ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
2026年5月5日
『久しぶりだね、桐ヶ谷和人君……いや、うちはイタチ君と呼ぶべきかね?』
「やはりあなたでしたか、茅場さん」
結城家を出た直後に送られてきたメールにおいて指定された場所――都内の歩行者天国――に到着した和人を待っていた人物。それは、和人にとってSAO以来の因縁のある男……茅場晶彦だった。白いワイシャツにネクタイを締め、その上から白衣を纏ったその姿は、四年前にSAOを開発していた時期に出会った時と全く同じだった。しかし、そんな街中では目立つ格好をしていながら、道を行き交う人々は、茅場に全く目もくれない。それもその筈。和人と今、相対している茅場は、“人物”という言葉が当て嵌まらない存在……HALと同じ、“電人”と呼ぶべき存在なのだから。実体を持たない茅場を和人が視認できるのは、茅場がオーグマーを装着した和人の視界に介入していることによるものであり、和人以外の人間には見えない状態となっているのだ。
故に周囲の人間の視線は、誰もいない場所に話し掛けている和人の方へ向いていた。しかし、オーグマーを装着している関係上、ゲームをプレイしているか、誰かと通信でもしているのだろうと考え、疑問視する人間はそれ程いなかった。
『メールの件で既に察していることと思うが、君達の置かれている状況は既に把握している』
「それで、俺に力を貸してくれるということでしたが……本当に、そのようなことが可能なのですか?」
『私としても、確実なことは何も言えない。私が君に提供することができるのは、飽く迄“可能性”だ』
何一つ保証されているわけではないという前提のもとでの茅場の提案。全く以て頼りにはなりそうにない、徒労に終わる可能性も高かったが……しかし、和人の心は既に決まっていた。
「構いません。その可能性を、俺にください」
『君ならそう言うと思ったよ。では、私に付いてきてくれたまえ』
そう言うと、茅場は目的の場所へと和人を案内するべく移動を始めた。和人は何も言わずその後に続いて歩き始めた。
そして、歩いて移動すること数分。茅場と和人は、ある建物の前に到着した。
「目的地はここですか?」
『ああ』
和人と茅場の前にある建物。それは、『銀行』だった。関東圏内を中心に、全国にいくつもの支店を持つ国内でも非常に有名な大銀行の支店であり、都内の支店だけあってその規模も段違いだった。
『目的の物は、ここの貸金庫に預けてある』
「生前に預けていたのですか?」
『私の名義ではないがね』
茅場が言うには、名義はSAO事件当時、ダイブ中だった茅場の世話をしていた協力者へのものとなっているらしい。SAO事件を実行するに当たり、茅場は自身が容疑者として指名手配され、自宅に置いている物品が証拠品として警察に押収されることを想定し、どうしても他人の手に渡したくない、思い入れのある所持品をいくつか、その協力者へ預けていたらしい。和人に可能性と称して託そうとしている物も、その一つだという。
「銀行の貸金庫を開くには、カードキーと暗証番号が必要の筈ですが、どうやって開ければ良いのでしょうか?」
『暗証番号は教えた通りに打ち込んでもらえばいい。カードキーが必要な箇所については、私が解除しよう。君はそのまま進んでくれて大丈夫だ』
HALに近しい存在だけあって、ユイのようにハッキングも自在に行えるらしい。ただ、当然のことながら、銀行のセキュリティにハッキングを仕掛けて貸金庫を開ける行為は犯罪である。尤も、そんなことを言っている場合ではないし、茅場が自身の――正確には本人であって本人ではないが――の貸金庫を開くのだから、第三者に迷惑をかけることが無いと言う点では問題は無いのだろう。
そんなことを考えながらも、和人は茅場の指示に従い、貸金庫を開くために専用ブースへと進んでいく。幸いなことに、ブース付近は受付からやや死角であり、受付もやや混んでいたため、茅場のハッキングでカードキー無しで入る和人の姿を銀行員に目撃されずに済んだ。監視カメラの映像も、茅場が上手くカモフラージュしてくれるらしい。
