ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百十三話 傷跡が癒える事はない

とある晴れた休日の昼下がり。とある町中にある公園へ、二人の少女が遊びに来ていた。長髪と短髪と、髪型の違いこそあるものの、非常に似た顔立ちの彼女等は見て分かる通り、双子の姉妹だった。そんな、どこにでもある平穏な日常の光景は――――しかし、突如として破壊された。

 

「とっとと帰れ!ばい菌女共!」

 

「ここはお前等の来ていい場所じゃねえんだよ!」

 

「近寄んな!汚いんだよお前等は!」

 

姉妹を取り囲んで罵詈雑言を浴びせかけるのは、同じ学校に通う子供達。五人もの同学年の、それも自分達よりも体格の大きい少年達に威圧され、悪意を向けられた少女達は、ひどく怯えた様子だった。特に短髪の妹の方は、恐怖のあまり長髪の姉に抱き着いて震えていた。

 

「……お願いだから、やめて!」

 

自身の胸で震える妹を守るべく、自身も感じている恐怖に耐えながら、姉が声を振り絞って訴えかけた。だが、そんな少女の悲痛な願いも、少年達には届かない。

 

「うるせえ!お前等がいるお陰で、俺達は公園で遊べねえんだ!迷惑なんだよ、本当に!」

 

「まさか、俺達にまで病気を移そうってんじゃねえだろうな?」

 

「きっとそうだぜ!こいつら、この公園まで汚染するつもりなんだ!」

 

「このばい菌共が!ぶっ殺してやる!」

 

少女の願いに耳を貸すどころか、少年達はその行動をますますヒートアップさせていく。目の前の姉妹に謂れの無い罪を着せ、挙句の果てには暴力を振るおうと、すぐそばに落ちていた石を拾い上げた。

 

「……っ!」

 

少年たちに背を向ける形で妹を抱きしめ、投げつけられる石から身を挺して守ろうとする姉。目を瞑り、痛みに備えるように身を硬くする。だが、そこへ――――

 

「何やってんのよ!!」

 

少年達に虐げられている二人の姉妹とは別の、少女の怒声が響き渡る。姉妹二人と少年達五人が声のした公園の入口の方へと振り返ると、そこにはボーイッシュな服装に身を包んだ、ショートヘアの髪型と、勝気な顔立ちをした少女が立っていた。その凛々しくも年相応の可愛らしさを感じさせる表情は、怒りに染まっていた。

そして、そんな怒り心頭な少女に睨まれた少年達は、驚きに目を見開くとともに、顔色は瞬く間に青く染めていた。

 

「あ、有沢竜貴……!」

 

「チッ……厄介な奴が来やがった……!」

 

動揺する少年達のもとへ、竜貴と呼ばれた少女は肩を怒らせながら歩み寄る。次いで、少年達に囲まれた姉妹の怯えた姿を改めて視認するや、再び怒鳴り声を上げた。

 

「こんな女の子二人を寄って集って苛めて……恥ずかしいとか思わないの!?」

 

「なっ……だ、だってよ!こいつら、とんでもねえ病気持ってんだぞ!?」

 

「そうだ!こんな危険な奴等を、何でお前は庇うんだよ!」

 

「意味分かんねえよ!お前だって迷惑してんだろうがよ!」

 

竜貴の剣幕に圧倒されつつも、何とか反論しようとする少年達。だが、

 

「黙りなよ、あんた達!!」

 

竜貴の一喝により、少年達が並べ立てた反論は尽く叩き潰された。

 

「迷惑だの危険だの……そんなの、あんた達の勝手な被害妄想でしょうが!この子達だって好きで病気になったんじゃない!それを一方的に悪者扱いするなんて……絶対に間違ってんだろ!!」

 

「ぐぅっ……!」

 

竜貴の剣幕に押され、唸り声を上げる少年達。相手が男子であろうと、何人いようと一歩も退かないその態度には、時に大人ですら圧倒されるものがあった。

 

「これ以上やろうってんなら、あたしが相手になるよ。どうする?」

 

「チッ……皆、行くぞ!」

 

