ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
2026年4月25日
和人等三人がヒロキの依頼を受けたから八日が経過したこの日。捜査本部として扱っている竜崎所有の地下施設には、ヒロキからの依頼で動いている関係者が集められていた。
「それでは、皆さん全員集まりましたことですし、始めたいと思います」
一同が集まった目的は、捜査の進捗を確認するための情報交換である。依頼を直接受けた和人、新一、竜崎の三人のほか、竜崎の補佐を務めるワタリとファルコンこと藤丸、そして依頼人であるノアズ・アークことヒロキもまた、依頼をした時と同様、モニター越しで話し合いに参加していた。
「最初の報告は、新一君にお願いしたいと思います」
「分かった。それじゃあ、藤丸、よろしく頼む」
「了解っと」
藤丸が手元のノートパソコンを操作すると、出席者全員から見える位置に設置されたスクリーンに大学らしき建物やマンションの一室、パソコンや参考文献らしき書籍等々、様々な画像が映し出された。
「俺の方は、春川教授の勤め先の錯刃大学へ行ってみた。だが、教授の足取りに直接関係する手掛かりは、残念ながら入手できなかった。それでも一応、研究室の中にあったものは一通り押さえておいた。ここに写っているのは、それらの写真だ」
「研究室の中にあったレポートやデータはあったのか?」
「ああ。けど、確保できたのは、どれも過去の学会や学内の講義で使用されたものだ。ここ最近の研究データも、それらの延長線上のものだった」
「人工知能の研究に関するものなのは間違いなさそうですね。しかし、現在進行形で進められている企てに関する手掛かりは見つかりませんでしたか……」
「行動を開始するにあたり、動向を探られないように一切の痕跡を始末した上で行方を晦ましたんだ。それぐらいは予想できたことだろう」
予想はしていたとはいえ、望み通りの情報が得られなかったことには、竜崎も和人も表情には出さないものの、内心では僅かに落胆していた。
「隠すほどのものではないとはいえ、春川教授が作った資料には違いない。春川教授の企みに繋がるヒントが見つかるかもしれない以上、見直してみる価値はある筈だ」
「和人君の言う通りですね。私も後で確認してみます」
公表されている情報とはいえ、研究に関する詳細しか得られないというわけではない。和人の言うように、春川英輔という人物を分析する上でも参考になる筈であり、その目的を特定できる可能性があるのだ。竜崎もそこは分かっていたようで、和人の意見を聞いて首肯していた。
「それでは、次は和人君にお願いします」
「承知した。それじゃあ藤丸、頼んだ」
「ああ。和人の写真は……これだな」
新一に続き、和人の報告が行われる。藤丸がノートパソコンを操作すると、先程までスクリーンに表示されていたものとは別の画像データが映し出された。和人がオーディナル・スケールをプレイしている際に、オーグマーを使用して和人の視点で撮影した画像である。スクリーン上に表示されたそれらの中には、アインクラッドのフロアボスモンスターのほか、オーディナル・スケールランク二位のエイジの姿が写されていた。
「俺の方では、先週依頼を受けてから、オーディナル・スケールへ参加した。一般のプレイヤーに混ざってランク上げと情報収集を行うことは勿論、竜崎と連携してアインクラッドフロアボスの出現についてもリサーチした。そしてつい先日、こいつと戦闘をした」
和人が指し示した先にあった写真に写っていたのは、アインクラッド十一層の雷神型のフロアボスモンスター『エネル・ザ・サンダーロード』だった。
「オーディナル・スケールに出現したSAOのフロアボスは、イルファング・ザ・コボルドロードだけじゃなかったのか……」
「プレイヤー達に聞き込みをしてみたが、アインクラッドフロアボスモンスターとの戦闘イベントは、直前になるまで知らされないらしい」
「先日の戦闘イベントへ参加できたのも、運が良かったというのが大きいですね」
