ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
新国立競技場にて、HALの策略によって和人が仲間達から分断され、無人となったロビーにて蘭と真による戦闘が開始されたその頃。竜崎等の詰める捜査本部もまた、慌ただしく動き出していた。
「どうやら、始まってしまったようですね」
「ああ。案の定、HALが最初に仕掛けてきたのは、和人だったな」
蘭と真を含めた捜査に参加しているメンバー全員が装着しているオーグマーには、ファルコンこと藤丸謹製の遠隔監視用の特殊アプリがインストールされている。本部にいる竜崎と藤丸は、このアプリを通じて捜査協力者達が現地で見聞きした情報を常時確認することができるのだ。
「分断された同じパーティーの蘭と真も、戦闘開始だ」
「まさか、島根にいた和人君の妹を攫って来るとは予想外でしたね。彼等の和人君に対する執着を侮っていたようです」
記憶スキャンが不完全である以上、エイジは間違いなく再戦を仕掛けて来ると想定していたが、そのために遠方から人質を調達するとは予想外だった。
「真なら大丈夫だとは思うが、HALの兵士が相手じゃ苦戦は必至だな……。蘭も、直葉を守りながらじゃ、上手く戦えないみたいだな」
「すぐには和人君の助けには行けないようですね。地下駐車場へ向かうための手段も、軒並み封じられています」
建物内のシステムにアクセスして内部の状態確認を行ったが、和人とエイジの戦いを邪魔されないよう、エレベーターは全て停止しており、非常階段も電子ロックがかかっている。さらには、非常階段に通じる扉の外には、HALの兵士らしき屈強な体つきをした男達が配置されているのだ。
「参ったな……エレベーターにしろ、非常階段の扉にしろ、こうも厳重なロックじゃ、解除するにはかなり時間がかかるぞ」
「あの二人なら、最悪の場合は扉を破壊してでも突破できることでしょう。現場のことは和人君達に任せることとして……私達は、HALへの対処に動きましょう」
「そうだな」
和人等がいるライブ会場である新国立競技場の戦いにおいては、現状で手出しすることは不可と判断した竜崎と藤丸は、この事件を解決するに当たってもう一つの障害への対処に動くことにした。和人の身に起こった事態をライブ会場内部で待機している他のメンバー全員に対してメッセージで通知すると、会場監視用のモニターから別のモニターへと移り、操作を開始する。
「ヒロキは既にHALのもとに向かっている。例のパスワードも、しっかりと伝えてある」
「では、当初の予定通り、スフィンクス突破のサポートをお願いします」
「任せておけ」
HALを守る最後の砦であるピラミッドを突破するのに必要なパスワード――正確には、有力候補だが――は、捜査本部へ呼び出した、春川英輔のことを知るとされる関係者から聞き出している。だが、パスワードを打ち込むには、その前に防衛プログラムであるスフィンクスを突破する必要がある。この障害をクリアするためのサポートが、藤丸に課せられた役目だった。
「それじゃあ、作戦開始といくか……!」
「お願いします」
和人等がAR(拡張現実)を舞台にした激戦を新国立競技場において始めてから間もなく……離れた場所に位置するL所有の捜査本部においても、この事件の解決に大きく関わる、壮絶な電脳戦が開始された瞬間だった。
新国立競技場の地下駐車場。HALによって、出入口とエレベーターが封鎖され、電子ドラッグで洗脳された兵士達による誘導で完全に無人化されたこの場所に、二人の男が向かい合う形で立っていた。
「よく来てくれたな、『黒の忍』」
地下駐車場にて、もはや愛読書と化していると言っても良い『SAO事件記録全集』を開いていたエイジが顔を上げた先には、和人の姿があった。
勝ち誇ったような、余裕の笑みを浮かべるエイジとは対照的に、和人の方は、表情こそ変えないものの、殺気にも似た空気を静かに放っていた。
「まさか、俺を引き離すために直葉を人質に取るとは思わなかったがな」
「譬え標的の家族であっても、無関係の人間を巻き込むことには、僕も反対だったんだけどね。HALからは、君をあの屈強な護衛二人から引き離すには、これ以外に無いと言われてしまったからね」
