ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
「電人HAL……だと?」
目の前のスクリーンに映し出された男が口にしたその名前を反芻するように呟いたのは、イタチだった。対する男――電人HALは、イタチをはじめとした面々の驚愕を露にした反応に満足した様子で、現実の人間さながらに口元を歪めながら再び話し始めた。
『如何にも。私は春川英輔の分身として作られたプログラム。そこにいる少年や、そこの小さなお嬢さんと同じ、現実世界に肉体を持たない電子の人間――電人だ。そして君達が今追っている、オーディナル・スケールを舞台とした一連の事件を引き起こした元凶でもある』
HALが発したその言葉により、全員に緊張が走った。それはつまり、事件の首謀者が、それを追っている名探偵達の捜査本部に乗り込んだことを意味する。相手がプログラムである以上、本体ではないのだろうが、この行動は大胆に過ぎた。
『成程……電人、ですか。それがあなたの正体ならば、我々の捜査本部を突き止め、こうしてこの場所へと姿を見せることができたのも納得ができます』
ワタリの持つ画面越しに、Lの得心したような呟きが漏れた。名探偵Lの所有物であるこの建物は、地下の本部は勿論のこと、地上部分のビルに至るまで、天才ハッカー・ファルコンが構築した強固なセキュリティで固められている。これを破れるのは、ファルコンと同等以上のハッカーか、或いはその手の技術に優れた、電子世界の住人であるユイやヒロキ、そしてHALのような存在以外にはあり得ない。
「それで、俺達に追われる身である筈のお前が、何のためにこの場に姿を現したんだ?」
「少なくとも、自首するためではなさそうだな」
新一とめだかの言葉に、HALは口元を歪める。どうやら二人――他にも、和人やLも同様――の見立て通りらしい。
『お察しの通り、私が君達に会いに来たのは、そのような目的のためではない。まずは……そうだな。私が差し向けた刺客を見事に退けたことに対する賞賛、祝福といったところか』
「……やはりあの三人は、お前が差し向けたのか」
HALが口にした『刺客』というのが、三田丘の上公園で和人を襲撃した三人を指し示していることはすぐに分かった。
『あの三人……朝永博斗、江崎志穂、小柴達夫は、私を創造した春川が務めていた錯刃大学の研究生であり、この計画の手駒だ。尤も、色々と調整はさせてもらっているがね』
『調整』という言葉が何を意味しているかは、イタチにもすぐに分かった。三人が発揮して見せた恐ろしい程の戦闘能力は、どうやらこの電人が授けたものらしい。一体どんな方法なのか、と一同は思考を巡らせる。馬鹿正直に尋ねたところで種明かしをするような真似はしないだろうと誰もが考えたが……予想に反し、電人はその答えを自ら話しだした。
『彼等は私と春川が開発した『電子ドラッグ』によって身体能力を大幅に向上させられた強化人間なのだよ』
「『電子ドラッグ』だと……?」
『説明するより、見た方が早いだろう。これのことだよ――』
HALはそう言うと、スクリーンにある映像を映し出した。
そこに現れたのは、渦を巻くスノーノイズだった。さらにその中からは、大量の数字やアルファベットで構成された方程式、或いは図形が飛び出してきた。次いで出てきたのは、無数の立方体。それらは寄り集まり、林檎の形を成し……ある筈の無い眼を見開き、それと同時に弾けた。そして再び発生するスノーノイズ。その向こうには、男の……春川を彷彿させる人影が映った。それもすぐに掻き消え、最後には『H』と『A』と『L』を重ね合わせたあの奇怪な文字が浮かび上がり、そこで映像は途切れた。
最初から最後まで意味不明な映像に、一同は一体これは何なんだと訝るばかりだった。そんな中、和人だけは驚愕に目を見開いていた。そしてそんな中、HALの解説が続けられる。