「バイクなり車なりの移動手段無しにイベント参加をするのは難しいだろうな。それより……気になることはもう一つある。ボス戦に参加していた、ランク二位のプレイヤー、エイジだ」
次に和人が指し示した写真。そこには、和人以上に人間離れした動きで、縦横無尽に戦闘フィールドを駆け回るエイジの姿が写っていた。それを見た新一が、信じられないとばかりに目を見開く。
「これ……マジか?」
「疑いたくなるのは分かるが、事実だ。アバターなどではなく、生身の人間が現実にやってのけた動きだ」
思わず漏らした新一の呟きに対し、和人は表情を変えないまま事実だと断じた。それを聞かされた新一は、思わず顔を引き攣らせていた。
「人間の運動能力について詳しい専門家に分析を依頼しましたが、皆新一君と同じ反応をしていました。明らかに人間にできる動きではない、と……」
「薬物によるドーピングなのか、運動能力をアシストする装置を使用しているのか……現状では見当もつかないが、あの運動能力には、何らかの秘密があることは確実だ。竜崎には引き続き、その手段と、今回の依頼との関連性について調べてもらっている」
「その件についてですが、私の方で調べてみたところ、思わぬ発見がありました」
「本当か?」
「はい。しかし、エイジ君のことについて話す前に、重村教授のことについて説明させていただきます。ヒロキ君、例のデータをお願いします」
『分かった』
残る報告者が竜崎一人となったこともあったため、そのままの流れで和人から竜崎へとバトンが渡る。竜崎の要請に応え、今度は藤丸ではなく、モニターの向こうにいるヒロキが表示画面の操作を行い、スクリーンが切り替わる。映し出されたのは、髭を貯え、眼鏡をかけた初老の男性。和人も面識がある、今回の捜査における重要参考人となる可能性の高い人物、重村徹大教授である。
「重村教授の身辺と過去の経歴……特にSAO事件との関連についてヒロキ君と調べましたところ、ある事実が判明しました」
「SAOの開発関係者だった以外に、事件に関係していたってことか?」
「はい。重村教授はSAO事件前、アーガスの社外取締役としてのコネクションを利用し、SAOの初回スロットを一つ確保していたようです」
「重村教授はSAOをプレイしていない……ということは、教授の家族か知り合いがプレイヤーだったということか?」
「和人君の言う通りです。そして、その推測は前者が正解です。当時、重村教授には娘さんがいたようです。SAO初回スロットは、その子のために用意したものと推測されます」
竜崎の言い回しが「娘がいた」と過去形になっていることに不穏な気配を感じた和人と新一がピクリと反応する。竜崎が口にしたその説明だけで、重村教授の娘という少女が、SAOにおいてどのような結末を辿ったのかは、すぐに分かったからだ。
「娘さんの名前は、重村悠那。プレイヤーネームは『ユナ』。重村教授が用意したソフトでログインし、我々と同様にSAO事件に巻き込まれた被害者の一人です。しかし、事件解決まで生き残ることは叶わず……二〇二三年の十月十五日に、死亡が確認されています」
竜崎から説明されたのは予想通りの内容だった。それを聞いた新一の表情が僅かに歪む。和人もまた、僅かにだが目を
SAO事件では二千人以上の犠牲者が出ているとはいえ、それは数の上での認識でしかない。犠牲者の一人がどのような人物だったのか……どんな人生を送っていたのかを知ることによって、初めて知る重さというものもあるのだ。
そしてそれは、和人とて例外ではない。学生探偵として多くの殺人事件の現場を渡り歩いてきた新一がそうであるように、忍者として多くの命を奪ってきた前世を持つ和人といえども、人の死というものは決して慣れるものではない。ましてやSAO事件において、和人は被害者であると同時に加害者でもあるのだ。犠牲者全員、和人にとって無関係ではないのだ。
しかし、今はSAOの犠牲者を悼んでいる場合ではない。過去の事件がきっかけで起ころうとしているかもしれない企みを暴くことが先決である。
