ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百三十一話 招待【invite】

2026年4月24日

 

東京都西東京市のショッピングセンターの中にある、とある喫茶店の中。ワイワイガヤガヤと、店内の至る場所で雑談をする店内の窓際の席に、同じ制服を身に纏った女子高生四人が座っていた。

四人の側頭部の耳のあたりには、共通して小型のヘッドホンのような外見の機械が装着されていた。

 

「えいっ!」

 

「やっ!」

 

「ここです!」

 

「そこっ!」

 

そんな四人が囲むテーブルの中央には、ひと昔前のゲームを彷彿させる、ゲーム版が現れていた。複雑に入り組んだ盤上を移動する、口を開け閉めする黄色いキャラクターを巧みに誘導し、目的の場所へと向かわせているのだ。

 

「これで……終わりです!」

 

そして、ゲームに熱中すること十分弱。少々苦戦していたゲームだったが、少女達は見事にクリアして見せた。先程まで迷宮が表示されていたテーブル中央の盤面はきれいさっぱり者が無くなり、代わりに『CLEAR』の文字が浮かんでいた。

 

「勝ったね、シリカちゃん!」

 

「リズもナイスアシストだったよ」

 

「よっしゃークリアです!」

 

「これで無料スイーツゲットよー!!」

 

ゲームクリアを果たしたことで手に入れた報酬に、テンションがハイになる四人。特にツインテールの少女――シリカこと圭子と、ショートカットの少女――リズこと里香は、拳を振り上げて歓喜していた。

 

「それにしても、本当に凄いわよね、コレ。いろんなお店でポイント貰えるんだから、やめられないわよね~」

 

「フフ。そういえば、ケイタやテツオも夢中になってたっけ?」

 

「サチは一緒に行かなくて良かったの?同じ部活なのに」

 

「それを言うなら、アスナこそイタチのところに行かなくて良いの?同じ剣道部だし……私達と一緒にいるより、ずっと楽しいんじゃないかな?」

 

「んなぁっ……!?」

 

サチこと深幸からの思わぬ不意打ちに、アスナこと明日奈が取り乱した様子で頬を赤らめる。そんな彼女の姿に嗜虐心をそそられたのか、里香がニヤリと悪い笑みを浮かべた。

 

「あららぁ?ひょっとして、先約が入っちゃってたとか?イタチってば、ララとかメダカとかとも仲が良いみたいだし。それに、リーファとシノンなんか、同じ屋根の下で暮らしてるんだもんね~……うかうかしてたら、取り戻せないくらいにリードされちゃうかもしれないわよ?」

 

「もうっ!リズってば!!」

 

「あはは……けど、イタチさん、本当にどうしたんでしょうか?今日は部活も無い筈なのに……」

 

「イタチ君には、学校出る前に声を掛けてみたけど……何か用事があるって言って断られちゃったわ」

 

「ほほう……さては、リーファかシノンと――」

 

「言っておくけど、誘いを断られたのは二人も同じだからね」

 

この場にはいない、イタチこと和人を出汁にして明日奈を揶揄う里香。それに対し、邪推しているようなことは無いとはっきり告げる明日奈。かなりムキになって否定するその態度に、里香は揶揄い甲斐があるとばかりにさらに笑みを増す。

 

「リズ、そのへんにしておきなよ。アスナも、あんまりヒートアップしないで」

 

そんな彼女達の様子を呆れた様子で見ていた深幸が割って入り、仲裁をした。深幸の言葉に、里香はやり過ぎたかと少しばかり反省した様子で大人しくなり、明日奈の方も不満は残っている様子ながら矛を収めた。

 

「それより、コレですよコレ!いろんなお店でゲームして、ポイントとかクーポンとかが手に入るのも魅力的ですけど、機能も凄いですよね!」

 

「同感ね。どこでもテレビ見られるし、ナビや天気予報も見れるしで、至れり尽くせりって感じよね。この『オーグマー』は――」

 

