ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
「HAL、そちらの首尾はどうなっている?」
『問題はありませんよ。至って順調です』
和人等がLの捜査本部に集まり、今後の捜査方針を話し合っていたその頃。和人等に宣戦布告を行った電人HALの姿は、HALの創造主である春川英輔と対を成すもう一人の黒幕である、重村の研究室にあった。
重村のもとを訪れたのは、昨日敢行した、名探偵Lが指揮する捜査本部への宣戦布告並びに交渉の結果を報告するためである。
『電子ドラッグやそれによって洗脳した兵隊の存在は、捜査本部の連中にそれなりの衝撃を与えられたことでしょう。そして、私を守護する防衛プログラムであるスフィンクスを賭けたゲーム……彼等は確実に参加する筈です』
「……本当だろうな?」
全て思惑通りであり、何も心配することは無いと話すHALに対して猜疑の視線を送るのは、もう一人の協力者であり実働役のエイジこと後沢鋭二だった。
『勿論だとも。確かに、ゲームの報酬に相当するスフィンクスの除去については完全には信用してもらえなかっただろう。だが、イベントにはSAO生還者を大量に招致すると言っておいた以上、彼等は犠牲者を減らすために参加せざるを得ない。相手がクォーターポイントのフロアボスともなれば、猶更だ。犠牲者を減らし、我々の計画を止めるためにも、彼等は参加せざるを得ない』
宣戦布告を行った相手である、Lや和人といった者達の動向に対するHALの推測は、非常に正確なものである。事実、和人等はHALの提示したゲームへ参加する方針を固めているのだから。
『スフィンクスの除去も、最初のイベントがクリアされれば事実であることが証明される。報酬が事実であると知れば、向こうもイベントの攻略に精力的になる筈だ』
「それで……仮に奴等が、あんたの提示したゲームイベントを全部クリアしたらどうするつもりだ?黒の忍の記憶データ無しには、データの不具合を修復できないんだろう?」
『抜かりはない。クォーターポイントのフロアボスは、回を重ねるごとに強くなる仕様だ。それに、行動パターンもいくらか改良しておいてある。黒の忍と呼ばれた彼といえども、クリアするのは極めて困難だ。それに……黒の忍のデータが入手できなかったとしても、問題は無い』
「どういうことだ?」
『桐ケ谷和人の記憶に関しては、最悪の場合は切り捨てれば良い。仮にその目論見が失敗したとしても、私が提示したゲームをクリアするのに、彼等が必死になるのは必定だ。である以上、戦力の出し惜しみはできなくなる。結果、彼等の仲間であるSAO生還者の参加者は増え、犠牲者もまた必然的に増える。計画に必要なデータ収集には困らないというわけだよ』
HALの計略において重要なのは、提示したゲームに和人等を引きずり出すこと。結果がどちらに転んだとしても、計画に支障は全く生じないのだ。そんな完璧とも呼べるHALの計画に、不信感を抱いていた鋭二もそれ以上否定的な意見を唱えることはできなかった。
「あんたはどうするんだ。万一、クォーターポイントのフロアボスが全滅するようなことになれば、スフィンクスも消滅して、あんたは丸裸同然になるんだろう?」
『おや、君が私の心配をしてくれるとはね。だが、そちらも対策済みだ。スフィンクスとは別に、この身を護る最後の砦がある。計画を成し遂げるまで、私は捕らわれるつもりも、滅ぼされるつもりも無い』
自身を守護するプログラムをベットするゲームを開催しておきながら、保身の策まで用意しているHALの計略は、どこまでも抜け目が無かった。柄にもなく、常日頃から胡散臭いと思っていた相手を心配してしまった鋭二は、軽く後悔していた。
『ともあれ、桐ケ谷和人とLが率いる捜査本部については、私が引き受けた。警察や政府の動きもこちらである程度押さえておこう。そちらは、計画の最終段階に向けた準備を頼む。では、私はこれで……』
必要なことは全て伝えたと判断したHALは、その身にノイズを走らせて、その場から自身のアバターを消し、その場を去っていった。
