ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

121 / 158
第百十五話 本当の自分を受け入れてくれたあの光を

2026年1月15日

 

「ユウキ、カメラの調子を教えて。見えてる?聞こえてる?」

 

『あ、大丈夫だよ。よく見えるし、聞こえる!』

 

「カメラとスピーカーの初期設定はこれで問題は無さそうだな」

 

「そうだね。それじゃあ次は、動作確認行ってみようか!」

 

イタチこと和人と、ユウキこと木綿季が現実世界の病院、そして仮想世界で再会を果たしてから二日後。SAO帰還者が通う、帰還者学校と呼ばれる学校の第二校舎の三階北端にある一室に、和人とララ、藤丸をはじめとした数人の生徒が、パソコンに向かい合っていた。ララによる特殊改造が施されたパソコンのケーブルが接続されている先には、一体の熊のぬいぐるみが置かれていた。

 

「よし、これで一応の設定はできたよ!木綿季、動かしてみて!」

 

『はーい』

 

熊のぬいぐるみの口元あたりに備え付けられたスピーカーから、木綿季の声が聞こえてくる。それと同時に、熊のぬいぐるみはひとりでに動き出し、右手と左手を交互に上げ下げし始めた。

 

『凄い!本当の手みたいに動く!』

 

「ふふん、そうでしょう!ユイちゃんのために私が腕によりをかけて作った、『カクカクベアー君』だもの!最新版の『スイスイベアー君』ほどじゃないけど、自由度は日本の市販のロボットの比じゃないよ」

 

ぬいぐるみの動作に感激する木綿季に対し、ララは自慢げに笑みを浮かべながらその性能を力説するのだった。木綿季の意思によって動いている『カクカクベアー君』と呼ばれるこのぬいぐるみは、ララの発明である。アミュスフィアとネットワークを通して、カメラとマイクで拾った現実世界の情報を伝達し、遠隔通信を行うための機械である。そして今、この機械の通信先には横浜港北総合病院のメディキュボイドが設定されており、被験者である木綿季と通信していたのだった。

 

『それにしても、『絶拳』のマコトといい、ララといい、藤丸さんといい、イタチ……じゃなくて、和人の知り合いって本当に凄いよね』

 

「マコトはともかく、SAO生還者には、俺自身も驚く程に特殊な人間が多かったからなぁ……」

 

「違いない……」

 

藤丸の意見に同調している和人自身も、忍世界の前世の記憶を持つ転生者という、非常に特殊な事情を持った人間である。或いは、類は友を呼ぶと言われるように、和人の存在が、デビルーク王国の王女であるララや、天才ハッカー・ファルコンの名で知られる藤丸をはじめとした特殊な人間を集めているのかもしれないが。

 

『だけど、まさか本当に学校に行けるようになるなんて、思ってもみなかったよ』

 

和人の規格外の友人達の手により、自身の望みが叶えられようとしている光景を眺めながら、木綿季はこのようなことになったきっかけである、二日前の出来事を思い出していた。

 

 

 

 

 

「――――――ということだ」

 

「………………」

 

木綿季が入院している病院の中に設置してあるアミュスフィアによりALOへダイブし、五日ぶりにアバターによる再会を果たしたイタチとユウキ。その場でユウキの本心を聞いたイタチは、自身もまた、特定の人間以外には伏せている秘密……即ち、うちはイタチとしての前世について話したのだった。

忍者としての転生の記憶を持つなど、荒唐無稽極まりない話である。まともな思考の人間が聞けば、正気を疑われかねない。良くて重度の中二病患者扱い、最悪の場合は狂人と見なされ、精神病院へ送られかねない。

しかも、ユウキが自身が押し殺してきた本心を打ち明けてくれたタイミングで話したのだ。悪意のある作り話と見なされるか……或いは、本当に思考がおかしい人間と思われるのか。その捉え方次第では、イタチとユウキの関係は破綻しかねない。イタチは自分がどう思われようと構わないと覚悟をしていた。だが、ユウキは誰にも明かせない本心を明かしたにも関わらず、からかわれるという仕打ちを受けたと考えて、深く傷付くかもしれないことに不安を感じていた。

果たして、イタチの話を聞き終えてから、目を点にして沈黙したままのユウキの内心は――――――

 

「ごめん、イタチ。イタチの言っていること、ちょっと上手く理解できないや」

 

