ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百三十七話 収集【hash】

「……はい。攻略組の一角を担った有力ギルドの一つを潰しました。それと、想定外の獲物も二人程。思った通り、連中はARじゃ何もできやしない……まあ、一部例外もいましたが」

 

オーディナル・スケールのイベントが終わり、人気が完全に無くなった深夜の代々木公園の中。エイジは携帯電話を手に持ち、自身が参加している計画のリーダーたる重村へと連絡を取っていた。報告内容は、本日のイベント戦における戦果である。

 

「計画は順調に推移してます。次の段階に進めてください……それでは」

 

必要な事項を報告し終え、通話を切ったエイジの顔には、満足そうな笑みが浮かんでいた。憎き攻略組のプレイヤー達に対し、この現実世界で自ら制裁を加えることができたことが、彼にこれ以上無い程の充足感を与えていたのだ。

 

『楽しそうだね、エイジ君』

 

そんなエイジの気分に水を差すように現れたのは、重村とは別の、この計画に参加している協力者だった。音も気配も無く現れた協力者の男を見たエイジの顔からは笑みが消えた。

 

「今回の作戦は、予想以上の戦果を出すことができた。これで計画がさらに進むと思えば、それはあんたにとっても喜ぶべき展開なんじゃないか?」

 

『フム……確かにその通りだ。だがね、予想外のイレギュラーを処理するためには、私も色々と手を回さなければならないのだよ。今回の作戦にしても、現場に証拠を残さないための処置だけでなく、逃げ道を塞ぐための障害物を急遽用意しなければならなかった』

 

「……それがあんたの役割だろう。計画を円滑に進めるためのフォローは、全てそちらの担当になっている。重村教授からはそう聞いているんだが?」

 

『勿論。私も自分自身の役割を忘れたわけじゃないさ。しかし、計画を人知れず進めるための隠蔽工作にも限度がある。良かれと思ってやったことでも、下手に計画外のことに手を出せば、計画を破綻に導くイレギュラーを招き入れることにも繋がりかねないということも、覚えておいてくれたまえ』

 

「……」

 

男の忠告に対し、内心で舌打ちするエイジ。それは、計画開始当初から懸念していたことだった。しかし、今のところエイジが心配していたようなことは起こらず、男も計画の大勢に影響は無いと言っていたことから、ここ最近はその点について軽視しがちだった。

 

「……分かっているさ。だが、これから直接手を下す機会が増える以上、必然的に想定外の事態は増えていくぞ」

 

『私もある程度は覚悟しているさ。計画始動段階で、あらゆるイレギュラーの発生を予見し、その対策も立てている。但し、それも絶対ではないということを覚えておいてくれたまえ』

 

「……」

 

釘を刺すように口にした男の言葉に、エイジは無言で頷いた。相も変わらず、不愛想な反応ではあったものの、男はそれで満足したらしく、それ以上は何も言わなかった。

 

『そうだ。計画が本日この時をもって、次の段階へ進んだお陰で、ある一定の成果が得られたのだった』

 

「一定の成果?」

 

『重村教授がすぐに見せてくれるさ。……おっと。噂をすれば、だな』

 

男が見上げた先にあったのは、オーディナル・スケールの通信状況緩和のために飛ばされているドローンだった。ドローンはエイジ等の近くまで降下すると、機体下部に備え付けられたレンズから光を照射する。夜の暗闇を照らすように放たれたその光の中心に現れたのは、一人の少女。フードを被っており顔は見えないが、体格からして十代半ばであることが分かる。

その少女の姿を見たエイジは、心の底からの笑みを浮かべていた。目の前に座り込む少女こそが、男の言う通り、エイジが何よりも望む成果だったのだから。

 

「おかえり」

 

少女に歩み寄ると、エイジは優しげな笑みのままに話し掛けた。しかし、少女がエイジに応えることは無かった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラインだけでなく、セナとナギサまでやられたというのは本当か?」

 

「はい。間違いありません」

 