堂に入った構えで拳を向ける竜貴に、少年達はたじろぐ。やがて、敵わないと思ったのだろう。少年達は悔しそうな顔をしながらも蜘蛛の子を散らすようにその場から立ち去った。その後ろ姿を睨みつけていた竜貴は、全員消えたことを確認すると、残された姉妹のもとへ歩み寄った。

 

「藍子に木綿季、大丈夫?怪我とかさせられてない?」

 

「う、うん……大丈夫だよ、たつきちゃん」

 

「ボクも、大丈夫……」

 

竜貴に手を借りて立ち上がった二人は、窮地を救ってくれたことに改めて感謝した。竜貴も姉妹二人の身体を見て確認したが、どうやら本当にただ囲まれていただけで、怪我は負わされていないらしい。

 

「全く、あいつらときたら……!」

 

「ごめんね、たつきちゃんにいつも迷惑かけて……」

 

「そんなことは気にしなくて良いから。学校の連中もあんな奴等ばっかだけど、あたしみたいに、あんた達の味方もいること、忘れないでね」

 

「……ありがとう、たつきちゃん」

 

竜貴の言葉に、涙を浮かべながら感謝する藍子と木綿季。二人が抱える問題が学校中に知れ渡ることとなったその日以来、今まで普通に付き合っていた筈の同級生達からの視線は、汚らわしく、異質なものを見るような、差別的なものと化していた。そんな中、ほんの一握りだけだったが、竜貴のように二人と変わらず接してくれる友人の存在は、何よりも嬉しい心の支えだった。

 

「それじゃあ、家まで送るわ。さっきの奴らが、またちょっかいかけてくるかもしれないし」

 

「……うん」

 

竜貴に促され、家路に着く藍子と木綿季。その間、木綿季は姉である藍子と、自分達を助けてくれた竜貴の手を、ぎゅっと握って放すことはなかった。対する竜貴もまた、木綿季の手をしっかりと握り返してくれた。そんな二人の手の温もりを感じながら、木綿季は強く願った。

 

(大丈夫……きっとボク達は、まだここに居られる……)

 

自分や自分の家族の居場所は、確かにここにある。木綿季が一途に信じたその想いは、しかし周囲の人間達は許容することができなかった。この日から数か月後、藍子と木綿季は、学校の生徒・保護者による圧倒的多数の否定的かつ排他的な圧力の前に、転校という形で学び舎を追われることとなる。竜貴をはじめとした二人の友人やその保護者達は、二人とその家族を受け入れるべきと訴え続けてきたが、病気に対する偏見と恐怖を抱いた人間達の心を動かすには至らず……完全に無力だった。

 

 

 

「お前達はここに居てはいけない」――――そう訴えかけていた周囲の反応。それは、藍子と木綿季にとって、居場所のみならず生きることを否定されるに等しいものだった。

そしてこの出来事を皮切りに、二人の体調は急速に悪化し――――遂に、最悪の展開を迎えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

2026年1月13日

 

『――――ユウキ君、大丈夫ですか?』

 

「っ!……ご、ごめんなさい、倉橋先生」

 

自身の名前を呼ぶ声に、はっとして顔を上げるユウキ。どうやら、知らぬ間に考えに耽ってぼーっとしてしまっていたらしい。眼前のモニターの向こう側では、眼鏡を付けた白衣の医師らしい男性が、ユウキのことを心配そうに見つめていた。

 

『……無理はしないでください。今日は、このくらいにしておきましょう』

 

「…………はい」

 

倉橋と呼ばれた男性医師は、「気にしないでください」と再度口にして苦笑を浮かべると、モニターを切るのだった。残されたユウキは、自身の主治医であり数少ない理解者である人物に心配をかけてしまったことに一人溜息を吐いていた。

誰一人いない、壁や天井といった空間的な概念すら無い場所の中。展開された複数のモニターの前で、ユウキは一人膝を抱いて蹲っていた。その姿は、ALOにおける闇妖精族『インプ』のものではなく、現実の自身の姿を再現したものだった。しかしここは、現実世界に存在する場所ではない――――文字通り、ユウキだけの空間だった。

 

(またあの時のことを思い出すなんて…………)