「重村教授、奴のゲーム作戦は成功するんでしょうか?」
「ゲームの成否は計画の大勢に影響しない。彼が言ったことは事実だ。ここは彼に任せて、我々は我々の仕事に取り掛かるとしよう」
重村としては、HALが開催するゲームの成功・失敗に対してはそこまでの関心は無い。和人の記憶を再スキャンするという目的もあるが、それだって是が非でも必要というわけではない。HALが出張ることとなった大元の目的である、計画を支障無く最終段階へ進めるまでの間、捜査を攪乱するための時間稼ぎさえできれば良いのだ。
「……そもそも疑問に思っていたことなのですが、何故、ここまで手の込んだ手段を講じなければならないのでしょうか?奴の持っている電子ドラッグでSAO生還者を洗脳して、フロアボスに攻撃させれば良かったのではないですか?」
「君の言う方法ならば、確かに効率的にスキャンできただろう。だが、それでは精度の高いデータは期待できないのだよ」
「どういうことです?」
電子ドラッグを利用した記憶収集方法には問題があるという重村の言葉を訝る鋭二。重村は溜息を吐きながら説明を続けた。
「……記憶データをスキャンするには、脳のコンディションは可能な限り自然体である必要がある。電子ドラッグによる洗脳を行えば、情動や感受性に著しい影響が出る。その結果、スキャンにエラーが生じるリスクが生じるということだよ」
「電子ドラッグを使用している僕には、何も問題は無いようですが……」
「君に使用しているのは、HALが君専用にカスタマイズした特製品だ。身体能力を大幅に向上させながらも、理性を残しているのは、君の脳に合わせた調整を行っているからだ。現に君は他の兵士とは違い、HALに洗脳されていないだろう?」
重村の言葉に、確かにと呟く鋭二。春川英輔とHALには計画の当初から疑念を抱いており、彼等が作った電子ドラッグにも同様の印象を抱いていた。使用をするに至ったのは、鋭二が信頼を置く重村のお墨付きだったからに他ならない。洗脳を受けていないことについては、あまり深くは考えていなかったが、こうして改めて説明を受けると納得できる。
「そのような理由で、オーディナル・スケールのイベントを開催し、SAO時代を彷彿させるシチュエーションとしてはできる限り自然な形で、死の恐怖を目覚めさせようとしたわけだ。他に何か、聞きたいことはあるかね?」
「……もう一つ、良いでしょうか?HALは……いえ、春川教授は、我々の計画に協力することで、何を得ようとしているのでしょうか?」
重村と鋭二が進めている計画遂行に当たって講じている手段は、明らかな違法行為である。表沙汰になれば、教授という地位を失うことは勿論、犯罪者として刑務所へ送られることは間違いない。重村と鋭二にはそれを覚悟の上で計画を遂行するだけの理由と覚悟があるが、春川は一体、何のために協力しているのか。電子ドラッグ同様、重村が信頼を置いているという理由で、疑念を抱きながらも行動を共にしてきたが、ふとここに至って鋭二は気になっていた。
それに対し、重村は一度瞑目すると、神妙な面持ちで口を開いた。
「詳しい説明は避けさせてもらうが……彼の最終目的とそれを成し遂げるための手段は、私達と同じだ」
「それは、まさか……」
「そして、計画を実行するためのリソースは、“彼自身”だ」
重村からの説明に、鋭二は信じられないとばかりに目を大きく見開いた。重村が口にした、春川英輔とHALが行おうとしている計画を、現在進めている計画に当て嵌めた場合……春川英輔は、その命を計画実行の代価にすることを意味しているのだから。
「彼には私達と行動を共にするだけの理由と覚悟がある。私が彼に信頼を置いているのも、それが最大の理由だ。話はこれで終わりにする。さあ、行きたまえ」
「……分かりました」
重村のこれ以上無い程に真剣な顔を見た鋭二は、それ以上の問いを重ねることはしなかった。最終目的が同じだと言うのならば、自分達のように法を犯すだけでなく、自身の命を賭してでもこの計画に拘るのも納得できる。それだけの覚悟があるのならば、裏切りなどあり得ないだろう。