苦笑いしながら、至極真っ当な反応を返された。しかし、荒唐無稽な話を聞かされたにも関わらず、ユウキのイタチに対する視線には懐疑や嫌悪、悲しみに類する負の感情は含まれていなかった。

 

「けど、イタチがボク達とは別の世界から来たっていうことは、なんとなく納得できる……かな?」

 

「何故、疑問形なんだ?」

 

ユウキの様子を見るに、イタチの話を嘘だと思っている様子は無い。恐らく、イタチが異世界の忍者の転生者であるという事実を完全には受け入れられていないのだろう。

 

「う~ん……上手く説明できないんだけど、“イタチだから”かな?」

 

「どういう理屈だ?」

 

「イタチって色々と、こう……そう!ぶっ飛んだ感じの存在だからね!」

 

「……………」

 

この表現が一番しっくりくるとばかりに告げられた言葉に、イタチは沈黙する。これまで明日奈、直葉、詩乃の三人に自身の秘密を明かしてきたが、いずれもユウキと同じような理由で納得された。曰く、能力が現実・仮想世界を問わず規格外、性格が実年齢とは不相応に大人びている、普通の生活を送ってきた少年とは思えない程に達観している等々……いずれも、イタチが常識外れの存在であるという認識で共通していたのだ。

イタチ自身、これまで意識してこなかった――正確には、自身や他者の命の危険に直面する機会が多くて意識する暇が無かった――のだが、うちはイタチの前世を持って生きている桐ケ谷和人という存在は、周囲から見て相当異質に見えるらしい。前世の記憶や経験を持っている関係上、周囲から浮いて見えるのは避けられないことだが、前世のことを秘匿しさえすれば問題は無いという考えは甘かったと、イタチは痛感した。今のところ日常生活を送る分には問題は無さそうだが、悪目立ちしないためにも、今後の立ち居振る舞いには気を付けるべきだろう。尤も、SAO事件にALO事件、GGO事件でその名を知られ過ぎた今となっては、遅すぎるかもしれないが。

 

「けど、どうしてボクにそのことを話してくれたの?聞く限りだと、かなり重要な秘密みたいだけど……」

 

「お前が思っていることを話してくれたということもあるが……俺がお前に協力しようと思った、本当の理由を話すべきだと考えたからな」

 

「本当の理由って……そういえば、なんかおかしなこと言ってたよね。なんか、自分達が生きた証を残そうとする気持ちが分かるとかなんとか。もしかして、イタチには前世の記憶があるって言ってたけど……」

 

「よく覚えていたな。まさにお前が思っている通りだ。俺が前世の死因は“病死”だ」

 

正確には、最初の前世の死因である。自身の死期が近づく中、最愛の弟に何ができるかを、常に考えていた。その結果として導き出した答えが、自身の全てを賭した死闘を通して写輪眼の全てを教え、保険となる術を刻み込むことだった。しかし結局、思い描いた通りの結果にはならず……最悪の結果として、弟を復讐鬼にしてしまったのだが。

ともあれ、生きている間にやりたいこと、すべきだと考えることに全力を注いできた姿勢は、ユウキやラン、スリーピング・ナイツのメンバー同じである。自身が上手くできなかったことだけに、イタチとしてはそれを成し遂げるための手伝いを全力で行いたいというのが本心だった。

 

「そっか……けど、イタチのお陰でボク達は、確かにここにいたっていう、証を残すことができた。それだけで、満足だよ。本当に……ありがとう」

 

心からの感謝を口にするユウキの笑顔と向かい合うイタチの顔には、ほんの僅かに笑みが浮かんでいた。その笑顔には、イタチにはできなかったことを、ユウキ達に成し遂げさせることができたという、確かな実感を与えていた。

 

「そうか。だが、死に際ギリギリだった俺とは違って、お前にはまだ時間がある。このまま誰にも会わずにこの場所に留まり続ける必要も無い筈だ。やりたいことは、他に無いのか?」

 

「やりたいこと……か」

 

今まで、ただ“依頼”と割り切って協力してきたイタチならば、こんなことは聞かなかっただろう。だが、イタチは今、ユウキのことを正しく大切な仲間として認めている。依頼などの形式に囚われず、ユウキの望みを叶えるために動くことはイタチにとって当然のことだった。

 

「う~ん……できるかどうかはちょっと分からないけど……ボク、行ってみたいところがあるんだ」

 

「どこだ?」

 

