ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
『ガガッ……ジャァアアアッ……!』
戦闘開始時の威圧感に満ちた咆哮の面影を全く感じさせない、非力な断末魔。それと同時に、長大な大剣二本がガゴン、という鈍い金属音を立てて地面へと落ちた。これを持っていた『ザ・ツインヘッド・タイタン』の巨体もまた、その東京ドームシティの広場の中心にて崩れ落ち……やがてポリゴン片を撒き散らして爆散した。
イベントに参加していたイタチをはじめとしたプレイヤー達の視界には、イベントクリアを知らせるメッセージが表示される。
ワァァァアアアアア!!
その知らせに、プレイヤー達は一斉に湧き立つ。これまでに出現したボスモンスターの中でも、一回りも二回りも強力な相手だっただけに、攻略の難易度は極めて高く、縦横無尽に動き回ったプレイヤー達の疲労は半端なものではなかった。だが、それだけに報酬のポイントもランクアップも、文字通り桁が違っていた。
クォーターポイントを守護するアインクラッドフロアボスの一体、『ザ・ツインヘッド・タイタン』は、ここに斃されたのだった。
(ようやく一体、か……)
ARゲーム故の激しい運動によって乱れた息を整えながら、イタチは多大な犠牲を払うことが必定となる強敵の一体を倒したことに安堵していた。それと同時に、これと同レベル……否、それ以上の強敵をあと二体も倒さなければならないことに対する不安が渦巻いていた。
「やったね、イタチ君!」
周囲が湧き立つ中、一人静かに先程までボスがいた空間を見つめて物思いに耽っていたイタチのもとへ、アスナが駆け寄ってくる。その後ろには、メダカとシバトラをはじめとした、イタチを助けるために攻略の場へと駆け付けた、SAO生還者の元攻略組メンバーの姿もあった。
「ええ。しかし、喜んでもいられません。倒すべきクォーターポイントのフロアボスは、あと二体います。それに……」
そこで言葉を切ったイタチは、後ろの方にいたシバトラの方へと視線を向けた。どうしてここに来たのか、と言いたげなイタチの視線に、当人はやれやれといった表情で肩を竦めるばかりだった。
「シバトラさん……それから他の皆も。本日はありがとうございました。お陰で、犠牲者は最小限に抑えることができました」
「水臭いじゃないか。イタチ君のためなら、このくらいどうってことないさ」
年齢に不相応な、ニカッと得意気な笑みを浮かべて答えたシバトラの言葉に、後ろにいた他の面々も同意するように頷いていた。
「しかし、今回の件については、一度話し合っておきたいと思っています。夜遅くはありますが、この後、お時間いただけますでしょうか?」
「僕は大丈夫だよ。皆はどう?」
シバトラの確認する問いに、元攻略組メンバー達はフッと笑みを浮かべると、
「俺は構わないぜ。俺もイタチに、言いたいことがあったからな」
「僕も良いですよ。カズゴと同じで、イタチに話がありますので」
「オイラも行くよ。要件は……まあ、二人と同じかな」
カズゴ、アレン、ヨウを筆頭として、全員が同行する意思を示した。そんな仲間達の反応を見たイタチは、軽い眩暈を覚えた。先日の会議でアスナ達に行ったように、今回の事件から手を引くように再度説得すべきと考えていたが、絶対に耳を貸すつもりと言わんばかりの顔をしていた。ある意味、先程倒したボス以上の強敵である目の前の面々に対し、イタチはどうしたものかと対応に頭を悩ませていた。
『フム……まさか、本当にクリアしてしまうとは……』
電脳空間の中。自身を守る守護者たるサポートプログラム『スフィンクス』の一体が消滅する様を見ながら、HALは呟いた。驚愕とまではいかないものの、意外そうな表情で、素直に驚いているようだった。
手元に展開したモニターは、東京ドームシティの広場に設置された監視カメラの映像をリアルタイムで捉えたものだった。画面の向こうでは、プレイヤー達がボス攻略の成功の歓喜に沸いていた。
『SAO事件当時の状況から、彼の性格や行動パターンを分析した上でのゲーム設定の筈だったが……まさか、このような展開になるとは……』
