ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百八話 雨に打たれた地図

和人ことイタチが、ユウキがリーダーを務めるギルド、スリーピング・ナイツの面々と対面を果たしていた時間帯より遡ること、四時間程のこと。

その日、アスナはALOへ久方ぶりにログインしていた。年末年始に両親に連れられて向かった京都の実家にある部屋は、無線ランすら飛んでいない場所であり、滞在中のALOへのログインは一切叶わなかったのだ。加えて、現地では親戚筋をはじめとして関係各所へ挨拶回りをさせられ、四六時中拘束状態だったと言っても過言ではなかった。そんな窮屈な状態から解放されたことで、アスナはいつも以上に羽目を外してプレイをしていた。その結果が、半日近くの長時間に亘るフルダイブだった。

昼食後、早々にALOへログインした後は、現地でたまたま出会ったSAO以来の旧知の間柄であるキヨマロやギンタ、ヨシモリといった面々と即席のパーティーを作ってフィールドで狩りを行った。夕方には、アインクラッドのイタチが皆の共有スペースとして購入したログハウスにて、リズベットやシリカといった面々と勉強会を開いていた。自分を憐れみの目で見ることのない、気心の知れた仲間達と過ごすそんな時間は、京都にて重圧に晒されて疲弊していたアスナの精神に、安らぎと温かさを与えていた。

そして、そんな楽しい時間を過ごしていれば、時間の流れを忘れてしまうのは、無理も無い話だった。

 

「いけない!ごめん皆、先に落ちるわ!」

 

気が付いた時には、時刻は六時二十五分を過ぎようとしていた。アスナの家の夕食の時間は六時半と決まっており、一分でも遅れれば、時間に厳しい母親からの叱責が飛ぶ。猶予は無いと判断したアスナは、勉強会を開いていた仲間達に別れを告げると、即座にログアウトした。

現実世界の自室へと戻ったアスナもとい明日奈は、素早く起き上がるとクローゼットへ移動してすぐさま着替えを終えて身だしなみを整える。二分と掛けずに支度を終えて部屋を出ると、自室のある二階から一階へと移動。途中、ハウスキーパーの佐田明代と一言二言交わしてダイニングルームへと向かい……その扉を開いた。

 

「遅いわよ」

 

それが、先に夕食の席に着いていた母親から、開口一番に告げられた言葉だった。

 

「五分前にはテーブルに着くようにしなさい」

 

「……ごめんなさい」

 

痩身長躯な体格に、厳格で冷たい印象を強く感じさせる顔立ちで放たれた叱責に、明日奈は委縮してしまった。家族の中では、明日奈どころか兄の浩一郎、父の彰三すらも、京子の前では強気に出られず……対立を避ける傾向にある。

この有無を言わせない威圧的で鋭い攻撃的な態度は、家庭内だけの話ではない。職場である大学の経済学部においても、この抜身の刃のように鋭く、冷酷な舌鋒は健在であり、対立する者達を次々蹴落とし、遂には昨年四十九歳にして教授の座を得るに至ったのだった。

 

「…………」

 

そんな京子を前にしては、明日奈も迂闊に意見を言うこともできない。ただ只管、沈黙を貫き、自宅とは思えない程に緊張に満ちた夕食の時間が過ぎるのを待つのみなのだ。

 

「……またあの機械を使ってたの?」

 

だが、何事も無く終わって欲しいという明日奈の願いは、京子の非難にも似た声色で放たれた言葉によって、潰えることとなった。

 

「……うん。みんなと宿題する約束があったから」

 

「そんなの、ちゃんと自分の手でやらないと勉強にならないわ」

 

しかも、会話の皮切りとなった話題は、よりにもよって京子があまり良い印象を持っていないVRマシンのアミュスフィアである。表情にこそ出さなかったが、明日奈は内心でびくびくしていた。この手の話になると、京子の口からは明日奈に対して否定的な意見しか出て来ないからだ。

 

「みんな、住んでる場所が遠いの。あっちでなら、すぐに会えるのよ」

 

「あんな機械使っても会ってることにはならないわよ。だいたい、宿題なんて一人でやるものです。友達と一緒じゃ遊んじゃうだけだわ」

 

果たして明日奈の予想は違わず、京子は高圧的な姿勢で有無を言わさず捲し立てていく。対する明日奈は、反論の余地等ほとんど無いに等しい状態で追い詰められている状態だった。

 

「いい、あなたには遊んでる余裕なんてないのよ。他の子より二年も遅れたんだから、二年分余計に勉強するのは当たり前でしょう?あんな施設の子達と歩調を合わせている内は、後れを取り戻すことなんてできないわ」

 

「……勉強はちゃんとしてるわ。成績も悪くない筈よ。それに、あんな施設って……めだかさんやまん太君、ララさんだって通っている学校なのよ?そんな言い方は……」

 

「余所は余所、うちはうちです。それに、あの子達は元々の出来が他の子とは違います。あんな学校とは言えない、いい加減なカリキュラムに寄せ集めの教師で成り立っている施設が出している成績なんて当てにならないし、あなたのためにはならないわ」

 

「そ……そんな言い方……」

 

