ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百二十三話 君の瞳に映ったボクが生きたシルシ

2026年3月29日

 

アルヴヘイムの地下深くに広がる、広大な地下迷宮『ヨツンヘイム』。鍾乳石から発せられる僅かな光が照らす、雪と氷に閉ざされた世界の中を駆け巡る妖精達がいた。

 

「ゴァァアアアッ!!」

 

「咆哮による範囲攻撃だ!全員、散開して回避しろ!」

 

イタチの指示に従い、彼の率いるレイドに所属する前衛部隊のメンバー達が、討伐のために包囲していた黄金鎧を纏った巨人の姿をした、邪神級モンスターから一斉に距離を取る。

途端、巨人が咆哮を放つとともに、周囲三百六十度に向けて、強力な衝撃が迸った。そのあまりの衝撃波に、巨人を中心とした地面に、蜘蛛の巣状の亀裂が走り、クレーターを描くように陥没した。攻撃の有効範囲に入っていたならば、大ダメージは免れなかっただろう。

 

「メイジ隊、一斉攻撃開始!!」

 

そして、巨人の咆哮が止むのと同時に、反撃とばかりに今度は後衛に控えていた、アスナ率いるメイジ隊が動きだした。アスナ、サチ、シウネーを中心としたメイジ隊による強力な攻撃魔法が、巨人に向けて雨霰のように注がれていく。

 

「ゴォォオオオッッ!!」

 

「魔法が止み次第、再度突撃する!巨人が怯んだ隙を見逃すな!!」

 

『応!!』

 

イタチの指示に従い、散開した前衛部隊は再度得物を構え、魔法が止むと同時に再度突撃を仕掛けていった。イタチ等スリーピングナイツが戦っている黄金鎧の巨人型邪神の名前は、『エルドラゴ・ザ・ゴールドジャイアント』。ヨツンヘイムの未踏破領域を守護する、強大なる邪神型モンスターである。単純な攻撃力・防御力等のスペックが非常に高い上に、咆哮による攻撃はスタンをはじめとした多様な特殊効果を持つ上に、あらゆる防御や耐性を貫通してダメージを与えることができる効果を持つ。しかも、身に纏う黄金鎧には、物理攻撃が全くと言って良い程通用しない特性が付いているのだ。

その強大な戦闘能力は、サラマンダーの猛炎の将ことユージーン将軍や、シルフ五傑筆頭のシチロウといった名だたる猛者が率いるレイドですら手を焼く程の、非常に厄介なものだった。百戦錬磨の強者揃いのスリーピングナイツであっても、決して油断できる相手ではなかった。

 

「奴の体力はそろそろ限界だ。一気に仕掛けて削り切るぞ!!」

 

レイド総がかりで包囲して、強力な魔法とソードスキルを交互に叩き込んでのヒットアンドアウェイ戦法を繰り返すことおよそ三十分。黄金鎧の巨人、エルドラゴのHP残量は、三割程に差し掛かろうとしていた。

今こそ決着をつけるべきと判断したイタチは、前衛の仲間達を伴い、巨人へ向けて突撃を敢行しようとする。イタチに随伴するのは、アスナ、リーファ、コナン、ランの四人である。

 

「スリュムの時と同じだ。片足を攻撃して膝を突かせて、顔面に攻撃を叩き込む。咆哮による攻撃を仕掛けてきたら、コナンの『不協和音(ノイズ)』で打ち消せ」

 

「仕方ねえなぁ……」

 

「了解!」

 

イタチの指示のもと、突撃メンバーの面々は陣形を組み、エルドラゴ目掛けて駆け出していく。

 

「ゴガァァァアアア!!」

 

「来るぞ!コナン!!」

 

「分かったよ!」

 

自身に向かってくるイタチ等五人を視界に捉えたエルドラゴは、咆哮による衝撃波でこれを一掃せんとする。対するイタチは、作戦通りにコナンを前に出してスキルのキャンセルを図る。

命令されたコナンは不服そうな顔をしながらも、プーカの歌唱スキルを発動する。いつもの通り、外れに外れた酷い歌声が戦場に木霊し――――――エルドラゴの咆哮を打ち消した。

 

「次だ!右足を狙え!!」

 

「了解!」

 

「オッケー、お兄ちゃん!」

 

コナンのシステム外スキル『不協和音(ノイズ)』によって咆哮による攻撃をキャンセルされたことを確認したイタチは、ランとリーファの二人に突撃を指示する。二人はそれに従い、リーファは右足首、ランは右膝へ目掛けて跳んだ。

リーファは水平四連撃の片手剣系ソードスキル『ホリゾンタルスクエア』を発動して足首に斬撃を加え、ランは正拳突きによる単発の体術系ソードスキル『轟月』を発動する。

 

「ゴォオッ……ガァアアッ!」

 

二人掛かりの右足への攻撃により、直立姿勢を維持することができなくなったエルドラゴが、地面に膝を突く。その隙を見逃さず、イタチとアスナが一気に加速して駆け出し、負傷した右足を足場にして、三角跳びで顔面目掛けて跳び上がる。

 

「ハァアアアッ!!」

 

まず先に仕掛けたのは、イタチ。両手に片手剣を持ち、OSSの二刀流ソードスキル『ジ・イクリプス』を発動する。

 

「グ、ガァアアアッッ……!」

 

SAOにおけるオリジナルと全く違わぬ、怒涛の二十七連撃全てを顔面に受けたエルドラゴだったが、それでも尚、HPを削り切るには至らない。残り一割ほど残っている体力を削り切るために、アスナにスイッチして止めを託す。

 

「アスナさん、後をよろしくお願いします!」

 

「任せて!」

 

イタチと入れ替わるように巨人の目と鼻の先へと躍り出たアスナ。そしてそのまま、空中に飛翔した状態でソードスキルを発動させようとしたが……

 

「ゴォォオオオオオッ!!」

 

「なっ!?」

 