ノアズ・アークの依頼により、春川英輔と重村徹大、そして彼等の計画の舞台であるARゲーム、オーディナル・スケールの捜索に乗り出した和人等の捜査拠点となっている、竜崎ことLが所有するビルの地下。そこでは現在、今回の捜査に携わっているメンバーの新一と竜崎が向かい合って情報交換を行っていた。

 

「昨夜、現場に急行したワタリの部下達が、クラインさん等が襲撃を受けた現場の周辺を捜索した際に、ケヤキ並木にて負傷した二人を見つけたそうです」

 

「ナギサはともかく、セナが逃げ切れなかったってのかよ……」

 

「セナ君は、SAOのアバターが現実に出てきたかのような“高速の足”の持ち主です。四十ヤードを四秒二で走ることができます。また、現場となったケヤキ並木には、車やバイクの車輪痕は確認されませんでした」

 

「つまり、容疑者はセナを上回る速さで走れるってことだろ?冗談みてーだが……事実なんだろうな」

 

新一が手のひらを額に当てながら、俄かには信じられないとばかりに呟く。竜崎の表情に変化は無いが、膝を抱くその手に力が入っており、ジーンズに皺が寄っていた。

今回のクライン等風林火山のメンバー六名を一蹴した上、逃亡したナギサとセナを追撃して倒してのけたのだ。セナを圧倒した足の速さを抜きにしても、尋常ではない身体能力である。新一も竜崎も、これまで遭遇した事件の中で、身体能力の高い犯人と格闘した経験がある。だが、ここまで桁外れな――和人に匹敵、或いは凌駕する可能性が高い――相手は初めてである。

 

「前例があるとすれば、『怪盗X(サイ)』でしょう。私は直接関わる機会がありませんでしたが、『怪物強盗』と呼ばれていた程です。報告を聞く限り、人間かどうかも疑わしいですが……」

 

怪盗Xとは、かつて国際指名手配されていた凶悪強盗犯である。怪盗Xの『怪盗』とは、『怪物強盗』の略称であり、は未知を現す『X』に不可視を意味する『invisible』を合わせて名付けられた名前である。人間を遥かに超えた身体能力と変幻自在の細胞を持っていたとされており、人知を超えた『怪物』としか形容できない存在だったという。

 

「だが、怪盗Xは五年前の『血族事件』を境に消息不明の筈だ。警察では、死亡したものとして処理されているって話だろ?」

 

「五年前の『血族事件』……ですか」

 

『血族事件』――新一が口にしたその言葉を聞いた竜崎の脳裏に、かつての記憶が蘇る。人類から更なる進化を遂げた者達を自称するテロリスト集団『新しい血族』。“病的”なまでの悪意を滾らせ、全人類への敵対・殲滅を企てたこの組織が活動していたのは、五年前……つまりSAO事件発生の一年前のこと。都内に洪水や地盤沈下を人為的に引き起こすという、テロという枠を大きく超えた、災害規模の甚大な被害を齎したことで知られていた。

 

「あの事件の末、血族一派は『シックス』を名乗る首謀者、ゾディア・キューブリックを含めて全滅したとされました」

 

「確か、その首謀者のシックスって奴は『血族事件』が発生する前に、怪盗Xを拉致したって話だったな。しかも、警視庁屋上にジェット機を飛ばしたとか……」

 

「私も耳を疑いましたが、全て事実です。怪盗Xの正体はシックスのクローンだったそうです。その後は血族の研究施設に収容され、実験動物として扱われていたとされています。そして、血族一派の全滅と同時に怪盗Xもまた死亡したというのが日本警察の見解です。しかし……」

 

「死体は見つかっていない、か……」

 

既に警察関係者も世間も認めた怪盗Xの死亡だが、竜崎と新一はどこか腑に落ちていなかった。死体が見つかっていない以上、完全に死亡と断定するのは早計なように思えていた。譬え、血族事件終結後から今日に至るまで、怪盗Xの活動が一切無くなっていたとしても……

 

「あの事件には、確か弥子(ヤコ)が関わっていたって話だよな?あいつなら、怪盗Xがどうなったかも知っているかもしれないが……」

 

「確かに、彼女なら何か知っているでしょうが……彼女から事件の仔細を聞くのは無理でしょうね。あの事件に関しては、警察関係者にすら多くを話そうとはしませんでしたから」