『これこそが『電子ドラッグ』だ。映像の視覚情報を通して、これを見た人間の脳に作用し、脳内麻薬のβエンドルフィンを過剰分泌させることで、理性から犯罪願望を解放し……私の意のままに動く兵士とすることができるのだよ』
HALから齎された情報に、和人以外の会議室に集まった面々に再び緊張が走る。要約すれば、先程の映像の正体は、それを見た人間の脳に作用してHALの意のままに操るための催眠洗脳装置ということになる。
「映像を見た人間の犯罪願望を解放して、その上操るなんて……そんなこと、できる筈が……!」
『できるのだよ。尤も、先程君達に見せた映像は、解像度を低く下げたものだがね。それに君達は、実際にその実例を見ている筈だろう?』
「……」
そんなことは不可能だと狼狽しながら口にした藤丸に対し、HALは得意げな笑みを答えて可能と断じた。HALの言う通り、電子ドラッグによる洗脳を受けていたとされる春川研究室の研究生三人の言動は犯罪者そのものであり、和人を殺傷することに躊躇いは一切無かった。
HALから齎された情報に会議室の中にいた面々は騒然とする。誰もがその事実を受け止め切れずに混乱する中……和人だけは、冷静な表情のままHALの言葉に耳を傾けていた。
(まさかこの世界で、視覚情報を利用した『幻術』を見ることになるとはな……)
それは、万華鏡写輪眼の使い手にして、幻術のエキスパートだったうちはイタチの前世を持つ和人だからこそ分かったことだった。
忍世界における『幻術』とは、目から入る光信号や、耳から入る音等を介して相手の五感に作用し、催眠状態に陥れる忍術である。戦闘時の攪乱や捕虜に対する尋問・拷問に使われていた。
そして、うちはイタチは前者の視覚情報を利用した幻術――特に写輪眼を利用した瞳術――を得意としていた忍者である。視覚に働きかける幻術を前世において知り尽くしていたからこそ……先程の意味不明な映像の正体が、それを見た人間の脳に何らかの影響を及ぼす効果を持っていることを、和人は即座に理解することができたのだ。
『欲望や願望というものは、生物の意思や行動を司る原動力だ。簡単に言えば、その欲望を軸にして、映像を媒介にシナプス作用を組み換え、脳の片隅に別人格を作り上げる。暴力や破壊の願望は、人格の軸にしやすい。それぞれの願望を叶える形で、様々な兵隊を作ることができる。
朝永博斗は人を銃で撃ち殺したいという『射殺願望』。江崎志穂は人を刃物で刺し貫きたいという『刺殺願望』……もとい『貫通願望』。小柴達夫は鈍器で相手の原型を留めないまでに壊したいという『撲殺願望』。いずれも私が彼等に与えた犯罪願望だ。犯罪願望に目覚めた者は、それを実行することに対して理性や倫理観のハードルが無くなるというわけだ』
「確かに、あの三人の様子は完全に常軌を逸していた。それに、解放したのは犯罪願望だけではなさそうだな。加えて、あの連携の取れ過ぎた動き……あれもお前の梃入れか?」
『ご名答。君の考えている通りだよ、『黒の忍』こと桐ケ谷和人。電子ドラッグは、単に犯罪者を覚醒させるだけのプログラムではない。脳から理性の箍が外れるのと同時に、身体能力のリミッターも外れるのだよ。その結果、身体能力は電子ドラッグ服用前の数倍に跳ね上がることとなる』
HALが得意気に説明する内容に、藤丸だけでなく誰もが「そんなバカな」、「あり得ない」と呟いて首を横に振っていた。そしてそれは、その場にいた和人を除く全員の総意でもあった。口には出さないが、HALの言葉を完全には信じられずにいた。
そんな彼等を余所に、HALは得意げな表情を浮かべながら説明を続ける。