「事件に巻き込まれて教育が遅れた子供達のための学校なんていう体のいいことを言って作られたけれど、あの学校……施設の本当の目的は、事件の影響を受けて将来問題を起こすかもしれない、危険因子となり得る子供達を収容して、監視・矯正することなのよ。あなたまで、そんな施設に居る必要は無いわ」

 

「…………」

 

京子による明日奈達SAO帰還者の通う学校に対する一方的かつ批判的な意見は、一向に止む気配を見せず、それどころか強くなるばかりだった。確かに、京子の言うように、老若男女を問わずSAO事件の影響を受けている人間は多く、特に成長段階の未成年の学生にはその影響が顕著に出やすいことは事実である。SAO帰還者の学校も、そのような影響を緩和するための矯正施設としての面を少なからず持っていることも間違いではない。

しかし、そのような様々な思惑が絡み合って作られた学校ではあっても、明日奈をはじめSAO帰還者達はそこに自分達の居場所を見出しているのだ。京子が寄せ集めと称した教師たちは、いずれも志願して赴任した教師であり、問題児と呼ばれる生徒の相手もかなり慣れており、生徒達と向き合うことに非常に意欲的である。教育カリキュラムについても、デビルーク王国の王女であるララを筆頭に、めだかやまん太といった名家の生徒を受け入れるために、徹底的に見直されていたという話を聞いている。何より、SAO事件を経験したという過去を共有している、気心の知れた仲間達と過ごすことができる場所でもあるのだ。あの年末年始の挨拶回りで受けた同情的な視線も、異物を見るような奇異の視線も向けられることの無い、ありのままの自分でいられる学校という場所を、母親の言いつけというだけで明日奈は手放したくなかった。

だが、そんな明日奈の心中の訴えも、京子の前では言葉にすることもできなかった。それに、仮に声に出して言うことができたとしても、その思いを伝えることは非常に難しかった。そんな明日奈の意見などお構いなしに、京子は明日奈へある書類を手渡した。

 

「あなたにはもっと相応しい学び舎があるわ。お母さんの友達が理事をしてる高校の、三年次への編入試験の話は既に付けておいたから、四月からはこの高校に通いなさい。来週中には必要事項を記入して、三通プリントして書斎のデスクに置いておいてちょうだい。それから……」

 

「ちょ、ちょっとまって!編入試験って……私は今の学校をやめるつもりなんて……!」

 

「いけません。あなたが生まれ持った能力を引き出すために、お母さんとお父さんがどれだけ心を砕いてきたか、あなたも分かっている筈よ。それが、あんな訳の分からないゲームのせいで、二年間も無駄な時間を過ごす羽目になった。後れを取り戻すのは勿論、あなたの今後を考えるなら、早急に手を打って、今以上の努力をしていく必要があるわ。そうすれば、あなたもこれから、輝かしいキャリアを築いていけるわ」

 

何の前触れも無く、明日奈が受けることを前提として、編入試験の話を進める京子には、当人である明日奈の意思を確認する意思は皆無に等しい。加えて言えば、京子は明日奈の将来を心配していると口にしているが、本当に心配しているのは、京子本人のキャリアである――少なくとも、明日奈にはそう思えた。

京子にとってのキャリアとは、学歴や職歴、現在の地位、結婚相手、子供に至るまで京子の人生に関わるもの全てなのだ。そしてその中には、娘である明日奈も含まれている。故に京子が明日奈に対して望むのは、自分と同じように名門校を卒業し、優秀な人間が歩む、俗に言うエリートコース、出世コースへ進むことにある。その計画が、SAO事件の影響で台無しになったと考え、編入の話を持ち出して軌道修正を掛けようとしているのだ。

無論、京子の中では、自分自身のキャリアだけでなく、明日奈の将来を心配していることは間違いないだろう。しかし、何の説明も無く、同意も得ないままに話を強引に進めるやり方は、当人である明日奈には受け入れられる筈も無い。

 

「……先天的な才能なんて無いわ。自分の生き方を最終的に決めるのは、自分自身よ。私は私なりに、あの学校の中でやりたいことを探して、それを叶えるための努力もしっかりしているつもりよ。それにいつもキャリアキャリアって……それじゃあ何?お正月に本家で引き合わされた彼は、私と既に婚約したみたいな口調だったけど……進路だけじゃなくて、結婚相手までお母さんが決めなきゃ気が済まないの?」

 

「結婚もキャリアの一部よ。経済的に不自由を強いられる可能性のある相手と一緒になってしまったら、将来困るのは他でもないあなたよ。その点、裕也君なら申し分ないわ。一族経営の地銀に務めているから安定しているし、お母さんは素直ないい子で気に入っているわ」

 

京都滞在の最終日の夜に、母屋の奥まった部屋で、二つ年上の大学生の青年と二人きりにさせられたことについて、明日奈は非難の視線を向けながら抗議を口にするが、当の京子は全く動じた様子が無かった。

本家の銀行の取締役の家系にあるというこの青年は、明日奈と二人きりにされた際に、自身の専攻学科や就職先等をはじめ、将来の出世コースについて終始にこやかに話し続けていたのだ。まるで、婚約を前提とした見合いの席のような空気に置かれ、話を聞かされていた明日奈は、表面上は取り繕っていたが、内心では大いに頭を抱えていた。この青年には何の罪も無いが、このような即席の見合いの席を仕組まれた明日奈としては、たまったものではない。