 

工藤新一と金田一一と同じSAO生還者であり、かつては二人と並ぶ中学生探偵としてその名を知られていた少女――桂木弥子。既に探偵業は廃業し、平凡な日常へと戻った彼女は、SAO事件に巻き込まれるという数奇な運命をたどったものの……現在は、彼等と同じ帰還者学校に通う位置生徒として、平穏な学生生活を送っていた。

そんな元女子中学生探偵だった彼女が手掛けたラストケース。それこそが、『血族事件』だったのだ。本人の証言によれば、彼女と彼女の助手の力でシックスの拠点を特定し、死闘の末にその野望を止めることに成功したらしいのだが、それ以上の詳しい話をすることはなかった。分かっていることは、シックスの死亡がほぼ確定したということと、当時彼女の探偵業を支えていたという優秀な助手が、その事件以降にふっと姿を消したということのみだった

 

「……話が脱線してしまいましたね。血族事件の結果がどうあれ、今回の事件に怪盗Xが絡んでいるということはまず無いでしょう」

 

「それもそうだな。で、肝心の犯人だが……やっぱり例のランク二位のプレイヤーなのか?」

 

「まず間違いないでしょう」

 

新一の問いかけに対し、竜崎は首肯した。怪盗Xなどという前例があろうとも、これだけの人間離れした犯行を実行できる身体能力の持ち主は、捜査線上に浮かびあがった人間の中でただ一人なのだから。

 

「現在、警察の手も借りて彼の行方を捜査中です。現場付近には、監視カメラも複数設置されています。犯行の様子が映されていることはまず間違いないでしょう」

 

「映像という物的証拠が出れば、傷害罪で逮捕状が取れるだろうが……映像が残っていれば、の話だがな」

 

「ええ。新一君の言う通りです」

 

容疑者を特定するための動かぬ証拠となる監視カメラの映像だが、竜崎も新一もそれが簡単に入手できるとは思っていない。

 

「既に分かっていたことだが、やっぱり重村教授とエイジのバックには春川教授がいるんだろうな」

 

「今回の件で、それは確信に変わりました。人気の無い夜間とはいえ、都内の公共施設内であれだけ派手に動き回れるのは、証拠を残さないことについて絶対的な自信があってのことでしょう」

 

情報化が急速に進んでいるこの現代社会。都内の至る場所にはソーシャルカメラが設置されており、街中で起こるあらゆる出来事が随時記録されている。そもそもの話、オーディナル・スケールのようなARゲームも、これらのソーシャルカメラの存在によって成り立っているのだ。

そんな監視カメラだらけの場所で傷害事件など起こそうものならば、映像から即座に身元が特定されてしまうのだが……件の事件を引き起こした犯人は、そんなことを微塵も気にしていないかのような大立ち回りをしている。

それは即ち、警察に捕まらないという自信の表れであり……証拠を一切残さずに事を進める手段を持っていることを意味している。そして、竜崎と新一、そしてこの場にはいない和人と藤丸、ヒロキには、その手段が何なのか想像がついていた。

 

「改めて厄介な事件になったな……ヒロキ君やユイと同等か、それ以上の性能を持つ存在を相手取ることになるとは……」

 

「この程度の性能を持っていることは、依頼を受けた時点で覚悟はしていました。問題は、その相手がヒロキ君やユイさん以上の力を持っていないかどうかです。実行犯である可能性の高いエイジにしても、異常な身体能力の秘密を明らかにしない限り、下手な手は打てません」

 

新一の言葉に対し、竜崎が口にした補足によって、今回の依頼がどれ程困難な物なのかが改めて浮き彫りとなる。世界最高と言われる名探偵二人に、世界最高と言っても過言ではない天才ハッカー。そして、過去発生した仮想世界に纏わる事件三件を解決に導いた、忍の前世を持つ――前述の三人はそのことを知らないが――少年。傍から見れば、これ以上ない最強の集団であるにも関わらず、今回の相手はその上を行くかもしれないのだ。情報力も、現実世界における戦闘能力も、まだまだ未知数な部分があるくらいだ。数々の難事件を解決に導いてきた竜崎と新一ですら、一抹の不安を抱いてしまう。