『彼等の連携の取れた動きは、オーグマーを通した兵士の一括統制によるものだ。公園の地形を脳内に直接入力し、電気信号で敵と味方、両方の位置と状況を伝えることができる。あの三人はそのお陰で互いの状況を把握し、即座にフォローが行えたということだよ。尤も……完全に状況を把握することができる敷地の広さや補助機能そのものにも限界がある。今回のように、領域外からの狙撃や同等の身体能力を持つ者による単独時の攻撃には対応しきれないし、負傷した場合やオーグマーを外された場合は反応速度が著しく落ちる。探偵Lが雇った狙撃手の存在を想定できず、桐ケ谷和人やその仲間達の身体スペックを見誤っていたことが、あの三人の敗因だったのだろうな……』
自嘲するように話すHALだったが、それを聞かされた会議室内の一同は戦慄していた。確かに今回、和人は仲間の援護を得てHALの刺客を退けることに成功した。しかし、それには狙撃による援護、蘭と真という人並外れた身体能力の持ち主がいたお陰である。和人の負傷も軽くはなく、ギリギリの戦いだったことは間違いない。
「あの三人が発揮した戦闘能力が、お前の開発した『電子ドラッグ』とやらの力だということは分かった。ランク二位のエイジというプレイヤーも、『電子ドラッグ』の服用者か?」
『フフ……どうだろうな。少なくとも、彼はこちら側の人間であるということだけは言っておこう』
「重村教授もお前の共犯者か?」
『そちらも君の想像に任せよう』
スクリーンに向けて鋭い視線を向けながら投げ掛けた和人の問いに対し、不敵な笑みを浮かべながらHALはそう返した。名探偵Lが捜査に乗り出している以上、ある程度の情報を握られていることはHALも先刻承知ということなのだろう。
エイジこと後沢鋭二が共犯としてかかわっていることについては、和人を三人の刺客のもとへ誘導した点から否定のしようが無いが、重村はその限りではない。エイジとは、今は亡き実の娘、重村悠那を通じて知り合っていた可能性が高い。何より、オーグマーの開発や事件の舞台となっているオーディナル・スケールの運営に関わっている以上、限りなく黒に近い状態である。
(いずれにしても、『電人』が味方に付いている以上、現状で二人を犯罪者として取り締まることは不可能、か……)
電脳世界のありとあらゆる情報に干渉することができる電人HALならば、証拠の隠蔽など造作も無い。人間を洗脳できるプログラムを持っているというならば、猶更である。現にオーディナル・スケールにおいて度重なる暴力行為に及んでいるエイジの犯行場面は押さえられていない。結論として、HALの共犯者であるエイジと、共犯者と目される重村を今すぐに拘束することは不可能ということになる。
『さて、君達に対する賞賛はここまでとさせてもらおう。そろそろ、本題に入らせてもらいたいのだが、よろしいかね?』
その言葉に、和人や新一、めだか、そしてワタリの持つパソコンの画面の向こう側にいるLが、その表情を僅かに強張らせる。
視覚を撃退した和人等への賞賛と称し、『電子ドラッグ』の自慢話をすることが目的でないことは、この場にいる誰もが理解していた。電人HALが名探偵Lの本拠地に姿を見せた本当の目的は、ここからなのだろう。
『私がこの場を訪れた目的だが……そうだな、端的に言おう。桐ケ谷和人とその仲間達よ、私と“ゲーム”をしないか?』
「ゲーム、だと?」
HALの口から出た予想外の言葉に、思わず聞き返す和人。あらゆる電子機器や情報を支配する人工知能を開発し、『電子ドラッグ』という強力な洗脳兵器まで用いてまで進められてきた、春川英輔ことHALと重村が立てた計画である。ここに至って、このような愉快犯めいた提案を出すとは到底思えなかった。
『君達も知っての通り、私が現在オーディナル・スケールを舞台に進めている計画には、君達SAO生還者の参加が不可欠だ。だが、水面下で進めている私の計画の存在を知った以上、君達が今後、オーディナル・スケールのバトルイベントへの参加に消極的になることは自明の理だ。他のSAO生還者にも参加を控えさせるよう触れ回ることも容易に想像できる。だからこそ、君達が是が非でも参加しようとする条件を付けたゲームを提案したというわけだ』