AR(拡張現実)型情報端末『オーグマー』。

それが、明日奈達が今まさに使用している、小型のヘッドホンのような外見のデバイスの名前である。VRマシン『アミュスフィア』を遥かに凌駕するコンパクト性を持つこのデバイスは、フルダイブ機能の代わりに拡張現実――AR機能を最大限に広げた、次世代ウェアラブル・マルチデバイスである。

AR機能とは、覚醒状態の人間に視覚・聴覚・触覚情報を送り込むことを可能とした機能である。フルダイブマシンについて回る諸々の危険性――SAO事件が特に知られている――が存在せず、フィットネスや健康管理をゲーム感覚で楽しむことができることから、VRマシン以上に広く受け入れられている傾向にあった。

 

「そんな最新デバイスを、帰還者学校の生徒全員に無料で配布してくれるんだから、政府のお役人様は太っ腹よね」

 

「クラインさんやエギルさんも買ったそうですけど、かなり高価だって言ってましたもんね。そういえば、クラインさんで思い出したんですけど……例の最新ゲームの方も気になりますよね!」

 

「ああ、『オーディナル・スケール』のことね」

 

『オーディナル・スケール』とは、『オーグマー』専用のARMMORPGである。拡張現実を舞台としたこの最新ゲームは、最新技術を用いた次世代的ゲームであり、現在、話題沸騰中の大人気ゲームでもあった。

現実世界をフィールドとして、一般的なMMORPGよろしく、各所に出現するアイテムの蒐集やモンスター討伐を行っていくことで、プレイヤーは『ランク』を上げていく。オーディナル・スケール最大の特徴は、この『ランキング・システム』であり、全てのプレイヤーのステータスはプレイ成績たるポイントの獲得数によって割り振られる序数(カーディナル数)によって決定されることとなる。故に、ランク上位のプレイヤーほど圧倒的なステータスが与えられることとなる。故にプレイヤー同士の、殊にソロのPvPでは、ランクの順位が勝敗を分けると言っても過言ではなかった。

ちなみに、順位が上位になる程に与えられる恩恵はステータスに止まらず、システム提携している商店で利用できるクーポン等、様々な特典を得ることもでき、プレイ人口の爆発的な増加の要因にもなっていた。

 

「例の三人組……カズゴとアレンとヨウが、一緒になってプレイに繰り出しているって言ってたわね」

 

「そういえば、サチの部活メンバーもチームを組んでプレイしてるって聞いてるけど……サチは一緒にやってないの?」

 

「VRならともかく、ARはちょっと……」

 

「ああ、サチは運動があんまり得意じゃないもんね~」

 

「魔法職でもあれば、また考えたんだけどね……」

 

仮想世界でアバターを操るVRゲームとは違い、ARゲームは現実世界で実際に体を動かす。故に、ALO以上に現実世界における運動神経が問われることとなる。ALOでは無双の力を誇る大火力メイジとしてその名を知られ、『氷の女王』などという二つ名が出回り始めているサチも、現実世界ではどこにでもいる普通の少女、綾瀬美幸に過ぎないのだ。

 

「仕方ないよ。VRのアバターと現実世界の体とじゃ、勝手が違い過ぎるし……」

 

「リーファとかランとか、現実世界でスポーツをやっている人じゃないと、ちょっと難しいんじゃないかな……」

 

「イタチとかメダカもそうよね。特にイタチよ、イタチ。現実世界でも仮想世界に近い動きができるって……本当に、どんな体してんのよ……」

 

「剣道が凄く強いだけじゃなくって、とても身軽ですもんね。まるで、本物の忍者みたいだって、皆言ってますよ」

 

この場にはいない和人の規格外ぶりを思い出し、苦笑する四人。

SAO時代から『黒の忍』の二つ名を持つ、攻略組の強豪プレイヤーとして知られたイタチの強さは、仮想世界だけに止まらない。

現実世界においても、和人は剣道の全国大会優勝は堅いとされるだけの実力者なのだ。さらに、その非常に高い運動能力は、剣道に限らず陸上やテニス等、あらゆるスポーツにおいて十全に発揮されていた。