 

「……そういえば、和人はどうしたんだ?それに、ヒロキ君も。今日は監視カメラの映像確認をやっている藤丸以外、全員集まる予定の筈じゃなかったか?」

 

「ワタリは昨日発生した事件を含めて、一連の傷害事件の確認のために、病院へ行っています。和人君は、ヒロキ君と一緒に現場確認だそうです」

 

「現場確認か……物的証拠は残っていないだろうが、何らかの痕跡は辿ることができるかもしれないってわけか」

 

「はい。ちなみに、彼には緊急事態を知らせるスイッチを内蔵した特殊ベルトを装着してもらっています。有事の際には、それで味方を呼べるようにしてありますので、心配は無用です」

 

竜崎の言う特殊ベルトは、SAO生還者を狙った傷害事件が起こっている現状を危惧したワタリが急遽作成したものである。和人同様、外で活動することの多い新一もこれを装着しており、これを押せば竜崎こと探偵L御用達のSPが拳銃を携帯した状態で現場へ駆け付ける仕組みになっているのだ。

 

「事件が起こったのは夜のイベントの時だったから、問題はないとは思うが……」

 

「情報が不足し、準備が儘ならない今は、何も起こらないことを祈るしかありませんね……」

 

本拠地にて情報交換を行っていた二人は、現場へ行ったという和人とその付き添いとして同行しているヒロキの身に、何も起こらないことを願うしかなかった。

限りある情報を整理し、対策を立てようとする探偵たちを嘲笑うように、事態は刻一刻と変化し、自分達の目の届かない水面下において、事件を起こした犯人達が立てた、目的も未だ明確にはならない得体の知れない……それでいて、危険なことだけは間違いない計画は着実に進んでいる。竜崎と新一をはじめとしたこの事件に関わる者達は、そのことを強く確信し、痛感していたのだから。

 

 

 

 

 

2026年4月26日

 

竜崎と新一が拠点となっている地下施設で情報の共有を行い、ファルコンこと藤丸が傷害事件の情報収集を行っていたその頃。和人は昨夜の事件の現場となった、東京都渋谷区の代々木公園を訪れていた。和人がまず訪れたのは、クライン等風林火山のメンバーが襲撃された国立代々木競技場第一体育館前である。

 

「ここで間違いないか、ヒロキ?」

 

『うん。竜崎さんから貰った資料を改めて確認してみたけど、現場はここみたいだよ』

 

和人の問い掛けに応じ、隣に十歳ほどの少年――ヒロキが現れる。MHCPのAIだったユイ同様、ヒロキもまた『ノアズ・アーク』を前身とするAIである。故に、オーグマーの拡張現実を利用して、アバターを出力することができるのである。ちなみに、今のヒロキのアバターは、万一ヒロキ・サワダの顔を知るオーグマー装着者に見られても良いように、生前のヒロキ・サワダの容姿を和人と同い年である十七歳程の外見にしたものである。

 

『とはいっても、既に警察の現場確認は終わっていて、犯行当時の痕跡もほとんど残っていないみたいだよ』

 

「だろうな……」

 

ヒロキの言葉に、どうしたものかと思案する和人。昨夜の傷害事件に関して、何か手掛かりが掴めないかと考えて現場を訪れた和人だったが、思い通りにはいかないらしい。

その後、和人はケヤキ並木へと続く道を通り、セナとナギサが襲われた現場へと向かった。こちらでも犯人の正体に繋がる手掛かりになりそうなものは見つからなかった。しかし、イベント広場を目指して歩いていた途中、路上にあるものを見つけた。車のブレーキ痕を彷彿させる、真新しい黒い摩擦の痕である。

 

(確か、セナがやられたのもこの辺りだったな。となれば、これは犯人のもの……)

 

恐らくは、逃げようとするセナを捕捉するべく追い抜き、前方に回り込んだ際についた痕なのだろう。こうして地面の上にくっきりと残されている痕を見るに、相当なスピードで走ったことが分かる。

 

