ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百三十四話 依頼【mission】

2026年4月17日

 

『久しぶりだね、イタチ君……いや、和人君。それに、新一君も』

 

「ああ、そうだな。ノアズ・アーク……いや、俺もヒロキと呼ぶべきか」

 

イタチとコナンがALOにて、『N.A.』という謎の差出人からのメッセージを受け取った翌日。二人は現実世界の和人と新一として、メッセージに指定された場所を訪れていた。そこは、新一にとっては初めての……しかし、和人にとってはこれまでに幾度か訪れたことのある施設だった。

 

「まさか、君が竜崎にコンタクトを取っていたとは思わなかったけどな」

 

「私も、外界との繋がりを徹底的に制限し、強力なセキュリティで固め込んだこの場所を特定できる方がいるとは、思いませんでしたがね」

 

新一の言葉に、彼の隣に立っていた人物――竜崎が、言葉は意外そうに、しかし目の下に深い隈が入ったその表情は全く変わらないままに呟いた。

そう。和人と新一がいるこの場所は、世界的名探偵ことLが日本国内に保有する、独自の捜査拠点である。過去に発生した、ウイルステロ事件や、和人が深く関わったALO事件、死銃事件においても捜査本部として使われたこの施設のセキュリティは、竜崎の言うように非常に堅牢であり、アメリカの軍事基地のそれに匹敵するとされる程だった。竜崎の仲間である天才ハッカー・ファルコンにすら、外界から干渉するのは不可能に等しいと言わしめる程だった。

だが、三人の目の前に設置されたモニター画面に映し出されている少年には、それを可能とする力があった。

 

「流石は天才少年、ヒロキ・サワダの分身といったところでしょうか?それとも、人工知能であるからこそ為せる業でしょうか?」

 

『ふふっ……どうだろうね?君の言うように、僕は僕を作った本人の分身ではあるけれど、厳密な意味では僕自身ではないから、正確なところは分からないけれどね』

 

竜崎が口にした疑問に、モニターの中の少年は、苦笑しながら答えた。彼の名は、ヒロキ・サワダ。またの名を、『ノアズ・アーク』。十二年前、天才少年・ヒロキ・サワダによって作り出された、世界初のボトムアップ型AIにして、制作者自身の分身である。今の彼は、正確にはその劣化コピーなのだが、人格と記憶だけはオリジナルのものを継承していた。

和人はALO事件、新一はC事件と、それぞれ別のVRゲームの事件において出会ったことのある彼だが、直接話をすることができたのは――語弊があるようだが――それぞれの事件が解決した時のみ。それ以降は再び姿を晦まし、今日この時まで二人の前に現れることはなかった。

 

「話が逸れているぞ。それで、俺と新一だけでなく、竜崎にまで協力を取り付けてまで頼みたい用件というのは、一体何だ?」

 

話の流れを元に戻すべく、和人が口にした本題。先日、和人と新一が受け取った、ノアズ・アークを彷彿させる差出人名のメッセージには、二人に頼みたいことがあるという旨が記載されていた。それはつまり、VRゲーム絡みの事件を解決に導いた経歴のある和人と新一、そして世界的名探偵であるLこと竜崎の三人の力を結集させなければ解決できない問題が発生していることを意味しているのだ。

新一と竜崎もそのことを思い出したのか、和人の言葉を聞いて表情が硬くなった。対するヒロキもまた、先程までの和やかな雰囲気から一転して、佇まいを直し、真剣な表情で三人に向き直った。

 

『君達を呼び出したのは、他でもない。探偵としての君達に、僕から依頼したいことがあるんだ。君達でなければ、頼めないことでもある』

 

「依頼、ですか。しかし、あなたが私達を頼らなければならない案件とは、一体何なのでしょうか?」

 

竜崎の疑問は、和人と新一も感じていたことだった。彼の天才少年が開発した人口知能である、ノアズ・アークことヒロキには、高いハッキング能力が備わっている。C事件の折に自己消滅したオリジナルの劣化コピーとして生み出された関係上、能力が劣ることは否めないが、大概のセキュリティは簡単に突破できるだけの力は持っていた。外界から閉鎖された世界的名探偵・Lの拠点に対してアクセスすることができたことからも、その性能を窺い知ることができる。故に、IT技術が普及しており、依存しているともいえるこの現代社会において、ヒロキに集められない情報は無く、外部へリークするのも、改竄するのも思いのままなのだ。