計画も最終段階が近づいている中、裏切り等を警戒して協力者へ疑念を向け続けているわけにもいかない。鋭二の中では、全幅の信頼を置くとまではいかなかったが、春川とHALを同志として認めることだけは、心に決めるのだった。
2026年4月29日
電人HALからの宣戦布告から三日が経ったこの日。一連の事件を捜査しているL率いる捜査本部のメンバーの一人である和人の姿は、文京区にある東京ドームシティにあった。現在時刻は八時三十分。既に日も暮れており、辺りは夜の闇に包まれている。
だが、ドーム前の広場にいる人の数は、減るどころか増えていた。そして、その場にいる彼等彼女等の共通点は、オーグマーを装着していることである。
「相当派手に宣伝したようだな。予想以上にプレイヤーが集まっている」
『今、ここに集まっている人の中で、オーディナル・スケールを起動している人のアカウントを調べてみたけど……SAO生還者はかなりの割合でいるね。和人君を除いて、三十人は下らないだろうね』
これまで参加したイベントとは比にならない参加人数をヒロキから知らされ、和人は僅かに顔を顰める。これから相手するのは、アインクラッドフロアボスの中でも無類の強さを持つ、クォーターポイントの守護者である。『二刀流』という強力無比なユニークスキルを使えた当時でも、かなりの苦戦を強いられた相手である。
それを今回、現実世界の身体能力と規定範囲内の武装・スキルしか使えないオーディナル・スケールで倒さなければならないのだ。SAO事件当時がそうであったように、今回の戦闘でも相当な犠牲者が出ることが予想された。
「それでも、放置するわけにはいかないんでしょ?それに、今回の事件を解決するには、どうしてもクリアしなきゃいけないんだから、やるしかないわ」
これから行われる戦いで大量の犠牲者が出ることと、それを止められないことに歯噛みした様子の和人に対して励ますように声を掛けたのは、詩乃だった。先日の会議をきっかけに捜査メンバーに加わった彼女は、和人をフォローするために今回のイベントへ参加すべく彼に同行していたのだった。
「時間まではあと二十五分くらいね。残りのメンバーは、いつ頃到着するのかしら?」
『さっき、それぞれの端末位置情報を調べてみたけど、皆今こっちに向かっているところだね。あと十分もすれば、皆揃うと思うよ。捜査メンバーの中では、最初に到着するのは蘭さんと京極さんじゃないかな?』
「捜査メンバーの中では?」
ヒロキが口にした表現に、何か引っ掛かるものを覚えた和人。その意味を問い質そうとした時……
「和人君!」
和人に声を掛ける人物が現れた。声のした方を振り返ると……そこには、明日奈がいた。その肩にはナビゲーション・ピクシー姿のユイが乗っている。後ろには、めだか、里香、圭子が立っていた。
四人と一人の姿を見た和人は、溜息を吐きながら額を押さえた。和人の隣に立つ詩乃とヒロキは、やれやれと肩を竦めていた。
「明日奈さん……どうして来たんですか?」
「そんなの決まってるでしょう。私も戦うためよ」
「……先日の会議の時に説明したことを、もうお忘れになったんですか?」
HALからのゲームの提案があった翌日。Lの調査結果や、イベントでHP全損したSAO生還者達の状況について情報を共有した会議において、和人は明日奈等SAO生還者に対して、今回の事件から手を引くようにと要請を行った。
主な理由は二つ。一つ目は脳をスキャンされることによる記憶障害の危険から、明日奈達を遠ざけるため。二つ目は、犠牲者が発生することで重村と春川が水面下で進めている計画が進行することを防ぐためである。加えて、HALは電子ドラッグで洗脳した兵士を銃器で武装させている。先日のように、和人等SAO生還者を直接的な攻撃を仕掛けて来る可能性もゼロではないのだ。
最悪の場合は、怪我程度では済まない……命の危険すら伴うこの危険な捜査から、一般人の域を出ない明日奈等を遠ざけようとするのは、当然のことと言えた。