(下手をすれば、忍者に匹敵する身体能力だな……)

 

改めてこの傷害事件を起こした犯人であろうエイジの身体能力に、和人は内心で戦慄していた。そして同時に思う。いざ容疑が確定して逮捕する段になるか、もしくは向こうから攻めてきた時のことを……

 

(今の俺では、難しいかもしれんな……)

 

一般人相手ならば、譬え相手が銃で武装していようとも無力化できる力を持つ和人だが、今回の相手は人間の範疇に収まらない力を持っている。この世界の人間としては最高クラスの身体能力を持っていると自己分析している和人ですら、どこまで通用するのか不安を覚えずにはいられなかった。

そんな内心を押し隠して歩き続けることしばらく。和人とヒロキは、昨夜のボス戦イベントが行われていた、野外ステージのある場所へと到着した。

 

「ヒロキ、何かおかしな点は見当たらなかったか?」

 

『残念だけど、これといって不自然な点は無かったよ』

 

捜査を進展させるための何らかの手掛かりが見つからないかと訪れてみた代々木公園だったが、どうやら無駄足になってしまったらしい。このような結末も想定していたとはいえ、時間を無駄にしてしまったのは確かである。和人は内心で溜息を吐いていた。

 

「やむを得ん。今日の探索はこれで終わりだ」

 

『何か見つかると思ってたけど、収穫が無くて本当に残念だね』

 

「元々、そこまでの期待はしていなかったことだ。それより、拠点に残っている竜崎と新一は……」

 

今後の方針について、竜崎や新一と相談しようと口にしようとしていた和人の言葉が唐突に途切れた。和人がふと見上げた先にあったのは、代々木公園の南北を結ぶ高架橋。その橋の上に一人の少女の姿があった。白い長袖の服を着ており、下はミニスカートである。フードを目深に被っているため、表情や顔立ちは分からない。手摺の向こう側の景色を、棒立ちしたままじっと眺めている。一見すると、どこにでもいる普通の少女に見えるが……和人の目には、それが普通の少女とは映らなかった。

 

「ヒロキ、あれはもしや……」

 

『アバター、だね。実体の無い拡張現実の存在だよ。けど、おかしいね。和人君は今、オーディナル・スケールを起動しているわけでもないのに……』

 

「ああ……」

 

仮想世界に対して高い適性を持つ和人だからこそ、目の前に映る少女の正体がアバターであるとすぐに分かった。だが、拡張現実のキャラクター等のAIは、ARゲームを起動させていなければ見えない仕様である。ユイとヒロキという例外があるが、二人は自発的に拡張現実の中に姿を現している。ならば、目の前にいる少女は一体何なのか……それが一番の疑問だった。

 

「……行くぞ」

 

『和人君?』

 

疑問は尽きず、何ら確信があるわけではない。もしかしたら、危険な罠が待ち受けているかもしれない。それでも、和人はこの場所に現れたアバターの少女に接触することを選択した。自分達が追い掛けている事件について何か秘密を握っているかもしれないと、そう直感していたのだから……

 

「君、少し良いか?」

 

「……」

 

数メートル手前まで近づいた和人は、なるべく警戒心を抱かれないように声を掛けた。対するAIの少女は、目深にフードを被ったままで顔を和人の方へ向けた。だが、反応はそれだけで口を開くことは一切無く、手摺の向こうに視線を戻した。

その後、しばらく反応を伺っていた和人だったが、少女はやはり何も話さない。だが、和人と一分ほどした時のこと。少女は唐突に右手を上げると、手摺の向こう側を指差した。そして――――――

 

 

 

さがして

 

 

 

「!」

 

言葉を発さないまま、口だけを動かした。そして、少女の身体にジジジ、とノイズが走り……その姿は、何の前触れも無くその場から消失した。

 

「ヒロキ、今のは……」

 

『口の動きから察するに、“さがして”と言っていたみたいだね。何かを指差していたみたいだけど、あの方向に何かあるのかもしれないね。けど、あの子は一体……』

 

「それは俺にも分からない。この事件に何の関わりがあるかもな。だが……」

 