「……学校に、行ってみたいなって」

 

学校に行きたいと口にしたユウキの言葉に、イタチは少し意外そうな顔をした。イタチの私見だが、ユウキにとって学校とは、感染者である自身を虐げる生徒やそれを無視する教員といった、敵性存在が多数いる場所である。無論、一護のようにユウキの味方をした生徒も多数いただろうが、排斥しようとする人間の方が多かった筈である。そんな場所に、再び行きたいと思うとは、イタチは思わなかった。

そんなイタチの反応に、その内心をある程度予想していたのだろう。ユウキは困ったように苦笑していた。

 

「えっと……意外、かな?」

 

「まあ、少しな」

 

「確かに、学校には良い思い出は少ないけど……でも、一護君達が必死にボク達の居場所を守ろうとしてくれていたからね。本当は、どんなに辛くても、あの場所に居たかったんだ……」

 

どうやら、ユウキが学校を忌避しているという考えは、イタチの誤認だったらしい。ユウキもユウキなりに、一護達の想いに応えて、学校という場所に自分達の居場所を見出そうとしていたのだ。そんなユウキの内心を慮ることができなかったことを、イタチは内心で恥じた。

 

「けど、やっぱり無理だよね。ごめんね、こんなこと言って……」

 

「分かった」

 

「へ?」

 

無理だと初めから分かった上で、もしかしたらと口にした願い。それに対し、イタチはあっさりと頷いてみせた。今度はユウキが目を丸くする番だった。

 

「学校に、お前を連れて行ってやる」

 

 

 

 

 

 

 

『それでもって、次の日にこんな機械を用意しちゃうんだから、本当に驚いたよ。しかも、倉橋先生にも学校にもその日の内に話を通しちゃうなんて』

 

木綿季の頼みを聞いたイタチこと和人は、この件に関して頼りになる人間――ララと藤丸へとすぐさま掛け合った。即ち、和人とその同級生であるララや藤丸が主導で開発を進めていた視聴覚双方向性プローブ内蔵小型ロボットを、ユウキを学校へ連れ出すために持ち出すことを考えたのだ。元々はMHCPであるユイに現実世界を体感させるために開発を進めていた機械だったが、メディキュボイドに接続すれば、木綿季のような特殊な状態にある入院患者に対しても同じことができる。無論、理屈上は可能ではあっても、各種調整でそう簡単にできるものではない。しかし、ララと藤丸の能力をもってすれば造作も無いことだった。

 

「それにしても、考えたな。ユイちゃんのために使っていた機体が最新型の『スイスイベアー君』に移行したのに伴ってお払い箱状態になった『カクカクベアー君』を使おうなんてな」

 

「道具は使ってこそだ」

 

「コネも同様か?」

 

「当たり前だ」

 

藤丸が口にした皮肉に対し、和人は当然のように返した。

SAO生還者の学校は特殊な体制故に、木綿季のような生徒を受け入れることは、決して難しい話ではなかった。しかし、受け入れには何事も諸手続きが必要となり、どうしても時間がかかる。そこで和人は、ララをはじめとした、実家が多大な権力を持つクラスメート達を通して学校へ働きかけ、複雑な手続きを一挙にクリアしていたのだった。

 

「濫用し過ぎるのは問題だが、道具もコネも、使うべき時に使わなければ意味があるまい」

 

「お前って時々、そういう過激というか手段を択ばないというか……そんな考えに走るよな。特に、自分以外の仲間のこととなると」

 

「ルール違反としては、まだまだ目溢しできる範疇だろう。学校側には苦労を掛けたが、この学校はSAO生還者全員が卒業した後は、俺達のような特殊な事情を抱えた生徒を広く受け入れられる体制を目指す予定だ。そういう意味では、木綿季も良いサンプルケースになるだろう」

 

「はいはい、分かったよ。ほら、もう動作確認も終わったぞ。これで今日一日は問題なく動くだろうよ」

 

「朝のホームルームまでもう時間無いし、早く職員室に連れて行ってあげたら?」

 

「そうだな。急な要請に対応してもらうために朝早く集まってくれて、感謝する」

 

「いいっていいて。木綿季、何かあったらすぐに調整するから、すぐ私達に言ってね!」

 

『はーい!ララさんも藤丸さんもありがとー!』

 

和人の腕に抱かれた状態で、木綿季の捜査する熊のぬいぐるみことカクカクベアー君が、ララと藤丸に向かって手を振る。対する二人も、その様子を微笑ましく思い、手を振って返すのだった。