何より、結婚相手を親に勝手に決められるような真似をされたことに、明日奈はひどい嫌悪を抱いていた。故に、この時ばかりは苛立ちを露に内心を口にしてしまった。

 

「……何も反省していないのね。あんな事件を起こして、私と大勢の人たちを苦しめて、レクトの経営を危うくしただけでなく…………和人君を殺そうとしたのは、お母さんが選んだ須郷伸之なのよ」

 

「やめてちょうだい」

 

だが、その名前に不快感を覚えたのは、明日奈だけではなかったらしい。京子もまた、苦虫を噛み潰したかのように盛大に顔を顰めて首を横に振った。

 

「あの人の話は聞きたくもないわ。だいたい、あの人を養子にしようなんて言い出したのは、お父さんの方ですよ。人を見る目が無いのよ、昔から。それに比べて、裕也君なら安心だわ」

 

京子の言うように、確かに彰三はレクト・プログレスのCEO時代から周囲の人間に関して、その内面に対する思慮に欠ける一面があったことは事実である。しかし、須郷伸之との婚約未遂に至った件については、夫である彰三一人に責任には止まらない。当時ALO事件に巻き込まれて意識の無かった明日奈と須郷の婚約は、両親である京子と彰三の同意によって成立したものである。故に、どちらが先に話を持ち出したにしても、人を見る目が無かったのは京子も同様であり、客観的に見れば棚上げできる問題ではないのだ。

しかし、須郷の名前を出すのは明日奈自身も本心では相当嫌だったのだろう。それ以上京子の落ち度について言及することはやめた。

 

「……ともかく、あの人とお付き合いするつもりは無いわよ。相手は自分で選ぶわ」

 

「いいわよ。あなたに相応しい、立派な人なら誰でも。けど、あんな施設の子は含まれませんからね。それからもう一つ」

 

めだかやまん太、ララといった名家の子供達も通っているにも関わらず、帰還者学校の生徒全員の人間性を否定する物言いに憤慨する明日奈。だが、京子が次に一呼吸置いて放った言葉は、完全に予想外なものだった。

 

「桐ケ谷和人君といったからしらね。あの子だけは、絶対にやめておきなさい」

 

「…………!」

 

京子の口から聞かされた、自身の思い人――和人の名前に、明日奈は衝撃を受け、ナイフを握っていた手を滑らせてしまった。食器がぶつかる音が部屋に響き、ダイニングが静寂に包まれる。驚愕に目を見開いた明日奈は、小刻みに震えながら顔を上げる。視線の先の席に座る京子は、何でも無いように、しかしその目つきは先程より鋭くなっているようだった。

 

「まさか……調べたの?彼のこと……」

 

「ええ。あの施設のことを調べるついでに、あなたの周囲の子達についても、少しばかりね」

 

掠れた声で問い掛ける明日奈に対し、京子はあっさりと肯定した。実の娘とは言え、勝手に身辺調査をされたことに明日奈は先程に増して怒りを覚えるが、今はそれよりも重要なことがある。京子は先程、『桐ケ谷和人』と個人を名指ししたうえで、明日奈に相応しくないと否定したのだ。その真意を問わねばならない。

 

「……和人君のことについて調べたのなら、彼が事件前に通っていた中学についても知っているわよね?和人君は私と同じ中学に通っていた後輩で、しかも学年ではトップクラスの成績で、同学年の生徒や先生達からの信頼も厚かったわ。部活動ではトラブルを起こしたことになっているけど、あれは三年生の子達が彼に一方的に因縁をつけたことが原因で、完全に正当防衛よ。彼が何も弁明しないことを良いことに、学校側が勝手に彼を悪者に仕立て上げただけで、彼は何も悪くないわ」

 

「そうね。その辺りのことは、私も以前から少し聞いていたわ。それなりに優秀な生徒だったみたいだからね。まあ、彼もあんなおかしな事件に巻き込まれなければ、それなりに良い人生を送れたかもしれないわ」

 

加えて言えば、和人は現在の帰還者学校においても優秀な生徒として知られている。

勉強面では、同じ学校に通う生徒の中には、めだかやララをはじめ、SAOでは明日奈と同じく血盟騎士団に所属していた高峰清麿や桂木桂馬といった頭脳明晰な生徒達に埋もれがちだが、国内平均で見れば十分優秀な部類である。

スポーツに関しては言わずもがな。他の追随を許さない程に優れた運動神経を持ち、仮想世界におけるイタチに迫ると言っても過言ではない動きを見せる実力者なのだ。

人付き合いがあまり得意ではないのは相変わらずだが、それでもSAO事件を経て大分軟化しており、改善に向かっている。少なくとも、京子が名指しで明日奈の付き合う相手から除外される要素は無い筈である。

 

「けど、あなたとあの子が付き合うのを認めるのは別の問題よ。あの子と一緒になれば、あなたは必ず不幸になるわ」

 

「……どういうこと?」

 

和人のことを知りながら、明日奈との関係――実際に付き合っていないが――を認めないどころか、和人が明日奈を不幸にするという。母親の真意が読み取れず、問いを重ねる明日奈に対し、京子は遂にその核心を口にした。

 