ブースに入った後も、中にあった装置を茅場が同様に起動。和人が手入力で教わった暗証番号を入力すると、ほどなくして貸金庫の保管箱が手元へと自動で運ばれてきた。
『開けてみてくれたまえ』
「はい」
茅場に促され、貸金庫の保管箱に手を掛ける。今更ながら、一体、中に何が入っているのだろうと疑問に思う和人。一抹の不安と、この状況を覆す希望となるのではという淡い期待を抱きながらも、パンドラの箱のようにも思える保管庫を開いた。
「……これは?」
保管庫の中に入っていた物を手に取り、訝しげに眺める和人。それは、長方形の形をした厚さ一センチメートル程の機器だった。スマートフォンを彷彿させる形状だが、液晶画面の類は無く、表面は黒一色のプラスチック製の外装で覆われていた。どちらかと言えば、ルーターの方が近いだろうか。
「茅場さん、これは?」
ただ手に取って見ただけでは、この装置がどのような機能を持つのか、どのように使用するのかは分からない。故に、製作者本人に相当する茅場へ問い掛けることにした。
『私がSAO事件を起こしたきっかけともいえる唯一の欲求……どこか別の世界にある、アインクラッドのような鋼鉄の城の空想を追い求め、それをこの手にできる可能性を見出して生み出した作品だ』
そう語る茅場の表情と声色は、和人にはどこか楽し気に感じられた。SAO事件よりも以前……和人と出会うより昔のことを懐かしんでいるのだろう。
『そして今、私の追い求めた空想が実在することを証明した君に、未知数の可能性を齎す鍵となるもの。別の言い方をすれば、君がこの世界に来たことによって欠けた、パズルのピースとなり得るものだ』
2026年5月6日
「竜崎、藤丸。こっちの様子は見えているか?」
『はい、和人君。今のところ、皆さんの様子は問題なく確認できています』
『会場の中に設置された監視カメラの映像も、まだ見えてるぜ』
ユナのライブ当日。和人は昨日、竜崎と話し合った通り、ライブ会場である新国立競技場へと来ていた。会場内部の状況把握や所定の配置につくための時間を確保するために、一時間半前の会場入りである。
勿論、単独で動いているわけではなく、捜査に参加・協力している新一や明日奈、めだかといった面々含めた大所帯で集まっていた。集合しているメンバーの中には、HALが仕掛けたゲームから参戦していた竹虎や剣心をはじめとした社会人メンバーの姿もあった。また、会場内にはLが警察に根回しして密かに派遣した警察関係者が多数、一般人に扮した状態で張り込んでいた。
和人をはじめとした面々は、オーグマーの常時装着は勿論、携帯端末も常に肌身離さず持ち歩き、確実に連絡が繋がるようにしている。尚、和人が持っている携帯端末にはファルコンこと藤丸による特殊改造が施されている。地下数十メートルの地点からでも電波を捕捉できる上、電磁パルスによる基盤へのダメージや一トンの物理的荷重・衝撃にも耐えられる超高度な耐久性を持っているのだ。尤も、これらの装備が電人HALにどこまで通用するか、和人は勿論、改造を施した天才二人も疑問視していたが。
「それで、これからどうするの?」
「まだ向こうからのアプローチはありませんね。一先ず、観客として中へ入りましょう」
明日奈の方針確認に対し、和人は未だ敵方の動きが無いことを伝えた上で、会場へ入る方向で動くと答えた。
そうして和人等一同は、臨戦態勢のまま会場内部へと入り、受付を通過。会場内に入る前に、エントランスにて最後の打合せを行う。
「ここからは予定通り、数人ずつのグループに分かれて行動してもらう。何か異常があれば、すぐに報告すること。また、単独行動だけは絶対にしないようにしてくれ」
HALや重村が罠を仕掛けていることがほぼ確定であるこのライブ会場へ来るに当たり、和人が竜崎等と話し合って定めた作戦。それは、SAOやALOにおけるボス攻略と同じ要領で、大人数のレイドを複数の七人組パーティーに分けて、広い会場内に均一に配置することで死角を無くし、敵を迎え撃つというものだった。