 

 

 

 

 

『ここが職員室?』

 

「ああ。授業開始前に、クラスの担任には挨拶をしておく必要があるからな」

 

『……やっぱり、挨拶しないと駄目なんだよね?』

 

職員室に入りたがらない木綿季の態度を訝しむ和人。ララと藤丸から別れてから職員室へ向かうと言って以降、木綿季は何故か静かになっていた。だが、木綿季の経歴を考えれば、職員室に良い思い出が無いというのも頷ける。恐らく、木綿季が昔通っていた学校で自身の病気事情が明らかにされた際に、クレームにやってきた保護者で荒れる等していたのだろう。

 

「お前は一応、転校生扱いだから、これから世話になる担任の顔くらい知らなければならんだろう」

 

『あー、うん……分かってる、よ……』

 

「それに、この学校は生徒が特殊ならば教師も特殊だ。お前が心配しているような事態には、絶対にならない」

 

木綿季の心配を解消するために、和人は常にはあまり見せることのない、はっきりとした口調で断言した。

 

『うん……分かった!和人に任せるよ!』

 

「ああ、任せておけ。それじゃあ、行くぞ」

 

和人の言葉により、木綿季も安心したらしく、スピーカーから聞こえる声からは緊張がほぐれているのが窺えた。それを確認した和人は、改めて職員室へと入っていくのだった。

 

「失礼します」

 

『し、失礼しまぁすっ!』

 

落ち着いた様子で職員室へと足を踏み入れた和人だが、木綿季は素っ頓狂な声を上げてしまった。職員室で作業していた数名が振り返ったが、すぐにそれぞれの作業へと戻った。ララが開発した『カクカクベアー君』の存在も既に学校に浸透していたらしく、ぬいぐるみが喋るという光景も今更珍しいものではないらしい。そして、静まり返った職員室の中を、和人とその手に抱かれた木綿季は、目的のデスク目指して進んでいく。

 

「鵺野先生、紺野木綿季さんを連れてきました」

 

「おお、和人か。朝早くからよく来たな。皆と同じように、『ぬ~べ~』と呼んでくれても良いんだぞ?」

 

「いえ、それは結構です」

 

「そうか。それで、そっちが紺野木綿季さんだな」

 

『は、はい!紺野木綿季です!』

 

ひとりでに喋り出す木綿季の操作する『カクカクベアー君』に対し、優しく微笑みかける担任教師、鵺野鳴介。生徒達からは、『ぬ~べ~』という渾名で呼ばれている。やや大柄で体格の良い、二枚目と言える容姿の二十台男性である。

SAO生還者の通うこの学校において国語教師を務める彼は、かつは『ヌエベエ』という名前で知られたSAO生還者である。仮想世界という特殊な環境に二年もの間置かれていたSAO生還者達を教え導くならば、同じ環境に同等の時間身を置き、その思考に精通した人間を宛がうのが最適なのは、自明の理。帰還者学校設立に伴って全国から教員を集めた際には、鵺野には真っ先に声が掛かったという。

 

「紺野さん、俺以外の教員にも、既に話は通してある。今日だけでなく、よかったらこれからも授業を受けに来てほしい。特に国語は、今日から芥川の『トロッコ』をやる予定だから、できれば最後まで受けてもらいたいと思っている」

 

『は、はい!ありがとうございます!』

 

鵺野に挨拶を済ませたちょうどそのタイミングで、予鈴のチャイムが鳴った。和人と木綿季は再度鵺野に頭を下げると、職員室を出た。

 

『和人の言った通り、なんかちょっと変わった……今までボクが会ったどの先生とも違っていたね』

 

「鵺野先生もSAO生還者だからな。変わった手合いの扱いには、そこらの教師よりも人一倍慣れている」

 

『へ、へぇ~……そうなんだ』

 

「ついでにあの先生は特に変わり者でな。しかも噂では、左手に鬼の力を宿した霊能力者らしい」

 

『ええっ!?』

 

「あくまで噂だ。根も葉もない、な……」

 

『な、なぁんだ、冗談なんだ!はは、和人も人が悪いなぁ……』

 

