしながらもチラチラと少年の方を見た。
どうやらかなり落ち込んでいるようで、まるで石造のようにずっと下を向いていた。
正直、鈴木はとても暇だった。友人と呼べる人間は三浦と木村しかいないし、家に帰っても何もすることもない。
しょうがねぇな、相談にでものってやるか。
と思いつつも、実際は暇つぶしのため鈴木は立ち上がり、ベンチまで歩くと少年の隣に足を組んで座り、背もたれの部分に両腕を乗せた。
「少年」
と大人びた感じで鈴木が言うと、少年は顔上げた。鈴木は続けて言う。
「どうしたの、何か悩み?」
鈴木はアメリカンな感じを出すために、手を動かしたり頭を動かしたりする。
「いや、まあ」
「どうしたどうした、俺に言ってみ?」
鈴木の頭の中では、自分は相談に乗るかっこいいお兄さんに映っているが、はたから見ればうっとおしい事この上ない奴である。
もちろん、そんな奴に早々に少年は心を許さなかった。
「別に、なんでもないです」
「あー、なるほどねそう簡単には言えないよね」鈴木は右手の指を鳴らす「悩みって奴はね」
「まあ、はい」
「じゃあ俺の秘密も教えちゃおっかなー俺もなー。実は俺、ホモなんだよ」
少年は驚く。
「ええ!」
「おいおい、そんな驚くなって。最近じゃ珍しくないだろ、いろんな人がテレビにも出てるんだからさ」
「いや、まあ……そうですけど」
「ほらほら、俺も秘密言ったんだからさ、教えてよ。もしかして好きな人の話とか?」
少年は図星を突かれたかのような顔をして、口を閉じ視線をそらすと、鈴木は続ける。
「やっぱりか。俺に相談してみ、男の気持ちも女の気持ちもわかっちゃうからさ」
少年は小さくうなづいた。
「そうだよね、きっとお兄さんに聞いてもらう方がいいと思う」
「おいおい、俺の名前はお兄さんじゃないぜ」
「え」
鈴木はウィンクして、自分のことを右手の親指で刺す。
「俺は鈴木、よろしくぅ」
そう言って、鈴木は右ほほを上げ、右眉を下げながら握手のための右手を出す。
もう一度言っておくが、鈴木は自分がかっこいいと思っており、はたから見れば最高にうっとおし事この上ない奴である。
少年はよくわからない表情をしながら右手を握った。
「うん、僕の名前は拓斗」
「拓斗、いい名前じゃん。じゃあ、その好きな奴のこと聞かせろよ、ほらほら」
「せ、せかさないでよ」
「どうなんだよ、話とかはできてんのか。それとも遠くから眺めてるだけか」
「いや、話はしてるよ、毎日」
「なんだよ、全然壁は薄いじゃん。そんだけ仲いいならぱぱっと告白しちゃえよ」
「そんな、仲いいのは僕だけじゃないよ。ほかの男の子とも仲いいし、委員長で女の子ともよく話してるし」
「クラスリーダー的存在ってことね、ふーん」
「まあ、そんな感じ。それにすごく元気な子で、外でもよく遊ぶ子だよ……だから、ダメだよ。僕なんて」
「バカだな。やる前に決めつけるなよ」
「無理だよ、今日も言おうと思ったけどダメだったんだ。告白しても断られるに決まってるし、そもそも僕みたいにおかしな奴の――」
「ばっきゃろう!」
そう言って鈴木は拓斗のほほを強めに殴った。
拓斗は右ほほを押さえながら、鈴木を見る。
「え、な、なにすんのさ」
「やる前から決めつけるやつがどこにいる。いいか、お前。人生は後悔することを見つけたりだ。要は後悔しないことがすべてで、後悔することが人生なんだ」
鈴木は後悔しないように行動しろ、的なことを言いたかったのだが、語彙力や国語力が悲しいほど
それに鈴木は、感情が高ぶって殴ったわけではなく、なんとなく殴った方がそれっぽいと思って殴っている。
再度言うが、鈴木は自分がかっこいいと思っており、はたから見れば天地を
ただ、拓斗にはなんとなく伝わったようだった。