「……オーディナル・スケールのバトルイベントに、何か仕掛けでもするつもりか?」
HALの言うゲームが、オーディナル・スケールにおけるアインクラッドフロアボスとのバトルイベントを指していることは間違いない。問題なのは、和人等が参加を余儀なくされるような条件である。電子ドラッグで洗脳した学生を刺客として差し向けられた以上、警戒を緩めることはできない。誰もが緊張した面持ちでスクリーンに映るHALを凝視する中、当人は相変わらずの余裕に満ちた表情を浮かべていた。
『なに、君達が心配しているように、一般人を巻き込み、危害を加えようというわけではない。そんなことをすれば、流石にオーディナル・スケールのイベントの存続、ひいては私の計画が台無しになりかねないからね』
「なら、貴様の言うゲームとやらは、どんな提案なんだ?」
『今までのルールを変更しようというわけではない。そうだな……ゲームの詳細を説明する前に、君達にはこちらの情報を教えておいた方が良さそうだ』
HALがそう言った途端、スクリーンには再びスノーノイズが走った。五秒ほどで止んだ後のスクリーンに映し出されていたもの。それは、地に伏した体勢のライオン――ギザの大スフィンクスを彷彿させるデザインをした、彫像だった。尤も、現実世界のそれはライオンの身体と人間の顔を持っているのに対し、こちらは顔が黒くのっぺりとしているが。それが“三体”、横に並んでいた。
『これらは私を護るサポートプログラム『スフィンクス』……電脳世界における私に対するありとあらゆる干渉を遮断する無敵の防壁だ。これさえあれば、譬え世界最強の天才ハッカーや、そこにいる私と同じ人口知能やそれに類するプログラムは勿論、どれ程人知を超えた存在であろうとも、私まで辿り着くことはできないのだよ』
会議室のスピーカーから、HALの音声による説明が響く。その自信満々な声からして、ハッタリの類ではないのだろう。
「……それで、電脳世界におけるお前を護る防壁が、お前の提案するゲームとどういう関係があるんだ?」
『簡単なことだ。君達が私のもとへ辿り着き、計画を破綻させるために邪魔な障害であるスフィンクス……これを取り除くことを、ゲームの報酬にしようということだ』
その言葉を聞いた一同は、再び騒然とする。当然の反応である。計画を確実に遂行させるためとはいえ、自身の身を護るための防衛プログラムを報酬に差し出すというのはリスクが大き過ぎる。そもそも、仮にHALの言うゲームに乗ったとして、その報酬が本当に齎されるかも怪しい。
「……仮に俺達がお前のゲームを制したとして、その報酬として『スフィンクス』が取り除かれる保証がどこにある?」
『疑うのも無理は無い。だが、君達への報酬を保証することはできる。今回のゲームの仔細を聞けばね』
和人を筆頭に誰もが疑惑の目を向ける中、HALは変わらぬ口調でそのまま説明を続けた。
『私が提示するオーディナル・スケールのバトルイベントは全部で三回。出現するアインクラッドのフロアボス三体はそれぞれ、スフィンクス三体の本体データを構成するリソースを供出している。よって、スフィンクス三体とフロアボス三体は謂わば運命共同体だ。フロアボスに危険が生じれば、スフィンクスにもその影響が波及する』
「つまり、フロアボス討伐を成功させれば、お前を護るスフィンクスも諸共に消滅するというわけか」
『その通りだ。スフィンクスに護られている私の居場所を暴くことはできないが、スフィンクスとフロアボスの繋がりくらいは君達の力でも確認することができるだろう?そうすれば、私の提示した報酬が嘘ではないことが証明できる筈だ』