大所帯故に動きが鈍化することを防ぐとともに、HALがいつ、どこから仕掛けて来ても対応できるようにすることが目的である。会場内が自由席であり、任意の位置を選択して座ることができるからこそ、実行できた作戦でもあった。
「分かっている。HALの兵士がどこに潜んでいるか分からない以上、単独行動をすれば各個撃破の的だからな」
「尤も、既にスキャンされた俺達は、もう用済みだろうがな」
自分達を用済みと自嘲する一護と、その意見に同意するように苦笑するアレンや葉だったが、相手は電子ドラッグなどという規格外の武器を持ち込んでくるHALである。相手が既に用済みだろうが、無関係であろうが、邪魔する相手には何をしてきても――最悪の場合は命の危険が生じても――おかしくない。大丈夫だろうと油断するのは非常に危険だった。
「それよりも、問題はお前だ、和人。敵の狙いがお前である以上、我々からお前を引き離そうとしてくるだろう。くれぐれも、誘いに乗って一人で行動したりしないようにな」
「……了解した」
妙な間のある返答に、めだかや明日奈はどこまで本気で聞き届けてくれているのかと不安を覚えずにはいられなかった。元来、他者を遠ざけ、自ら進んで危険な役回りを冒そうとするきらいのある和人である。仲間達と協力して事に当たっているように見せて、敵からの誘いが来れば、単独行動に出かねない。
SAO事件、ALO事件、GGO事件こと死銃事件を経て、その傾向は改善されてきたものの、先日の記憶スキャンによってSAO事件の記憶が虫食い状態となってからの和人は、また以前の状態に戻りつつあった。故にその場にいた一同は、かつてのように一人で今回のような大事を片付けようと動いてしまう可能性を捨てきれなかった。
「蘭と真、よろしく頼んだぞ」
「任せて」
「了解しました」
そんな、目を離せばすぐにどこかへ行ってしまいそうな和人のお目付け役としてパーティーメンバーに任命されたのは、蘭と真の二人だった。
ちなみに、他のパーティーが五人から七人の編成であるが、和人のパーティーは、和人を含めてこの三人だけである。身体能力が極めて高いこの二人ならば、和人もそう簡単には撒いて単独行動に走ることはできないことに加えて、電子ドラッグで身体能力を強化されたエイジやHALの兵士が複数人で襲ってきたとしても、十分応戦できるという判断故の人選である。
リアルにおける戦闘能力で和人に匹敵する人物には、この二人以外にも、剣道・剣術の達人である竹虎と剣心、元暴走族の英吉、現役の警官――それが本業であることが非常に疑問視されるが――である勘吉といった面々が挙げられる。しかし、HALの標的は和人をはじめとしたSAO生還者全員である以上、グループごとに戦闘能力の高い人員をある程度は均一に配置し、戦力の集中を避ける必要があったのだ。
そしてこれは、リーダー適性の高い明日奈や、狙撃の名手である詩乃も同様だった。リアルの戦闘能力の問題に加えて、レイドのバランス調整のために和人とは別のパーティーに所属することとなったのだ。和人に想いを寄せる二人や、真の恋人である園子としては、同じパーティーで行動したいというのが本音だったが、いざ戦闘が始まれば足手まといになることは勿論、自分達の立場も承知していたので、異議を唱えることはしなかった。
「それでは、必要な打ち合わせも終わったのだから、皆、所定の位置へ向かうとするか」
「ああ、そうだな」
めだかの言葉に皆一様に頷くと、和人と明日奈、めだかをはじめとした各パーティーのリーダーを先頭に、各持ち場への移動を開始するのだった。
和人等が会場入りしていたその頃。捜査本部である竜崎ことL所有のビルにおいても、本部の責任者である竜崎と、その右腕として働いていた藤丸ことFの二人が、一時間半後に控えたHALとの最終決戦に向けた準備に追われていた。