そんな和人の『リアル忍者』と呼ぶべき身体能力を試すために、パルクールをやらせたこともあった。走る・跳ぶ・登るという移動所作に重点を置いたこのスポーツは、忍者の動作そのものと言えた。投稿されているネット動画を和人に見せて、それを参考に都内の公園を動き回ってもらったのだが……結果として、和人は投稿動画以上の動きを再現してみせることとなった。

 

「あの後、藤丸とかララとかが、イタチの動きを撮った動画を投稿して、何か色々と大変なことになったんだっけ?」

 

「プロのパルクール団体とか、アクション俳優の芸能プロダクションからのスカウトがひっきりなしにあったんだって」

 

「それから、巨大フィールドアスレチックをクリアするスポーツ・エンターテインメント番組への参加推薦とかを受けたっていう話も聞きました」

 

「まあ、イタチ君はそれ全部断っちゃったんだけどね……」

 

ララと藤丸が投稿したパルクールの動画によって、一躍有名になった和人だが、その手の勧誘は全て断っていた。和人がパルクールをやろうと考えたのは、人知れず行っていた忍修行の一環として使えると考えたからであり、その道で生きていくことを考えていたわけではないのだ。動画自体も、和人本人が投稿を許可したわけではなかったため、事の次第を知った和人によって、すぐさまネット上からは削除され、動画を投稿したララと藤丸にはたっぷりと説教がされることとなった。

 

(けど、それも当然のことなのかもしれないわね……)

 

かつて、忍世界を生きた“うちはイタチ”としての前世の記憶が残っているという、和人の秘密を知る数少ない人物の一人である明日奈は、和人の反応も当然のことかもしれないと思っていた。

前世のうちはイタチとしての自分を忘れないためにと、忍修行を続けてきたと言っていた和人だが、その実、忍としての自分を他人には見せたがらない。それは、和人の前世を知る明日奈と直葉、詩乃に対しても同様だった。壮絶で他人に話すことが憚られるような経験をしていたのだろうと詩乃は推測していたが、恐らくその通りなのだろう。そう考えれば、和人が忍修行を人前でも行うことができるようにするためとはいえ、自身の技をみだりに世間に見せびらかすことを嫌うのは、当然のことと言えた。

 

「話がイタチのことにずれちゃてるわね……それより問題なのは、『オーディナル・スケール』のことよ!」

 

「まさか、リズさんもプレイしようとしているんですか?」

 

「その通りよ!」

 

圭子の問いに対し、当然とばかりに肯定する里香。興奮した様子で、同席していた三人に対してそのまま畳みかけていく。

 

「オーディナル・スケールをプレイしてもらえるポイントだけど、そこらの店のミニゲームで手に入るポイントとは段違いよ。特にボスクラスの敵を倒して手に入るポイントときたら、ここのミニゲームで手に入るポイントの百倍は下らないわ!」

 

「百倍、ですか……!」

 

里香が口にした数字に、圭子は思わず息を呑む。彼女等が今いる喫茶店のミニゲームで得られるポイントは、精々数十ポイントが良いところ。百倍となれば、数千円に跳ね上がる。里香の言うように、ボスモンスターを倒すことができたのならば、GGOのプロプレイヤーが日に稼ぐ金額と同等のポイントを得られることになるのだ。

 

「というわけで、私達もやるわよ、オーディナル・スケール!そんでもって、ボスを打倒してポイント大量ゲットを狙うのよ!!」

 

「やっぱりそうなるんだね……」

 

里香が何を言い出すかは、話の流れから半ば予想出来ていただけに、その場にいた三人は全く驚いた様子は見せず、ただ苦笑していた。攻略組プレイヤー曰く、『ぼったくり鍛冶師』ことリズベットの守銭奴ぶりは、現実世界でも健在なのだった。