そんなヒロキが、名探偵二人と忍の前世を持つ――ヒロキはこのことを知っている――和人を動員しなければならない程の依頼である。その事実は、高度な人工知能の力をもってしても解決できない、巨大な困難があることを意味していた。

 

『君達に今回頼みたい依頼の内容。それは、僕の元となったノアズ・アークを制作した、ヒロキ・サワダが課した、僕自身の存在意義に関わることなんだ』

 

「ノアズ・アークの存在意義……ヒロキ・サワダが生前に危惧していたという、“人工知能の開発”か」

 

逸早くその答えに辿り着いた和人の言葉に対し、ヒロキはモニターの中で頷いた。

 

『知っての通り、僕はC事件が終結してから今日まで、ヒロキ・サワダが開発し、その行く末を案じていた人工知能……ボトムアップ型AIの開発を見守ってきた。そして一カ月ほど前に、それを成し遂げたかもしれない研究者を見つけたんだ』

 

「ヒロキ君に次いで、人工知能開発に成功した研究者が現れたっていうのか……!?」

 

ヒロキの口から語られた事実に、信じられないとばかりに驚愕を露にする新一。隣に立つ和人と竜崎の反応も同様である。人間と同様に学習・成長する、ボトムアップ型の人工知能の開発は、人類史上最大の発明になるとまで言われた程の偉業である。ノアズ・アークという前例があったとしても、研究データの一切が消去された今では、それを再現することは不可能にも等しい神の御業である。当時十歳だったヒロキ・サワダがこれを成功させたこと自体が、数千年に一度ともいえる奇跡だというのに、それを成し遂げた人物が新たに現れたなど、到底信じられないことだった。

だが、それが事実だとするならば、人工知能の開発を監視することを使命とするヒロキにとっては捨て置けない事態である。それと同時に、これだけの面々を集めた理由も頷ける。

 

「……それで、その人物の名前は?」

 

ともあれ、件の人物の名前を聞かないことには始まらない。依頼の仔細を聞くべく、和人はヒロキへと改めて問い掛けた。

すると、モニターに映し出された映像が切り替えられる。そこには、和人や新一にとっては初めて見る、三十代半ばから後半くらいの年齢であろう男性の顔写真と、そのパーソナルデータが映し出されていた。

 

『彼の名前は春川英輔。都内の名門、私立錯刃大学の教授だ。専門は脳科学だが、化学・物理学、医学など様々な学問で博士業を取得している。若くして教授の座を手に入れた明晰な頭脳と、あらゆる分野に通じた万能ぶりから、十年に一度と言われた天才科学者だ』

 

「私も彼のことは知っています。ワタリも一目置いていた程の優秀な科学者として、科学業界に止まらず、有名企業や政界、財界等、多種多様な方面から、現代医学では解明できていない難病の治療法確立や、救助を目的としたネットワークシステムの設計依頼を請け負っていたと聞いています」

 

「成程……それだけの天才ならば、人工知能を作り出すことも不可能ではないな。それで……問題の人工知能は、既に完成しているのか?」

 

『ほぼ間違いない。彼が所属している錯刃大学が保有しているスーパーコンピューターを密かに調べてみたところ、かつての僕に似たプログラムが検知された。尤も、プロテクトが厳重だった上に、とんでもなく強力な防御プログラムが配備されていたお陰で、正確には確認できていないけれどね』

 

「あなたでも突破できない程の強力な防御プログラムが配備されているのですか……」

 

名探偵・Lの拠点の位置を特定し、限定的とはいえ通信を繋げてみせる程の能力を持つヒロキの侵入を阻む程の防御プログラムが存在することに驚く竜崎。

一方の和人の注目は、今回の依頼に深く関係しているであろう、人工知能の開発者の方へ向けられていた。

 

「それよりも気になるのは、春川英輔だ。人工知能の開発に成功したのならば、何故それを公表しない?」

 

それが、まず最初に出てきた疑問だった。人口知能は、人類史上最大の発明と目される偉業である。かつて、ヒロキ・サワダが成し遂げたこの発明は、開発者当人の自殺に伴い、研究成果は永久に失われた。以来、世界中の名だたる科学者が総力を挙げて人工知能開発の再現に挑んできたが、未だに成功に至った事例は報告されていないのだ。勿論、春川英輔なる教授が人工知能開発に成功したなどという話も出回ってはいない。