無関係であるとは、到底思えないと……和人はそう直感していた。それは、飽く迄和人の私見であり、直観に過ぎない。事件の手掛かりを求めてこの場所へ来たからこそ、和人自身がそう思いたいだけかもしれない。もしかしたら、先程の少女のアバター自体、ただのシステムのバグであり、事件とは何の関連も無いという可能性だってあり得る。しかし、そんな可能性があるとしても、この出来事を無関係と切り捨てることを和人はしなかった。

 

「念のために、あの少女が指差した方向に何があるのか、調べておいてくれ。片手間で構わない。都内にある、主要な建物や施設を大まかにリストアップするだけで構わない」

 

『了解したよ。竜崎さんや新一君には?』

 

「一応、報告しておいてくれ。尤も、手掛かりになるかも分からないことだがな……」

 

身も蓋も無いことを言っていることを自覚しながらも、和人はヒロキへそう伝えた。そうして改めて、和人とヒロキによる現場探索は終了となるのだった。

 

「ヒロキは先に竜崎と新一のもとへ戻ってくれ。俺はこれから、明日奈さんと会う予定がある」

 

『もしかして、デート?』

 

「……そのような側面があることは否定しない。だが、事件に関する情報を収集するための活動でもある」

 

からかうような言葉を投げ掛けて来るヒロキに対し、和人はにべもなくそう答えた。その後、ニコニコとした笑みを浮かべて見送るヒロキに背を向け、和人は一人、約束の場所へと向かって歩き出していった。

 

 

 

 

 

「和人君、お待たせ!」

 

「こんにちは、明日奈さん」

 

ヒロキと別れた和人が向かったのは、明日奈との待ち合わせの場所に指定していた、代々木公園内にある売店だった。先に到着して備え付けの椅子に座っていた和人が声のした方を振り向くと、そこには明日奈の姿があった。ヘアスタイルも服のコーディネートも、いつもより気合が入っているように思える。

 

「明日奈さん、これをどうぞ」

 

「ありがとう、和人君」

 

和人の座っている椅子の隣の席に腰掛けた明日奈に対し、缶ジュースを差し出す和人。一足先に到着した際に購入していたものだった。

 

「昨日は和人君をのけ者にしちゃったみたいでごめんね。しかも、帰りは送ってもらっちゃって……」

 

「気にしないでください。家まで送ることができたのも、偶然ですから」

 

「それでも、とても助かったわ。蘭さんと京極さんが一緒だったとはいえ、夜道は危険だもん。それに、三人とは家のある方向が逆だったからね」

 

「お役に立てて、何よりです」

 

和人と一緒に公園でお茶――飲んでいるのは缶ジュースだが――することができることが嬉しいのか、明日奈は満面の笑みを浮かべていた。傍から見れば、完全に若い高校生カップルがデートをしている構図である。

そのようなほのぼのとした光景の中で他愛の無い会話をする和人と明日奈だったが……和人の頭の中にあったのは、ヒロキから受けた依頼に関することだった。今回の代々木公園への外出も、誘いをかけてきたのは明日奈の方だが、和人の方にも明日奈に確かめたいことがあったからこそ、デートと呼べなくもない話に乗ったのだ。明日奈には悪いが、事件解決のためには一つでも多くの情報が必要となる。ALOをはじめとしたVRゲームの話や、ここ最近始めたオーディナル・スケールの話、そして学校生活に関する話題で談笑しながら、和人はタイミングを見計らうと、目的の話題を切り出すことにした。

 

「そういえば、先日のオーディナル・スケールのイベントに参加していた、ランク二位のプレイヤー、エイジについてなのですが……もしや、SAO生還者なのではないでしょうか?」

 

「!」

 

和人が何気なく口にした言葉に、驚いたように目を丸くする明日奈。その反応を見た和人は、明日奈もまた、同じことを考えていたのだと直感する。

 

「……実は、私もそう思ったんだ。とはいっても、本人かどうかは分からないんだけど……」

 

「もしや、血盟騎士団に所属していたプレイヤーですか?」

 