 

「けど、私達ってあんまりランクが高いわけじゃないし……本当に首尾よくポイントを稼げるかは分からないよ?」

 

「最悪の場合、逆にランキングが下がっちゃうかもしれないですしね……」

 

ゲームというものは、ハイリスクハイリターンが常である。強敵たるボスクラスモンスターを倒せたのならば、里香が言うように大量のポイントが手に入るが、失敗すればポイントを失い、今のランクが下がる可能性も高いのだ。

である以上、強力なボスクラスモンスターの相手は、もう少し情報を集めて――それこそ、SAO事件当時の攻略方針がそうだったように――行った方が良いのでは、と明日奈は提案しようとした。だが、里香はそんな明日奈の考えを予想していたらしく、明日奈の眼前に手のひらを翳して発言を止めると、不敵な笑みを浮かべながら再度口を開いた。

 

「心配ご無用!ちゃんと勝算はあるわよ!」

 

「勝算……?」

 

どうやら、無策でこのようなことを提案しているわけではなかったらしい。プレイ経験の少ないゲームにいきなり参戦して、どうやってボスクラスのモンスターを狩る方法とは何なのか。明日奈も気になったので、異議を挟むのはとりあえずやめた。圭子と深幸も、同じように知りたそうな顔をしていた。

そんな三人に対し、里香はもったいぶりながらも話し始めた。

 

「ここ最近、話題になっていることなんだけどね。なんと、オーディナル・スケールにはつい最近から、旧SAOのボスモンスターが現れているらしいのよ!」

 

「SAOのボスモンスター……!?」

 

里香から齎された予想外の情報に、目を見開いて驚く明日奈。

オーディナル・スケールのゲーム内におけるストーリー設定は、西暦202X年に、全ての平行世界の統合を狙う異世界『ユナイタル』が地球への次元侵略に対抗するために送り込んだ生体兵器『DBA』と戦うというものである。そんなSFテイストの強いゲームの中に、中世欧州のファンタジー世界を模したSAOのボスモンスターが現れることなど、本来ならばあり得ない。

 

「それって本当のことなの?」

 

そのため、明日奈が里香の言葉を疑うのは仕方のないことだった。何らかのプロモーションイベントやコラボレーション企画ならば、他のタイトルのゲームに出てきた敵キャラや味方キャラが参戦してくるのは別におかしな話ではないが、そのような告知は――少なくとも、この場にいる明日奈達三人は――聞いたことが無かった。

 

「運営の企画かどうかっていう事情については、ちょっと分からないわね。けど、噂が嘘じゃないってことは分かってるわ。何せ情報をくれたのは、カズゴとアレン、ヨウの三人組だったんだからね。

 

ちなみに件の三人は、第一層フロアボスのイルファング・ザ・コボルドロードを倒したらしい。ともあれ、SAO時代から三人組でいつも行動しており、イタチやアスナと組んで最前線の攻略組に交じってボス攻略に挑んでいた三人ならば、死闘を演じたボスモンスターを見間違える筈は無いだろう。

どのような事情で旧SAOのボスモンスターが出現しているのかは、里香にも分からないらしい。ともあれ、勝算があると言っていた里香の思惑についてだけは、一応は分かった。

 

「成程……つまり、SAO事件の時と、新生アインクラッドの攻略に参加した私達なら、ボスの弱点や攻撃パターンを知っている。だから確実に勝てるだろうって思ったわけね」

 

「そういうこと。あの三人の話によれば、取り巻きのコボルドがいたこととか、追い詰められた時に野太刀に持ち替えたこととかも、全部アインクラッドの時と同じだったらしいわ」

 

オーディナル・スケールをそこまでやり込んでいるわけではない明日奈達だが、アインクラッドのフロアボス攻略においては一日の長がある。攻撃パターンや弱点、取り巻き等々の設定が同じならば、十分に勝ち目はある。

 