「その悠那という子が死亡した年って、確か三年前だよな?それに、十月十五日ってことは……」
「はい。重村教授と春川教授が頻繁に連絡を取り合い始めたのは、その後ですね」
「それに、その子が使っていた“ユナ”というプレイヤーネーム……オーディナル・スケールのイメージキャラクターになっているARアイドルと同名なのは、どういうことだ?」
「やはり和人君も気付きましたか。私も、偶然とは思えませんでした。そこで、彼女の生前の写真を探しました。そして、重村悠那さんが通っていた中学のアルバムを調べて見つけた写真が……こちらです」
『!』
竜崎が藤丸に合図してスクリーンに表示させた写真。そこに写っていた、高校の制服に身を包んだ少女の姿を見た和人と新一が目を見開いた。
「ARアイドルのユナと同じ顔……!」
「……偶然というわけではなさそうだな」
重村教授の娘である重村悠那と、ARアイドルのユナ。両者の顔立ちはあまりにも酷似していた。相違点といえば、髪型と髪色だけだろう。偶然とは思えないという和人の言葉に対し、竜崎は首肯する。次いで口を開いたのは、モニターに映し出されていたヒロキだった
『重村教授の娘さんには、僕も……正確には、生前のヒロキ・サワダも一度だけ会ったことがあるから間違いないよ。念のために、顔の輪郭や彫りを解析してみたけど、完全に一致していた。ユナは重村悠那ちゃんをモデルとして作り出されたと見て、まず間違いない』
生前の重村悠那と面識があったというヒロキもまた肯定し、解析まで行ったことで、偶然ではないことが証明された。
「……亡くなった娘が忘れられず、ARアイドルとして再現したのか?」
「間違いなくそれだけではないだろう」
まず最初に浮かんだ推測を口に出してみた新一だったが、和人の反応は納得していない様子だった。新一自身もまた、重村教授が娘を模したAIを作り出した裏には、娘のことを忘れられない父心だけではない何かを感じていた。
そして、重村教授は春川教授と通じている可能性が高い。人工知能を発明した春川教授と、娘を模したAIを作り出した重村教授。この二人が協力体制にある裏には、何かとてつもない陰謀が蠢いているという疑いがさらに強まっていく。
「そしてもう一つ。重村悠那さんについて調べる中で、さらに興味深い事実が判明しました。続きまして、同アルバムに載っておりました、こちらの写真をご覧ください」
竜崎の指示によって次いで表示された写真。それを見た新一と和人が、再び驚愕に見舞われる。そこには、仲の良さそうな二人の少年少女が写されていた。一人は先程の写真にも出ていた重村悠那。もう一人の男性は、和人がつい最近見知った人物だった。
「重村悠那さんの隣に写っている少年は、後沢鋭二君。重村悠那さんの幼馴染です。そして……」
「……オーディナル・スケールのランク二位のプレイヤー、エイジだな」
「その通りです。彼等と同期のクラスメートだった方に伺ったところ、二人は非常に仲の良い幼馴染だったそうです。互いの家へも頻繁に遊びに行ったことがあることも確認しています」
「重村教授との面識も、当然ある筈だな……」
ここに至って、見えない糸で繋がれた、何の共通点も無かったピースが繋がり始めていることを、その場にいる誰もが感じていた。
「……全てを繋ぐ鍵は、恐らく重村悠那にあるんだろう。少なくとも、重村教授が動き出したきっかけがSAOにおける彼女の死であることは間違いない」
「和人君の言う通りですね。春川教授の行方は分からず、目的も掴めないままでしたが……重村悠那という少女を手掛かりとして重村教授の動向を追って行けば、その目的に辿り着ける筈です」
ヒロキからの依頼において、最も優先度の高いのは春川教授の行方と目的を探ることだが、協力者と目される重村教授の動きを探れば、それも芋づる式に明らかとなることだろう。一先ず、本命である春川教授の捜査は保留し、重村教授の企みを解き明かすために動くという方針で全員の意見は一致した。