「あんな説明だけで、納得できるわけないでしょう。和人君だけ危険な目に遭わせて、どうして私達だけ安全な場所でのうのうとしていられるのよ」
「私達を巻き込まないためとは、実にお前らしいが……しかし、だからといって私達とて引き下がるつもりはない」
しかし、和人の願いに反し、明日奈もめだかも、それを聞き入れるつもりは毛頭無いという。そしてそれは、二人の後ろにいる里香と圭子も同じであり、同意するように頷いていた。
対する和人は、予想できていたことながら頭が痛くなる思いだった。先日の会議の場でも、何とか引き下がってもらうべく強く訴えかけたが、まるで聞く耳を持ってもらえなかった。とはいえ、和人とてこのまま了承することはできない。
(やむを得ん、か……)
説得は不可能と判断した和人は、ここは強引に、実力行使に踏み切り、意識を刈り取るしかないと判断を下す。そして、意を決して明日奈達の方へと一歩踏み出そうとする。対する明日奈達は、やや物騒な空気を纏い始めた和人に対し、その表情を緊張させる。そんな彼女等に対し、和人はさらに近づき――
「和人君、そこまでよ」
ふと、和人の方へ声を掛ける人間が現れた。和人がゆっくりと振り返ると、そこには蘭が立っていた。その隣には、真の姿もある。二人揃って和人へ呆れたような視線を向けており、和人が何をするつもりだったかを察していた様子だった。
「蘭……」
「いくら明日奈ちゃん達のためでも、それは駄目。力尽くじゃ、何も解決しないわよ」
蘭からかけられたその言葉に、和人はばつの悪そうな表情を浮かべて眼を逸らした。そのやりとりを見て、明日奈等は和人が自分達を強引に気絶させようとしていたのだと知り、冷や汗を流していた。
「……俺だって、好きでやろうと思ったわけじゃない。これ以外に明日奈さん達にこの場を退いてもらう方法が無いだけだ」
「それは和人君の主観でしょう?強引な手段で遠ざけても、彼女達は諦めないわ」
「諦める、納得するの問題じゃない。SAO生還者の参加を認められないと言っているんだ」
明日奈等が維持でも参加する意思を取り下げないと言っているのと同様に、和人は何が何でも明日奈等を参加させまいとしていた。双方ともに一歩も譲らず、三日前の話し合いから今日に至っているのだ。そんな和人に、蘭は溜息をこぼす。
「……私と出会ったばかりの頃の和人君を思い出すわ。あの頃は、自分の抱えている事情に周りを危険に巻き込まないために、私や直葉ちゃんを頼るどころか、話もしてくれなかった」
「俺が明日奈さん達の参加を認めないのは、危険だからだ。今も昔も関係無い。それに……別に、俺はあの頃から何も変わってはいない」
「そんなことは無いわよ」
和人の言葉を、蘭は首を横に振ってきっぱりと否定した。まるで、それこそあり得ないと言わんばかりである。
「私が和人君と会った時は、大変なことほどいつも一人で背負い込んで、私達のことは除け者にしていた。けれど、最近は私達のことを少しは頼ってくれるようになったと思う」
「蘭の言う通りだな。以前のお前ならともかく、最近のお前は私達のことも信頼してくれるようになっていた。少なくとも、SAO帰還者だからという理由だけで、ここまで頑なに私達を拒絶することはなくなっていた筈だ」
蘭を援護するめだかの意見に、明日奈とユイ、圭子、里香が頷く。ヒロキも内心は同じことを思っているらしく、やれやれと肩を竦めていた。真だけは、和人との付き合いが短いために、どちらにも同意できずにいた。
対する和人は、誰一人自分に味方してくれる人間のいない状況下に置かれ……しかし、どうにかして退かせることはできないかと未だに思案を続けていた。
「もしかして……SAO事件の記憶が無くなったことと、関係があるの?」
「………………」
明日奈が不安そうな表情で口にしたその言葉に、和人は何も答えなかった。否……答えられなかったのだ。