「やりましょう!私達なら、きっとクリアできますって!」

 

「シリカは乗り気みたいだね。私はちょっと遠慮しておこうかな。アスナは参加するの?」

 

「う~ん……私もまあ、参加するのは吝かじゃないけど……」

 

「はっきりしないわね~……何か問題でもあるワケ?」

 

やや困った表情で難色を示す明日奈に、何が言いたいのかと詰め寄る里香。そんな彼女に若干気圧されながらも、明日奈は言い難そうにしながらも口を開いた。

 

「アインクラッドのボス攻略って、そんなに簡単にできるものじゃないことはリズも知ってるでしょ?私達以外にも、もっと仲間をたくさん呼ばないといけないんじゃないかな?」

 

「むむ……なら、カズゴ達三人と、クラインを呼ぶわ!それから、剣道部のメンバーを総動員すれば……」

 

「それに、イベントの告知が無いってことは、ボスの出現はランダムに起こっているか、直前まで告知が無いってことでしょう?私達って、移動するための足が無いから、バトルに参加するのも簡単じゃないと思うよ?」

 

明日奈の的確な指摘に、反論の言葉が出ずに押し黙ってしまう里香。それに、仮に移動手段として車等を確保できたとしても、フロアボスを倒せるだけのパーティーを移動させるのは難しいだろう。まん太やめだかといった実家が相当な資産持ちならば、マイクロバスをチャーターすることもできるだろうが、高々ゲームのために、そこまでする意義を見出せない。尤も、この場にいる四人は勿論、和人達にしても、友人が資産持ちだからという理由で、私事や遊びのために金や物を貢がせることを良しとはしない。よって、めだかやまん太に移動手段の確保を依頼するような選択肢を採用することはなかった。

 

「う~ん……やっぱりフルメンバーで挑戦するのは無理か~……」

 

「クラインさんなら、車を出してくれるかもしれないけど……」

 

「風林火山のメンバーはクラインさんを入れて七人だから、定員オーバーで乗せてもらえるか分からないんじゃないかな?」

 

予想以上に思惑通りに事が運ばない現実を前に、里香は項垂れる。SAOの転移結晶のように、移動手段が充実しているオンラインゲームとは違い、現実世界では即、集合するための移動手段が存在しない。車の免許でも持っていれば別だったのだろうが、生憎と帰還者学校の生徒の中には、これを持っている知り合いがいなかった。

 

「イタチ君なら、バイクを持ってるから、後ろに乗せてもらえるだろうけど……それでも、一人が限界だよ」

 

「はぁ~……仕方ないわね。全員参加は諦めるわ。とりあえず、イタチの後ろに誰が乗っていくかをここで決めましょう」

 

「イタチが参加することは確定なんだね……」

 

里香の発案である、オーディナル・スケールのボス攻略作戦の要員として、勝手にメンバーに加えられてしまった和人に対し、深幸は軽く同情していた。

その後、明日奈、里香、圭子の三人はじゃんけんを行い、誰が次に出て来るアインクラッドフロアボスの攻略に連れて行ってもらうかを決定するのだった。

ちなみに、ゲームへの参加券を手に入れるという目的のもとでじゃんけんをしていた里香と圭子とは違い、明日奈だけはかなり真剣な目つきでじゃんけんに臨んでいた。そして、里香と圭子を打ち負かし、見事にフロアボスへの挑戦権……もとい和人のバイクの後部座席に座る権利を手に入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「重村教授。そろそろ時間ですので、僕は出発します」

 

都内のとある大学にある研究室の中。時刻は既に七時を回り、ほぼ全ての学生が帰宅の途に就き、人気の無くなったこの場所に、二人の男が残っていた。

一人は十代後半、或いは二十代前半の若い男性。もう一人は、白衣を纏った、髭を蓄えた初老の男性。後者はこの大学の教授であり、今いる研究室の責任者でもある重村教授だった。重村は椅子に座り、パソコンに向かって作業をしていた手を止め、後ろにいる青年の方へと向き直った。