「あなたも知っている筈よ。あの子……桐ケ谷和人君は、あのゲームの制作に携わったスタッフの一人だったの。つまり……あの子はあの事件を引き起こすのに加担した人間の一人ということなのよ」

 

それが、京子の真意だった。それを聞かされた明日奈は、母親の言動に衝撃を受けると同時に、自身の中に怒りが溢れ返りそうになるのを感じた。血が滲みそうになるくらいにナイフとフォークを握り締める手に力を込めることで、感情を何とか抑え込むことには成功したが、母親の言葉に納得できる筈が無い。怒りに声を震わせながらも、明日奈もまた対抗するように意見を唱えた。

 

「……和人君だって、あんな事件が起こるなんて想像もしていなかったわ。現に、彼だって私達と同じように巻き込まれた被害者の一人じゃない。彼を加害者のように扱うのは、どう考えても理不尽よ」

 

「実際にはそうかもしれないけど、世間はそうは受け止めない可能性の方が高いわ。彼があのゲームの制作に携わっていたことは変えようの無い事実なのよ。仮にあなた達が付き合うことになったとして……もしこのことが公になれば、あなたにまで累が及ぶことは間違いないでしょう?そんなリスクを背負ってまで一緒になる価値が、あの子にあるとは思えないわ」

 

「…………」

 

「いくら優秀で将来有望な才能を持っていたとしても、そういう事情を持っている子とは、関わり合いにならない方があなたのためよ。その手のレッテルは、個人に止まらないわ。親類縁者や友人に至るまで、関係のある人間全てを巻き沿いにする可能性が高い以上、今の内に関係を断つ方が賢明よ」

 

「………………」

 

「そもそも、あなたは勿論、黒神財閥の御令嬢や小山田グループの御曹司があんな学校にいること自体がおかしな話なのよ。矯正施設も同然の学校の生徒と関係を結んでも、何も良いことなんて無いわ。友達にしてもお付き合いする人にしても、あなたにはもっと相応しい相手がいるわ。あんな施設の、問題を抱えた子供達よりもね」

 

「……………………いで」

 

「あと、例の事件であの子があの人に拳銃で撃たれて大怪我をしたことに負い目を感じているなら、やめておきなさい。その件については事件後にお父さんがきちんと謝罪したし、怪我の治療費だって、うちが全額負担したのよ。だから、あの件は完全に手打ちになった筈よ」

 

「………………こと…………わないで」

 

「世間ではあの子のこと、事件を解決に導いた英雄扱いになっているけど、あのゲームを作ったのが彼なら、それをどうにかできるのも当然だわ。結局あの子は、自分が蒔いた種を自分で摘み取ったに過ぎないのよ。拳銃で撃たれた件にしても、警察の真似事をして、勝手に事件に首を突っ込んだことが原因じゃない。つまるところ、全部あの子の自業自得よ。そんな子と一緒にいれば、あなただっていつか――――」

 

 

 

「勝手なこと、言わないで!!」

 

 

 

凶器のように研ぎ澄まされた京子の口から間断無く語られていた、和人に対する容赦の無い評価と批評。しかしそれは、ガシャンという、銀食器をテーブルに叩き付ける音と共に放たれたのは、怒声によって遮られた。ダイニングルームを包んでいた静寂を引き裂いた当人である明日奈は食器をテーブルに叩き付けた勢いのまま立ち上がっていた。その目には、常の穏やかな彼女からは考えられないような、殺気すら感じさせる程の激しい怒りの感情を宿していた。

 

「何がレッテルよ!何が自業自得よ!和人君のことを碌に知りもしないで……勝手にレッテルを貼っているのは、お母さんの方じゃない!それに、和人君はSAOの制作に携わっていたことを……そのせいで、たくさんの人を不幸にしたことも、一日だって忘れたことは無かったわ!和人君が、どんな覚悟であの世界で戦って来たのか……どんな気持ちで今を生きているのか、お母さんに何が分かるのよ!!」

 

明日奈がSAOの中で見てきた和人ことイタチは、常に一人で戦い、常に危険な役目に回っていた。そこには、SAO事件の主犯である茅場晶彦の共犯として、ゲーム制作に手を貸してしまったことに対する罪悪感と、それ故に自身が攻略の最前線に立つ必要があるという責任感があったことは間違いない。だからこそ、明日奈をはじめ、仲間として手を差し伸べた者達を贖罪へ巻き込まないために拒絶し、汚名を被り続けていたのだ。

そんな、誰よりも危険を冒し、誰よりも辛い思いをして戦いに臨んできたイタチの全てを否定するかのような京子の誹謗中傷は、明日奈には何よりも耐えられなかった。

 

「…………明日奈……あなた……」

 

そして、明日奈の向かい側に座っていた京子は、先程までの舌鋒はどこへやら。いきなり怒声を放った明日奈の凄まじい剣幕を前に、驚愕のあまり思考が硬直している様子だった。

そんな京子を余所に、当の明日奈はまだ半分近く残っている夕食に目もくれず、怒りを露にしたままドアに向かう。そして、ドアを開いて部屋を去る間際、明日奈は呆然とした様子でテーブルの席に着いたままの京子に向き直り、軽蔑の視線と共に再度口を開いた。

 