「それでは、今後の捜査方針ですが……」
互いに収集した情報を見せ合い、整理する作業が終わったところで、竜崎がそれをもとにした今後の方針についての話に入ろうとしたその時。携帯電話の着信音が鳴った。音源は竜崎の傍に控えているワタリが着ているスーツの懐の中。ワタリは皆に対して「失礼」と言うと、携帯を手に通話ボタンを押した。
「もしもし……ええ、そうです。それが何か………………何ですって……!?」
通話開始から常の平静を保っていたワタリだったが、途中から一転。動揺を露にしていた。その様子を見た竜崎等が、何事かと訝る。
「……分かりました。それでは、引き続きよろしくお願いします」
携帯電話の通話を切ると、ワタリは自身に視線を向ける一同へと向き直って口を開いた。
「竜崎。今から十数分ほど前、代々木公園にて傷害事件が発生したという報告が、警察の協力者からありました」
「代々木公園……もしや、オーディナル・スケールのボス戦イベントが行われている場所ですか?」
「はい。お察しの通りです。加えて言えば、今回の捜査において問題になっておりました、アインクラッドのフロアボスが出現するイベントだったそうです」
和人が口にした推測をワタリが肯定したことで、その場にいた一同に緊張が走る。捜査対象に深く関連していると確信していたゲームのイベントの中で起こった傷害事件である。偶然や無関係と考える者は、この場にはいなかった。
「被害者は六名。いずれも命に別状は無いようですが、骨折している方もいたようで、救急車で病院へ搬送されました。」
「……一体、誰が被害に?」
「被害に遭ったのは、会社員の壺井遼太郎さんとその友人の方五人です」
「壺井……まさか!」
聞き覚えのある名前に目を見開く和人。ワタリはそんな和人に対し、頷きながら続けた。
「お察しの通り、和人さんや竜崎と同じくSAO生還者であり、ギルド『風林火山』の方々です」
その事実に、一同は騒然とする。オーディナル・スケールに熱中しているクラインは、車を移動手段として活用し、ポイント稼ぎとランク上げを目的にアインクラッドフロアボスの出現イベントに積極的に参加していた。そのため、現場にいたことについては何らおかしくはない。問題はどのような経緯で傷害事件に巻き込まれたのかである。
「加害者の行方は分かっているんですか?」
「警察が現場のカメラの映像等を解析して、目下捜索中ということです。また、彼等以外にも現場から離れた場所で倒れている少年二人が保護されたということです。こちらについては、少年等の身元確認と事件への関連性を確認している最中です」
「そうですか……分かりました」
ワタリから齎された説明について、一同はそれ以上質問することはなかった。事件が発生したばかりである以上、ワタリとこれ以上の問答をしても得られる情報は無いと誰もが分かっていたからだ。
「和人、どう思う?」
「オーディナル・スケールのフロアボスイベントの中で起こった傷害事件だ。偶然で片付けられるものではないだろう」
和人等が協力して捜査を進めているゲームイベントの中で発生した傷害事件。しかも、イベントに際して多くのプレイヤーが集まった中で、標的になったのはSAO生還者である。現状では証拠こそ無いが、この一件は間違いなく自分達の捜査している一見に関連している。それが竜崎を含めた共通の見解だった。
しかし、そこでふと和人はあることを思い出す。クライン程ではないが、ここ最近、何かの目的のためにポイントを稼ぐためにオーディナル・スケールをプレイしていた友人のことを……
「……竜崎、新一。済まないが少し席を外させてもらうぞ」
代々木公園で発生した傷害事件と、春川教授や重村教授等が水面下で進めている企みとの関連性について情報を整理し、推理をしていく二人に対してそれだけ言うと、和人は一人その場を後にした。
時間は遡り、和人が新一、竜崎等とともに捜査会議を開始した頃のこと。東京都渋谷区代々木公園には、オーディナル・スケールのイベントのために大勢のプレイヤーが集まっていた。例によって直前まで予告通知無しの、アインクラッドフロアボスとのバトルイベントである。