先日のイベントにおいてHPを全損した和人に対して行われた脳内スキャンは、不完全な形で終わった。だが、記憶の欠如は確かに起こっているのだ。今一番必要とされていると目されるフロアボスとの戦闘をはじめ、攻略組として最前線で戦っていた時のことは、ほぼ思い出せる。だが、攻略から離れていた時間の記憶の中には、思い出せないものが多くあった。
確実なことは言えないが、事件当時の非日常の中にあった日常と呼べる記憶の欠損が、自分の内面に影響を与えているのかもしれない。
(以前の俺、か……)
蘭とめだかから指摘されて気付いたこともある。今の自分とSAO事件後の自分を比較すると、確かに違和感を覚える。
SAO事件後、和人がイタチとして解決に導いたALO事件とGGO事件こと死銃事件。それぞれの事件で知り合った者達に絶剣ことユウキを加えたパーティーで攻略した、エクスキャリバー獲得クエスト。そして、ユウキとスリーピングナイツのメンバー達との関わり……
ALO事件あたりはあまり問題に思わなかったが、後半に進むにつれて、違和感は大きくなっていった。それは、自分自身の言動とは思えず……まるで他人の記憶を擦り込まれたかのように思えてしまう程だった。自分はどうしてこれ程までに、他人に気を許すようになってしまったのだろう、と――――――
(今の俺は、変わった……いや、戻ったと言うべきなのかもしれんな)
和人自身、何を忘れてしまったのか自体が思い出せない。だが、失われた記憶は今の――正確には、先日までの――自分を作る上で、かけがえの無い非常に重要な要素となっていたことは間違いない。それが欠損したことで、考え方がSAO事件当時、あるいはそれ以前の……忍世界を生きた、うちはイタチへと戻っているのだろう。
「……そろそろ時間だな。皆、オーディナル・スケールを起動して準備に入るぞ」
「そうね……」
和人が明日奈からの問いに対して返答に窮している間に、既に時刻はイベント開始まで十分前となっていた。最早ここに至っては、明日奈等を説得して退かせる時間は無い。やむなく和人はオーディナル・スケールを起動し、仲間達とともにイタチとして臨戦態勢を整える。
そして、仲間との連携を打ち合わせる中で同時に思う。失われた記憶は、必ず取り戻さねばならないと。胸にぽっかりと大きな穴が開いたかのような喪失感が、自身にそう訴えかけてきていることを、和人は感じていた。
『ガジャァァァアアア!!』
イベント開始時刻の九時へと至ると同時に、東京ドームシティの広場に現れた巨大な影。十数メートルの巨体に、硬質な印象を与えるごつごつとした鎧のような皮膚。右は赤眼、左は青目の双頭であり左右半身の胸部には瞳と同色の血管のようなものが走っている。両手にはそれぞれ巨大な大剣を持つ巨人である。
「アインクラッド二十五層フロアボス――『ザ・ツインヘッド・タイタン』!」
SAO事件当時において一際多くの犠牲者を発生させた、第一のクォーターポイントのフロアボス『ザ・ツインヘッド・タイタン』。当時と変わらない巨大かつ強大なその威容に、SAO生還者を含めたプレイヤー達は思わず立ち竦んでしまう程だった。
「皆、散開しろ!タンクは両サイドへ展開して防御だ!」
「頭はそれぞれ別のAIで動いているから、それぞれ離れさせて!一カ所に固まっていると、連撃が来るわよ!」
強大なボスモンスターを目の当たりにして呆けた状態のプレイヤー達へ、イタチとアスナが素早く指示を送る。イベントに参加していたSAO生還者のプレイヤー達の中には、『閃光』のアスナを知る者も多くいたことに加え、アスナの指揮官適性の高さのお陰で、即席のレイドながら動きは上手くまとまりつつあった。
(奴の攻撃力は、まともに受け続ければすぐにHPが尽きる。防御は最小限に、回避盾が前に出なければ……)
大剣の一撃がまともに入れば致死レベルであることはSAO事件でも確認されている。それが左右連撃で繰り出されるのだ。まともに受けようものならば、到底防御し切れない。故に、左右両サイドに展開して攻撃を分断する必要があるのだ。しかし……
「どけぇっ!俺が食らわせてやる!」
「いや、俺がやるっ!!」
