「はぁ… はぁ… はぁ…」
エレベーターを待っていられ無かった
階段を一気に駆け降り、一番奥、突き当たりの部屋のドアを開ける
蝋燭の明かりだけが照らす薄暗い部屋… 線香の香りが鼻を突く…
穏やかに眠る様にベッドに横たわる彼女の傍らにミントは立つ
「綺麗な顔してるでしょ…? 嘘みたいでしょ…?」
乾いたヤンヤンの声が背中越しに聞こえた
「死んでるのよ… それで…… 」
確かに綺麗な顔だった 今にも目を覚まして起き上がりそうだった
「大した傷も無いのに… ただちょっと打ち所が悪かっただけで… もう動かないのよ…… 嘘みたいでしょ…?」
ミントも信じられ無かった 今日の朝まで何時もと同じ…
リトルリーグ界注目の天才ピッチャー、アンアンと、その出来の悪い双子の姉、ヤンヤン…
そんな2人の隣に住む幼なじみ、みんなのアイドルミント…
3人は何時も一緒だった これからも一緒の筈だった
だがアンアンは道路に飛び出した子供を庇ってトラックに跳ねられ、1人天国へと旅立ったのだった…
「ヤンヤン、ミントを甲子園に連れて行って!」
あの日から魂の脱け殻の様に無為の日々を送るヤンヤンを励ます為に、ミントは彼女をけしかける
アンアンが果たせ無かった、野球の聖地のマウンドに立つ夢…
それをヤンヤンに目指して欲しいのだ
それがアンアンへの何よりの供養であり、ヤンヤンに笑顔を取り戻させる近道だと思ったのだ
「じゃあ、アンタも一緒にやりなさいよ!」
だが、ヤンヤンのリアクションはミントの想定とは異なっていた
「わ、私が~~!?」
新体操一筋に打ち込んで来た自分に野蛮な野球など…!
戸惑うミントをヤンヤンは早速グランドに引き摺り出す
ミントも甲子園を目指せと言った手前、今更拒む事も出来ず、流れのままに渋々グラブを填めるのだった
「先ずは基本のキャッチボールよ!」
「う、うん…」
ヤンヤンは昔を思い出す
子供の頃、野球が上手かったのはヤンヤンの方だった
庭の塀に描いた丸い的…
ヤンヤンがそこに簡単に当てられたボールを、
アンアンはどうしても当てられなかった
アンアンは悔しがった
その日から、来る日も来る日も塀の的にボール当ての練習を繰り返すアンアン
天才ピッチャー誕生の影には、間違いなくライバルヤンヤンという存在があったのだ
そして今でもそのヤンヤンの野球センスは衰えてはいなかった
キャッチボールの初球から、いきなり球速は140キロを超える
『ドスッ!!』
「ぐほぉっっっ!?」
物心ついてからリボンしか振っていなかったミントに、当選そんな豪速球を捕球する事など出来る筈が無い
ヤンヤンの放った硬球はミントの腹に強かにめり込む
「あぁ…… あぁ……」
腹を抑え、涎を垂らし、身体を震わせながらミントは崩れ落ちる
だがヤンヤンはそんなミントに向かって吐き捨てる
「どんなに速い球を投げたって、アンアンと違って裏づけが無いのよ! 積み重ねたものが無いのよ! きっと大事なとこでボロがでるわ そして一度崩れたらボロボロよ!」
容赦なく次々と放られる豪速球が、ミントをサンドバックの様に打ちのめす
捕球の構えさえ取る事が出来ぬまま、ミントを打つ硬球の音がグランドに響く
「次はミートバッティングよ!」
「う…………」
顔面をボコボコに腫らしたミントの反応は最早薄い
アンアンのライバルだった、須内リトルの好投手らむね…
彼女の大きな変化球を打ち崩せなければ甲子園などあり得まい
ミントにトスさせたボールをヤンヤンは真芯で捕らえていく
マウンドの上にらむねの幻影が浮かぶ
「悪いわね、らむね… 貴女とのんびり遊んでるわけにはいかないのよ、今は…! アンアンを甲子園にまたせているのよ!」
闘志に震えるヤンヤンの金属バッドが特大のオーバースイングで空を切る!
『ベギッ!』
それはミントの右手の骨を粉砕して、その手に握られたボールを場外まで運んだ
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!?」
あり得ない方向に折れ曲がる五本の指
その手首を抑えてのたうち回るミント
彼女の絶叫がグランドに木霊した
「最後はノックで締めるわよ!」
「もうやだ… お家に帰る… 甲子園なんて行きたくない… 」
グランドの隅で転がり呻くミントに非情な声が掛かる
「ノック1000本も刃物も同じでしょ!? 最初からビビってたらそれまでよ! やれば出来るかもしれないし、やらなきゃなにも出来ないわよ!」
『カキンッ!』
快音を響かせて打球がミントを襲う
「ひべっ!?」
腫れて開かぬ瞼、だらりと垂れる右手の指…
高速で迫り来る硬球を防ぐ手立ては無かった
顔面ミットがど真ん中で打球を受け止める
「もう一丁!」
『カキーン!』
「べほっ!?」
イレギュラーバウンドがミントの股間を強打する
「次はライナーよっ!」
『カキンッ!』
「もう… やじゃぶはっ!?」
再び顔面に直撃した打球がミントの白い歯を宙に舞わせる
「止めはバットよぉぉぉっ!」
『ドスッ! ドスッ! ドスッ!』
「ギャッ!? ヒギッ!? シヌッ!?」
目を血走らせたアンアンが一二塁間に倒れるミントに金属バッドを降り下ろす
その表情は正に狂気 最早野球など関係無かった
「ハァ… ハァ… ハァ…」
大きく肩で息をするヤンヤン 傍らに転がるひしゃげた金属バッド…
「………………」
血塗れでグランドに伸びるミントはピクリとも動かない
「……貴女が憎かったのよ!」
ヤンヤンはそんなミントに吐き捨てる
幼い頃から新体操選手に憧れていたヤンヤン
自分より短足でずんぐり胴のミントが、その世界で評価されるのが許せなかった
野球の練習に託つけての暴行
2度と新体操が出来ない身体にするつもりが
やり過ぎたか…
それでもヤンヤンの心は真夏の青空の様に軽やかだった
「カ… カット~…… 」
ジャックが漸くか細い声をあげる
「ヤンヤン… なにやってるの…? こんなの全然『タッチ』じゃないよ…… 」
自主制作映画『タッチ』の撮影をこなしていた3人
途中から展開された血飛沫舞う惨劇に、カメラマン兼監督のジャックはただ震えて事の推移を見守る事しか出来なかった
「!?」
その言葉にヤンヤンも我に帰った
そうだ、これはドラマだったんだ
つい役に入り過ぎてミントを…! 日頃の鬱憤がつい…!
ヤンヤンは両手で顔を抑えると、直ぐにその顔をジャックに向け指示を出した
「仕方ないわね… 『喰霊 ~愛憎の甲子園編~』にタイトル変更よ!」