全く悪びれる様子を見せないエイジだが、直葉を巻き込むことが本意ではないというのは事実だったのだろう。猿轡を嵌められた状態で拘束されていたが、目立った傷は無かったことからも、それは間違いない。
それが彼等のスタンスであると理解していたからこそ、和人は妹を人質に取られた状態でも、感情を表に出すことなく比較的冷静でいられたのだ。SAO事件の記憶が虫食い状態となり、精神が前世のうちはイタチ寄りになっていたことで、感情の揺らぎが抑えられていたということもあるのだが。
「もう既に予想が付いていると思うが、この地下駐車場の出入り口は全て塞がれている。逃げ場は無い上に、ここには君を守ってくれる護衛もいない。覚悟はできているかい?」
「こんな真似をしなくても、お前の相手はおれがするつもりだった。無論、あの二人は抜きでな」
そう言うと、和人はオーグマーに対応したタッチペンを手に取って臨戦態勢に入る。対するエイジもまた、タッチペンを手に和人と相対する。
「今度こそお前の記憶、全部もらうぞ」
「できるのならな」
それ以上の問答は不要と互いに判断した二人は、戦闘開始の合図でもある、起動キーを口にする。
『オーディナル・スケール、起動!』
途端、二人の姿はオーディナル・スケールのプレイヤーである、エイジとイタチのアバターとしての姿へと変わった。そして、互いにアバターを纏うや否や、一気に駆け出し、その手に持った仮想の刃を交錯させるのだった――――――
『よーし!テンション上げて、次、行ってみよー!』
会場のロビーで繰り広げられている戦いを余所に、会場内で繰り広げられていたユナのライブは大盛り上がりを見せていた。ライブの進行とともに観客席を包む熱気と完成は増していった。
そんな中で、観客席の中のいくつかの箇所は、そんな浮き立った熱気とは無縁の、剣呑な空気に包まれていた。
「不気味な程に何も起こらないな……」
「ああ。こう言っちゃなんだが、普通のライブそのものだな」
恙なく進行するライブに対し、そのような感想を漏らしたのは、めだかだった。隣に座る善吉もまた、同様の感想を口にし、同じパーティーで行動している一護やアレンも同意するように頷いていた。
「他の場所で待機しているメンバーにも連絡を入れてみるか」
「ああ。特に和人だ。敵が狙っているのがアイツなら、そろそろ何か起こってもおかしくないだろう」
「そうだな」
そう言うと、めだかはオーグマーのコンソールを操作し、通信用の画面を表示させる。ライブ会場内であることを想定し、チャットによるメッセージを飛ばしてのやりとりである。
会場内の状態について確認する旨のメッセージを入力すると、それを和人へ飛ばす。だが、メッセージを飛ばしてから十数秒が経過したが、返事は無い。チャットによるメッセージには、ライブ中にいつでも対応できるようにと事前に打ち合わせているため、手筈通り観客席で待機しているのならば、すぐに返事は来る筈。それが無いということは、やはり和人の身に何かあったのだろう。そう確信しためだかは、念の為に和人に同伴している蘭へと確認のメッセージを送ろうとした、その時。
「む?竜崎からのメッセージか」
「俺の方にも届いているな」
蘭に連絡を寄越すより先に、捜査本部の竜崎からの通知が届いた。しかもそれは、めだかだけでなく善吉やその場にいたメンバー全員にも届いているらしい。どうやら、捜査メンバー全員に伝えるべき重要な出来事が起こったらしい。内容を開いて見てみると、そこには和人が予想外の手段により、予想通りの事態へと至ってしまった旨が記載されていた。
「……どうやら、和人は一杯食わされたらしいな。HALの策略に嵌められて、孤立させられたようだ」
「和人の妹を人質に取るなんて……なんて汚ねえ野郎だ!」
「蘭と真は、ロビーでHALに電子ドラッグで洗脳された兵士と交戦中らしい。空手を極めた二人でも、身体能力を極限まで強化された兵士相手では優位には立てん。直葉を庇いながらでは、猶更だ」
「今すぐ助けに行くぞ!」
「待て、一護。全員持ち場を離れるのは拙い。それに、HALの兵士とやり合える人間だけで向かわなければ、木乃伊取りが木乃伊だ」
「それじゃあ、めだかはどうするんだい?」
「私と、腕の立つ人間のみで行く。それから、竜崎が呼んだ警察関係者も呼ぶ」