 

ここ最近、ふとした時に過去の出来事を思い出し、思考の海へと精神を鎮めることが増えていた。一体、何がユウキの過去の……それも忌まわしい思い出ばかりを呼び起こすのか。その答えを、既にユウキは知っていた。

 

「イタチ……ごめんね」

 

顔を俯かせたまま独り呟いた言葉は、この閉鎖空間の中にあって、誰に聞こえるものでもなかった。しかし、譬え本人には届かないとしても、ユウキはその名前と、謝罪を口にせずにはいられなかった。

思い出すのは、五日前のこと。自分達が掲げていた大きな目標を果たすために協力してくれた、かけがえのない仲間になった彼の前から、ユウキは逃げ出してしまったのだった――――

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、ボク達の目標が達成できたことを祝って……乾杯!!」

 

『乾杯!!』

 

ユウキが乾杯の音頭を取っての「乾杯」の掛け声とともに、その場にいた七人全員が手に持つグラスを打ち付け合い、中身のワインに口を付ける。ここは、ALOの新生アインクラッド第二十七層の主街区『ロンバール』にある、とある宿屋に併設された酒場兼レストランの中。かつてイタチとスリーピング・ナイツの面々が邂逅した場所でもあるこの宿屋は、複雑に入り組んだ路地裏にあるため、プレイヤーがほとんど出入りしない身内だけでパーティーを開くには絶好の穴場でもあった。

そしてこの日、ユウキを筆頭としたスリーピング・ナイツの六人とイタチは、つい先ほど成し遂げた偉業を祝うために、この酒場でパーティーを開いていたのだった。

 

「ほらほら!イタチももっと飲んで!」

 

「……ああ、悪いな」

 

ユウキに勧められ、グラスに注がれたワインに再度口を付けるイタチ。興奮に湧き立っているスリーピング・ナイツの面々と比べると、かなり冷めているように見えるが、比較的早いペースでワインを飲んでいるあたり、イタチもイタチなりに気分が高揚していることが分かる。

 

 

 

新生アインクラッドの第二十七層フロアボス攻略に臨んだこの日。ボス部屋前でのゾディアックとの乱戦を含め、数々のイレギュラーに見舞われたものの、あらゆる事態を想定していたイタチの機転と適確な指揮のもと、ユウキをはじめとしたスリーピング・ナイツの繰り出す連携によってフロアボスは追い詰められ……イタチとユウキの『マザーズ・ロザリオ』のフィニッシュのもと、遂にフロアボス攻略は成し遂げられた。

長らく不可能とされていた悲願を実現させるに至った成功を祝うべく、スリーピング・ナイツは攻略後にそのまま打ち上げを行おうという流れになった。勿論、攻略の功労者であるイタチを伴ってのことである。最初はギルドの仲間同士、水入らずで祝えば良いと、参加には消極的だったイタチだが、ユウキ等がそんな水臭いことをと言って参加を呼び掛けた結果、こうして同席することとなったのだった。

 

 

 

「それにしても、あの時は本当に驚いたぜ。何せ、ボスが二体に分かれるんだぞ?あんなの、誰が予想できるんだってんだ」

 

「けど、それに対してすぐに対応できたのは、イタチのお陰だよな。ユウキの奴、本当にスゲー奴連れてきたって思ったよ」

 

「私もそう思います。イタチさん無しでは、今回の攻略は絶対に為し得ませんでしたから」

 

打ち上げが始まってから、スリーピング・ナイツの成し遂げたフロアボス攻略の話で盛り上がっていた一同。しかし、ジュンの一言によって、今度はその偉業に大きく貢献したイタチが話題の中心へと引きずり出される結果となった。それに伴い、一同の視線はそれまで片隅で一人静かにワインを飲んでいたイタチに関することへとシフトした。

 

「しっかし、今思い出してみれば、イタチもマジで規格外だったよな。俺達の依頼を受けてから、即座にあれだけの作戦を思いつくなんて」

 

「アインクラッドの攻略に携わっていた時間は人より長い方だからな。攻略中に発生するイレギュラーへの対応にも、それなりに慣れている。先見の明というヤツだ」

 