「うん、わかった。言いたいことはよく分からなかったけど、なんだか大切なことを言われた気がするよ」
「そうだろ、そういうわけでお前、明日相手をここに呼んで告白しろ」
「え、なんで」
「俺が見てた方が安心できんだろ」
と言うのは建前で、本当は他人の告白するさまを見たいだけである。
「いや、別にいいよ。恥ずかしいし」
「何言ってんだよ、俺にここまで聞かせといて、あとは知らせないじゃ筋が通らねぇってやつじゃねぇか」
「そうかな」
「そうだよ。これは男と男の約束だ、明日ここで告白、いいか」
「うん……まあ、分かったよ」
「よし、じゃあお前、明日に備えてさっさと帰って早く寝ろ」
「あ、うん。わかった」拓斗はベンチから立ち上がると、鈴木の顔を見る「ほんとにここじゃなきゃダメなの」
「男に二言はないだろ」
「えっと、二言って言うのはよく分からないけど、分かったよ。じゃあね、ありがとう鈴木お兄さん」
「おう」
手を振って歩いていく拓斗に、鈴木は手を振り返し。拓斗が見えなくなると、鼻を右手でかきながらつぶやく。
「ふう……ああやって子供が大人の階段が上がっていって天のあたりで、子供から出るんだなぁ」
大人の階段を上がって子供から大人になる的なことを言いたかったのだが、あれなのでこうなった。
それと、何度だって言うが、彼はこうやってつぶやくのがかっこいいと――
木村は立教大学の廊下を歩き、次の授業の教室に向かっているさなか誰かに肩をつかまれ、振り返ると色黒で臭くうっとおしくて気持ちの悪い鈴木がいた。
木村は眉をひそめて訊く。
「先輩、なんですか」
「ちょっと報告。今日用事あって部活休むから」
またか。
ずる休みの常習犯である鈴木の言葉にそう思いながら、木村は面倒くさそうに返す。
「ああ、はいはい、わかりました。でも先輩、そうやって何度も休むんならやめたら――」
気が付くと、鈴木はいなくなっていた。
木村は小さくつぶやく。
「ハァー……子供だな」
足取り軽く公園に向かうと、すでにベンチに拓斗はいた。
鈴木はすぐに近づいて訊く。
「おい、呼んだんだろうな」
「うん、もうすぐ来ると思うよ」
「おお!いいね。俺は公園の外から見とくから、安心しろよな~」
「正直、見ててほしくはなんだけど」
「遠慮すんなよ。じゃ、俺は隠れとくから」
そう言って、鈴木はさっさと公園から出ると、電柱の後ろに隠れた。
にやにやしながら、相手が来るのを待っていると、公園に一人入ってくる人間が見えた。
相手の女か、と思ったが、それはばつの悪そうな顔をした拓斗と同年代ぐらいの少年だった。
なんで男が、そう思った鈴木はすぐに考えを巡らせる。
要は、俺の女に手を出すな的な奴つまり……拓斗が危ない。拓斗は喧嘩ができそうに見えない。相手はどこからどう見て運動大好きな少年。喧嘩になれば拓斗か一方的にやられるのは目に見えている。
ばつの悪そうな少年が拓斗の前に立つと、拓斗は立ち上がった。拓斗の顔は鈴木からは見えない、きっと泣き出しそうになってるはずだ。
拓斗を傷つけさせるか。
鈴木は電柱から出てダッシュで拓斗のもとへ向かう。
拓斗、今俺が――。
「僕と付き合ってください」
拓斗のその声が聞えた刹那、人間のものとは思えない俊敏な動きで180度ターンして電柱に走り、しゃがみ込んで頭を抱えた。
静粛、鈴木の心の中は水平線が広がり恐ろしいほど静かだった。だが、その水面の裏側、静かに海中火山がふつふつと音を立てていた。
落ち着け……俺……整理しよう……聞き間違い……いや拓斗の声だ、あれは拓斗の声に違いない……おかしいぞ……なんだかおかしいぞ。
ゆっくりと、昨日のことを振り返る。
他の男とも仲がいい、すごく元気、外で遊ぶ、僕みたいにおかしな奴……。
お前ホモかよぉ!?