「ユナのライブまで、あと一時間半……和人君を狙っているエイジは、間違いなくそれより早く動き出すことでしょう」
「戦闘開始までは、もう時間は無いってワケか」
現場による和人をサポートするべく、様々な準備を進めてきた竜崎と藤丸だが、それらの策がどこまで有効に機能するかは正直なところ分からない。如何に高性能な通信機器を和人に持たせたとはいえ、電人HALがバックに付いている以上、いつ音信が途絶えてもおかしくはない。
あらゆる面において圧倒的な不利を強いられているこの状況を覆し、HALや重村が仕組んでいる計画を破綻させるには、強力な決定打が必要なのだ。そしてそれを作り出せる鍵を握っているのは、現場で動いている和人ではない。この本部にてバックアップを担当している竜崎と藤丸、そして電脳世界にて待機しているヒロキなのだ。
「HALの最終防壁を破るためのパスワードは、結局分からず仕舞いだったが、大丈夫なのか?スフィンクスの方は、言われた通り、何とか対策はできたが……それも一時的なものだぞ?」
「確かに、HALの……いえ、春川英輔の設定したパスワードは分かりませんでした。しかし、手掛かりを掴むことはできました」
電人HALを攻略する上での障害は二つ。一つ目はHAL本体たるピラミッドを守るサポートプログラムの『スフィンクス』。もう一つは、HAL本体のピラミッドに設定された『パスワード』によるロックである。
前者はHALが仕掛けてきたゲームから得られたデータより解析を進め、ある程度の対策を練ることができたが、後者はそう簡単にはいかなかった。
春川や重村をはじめ、今回の事件に関わっていた人間に関するデータは、捜査開始時点から収集を進めていた。しかし、名探偵Lと天才ハッカー・ファルコンの捜査力をもってしても、春川のパーソナルデータだけは、講義や論文コンペの映像等、公的に閲覧可能なもの以外は得られなかったのだ。まるで、意図的に隠蔽されたかのように……
そこで竜崎は、春川本人を調べる方法から、春川を知る人間を探す方法へと切り替えた。直接手掛かりを探すのが無理ならば、間接的に手掛かりを得られないかと考えたのだ。
「一晩かかりましたが、ようやく一人……春川英輔を知ると思われる人間を見つけることができました。今朝連絡を取りましたが、春川教授の名前を出したところ、私達に協力してくれると言ってくれています」
「成程な……で、一体、春川を知る奴ってのは誰なんだ?」
「あなたもよく知る人ですよ」
名前は明かさず、面識があることをほのめかす竜崎の言葉に、疑問符を浮かべる藤丸。
春川のデータ収集には藤丸も協力しており、その過程で周囲の人間関係についてもある程度は把握していた。しかし、それらはいずれも、大学の同僚や助手、教え子等々であり、職務上の繋がりだけで、特別に親密な間柄というわけではなかった。
そんな中で竜崎が手掛かりの可能性を見出したという証人と思しき人物とは、一体、何者なのか。HAL曰く、パスワードには創造主たる春川英輔の目的そのものとされる言葉が設定されているようだが、未だ奥底の見えない春川の目的を理解できるものなのか……
「竜崎、本当に大丈夫なんだろうな?」
「他に手掛かりが無い以上、彼女に賭ける他ありません」
どうやら、手掛かりを握っているという人物は女性らしい。
しかし、世界的な名探偵であるLが、この大事な局面で賭けに出なければならないという。分かってはいたが、自分達は相当追い詰められているのだと、藤丸は改めて実感する。
「おや、噂をすれば……」
藤丸が竜崎とのやりとりを経て現状を再認識したその時。捜査本部の部屋へと通信が入った。相手はワタリである。
『竜崎、彼女が到着しました』
「すぐに部屋に通してください。急いで」
『かしこまりました』
ワタリとの通信を切った竜崎は、今度は手元のパソコンを操作し始める。表示されたのは、このビルのエントランスに設置された監視カメラの映像である。
「えっ!?コイツって……!」
「言ったでしょう。あなたもよく知る人物だと」