核心を突くような和人の問い掛けに、明日奈は再び驚いた表情を浮かべる。その非常に分かりやすい反応から、和人の中で先程の直感が確信へと変わる。それと同時に、話の流れが自分にとって有利な方向に進んでいることも。

 

「和人君、もしかして彼に会ったことあるの?」

 

「俺も短期間とはいえ、血盟騎士団に所属していた身でしたから。直接話したことはありませんでしたが、ギルドホーム内で見た攻略組以外の団員の中に、あのエイジというプレイヤーに似た顔があったことを思い出したんです」

 

「そっか……そういえば、和人君も血盟騎士団に入ってたことがあったんだよね」

 

すっかり忘れていたよ、と苦笑する明日奈の顔を見ながら、和人は問題の人物たるエイジについての情報を明日奈から引き出すべく、さらに思考を走らせる。

和人が明日奈の誘いに乗ってデートに来た本当の理由は、今回の事件の容疑者である可能性が濃厚な人物、エイジこと後沢鋭二のことを聞き出すためである。竜崎が藤丸と協力して警察のネットワークに潜り込んで調べた情報によって、SAO生還者であるエイジは当時『ノーチラス』というプレイヤーネームでSAOにダイブしており、事件終息時における最終所属ギルドは、明日奈ことアスナと同じく攻略ギルドの血盟騎士団だったことが分かったのだ。そこで和人や竜崎は、当時同じギルドに所属していたメンバーならば、何か情報を持っているのではと考えたのだ。無論、情報を得るだけならば、明日奈でなければならない理由は無い。和人と共に捜査をしている新一とて、元血盟騎士団団員である。しかし、エイジことノーチラスは、当時攻略組のメンバーに属さず、ギルド内でもあまり目立たない存在だったために、コナンこと新一との関わりは無かったのだった。そこで情報源として有力視されたのが、明日奈だった。当時副団長を務めていた明日奈ならば、ギルドの所属メンバーの事情をある程度は把握していた筈であり、エイジが今回の事件に加担する同期に関する情報を何か知っている可能性が高いと考えたのだ。

事件の捜査のために、自身への好意を利用することについては、和人と言えども罪悪感を全く覚えないというわけでは無い。だが、クラインのような被害者が出ている現状では、手段を選んでいる場合ではないと割り切って今回の作戦に臨んだのだった。

 

「けど、ちょっと信じられないんだよね……」

 

「というと?」

 

「それが彼、SAOにいた頃とは全然雰囲気が違うの。当時はノーチラスっていう名前で、真面目な性格で素質も十分にあったんだ。けど……死の恐怖を克服できなくて、一度もボス攻略戦には参加できなかったの」

 

「成程……」

 

「だから、この前会った時には、本当に驚いたんだ。プレイスタイルは全然違うし……それにまさか、ARゲームで和人君みたいな動きができるなんて思いもしなかったから……」

 

「でしょうね。しかし、声はかけなかったんですか?」

 

「うん。今更リアルで会っても喜ばれるか分からないしね。でも、同じギルドメンバーだったから、ちょっと気になっちゃって」

 

「流石は元副団長さんですね」

 

「もう!」

 

からかうように和人から投げかけられた言葉に、頬を膨らませる明日奈。その態度に、和人は表面上のみだが苦笑を浮かべた。

 

(血盟騎士団に入れる程の実力がありながら、戦闘が儘ならない程の死の恐怖……恐らくそれが、エイジというプレイヤーが行動を起こした動機に繋がる鍵になるかもしれんな……)

 

明日奈から得られた情報をもとに、分析を重ねていく和人。今まで、経歴からしかその動機を類推することができなかったエイジだったが、明日奈の話を聞いたお陰でその人物像や、心の中に秘めた闇というものが徐々に浮き彫りになっていく。

その後も和人は、明日奈と何気ない会話を続けながら、エイジに関する情報をさり気なく、しかし着実に聞き出し、収集していくのだった。

 

 

 

 

目の前の明日奈をはじめとした、信頼できる仲間達を除け者にした状態で、今まで強く――時には涙ながらに――言われてきた、無茶をするな、もっと他人を頼れという、言葉に背き、一人密かに動いていることに対する後ろめたさを隠しながら――――――

 


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