ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
トールバーナの会議場から、アルゴと連れ立って歩くイタチ。そんな二人組に、声をかける少年がいた。
「イタチ、久しぶりじゃないか!」
二人の前に現れたのは、イタチと同年代くらいの少年。軽量鎧を身に纏い、手持ちの武器は円形盾とイタチが持っているのと同種の片手用直剣だった。
「コペルか。一か月前のデスゲーム初日に会って以来だな。無事に生き残れていて何よりだ。」
「あの時は命拾いしたよ。リトルネペントに「隠蔽」スキルが通用しないなんて、知らなかったからね…」
イタチとコペル、この二人が出会ったのは、デスゲーム開始初日として知られる11月6日のことだった。はじまりの街を出て、誰よりも早くホルンカへと到着したイタチは、より強力な武器を得るためにあるクエストを受けた。通称、「森の秘薬クエ」と呼ばれるそれは、村で病床にある少女のために、「リトルネペント」と呼ばれる植物型モンスターがドロップする「胚珠」を手に入れてくるというものだった。「リトルネペントの胚珠」は、クエスト受注以降に出現する頭頂に花を咲かせた花つきのリトルネペントからしかドロップされず、その出現率は普通に狩り続けても一パーセントに満たないとされている。
イタチはこのクエストを受注後、森の中に入り込んですぐさま乱獲に近い形でリトルネペントを斬り捨てて行った。そして非常に低いドロップレートに関わらず、開始一時間半程度で胚珠を二つも手に入れたのだ。コペルと遭遇したのはちょうどその頃で、隠蔽スキルを発動して近づいてきたところをイタチに見破られたのが切欠だった。そして、リトルネペントのような視覚に頼らず敵を狩るモンスターには隠蔽スキルが通用しない事を知らされ、内心で大いに冷や汗をかいたという。当時は既に日が暮れており、夜間の狩りが危険と諭したイタチが、手に入れた胚珠の一つをコペルに譲ったというのが事の顛末だった。
「おかげで、こうして「アニールブレード」も手に入れることができて、攻略にも参加できる。本当にありがとう。」
「礼は、第一層攻略が無事に成功してからにしておけ。」
「そうだゾ。それから、あまりオイラ達に関わらない方がいイ。」
「え、どうして?」
不思議そうにするコペルに、イタチが補足説明を加える。
「アルゴは情報屋として公認のベータテスターだ。さらに俺も、アルゴと接触する機会は多いから、大概の連中はベータテスターだと思っている可能性がある。お前も同様に思われたら拙いだろう?」
イタチの言葉に、先の会議における動乱の一幕を思い出し、コペルは顔を青くする。アルゴはやれやれと肩を竦め、この場を立ち去る事を進言する。
「早く、どっかへ行った方がいいヨ。」
「そ、そうするよ…」
それだけ言うと、コペルはイタチ達の進行方向とは別の方へと、足早に立ち去っていった。その様子を見て、その場に残った二人はふっと溜息を吐く。
「やれやれ…迂闊だネ。」
「全くだ………それより、アルゴ。ガイドブックについてだが、ビギナーに無料配布する分には構わんが、何故俺には一冊五百コルも取るんだ?」
「そりゃ、イタっちや他のフロントランナーが初版を買ってくれた売り上げで、無料の二版を増刷してるわけだからナ。安心シロ、初版は奥付にアルゴ様の直筆サイン入りダ。」
「ほとんど情報は俺が集めたんだがな…まあいいだろう。今後も買ってやる。そういえば、会議の前に買おうと思っていた情報だが。」
「ああ、アーちゃんのコトだナ。女の子の情報を買うなんて、イタっちもやっぱり男の子カ~」
「攻略組の中でも強豪になり得るプレイヤーについての情報は積極的に集めておきたいだけだ。五百コルだったな…貰おうか。」
メニューウインドウを操作して、五百コルをオブジェクト化しようとする。と、その時だった。
「…ちょっと待て。」
「どうしタ?」
いきなり取引を中断しようとするイタチに訝しがるアルゴ。イタチはその場から動かずに口を開いた。
「そこにいるのは分かっている、出てきたらどうだ?」
イタチとアルゴがいる通りには、他にプレイヤーの姿は見えない。イタチは一体、誰に話しかけているのだろうか?アルゴがそう思った時、後ろにあった細道から一人のプレイヤーが姿を現した。