アスナのソードスキルが発動するその直前で、ダメージから立ち直ったエルドラゴが、アスナを視認するや口を大きく開いた。咆哮による特殊攻撃を発動する予兆である。このまま攻撃が発動すれば、至近距離にいるアスナは、即死はまず免れない。

絶体絶命の危機に陥り、きゅっと目を閉じようとするアスナ。そして、咆哮による攻撃が発動しようとした、その時だった。

 

「やれやれ、世話が焼けるわね……」

 

「ゴ、ガハァッ……!?」

 

そんなため息交じりの言葉とともに、アスナの視界の下端に閃光が迸った。次いで聞こえたのは、エルドラゴの苦悶の声。視線を下に向けると、そこには後衛に控えていた筈のエリカの姿があり、その手に握る片手剣がエルドラゴの喉に深々と突き刺さっていた。

アスナの危機に駆け付けたエリカが、片手剣重攻撃ソードスキル『ヴォーパルストライク』を発動し、喉を攻撃したことで攻撃の発動を阻害したのだ。

 

「早く止めを刺しなさい」

 

「は、はい!!」

 

エリカに催促され、素早くソードスキル発動に戻るアスナ。細剣を握る右力の力をより強くして、その切っ先へとライトエフェクトを迸らせる。

 

「はぁぁああっ!!」

 

猛烈なスピードで繰り出される十連撃の刺突が、エルドラゴの額に十字架を刻み込んでいく。

 

「やあっ!!」

 

そして、止めとして繰り出された十一撃目の最後の一撃が、エルドラゴの眉間を貫く。

 

「ゴ、ガァア………………!」

 

アスナの発動したOSS――『マザーズ・ロザリオ』により、HPを完全に奪われたエルドラゴの巨体が、轟音を立てながら氷の大地に崩れ落ちた。そして、その全身が青白い光に包まれ、ポリゴン片を撒き散らして爆散した。

三十分に及ぶ、一切の油断が許されない危険極まりない戦いに終止符が打たれたことで、スリーピングナイツのメンバー達もまた、その場にへたり込んでいった。

 

「かなり時間が掛かったけど、ようやく倒せたわね」

 

「そうですね。しかし、後衛をお任せしている以上は、あまり安易に持ち場を離れては欲しくなかったのですが……」

 

「私があそこで助けに入らなかったら、アスナは間違いなくやられていたわよ?仲間を危機から救い、戦いに決着をつけるための行動なんだから安易とは言わない筈よ」

 

後衛のポジションを外れて前線へと出たエリカを咎めるイタチだったが、当のエリカは臨機応変の対応をしたまでだと返すばかりだった。正論を掲げているように見えるエリカだが、本心ではアスナが心配で飛び出していったのだろうと、イタチは考えていた。アスナに対して厳しく接するエリカこと京子だが、親馬鹿な面が多々あるのだと、イタチは改めて感じていた。

 

「それより、早く未踏破領域の探索を進めないと。皆かなり消耗しているし、アイテムもかなり使っているわ。宝箱を探せるだけ探したら、一度地上に戻った方が良いわ」

 

「そうね。それじゃあ、HP残量がそこそこあって、探索に出られる人を集めてくるね」

 

「あとは、罠の解除要員が必要です。スプリガンや、その類のスキルを持っているメンバーも一緒に集めてください」

 

強大な邪神級モンスターを倒して一息吐いている面々だが、未踏破領域の探索という目的がまだ残っている。あまり深くまで探索している暇は無いだろうが、他のレイドが到着する前に、目ぼしい宝箱は開けておきたい。そう考えたエリカの言葉にイタチは賛成し、アスナと協力して現状で動けるメンバーを集め、探索を開始するのだった。

 

 

 

 

 

木綿季が仲間達からの熱い激励を受けて旅立ってから、二日が経った。いつ戻れるのか分からない……しかし、いつの日か必ず帰ってくるという誓いを立てた仲間を送り出したスリーピングナイツのメンバー達は、今日も今日とて変わらぬ日常を送っていた。

 

 

 

 

 

「いや~……それにしても、今日のヨツンヘイム探索も、かなりの儲けになったわね」

 

「未踏破領域だっただけに、宝箱はたくさんあったし、リズさんの大好きな稀少鉱物もたくさんありましたからね」

 

ヨツンヘイムの探索によって得られた成果たるアイテムや鉱物をテーブルに広げながら、リズベットとシリカはほくほく顔になっていた。二人の言葉に、周囲のメンバーもまた、同意するように頷いた。

ヨツンヘイムにおける未踏破領域探索を終えて地上へと戻ったスリーピングナイツのメンバーは、報酬の山分けを行ってから解散した。その後、メンバーの大半はリアルの用事でログアウトするか、他のエリアへと飛んで行ったのだが、イタチはアインクラッド二十二層に所有するログハウスへと向かい、手持無沙汰だった何人かのメンバーもまた、この場へ集まっていた。

ちなみに、後妻討ちデュエルをはじめ、様々なイベントがあったこのログハウスは、今やスリーピングナイツのギルドホームと化していた。

 

「しっかしまあ……まさかこのスリーピングナイツが、ここまでデカいギルドになるとは思わなかったよな」

 

「邪神級モンスターを討伐できるだけの戦力を保有しているギルドって、少ないからね」

 

最初はたった六人しかいなかったギルドが、一気に大量の加入者を迎え――それも強豪ばかり――急成長したことについて、しみじみとした面持ちで呟いたコナンとランの言葉に、他の面々は苦笑した。

 

「それで、次はどうするの?またヨツンヘイムの邪神攻略?」

 

「強豪ギルドが現在進行形で苦戦している『ベアキング・ザ・メタルジャイアント』や『バトラー・ザ・ホーンキング』あたりが狙い目かしら?」

 

「地上の方にも、中々に強力なモンスターがいるぜ。ウンディーネ領にいるっていう『ガスパーデ・ザ・キャンディジェネラル』も、かなり強力なボスモンスターって話だ」

 