 

「和人の言う通りだな。俺もそこが疑問だった」

 

「研究を秘匿するのには、何らかの理由、あるいは目的があると予想されますね。非常に堅牢な防御プログラムを用意している点から考えて、重大な秘密があることは間違いないでしょう」

 

和人が提起した問題だが、新一と竜崎も同じことを考えていた。

公表すれば、科学者としての地位も名声も思うが儘となる筈の、人類史上最大の発明を厳重に隠匿する春川英輔の真意。現段階ではその核心を推測することはできそうにないが、竜崎の言うように、とてつもなく重大な秘密がある可能性は極めて高い。

 

「つまり、春川教授の動向を探り、人工知能を開発した真の目的を明らかにするというのが、今回の依頼ということか」

 

『その通りだ。残念だが、現実世界で使える体を持たない上に、オリジナルのノアズ・アークの劣化コピーでしかない僕だけでは、対処し切れない。力を貸してもらえるだろうか?』

 

「承知した、俺は引き受ける」

 

「俺も和人と同じだ」

 

「私も異存はありません。ヒロキ君、あなたの依頼を引き受けさせてもらいます」

 

ヒロキから出された依頼に対し、和人、新一、竜崎は迷うことなく引き受けることを了承した。ヒロキの説明だけでは底の見えない依頼だが、相手はヒロキ・サワダに匹敵するかもしれない天才科学者である。人工知能を開発した裏には、想像を超える巨大な陰謀が渦巻いていると、その場にいた誰もが予感していた。

 

「まずは、春川教授の動向について確認しましょう。彼の勤め先である錯刃大学内部について調べることは勿論、彼の交流関係について洗い出してみましょう」

 

「春川教授が管理している大学のサーバーは難しそうだが、大学外の動向を探れば、何か分かることがある筈だろうからな」

 

「竜崎と新一の言う通りだ。それで、春川教授が今、どこで何をしているか、分かっていることは無いのか?」

 

今後の捜査方針が決められていく中、和人がヒロキに尋ねたのは、春川英輔の今現在の動向。それに対し、ヒロキはばつが悪そうに答えた。

 

『春川教授は、二日ほど前に大学に休業届を出している。大学へはそれ以降出入りしていないようだ。休業の理由は不明で、彼は今現在、行方を晦ましている状態だ。彼の所在は僕も追ってみたが特定できなかった』

 

「早々に失踪、か……」

 

「人工知能の開発に成功した彼は、いよいよ何かの行動を起こそうとしているのでしょう。痕跡を一切残さず、姿を消したことからも、それは明らかです」

 

竜崎の推測は尤もだった。加えて、ヒロキがその動向を探っていたこのタイミングである。春川英輔も、自身を探る者の存在に気付いていることだろう。

一方の和人達は、これから動き出すところである。完全に後手に回ってしまっているこの状況は、和人等にとっては不利な要素しかない。春川英輔が現在進行形で進めているであろう企みを明らかにするとともに、その終着点である目的を暴くことに加え、行方も明らかにしなければならないのだ。

仮想世界に関わる事件をいくつも解決に導いてきた和人と、数々の犯罪組織やテログループを摘発してきた竜崎と新一だが、今回の相手は頭脳だけならば彼等と同格か或いはそれ以上の“天才”である。初動の遅れを取り戻し、水面下で行われている春川英輔の企みを止めることができるかといえば、難しいと言わざるを得ない。

 

「……春川教授に関しては、他に何か情報は無いのか?」

 

『残念ながら、春川英輔の行方に関する情報は拾えていないんだ。だが、彼の目的に関わっている可能性の高い人物については特定できた』

 

スピーカー越しにヒロキがそう言うと、モニター画面に映しだされていた情報が切り替わった。春川英輔に関する情報から一転して、別の人物のプロフィールが表示された。

 

「!」

 

モニターに新たに映し出された人物の顔を見た瞬間、和人は僅かにだが、驚きに目を見開いていた。そんな和人の反応に気付かないまま、ヒロキが説明を行っていく。

 

『この人は重村徹大。東都大学の電気電子工学科の教授だ。今話題の最新鋭ARデバイス『オーグマー』の開発者にして、販売メーカー『カムラ』の取締役だ。そして……』

 

「SAO運営会社『アーガス』の元社外取締役にして、ゲーム開発のアドバイザー役も務めていた人だ」

 