その場に集まったプレイヤーで構成された即席レイド故に、全員が全員、イタチとアスナの指示に従って動いてくれるわけではなかった。事情を知らないプレイヤー達の中で、スタンドプレーを好む者達は、連携そっちのけでボスへダメージを与えるために好き勝手に動き回っていた。そして、そんなプレイヤーたちに触発されて、アスナの指示に従っていた者達が浮足立ち始めていた。
『ガガガジャァァアアアアッッ!!』
「皆、伏せろ!」
激しい咆哮とともに繰り出される、双頭双極の巨人の右手に持った大剣から放たれる剣戟。横薙ぎに繰り出された一撃は、単純ながら速く、並大抵のプレイヤーでは反応するのは難しい。ましてや、スタンドプレーに走ろうとしていたプレイヤーもいる中では、和人が指示を出しても、回避行動に移れないプレイヤーが複数出て来るのは自明の理だった。
「ぬわぁっ!」
「うおわっ!」
イタチの指示に対して反応し切れなかったプレイヤー二人に、大剣の薙ぎ払いの一撃が直撃し、その胴体に赤いダメージエフェクトが真一文字に刻まれる。
『ガッジャァァアアアッ!』
「横へ跳べ!振り下ろされるぞ!」
だが、巨人の攻撃はこれだけで終わらない。今度は左手に持った大剣を天高く振り上げる。地面に伏せて先の剣戟を回避していたプレイヤー達が多く密集している場所目掛けて、今度は垂直に振り下ろそうとしているのだ。攻撃範囲は狭いながらも、威力はこちらの方が上。しかも、得物が巨人サイズの大剣なのだから、攻撃範囲は侮れない。
すぐさま反応したイタチが再び指示を飛ばすも、何名かのプレイヤーは満足に動けていない。そんなプレイヤー達目掛けて、巨人の大剣が振り下ろされる。プレイヤーが密集していた場所を狙ったのだろう。今度は三人のプレイヤーが直撃を受けて、その身にダメージエフェクトを刻まれていた。
先程の横薙ぎの攻撃を受けたプレイヤーと合わせて五名のプレイヤーが、HPを全損してアバターが解除される。それと同時に、内二人のプレイヤーのオーグマーから光球が飛び出し、上空を飛んでいたドローンへと吸い込まれていった。どうやら、SAO生還者だったらしい。
「アスナさん!皆を下がらせてください!」
「ええ!」
このままでは、犠牲者が増えるのみである。そう判断したイタチは、アスナへ一時撤退を要請する。プレイヤー達も、一度に五人もの仲間がやられたことで頭が冷えたのだろう。アスナの指示に従い、巨人から距離を取り始めた。
一方のイタチは、回避盾として巨人を足止めすべく、一人その場に残っていた。
『ガァアジャァアッ!!』
イタチの狙い通り、巨人は自身から見て最も近くにいるイタチへと狙いを定めた。SAO時代のようにステータスやソードスキルのシステムアシストは受けられないが、桐ケ谷和人の運動能力ならば、回避盾としての役割は十分果たせる。
(ある程度時間を稼げれば、アスナさんのレイドも立て直しもそろそろ完了する筈だ)
あれだけ戦いから遠ざけようとしていただけに、アスナの力を借りることに対して非常に心苦しく思っていたイタチだったが、ことここに至ってはそのようなことは言っていられない。せめてイタチにできることは、アスナを巨人の大剣が届く範囲外へと離脱させることくらいだった。だが、大剣の攻撃を三回程避けた、その時だった。
『ガァァッ………………!』
「何――っ!?」
巨人の右半身の胸部が、空気を吸い込んだかのように膨らみ始めたのだ。しかも、胸に走っている赤く浮き上がった血管が光を増している。その異変にイタチはまさかと驚愕に目を見開く。そして、次の瞬間――
『ガァァアアアアッッ!!』
巨人の右頭部から、火炎ブレスが放たれた。放水のように遠距離まで伸びる火炎は、巨人から見て右方向に展開していたレイドへと直撃した。
「きゃぁああっ!」
「くぅっ……!」
「むぅうっ……!」
燃え広がる人の中で上がるプレイヤー達の声の中に、シリカの悲鳴とリズベット、メダカの呻き声が混ざっていた。HP全損に至ったプレイヤーはいないようだが、少なくないダメージを負わされたらしい。
『ガァァッ………………!』
(今度は左の頭の攻撃……!)