「デッドエンドエリアを支配しているという、通称『ガスパーデ将軍』ですね。海賊型のモンスターで、かなりの大軍を率いていると聞きますが、その設定上、かなりの財宝を溜め込んでいるという噂もありますから、ドロップアイテムにも期待できます」

 

つい今しがたまで、ヨツンヘイムにて強力な邪神を相手に大立ち回りをしていた身でありながら、その思考は次の冒険へと向いていた。信頼のおける強力な仲間達でレイドを作ることができるようになったことで活動の幅が広がり、メンバー全員の気持ちが大きくなっている傾向にあったのだ。

加えて、良くも悪くも好戦的なメンバーが多いために、挑戦する題目は大抵が戦闘系のクエストや狩りだった。しかも、強豪ギルドですら苦戦を強いられる邪神級モンスターのように非常に強力な敵ばかりである。

 

「そこまでにしておけ」

 

「皆、ちょっとヒートアップし過ぎだと思うよ?」

 

そんな血気に逸るメンバー達を、イタチとアスナが諫める。リーダーであるユウキが不在の間、スリーピングナイツの切り盛りは、元々サブリーダーに相当する立場にあったイタチをはじめ、アスナ、シウネーといった落ち着いた思考をする面々が主体となって行っていた。

 

「ヨツンヘイムの邪神にしても、地上の札付き強豪モンスターにしても、攻略には十分な下調べと準備が必要だ」

 

「強力な武装やアイテムを揃えるにも、かなりのユルドが必要ですからね。それに、場合によってはクラインさんの風林火山やメダカさんのミニチュアガーデンにも協力を求める必要があるんじゃないでしょうか?」

 

「イタチ君とシウネーの言う通りだよ。今日の攻略だって、かなりギリギリだったじゃない。あんまり調子に乗り過ぎると、絶対に痛い目を見ることになるんだから、気を付けなよね」

 

スリーピングナイツの首脳陣と呼べる面々に窘められた面々は、先程までの威勢の良さはどこへやら。本日の邪神討伐に際して危機的な場面が何度もあったことを思い出し、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。

 

「……分かってるわよ。けど、戦力は充実している方なんだから、レイドじゃないとできなかったこととか色々とやりたくなるじゃない?」

 

「アスナさんも、『マザーズ・ロザリオ』を習得してパワーアップしたことですしね」

 

「全くもう……これじゃあ、ユウキが帰ってきた時が思い遣られるわね……」

 

「同感です」

 

苦笑交じりにアスナが口にした言葉に、イタチは短く溜息を吐いて同意した。ただでさえ自由奔放なメンバーが多く、手綱を握るのに苦労している現状なのに、そこへユウキが加われば、ますます手に負えなくなってしまう。

そんな思い人の姿を見ながら、アスナはつい数日前……ユウキから彼女の奥義たる『マザーズ・ロザリオ』を受け取った時のことを思い出していた――――――

 

 

 

 

 

 

 

2026年3月26日

 

木綿季のアメリカ行きを翌日に控えたその日の夜。アスナはALOへとダイブし、現実世界同様に暗くなっていたイグドラシルシティの夜空を飛行していた。明日はユウキの見送りがあるため、いつもより早く就寝しようと思ったその矢先。ユウキからメールで唐突に呼び出しがかかったのだ。話があるとだけ告げられたアスナは、すぐさまALOへとログインし、待ち合わせの場所へと向かった。

目指す先にあるのは、イグドラシルシティの中でも最も高い場所にある展望デッキ……ユウキとイタチが初めて出会った場所だった。

 

「ユウキ!」

 

アスナをこの場へ呼び出したユウキは、先に展望デッキに到着していた。アルヴヘイムを三百六十度地平線の彼方まで俯瞰できるこの場に立っていたユウキは、自身の名前を呼んだアスナの方へと振り向いた。

 

「来てくれてありがとう、アスナ。こんなに夜遅くに呼び出しちゃって、ごめんね」

 

「気にしないで。いつもなら、まだALOにログインしてる時間帯だもの」

 

申し訳なさそうな表情をするユウキに、アスナは笑って答えた。付け加えるならば、旅立ちを明日に控えたユウキからの呼び出しである。重要な話であることは明らかだった。

 

「それで、私に話って何?」

 

「うん……アスナに、お願いがあるんだ」

 

挨拶も手短に済ませたアスナは、早速要件は何かと尋ねた。するとユウキは、先程まで纏っていた雰囲気を一変させ、真剣な表情でアスナに向き直った。

 

「アスナに、これを受け取ってほしいんだ」

 

そう言ってユウキは、右手に持っていたスクロールをアスナに差し出した。それを見たアスナは、目を見開いた。

 

「これって、もしかして……!」

 

「うん。ボクのOSS『マザーズ・ロザリオ』の『秘伝書』だよ」

 

イタチをはじめ、OSS使いの知り合いが多数おり、自身もまた使い手の一人であるアスナだからこそ気付くことができた。ユウキが手にしているのは、OSSの『剣技伝承』システムによって生成されたスクロールなのだ。プレイヤーはこれをウインドウから取り込むことにより、OSSを継承・行使することができるのだ。

しかし、『剣技伝承』のシステムを行使できるのは、一度限りであり、一代限りの継承なのだ。それを今、ユウキはアスナに対して使おうとしているのだ。突然何を、と驚いたアスナだったが、ユウキが何を考えてこのようなことをしたのか、すぐに分かった。

 

「……旅立った先で、治療に失敗して帰ってこれなくなった時のために、これを遺しておこうってこと?」

 

「まあ、それもあるかな」

 

「なら、断るわ」

 

OSS使いにとっての最大の財産とも呼ぶべきスクロールを継承してほしいというユウキの頼みを……しかし、アスナは即座に切って捨てた。ユウキを見つめるアスナの表情は、怒りと悲しみに歪んでいた。

 

「皆がどんな気持ちで、あなたを見送ろうとしているのか、分かっているの?ユウキなら必ず帰って来てくれるって……そう信じているから、笑顔で見送ろうとしてくれているんだよ!?なのに……なのに、こんなのって、無いよ!」

 