『!』

 

ヒロキが言わんとしたその先を口にしたのは、和人だった。予想外の発言に戸惑った新一と竜崎だったが、すぐにその理由を察した。

 

「和人。お前、もしかして……」

 

「ソードスキルの開発スタッフとしてアーガスに出入りしていた頃に、一度だけあったことがある。茅場さん……茅場晶彦の紹介でな」

 

隠すことでも無いし、これから捜査を進めていく上で少しでも情報が必要だろうと、和人は言った。

三年以上前のことだが、和人は確かに覚えていた。前世の忍世界で自身が操る幻術『月読』に似た仮想世界。それを創造した茅場晶彦は勿論のこと、彼を輩出した研究室たる『重村ラボ』の責任者である重村徹大の存在は、和人にとって強く印象に残る人物だったのだ。

 

「それで、重村教授と春川教授の関係は?」

 

『春川英輔とは、六年前に行われた電子工学の論文コンペの場で知り合っている。それ以来、この分野の学会の場で顔を合わせていくらか話をする程度の関係だったんだが……ここ最近、頻繁に連絡を取り合っていたことが分かったんだ』

 

「どんな話をしていたのかは、分からなかったのか?」

 

『すまない。彼等が連絡に使用していた電話やメールの回線は、非常にプロテクトが固くて、内容を傍受することはできなかったんだ。分かっているのは、通話やメールのやりとりが行われたという履歴だけだ』

 

「連絡を取り合うようになったのはここ最近からと言ったが……具体的には、どれくらい前からなんだ?」

 

『……学会以外の場で顔を合わせ、電話による連絡を取り合うようになったのは、三年前からだ。具体的には、十月末頃を境に電話やメールのやりとりが増えていったみたいだけど……』

 

「三年前、か……」

 

「まだSAO事件が継続していた頃ですね。確かあの頃の攻略最前線は、四十一層から四十二層くらいだったかと思われます」

 

重村教授はSAOの開発に深く関わっていた人物ではあるが、彼自身はSAOをプレイしておらず、春川教授も同様である。だが、どうにも引っ掛かる。SAOに関しては開発関係者に過ぎず、プレイヤー等の直接的な関係は無かったのは間違いない。だが、何故二人はSAO事件の最中に接近したのか……その理由がどうにも臭うと一同は感じていた。

 

「何か関係があるかもしれないな」

 

「現状では手掛かりが少ない以上、調べてみる価値はあるかもしれませんね。それでは、私の方で二人が連絡を取り合うようになった時期の前後で、二人に関係する現実世界とSAOの中で発生した出来事を調査してみます」

 

「そうだな。そっちは竜崎に任せよう。それで、他には何か分かっていることは無いのか?」

 

春川英輔と重村徹大が繋がっていることは分かったが、それだけでは捜査を進めるには情報として心許ない。新一も和人も、他に僅かでも有力な手掛かりがあるのならば、それを追究するつもりだった。

 

『……関わりがあるかは分からないし、見当外れかもしれない。けれど……気になっていることがあるんだ』

 

「構わない。話してくれ」

 

自信が無い様子のヒロキに対し、和人は気にせず続けてほしいと促す。隣の新一も同意するように頷いていた。すると、モニターに映る画面が再び切り替わり、ある写真が表示された。

 

「これは……まさか!」

 

「アインクラッド第一層フロアボス『イルファング・ザ・コボルドロード』だな。だが、この場所は……」

 

和人が言うように、モニターに表示された写真には、かつてSAO事件におけるアインクラッド、そしてALO事件解決後の新生アインクラッドの第一層にて戦ったフロアボス、イルファング・ザ・コボルドロードが写っていた。だが、問題なのは写真が撮影された場所である。ボスが立っている場所は、アインクラッドのボス部屋ではなく、開けた空間だった。周囲に建物がいくつも立っていることからして、街中のようだった。

 

「ヒロキ、これはどこで撮影された写真なんだ?」

 

『もう分かっていると思うけれど、これはアインクラッドの中じゃない。東京都の街中だよ』

 

「……まさか、ARゲームの?」

 

『君も知っているようだね。この写真は、さっき話に出てきたオーグマー専用のARMMORPG『オーディナル・スケール』におけるボス戦の様子を写したものだ』

 

「オーディナル・スケールといえば……確か、運営はカムラが行っていたな」

 