和人にしては珍しい冗談に、しかし木綿季は内心で顔を引き攣らせていた。カクカクベアー君越しの画面に映し出された鵺野の姿を思い出すと、確かに左手には何故か黒の皮手袋が嵌められており、デスクの隅には白衣観音経や念珠といった怪しげな心霊アイテム的な物も置かれていた。冗談とはいえ、担任教師の怪しげな情報に若干の不安を禁じ得ない木綿季だった。

ちなみに、和人のクラスには鵺野同様に幽霊が見える、霊感が強い生徒があと二名ほどいて、しかも一人は木綿季の知り合いだったりする。だっが、木綿季の怖がりようを見て、これ以上この手の情報を与えて木綿季に不安を与えるべきではないと考えた和人は、敢えて黙っておくことにした。

そして、そうこうしている内に、教室へと到着するのだった。

 

「おはよう、和人」

 

「んん?ララの作ったぬいぐるみ持って、どうしたんだ?」

 

「また、ユイちゃんを連れてきたのか?」

 

教室に入ってきた和人を見るや、数人の生徒が話し掛けてきた。他の生徒もちらほら和人の方を見て手を振る等しているが、手に持っているぬいぐるみについてはあまり不審には思われていないように見える。クラスメートの反応を見るに、どうやらララのこの非常識な発明は、しかしながらこのクラス内には日常の光景として浸透していることを木綿季は察した。

 

「いや、今日動かしているのは、ユイじゃない。今日からこの学校で授業を受ける、紺野木綿季だ。木綿季、挨拶を」

 

『あ、うん。紺野木綿季です!今日からよろしくお願いします』

 

ぬいぐるみから聞こえてきた、ユイのものではない少女の声に、クラスメート達の反応が変わった。それまで無関心だった周囲の生徒も、一斉に和人が手に持つカクカクベアー君へと注がれる。

 

「今日から授業を受けるって、転校生ってことか?」

 

『ええと……特別に授業を受けさせてもらえるんだけど、転校生とはちょっと違うんだよね』

 

「ララのぬいぐるみを使っているってことは、どこかの病院とかから動かしているんでしょうか?」

 

『あ、うん。ボク、入院していて病院から外に出られなくて……それで、和人に相談したら、このぬいぐるみを用意してくれて、学校に連れてきてもらえたんだ』

 

「和人のお陰って……まさか、また女の子に手を出したワケ!?」

 

『えええっ!?“また”って、どういうこと!?』

 

木綿季への質問が殺到するのに伴い、あらぬ誤解を招いた和人に対して――主に女性陣から――突きさすような冷ややかな視線が多数注がれる。若干居心地が悪くなったものの、気付かぬフリをしてそれの視線や陰口等を受け流し、木綿季の操るカクカクベアー君を抱え続ける和人だった。

 

「おーい!そろそろホームルームを始めるから全員席に着け!」

 

そして、木綿季に殺到した質問全てに答え切る間も無く、先程職員室で別れた鵺野が教室へ入ってきた。朝のホームルームが始まるとあっては仕方が無いとクラスメート達は諦め、各々の席に戻ると、日直の号令で礼を行い、必要事項の確認を行うのだった。

その後、一時限目が始まるのだが、この日の一時限目の教科は国語で、教師も担任の鵺野のため、教師も生徒達も移動することなくそのまま授業を受けることとなる。やがて一時限目の開始を告げるチャイムが鳴ると、鵺野の指示で日直が号令を行い、いよいよ授業が始まった。

 

「それじゃあ、今日から教科書九十八ページ、芥川龍之介の『トロッコ』をやるぞ。この作品は、芥川が三十歳の頃に書かれたもので――」

 

鵺野の概説を聞きながら、和人は自身の膝の上に立って教科書を眺めるカクカクベアー君の調子を確かめていた。カメラのレンズが若干動いているようだが、今のところ木綿季のもとへは上手く映像が送られているらしい。

と、そこへ――

 

「それじゃあ木綿季、最初から読んでみてくれ」

 

「む……!」

 

『ええっ!?』

 

鵺野からのまさかの指名――しかも、名前呼び――に、スピーカーから驚きの声が上がる。カクカクベアー君の両手が驚きを表すように挙げられた。和人も予想だにしていなかったのだろう、若干驚いた様子で目を見開いていた。

 

「どうした?そのぬいぐるみなら、ある程度の音量で話せると聞いているが」

 

「ぬいぐるみじゃなくて、『カクカクベアー君』だよ、ぬ~べ~!」

 

「分かった分かった。それで、読めるか?」

 