竜崎の捜査するモニターを覗き込み、件の人物の姿を見た藤丸が、驚きを露にする。一方、監視カメラに映った来客は、ワタリに案内されて、モニター越しの対話を行うための会議室への移動を開始する。それに合わせて、竜崎は再度パソコンを操作し、モニターの映像を会議室に設置されたパソコンのカメラへと切り替える。
会議室のテーブルの上には、これから訪れる来客のためなのだろう、竜崎も常日頃から食している大量の菓子が並べられていた。やがて、ワタリとともに一人の少女が会議室の中へと入ってきた。金髪のショートカットで、和人達と同年代であるその少女は、テーブルいっぱいの菓子に目を奪われ、涎を垂らしていたが、すぐに真剣な表情へと戻り、竜崎が捜査するカメラへと向き直るのだった。
「………………」
皆がパーティーごとに別々の持ち場に付き、これからライブ開始まで十分を切ろうとしている中。明日奈は自身がリーダーを務めるパーティーメンバーである里香、珪子、詩乃等とともに座席に座り、一人俯いて想い人の――和人のことを考えていた。
真と蘭という強力で頼もしいボディガードに護られている上、和人自身も二人に匹敵し得る相当な実力者なので、現実世界の武術に関しては素人な明日奈の目から見ても、付け入る隙は見られない。この三人ならば、譬え電子ドラッグで強化された兵士が相手でも大丈夫だろうと思われる。
(……もっと私が強ければ、あそこにいられたのかな?)
彼等の強さが、常人の自分では踏み込めないような領域であることは分かっている。それでも、大切な人が危険な戦いに身を投じようとしている中、自分は傍にいることができず……想い人たる和人を支えるだけの力が無いという事実を突きつけられた気がして、そう思わずにはいられなかった。
「――ってことで良いわね、シリカ。それにシノンも」
「はい。了解しました」
「私も問題無いわ」
「それで、アスナは……って、ちょっと!聞いてる?」
「……」
里香と珪子等が、ライブ開始後の緊急事態発生に備えた最後の確認をしているというのに、肝心のリーダーである明日奈は上の空状態だった。先程、真と蘭を伴った和人が担当している持ち場の方向を気にしており、話の内容は頭に入っていないことは明らかだった。
「ちょっと!聞きなさいよ!」
「!?……ごめん、リズ」
「しっかりしなさいよ。アイツのことは、真と蘭に任せるって決めたんでしょう?」
「うん……けど、やっぱりどうしても気になって……」
これから危険な戦いに身を投じる想い人を、ただ黙って見送ることしかできないことの辛さは、同じ女性である里香にも一応は理解できる。しかし、これから危険なことが降りかかるかもしれないのは、こちらも同じなのだ。だからこそ、このパーティーのリーダーである明日奈には、しっかりしてもらわなければならない。
「そんなに心配しなくても、和人なら大丈夫よ」
「しののん……?」
このままではどうしても集中を欠いてしまう明日奈を見かねた詩乃が、安心させるように語り掛ける。
「和人が言ってたわ。とっておきの“秘策”を用意できたって」
「秘策?それって……」
「残念だけど、具体的には聞かされていないから、私にもそれが何なのかは分からないわ。けど、和人はこう言っていたわ。オーディナル・スケールでは勝てない相手でも、“忍”としてなら勝てるって」
詩乃が放ったその言葉に、明日奈の隣で話を聞いていた里香と珪子が揃って疑問符を浮かべる。和人ことイタチは、SAOやALOにおいて、確かに『黒の忍』と言う二つ名で呼ばれている。つまり、忍として戦うことは、イタチにとっての常態なのだが……それが今更、一体どういうことなのか。
そんな中、明日奈だけは他の面々同様最初は疑問符を浮かべたものの、すぐにその言葉に込められた――明日奈と詩乃を含め、現時点では特定の人間しか理解できない――意味を理解し、驚きに目を見開いた。
「……それって、まさか!」
「さっきも言ったけど、詳しいことは分からないわ。それより、話はここまでよ。ライブが始まるから、警戒しましょう」