 

「む……エイジ君。そうか……もうそんな時間になっていたか」

 

青年――エイジが声を掛けるまで、時間が過ぎるのも忘れて作業をしていたのだろう。手元のデジタル時計に表示された時刻を見た重村は、少しだけ目を丸くした。

 

「いかんな。時間があまり無いとはいえ、計画はこれからだというのに……」

 

「教授には、お体を大切にしてもらわなければなりません。この計画の成功は、教授にかかっているのですから……」

 

エイジの言った言葉に、重村は溜息を吐きながらも頷いて同意した。自分達が現在進行形で実行している計画は、これから本格化していくのだ。万に一つとして、体の不調等によって倒れることは許されない。

 

「そういえば、あの教授はどこに行ったんですか?今日は姿が見えないようですが……」

 

「ああ……彼なら、今は別行動中だ。計画の実行に必要な準備は全て手伝ってもらい、完了させている。である以上、彼が再びここへ来ることは無いだろう」

 

この場にいない、もう一人の協力者の動向について聞かされたエイジが訝し気な表情を浮かべる。計画がこれから本格化するというのに、もうここに来ないというのは、納得できるものではない。

 

「……あの人は、計画の中枢を担う、重村教授の右腕だったのでは?別行動をするだけならともかく、僕達のもとに現れないというのは、無責任な気がします。それに、万が一、計画が外に漏れでもしたら……」

 

「その心配は無用だ」

 

猜疑心を募らせるエイジに対し、重村ははっきりとそう断じた。その表情と声からは、絶対的な確信があることを感じさせた。

 

「この計画に対する彼の執念は、ある意味では我々以上かもしれない。計画を放り出すことなどあり得ないし、怖気づいて外部に漏らすような真似は絶対にしない」

 

エイジの言う通り、件の協力者の動向は、裏切りを疑われても仕方の無いものかもしれない。しかし、重村だけは彼の……文字通りの“命懸け”の覚悟を知っている。計画を成就させるために、自身が積み上げてきたものだけでなく、命すらも擲つその覚悟は、重村やこのエイジをも凌駕するかもしれなかった。

エイジも、重村が見せたこれ以上無い程に真剣な表情と、言葉の中に含まれる確かな重さを感じ取ったのだろう。それ以上、今はこの場にいない協力者のことについては言及しなかった。

 

「それに、彼は自身の代役をちゃんと置いてきてくれた。そうだろう?」

 

『その通りだ』

 

重村が発した、目の前にいるエイジに対してではない問い掛け。それに対する応答は、重村のパソコンのスピーカーから発せられた。それと同時に、パソコンのモニターに砂嵐が走り、先程までとは別の映像が浮かび上がる。そこに映し出されていたのは、二人が先程まで話していた、件の協力者だった。

 

『この計画の進行役は、既に私が彼から引き継いでいる。ここから先は、私と、そこの彼が矢面に立って計画を進めていくことになるだろう』

 

「彼の分身とも呼べる君ならば、代役は十分に務まる。それに、君ならば“現実世界”で足がつくことは無いか」

 

『そういうことだ。ということで、今後もよろしく頼む』

 

「……重村教授がそう言うのなら、僕からは何も言うことは無い。しかし、本当に大丈夫なんだろうな?」

 

『無論だ。とは言いたいところだが……つい先日、問題が生じた』

 

「問題?」

 

モニターに映し出された男から齎された情報に、エイジが眉をひそめる。代役を自称して目の前に現れて早々に、問題が発生したと報告されたがために、エイジの中での信用が大きく揺らいでいた。

そんなエイジに変わり、重村が事の仔細を確認するために尋ねた。

 

「問題というのは、何かね?」

 

『我々の計画の支柱たる『OS』のメインサーバーに、何者かが侵入を試みようとしたようだ。私達が他方でシステム調整をはじめとした下準備を行っている最中のことだったので、その場に居合わせることはできなかった』