右頭部が火炎放射を吐き終えた直後、今度は左半身の胸部が膨らみ始めたのだ。恐らく、反対側に展開しているレイドを狙うつもりなのだろう。それを察知したイタチは、すぐさま攻撃を阻止すべく行動を開始。ボスの右半身の弱点である、胸部の血管目掛けて剣の刺突を見舞おうとする。だが、
『ガァアジャァッ!』
「ぐっ……!」
巨人の右手に持った大剣が、イタチの行方を阻む。振り回される一撃必殺とも言える威力を持つ大剣に、イタチは接近すら儘ならない状態だった。そうしている内に、左頭部の攻撃準備が完了する。だが、その攻撃方法は右頭部のようなブレスではない。左頭部の周囲に、氷でできた鋭い氷柱のような突起物が発生し始めたのだ。
(まさか、あれは……!)
『ガァァアアアッッ!』
そうして左頭部の咆哮とともに放たれたのは、氷でできた突起物の投擲――氷の矢だった。十五本もの矢が、レイド目掛けて飛来する。
「くっ……!」
「はあっ!」
「せいっ!」
それに対応したのは、標的となったレイドの方にいたアスナ、ラン、マコトだった。三人は細剣による刺突と体術の拳撃、蹴撃で氷の矢を迎撃していた。
「わぁぁああっ!」
大部分は三人の活躍で破壊できたが、位置の関係で対応が間に合わなかった矢が一本あった。それは、プレイヤーの一人の胸部へと命中し、貫通した。HPは急所を貫くこの一撃で全損である。それと同時に、オーグマーからは光球が飛び出した。
(HALの奴……ボスの行動パターンとAIを操作したのか!)
ザ・ツインヘッド・タイタンの双頭が放つブレス攻撃は、ダメージの蓄積による行動パターンの変化によって行われるものである。先程のように、序盤で使われるスキルではないのだ。加えて、氷の矢を放つ攻撃など、SAO事件当時は勿論、新生アインクラッドでも無かった攻撃である。
本来無い筈のこれらの攻撃パターンは、HALによって組み込まれたものなのだと、イタチは即座に見抜いた。恐らく、オリジナルのボスのAIに手を加えたのだろう。
さらに、炎のブレスも氷の矢も、SAO生還者がいる場所、または本人を的確に狙っていた。恐らく、SAO生還者を優先的に狙うようにプログラムされているのだろう。
(厄介な……!)
イタチが直面している戦局は、非常に分が悪い状況だった。
SAO生還者を後ろに下がらせた状態で、自分が回避盾となって攻撃のチャンスを作って畳みかけるという算段が崩れたのだ。大剣の範囲外へプレイヤーを逃がしても、遠隔攻撃が序盤で使える状態では、それも意味を為さない。しかも、SAO生還者を優先的に狙うとなれば、イタチ自身が回避盾として釘付けにし続けるのは難しい。
運動能力に優れるランとマコトに前へ出てもらうという手もあるが、後方のレイドへ放たれる氷の矢を撃ち落とせるプレイヤーがいなくなるのは危険である。
フロアボスイベントには時間制限もある。この状況を、犠牲者を出さずに打破する方法を必死に考えるイタチだが、制限時間内でボスを倒せなければ、スフィンクスの除去はできないのだ。
『ガァァアアアアッ!!』
「くっ!」
そうこうしている内に、巨人の右半身の胸部が再び膨らみ始めた。先の火炎ブレスでかなりのダメージを負ったプレイヤー達に、再び火炎が浴びせられれば、全員HP全損は免れない。それを防ぐために、イタチが再び立ち向かうも、巨人の左手に握られた大剣がまたもイタチを阻む。そして、イタチが攻撃を阻止できないまま、再びの火炎が放たれようとした――――――
「おりゃぁぁあああ!!」
『ガジャハァアアッッ……!?』
その直前だった。威勢のいい叫び声が響き渡ったのと同時に、巨人の体に衝撃が走ったのだ。火炎ブレスを放つために膨らんでいた右半身の胸部は収縮しており、攻撃がキャンセルされていた。
ザ・ツインヘッド・タイタンの攻撃をキャンセルするには、攻撃を発動しようとしている方とは反対側の半身の胸部血管を攻撃する必要がある。だが、それを行ったプレイヤーの姿は見えなかった。