今回のゲームをイタチこと和人等に持ち込むに当たり、HALは彼に関する情報を『SAO事件記録全集』や同じSAO生還者であるエイジから収集し、イタチの性格や行動パターンを分析していたのだ。その結果、イタチというプレイヤーは、責任感の強さ故に周囲を危険に巻き込まないよう、率先して危険を冒す傾向にあるという結論に至った。
そのため、今回のクォーターポイントのフロアボスとの戦闘イベントには、脳内スキャンの危険の無い非SAO生還者の協力者のみで挑むと推測した。実際、この予想は的中し、イタチは非SAO生還者のシノン、ラン、マコトといった仲間のみに協力を要請し、一方でSAO生還者であるアスナ等には事件から手を引くように呼び掛けていた。
予想通りのイタチの行動選択に、HALは思わず笑みを浮かべた。SAO事件を解決に導いた『黒の忍』イタチといえども、ARではそうはいかない。譬え本人が現実世界においても常人以上の身体能力を持ち、それと同等の身体能力を持つ仲間がいたとしても、HALがプログラムに手を加えたクォーターポイントのフロアボス相手では明らかに戦力不足。今回の事件を知るアスナやメダカ等がイタチの忠告を無視して援軍に駆け付けたとしても、埋められる戦力差ではない。むしろ、連携を取れずに互いに足を引っ張り合う可能性が高い。
果たして、クォーターポイントのフロアボス討伐イベントは、HALの思惑通りに運び、イタチ等を追い詰めるに至った。このまま戦闘が進めば、イタチの記憶を再スキャンするだけでなく、アスナ等をはじめとした多くのSAO生還者の記憶まで収集することができる。そんな、完璧と言えたHALの計画に大きな狂いが生じたのは、イベント開始後……ボスがSAO当時には無かった行動パターンを見せてイタチ等を圧倒し始めた時だった。
『まさか、イタチ君が遠ざけようとした仲間達の方から集まってくるとは……』
窮地に陥ったイタチの救援に現れたのは、シバトラを筆頭とした、イタチと同じSAO帰還者の仲間達だった。しかも、記憶をスキャンされて入院していた者達まで駆け付けたのだ。かつて死闘を共にした戦友達の善意の物量に押されたイタチは、やむを得ずという形ではあるが、共闘を承諾。強敵であるザ・ツインヘッド・タイタンを倒しきることに成功したのだ。
イタチ等が激闘を制することができたのは、純粋に救援に駆け付けた仲間達の各々の戦闘能力が高かったことに加え、その場で結成した即席のレイドとは思えない程の連携力にあった。SAO事件当時の経験が活かされていたのだろうが、VRとは勝手の違うARにおいてそこまで統制の取れた動きは中々取れない。それを可能としたのは、偏にイタチの人望だったのだろうとHALは推測する。SAO事件当時のイタチを知らないHALだが、その性格を鑑みるに、命の危険と隣り合わせの戦場の中で、率先してリスクを請け負って動いていたことは想像に難くない。
『……このままでは、他二体のスフィンクスも危険かもしれんな』
イタチのことを軽く見ていたつもりは無いが、仲間との絆の力というものを計り切れていなかったことは否めない。開始早々、破綻の危機を迎えているゲーム計画に……しかし、HALは余裕の笑みを崩すことは無かった。
『まあ、良い。私には最後の砦もある。今は、次のゲームの準備と……それから、重村教授とエイジ君への報告をせねばならんな』
計画を円滑に進めるために必要だからこそ始めたこのゲームだが、イタチの記憶は是が非でも手に入れなければならないわけではない。元より、敗北の可能性も考慮に入れたゲームなのだ。計画の大勢に影響が無い以上、HALのやることは変わらない。そう結論付けると、HALは次のゲームイベントの開催準備に取り掛かるのだった。重村等への報告、もとい釈明の内容を考えながら……
「着いたぞ」
「ここが、名探偵Lの捜査本部……」
東京ドームシティでのイベントにて、『ザ・ツインヘッド・タイタン』を倒したイタチこと和人が、攻略に協力してくれた仲間達を伴って訪れた場所。それは、都内某所に位置する、和人等の捜査本部にしてLの所有物件でもある高層ビルだった。