「悲しいことよね。仮にも人にものを教えて導くことを仕事にしている筈の母さんが、キャリアだの家柄だのでしか人を見ることができないなんて。しかも、一方的にレッテルを貼って、その人の人格を否定して、可能性を閉ざそうとしている……とてもじゃないけど、教育者の……いいえ、人のすることとは思えないわ」

 

底冷えするような、苛立ちを露に放たれた言葉に、京子は呆然とするほかなかった。娘である明日奈が、母親である自分に対して、ここまで激しい反抗の意思を示すとは予想できなかったようだった。

そんな京子の心中をまるで気に留める様子も無く、明日奈はさらに言い募る。

 

「私にとって利益にならない和人君や学校の友達のことが気に食わないって言うけど……それは、母さんにとってのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんのことも同じなんでしょうね。由緒ある名家じゃなくて、ただの農家に生まれたことを恥じているんでしょう?」

 

さらには、亡くなった祖父母に対して不満を抱いているなどという意見を口にしてきた。流石にこれは、許容できなかったのだろう。今度は京子がその顔を怒りに歪ませる番だった。

だが、機先を制した明日奈の方が先に口を開き、最後に言いたいことを口にした。

 

「この際だから私からも言わせてもらうわ。私も、母さんみたいな人の子供に生まれたことを、激しく恥じているわ」

 

その言葉を最後に、明日奈はダイニングルームを後にした。

 

「……明日奈!ちょっとここに来なさい!」

 

その背中を、今度は京子が怒鳴り声を上げて呼び止めようとしたが、明日奈は振り返ることすらしなかった。京子の声を無視して部屋を出て行った明日奈の背中は、実の母親である筈の京子の全てを、拒絶しているかのようだった――――

 

 

 

 

 

 

 

「それから、明日奈は家を飛び出していきました。きっと勢いのままに家を出たのだと思っていたのですが……携帯も向こうは電源を切っているようで通じず、十時を過ぎても帰ってくることはありませんでした」

 

「それで、明日奈さんが行きそうな場所を、手当たり次第に回っているということですか」

 

夜遅く、桐ケ谷家を訪れていた京子は、騒ぎを聞いて玄関へ出てきた和人の提案により、リビングルームに通されていた。そしてその場の席には、来訪者である京子と、最初に対応をしていた翠、後から駆け付けた和人の他に、騒ぎを聞きつけて起きてきた直葉と詩乃も着いていた。

京子が桐ケ谷家を夜遅くに来訪した理由を一通り聞き終えた桐ケ谷家在住の和人以外の三人は、一様に憤慨していた。本人とその家族の手前、明日奈の前で口にしたような歯に衣着せぬ物言いはしていなかったが、明日奈が憤慨して飛び出した程である。和人に関して根も葉もない、相当に酷い批判を口にことは、誰が聞いても明らかだった。翠に関しては、明日奈を想うあまりすれ違いを起こしてしまったことに関して母親として同情しているようにも見えたが、直葉と詩乃は不本意かつ不愉快だと言わんばかりに険しい表情を浮かべていた。

 

「本当に、あの子はここには来なかったのでしょうか?」

 

「先程から何度も申し上げていますように、おたくの娘さんは、うちには来ていません。他に心当たりは無いんですか?」

 

先程から京子が何度口にしている問い掛けに、翠は先程よりやや強い口調で否定した。明日奈が家を飛び出した原因が、夕食の席における京子の和人に対する否定意見にあるのならば、その当人を頼るのではと京子は考えたらしいが、当てが完全に外れた結果となっていた。

 

「……恥ずかしいことですが、娘の交友関係については、私はあまり感知していなかったもので……」

 

「お兄ちゃんのことについては、住所までご存知なくらい調べているのに、おかしな話ですね」

 

直葉の睨みつけるような視線と共に放たれた皮肉ともとれる意見に、京子はぐっと黙り込んだ。京子に対する悪印象が強まってしまった今この場において、京子の味方をする人間は誰もいなかった。

 

「直葉、今はそんなことを言っている場合じゃないだろう。それより、明日奈さんの行方だ。この時間まで帰ってこないということは、仲が良い友人の家に身を寄せていると考えるのが妥当だろう。それも、事情を鑑みれば、帰還者学校の生徒か、その手の事情を共有している友人だ」

 

「多分、男子の家には行っていないだろうから……里香や珪子、深幸、蘭あたりの家かしら?」

 

「あとは、姉妹が家にいる家だな。それでも連絡が取れないのならば……何らかの事件に巻き込まれた可能性があるな」

 

和人が口にした一つの可能性に、その場にいた一同が息を呑んだ。こんな真夜中に女子高生が一人で外出などすれば、犯罪に巻き込まれる可能性も無きに非ずと言える。明日奈のように容姿端麗で、裕福な家庭の出身者ならば猶更である。

 

「とにかく、明日奈さんが頼りにしそうな連絡先に片っ端から確認を取るぞ。それでも駄目ならば、止むを得ん。警察に通報する。それで良いですね、結城さん?」

 

「……よろしくお願いします」

 

悪印象を抱いている相手である和人にこのようなことを頼むのは、不本意なことだろうが、明日奈の安否が掛かっている以上、そんなことは言っていられないのだろう。和人達に対して深々と頭を下げて、頼み込んでいた。

 

「承知しました。直葉は蘭に、詩乃は篠崎さんや珪子といった同性の友人に連絡を頼む。俺は一護や一といった、姉妹がいる家に連絡をかける」

 