「イタチ!また一人で突っ走ってんじゃねえよ!」
「カズゴ……どうしてここに……!」
一体、誰がやったのか。それを考えるよりも先に、和人から見て死角となっている巨人の左半身後方から、人影が姿を現し、駆け寄ってきた。大剣を担いだ、オレンジ色の髪をした長身の少年――カズゴである。
つい先日、エイジの襲撃で負傷した上、記憶スキャンの影響で記憶障害が生じて入院していた筈の彼がこの場に姿を現したことに、イタチは僅かに驚いた。僅かなのは、カズゴがここに現れた理由と、誰が呼び出したかが、すぐに想像できたからだった。
「決まってんだろ!お前がまた無茶やらかしたって聞いて駆け付けてきてやったんだよ!」
「相変わらずですよね、イタチは。少しは周りを頼るようになってくれたと思ったんですが……」
「まあ、良いじゃねえか。どうしても一人で行くってんなら、何度だってオイラ達の方から手を伸ばせば良いんだからよ。まあ……何とかなるさ」
苛立つように言い放つカズゴに続き、彼と同じく入院していた筈の少年二人――アレンとヨウが駆け付けた。どうやら、二人もイタチの救援に駆け付けたらしい。
『悪いね、イタチ君』
「ヒロキ……やはりお前か」
そこへ新たに、ヒロキが姿を見せる。三人に連絡を取って救援要請を出したのは、イタチの予想通り、ヒロキだったらしい。
「一度スキャンをされたSAO生還者ならば、それ以降にリスクは無い……そういうことか」
『僕としても、できればやりたくなかった手段だけどね。けど、戦力不足を補うにはこれしかないだろう?』
「……分かっている。俺の力だけでは、この戦いがどうにもならないこともな」
ヒロキの言葉に、イタチは力なくそう返した。どれだけイタチが力を尽くしたとしても、戦力不足はどうしても解決できない問題である。リスクを回避した上で解決を図る場合、このような方法しか取れないのだ。
何より、全てを一人でやろうとして失敗した前世を持つイタチである。イタチ自身もそれは身に染みて分かっている筈なのに、今回もまた同じ理由で同じ失敗しようとしていた後ろめたさもあり、ヒロキを責めることはできなかった。
「イタチ君、それは違うよ」
そんなイタチを否定する人物が現れた。イタチが振り返った先にいたのは、中学生と見紛うような小柄な……しかし、実年齢は和人等よりも上の成人男性――シバトラである。オーグマーを装着しており、その服装は、オーディナル・スケールのプレイヤーアバターのものだった。
「シバトラさん……!」
「イタチ君だからこそ、皆、君の力になろうと思うんだ。ほら――」
そう言ってシバトラが指差した方――広場の端の方を見やると、そこにはイタチにとって非常に見覚えのある面々がいた。
イタチやアスナと同じく、SAO帰還者の学校に通う学友達。それ以外にも、クラインと同年代と思われる社会人の姿も散見された。彼等彼女等に共通しているのは、イタチと同じSAO生還者であること……そして、攻略組として轡を並べて数々の強敵たるフロアボスに挑んだことである。
「皆、君を待っている。今度は一緒に、戦おう」
シバトラはそう言うと、イタチへと手を差し伸べた。何故、シバトラや他のSAO帰還者の攻略組がこの場にいるのか。それはイタチにもすぐには分からなかった。ただ一つ確かなことは、イタチは今、一人では為す術も無い窮地に立たされており……それを脱するための突破口が目の前に用意されているということだった。しかしその反面、それを選択することは、自身が守ろうとした者達を危険に晒す行為であり、他でもないイタチ自身の決意に反することだった。
「………………お願いします」
後ろめたさ故の躊躇はあった。だが、最終的にイタチはその手を握るという選択をした。
本来の“うちはイタチ”ならば、取らない筈の選択肢であると、自分自身で思いながら――――――