事件の経緯や、現場に駆け付けることができた件を含めた諸々を話し合うことを決めた和人だったが、既に夜も遅く、大勢が集まれる場所を用意することは不可能。そこへ助け舟を出したのは、Lだった。今回の事情説明を行うに当たり、先日のアスナ等との対談の時と同様、大人数を収容できる会議室の提供を申し出たのだ。この提案に対し、今回の件に無関係ではないとはいえ、一般人を引き入れて問題は無いのかと懸念した和人だったが、当のLは、捜査本部本体は地下にあるため、ビルの部分を利用する分には問題は無いと返したのだった。
「お待ちしておりました、皆さん」
「ワタリさん。夜遅くに大勢で押しかけて申し訳ありません」
「いえ、お気になさらず。それより外は寒いですし、早く中へ。彼も皆さんを待っております。」
ビルの入口にて待機していたのは、Lの右腕たるワタリだった。執事然とした佇まいで一同に礼をすると、ビルの中へと案内していく。
そうして案内されたのは、先日の話し合いの際に使用された会議室だった。東京ドームシティの現場から同行することとなった人数は四十人近くに及んでいたが、ビルの外観に違わぬ広さを持つ会議室は、難なくその人数を収容することができた。
「……待たせたな、L」
『いえ、お気になさらずに』
会議室へ入った和人は、長机の一角に置かれていた、パソコンへ向けて話し掛ける。すると、お馴染みのクロイスターブラックフォントの『L』の文字を映したパソコンのスピーカーからは、変声機によって変えられた声が返ってきた。
捜査本部のビルにある会議室を提供したLだったが、流石に顔までは晒すことはしない。先日同様、今回もワタリが操作するパソコン越しに話し合いへ出席するらしい。
ちなみにファルコンこと藤丸は、クォーターポイントのフロアボスを討伐したことで、本当にスフィンクスがアンインストールされたかや、スーパーコンピューターが保管されている施設の状況を確認するため、会議は欠席となっていた。
「皆様、お好きな席にお座りください。私はこちらで、お飲み物の用意をさせていただきますので」
ワタリが紅茶の用意をする一方で、和人等は席に着いていく。座席は和人や新一、パソコンの向こうの竜崎といった捜査メンバー一同と、明日奈やめだか、シバトラこと竹虎といった協力者志望の者達に分かれることとなった。
そして一同が着席し、ワタリが淹れた紅茶を配り終えたところで、まず和人が口を開いた。
「まず聞かせてもらいたいのですが……竹虎さん達は、どうやって今回の件を知ったのですか?」
最初に確認したかった疑問は、そこだった。イベントの情報自体は、HALがSAO生還者のプレイヤーを集めるために広くばら撒いている以上、目に触れる可能性は高い。しかし、途中からイベントへ駆け付けた面々は、明らかに今回の一件の裏を知っている様子だった。
『私です、パパ』
そんな和人の問いに答えたのは、救援に駆け付けたプレイヤー達の筆頭である竹虎……ではなく、ナビゲーション・ピクシー姿で明日奈の肩に乗っていたユイだった。
『皆さんには、私から救援を要請しました。パパが皆さんを遠ざけようとしていた理由は私も承知していましたが……止むを得ないと判断して、皆さんに来てもらいました』
「ユイちゃんを責めないで。救援要請は、私がお願いしたの」
「救援要請は私の意思でもある。戦力不足を補い、且つHALの仕掛けたゲームを攻略するには、他に方法は無かったからな」
救援要請を出したのはユイだが、明日奈とめだかの要請によるものだったらしい。和人とて予想はしていたことなので、ユイは勿論、誰か一人を責めるつもりは無かった。
「それを言うなら、今回の救援自体、僕等の自己責任だ。ユイちゃんからは、救援要請をもらった時に、和人君が今関わっている一件についても、ある程度教えてもらっている。ゲームイベントで僕達SAO生還者がHP全損すれば、記憶を失うリスクがあることもね」
「………………」
全て承知の上だと言ったシバトラに対し、隣に座っていた仲間達は同意するように頷いていた。予想はしていたが、どうやら全員、記憶を奪われるのを覚悟の上での参加だったらしい。それを聞かされた和人は、沈黙するばかりだった。