HALの言うように、藤丸やヒロキ、ユイの力を使えば、イベントに出現するフロアボスとスフィンクスがリンクしていることを確認することは容易い。そして、フロアボス討伐の報酬としてスフィンクスの排除が確約されるのならば、HALのゲームに乗る価値はある。
『だが、この私の生命線……いや、計画成功の是非を賭けている以上、こちらも本気で君達を仕留めにかからせてもらう。君達の相手には、アインクラッドフロアボスの中でも無類の強さを持ち、SAO事件当時においても攻略組に多大な犠牲を出した“とっておき”を用意させてもらうつもりだ』
「まさか……!」
SAO事件において、和人等攻略組が倒したアインクラッドのフロアボスは、合計七十五体。その中でも無類の強さを持ち、攻略組プレイヤーを多数屠った、HAL曰く“とっておき”の強敵が“三体”……
当時、攻略組に所属して最前線で戦っていた和人や明日奈、めだか、新一といった面々は、そこまで聞いたところでHALが自分達に差し向けようとしているフロアボスの正体がすぐに分かった。
『その様子を見るに、どうやら君達も気付いたようだな。ならば、これ以上勿体ぶっても仕方があるまい。君達の察した通り、今回のゲームで君達に戦ってもらうフロアボス……それは、アインクラッドのクォーターポイントを守護していた三体だ』
予想通りの絶望的な宣告に、会議室にいたSAO生還者達に戦慄が走った。クォーターポイント……即ち第二十五層、第五十層、第七十五層を守護していたフロアボスは、それまでに攻略してきたフロアボスとは一線を画す、異常な程の強さを持っていた。
第二十五層のフロアボス攻略戦では、殺人ギルド『笑う棺桶(ラフィンコフィン)』の暗躍も手伝い、アインクラッド解放軍のメンバーを中心に数十人の犠牲を払った。次の第五十層でも多大な苦戦を強いられ、危うく死者を出すところだったものの、和人ことイタチのユニークスキル『二刀流』がその威力を遺憾なく発揮したことで、犠牲者は出なかった。最後の第七十五層では、イタチを筆頭に歴戦勇者達が総力を挙げて挑んだにも関わらず、十四人もの死者が出た。
それを、システムアシストやアバターのステータス補正が使えないオーディナル・スケールで討伐するとなれば、その難易度は計り知れない。生半可なプレイヤーを寄せ集めただけの集団では、まず攻略できず……多大な犠牲を払うことは必定だった。
『無論、君達にもこのゲームを辞退する権利はある。だが、スフィンクスを排除できるチャンスはこれが最後だと思ってもらおうか』
「それはどうかな?」
最早HALの提案を受け入れ、ゲームへ参加する方向へと会議室内の空気が傾きかけていた中――藤丸が異議を唱えた。
「お前を護る『スフィンクス』とやらは、ただのコンピュータにインストールできるようなプログラムじゃない筈だ。あらゆるハッキングを撥ね退けることができるというのなら、最高レベルの処理速度が必要になる。差し詰め、スーパーコンピューター専用アプリってところなんじゃないか?」
不敵な笑みを浮かべて自身の推測を突き付ける藤丸。対するHALもまた、不敵な笑みで答えて見せた。
『中々察しが良いじゃないか。確かにスフィンクスは君の言う通り、スーパーコンピューターにしかインストールできないプログラムだ。だが、それがどうしたというのかね?』
「日本国内でスーパーコンピューターを置いている施設は限られている。ましてや、オーディナル・スケールに登場させる予定のボスをリソースにしているのなら、関東圏内……それも都内でなければならない筈だ。そこまで分かれば、スフィンクスがインストールされたスパコンがある施設も簡単に特定できる」
『ほほう……それで、何が言いたいのかね?』
「簡単なことだ。電子的にお前を攻略できないなら、現実世界から攻め込むだけだ。できるよな、L?」
『……可能かと言われれば、可能ですね。こちらは捜査におけるありとあらゆる可能性を考慮し、相応の道具も人材も揃えています』