「うん、分かった」

 

「了解したわ」

 

和人の指揮のもと、連絡先の分担を行うと、各々に携帯を手に連絡を取り始めようとした。しかし、その時だった。

 

「む…………電話か」

 

和人が手に取った携帯が、突然震え出したのだ。振動の時間は長いため、電話着信であることが分かった。

 

「こんな時間に、一体誰かしら?」

 

「もしかして、明日奈さん?」

 

「いや、違う。だが、これは……」

 

携帯の画面に映し出された連絡相手の名前を確認し、怪訝な表情を浮かべる和人。しかし、一先ず電話に出て要件を聞くべきだろうと考え、通話モードをオンにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

失踪した明日奈の行方を追うための連絡先確認をしようとした矢先、和人の携帯にとある人物からの連絡がかかってきてから数十分後。和人の姿は、自宅から離れた場所にある、とある建物の門前にあった。

広大な敷地に、夜中でも分かる程に手入れの行き渡った、噴水やベンチまで設けられた庭園。その中央には、壮麗な欧州建築の城と見紛うような屋敷が聳え立っていた。まるで、テーマパークやお伽話の世界から持ち込まれたようなこの景色は、しかし間違いなく日本の中にあるものだった。

そして、バイクから降りて格子状の門扉の前で待つことしばらく。屋敷の中からから数名の黒スーツに身を包んだ男達が出てきて、和人のもとへ駆け寄ってきた。

 

「こんな夜分遅くに申し訳ありません、ザスティンさん」

 

「いえ、こちらこそ。仔細はモモ様とナナ様から伺っております。バイクはこちらで駐車場へ移動させます。婿殿、さあこちらへ」

 

門前まで向かってきた数人の男の中から、和人からザスティンと呼ばれたリーダーらしき銀色のロングヘア―の青年が前へ出て、電子ロックが施された門を開き、和人を招き入れる。

 

「そちらのモモ王女殿下とナナ王女殿下から連絡があったとはいえ、本来ならば夜分遅くに大使館にお邪魔するような真似は控えるべきでした。デビルーク王国の方々には、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」

 

「いえ、本当にお気になさらず。ララ様やモモ様、ナナ様のみならず、我らが王、ギド・ルシオン・デビルーク様もまた、婿殿のことを大変気に入られております。いついかなる時に訪ねて来られたとしても、万全の態勢で迎え入れる所存です」

 

和人が今招き入れられたこの場所は、日本にありながら日本ではない場所。東京都内に所在するデビルーク王国の大使館である。大使館とは、国交のある外国に、自国の特命全権大使を駐在させて公務を執行する役所である。各国の重鎮が、政務や所在を置く外交のために詰めている場所であるが故に、本来ならば和人のような一般人が、しかもこのような深夜の時間帯に入ることは絶対にできないことである。

しかし和人は、それを可能にするコネクションをデビルーク王国限定で持っているのだ。そのきっかけとなったのは、言わずと知れた、SAO事件及びALO事件。和人がこれらの事件を解決に導いたことにより、被害者の一人として囚われていたララ・サタリン・デビルーク王女を救う結果となったことが、デビルーク王国との交友の始まりだった。事件解決以降、ゲーム内から交流のあったララをはじめ、その姉妹のモモとナナ、そして父親のギドに気に入られたことで、今や和人はデビルーク王国の国賓扱いであり、電話一本で夜遅くに大使館に入ることすら可能となったのだった。

 

「……ザスティンさん、その『婿殿』という呼び方だけはやめていただけませんでしょうか?」

 

「しかし、陛下は勿論、王妃様もあなたのことを大層気に入っておられます。ララ様も乗り気な様子でございますし、我々の間では婚約者候補という認識なのですが……」

 

「……大変恐縮なのですが、その件については以前申しました通り、丁重にお断りさせていただきます」

 

尤も、和人本人が望むべくして手に入れた身分ではないので、「なってしまった」という表現の方が正しい。お陰で、デビルーク王室内においては、和人に対する「ララの婚約者候補」という認識が強い。本人はきっぱりと否定しているのだが、一部の人間は諦めきれていない節すらあった。

 

「これ以上ご迷惑をお掛けするわけにはいきませんので、早急に要件を済ませ、失礼させていただきますので、ご容赦を。それで、彼女は今どこに?」

 

「……それについては、大使館内にてお待ちのモモ様が案内なされます。ララ様からは、この件について私共は関与するなと仰せつかっておりますのもので」

 

本来ならば、大使館内で起こった問題は、全権大使に相当する立場にあるデビルーク王室の親衛隊長であるザスティンが解決するのが筋である。しかし、他でもない彼女が守るべき護衛対象の、ララ王女がザスティンの介入を拒んでいるという。どうやら彼もまた、和人の来訪を問題解決のための当てにしていた一人らしい。

そうして話をすることしばらく。和人とザスティンは、庭園を通り過ぎて大使館の建物へと辿り着くのだった。そして、扉を開いたその直後、和人を待っていたのであろう人物が駆け寄ってきた。

 

「和人さん!」

 

「和人!」

 

やや幼さを残した声で和人の名前を呼んだのは、ララと同じ色の髪を持つ二人の少女だった。片方はショートカットの髪型、もう片方は長髪をツインテールに束ねた髪型で、二人とも身長もララより低く、一目で妹だと分かる容姿だった。

この二人こそが、和人がこの場へ来る理由となった情報を提供した張本人。ララの妹である双子の王女、モモ・べリア・デビルークとナナ・アスタ・デビルークである。

 

(それにしても……ララといい、ナナといい、ザスティンさんといい…………どうしてこう、知り合いに声が似ている人間が集まっているんだ?)