 

「システムは無事なんだろうな?」

 

計画の肝と呼ぶべきメインサーバーに侵入されかけたと聞いて、エイジは気が立っている様子だったが、無理も無い反応である。場合によっては、計画が破綻する可能性もあるのだ。傍らで聞いていた重村教授も、表面上は冷静だったが、内心は気が気ではなかった。

 

『その点について問題は無い。配備された迎撃システムによって、侵入者は即座に撃退された。お陰で、メインサーバーには何の影響も起こっておらず、計画には微塵も支障は生じていない』

 

「侵入を試みた者の目的と正体は分かっているのかね?」

 

『残念ながら、侵入者は撃退後、その姿を晦ましている。目下探索中だが、痕跡を一切残していない以上、足取りを掴むのは非常に困難だろう』

 

「……計画が外部に漏れている可能性は?」

 

重村が最も懸念している事項は、そこだった。侵入を試みた目的が不明である以上、その可能性は低いとは言えない。だが、モニターの中にいる協力者の分身には、電脳世界全体を掌握できるだけの能力がある。その探索能力をもってしても足取りが追えないという侵入者には、警戒心を抱かずにはいられない。少なくとも、ゲームのポイント目当てにハッキングを仕掛けてきた俗物の仕業とは考えにくい。

 

『その点については、まだ何とも言えない。しかし、警察や政府の人間が動いているという可能性は低い』

 

「その根拠は?」

 

『侵入者を撃退した後、念の為に警察や政府の動きを調べてみた。しかし、我々の計画に関する情報は全く確認されなかった。念のためにデータサーバーを調べ、各所の施設内に設置されたカメラの映像データを解析し、人の出入りも確認した。だが、捜査を行っていると判断できる動きはまるで見られなかった』

 

「……公的機関の介入は無いと考えても良いのかね?」

 

『そう考えてもらって問題ない』

 

その言葉に、重村とエイジは一先ず胸をなでおろす。長い時間をかけて構築してきた綿密な計画が、開始早々に破綻するという事態にはならずみ済みそうだ。但し、侵入者の行方が知れないことが気がかりではあるが……

 

『侵入者については、私の方で引き続き探索を続けよう。迎撃システムについては、現状維持で問題は無いだろう。こちらの世界は勿論、そちらの世界でも守りは万全だ』

 

「……君達が作った例の薬か。エイジ君を通して効果は確認済みだが、相当に万能なようだな」

 

『お褒めに預かり、光栄ですよ。ともあれ、システムの警備は私にお任せください。“蒐集活動”についても、私とそこのエイジ君とで問題はありませんよ。重村教授は、計画の本丸をお願いします』

 

「承知した。では、当面の計画進行は君たちに任せる。頼んだぞ」

 

『了解しました』

 

モニターの向こうにいる男が重村の言葉に頷くとともに、再び砂嵐が画面の中に発生する。その後、パソコンのモニター画面には、先程まで重村が作業していた画面が再び映し出された。

 

「……あの人のことは、本当に信用しても良いのでしょうか?」

 

「くどいぞ。彼は……彼等は、この計画においては、信用の置ける人物だ。それに、計画を進めて行けば、これを嗅ぎつけて来る人間は必ず出て来る。そういった障害を排除する上でも、彼の協力は必要不可欠だ」

 

未だに信用ならないと口にするエイジだが、重村は強い口調で断じた。それ以降、エイジは先程まで話していたもう一人の協力者のことについて言及することはなかった。

 

「さあ、もう君も行きたまえ。今夜から計画は本格化するんだ。今まで以上に、尽力してもらうぞ」

 

「勿論ですよ。必ずやこの計画を、成功させてみせます……!」

 

強い意思をもって頷くと、エイジは踵を返して研究室を立ち去り、目的の場所へと向かっていった。残された重村は、研究室の中で一人、計画の本丸たるシステムの調整へと再び取り掛かるのだった。

 


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