「くぅうっ……!」
「フシャァァアア!!」
バトルフィールドと化した代々木公園の中を縦横無尽に高速で走り回るボスの連撃に苦戦するアスナ。ここ最近、ポイント稼ぎのために積極的にオーディナル・スケールをプレイし始めた彼女もまた、このボス攻略戦に挑んでいた。
(流石はアインクラッドフロアボス随一の俊足ね。アインクラッドの時もそうだったけど、目で追うのも精一杯だわ……)
現在アスナ等が対峙しているフロアボスの名は『ルッチ・ザ・レオパルドモンク』。強力な体術系ソードスキルを使いこなす、豹の獣人型モンスターである。
四足歩行時は目で追うのも難しい程の高速移動でプレイヤーを含めた障害物の間を縫うように駆け回り、すれ違いざまに発生する斬撃がプレイヤーを襲う。二足直立時には、拳撃・蹴撃の体術系ソードスキルの連撃を高速で繰り出してくる。しかも、体術系ソードスキルでありながらライトエフェクトを飛ばしての遠隔攻撃もできるのだ。
SAO事件当時は、イタチやアスナをはじめとした高速移動攻撃に対抗できるスピードタイプのプレイヤーが前面に出てリスクを負い、足止めしたところを攻略組プレイヤー全員で袋叩きにするという戦法で勝利を収めたのだった。
(やっぱり、人数が少ないのは痛いわね。それに……士気も低いし)
アインクラッドのフロアボスとの戦闘が初見で苦戦しているプレイヤーを見たアスナは、次いで野外ステージの方へと視線を向けた。ステージ上には、オーディナル・スケールのイメージキャラクターでありARアイドルのユナがバフ効果のある歌を披露している。その舞台の下には、ボス戦そっちのけでユナに夢中のプレイヤー達が殺到していた。
イベントには大勢のプレイヤーが集まっているとはいえ、その四割程は戦闘ではなくユナが目当てで来ただけのプレイヤーであり、モチベーションは低い。アスナ同様にボス戦に真剣に臨んでいるプレイヤーにしても、連携がまるで取れていない。ただでさえ強力なフロアボスなのに、タイムリミットまであるのだ。このままでは、攻略は失敗に終わってしまう。
「フシャァアア!!」
「っ!?」
戦況をどう立て直したものかと周囲を見ながら作戦を練ろうとしていたアスナだったが、ボスは待ってはくれない。豹の獣人型フロアボス、ルッチは立ち塞がるプレイヤー達を次々に蹴散らすと、アスナへとタゲを移した。
戦況をどうにかするための思索で生じた虚を突く形でアスナ目掛けて飛び掛かったルッチは、その顎を大きく開き、首筋に鋭い牙を突き立てんとする。避けなくては、と思うアスナだったが、反応が完全に遅れたせいで間に合わない。急所である頚部を狙った攻撃は、防御無しでまともに食らえば、最悪の場合は即死も免れない。アスナは今まさに、絶体絶命の危機的状況に陥っていた。
「とりゃぁぁああ!!」
「キャシャァアアッ……!?」
だが、ルッチの牙がアスナに突き立てられることは無かった。間一髪のところで、気合の入った叫び声とともに文字通りの横槍が入り、アスナ目掛けてジャンプして飛び掛かろうとしていたルッチを吹き飛ばしたのだ。
横合いから繰り出された極めて強力な一撃は、ルッチの三メートル近くある巨体を容易く弾き飛ばした。そしてそれをやってのけた人物は、地面へ着地すると同時にアスナのもとへ駆け寄った。
「大丈夫、アスナちゃん?」
「ランさん!ありがとうございます!!」
アスナを危機から救ったのは、黒髪の長髪にはねた前髪が特徴的な女性。ALOでイタチとリーファを通して知り合った仲間であり、アスナの所属ギルド『スリーピングナイツ』の一員でもある、ランこと毛利蘭だった。
「遅れてごめんね。けど、頼もしい助っ人も来てくれてるわ!」
「頼もしい、助っ人……?」
「フシャァアアッッ……!!」
一体、誰のことなのだろうと考え始めるアスナだったが、それはフロアボスのルッチが放った咆哮によって中断された。何事かと慌ててアスナが振り向いた方向――先程、ランがルッチを打撃にて吹き飛ばした場所――へと視線を向けると、そこにいたのは……