詩乃の言った通り、いつの間にかライブ開始の時間となったらしい。ステージ中央より勢いよく煙幕が上がり、その中心からユナが飛び出してきた。
『みんなー!今日は私のために集まってくれてありがとーっ!!早速だけど一曲目から、トバしていっくよー!!』
「ユナー!!」
「サイコー!!」
ユナの登場とともに、観客達から歓声が沸き上がる。
そんな、これから人死にが出るかも分からない出来事が起こるとは思えないような、熱狂の中で、明日奈達はユナのライブを見ながら、しかし周囲にも注意を払う形で、警戒態勢に入るのだった。
時間は遡り、和人等のレイドがパーティーごとに会場内の所定の持ち場へと向かい始めた頃。
和人と、和人のパーティーメンバー兼護衛兼監視役である蘭、真の三人は、会場へ入る扉の前にて最後の確認を行っていた。
「ライブ開始まで残り十分……今のところ動きは無いが、HALは必ず俺を狙って来る筈だ」
「このタイミングまで動きが無いってことは、ライブが始まってから襲って来るのかしら?」
「まだ分からん。だが、今までの奴等のやり口からして、油断はできん。ライブ開始後も、警戒を怠るなよ」
「分かったわ」
「了解」
この先は何が起こるか分からないと二人に念押しすると、会場の中へと通じる扉の取っ手に手を掛け、開こうとしたが……
『やあ、桐ヶ谷和人君。よく来てくれたね』
『!!』
唐突に掛けられた声に、和人等三人は咄嗟に後ろを振り返る。そこには、この連日の捜査において見知った顔の男――春川英輔が立っていた。だが、ワイシャツ姿で立つその体にはノイズが走っていた。生身の実態を持たない……オーグマーを装着している人間にしか認識できない存在、『電人』である。
「春川英輔……いや、HALか」
『その通り。こうして私の期待を裏切らず、この場所へと足を運んできてくれたことには、心から感謝しているよ』
全て計算通りの癖に、そのようなことを白々と口にするHALに、蘭と真が眉を顰める。そんな中、和人が前へ出てHALへと問いを投げる。
「俺に用があるんだろう?差し詰め、エイジからの招待といったところか」
『ご名答。彼は君と決着をつけたがっていてね。私としても、君を再スキャンして今度こそ君の記憶を確保したいと思っているのでね。こうして迎えに来たというわけさ』
「絶対に行かせないわ」
「あなたの好きにはさせません」
しかし、当然のことながら護衛である蘭と真がそれを許さない。目の前のHALは勿論、この近辺に潜んでいるであろう電子ドラッグを服用した強化兵士に警戒して身構える。
そんな和人に匹敵するであろう強豪二人を前にしても、HALの余裕の笑みは崩れない。
『勿論、私も君達が黙って付いてきてくれるとは思っていないさ。桐ヶ谷和人君を狙っていると知られている以上、邪魔が入ることも分かっていた。だからこそ――――――多少なりとも強引な手段を取ることも厭わないことにした』
そう言うと、HALは右手を持ち上げて指を鳴らす。仮想の……しかし、現実のそれに非常に等しい音が、不吉に鳴り響く。そして、HALが立っていた場所のすぐ傍にあった柱の影から、三人分の影が姿を現す。
HALの兵士であろう、身長百九十センチ近くの屈強な体格の男性二名と、口に猿轡をされ、手を縛られた状態で男二人に拘束された少女だった。その少女を見た瞬間、和人と蘭の目が驚きに見開かれる。
「むー!むー!」
「……っ!」
「直葉ちゃん!」
HALの兵士達が人質として連行してきた少女。それは、つい先日、剣道部の合宿のために島根へと旅立った筈の直葉だった。
それを見た和人は、もしやARによって作り出された合成映像や、それによって仕立て上げた替え玉の類かと疑った。しかし、容姿や仕草、猿轡をされた状態から必死に出そうとしている声等々から、目の前の少女が間違いなく現実の、本物の直葉であると和人だけでなく、蘭にも分かった。
『驚いたかね?君を相手にこれ以上無い有効策だと思って、わざわざ島根に私の兵士を向かわせて確保したのだよ』