「アーちゃん?」
そこにいたのは、フード付きのケープを羽織った女性プレイヤー。先程イタチが情報を買おうとしていたアスナ本人である。アルゴは隠れていた人物がアスナだと知り、今の会話を聞かれたのでは、と内心で冷や汗をかく。なにせ、ゲーム内とはいえ個人情報の売買をしようとしていたのだ。知られれば、ただでは済むまい。だが、アスナはアルゴよりもイタチの方に剣呑な視線を向けていた。
「…いつから気づいていたの?」
「ついさっきだ。それで、用があるのは俺か?アルゴか?」
「…アルゴさんよ。フロアボスのことについての情報を聞きたかったのよ。でも…」
イタチに向けられていた視線がさらに険しくなる。相変わらず背を向けているイタチだが、アスナが殺気立っていることには気付いている筈だ。
「私の情報を買おうとしていたみたいだけど、何のつもり?」
やはり、とアルゴは思った。情報屋としてプレイヤーのステータスすら売りに出している身だが、流石に本人の目の前でその情報を売ったことはない。個人情報を売ろうとしていたのだから、斬り掛られても文句は言えない。だが、怒りの矛先は「男性」であるイタチへと向けられていた。
「別に…君をどうこうするつもりはない。攻略組の中でも強力なプレイヤーの情報収集を行っていただけだ。それ以上の他意はない。」
「どうかしら…今もこうして私に背を向けて目を合わせようともしないじゃない。やっぱり、他に後ろ暗いことでもあるんじゃないの?」
別にそんなつもりはないのだが、アスナはイタチに不信感を抱いている。仕方がないので、イタチはアスナの方に向き直る―――
「これで満足か?俺は本当に………?」
顔を見せての弁明。だが、それは最初の方だけで途切れてしまった。イタチの顔を見たアスナの様子が変わったのだ。何に驚いているのか、数歩後ずさっている。それに対して、今度はイタチの方が怪訝な顔をする。アルゴは状況の変化を悟りながらも何が起こっているのかを理解できなかった。
「おい、どうした?」
「アーちゃん、何を驚いているんだイ?」
硬直するアスナに二人は声をかけるが、本人からの応答はない。本当にどうしたんだろう、と思ったその時だった。
「桐ヶ谷、君…なの?」
「!」
アスナの口から漏れた言葉に、イタチの表情に常には有り得ない驚愕が浮かぶ。桐ヶ谷、即ちイタチのリアルの本名を口にしたのだ。それが示すことは即ち、アスナはイタチとリアルで面識があるということ。目を見開いてフードに顔を隠した少女を見つめる。
(まさか…)
「アスナ」という名前には心当たりがあった。だが、彼女がこんな場所に来る筈がない、と考えている自分がいる。そうこう考えている間に、アスナはフードを外して素顔を晒した。
アスナの素顔――デスゲーム開始宣告がなされた初日にリアルと同じになった――に、イタチは確かに見覚えがあった。
「結城、先輩…」
「桐ヶ谷君…!!」
イタチの口から意図せず零れた言葉に、アスナは目の前の少年が、自分がリアルで知る少年と同一人物であることを悟る。それと同時に、目に涙を浮かべてイタチに抱きつく。
「会いたかった…桐ヶ谷君…!!」
「………何故、ここに…」
涙声で自分のリアルの名前を呼ぶ少女に、しかしイタチはどうすればいいのか分からなかった。アスナはただただ自分の存在を確かめるように抱きしめる腕の力を強めるばかりだった。
「えート…オイラ、帰った方が良イ?」
場の空気の変わり様に付いて行けずに混乱するばかりだったアルゴの言葉に、ようやく二人は我に返るのだった。少年に少女が抱きついているというこの状況を、その場に居合わせたアルゴ以外の人間に見られなかったのは、――少なくとも二人にとって――僥倖だった。
リアルで面識のあった桐ヶ谷和人ことイタチと、結城明日奈ことアスナ。思いがけない再会に、イタチはただ驚愕し、アスナは歓喜していた。とりあえず、二人は互いの話を整理するために、アルゴと共にイタチの拠点である農家へと行くことになったのだった。
「…しかし、ゆ…いえ、アスナさん。何故、あなたがこの世界にいるのですか?ゲームに興味があるなどという話は聞いたことがありませんでしたが。」