ユウキ達は知る由も無いことだが、イタチの言う先見の明とは、SAO事件やベータテストよりも前……即ち、うちはイタチとしての前世における経験に由来するものである。想定外の事態への対応などは、熟練の忍には出来て当然。出来なければ、即座に死へと直結してしまう、必要不可欠なスキルなのだ。

 

「いやいやいや……経験だけでどうにかなるものじゃないでしょ、アレは」

 

「冷静沈着に不測の事態に対処できるだけじゃなくて、不安になる皆を勇気づけてくれるし、リーダーシップも抜群ですしね」

 

「おまけに剣技も一級品!ユウキのマザーズ・ロザリオまで使いこなしちゃうんだから、まさに無敵(チート)だよね」

 

「そうそう!ユウキとの連携も抜群で、並び立った姿は、まるでラ――」

 

「ジュン!!」

 

ノリやタルケン、テッチに続き、イタチの規格外ぶりに呆れと関心を抱いて饒舌に話し始めたジュンだったが、シウネーが りつけるような大声を発してその先を遮った。常は穏やかなシウネーが取ったいきなりの行動に対し、イタチは内心で少し驚き、ジュンをはじめとした他の面々は、怒鳴り声を上げたシウネーを含めて一様にばつの悪そうな顔をしていた。特にユウキの反応が顕著で、打ち上げが始まってから全く絶やすことの無かった、眩しいまでの笑顔はどこへやら。その表情を暗く曇らせ、俯いてしまっている。

スリーピング・ナイツの内部の事情について、関わりを持ってからあまり経っていないイタチだが、ジュンが何らかの地雷を踏んでしまったことだけは理解できた。部外者のイタチには、この状況をどうにかすることはできないが、このまま放置するわけにもいかない。そこでイタチは、別の話題を振ることにした。

 

「………そういえば、まだ確認していないことがあったな」

 

「イタチ……?」

 

「確認していないこと……と、言いますと?」

 

「フロアボス攻略を一パーティーの七人……俺達だけで行ったことの証だ」

 

突然イタチが言い出した言葉に対し、スリーピング・ナイツの一同は不思議そうな表情を浮かべていた。そんな皆の視線に晒されながらも、しかしイタチは特に動じた様子も無く、淡々と語りだした。

 

「フロアボス攻略を成功させたレイドのリーダー達の名前は、第一層の黒鉄宮の『剣士の碑』に刻まれる。そして、二十七層のフロアボス攻略を成し遂げた今日、その部分には俺達の名前が新たに刻まれている筈だ」

 

「あ、そっか!それだよ!それをこれから皆で、見に行こうっていうんだね!」

 

イタチの説明によって、その真意をようやく得心したユウキが、思い出したとばかりに手を叩いて声を上げた。そして、忘れていたのはユウキだけではなかったらしく、他のメンバー達も同様の反応をしていた。

 

「そもそも、それが今回のフロアボス攻略の目的だと聞いていたんだがな」

 

「アインクラッドのフロアボス攻略に成功したことが嬉しくて、

すっかり忘れてしまっていましたね……」

 

「まあ、依頼した身で言うのもなんだけど、本当に一発クリアなんてできるとは、流石に思っていなかったからね」

 

どうやら、不可能と考えていた手段を成し遂げられたことによる達成感の凄まじさに、当初の目的を完全に忘れてしまっていたらしい。タルケンとノリは、ばつが悪そうに苦笑いしながら頭や頬を掻いていた。

 

「話が脱線したな。それで、打ち上げの最中なわけだが……行ってみるか?」

 

「うん、勿論!!」

 

スリーピング・ナイツの面々の間に生じた気まずい空気を変えるための提案だったが、本来ならば打ち上げの前か後にする事である。しかし、思い立ったが吉日と言うべきか。イタチに対し、ユウキは勿論、スリーピング・ナイツのメンバー達も揃って今すぐ行くことに同意した。

 

「打ち上げは戻ってからまたやりましょう」

 

「お店は貸し切りにしてありますからね。プレイヤーの方も滅多に来ることは無いですから、少しくらい席を外しても大丈夫でしょう」

 