 

大使館前で会ったザスティンに続き、自身を呼ぶナナの声を聞き、ララの声も思い出したことにより、ふとそんなことを思い浮かべる和人。だが、今はそれより重大な事項がある。

 

「夜遅くに悪いな。モモにナナ」

 

「いえ、それは良いんです。それより……」

 

「あの人と姉様が、かなりヤバいんだよ。早いこと、止めに来てくれよ」

 

ボブカットの短髪を手で横に払い、頬に手を当てて困った表情をするモモ。それとは対照的に、ナナの方はやや焦った様子で和人の手を取ると、ツインテールを靡かせながら、強引に屋敷の奥へと駆け足で引っ張っていくのだった。

そうして、外観通りに広い大使館内を駆け足で移動することしばらく。和人は目的地らしき部屋へと通じる扉の前へと案内された。

 

「ここにいるのか?だが、この部屋は……」

 

「ああ、言いたいことは分かってる。けど、あの人は姉様と一緒に帰ってきてから、ずっとここに籠っているんだ」

 

「そうか……分かった。すぐに連れて帰るから、少し待っててくれ」

 

「和人さん、お気をつけて……」

 

二人の王女からの心配そうな視線を背中から受けながらも、和人は扉のノブへと手を掛け、そのまま開け放った。すると、そこには………………

 

 

 

 

 

 

 

「えへへ~~!ララぁ、もっと飲みなよぉっ!」

 

「あははは!明日奈も、結構イけるんだね!」

 

「…………」

 

ダイニングバーを彷彿させる、古風ながら高級感溢れる家具とインテリアが数備え付けられた、やや薄暗い部屋の中。ソファーに腰掛け、テーブルを挟んで向かい合いながら、タガが外れたかのような、底抜けに陽気な笑い声を響かせている二人の少女の姿があった。さらにその傍らには、長いストレートの金髪に、紅色の目をした、小柄な少女が無言のまま立っていた。

テーブルの上には、バーカウンターの棚から持ってきたのであろう、これもまた一目で高価なものと分かる酒瓶が多数並べられていた。そして、騒いでいる少女達の手には、グラスが握られている。この状況を見れば、この二人――明日奈とララが、何をしているのかは、誰から見ても明らかだった。

そんな二人の様子を確認するや、和人は内心で溜息を吐くと、一拍置いて三人のもとへ歩み寄った。

 

「何をしているんですか、明日奈さん?」

 

和人がまず一番に声を掛けたのは、この場に居て最も用事がある人物である明日奈だった。接近して漂ってい香りを嗅いで確信したが、テーブルに散乱している瓶の中身は紛れも無く酒類だったらしい。しかも、銘柄を見る限りどれもこれもかなり強いものである。

 

「わっ、和人君だぁっ!あはははっ!ララ、和人君が一緒に飲もうってさ!」

 

「良いね良いね!和人も一緒に飲もう!ほらっ!」

 

真夜中に一体何をしているんだと咎めるような口調で質問を投げ掛ける和人。だが、対する明日奈はそんな言葉など耳に入っていない様子で、ララと二人して和人にも酒を薦める始末。酩酊状態の二人には、何を話しても無駄だと悟った和人は、質問の対象をララの傍に控えていたもう一人の少女へ変えた。

 

「ヤミ……この二人は一体、何時から飲んでいるんだ?」

 

「十時過ぎからです」

 

金髪の少女、ヤミの口から淡々と告げられた言葉に、和人は頭痛を覚えた。時刻は既に深夜の十二時を過ぎている。つまり明日奈とララは、二人して二時間以上も酒盛りをしていることになる。こんな夜中に女子高生二人が、それも大使館内で飲酒して騒いでいるという事実を目の当たりにした和人は、途方も無く呆れ果てていた。

そんな和人を余所に、ヤミと呼ばれた少女は、和人を彷彿させるような無表情のままに、事の顛末の説明を始めるのだった。

 

「午後七時半頃、都内の公園で荷物を持って途方に暮れている彼女を、プリンセスが保護しました。本来ならば、家へ送り届けるべきなのでしたが、家を出た理由を聞かれたプリンセスが、彼女を大使館へ招き入れることを考案しました。その後、友人である彼女の精神をケアすることを目的として、大使館内へ宿泊させて差し上げることが決まりました」

 

「……保護者に連絡が無かったのは、どういうわけだ?それから、酒盛りをするに至った経緯は?」

 

「保護者への連絡は、彼女が頑なに拒否なされていました。飲酒については、プリンセスがストレス発散のためにお誘いになられました」

 

ヤミの説明を聞き、この混沌とした状況が作り出された経緯について把握した和人だが、それを理解した途端、頭痛がさらに増すのを感じた。ナナとモモの連絡を受け、大使館に来ているという明日奈を引き取りに来たのだが、まさか母親との関係がここまで修復困難な程に拗れているとは思わなかった。