「私も、ゲームなんて大してやらない方だったんだけどね…仮想世界っていうものを、見てみたかったのよ…」
「実は、イタチこと和人のことを知りたくて手を出した」、なんてことは言えなかった。言えば間違いなくイタチには呆れられる。イタチの今まで自分に対して示してきた拒絶の意思を顧みれば、最悪ストーカー扱いされる可能性もあるとアスナは思っていた。
「そうですか………」
対するイタチも、それ以上の詮索はする気がないらしい。もとより、デスゲーム開始以降、プレイヤーの間でリアルの話をすることは忌避される傾向にある。しかも、
「ナーナー、二人って、リアルではどういう関係だったんダ?」
成り行きとはいえ、自分達のリアルを知らない第三者であるアルゴが同席しているのだ。アルゴは二人のリアルの仲を知りたがっている様子だが、情報屋を営む彼女の前で、これ以上リアルの話をするのは御免被る。
「でも、まさかきり…イタチ君に会えるとは思わなかったよ。知り合いに会えるとは思わなかったから、安心しちゃったよ…」
「そうですか…」
再会直後のことを思い出して、アスナは顔を若干赤くする。イタチは然程気にする風もなく返す。アルゴは目を三日月のように細めてイタチとアスナの両方に交互に視線を向ける。何を想像しているかは分からないでもないが、断じて違うとイタチは内心で否定する。アスナもアルゴの様子に気付き、話題を変えてお茶を濁す。
「それにしても、良い宿だよね~…私が泊まっている宿とは大違いよ。」
「宿泊施設は街区の宿ばかりではありません。宿屋の看板が無いだけで、利用できる部屋は多いんですよ。この借り部屋は一晩八十コルで部屋は二つ、ミルク飲み放題に加えて風呂付きです。」
「ふ~ん…って!」
イタチの説明を聞いていたアスナだったが、突然がばっと椅子から立ち上がってイタチに詰め寄る。いきなりの行動にさしものイタチも僅かながら驚く。アルゴはアスナの言いたいことを悟っていたのだろう、「ああ」と得心したように一人頷いていた。
「今お風呂って言った!?」
「言いましたが……もしかして、入りたいんですか?」
アスナの言った言葉に事情を大体察したイタチはそう問い返す。ここトールバーナをはじめとして、主街区の「INN」と称される宿は最安値で寝泊まりできるだけの施設であり、風呂などはある筈もない。ゲーム内では衛生面を気にする必要などなく、故に風呂に入る必要もないのだが、女性プレイヤー達はそうもいかないらしい。気分の問題なのだが、彼女達は風呂付きの宿を必ずと言って良いほど使いたがる。つまり、主街区の最低限の寝泊まりしかできない宿を使っていたアスナもまた、風呂に入りたいのだ。
「…使わせて、もらえる?」
「……そこの扉の向こうがバスルームです。ご自由にお使いください。」
「…ありがとう。」
お風呂という単語に食い付いた時の反応が余程恥ずかしかったのか、アスナは小声でお礼を言うと、そそくさとバスルームへと駆けこんでいった。その場に残されたイタチとアルゴはしばしの黙ったままだったが…
「覗きに行かなくて良いのカ?」
「そんなことはせん。」
アルゴの言葉に、イタチは疲れた様子で溜息と共にソファーに沈み込んだ。アルゴは相変わらずニヤニヤしているが、もはやそれについて言及する気にはなれなかった。ともあれ、アスナがこの場から退席した以上、話を進めねばならない。
「…さて、アスナさんも居なくなったところで、第一層攻略についての話がしたい。情報を出して貰えるか?」
「第一層のボス情報なら、千コルだな…と言いたいところだけど、イタっちには攻略ガイドを作るのを手伝ってもらってるからナ~…ここは、貸しにしとくヨ。」
「構わない。それで、第一層のボスだが…」
第一層攻略のため、イタチとアルゴはベータ時代における互いが持つ知識を照合して情報に欠落や誤認が無いかを確認していく。他のMMOでも情報屋をしていたアルゴはもとより、忍者としての前世を持つイタチも記憶力は人一倍優れていた。情報の整理には時間はかからず、ほぼ完全にまとまった。