皆ともっと多くの時間を共有するために……もっと生きていたいという願いを叶えるために旅立つというのに、こんな遺言染みたものを残すことを、アスナは許せなかった。これでは、生きることを諦めているのと同義ではないかと……アスナには、そう思えて仕方がなかった。

 

「確かにそうだね……けど、ボクだって不安なんだ。本当に、皆とまた会える日が来るのかってね……」

 

「そんなこと言わないでよ!絶対に帰ってくるって、約束したじゃない……!」

 

儚げに笑みを浮かべながら口にするユウキの言葉に、アスナはもう聞きたくないとばかりに涙を目に浮かべながら声を上げた。

ユウキの治療が困難を極めることは、ユウキに言われるまでも無く、アスナとて分かっていることである。明日の見送りが、今生の別れになってしまう可能性が高いことも。だが、それを認めるわけにはいかない。認めれば最後、ユウキは二度と戻って来てくれないという、確信があったのだから。

 

「とにかく、これは受け取れない。どうしても渡したいのなら、帰って来てからにして」

 

「待って、アスナ」

 

ユウキの頼みを断ったアスナは、踵を返してその場を後にしようとする。だが、ユウキは諦めることなく、アスナを腕を掴んで止めにかかる。

 

「確かに、こんなことを頼むのは間違っているかもしれない。けど、どうしてもアスナに受け取って欲しいんだ」

 

「駄目。ユウキの頼みでも、これだけは聞けない」

 

「……なら、イタチのためって言ったらどう?」

 

ユウキの口から出たその名前に、アスナの動きが止まる。思わずユウキの方を振り返るアスナが見たのは、先程までの儚さとは打って変わって、真剣な表情でアスナを見つめるユウキだった。

 

「ボクもイタチに教えてもらったんだ。SAO事件とか、ALO事件とか、GGOで起きた死銃事件のこととか。それに……忍者だった前世があったこともね」

 

それは、アスナこと明日奈、リーファこと直葉、シノンこと詩乃といった面々のみが共有している、イタチに関する秘密だった。ユウキもこのことを知っているというのは初耳だったが、不思議には思わなかったので、驚きもしなかった。

むしろ得心した様子のアスナの表情に、ユウキは「やっぱり」と思い、苦笑した。彼女もまた、イタチの秘密を知っているのは自分だけでないという確信があったらしい。

 

「前世のことは、あんまり教えてもらってないけど、こっちで起こったことを教えて貰えば、イタチが今まで自分一人で何もかも背負って、色々と無茶してきたことくらいは分かる。だから、きっとこの先も……イタチは色んなことに巻き込まれて、これまで以上の無茶なことをするかもしれないって、そう思うんだ。だからアスナには、ボクが一緒にいられない時にそんなことが起こったら、これでイタチを守ってあげてほしいんだ」

 

「……どうして、私なの?」

 

イタチを守るためという理由は理解できた。イタチの危うさはアスナ達も常日頃から問題視していたことであり、誰かが歯止めをかけなければならないというのが総意だった。

だが、イタチを想う者で剣士であることが条件ならば、リーファでも良かった筈。その問い掛けに、ユウキは微笑みながら答えた。

 

「後妻討ちデュエルの最後の一騎打ちの時に思ったんだ。ボクに正面からぶつかってきて、限界を超えたアスナになら、ボクの技を託せるって」

 

「ユウキ……」

 

「だから、お願い。ボクもイタチを守りたいんだ。だから、アスナにはボクの剣技を受け取ってほしいんだ……」

 

先程と変わらない、強い意思を持った真剣な顔で……しかしそれに反して今にも泣きそうな表情で、ユウキはアスナに頭を下げて頼み込んだ。

イタチの傍にいられないもどかしさ。それならば、せめて剣技となってイタチを守りたいという願い。イタチに想いを寄せる者として、その気持ちは痛い程に分かった。同じ想いを持つ者として、アスナにはそれを断ることはできなかった。

 

「……分かった。ユウキの剣技(想い)、受け取るわ」

 

「ありがとう、アスナ」

 

「けど、私からも条件があるわ」

 

ユウキからスクロールを受け取り、OSS設定画面を開いてその中へと取り込んだアスナは、改めてユウキに向き直り、口を開いた。

 

「もう既に約束したことだけど……絶対に、私達のもとに帰ってくるって、もう一度約束して」

 

「アスナ……」

 

これだけは絶対に譲れないと強調して提示した条件は、ユウキがアメリカへと旅立つ目的そのものである。しかし、それと同時に叶えることがこの上なく困難なことでもあった。

皆に「必ず病気を治して帰ってくる」と約束したユウキだったが、心のどこかでは無理かもしれないと思っていた。約束をした相手であるスリーピングナイツのメンバーをはじめとした面々も……イタチですら、絶対に守れるとは信じきれていない可能性が高い。仮に旅立った先で命を落としたとしても、誰もユウキのことを責めないだろう。

しかし、今ユウキの目の前に立つアスナは、そんな建前を許さない。どれだけの困難であろうと、約束をしたならば必ず……矛盾した表現だが、死んでも果たせと訴えかける目をしていた。一度頷けば、是が非でも約束を果たさなければならない……そんな、ある筈も無い、ある種呪い染みた強制力をユウキはアスナが向けてくる眼差しから感じ取っていた。

そんな気迫に満ちたアスナの態度に、思わず気後れしてしまったユウキだが……既に答えは出ていた。

 

「分かった。絶対に、皆のところに帰ってくる。また、スリーピングナイツの皆と一緒に、いろんなことができるように、頑張るよ!!」

 

アスナに負けず劣らず強い意思を宿した瞳で頷いて見せたユウキ。その言葉を聞き、瞳を見たアスナは、満足そうに口元に笑みを浮かべた。

 

「それじゃあ、改めて約束の証として……“指切り”しましょうか」

 

「指切り?」

 

そう言って、アスナは指を立てた状態の右手を差し出した。但し、立てられているのは一般的な指切りに用いる小指ではなく……“人差し指と中指”だった。

 