真夜中に家を飛び出したのみならず、偶然とはいえその先で遭遇したララを頼って大使館へ入り……さらには酒を飲んで酩酊しているというこの状況。今の状態の明日奈を、母親である京子に引き渡せば、また一波乱起こることは間違いない。正直、他人の家の複雑な事情にこれ以上関わり合いたくはないのだが、この騒動の原因は自身を巡る結城母娘の論争である。ここまで来た以上、逃げることはできない。覚悟を決めた和人は、明日奈を強引にでも連れ出すことにした。

 

「明日奈さん。未成年が夜更け過ぎに、他人の家でお酒を飲んで酔っ払うなど、非常識過ぎます。早く帰りましょう」

 

「和人君、知らないの~?デビルーク王国では、十八歳からお酒飲めるんだよ~。ここは大使館だから、日本だけど、お酒を飲んでも合法だよっ!あっはっは!」

 

「そんなことは関係ありません。さあ、早く帰りましょう」

 

酩酊状態の明日奈にこれ以上の問答は無意味と判断し、腕を掴んで強制的に立ち上がらせて連れ出そうとする和人。しかし、明日奈は尚も抵抗を続ける。

 

「や~あ!もっとララとナナちゃんとモモちゃんとお話しするのっ!あ、勿論、和人君も一緒にね!」

 

「いい加減にしてください。もう深夜なのですから、本来ならば皆寝ている時間帯ですよ」

 

「ぶ~!あ、そうだっ!なら、和人君がちゅ~してくれたら、考えてあげてもいいよ!はい、ちゅ~……」

 

言う通りに帰る意思を一切見せないどころか、唇を尖らせてキスを要求する明日奈に、和人は呆れと同時に苛立ちも覚え始めていた。和人は勿論、明日奈の母親である京子や、和人の家族である翠や直葉、詩乃をはじめ、デビルーク王国の人間にまで迷惑を掛けていながら、まるで反省した様子が無いのだ。なるべく穏やかに事を済ませようと考えていた和人だったが、ここは少々きつ目に説教する必要があるだろうと考え、明日奈と向かい合った。

 

「本当に良いかげんにしてください。どれだけ人に迷惑を掛ければ気が済むんですか?」

 

「むぅう……」

 

「明日奈さんが今すべきことは、ここに逃げ込んで酒を飲むことではないでしょう。お母さんときちんと向かい合って、自分の意思を伝えるために努力することでしょう。それを、こんな方法で訴えかけるのは、どう考えても間違っているでしょう」

 

「…………」

 

「明日奈さんのお母さんも、明日奈さんのことが心配なんですよ。ですから、お互いにもっと腹を割って話し合わなければ……」

 

 

 

「うるさいっ!」

 

 

 

しかし、和人の明日奈に対する説教は、それ以上続かなかった。募りに募った苛立ちを爆発させて放たれたその叫びに、イタチとララ、ヤミまでもが驚いた様子で目を見開いていた。

 

「何よ!皆して勝手なことばっかり!何が私のためよ!お母さんも、和人君も……誰も、私の気持ちなんて分かってくれないじゃない!」

 

掴まれた腕を乱暴に動かし、和人の手を振り払う明日奈。和人を睨みつける目は完全に据わっており、怒りや悲しみといった強い負の感情が渦を巻いているように見えた。

 

「お母さんは、私の意見なんてこれっぽちも聞いてくれな!それどころか、私の大切なものを奪って……キャリアキャリアって、私はお母さんのために生きているんじゃないのよっ!!」

 

酔っ払った勢いのまま、声を荒げて話しだした明日奈の剣幕は凄まじく、傍の椅子を蹴っ飛ばして八つ当たりまでしていた。そんな、和人ですら迂闊に手を出せない程の興奮状態に陥った明日奈は、苛立ちの矛先を和人に向けて、一気に捲し立てていく。

 

「大体、和人君だってそうよ!いつもいつも、澄ました顔で何考えているか、全っ然分からないし!重要なことは、何聞いたってはぐらかしてばっかりじゃない!私とだって、きちんと向き合ってもくれないくせに……偉そうに説教なんてしないでよ!!」

 

「………………」

 

「何が前世の記憶よ!何が忍者よ!自分だけ私達とは違う世界にいるみたいなことばっかり言って……何一つ教えてくれなくて……本当に、わけ分かんないわよ!」

 

ララとヤミが見ている中で、和人が最小限の人間にしか話したことの無い秘密まで口にする明日奈の心からの叫びに対し、しかし和人はそれを止めることはできなかった。明日奈をここまで追い詰めてしまった人物には、母親である京子だけではなく、和人自身も含まれていた。自身の身勝手で明日奈との関係を曖昧にしていたツケが、こうして回ってきたのだ。それを思い知らされた和人には、明日奈を責めることなどできる筈も無かった。

 

「嫌い……お母さんも和人君も……皆、大っ嫌いよ……!」

 

自身を取り巻く家族や友人といった人々との関係を否定し、拒絶する言葉を、涙声で吐露した明日奈の目からは、大量の涙が流れ出ていた。その言葉を最後に、部屋の中には明日奈の嗚咽がこだまするのだった――――

 


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