ララの指摘をスルーして尋ねる鵺野に、木綿季は慌てた様子で答えた。

 

『大丈夫です!読めます!』

 

「木綿季、掴まっておけ」

 

和人は木綿季の返事を聞くや、カクカクベアー君を右肩に乗せた状態で席から立ち上がる。木綿季の操るカクカクベアー君は和人の肩と頭に手を置いて掴まった。そして、和人は目の前に教科書を木綿季にも見えるような位置に広げた。準備が整ったところで、木綿季による朗読が開始された。

 

『……小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは……』

 

木綿季による教科書の朗読が、教室内に響き渡る。スピーカー越しの音声ではあるものの、それを聞いた教室内の生徒達は、この場には姿を見せていない……しかし、確かに今この場で共に授業を受けている木綿季の存在を確かに感じていた。

 

 

 

この学校に通う、一人の生徒としての木綿季の姿を――――――

 

 

 

一時限目の鵺野の計らいにより、生徒達は木綿季のことをより身近に感じることができるようになった。そしてそれにより、学校へ来た初日にも関わらず、木綿季はすぐに学校内の空気に馴染むことができた。それは、和人のクラスだけには留まらず、他のクラスの生徒に対しても同様だった。SAO生還者というだけでなく、元々特殊な生徒が多いこの学校の生徒にとって、木綿季のような一風変わった存在を受け入れることは大して難しいことではなかった。また、木綿季自身の誰とでも打ち解けることができる性格も後押しして、この帰還者学校という特殊な環境へ簡単に溶け込むことができていた。

そして、ありのままの自分を受け入れてくれる場所と人がいるという事実は、木綿季の心を何より幸せにしてくれた。ALOのようなゲーム世界の最強クラスの剣士であるユウキではなく、ただ一人の少女、紺野木綿季としての自分でいられる場所は、何より木綿季が求めていて、それでいて、永遠に手に入る筈が無いと心のどこかで思っていたのだから――――――

 

 

 

「和人、こっちこっち!早く!」

 

そして昼休み。自宅から持参した弁当を右手に、木綿季操るカクカクベアー君を左手に持ちながら、和人は中庭の芝生を目指して歩いていた。和人の視線の先には、芝生の上にレジャーシートが敷いてあり、ララやめだかをはじめとした、特に仲の良い友人達が集まっていた。その中には勿論、一護の姿もある。

これは、木綿季が学校へ来ると知らされためだか達による企画である。和人のクラスメート以外の友人達とも親睦を深められるようにと、こうして屋外で集まれる場を設けたのだ。

 

「めだか、これで皆集まったことだし、そろそろ食べ始めない?」

 

「そうだな。それでは、木綿季の帰還者学校への登校を記念して、皆で乾杯といこうか」

 

そう言うと、めだかは和人へジュースが入った紙コップを渡した。どうやら、他の参加者には既に渡していたらしい。全員それらを手に持っていた。最後に来たメンバーたる和人に加え、木綿季の手にも渡され――木綿季はカクカクベアー君の手と手の間に挟んだ状態で、和人に支えながら持っていた――乾杯の音頭を、この場の代表者であるめだかが取る流れとなった。

 

「それでは、堅苦しい挨拶は抜きにして……」

 

 

 

『木綿季、帰還者学校への登校おめでとう!』

 

 

 

そして始まる、ランチタイム。三月、四月頃の桜が咲く季節ならば、花見ができたのだろうが、今の季節は冬。屋外はまだまだ寒いものの、天気は快晴そのもので比較的快適に過ごせる気温となっていただけ幸いだった。

 

『わぁ~、皆のお弁当、とても美味しそうだね!特にめだかとララのが!』

 

レジャーシートに腰掛けた和人の膝の上に乗り、カメラ越しに全員の弁当の中身を眺めながら、木綿季が羨ましそうに言う。

 

「フフフ、そうだろうそうだろう。何せ、私と善吉の弁当は、私自ら作ったものだからな」

 

「私のお弁当は、大使館のメイドさんが作ったものだよ」

 

「ララのクッキングセンスは壊滅的だからなぁ……」

 

善吉のぼそりとした呟きは、しかし木綿季の収音マイクが拾うことはなかった。聞こえてしまった和人等少数名についても、それに言及することはしなかった。

 

『和人のも結構美味しそうだよね。手作り?』

 

「ああ」

 

『そういえば、詩乃のお弁当とも同じような……』

 