「それじゃあ皆、レッツゴー!」

 

自分達が成し遂げた偉業の証を見に行くことが、よほど楽しみなのだろう。ユウキは打ち上げ開始の時よりややハイテンションになっていた。そんなユウキに、イタチを含めた六人は苦笑を浮かべつつも、その後を追って宿屋を出るのだった。

 

 

 

ロンバールの宿屋を出た一同は、転移門を通って第一層『はじまりの街』へ向かい、そこから『黒鉄宮』を目指していた。七人揃って街中を歩く中、ユウキはふと気になったことをイタチに問い掛けていた。

 

「そういえば、前にも『剣士の碑』を見たことがあったけど……イタチって、今回以外にも結構な回数で階層攻略に参加してたんだよね?」

 

「ああ。その通りだ」

 

今更隠すことでもない問いに、イタチは淡々と答えた。

 

「新生アインクラッドが実装化して間もない頃は、攻略に行き詰まったレイドに誘われることが多くてな。その時に、パーティーリーダーを務めることがあったわけだ」

 

今でこそ、前線へあまり姿を見せなくなったイタチだが、新生アインクラッドの実装化当初は、そのような事情でフロアボス攻略に参加することが多かった。イタチ自身が攻略に参加したかったということもあるが、その真の目的は、新参のプレイヤー達を新生アインクラッドのフロアボス攻略に慣らすことにあった。

新生アインクラッドの完全制覇を目指すイタチ等の本命は、七十六層以降――即ち、SAO事件において、未踏破領域のまま消滅した二十五層を攻略することにある。故に、それまでは新参のプレイヤー達に挑戦権を譲り、積極的な介入は控えることにして、七十六層以降が解放されてから本腰を入れて攻略に臨むという方針を取っていた。故に、今回のスリーピング・ナイツの挑戦を手伝ったのは、例外中の例外だった。

 

「けど、そう考えるとイタチって、やっぱり凄いよね。単純に強いだけじゃなくって、皆から頼りにされてさ」

 

「やろうと思えば、お前だってパーティーリーダーとして名前をいくつも刻むことはできた筈だ。仲間の信頼を集めるという点では、お前もパーティーリーダーとして十分な素質を持っている」

 

「えへへ……そう、かな?」

 

「ああ。間違いない」

 

相変わらず変化の無い表情のままユウキに対する賞賛を口にするイタチだったが、淀み無くはっきりと答えていた。共に戦った仲だからこそ分かる、世辞を一切含まないイタチの言葉を聞いたユウキは、照れ臭くなった。

 

「新生アインクラッドの完全制覇までは、まだまだ先が長い。お前達ほどの実力者なら、いつでも歓迎するぞ」

 

「その……ありがとう」

 

「まあ、無理にとは言わない。お前達にもお前達の事情があるだろうからな。気が向いたら、俺や他の攻略組にでも声を掛けてくるといい」

 

「えっと…………うん、分かった!」

 

イタチの控え目な勧誘に対し、しかしユウキはやや言い淀んで間を置きながらも、やはり笑顔で答えた。いつものユウキを知る者が見れば、無理をしているような不自然な笑みに見えたものの、イタチは特に何も追及することはなかった。

 

(やっぱりイタチ、ボク達のことを……)

 

以前から言葉の端々に匂わせていたが、イタチはどうやら、ユウキ達が隠している秘密に感づいているらしい。しかし、イタチはそれを察していながらも、深くは踏み込んで来ない。依頼人の事情に深入りすることが忍の信用に反すると考えているのか、それともある程度の事情を察しているからこそ気を遣っているのか――――恐らく両方だろうと、ユウキは考えていた。

そして、そんな変わらない付き合いを続けてくれるイタチの思い遣りが、ユウキには何より嬉しかった。ユウキが今隠している秘密を知った人間は皆、揃って自分を……自分達を、迫害してきたのだから――――

 

「お、見えてきたぜ!」

 

そして、そんな会話を続けて歩くことしばらく。ジュンが道の先にある建物を指差して声を上げた。どうやら目的地である、アインクラッドにおける有数の観光地でもある四角い建物、『黒鉄宮』へと到着したらしい。