「フッ!ハッ!タァッ!」
「ガァアッッ!!ゴホォオッ!!」
三メートル近くある巨体の獣人相手に、体術によって大立ち回りをしてこれを翻弄している男の姿があった。服の上からでも分かる鍛え上げられた肉体を持つ、色黒の男性。
「行っけー!そこよ!マコトさん、負けるなー!頑張ってー!!」
男性プレイヤーが一人で、しかも徒手空拳でボスモンスターに挑むという壮絶な光景に目を奪われていたアスナだったが、ふと聞こえた声に視線をずらす。すると、男性プレイヤーとボスが戦闘を行っている場所から少し離れた位置に、一人の女性プレイヤーの姿を見つけた。年齢はアスナと同じくらいだろうか。髪型はショートカットで、カチューシャをつけたフロアボスたるルッチを相手に果敢に挑む男性を、熱心に応援していた。
「ま、マコトさんっ!?それに、ソノコさんまで!?」
突如として戦闘イベントに現れたこの二人、京極真ことマコトと、鈴木園子ことソノコもまた、ALOにおいてアスナとランと同じくスリーピングナイツに所属するギルメンである。
今回のイベントに際して誘いをかけた相手はラン一人であり、マコトとソノコには声を掛けていなかった。恐らく、ランから話を聞いて、都合が良くこの場に駆け付けることができたのだろう。
「あの二人がたまたま時間が空いていたっていうのもあるけど、この場所まで案内してくれた人がいたお陰で、どうにか間に合ったわ」
「案内?一体、誰が……」
「私です、ママ」
「ユイちゃん!?」
ALOでお馴染みの、ナビゲーション・ピクシーの姿で現れたユイに、驚きの声を上げるアスナ。イベント開始の数分前から姿が見えなくなっていたが、まさか仲間を呼ぶために動いていたとは思わなかった。
「話は後よ!今はあのボスを倒す方が先決でしょ?」
「そ、そうですね……それでは、私はプレイヤーの皆に呼び掛けて態勢を立て直しますので、ランさんはマコトさんと一緒にもうしばらくボスを引き付けておいてください」
「了解!任せておいて!!」
アスナの指示に従い、この場に集まったプレイヤー達で構成された即席レイドを立て直すべく、マコトとボスが戦っている戦場へと急行するラン。
それまで劣勢を強いられていたアスナ等だったが、仮想世界のみならず、現実世界においても非常に高い運動能力――しかも、戦闘に特化した――を持つ二人が加わったことで、流れが変わろうとしていた。そしてアスナは、この機会を逃すまいと立ち上がり、元血盟騎士団副団長として培ったリーダーシップを発揮して指示を送り、勝利への道筋を確固たるものにしようとしていた。
(それにしても、風林火山の人達は、何をしているのかしら?)
高速で動き回る豹の獣人、ルッチの動きを封じ、確実にダメージを与えるための陣形を作る途中。本来ならばこの場に来ている筈の、ランやマコトとは別に期待していた戦力が姿を現さないことに疑問を持ったアスナだったが、すぐさま思考を中断し、自身が行うべき仕事に取り掛かるのだった。
時間は遡り、ボスイベントが開始されてから間もない時間帯のこと。ボスが出現したイベント広場から、代々木公園の国立代々木競技場第一体育館を挟んだ位置に、オーディナル・スケールのプレイヤーの一団が到着していた。
「畜生!完全に遅れちまったぞ!しかもあんなに遠くだ!」
「仕方ねえだろ!駐車場が中々見つからなかったんだからよ!」
ユナの歌声が聞こえる方向に目をやりながら、一団のリーダーであるクラインは心底焦った様子で頭をガシガシ掻いていた。開始直前まで告知されないオーディナル・スケールにおける、アインクラッドフロアボス戦イベントへ参加するために車を移動手段としていた風林火山一同だったが、今回はそれが仇となった。代々木公園でイベントが行われるという情報は掴んだものの、駐車スペースの確保に手間取った結果、現状に至るのだった。どうにかイベント開始時刻前に駐車はできたものの、イベントが行われている場所までの距離は短くない。