「和人。こうなってしまっては、誰一人として引き下がることは無いぞ」
不敵な笑みを浮かべためだかの言う通り、こうなってしまっては、最早説得は不可能だろう。関わらないで欲しいというこちらの求めには応じてくれそうも無い面々を前に、ますます言葉が出なくなった和人は、内心で頭を抱えていた。
「君が何を考えているのかは分かるよ。危険な事件だから、明日奈さん同様、僕達にも手を引いて欲しいんだよね?」
「……分かっているなら、その通りにして欲しいのですが」
叶わないことと知りつつも、一応は口にしてみる和人。ついでに言えば、明日奈やめだか等に手を引かせるのにも力を貸して欲しいとも思っていた。
「それは無理かな」
だが、そんな和人の願いは予想通り、年齢に不相応な童顔スマイルとともに断られた。そして、このような展開になれば、次に竹虎が何を言うつもりなのかも想像がつく。
「和人君。僕等も君達が行っている捜査に協力させてもらえないかな?」
「やはりそうきましたか……」
予想通りの申し出に、やれやれと和人は肩を竦めた。警察官である竹虎に限らず、SAO生還者……その中でもとりわけ、攻略組のメンバーは明日奈やめだかがそうであるように、非常に正義感が強い。故に、こちらがいくら拒絶の意を示したとしても、今回のイベントのように無理矢理首を突っ込んでくることは確定と言えた。
「……本来なら、こういう危険なことは、警察官である僕の手で解決すべきなんだろうけどね。残念だけど、事情を聞く限りはそれはできそうにない。けど、だからといって何もせずに静観するなんてことはもっとできない」
「竹虎さん……」
「君が僕達を危険に晒したくないと思っているように、僕も……いや、ここに集まった皆も、君が一人で戦っている状況を放置することはできないんだ。譬え君が反対したとしても、僕等は何が何でも、関わらせてもらうつもりだよ」
竹虎の改めての決意表明に、明日奈やめだかをはじめとした協力者志願の一同は頷く等して同意の意を示す。
和人の隣の席に座る捜査メンバーである新一や、協力者である詩乃、蘭は苦笑いするのみで、「もう受け入れてしまえ」と目で語っていた。パソコン越しのLは、表情こそ確認できないものの、反対意見を唱えない。受け入れに賛成しているのか、或いは和人の判断に任せるつもりなのだろう。
和人自身も、戦力不足は強く痛感していた。卓越した身体能力を持つ蘭と真を味方に付けているとはいえ、今回のイベントの結果を鑑みると、残り二体のクォーターポイントのフロアボスを倒すのは非常に厳しい。明日奈やめだか、竹虎をはじめとしたSAO事件以来の強力な仲間達の助力を得られたならば、どれだけ心強いことか。だがその一方で、このような危険な戦いに仲間達を巻き込むべきではないとも思っていた。譬え本人達がリスクを承知していたとしても、安易に関わらせても良い事案ではないことは間違いない。自分の力で解決しなければならないという責任感と、他者の力を借りる以外に現状を打破する術が無いという現実の板挟みに陥っていた和人は、その答えを出せずにいた。
「和人君。SAO事件の時の攻略のこと、今はどのくらい覚えているかな?」
「……フロアボス攻略に関することなら問題無く思い出せます」
唐突に竹虎が投げ掛けてきた問いに、和人はゲーム攻略に関して問題は無いという答えで返した。竹虎が聞きたいのは、そんなことではないと分かっていながら。対する竹虎は、和人の答えから事情を察した様子で、心配そうな表情を浮かべながらも苦笑していた。
「SAO事件が始まってから、三カ月くらいが経った頃……僕はようやく、レベルを上げて君達攻略組に合流できたんだ。そこで初めて、攻略組の作戦会議に参加して、君に会ったんだよ。まさか、リアルの知り合いとあんな場所で会うなんて思わなかったけどね」
「そうですか……」
SAO事件当時における、竹虎と和人が出会った時の話。しかし、その当時のことを和人は思い出せなかった。どうやら、脳内スキャンによって部分的に欠損した記憶だったらしい。竹虎もそのことは察していたが、構わず続けた。