 

「確か、『剣士の碑』があるのは奥の広間でしたね?」

 

「ああ。その通りだ」

 

「早く行こう!」

 

待ちきれないとばかりにメインゲートを駆け抜けていくユウキやジュンの姿に、イタチとシウネーは仕方がないと僅かに苦笑し、周囲のプレイヤー達も温かい眼差しを向けていた。早く早くと急かすユウキやジュンとは対照的に、落ち着いた大人組の面子はゆっくりとした足取りでその後を追っていく。ひんやりとした空気が包む建物の中を、鋼鉄の床とブーツが奏でる冷たい靴音を響かせながら歩いていき、最奥部の広間へと向かっていくのだった。

 

「あった!あれだ!」

 

広間に到着するや、静謐で神聖さすら感じさせる空間の中央に鎮座する、巨大な横長の鉄碑が一同の目に入った。アインクラッドのフロアボスを倒し、上層への道を切り拓いた英雄達の名前を刻む『剣士の碑』である。

それを見るや、ユウキとジュンは勿論、テッチやノリまでもが駆け寄った。やはり皆、自分達の成し遂げた証が本当にそこに存在しているのかが、気になるようだった。

 

「あ……あった」

 

そうしてびっしりと並んだ英雄達の名前の末尾へと視線を巡らせ――それを見つけたユウキが無意識の内に呟いた。現在の新生アインクラッドの二十七層フロアボス攻略を成し遂げた者達を讃えるその場所には、七人の名前が刻まれている。

スリーピング・ナイツのエンブレムと共に刻まれているのは、ユウキ、シウネー、ジュン、ノリ、テッチ、タルケンの六人の名前。そしてその末端には、助っ人として参加したイタチの名前もあった。

 

「あった……ボクたちの名前だ……!」

 

目に涙を浮かべて呟くユウキは、目の前にある自分達の残した偉業の証が未だに信じられないようで、呆然としていた。そんなユウキの心境を察したイタチが、その精神を現実へ戻すべく呼び掛ける。

 

「確かに刻まれているぞ。お前達がやり遂げた……お前達が“ここに居た”という、証がな」

 

「……うんっ!」

 

涙を目に浮かべながらはにかむユウキの笑顔は本当に嬉しそうで、常は変わらぬイタチの顔にも微かな笑みが浮かんでいた。

 

「おーい、写真撮るぞ!」

 

その声に振り向くと、そこにはジュンの姿が。いつの間にかスタンバイしたのか、『スクリーンショット撮影クリスタル』を手に、剣士の碑をバックに一同の写真を撮ろうとしていた。

 

「ほら、呼んでるぞ、ユウキ」

 

「あ、うん!」

 

イタチに促され、クリスタルの方を向くユウキ。隣にはイタチが立ち、二人を中心にジュンを除くスリーピング・ナイツのメンバーが並ぶ。そして、クリスタルのタイマーをセットし終えたジュンもまた並ぶ。クリスタル上部にセットされたタイマーがカウントダウンを刻み、スリーピング・ナイツのメンバー全員が満面の笑みを浮かべる。この時ばかりはイタチもまた、作り笑顔ではない、自然で穏やかな笑みを……ほんの少しだけだが、確かに浮かべていた。

そして、ぱしゃっとカメラのシャッターが切れるような音とともに、クリスタルが光った。

 

「よし!撮れた撮れた!」

 

撮影を終え、空中に浮かぶクリスタルを回収しに行くジュン。一方、ユウキは再度剣士の碑へと振り向き、自分達の名前が刻まれた部分を再び見つめていた。

そんなユウキに、やれやれと若干の呆れとともにイタチが声を掛けた。

 

「そんなに見つめなくても、お前達の名前があそこから消えることはないぞ、ユウキ」

 

「分かってるよ。けどさ……やっと念願が叶ったんだよ。嬉しいけど、それ以上に信じられないことでもあるんだよ。そうでしょう?」

 

 

 

――――姉ちゃん

 

 

 

「………………」

 