「これって……」

 

「イタチ君が教えてくれた、『和解の印』。使い方がちょっと違うけど……お互いを認め合った証だって、イタチ君は言ってたから」

 

「……うん!」

 

アスナの言葉に頷き、ユウキもまた、左手を人差し指と中指を立てた状態で差し出す。互いに差し出された右手と左手の指は結ばれ、“印”を結んだ。

イタチの前世の忍世界の風習と同様にお互いを認め合い、それに加えて固い約束を交わしたアスナとユウキは、互いに笑みを交わす。そんな中、ユウキは何か悪戯を思い付いたとばかりにその表情に意地の悪い笑みを混ぜて、口を開いた。

 

「帰ってきたら、誰がイタチと一緒になるか、決着をつけるための最後の勝負をするからね!!」

 

「んなぁっ……!?」

 

果たしてユウキの不意打ちは見事に成功し、アスナはその顔を真っ赤に染めた。そんなアスナの取り乱した姿を見て、ユウキはフフンと得意気に鼻を鳴らしていた。

 

「~~~~~~!!」

 

その憎々しい顔に、真っ赤な顔のままで声にならない声で唸り声を上げるアスナ。その顔を見せまいと俯き、悔しさにプルプルと震えてしまっていたが、やがて意を決したように顔を上げると、

 

「本当に早く帰って来てね?あんまり遅いと、待ちきれなくて、私達が先に落としちゃうんだから!」

 

ユウキに負けじと挑発的なドヤ顔と口調でそう言い放った。そんなアスナからの予想外な返しに、ユウキは思わずポカンとした顔をして呆けてしまったが、不敵な笑みを浮かべて対抗するように宣言した。

 

「絶対に帰ってくるよ!皆には、負けないからね!!」

 

 

 

 

 

 

 

それが、アスナとユウキの仮想世界における最後のやりとりだった。

 

(約束をした以上は、私もユウキに代わって、しっかりギルドを守っていかなきゃね)

 

木綿季に何が何でも帰ってくるようにと約束を取り付けたのは、他でもない明日奈である。である以上、彼女の居場所であるこのスリーピングナイツというギルドを……そして、イタチをはじめとした仲間達を守らなければならない。

腰に差した細剣へと手を伸ばしたアスナは、ぎゅっとその柄を握り締めた。ユウキからマザーズ・ロザリオとともに受け取った、約束を守るための強さを握り締めるかのように。

 

「それでは、俺はそろそろ落ちます」

 

「イタチ君もこの後予定があるの?」

 

「ええ。先日持ち上がった“例の件”で、めだかの実家の会社に呼び出されていまして」

 

「ああ、あの話ね……」

 

「それでは、お先に失礼します」

 

非常に手短なやりとりでそれだけ伝えると、イタチはウインドウを出してログアウトするのだった。

 

「それじゃ、あたしも落ちるわね」

 

「あ、私もです」

 

「私も、書類の確認があるからもう行くわ。アスナも、いつまでもこっちにいないで、きちんと勉強しなさい」

 

イタチに続き、リズベット、シリカ、エリカがログアウトしていく。残りの面々も、ヨツンヘイムの激闘で相当疲れたのだろう。それ以上プレイするつもりのある者はなく、五分後にはアスナを残して全員がログアウトしていた。

 

(イタチ君は、本当に強いな……)

 

ここ最近、自身をはじめ、皆がユウキが無事に帰ってくるかという心配を拭いきれずにいた。そんな中、イタチだけはいつもと変わらない様子で、日常を過ごしていた。そこでアスナは、イタチにユウキのことについて思い切って問いを投げ掛けたことがあった。「ユウキが本当に帰ってくるか、不安ではないのか」と。それに対して、イタチが返した答えは……

 

 

 

「必ず帰ってきます。何故なら、ユウキは俺以上に“忍の才能で一番大切なもの”を……“諦めないド根性”というものを持っていますから」

 

 

 

“諦めないド根性”。まさか、クールなイメージの強いイタチの口からそんな言葉が出るとは思わず、それを聞いた時にはギャップで少しばかり驚いてしまった。

イタチこと桐ケ谷和人に残るとされる、うちはイタチという忍者としての前世。あまり多くを語らないイタチだが、SAO事件をはじめ、数々の死と隣り合わせの戦いを繰り広げてきたその姿を見てきたアスナにとって、イタチが前世で想像を絶する場数を踏んできたことは想像に難くなかった。

そんなイタチが、初めて――アスナの知る限り――自分の前世たる“忍”という言葉を用いて、ユウキのことを讃えたのだ。それは即ち、ユウキにはイタチと同じくらいの、困難を打ち砕く力があるということを意味する。ならば、疑う余地は無い。ユウキは必ず、病気という名の困難を撥ね退け、皆の元へ帰ってくる。根拠云々ではなく、他でもないイタチのお墨付きならば、間違いないのだと……アスナはそう確信していた。

 

「さて……私も行かないとね」

 

仮想世界での別れ際に、ユウキに宣戦布告をした身である以上、ユウキの行く末ばかりを心配する暇は無い。イタチが初めてその心の強さを認めたユウキには、絶対に負けられない。忍者になりたいわけではないが……それでも、イタチの傍にいるためには、彼曰く“諦めないド根性”というものが必要なことは間違いない。

自分と共に戦ってくれる仲間達が、この世界にも、現実世界にもいてくれる。ユウキが気付かせてくれた心の支えと、ユウキに負けないと言う気持ちを胸に、アスナは一歩一歩、前へと踏み出していく――――――

 

 

 

 

 

 

 

ALOからログアウトしたイタチこと和人は、手早く身支度を整え、ある場所を目指してオートバイを走らせた。高速道路を通って向かう先にあるのは、無数のビルが屹立中でも、一際大きく存在感を放つ、超高層ビル。建物丸ごとが一つの企業の所有物となっているその場所こそが、和人の目的地だった。

 

「いらっしゃいませ、桐ケ谷和人さんですね?」

 