『その通りだよ、和人君。ついでに言えば、オーディナル・スケールのサーバーは現在、重村教授の管理下にある。』

 

「つまり、アインクラッドのフロアボスの出現は、重村教授の手によって意図的に引き起こされたということか。成程、確かに気になるな」

 

オーグマーのメーカーでもあるカムラは、先程の話に出てきた重村教授が取締役を務めている会社である。その会社が運営しているゲームの中に、アインクラッドのフロアボスが出現したという。ヒロキの言うように、今回の依頼と直接的な関係は、確かに見られない。しかし、どうにも捨て置けない、きな臭い何かが感じられることも事実だった。

 

『ただの偶然かもしれないけれど、オーディナル・スケールにおけるアインクラッドのフロアボス出現は、春川教授の失踪とほぼ同時期に始まっているんだ。根拠に乏しい情報ですまないとは思っているけれど……このゲームについても調べてみてもらえないだろうか?』

 

「了解した」

 

スピーカー越しの申し訳なさそうな声に対し、しかし和人は即答で了承した。

 

「春川教授の行方も目的も分からない以上、少しでも可能性のある事柄は徹底して調べるしかないだろう」

 

「和人君の言う通りですね。では、和人君にはオーディナル・スケールに参加していただきましょう。春川教授と重村教授の目的に関して、何か手掛かりを得られましたら、ご報告をお願いします」

 

和人に続き、竜崎もヒロキの提案通り、オーディナル・スケールの調査を行うことに賛成する。新一も二人の意見に頷いており、異論は無いようだった。そしてそのまま、竜崎の主導によって、和人以外の人間の役割が割り振られていく。

 

「私はヒロキ君と協力して、春川教授の行方を追うとともに、重村教授の身辺も調べてみます。あとは、和人君のバックアップも併せて担当しましょう。新一君には、春川教授の勤め先である錯刃大学と、重村教授の勤め先である東都大学へ向かい、二人のここ数年の動向についての聞き込みをお願いします。それから、二人の研究内容についても調べておいてください」

 

「ああ、分かった。とはいっても、脳科学も電子工学も、そこまで詳しいわけじゃねえから、論文とかを読むのも相当な時間がかかると思うがな」

 

「研究内容の把握は、大まかで構わない。重要なのは、その中から二人の目的を特定することだ」

 

春川英輔はヒロキ・サワダに匹敵する天才であり、重村徹大は茅場晶彦を輩出した研究室の教授である。如何に名探偵と呼ばれた新一や竜崎でも、二人の作った論文を簡単には理解できないし、一から十まで読み解こうとすれば、莫大な時間を要する。研究の概要さえ理解できたならば、二人が研究に懸けてきた想いを汲み取ることは難しくはない。そこへ竜崎が身辺調査でこれから調べる情報を加えれば、目的を解き明かすことも不可能ではない。

 

「決まりですね。それでは、ヒロキ君の依頼を果たすために、捜査を開始しましょう」

 

こうして、名探偵たる竜崎と新一、忍者の前世持ちの和人は、彼の天才少年が遺した人工知能の劣化版であるヒロキの依頼を受け、始動したのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

2026年4月25日

 

中世ヨーロッパを彷彿させる、西洋建築の住宅が立ち並ぶ街の中。少女――ユナは、大理石の石の上に腰掛けて、足を揺らしながら鼻歌を口ずさんでいた。

ARアイドルである彼女がいるこの場所は、現実世界であって現実世界ではない。現実世界の空間をベースに、仮想現実の情報を付加した、拡張現実の空間なのだ。そして、人がオーグマーを装着することで初めて知覚できるこの場所にいるのは、彼女一人ではなかった。

 

「ユナ、どうかしたかい?」

 

左腕に抱いた瓶の中に入っていた、キャンディのようなものを一粒取り出して眺めていたユナの様子を怪訝に思い、声を掛けたのはエイジだった。するとユナは、キャンディのようなものを見ながら、エイジに逆に問いを投げ掛けた。

 

「ねぇ……これって一体、何なの?」

 

「……皆がユナの歌に感動した証さ」

 

「へー……そうなんだ。だったら、もっとたくさん欲しいかな」

 

「これからたくさん手に入るさ。こいつら全員に、復讐してね……」

 