「今日のお弁当の当番は、和人だからね」

 

『ええっ!?二人って一緒の家に暮らしてるの!?』

 

「……言っていなかったな。色々と事情があってな……詩乃は今、俺の家に住んでいる次第だ。まあ、その話は追々、な……」

 

『ああ……うん、分かった』

 

同じ家に暮らし始めた諸事情を説明するとなると、GGOにおける死銃事件のことは勿論、詩乃の壮絶な過去まで話さなければならない。昼休みに気軽に話せる内容でない以上、話はここで終わらせることにした。木綿季も事情を何となく察したらしく、それ以上追及することはしなかった。

 

「それにしても、手作りって言っても、めだかやララのお弁当みたいに突出して美味しそうってワケじゃないわよね」

 

「里香さんのは手作りですらないじゃないですか」

 

「うっさいわね、圭子。あんたも同じでしょうが」

 

『まあまあ、仲良く食べなよ』

 

その後は手作り弁当談義で軽口を叩き合いながら、一同は弁当を食べ進めた。普段はクラスも違う面子も集まっているだけに、いつも以上に賑やかになっていた。

 

『あ、一護君も手作りなんだね』

 

「ああ……まあな。今日は、妹達が作ったものだ」

 

『一護君の家のご飯は当番制って言ってたけど、それは今でも同じなんだね。遊子ちゃんと夏梨ちゃんも元気かな?』

 

「ああ。この前、お前のことを話したら、あいつ等も会いたいって言ってたぞ。それから、今度竜貴の奴も一緒に病院の方に見舞いに連れて行きたいんだが……」

 

『ああ、大丈夫だよ!倉橋先生には、ボクの方から言っておくから』

 

小学生の頃からの知り合いである一護と木綿季だが、昨日、和人に連れられて木綿季の入院する病院へ向かい、既に再開を果たしていた。その場で木綿季の現在の病状と、藍子を含めた家族を亡くしたことを知るに至ったのだった。

転校後、まさか家族が木綿季を残して全員亡くなったとは予想できなかった一護は、そのことに対して責任を感じてしまっていた。元々責任感が強く、母親を幼い頃に無くした経緯から家族を大事に思う一護にとって、紺野一家の不幸は他人事とは思えなかったのだ。

昨日の見舞いの際に、木綿季から、一護を全く恨んでおらず、気にしないで欲しいと言われて和解したことで、多少は罪の意識が和らいだ様子だった。

 

「でしたら、今度は僕も挨拶に伺っても良いでしょうか?」

 

『うん!アレン君も勿論、歓迎だよ!』

 

「ずるい!私も行きたい!」

 

「あ、私も!」

 

「あのう……私も行っちゃ駄目ですか?」

 

「こらこら、皆で一気に押しかけては迷惑だろうが」

 

一護とアレンに続き、ララや里香、圭子までもが見舞いに行きたいと手を挙げ、そんな一同をめだかが窘めていた。どうやら、しばらくは連日見舞いが続き、木綿季の病室は賑やかになりそうだ。リアル、仮想世界を問わず、木綿季に差別意識を持たない人と関わる機会が増えることは、木綿季にとっても良いことの筈。和人は内心でそのことを喜んでいた。

 

『あれ?そういえば、気になっていたんだけど……』

 

「どうしたんだ、木綿季」

 

『アスナはどうしたの?同じ学校に通っているって聞いてたんだけど』

 

木綿季が発したその問い掛けに対し、昼食を口にしていた和人を含めた一同は、一様に気まずい表情を浮かべた。

 

「明日奈さんは……一応、学校には来ている」

 

「……木綿季のことは既に伝えてあるし、後で私が改めて紹介しよう」

 

「そ、そうね……私もその方が良いと思うわ」

 

『あー……うん。分かったよ。その時は、よろしくね』

 

皆の反応をカメラ越しに見た木綿季は、自分が触れてはいけないことに触れてしまったことに気付いた。しかも、クラスのまとめ役として堂々とした態度のめだかや、天真爛漫で快活なララですら言い淀んでいるところからして、相当重大な問題であると察せられる。

故に木綿季は、それ以上の追及は控えることにした。そのため、結局明日奈に何があったのかは分からず終いとなった。しかしながら、皆が言い淀んでいる何らかの問題は、和人と明日奈の間で発生したということは分かった。和人が明日奈に会いたがらず、他の皆も会わせたがらないところからして、間違いない。