ビルに入るなり、受付嬢らしきオフィスレディに声を掛けられた。ここを訪れるのは初めてだが、どうやら打ち合わせを行うのに際して関係各所に話は通されているらしい。

「その通りです」と返すと、受付嬢は和人を社内へと案内していく。入口をはじめ、認証が必要なゲートをいくつか通過し、エレベーターに乗って最上階近くの階層へと向かう。

 

「こちらが本日の打ち合わせ場所として用意させていただきました、会議室になります」

 

「ありがとうございます」

 

そうしてあまりに広いビルの中を案内されることしばらく。目的地とされる会議室の前へと和人は辿り着いた。その後、受付嬢がドアを三回ノックする。

 

「失礼します。桐ケ谷和人さんが、お越しになられました」

 

受付嬢の言葉に対し、扉の向こう側から「どうぞ」という、和人にとっても聞き知った女性の声が返ってきた。そして、受付嬢がドアノブに手を掛けて扉を開くと、そこには本日の打ち合わせ相手達が席に座っていた。

 

「入ってくれ、和人」

 

部屋にいた面々の一人、めだかに促され、入室する和人。二十名程の座席が用意されている広めの会議室の中には、めだかの他にまん太、ララがいた。約束の時間までは、まだ十分以上あったが、予定していたメンバーはほとんど集まっていた。

 

「待たせて悪かったな、皆」

 

「ううん、全然大丈夫だよ。さっきまで、ALOで私達の今日の活躍について話してたんだ!」

 

「僕は参加できなかったんだけど、ヨツンヘイムで難攻不落だった邪神級モンスターのエルドラゴを倒したんだよね?」

 

「あの未踏破領域は私達ミニチュアガーデンも狙っていたんだが、先を越されてしまったな。流石は黒の忍か」

 

「指揮を執ったのは俺だが、今日はスリーピングナイツの主力メンバーが揃い踏みだったからな。邪神が相手にも関わらず、HPを全損する犠牲者はゼロで済んだのも、メンバー全員が上手く連携を取れていたお陰だ」

 

賞賛を送ってくるめだかとまん太に対し、ボス攻略はメンバー全員の功績だと返しながら、和人はまん太の隣の座席へと座った。

腕時計を確認し、予定時刻まであと十分ほどあることを確認すると、この場にいない残り一人の出席者について、めだかに尋ねた。

 

「倉橋先生は、まだ到着していないのか?」

 

「ああ。だが、先程連絡が来たところだ。少々予定が押して、到着は予定時刻ギリギリになるとのことだ」

 

「そうだ!和人にはその間に、今日の資料の確認をしてもらおうかな?」

 

打ち合わせ開始までの十分程の時間を活用し、資料の最終確認をしてはというララの提案に和人は頷き、ララからA4用紙十枚程度からなる紙の資料を受け取った。それらの書類をパラパラと捲り、記載された内容について手短に目を通した和人は一つ頷くとララの方を向いて口を開いた。

 

「……上手くまとめられているな。これなら問題は無いだろう」

 

「やったね!」

 

「それで、めだかとまん太の方の首尾はどうなんだ?」

 

「黒神財閥の方は、既に役員をはじめとした経営層の面々に話は通している。出資の話は既に取り付けており、今は政府への根回しに向けて動いている」

 

「小山田グループのフルダイブ部門の開発部も了承してくれたよ。医療機器部門との協力体制も整っているから、最新機ができれば、メディキュボイドとの交信はもっと上手くできるようになると思うよ」

 

「そうか……開発プロジェクトの進捗に対して、黒神財閥も小山田グループもやや勇み足のようだが、問題は無さそうだな」

 

「おまけに、ウチの国もバックについてくれるから、鬼に金棒だね!いや~楽しみだな~!あの『カクカクベアー君』が、商品化するなんて!」

 

ララの口にした“『カクカクベアー君』の商品化”――それこそが、和人等四人が今日こうして集まった理由だった。メディキュボイドで終末期医療を受けていた木綿季が学校生活を送る上で導入した、ララの発明にして、和人等のメカトロニクスの課題である『カクカクベアー君』。日々、主治医として木綿季に接する中で、その有用性について着目した倉橋医師は、これを新たな医療用フルダイブ技術として導入できないかと考え、和人へ相談を持ち掛けたのだ。

それを発端として、和人以外に、開発の中核的存在となっていたララや藤丸といったグループのメンバーをはじめとした知己へと話が広まっていった。そして、この話は帰還者学校の中に止まらず……めだかとまん太の実家たる黒神財閥とオヤマダグループにまで知れ渡った。帰還者学校に通うめだかとまん太を通して仲が良好になった両企業は、倉橋医師同様に『カクカクベアー君』に非常に興味を持ち、ぜひ商品化をという声が、社内でいくつも上がった。結果、両企業を巻き込んだ、最新型の視聴覚双方向通信プローブ内蔵ロボット――ララ命名、『カクカクベアー君』――の商品化プロジェクトへと発展してしまい、現在に至るのだった。

ちなみに打ち合わせの場となっているこのオフィスビルは、黒神財閥の所有である。

 

(木綿季のような者のためにも、医療用フルダイブ技術の発展は不可欠と言われれば……納得せざるを得んな)

 

和人も倉橋医師も、今後のフルダイブ医療技術の参考にするための相談をしたに過ぎなかったのだが……いつの間にか事が大きくなってしまったことに、非常に驚愕していた。そして、あれよあれよという間に開発プロジェクトの中核をなすメンバーに推薦され、拒否権すら無くなってしまっていたのだった。

しかし、医療用フルダイブ技術を発展・普及させるためには、資金や設備や人材をはじめ、業界や政府への強力なコネクションや後ろ盾が必要なことは事実である。そういった利害の一致から、この計画に協力することを決めたのだった。

幸い、黒神財閥も小山田グループも、めだかとまん太を通してどのような経営姿勢なのかはそれなりに分かっている。企業である以上、利益を追求するが、医療技術の発展のためになる機械を開発してくれると信頼できる。

 