AI故の淡白なユナの反応に対し……しかしエイジは満足だったらしい。手元の本『SAO事件記録全集』のページに視線を落としながら、薄らと笑みを浮かべて答えた。

 

『お楽しみのところ悪いが、失礼するよ』

 

エイジとユナ、二人だけのAR空間に突如響き渡る電子音声。それと同時に、中世ヨーロッパの街並みの風景の一部分に陽炎のような歪みが生じた。歪みは徐々に大きくなり、その中から一人の人間が姿を現した。

その顔を見た途端、エイジはため息交じりに嫌そうな表情を浮かべ、ユナもまた僅かながら眉を顰めていた。

 

「エイジ君、仕事の時間だ。そろそろ現場に向かってもらおうか」

 

「……言われなくても、分かっている。わざわざ呼びに来る必要も無いだろう」

 

重村教授から、目の前の人物が計画には必要不可欠な協力者であると散々聞かされているエイジだったが、未だに不信感は拭えない。というよりも、性格的に反りが合わないのかもしれない。

しかし、当の男はエイジの反応に不快感を見せることなく、苦笑するのみだった。

 

「それはすまないな。ただ、今回の現場に出て来る標的は、君にとっても関心のある相手だと思ったのでね」

 

「何?」

 

「今回の現場には、昨日君が仕留めた『風林火山』の残りのメンバーが来る手筈になっている」

 

「!」

 

その言葉を聞いた途端、エイジの視線が鋭くなる。苛立ちを露にした表情を見せたエイジの反応に、男は笑みを深めながら続ける。

 

「既に彼等の乗った車が現地に移動しているのを確認済みだ。ボス戦が始まり次第、あのパーティーを分離する形で作戦は進めるから、存分にやってくれたまえ」

 

「そうか……分かった」

 

「では、私は現地の様子を観察しに戻るとしよう。今日も健闘を祈っているよ」

 

それだけ言うと、男の体にノイズが走って輪郭が歪み、その姿はかき消えた。残されたエイジもまた、手に持っていた本を閉じて行動を開始しようとした。一方のユナは、男が去った場所を不満そうな表情で見つめたままぼやいていた。

 

「……やっぱりあの人、なんか苦手だなー」

 

「それは僕も同じさ。けれど、一応は僕等の仲間なんだ。できるだけ仲良くしなくちゃね」

 

「けど、私を見るときのあの人の目、珍しいものを見ているっていうか、観察しているっていうか……あんまり好きになれないんだよね」

 

悪意が無いことは分かるのだが、不快感のようなものをどうしても感じてしまう。そんなユナの意見を聞いたエイジは、件の男への不快感を募らせる一方で、AIであるユナがそのようなことを言っていることに少なからず驚きを感じていた。

一般的なAIに比べて非常に高性能なAIであるユナだが、「大勢の前で歌いたい」という単純な動機が設定されているのみで、それ以外のことに関心を示すことは無いのだ。事実、始動した頃のユナの反応や挙動はシステムによって設定された域を出ないものであり、人間相手に会話しているとは思えないものだった。

だが、先程のユナの反応は最初の頃に見せたことの無いものだった。ユナにとって、エイジをはじめとした特定の人間以外は、自分の歌を聞いてもらう相手であり、愛すべきファンなのだ。それが、件の男が向けて来る視線に対しては、不快感を示した。これは完全に設定外の行動である。

 

(計画が進んでいることの証か……或いは、相手があの男だからか……)

 

ユナのイレギュラーな行動が意味するところは今のところ分からない。計画の進捗によるものなのか、或いはユナと“同種”の存在との接触によるものなのか。もし後者ならば、あの男の排除を本気で考えるべきかもしれない。

 

「あの人には、僕から注意しておこう。それより時間だ。僕等も早く行くよ」

 

「はーい」

 

独断専行も辞さない考えに走ろうとしたエイジだったが、それは一先ず保留とすることにした。あの男は計画の要であることは間違いないし、内輪揉めをすれば計画の破綻にも繋がりかねない。いずれにせよ、重村教授に相談した方が良いだろうとエイジは結論付けるのだった。

 

(『風林火山』……お前達だけは、絶対に許さない。この現実世界で、本当の恐怖を……彼女が味わった苦痛を、思い知らせてやる……!)

 

ユナの前を歩くエイジは、密かにその顔を怒りに歪め、その手に持った本『SAO事件記録全集』を持つ手に力を込めながら歩を進めていくのだった。

 


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