「……要求は?」
人質を取られている以上、下手な動きはできない。HALの目的は既に分かり切ってはいるが、一応の確認を兼ねて、蘭と真を手で制しながら前へと出て問いを投げる。
『物分かりが良くて助かるよ。エイジ君が君を待っている。一緒に来てくれれば、彼女は解放しよう』
「分かった」
「和人君!駄目よ!」
「……」
HALの要求を呑むことを即答した和人を止めようと、蘭が声を上げる。人質に取られている直葉も、悲痛な表情を浮かべながら首を横に振っていた。
一人黙ったままの真は、人質に取られている直葉を救い出す方法は無いかと、HALの兵士である男性二人の動きに神経を集中させていた。しかし、電子ドラッグによる洗脳を受けているためか、付け入る隙がまるで見られない。下手に踏み込めば、真や蘭の拳が届く前に、直葉の首が圧し折られかねない。電子ドラッグで強化された兵士の腕力ならば、十分可能である。和人もそれが分かっているからこそ、手を出せず……詰まるところ、HALの言うことを聞くほかない状況なのだ。
『理解が速くて助かるよ。それでは、付いてきてもらおうか』
アバターのHALが踵を返して歩き出すと、直葉を人質に取った兵士二人が続き、和人等もまた後を追って歩き出す。無人となったロビーをゆっくりと歩いて移動こと数分。HALが案内した先にあったのは、エレベーターだった。
『今現在、この建物の中で地下駐車場へと通じているエレベーターは、この一台のみだ。他のエレベーターは、機能を停止させてもらっている』
「エイジは地下で待っているんだな」
『ああ。但し、行くのは君一人だ』
「良いだろう。だが、俺がエレベーターへ入るのと同時に、直葉を解放してもらおう」
『構わないよ』
和人とHAL、双方の意見が一致したのと同時に、エレベーターが開く。和人は躊躇うことなく、扉へと向かっていく。蘭と真は、最後まで直葉を解放する機会を伺っていたが、遂に和人を止めることはできず、悔し気に歯噛みしていた。
中へと入る直前、人質にされている直葉を一瞥すると、僅かに口元に笑みを浮かべた。心配は要らないと、そう語り掛けるように――
そして、和人がエレベーターの中へと入ると同時に、HALの配下の兵士二人は、直葉を解放。エレベーターの扉は閉まり、和人は地下駐車場へと運ばれていった。
「直葉ちゃん!」
「……っ!蘭さん!お兄ちゃんがっ……!」
HALの兵士が直葉を解放するのと同時に、蘭は直葉を抱き寄せて兵士やHALのアバターと距離を取った上で、猿轡と手を縛るロープの拘束を解く。
解放された直葉は、得体の知れない人間達に拘束されていたことによる恐怖と、自分の所為で和人が危険な目に遭おうとしていることによる不安に涙を浮かべていた。
蘭はそんな直葉を抱きしめ、妹をあやす姉のように頭を撫で、不安を取り除くように声を掛ける。
「大丈夫よ。和人君は、私達で絶対に助け出すから」
『おっと。そう簡単に行かせると思うかね?』
しかし、和人を助けるべく動こうとした蘭の前に、HALが立ちはだかる。先程まで直葉を拘束していた兵士二人が、ファイティングポーズをとって三人に襲い掛かろうとしていた。
『彼等の決着がつくまでは、君達にはこの会場内で大人しくしていてもらおうか』
「……真さん、あの二人をお願い!」
「了解しました」
「私と直葉ちゃんは、このことをLや会場の皆に伝えるから!」
真に足止めを頼み、現状を仲間へ報告するべく、即座に動き出そうとする蘭。そんな三人を前に、HALは余裕気な笑みを崩さない。
『果たして、そう上手くいくかな?』
「お兄ちゃんは、絶対に私達で助ける!あなた達なんかの想い通りにさせないんだから!」
「行くよ、直葉ちゃん!」
蘭が直葉の手を取る形で、二人揃ってロビーを駆けだす。それと同時に、真とHALの兵士二人が激突する。
オーディナル・スケールを舞台とした壮絶な最終決戦が、ユナのライブが開始されるのと、全く同じタイミングで幕を開けた瞬間だった――――――