「ったく!何で今日のイベント場所に限って、どうしてこんなに駐車場から離れてんだよ!」
「本っっ当についてねえなぁ!オイ!!」
自分達の不運を心の底から嘆く風林火山のメンバー達。彼等とて、車という移動手段が万能だとは思っていないが、今回のイベントに関しては運が悪過ぎた。まるで、自分達がボス戦に間に合わないように仕組まれているのではと疑いたくなる程に……
「とにかく急ぐぞ!早くしねえと、アスナさんが全部終わらせちまう!」
イベントが行われている場所への到着が遅れれば、当然のことながらボス攻略の報酬は入ってこない。アスナが既に現場に到着していることは、今しがた本人からのメッセージで確認している。SAOにおいて攻略の鬼と呼ばれた彼の手に掛かれば、先日のエネル・ザ・サンダーロードのように、早々に討伐してしまうだろう。それが風林火山の――実際はそう簡単ではないのだが――見解だった。
「おーい!クラインさーん!」
「……ん?」
そして、いざ現場へ向けて走り出そうとしたクライン率いる風林火山だったが、その行く手の思わぬ人物が現れた。クラインのもとへ駆け寄ってくる人影は二つ。一人は鉄腕アトムを彷彿させる二本角のような髪型の少年。もう一人は水色の髪にツインテールのような髪型の――一見見すると少女のようにも見える――少年である。二人揃って特徴的な髪型をしたこの二人は、クラインもよく知る人物達だった。
「お前等、セナにナギサじゃねえか!何でこんなところにいるんだよ!?」
「すみません、僕等もイベントの情報を聞いて、今到着したんですけど……」
「原宿方面から徒歩で移動していたせいで、遅れちゃって……」
気まずそうな表情で苦笑を浮かべるこの二人、セナとナギサは、クラインと同じくSAO生還者であり、攻略組に属して激戦を繰り広げた戦友でもあった。現在はイタチこと和人と同じ、帰還者学校へ通う生徒でもある。フロアボス攻略戦において、回避盾と行動パターンの分析役として活躍していたこの二人は、現実世界においてイタチすらも一目置く程の優れた運動神経と洞察力を持つことで知られていた。そしてその能力を活かし、オーディナル・スケールをつい最近プレイし始め、めきめきとランクを引き上げていたのだった。
「お前等も苦労してんだなぁ~……」
「呑気な事言ってる場合じゃないだろ、リーダー!早く俺らも行かねえと!」
メンバーの言葉で我に返ったクラインは、風林火山のメンバー一同と、合流した二人を伴い、再びイベント戦が繰り広げられている場所を目指すべく、足を動かそうとする。
だが――その時だった。
「な、なんだ!?」
「えっ……これって、まさか!」
一同が立っている場所のすぐ近くの地面に光の線が走り、直径七メートル程の円が描かれ、その枠の中から強烈な光が溢れ出したのだ。何事かと困惑するクライン等を余所に、異変は続く。光の輪の中から、人ではない巨大な何かが姿を現したのだ。それは、四足歩行の巨大な獣。ピンと経った三角の耳と、犬や狼を彷彿させるマズルに、口の合間から覗く鋭い牙。体の表面には毛一本も生えてはおらず、代わりに赤黒い岩で覆われており、隙間から赤い炎がところどころ噴出し、ドロドロとした溶岩が滴っていた。頭部に相当する部位では、目と思われる箇所が一際強い光を発していた。
「オイオイ、嘘だろ……!」
「こんなの聞いてねえぞ……っ!」
その姿を見た風林火山のメンバーが、驚愕とともに冗談ではないとばかりに声を漏らす。誰もが突然の出来事に硬直して、即座に反応できずにいる中、ナギサは一人呟いた。
「……アインクラッド第十二層フロアボス『サカズキ・ザ・マグマハウンド』!!」
「ウォォオオオオオン!!」
ナギサがその名を口にした瞬間、これに応えるかのように、身体が溶岩でできた猟犬は夜空に向けて遠吠えを発した。そして、登場のパフォーマンスらしきそれを終えたフロアボスボス、ゴブレットがクライン等を標的に定めたことにより……予想だにしない戦闘が勃発するのだった。