 

「まあ、そういうことだ。明日奈さんとは……まあ、放課後に会えるだろう。同じ部活だしな」

 

「そうだな……無理に今会いに行くこともあるまい」

 

和人とめだかがそのように言ったことで、この場にいない明日奈については放課後に会うということで落ち着いた。そのお陰で、昼食の場を包んでいた気まずい空気もまた晴れたことで、皆もほっとした様子だった。

 

「さて、次の授業までまだ時間があるが、移動等もせねばならなん者もいる。そろそろ私達も解散するとしよう」

 

「そうだな」

 

昼食を食べ終え、弁当箱を片付けためだかや和人が立ち上がり始め、他の生徒もそれに続く。だが、その動きをスピーカー越しの声が止めた。

 

『ちょっと待って、和人』

 

「どうしたんだ、木綿季?」

 

『悪いんだけど、少しの間、めだかと一緒にいさせて欲しいんだ』

 

「……何故だ?」

 

木綿季が学校生活を送るための必須ツールであるカクカクベアー君は、非常に精密な機械である。故に、不具合が生じた際にすぐにメンテナンスを行える人間がこれを持っている必要がある。これができる人間は学校内でも限られており、製作に携わった和人やララ、藤丸がこれに当たる。天才の部類に属すめだかでもできないことは無いが、制作者である和人達には及ばない。

故に、学校にいる間は基本的に和人が、女子を入れるわけにはいかない場所へ入る場合にはララが持つことにしていたのだ。そしてこれは、木綿季を学校へ招き入れる際に事前に約束したことでもあった。故に和人は、木綿季の意図について聞こうとした。だが……

 

「まあ待て、和人。木綿季は女の子だ。如何に和人のことを信頼しているとはいえ、何もかも話せるというわけでもあるまい。女同士でなければできない話もあるのだから、ここは私に任せてくれても良かろう。な?」

 

「……そうだな」

 

納得はしていない様子だったが、相手がめだかならば問題は無いだろうと判断したのだろう。和人は木綿季のことをめだかに任せることにした。

 

「それではお先に失礼する」

 

『和人、また後でね!』

 

木綿季操るカクカクベアー君を受け取っためだかは、そのまま校舎の方へ向かって歩いて行った。残された和人は、木綿季が何故あんなことを言い出したのか、少々気になっていたらしく、遠ざかるその背中を少しの間見つめていた。

 

 

 

 

 

「それで木綿季、一体何のためにわざわざ私を指名してまで、和人から離れたんだ?」

 

校舎へ入り、和人から見えない場所へ来ためだかは、木綿季に対して和人と別れて自分に同行したいと言い出した理由を尋ねていた。

 

『ちょっとめだかに、頼みごとがしたくてね……』

 

「明日奈のことか?」

 

『あ、やっぱり分かっちゃった?』

 

めだかには、和人には言えない頼み事をするつもりで同行を頼んだのだが、まさかその内容まで察知されているとは思わなかった。

 

「あの話の流れからして、頼み事の内容は他にあるまい。それで、お前なりに明日奈と和人の間に起こった問題を解決したいと思ったというわけだな?」

 

『うん……まあ、ボクに何ができるかなんて、分からないけどね』

 

思い切った行動に出た割には自身なさげな木綿季の態度に、めだかはふっと苦笑した。

 

「なに、気にすることは無い。私達も明日奈のことはどうしたものかと悩んでいたところだ。もしかしたら、お前の意見が突破口になるかもしれんからな。こちらから協力を依頼したいくらいだ」

 

『そっか……分かった!それじゃあボクも頑張るよ!』

 

「ああ、頼むぞ。それじゃあ、まずは明日奈が抱えている問題について話しておかなければな。少々長くて複雑な話になるが、聞いてもらうぞ」

 

『うん、お願い!』

 

そうしてめだかの話を聞く木綿季の声には、先程までの迷いは無かった。病院から一歩も出ることができず、ただ薬を浪費して生きながらえるだけで、誰のためにもならなかった自分という存在。それが、曲がりなりにも誰かの――それも、自分を外の世界へと連れ出してくれた大切な友人の役に立つかもしれないのだ。

本当の自分を受け入れてくれた、暖かな陽だまりのようなこの場所へと導いてくれた仲間達の絆を取り戻すべく、木綿季は自分なりにできることを探すための、第一歩を踏み出した――――――

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。