「攻略会議で出会ってからの頃は、正直言って、見ていられなかったよ。周りからビーターって呼ばれて蔑まれているのに……それでいて、作戦では危険な役回りばっかり引き受けるんだもん。あんな無茶を続けて、いつか……本当に死んじゃうんじゃないかって、気が気じゃなかったよ」
竹虎の話を聞いていた明日奈をはじめとした周囲の面々は、全くその通りだと言わんばかりに頷いていた。その中には、和人の隣に座る新一も含まれていた。
記憶が部分的に欠損している和人だが、攻略に際して危険な役回りに率先して臨んでいたという話は理解できる。加えて、竹虎や明日奈の性格からして、自身の身を案じてくれていたことも容易に想像できた。尤も、反省はしても、それをやめるつもりは無く、ましてやその役割を他人に押し付けるつもりも無かった。記憶が一部とはいえ欠損した今でも、それだけは確信が持てた。
「見かねた僕や明日奈さんがいくらフォローをしようとしても、暖簾に腕押し状態で、中々改善はしてもらえなかったけどね」
「それは……申し訳ございませんでした」
「まあ、もう昔のことだから、そのことを責めるつもりは無いよ。それで、そんな風に、君が一人で危険を冒す攻略はしばらく続いていたんだけど……ある日、唐突に変化が起こったんだ」
「……?」
自分のことだと分かってはいたが、“変化”と言われても和人にはピンと来なかった。これも記憶が部分的に欠如している影響なのかもしれない。
そんな和人を置いて、竹虎の話は続く。
「僕もいつからだったかは正確には思い出せないけど、攻略作戦の中の危険な役回りを、君は少しずつだけど僕等にも任せてくれるようになったんだ」
確かに和人の記憶の中に残っているアインクラッド攻略においては、リスクを伴う回避盾等の役割を他のプレイヤーと協力して行ったことがある。だがそれは、単に一人では処理しきれないから止むを得ず協力依頼をしただけとも考えられた。しかし、当時のことを思い出して話す竹虎の顔を見た和人は、それを口に出すのは無粋と感じ、黙って話に耳を傾け続けた。
「勿論、単純に君の身一つでどうにかできないから、僕等と協力せざるを得ないと考えただけだとも思った。けど、どんな形であれ、君が僕等を頼ろうとしてくれたことは嬉しかったんだ。だって君は、いつだって“一人で何でもしようとしていた”じゃないか」
――――――だって、パパはいつも、一人で何でもしようとしていたじゃないですか
「――!」
竹虎が口にしたその言葉を聞いた途端。和人の脳裏に、明日奈の腕の中にいるユイの泣きそうな顔が過った。和人の記憶には無い……否、消えてしまったのであろうその光景と言葉に、和人は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「だから、あの時のように……今度も一緒に戦いたいと思ってる。君一人が危険な役回りをして皆を助けるんじゃなくて、皆で危険も分け合って助け合う……そんな戦い方で、乗り越えていきたい。だから、僕等も一緒に戦わせて欲しいんだ」
竹虎が真剣な表情で紡いだその言葉に、和人の心が揺らいだ。それと同時に、自分が“大切なもの”を失くしてしまったことに気付いた。
前世のうちはイタチとしての経験故に、自分が為さなくてはという考え――それが失敗に通じると分かっていながらも捨てられなかった――のもとで、明日奈等を遠ざけて、リスクを伴わない仲間のみを伴って今回の事件へ臨んだ。だが、蓋を開けてみれば、自分と限られた仲間達でクォーターポイントのフロアボスを攻略することは不可能に等しく……結果的に、遠ざけていた仲間達に助けられることとなった。
HALのゲームに打ち勝つことが出来なかった原因は、限られた仲間達のみで挑もうとしたことによる戦力不足だが、問題の本質はそこではない。
仲間を信じる事――――――
竹虎が言うように、和人はSAO事件の中でその大切さを知ることができた。だが、記憶とともにそれが失われてしまったのだ。
和人を心配して協力を申し出てくれた明日奈への対応にしても、仲間を信じて戦った記憶があったならば、もっと変わっていた筈である。竹虎との話を通して、和人はそう感じていた。