心の中で雄たけびを上げる中、肩をたたかれ振り向くと、目の両端を赤くした拓斗がいた。
鈴木は震える声で言う。
「た、拓斗お前……そうだよな、急に男に――」
拓斗はウィンクして、親指を立てた。
相手もホモかよぉ!?
拓斗は笑顔をつくりながら返す。
「いや、うれしくて泣いちゃってね」
鈴木はその言葉を聞いて何が何だか分からなくなっていた。
ホモで、相手もホモで、円満で、は?
よくわからなくなっていたが、とりあえず返答する。
「ああ、そ、そうか。よ、よかった、よかったなほんと」
「まあ、飯田君もけっこう僕っぽいなと思ってたからさ」
僕っぽい……ホモっぽい?
鈴木は放心状態で一言も発せなくなっている中、拓斗はしゃべり続ける。
「割とすんなりいいよって言ってもらえてよかったよ。早速、これから僕の家でお医者さんごっこだよ」
お医者さんごっこ!?
「もちろん穴のね」
穴の!?
「ああ大丈夫だよ、衛生面に関してはちゃんとするから」
衛生面!?
「ちなみに、僕がタチだよ」
聞いてない!!
「ほんとに、鈴木お兄さんの言う通り、ちゃんと告白してよかったよ。色々言ってくれてありがとう。でも、僕からも言わせてもらうとね。お兄さん、もうちょっと大人になった方がいいよ。その性格じゃ、いい相手が見つかっても振り向いてもらえないよ。じゃあ僕もう行くね、ほんとにありがとう」
拓斗がネコの恋人にむかって走っていくのを、鈴木はただ無心で見ていた。
木村はいつもの二人と小さめの体育館で、教官の秋吉の前で声を合わせて正拳突きの練習を行っていた。
何度か空を突いた後、正拳突きを続けつつも隣を見るといつもの姿とは変わり果てた鈴木が映った。
声は力強くそして大きく、腕の振りは誰よりも大きい。いつもの不真面目で手を抜くことしか考えていなかった過去の彼の面影が一切見えなかった。
「よし、今日はこんなもんだな」
秋吉がそういうと、鈴木はすぐに秋吉に近づく。
「秋吉さん」
「ん、どうした」
「俺の正拳突きなんですけど。もっとこうした方がいいとかありますか」
「おう、ちょっと見せてみろ」
「オス!」
鈴木はその場で何度かして見せる。
「腕を出すとき、反対側の手に意識がいってないな。突きは全身で撃つんだ、腕だけで撃つもんじゃない」
「オス!ありがとうございます!」
その様を見て、木村は三浦に近寄り、小声で訊く。
「三浦さん、先輩なんか変じゃないですか」
「反省したんだろ。いいことだゾ」
「そんな輩には見えませんけど。昨日だって普通にずる休みしてたんですよ」
「何か経験したんだろ。それがきっかけで改心したんなら、それでいいゾ」
「そうですかね」
正直、一つ何かを経験しただけで、心をここまで入れ替える人間とは思えない。
吹き出る汗を裾でふく鈴木に木村は訊いた。
「先輩」
「ん、どうした」
「なんか、あったんですか」
「いや、別に」
「そうですか」
どこか引っ掛かりを感じながらも、木村は踵を返し、畳の部室へ向かおうとした時、後ろから鈴木に言われる。
「木村」
木村は振り返る。
「何ですか」
「俺って……真面目だよな」
「まあ、今のところ」
「ですよねぇ……うん……今日、夜空いてる?」
「え、まあ、予定はないですけど」
鈴木はウィンクする。
「俺の家で、お医者さんごっこしない?」
静粛が10秒ほど流れた後、木村はただ一言発した。
「はぁ?」