「そうだ。今日の打ち合わせなんだがな。倉橋先生が、開発の参考になる意見を聞かせてくれる協力者を連れてきてくれると言っていた」

 

「初めて聞いたぞ。一体、誰なんだ?」

 

「それは会ってからのお楽しみ、だそうだ」

 

めだかが唐突に話し出した話題に、怪訝な表情を浮かべる和人。倉橋医師とは短い付き合いだが、悪戯心を働かせるような人物には見えなかった。そんな倉橋医師が、予告なしで和人に会わせたいという人物は誰なのか。少しばかり想像してみたものの、答えは出なかった。

 

「失礼します。倉橋様とお連れの方が参られました」

 

そうこうしている内に、本人が到着したらしい。ノックと共に、扉の向こうから和人を案内した受付嬢の声が聞こえた。めだかが入室を促すと、扉が開かれ、向こう側からスーツ姿の倉橋医師が姿を現した。その隣には、一人の女性を伴っていた。やや長身で、病人を彷彿させるような華奢な体格に地色の肌。髪は肩まで伸びたストレートである。見た事の無い顔……しかし、和人はこの人物を知っているような気がした。現実ではない、どこか別の場所で会った気が――――――

 

「まさか……シウネー?」

 

「はい、イタさん……いえ、桐ケ谷和人さん。初めまして。スリーピングナイツのシウネーこと、安施恩(アンシウン)です」

 

淡い笑みを浮かべて肯定してみせたシウネーこと安施恩に、思わず目を見開く和人。スリーピングナイツのメンバーであり、リアルを互いに知らない筈の彼女がここにいることもそうだが、何よりこの場所に彼女が来ることができたことの方が驚きだった。

 

「……お体の方は、大丈夫なのですか?」

 

聞きたいことはあるが、まず先に口からでた疑問がこれだった。スリーピングナイツの初期メンバーは、木綿季をはじめとして皆が終末期医療を受けている、重病患者である。また、和人の推測ではあるが、木綿季の態度を見る限りでは、彼女が言っていた余命三カ月のメンバーの一人は目の前の施恩であることは間違いない。故に、メンバーの中でも特に重篤な病状である筈の彼女が、こうして外出することなどできる筈は無かったのだが……

 

「はい。私自身、未だに信じられないことですが……ユウキとお別れをしたあの日に、お医者さんから一時帰宅の許可をいただいたんです」

 

それから、施恩は自らが置かれていた病状について語った。彼女の発症した病気は、急性リンパ性白血病というものであり、三年前に発症したらしい。一度は化学療法で寛解したものの……その後、昨年頃に再発。有効な治療法である骨髄移植も、家族で適合できる者は誰もおらず、ドナーも見つからない状態で、まさに絶望の淵に立たされた状態だったという。覚悟を決めた彼女は、メディキュボイドによるターミナルケアを受け、残された時間を同じ境遇の仲間達……即ち、スリーピングナイツのメンバーとともに過ごすことを選択した。

 

「お気づきでしたでしょうが、イタチさんこと和人さんに会った時には、既に余命三カ月と言われていた程に末期の状態でした。再発後は、様々な薬を組み合わせて飲む治療法が続いたのですが、副作用が酷くて……あの、スリーピングナイツの最後の冒険と決めていた、フロアボス攻略が終わったら、残りの時間を安らかに過ごせるような治療に切り替えてもらうつもりでした」

 

余程辛かったのだろう。副作用のことを話す施恩の顔は、若干強張っているようにも見えた。

そして、そんな施恩の話を聞いていた和人もまた、同様の表情をしていた。前世であるうちはイタチには、不治の病に侵されていた身体を無理矢理延命させるために、かなり無茶な薬の服用を行った記憶があったからだ。忍者としての気力でこれを押さえ込み、一応の目的を果たしたイタチだったが、忍者でもない施恩がそれと同等の苦痛を味わったというのならば、音を上げても仕方が無いと思っていた。

そんな過去を思い出す和人を余所に、施恩は「でも……」と続ける。

 

「イタチさんや他の皆さんと出会って、仲良くなって……強く生きようとするユウキの姿を見て思ったんです。『諦めちゃ駄目だ』って。そしてそれは、私だけじゃなくて……ノリも、ジュンも、タルケンも、テッチも……皆同じことを考えてました。ご両親も、ランさん……お姉さんも、ご家族は皆いなくなって、私達の中で一番辛い思いをしている筈のユウキが、あんなに精一杯生きようとしているのに、なんて情けないことを考えているんだろう、って。だって、私達は『スリーピングナイツ』なんです。リーダーのユウキが諦めないって言っているなら、メンバーの私達が諦めていい道理なんて無いんだって……そう思ったんです」

 

自嘲交じりの階層を口にする施恩だったが、自身の……スリーピングナイツの初期メンバーである自分達の決意を口にしたその瞳には、強い意思が宿っているように思えた。

 

「それからは、皆でユウキと一緒に戦おうと、決意を新たにしました。どんなに苦しくても、辛くても……それを理由に投げ出さないと……最後まで闘い抜くことを、誓ったんです。

それで、ALOで皆さんと冒険をする傍ら、たくさんの薬を飲み続ける生活に戻ったんですが……二月頃から、私の身に変化が起こったんです。処方される薬の量が、少しずつ減ってきて……それで二日前……ユウキを見送った後に、一時帰宅の許可が下りたんです。しかも、お医者様によれば、それ以降は定期的に検査を受けるだけで良いということでして……」

 

「では、完治したと……?」

 

「まだ完治したというわけではないみたいなんですけど……ほぼ、完治は確定と仰っていました。たくさん服用していた治療薬の内の一つが、劇的に効いたお陰なんだそうですが……」

 

そこで言葉を切り、施恩は苦笑しながら続けた。その目には、涙が浮かんでいる。

 

「私は、ユウキのお陰だと思っているんです。この世界からいなくなるその時を待つだけだった私達に、生きていたいと思わせてくれた……運命と闘うための強さをくれたから、踏み止まることができたんだって……そう思うんです。」