ボスの名前は、「イルファング・ザ・コボルドロード」。武器は右手に斧、左手にバックラーを持ち、四段あるHPバーの最後の一段が赤くなると、武器を湾刀に持ち替える。「ルインコボルド・センチネル」と呼ばれる取り巻きがおり、四段あるボスのHPゲージを一本削る度に三体、戦闘開始時を含めて合計十二体湧く。
「まあ、ボスの情報は大体この通りだナ。イタっちはどう思ウ?」
「ベータテスト版のものはこれで間違いない。だが、これを全て鵜呑みにするのは危険だ。」
真剣な顔で言い放つイタチ。現在自分達がプレイしているソードアート・オンラインは正式版。ベータ版と全て同じとは限らない。ボス戦ならば、命取りになる。
「だよナ~…それで、イタっちはどのへんが怪しいと思ウ?」
「…制作者の意図を考えるなら、ベータ版にはないサプライズを用意したい筈だ。変更点が来るとすれば、おそらく「湾刀」だろう。」
「やっぱりそう思うカ。あと、取り巻きについてはどうだろウ?」
「十二体のみで済む可能性は低い。ベータテストは飽く迄難易度の調節のために行われる。前回の攻略戦を顧みると、湧出ペースは同じに設定するだろうが、最後は際限なくポップする可能性がある。」
ベータテスターとして、そしてソードアート・オンライン開発スタッフとしての感想を述べていくイタチ。実は、イタチはベータテストの際に攻略が済んだ層における難易度についての意見をまとめた報告書を、茅場はじめ制作陣に提出していたのだ。内容は、現在アルゴに話している意見そのままである。
「一番注意しなければならないのは、「湾刀」だ。こればかりは最後までボスを追い詰めなければ確認できない。仮にこれが湾刀以外の武器だった場合、確実に対処できる保証はない。」
「仮に他の武器だったとして、イタっち的には何が考えられル?」
「………第一層である以上、槍や薙刀よりも、剣を使ってくる可能性が高い。そしてあの体格から考えると、恐らくは片手用。そのあたりに合致する武器となれば…野太刀か柳葉刀だな。」
「ナルホド…確か、第十層でもそのスキルを持ったモンスターがいたナ。そのあたりのソードスキルも含めて、予備知識として持つように促すカ。」
「そうしてくれ。今回の攻略、何としてもしくじりは許されない。必ずクリアしなければならない。」
真剣な瞳で話すイタチに、アルゴも無言で頷く。今回の攻略が失敗に終わり、ましてや犠牲者を出すような結果になれば、攻略の続行などできる筈もない。何せ、アインクラッド百層の道のりは、未だ百分の一すら超えられていないのだから。
イタチとアルゴが攻略情報の整理に当っていた頃、明日奈はバスルームでバスタブに身を横たえて全身湯に浸かり、寛いでいた。ここ二週間、自分の中に張りつめていた緊張感や溜めこまれた精神的な疲労が一気に抜けて行くようだった。温かい湯の中で全身の力を抜き、アスナはほっと一息吐く。
(桐ヶ谷君………やっぱり来てたんだ…)
和人ことイタチがソードアート・オンラインにベータテスト時代から参加していたという確証はなかったが、確信はあった。まさかこのようなデスゲームに囚われることになるとは、自分は勿論、彼も思っていなかっただろうが、今はこうして再会できたことを喜ぶとしよう。アスナはそう思った。
(それに…私はあなたのことを、もっと知りたい…)
今となってはもう果たせないと思っていた望みが、叶うかもしれない。このような非常事態に陥らねばできないとは皮肉な結果だが、彼――桐ヶ谷和人が望んだこの世界でならば、彼のことを知ることができるかもしれない。自分の意思を伝えることができるかもしれない。お互いに分かり合えるかもしれない。
(もっと、話をしてみよう…)
右も左も分からない異世界の牢獄に閉じ込められたアスナにとって、リアルでも面識のあるイタチの存在は、半ば以上心の支えだった。今までは狂戦士としてただただ燃え尽きるまで戦うことのみに執着して生きてきたが、彼がいるならもっと別なものを見ることができるかもしれない、とアスナは感じた。
不安と絶望で色取られた仮想の世界で、アスナはイタチを希望の光と見た。だが、アスナは知らない。イタチがこの仮想世界でどれだけの罪を背負って生きているのか、どれだけの悲しみや苦しみに忍び耐えているのかを。のちの彼女は、自分の認識の甘さと、イタチの真実の重さを心の底から痛感することになる―――