ユウキの口から発せられた予想外の発言に、イタチは僅かに目を丸くしていた。しかし、誰のことだ、と聞き返すようなことはしない。ユウキが何気なく口にしたその言葉には…………何か、触れてはいけないものを感じたからだ。

 

「はっ…………!!」

 

ユウキの発言を、聞かなかったことにしようと考えたイタチだったが、ユウキとしてはそうはいかなかった。自身が無意識の内に口にした発言を自覚したらしく、はっと我に返ると口元を手で覆った。そして、その紫色の瞳からは、涙がとめどなく溢れ、頬を伝っていく。

 

「イタチ…………ボク……」

 

「…………」

 

涙を流すユウキを、イタチはただ黙って見つめていた。変化に乏しいその表情から内心を推し量ることは難しい。しかし、原因も分からず突然泣き出したユウキを前にしているのだから、少なからず動揺していることだろう。

そんなイタチを前に、しかしユウキは何も言えなかった。イタチを困らせてしまっているという罪悪感よりも、これ以上イタチの前に立つことができないという気持ちが先走り、一歩、また一歩と距離を取ってしまった。

 

「…………っ!」

 

そして、遂にこれ以上この場にいることができなくなったユウキは、イタチに背を向け、それと同時に右手を振った。システムウインドウを震える手で操作すると、ログアウトボタンをタップした。それと同時に、ユウキのアバターは瞬く間に白い光に包まれ、その場から消失するのだった――――

 

 

 

 

 

剣士の碑の前で、イタチの前から逃げるようにログアウトしてから、早くも五日が経った。あれ以降、ユウキはALOにログインすることは無かった。そして、ALOの中で出会ったイタチはおろか、ALO以前のVRMMMOからの付き合いであるシウネーをはじめとしたスリーピング・ナイツのメンバーとすら連絡も取らずにいた。今のユウキは、主治医である倉橋をはじめ、必要最小限の人間としか会おうとはせず、周囲との関わり合いをほぼ完全に閉ざしている状態だった。

 

(イタチ……どうしているかな?)

 

自ら強引に関係を断ち切った相手のことを無意識の内に思い浮かべ……会いたいとすら思ってしまう自分自身に、ユウキは嫌気がさした。スリーピング・ナイツのメンバー以外で初めてできた、心を許せる友人となった筈のイタチ。だが、ユウキはそんな彼の前から逃げ出してしまったのだ。一方的に関係を断ち切った自分には、最早合わせる顔が無いと、ユウキはそう感じていた。

 

(…………ごめんね、イタチ)

 

膝を抱いて俯いた姿勢のまま、心中でここにはいないイタチに対する謝罪を口にした。表情の変化が乏しい故に内心で何を思っているのか分からないイタチだが、剣士の碑の前で姿を消したあの時、内心で困っていたことは間違いない。面と向かって謝れば、間違いなく許してくれるだろうが、今のユウキにはそんな気力は無かった。

いっそのこと、何もかも話してしまえれば――――そんな考えがユウキの頭を過っていた。既にイタチは、ユウキとスリーピング・ナイツのメンバーの抱える事情をある程度まで察知している様子であり、教えたところで問題が発生するとは考え難く、変わらない付き合いをしてくれるという確信もあった。しかし、どれだけイタチを信じることができたとしても、秘密を打ち明けることはどうしてもできなかった。ユウキの過去に受けた差別の経験とトラウマが、それを邪魔するのだ。

 

(結局、ボクは何にもできない……ただ、待つだけなんだね。そんな資格、無いのに……)

 

自身から動くのではなく、イタチがここへ来てくれることを期待する自分に、なんて厚かましいのだろうと呆れた。こんな自分勝手なことばかり考えている自分には、イタチを待つ権利など無いというのに。

イタチに会いたいと思いながらも、自らは会いに行けないという状況の中、ユウキは只管に自己嫌悪した。何をすべきか全く分からない……まるで、出口の無い迷路の中へと迷い込み、立ち尽くしているかのようだった。

 

『ユウキ君、ちょっといいですか?』

 

そんな時だった。ユウキの眼前にモニターが展開し、つい先ほど問診を終えたばかりの倉橋の姿が現れたのだ。

 