そこまで言われて、HALも藤丸が何を言わんとしているのかを察した。要するに、ファルコンお得意のハッキングによる電子的な攻略ができないのならば、現実世界からアプローチして攻略を……もっと具体的に言えば、物理的にスーパーコンピューターを破壊しようと言っているのだ。
『成程。電脳世界では無類の強さを持つ私やスフィンクスも、現実世界ではただの箱……人の手で簡単に破壊できてしまうというわけか』
「スフィンクスさえ取っ払えれば、あとは本丸のお前だけだ。人工知能って言っても、ネットワークの電脳世界をずっと漂っていられるわけじゃねえ。プログラムである以上、どこかのコンピュータに本体を置いておく必要がある。居場所の特定には多少手間は掛かるだろうが、俺やヒロキが力を合わせれば、不可能じゃない。絶対に取っ捕まえてやるぜ」
『藤丸君らしくないやり方ですがね……』
「言ってる場合か。俺だって現実世界からスパコンぶっ壊すなんて策はやりたかねえんだよ」
防衛プログラムの電子的な攻略を諦め、現実世界から物理的にコンピュータを破壊するというやり方を選択するのは、天才ハッカーの名折れとも言える。だが、そんな悠長なことを言っていられる状況でないことも事実。結論として、これが最も合理的で確実な作戦なのだ。
尤も、貴重なスーパーコンピューターを破壊しようと言うのだから、その手段は爆破等の必然的に非合法なものとなることは間違いない。しかし、事件解決のためならば手段を選ばないのが藤丸の雇い主である名探偵Lであり、それはこの捜査に参加している和人も同様である。新一は難色を示すだろうが、事態の重さを鑑みれば、渋々ながら納得してくれるだろう。
「つーことで、お前の提案に乗らなくても、お前がやろうとしている計画をぶっ潰す方法はあるんだ。折角だが、ゲームの誘いはお断りさせてもらうぜ」
フロアボスを討伐することでスフィンクスが消滅するのならば、その逆も然り。スフィンクスをインストールしたスーパーコンピューターが現実世界で破壊されれば、フロアボスのデータも連鎖的に消滅する筈である。そして、フロアボスのデータが消えればHALの提示するゲームそのものも成立しなくなる。
もとより罠であり、圧倒的に不利な条件下で戦う可能性の高いゲームなのだ。避けられるリスクならば、進んで負いたいと思う者は、まずいない。少なくとも、この場にいる人間の中にはおらず……会議室内にいた面々の総意は、藤丸の考えに傾いていた。
『フフフ……確かに、君の言う方法が成功すれば、スフィンクスはおろか、私自身も無力だ。敗北を認めざるを得まい。そう……成功すれば、だがね』
しかし、対するHALは相変わらずの不敵な姿勢を崩さない。自身の提示したゲームが却下され、開示した情報が仇になって自らの危機を招いているにも関わらず、である。
その不気味なまでに余裕に満ちた態度に、和人やLは不穏な気配を感じていた。
「負け惜しみか?俺のハッキングの援護に加え、Lの実働部隊が動けば、スフィンクスの破壊ぐらいは楽勝だぜ」
『……逆に君に尋ねよう。SAO事件を解決に導いた桐ケ谷和人や、その雇い主である名探偵Lを相手するに当たって、現実世界からの攻撃への対策を立てていないとでも思ったかね?』
「何?」
藤丸の呆けたような反応に、HALは満足そうな笑みを浮かべていた。一方、和人や新一、Lはこの事態をある程度想定できていたからだろう。あまり驚いた様子は見せなかった。
『スフィンクスをインストールしたスーパーコンピューターを置いている施設は、私の私兵で警備を厳重に固めている。米軍や自衛隊の特殊部隊でも撃退できるだけの戦力を擁していると自負しているよ』
「……そんな馬鹿な事、ある筈が――」
「……電子ドラッグ、だな」
HALの言葉を否定しようとした藤丸だったが、それより先に和人その答えを口にした。一方のHALは、その不気味な笑みをさらに深めて口を開いた。