「……今の俺には、SAO事件当時の攻略の記憶はあっても、それ以外の記憶は不鮮明です。竹虎さんが言うように、当時の戦い方ができるかどうかは分かりませんよ?」
失ったものの大きさを知る故に、和人は竹虎を筆頭とした仲間達へ向けて、改めて問い掛ける。
大切なことを忘れてしまった自分に力を貸すことには、多大な危険が伴うが、それを承知で自分に付いてきてくれるのかと……
自身を案じて寄り添おうとしてくれた気持ちを無碍にして突き放した自分のことを、信じてくれるのかと……
「何があっても、僕は君を信じるよ。記憶を失くしたのなら、何度だって思い出させてあげればいい。SAO事件の時も、そんな無茶を、何度も乗り越えてきたじゃないか」
「竹虎さんの言う通りよ。私も、和人君を信じる。絶対に手を引いて逃げるなんて、しないからね」
「私も明日奈と同意見だ。SAO事件を生き抜いた元攻略組プレイヤーとして……また、お前の友として、戦うつもりだ。他の皆は、どう思う?」
めだかの問いに対し、周囲の元SAO攻略組の面々は、皆一様に同意の意を示す。色々と思うところのある者も少なくないが、皆、和人を仲間として認め、信じることに躊躇いは無かった。
そして、そんな仲間達に対して、和人ができる答えはただ一つ。仲間である彼等を信じ、彼等が信じた自身をも信じるという決意と共に、それを口にした。
「……皆、頼む。俺に、力を貸して欲しい」
デスゲームと化したSAOを脱出すべく、アインクラッドを制するために集まった実力あるプレイヤー集団――“攻略組”。それが今、仮想世界を超えて、現実世界において復活した瞬間だった。
「しばらく見ない内に、随分と騒がしいことになっているようだな……」
和人等攻略組が結束して捜査に挑むことを決意していたその頃。現実世界において繰り広げられていた、オーディナル・スケールにおける和人等の激闘や、その陰で暗躍する電人HALや重村の様子を密かに傍観する者がいた。
電脳世界に身を置き、現実世界の様子を眺めるその者は、現実世界に生身の肉体を持つ人間ではなく……HALやヒロキと同じ存在だった。
「しかし、彼も災難だな。まさか、重村教授と春川教授を相手に戦う羽目になるとは……」
和人とは浅からぬ縁を持つその者は、今現在和人が敵対している勢重村と春川――特に重村――のことをよく知っていた。故に、この二人が手を組めば、どれだけの脅威になるかも理解している。
「しかし、これも宿命なのかもしれないな。或いは、“忍という前世”の記憶を持つことが、禍を引き寄せているのか……」
SAO事件に続き、ALO事件、死銃事件と、立て続けに仮想世界絡みの事件に巻き込まれ、時には自ら身を投じてきた和人。仮想世界に対して高い適応力がそういった事件を呼び込んでくるのか。もしくは、知る者の少ない、和人が持つ前世がそうさせるのか。
その者にとっては興味深い命題だったが、答えは出そうになかった。
「いずれにしても、このままでは和人君ばかりが不利になるな」
かつての仲間達の協力を得られたであろうことを察するが、保有する戦力差は歴然であり、主導権は重村やHALが握っている以上、圧倒的に不利な条件で戦うことは必定。どれだけ足掻いても、勝利を手にするのは不可能に等しい。
「……傍観するつもりだったが、ここで彼に可能性を託すというのも有りかもしれないな」
今回のARゲームを巡る闘争において、和人と重村、どちらの勢力にもつくつもりは無かった。だが、このまま出来レース同然の戦いを見るのでは、時間を無為にするだけ。
ならば、梃入れとまではいかないものの、敗北がほぼ確定している和人に、一つのチャンスを与えるのも一興かもしれないと考えた。
「君が本当に、異世界の忍としての記憶を持つ転生者ならば……これで何かが起こるかもしれない」
本音を言えば、その者にとって両者の勝負の行方には然程興味は無かった。本当に期待しているのは和人が……うちはイタチという忍の前世を持つ少年が秘めたる可能性が起こす、“何か”だった。
「見せてもらおうか、イタチ君――――――」
これから起こる“何か”に対し、柄にもなく子供のように期待を膨らませながら、その者は自らの意思で今回の一件へと介入することを決意するのだった。