 

「……」

 

「私達、和人さんには本当に感謝しているのです。唯一の家族だったランさんを亡くして、誰よりも辛かった筈なのに……ユウキは泣くこともせず、それどころか意気消沈していた私達を支えるために、精一杯明るく振る舞ってくれていました。本当なら、支えて欲しい側だったのに……私達は、踏み込むことができず、何の助けにもなれませんでした。

けれど、和人さんは違いました。ユウキを親身になって支えてくれただけでなく……かつて失くした、周りの人達との繋がりを取り戻させてくれた。あんなに楽しそうで、幸せそうなユウキを見るのは、私達も初めてでした。そして、そんなユウキの姿は、生きることを完全に諦めていた私達の心すら、救ってくれました」

 

「……………」

 

施恩の独白を、和人をはじめとした面々は、ただただ黙って聞いていた。その声色からは、和人に対する感謝や、本来ならばユウキを支えなければならなかった自分達の無力さに対する忸怩たる思いが複雑に絡み合った感情が窺えた。

 

「だから、決めたんです。私達もユウキに倣って、自分達が生きている意味を探してみようって」

 

そう口にした施恩の声と表情からは、確かな強い意思が伝わってきた。それこそ、ユウキが「生きていたい」と自身の想いを打ち明けた時のような――――――

 

「そんな時でした。こちらの倉橋先生から、フルダイブ医療技術の開発プロジェクトに誘っていただいたんです。ユウキや私達に、色々な場所を見せてくれたあの機械を普及させることができるなら、私達みたいな境遇の人達のためになると思うと、ぜひご協力させていただきたいと思いました」

 

「成程……メディキュボイドの被験者だった経験を活かし、フルダイブ医療技術の開発に協力すること。それが、あなたがここに来た目的でしたか」

 

メディキュボイドは、同じフルダイブマシンでも、一般に普及しているアミュスフィアのようなものとは設計が全く異なるものである。体感覚を麻痺させて苦痛を和らげるために高出力の電磁パルスを引き出す機能をはじめ、脳だけでなく、脊髄反射をカバーするためのベッドと一体化させた設計等々……VRゲーム用のマシンと同じ要領で作れるようなものではないのだ。

カメラを通して現実世界の遠隔地の情報を伝えるためのプローブにしても、簡単に商品化して普及させられるものではない。故に、メディキュボイドと視聴覚双方向通信プローブの両方の機器を実際に使った経験のある被験者の強力は、開発プロジェクトを進める上では必須とも呼べるものである。

 

「正直、私もフルダイブマシンのことなんて、そんなに分かっていないんですが……それでも、私にできることがあるのなら、それをやってみたいんです。ですから……皆さん、よろしくお願いします」

 

深々と頭を下げて、強力させて欲しいと真剣に頼み込む施恩。そんな彼女の姿に、和人は席を立って、自身もまた頭を下げる。

 

「……施恩さん。こちらこそよろしくお願いします」

 

「協力して欲しいのは、僕達の方です」

 

「私達は、あなたの手を拒まない。私達と共に、このプロジェクトを成功に導きましょう」

 

和人に続き、まん太とめだかも席を立って頭を下げる。めだかの言う通り、施恩を拒む者は、この場にはいなかった。

そんな一同の様子を見守っていた倉橋医師が、微笑を浮かべて口を開いた。

 

「良かったですね、施恩さん。木綿季さんが帰ってきた時にこのプロジェクトが成功していれば、きっと彼女も喜んでくれますよ」

 

「しかし、倉橋先生もめだかも人が悪い。もっと早く報告してくれても良かったのではないですか?」

 

「それは、私の提案だったんです。ALOでしか会ったことのない私が現れれば、きっと驚くだろうと思って……」

 

「……そういうところで、木綿季の真似はしなくて良いと思いますがね」

 

普段の彼女からは感じられない――どちらかといえば木綿季のような――悪戯心を覗かせながら笑みを浮かべる施恩をジト目で見つつ、和人は溜息を吐きながら席に座った。

 

「それでは、メンバーも全員揃った以上……始めるとしようか」

 

そして、和人の言葉を皮切りとして、視聴覚双方向通信プローブ内蔵ロボット――通称『カクカクベアー君』――開発商品化プロジェクトの打ち合わせが、始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

“忍者”とは、“忍び耐える者”を指す言葉。故に、忍者にとって最も大切な才能とは、如何なる苦境に立たされようとも諦めることをしない、“ド根性”。

それは、和人の前世である忍世界において、イタチの出身である木の葉隠れの里の『伝説の三忍』の一人たる自来也の教えである。その教えは、師から弟子へ……七代目火影・うずまきナルトへと受け継がれ、多くの忍の心に根付いている。

そして、この異世界においても、木の葉隠れの忍としての前世を持ち、その教えを貫く者がいる。うちはイタチの前世を持つ少年、桐ケ谷和人が前世より受け継いだ意思は、本人が意図しない間に、彼に接した多くの人の心に伝播し、火を灯していた。

かつて、三代目火影・猿飛ヒルゼンは、『木の葉舞う所に火は燃ゆる、火の意思は里を照らし、また木の葉は芽吹く』と遺したように、忍の意思は次世代へと引き継がれたが……世界さえも超えて、多くの人の心に芽吹いているのだ。

 

忍としての前世故に仲間達に向き合えなかった和人の心に――

 

ぶつかり合うことから逃げ続けていたが故に、母親の想いと向き合うことができなかった明日奈の心に――

 

余命幾ばくかの己の身を儚み、生きることを諦めかけていた木綿季の心に――

 

彼等彼女等と同じ境遇にあった、仲間達の心に――

 

 

 

うちはイタチの灯した火の意思――諦めない不屈の心は、彼が生きた確かな“シルシ”となって根を下ろしていた。

 

 

 

終わりの見えない、多くの人の想いが交錯するこの世界で――うちはイタチは、前世から記憶とともに引き継いだ想いを仲間達と共有しながら、生き続ける。

 


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