「倉橋先生……どうしたんですか?」

 

『急で悪いね。実は……君に、お見舞いのお客さんが来てね』

 

「お見舞いって……」

 

天涯孤独の立場にあるユウキのもとに、見舞客など訪れることは、まず無い。スリーピング・ナイツのメンバーは全員、住まいが地方に散らばっている上にユウキと同様に外出すら困難な深刻な事情を抱えている。身内では父方の叔母がいるが、ユウキが病気を患って以来、リアルでは避けられている。最後に会ったのは、ユウキの両親の持ち物であった土地の件で話に来た時だろうか。ともあれ、親族とはいえ、善意で見舞いに来るなどあり得ない人物だった。

 

『ユウキ君より少し年上の、男の子のようです。ユウキ君の本名と……それから、ユウキ君が『メディキュボイド』を使っていることも知っているようです』」

「それって……」

 

「はい。どうやら、ユウキ君が今置かれている状況についてもある程度知っているようすです』

 

「まさか…………!」

 

そこまで説明を受けたところで、自身の見舞客の正体について、ふと思い浮かんだ人物がいた。しかし、冷静に考えてみて、それはあり得ないと感じた。何故なら、その人物はユウキとリアルでの面識は無く、自身が今いる場所の所在は勿論、ユウキの本名すら知らないのだ。見舞いに来ることなど、まず不可能である。

 

(けど……もしかして…………!)

 

あり得ない、と心中で反芻していたユウキだが、それと同時に間違いないという確信もあった。或いは、そうあって欲しいとユウキ自身が願っていたのかもしれない。

 

「倉橋先生……その人に、会わせてください」

 

『……分かりました。しかし、その場合は、ユウキ君の事情についても詳しく説明する必要がありますが……』

 

「…………構いません。その人に、会ってみたいんです」

 

意を決したユウキは、見舞いに来たという少年の名前を聞くよりも先に、この場へ連れてきて欲しいと頼み込む。無論、ユウキには自身の事情を他者に説明することには若干の抵抗はあったし、見舞客は予想とは別の人物である可能性も高いとも考えていた。しかし、とにかく会ってみたい――――そんな欲求が圧倒的に勝っていた。

倉橋も、いつになく真剣なユウキの様子に、最初は難色を示していたものの、最後には了承した。そうしてモニターが消え、倉橋は見舞客のもとへ向かった。

その間、ユウキの心中には、再会を果たせるかもしれないという期待と共に、その後どうなるのだろうという不安が渦巻いていた。

 

 

 

自身の事情を改めて知った彼は、どう思うだろうか?

 

嫌な思いを、させてしまうだろうか?

 

同情等を抜きに、今までのように接してくれるだろうか?

 

一方的に関わりを断ち、逃げ出した自分を許してくれるだろうか?

 

軽蔑され、今度こそ完全に関係を断ち切られてしまわないだろうか?

 

 

 

考えれば考える程、マイナスな考えばかりが浮かんでいく。だが、どれだけ後ろ向きな考えをしようと、後悔を重ねようと、もう決めたことなのだ。

そしてこれは、あの時逃げた彼と向き合う、最後のチャンスでもある。だから、どんな言葉を投げ掛けられようと、どのような反応をされようと、甘んじてそれを受け入れなければならない。ユウキはそう感じていた。

決意を新たに、顔を上げたユウキは、自身の病室の様子を映したモニターへと視線を向けた。そしてその数分後、扉は開かれた。

 

「!」

 

扉の向こうから姿を現したのは、黒いジャケットを身に纏った、線の細い中世的な顔立ちをした、黒髪の少年。リアルで会ったことはまず無いと感じたその少年を――――しかし、ユウキは知っていた。

 

(やっぱり……君なんだね)

 

一目見ただけで分かった。目の前のモニターに映る少年が、自分が会いたくて仕方が無かった人なのだと――――

 

『久しぶりだな、ユウキ』

 

相変わらず何を考えているか分からない表情で、しかし何の蟠りも感じさせない程に、あまりにも自然に声を掛けた少年は、桐ケ谷和人――――ユウキの知る『黒の忍』ことイタチだった。

 


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