『各施設には、電子ドラッグで洗脳し、極限まで身体能力を高められた兵隊が、遠距離狙撃用の銃器と近接戦闘用の刀剣で武装した状態で配備されている。さらに彼等は、スフィンクスによってオーグマーを通して一括統制されている。戦闘能力は、今日君達が倒した春川英輔の教え子三人の比ではないよ』
HALから齎されたその情報に、藤丸だけでなく、和人までもが沈黙した。公園で撃退した三人以上に強力な戦力に護られた施設など、到底突破できるものではない。HALの言うように、特殊部隊を投入しても難しいだろう。
『まあ、施設を護っているのが人間である以上、殺傷すれば無力化することができる。先程提示した、現実世界からスフィンクスを破壊するという作戦も、実行することは十分可能だろう。無関係の、ただ私に洗脳されているだけの一般人を殺すことができれば、の話だがね』
「お前っ……!」
無関係の人間を盾にするやり口に、新一が憤激する。他の面々も、言葉には出さないが内心は同じだった。
『都内のスーパーコンピューターにスフィンクスがインストールされていると知られている以上、最早その場所を隠すことに意味は無いな。スフィンクスの位置情報については君達に教えてあげよう。現地の様子を見れば、私の言ったことが事実であることも確認できるだろうからな』
HALがそう言った途端、会議室にいた全員に対してHALからのメールが届いたことが、オーグマーを通して知らされた。目的のためならば手段を選ばない非道さに対する憤りと、選択の余地が無い程に追い詰められていることに焦燥を感じて沈黙する一同に対し、HALはそのままゲームの仔細について説明を続ける。
『ゲームの開始は三日後だ。時間と場所は、追って知らせる。勿論、君達以外にも、多くのSAO生還者も招待する予定だ。私も楽しみに待たせてもらうよ。それでは――』
「待て」
そこまで言って、通信を切ろうとしたHALに、しかし和人が待ったをかけた。
「電人HAL……お前は、春川英輔の人格をコピーして作られたと言っていたな。それはつまり、お前達が引き起こした事件……水面下で進めている計画というものは、創造主である春川英輔の願望そのものということか?」
『その通りだ……と言いたいところだが、現在進めている計画は春川英輔のとっては前準備のようなものだ。本命の計画は、君達の知らぬ場所で進められている』
HALにとっての本命の計画が別にあるというその情報に、一部の者達は驚愕に目を見開く。オーディナル・スケールの計画ですら膨大なのに、これにも勝る何かをしようとしているのか、と……
「お前達が現在進行形で進めている計画と、こことは別の場所で進めている本命の計画……いずれも目的は同じということか?」
『ああ。その認識で間違いない。だが、本命の計画は今進めているもの程大掛かりなものではない。オーディナル・スケールを舞台とした計画がどのような結末を迎えようとも、その点は変わらない。だから、先々まで心配することは無い』
その言葉に、先程衝撃を受けていた面々は安心したように息を吐いた。どうやら、これ以上事が大きくなることはなさそうだ、と。
『とはいえ、前準備であるオーディナル・スケールを舞台にした計画も必ず成功させる。そのためにも……桐ケ谷和人。君や君の仲間達が持つ“記憶”は、このゲームで余さずいただく。私の……私と春川英輔にとって本命の目的である、“0と1の狭間で生きる”という目的を叶えるには、それがどうしても不可欠なのでな。では、また会おう。『黒の忍』とその仲間達よ』
それだけ言うと、スクリーンに映ったHALの姿はスノーノイズの中へと消え去り、やがては映像を映していたプロジェクターの電源自体も切られた。その後は誰一人として口を開くことができない程の重苦しい空気が、しばらくの間会議室の中を支配していた。