チャットで会場内にいる捜査メンバーと、捜査本部にいる竜崎にメッセージを飛ばし、会場の外へ出て和人の救援に向かう旨と、他の待機メンバーの中からも救援を出すように要請を出す。必要な数のメンバーが救援に向かえることを確認しためだかは、席を立つ。
「救援に向かうのは、私と一護、それにチャドだ。善吉は私の代わりにここを任せた」
「了解した」
「任せとけ。チャド、行くぞ」
「ああ……」
めだかに指名されて席を立ったのは、一護とその隣に座っていた、色黒で大柄な少年だった。チャドと呼ばれたこの少年――本名、茶渡泰虎は、一護の中学時代からの親友であり、一護が帰還者学校に通い始めてからも交友が続いている知己の一人だった。尋常ならざる頑強さと腕っ節の強さを見込まれ、一護の紹介のもと、部外者ながら今回の捜査に協力するに至った経緯があったのだ。ちなみに、チャドもまた一護の勧めでALOをプレイしており、スリーピングナイツに所属している。
ともあれ、仮想世界のみならず、現実世界においても非常に高い戦闘能力を持つめだか、一護、チャドの三人ならば、蘭と真のもとへ向かう救援としては申し分ない。めだかを先頭に席を離れると、会場の入口へと向かう。そして、扉を開こうとしたのだが……
「扉が開かない……だと?」
「おい、どうなってんだ?」
ライブ中も入退場が自由にできる筈の会場の扉が、ロックが掛けられているらしく、押しても引いても開かないのだ。
「まさかHALの仕業か?」
「だろうな。止むを得ん。多少手荒でも、強引に通るぞ。チャド、頼む」
「ああ……」
めだかの指示により、扉の前へと出たチャドが、正拳突きの構えを取る。扉の鍵を、その強力な剛力で破壊しようとしているのだ。そして、いざ拳が扉のロック部分に繰り出されようとした、その時だった。
「?……何だ。急に歌が止んだぞ」
「おかしいな……まだ一曲目だぞ。何が起こってるんだ?」
先程まで会場中に響き渡っていたユナの歌声が、何の脈絡も無く、唐突に止んだのだ。その予想外の事態に、扉を突破して蘭と真の救援に向かおうとしていためだか達の動きが止まった。
三人は扉とは真反対の方向を向くと、会場の中央で歌を披露していたユナが動きを止めていた。ユナは手を胸に当てて目を瞑って余韻に浸るような表情を浮かべていた。
『あー……楽しかった』
それだけ口にすると、ユナのアバターがその場から一瞬にしてかき消えた。さらにユナに続き、ユナのマスコットであるアインもまた消滅したのだ。さらに、異変はそれだけに止まらない。
「オーディナル・スケールが起動した!?」
「起動キーは言ってないのに……どうして!?」
めだか達三人をはじめ、会場内にいた人間の姿が、次々にオーディナル・スケールのアバターへと変化したのだ。起動キーは誰一人として唱えておらず、皆、困惑した様子だった。
そして、オーディナル・スケールが強制起動した直後。今度は全員の視界に『FINAL EVENT』という文字が出現した。
「まさか……!」
目の前で発生した異常事態に、めだかの脳内にある危険な可能性が過る。そして、その予感を裏付けるように、更なる脅威が会場内を襲う。
『グォォオオオ!!』
『シャァァアアッ!!』
『ブルォォオオッ!!』
会場の至る場所において、次々に青白いライトエフェクトと共に上がる、凶暴な咆哮。会場内に視線を巡らせてみると、至る場所に強大なモンスターが出現していた。それも、二体や三体ではない。十体を優に超える数が出現しているのだ。SAOや新生ALOにおいて見知ったフロアボスモンスターもいれば、SAO事件当時の記憶に無い姿をした――恐らく七十六層以上のフロアボスであろう――モンスターの姿もある。
「まさか、こんなに早くに仕掛けて来るとはな……」
「どうするんだよ、めだか!」
ライブ会場にSAOのフロアボスが投入し、オーディナル・スケールのイベントに扮してSAO帰還者の記憶を収集するというHALの思惑に動くことは、予測の範疇である。だが、竜崎等の見立てでは、この計画が発動するのは、もっとライブが盛り上がって観客のテンションが最高に高まった頃だろうとされていた。それがまさか、一曲目が終わって早々に動き出すというのは、完全に予想外だった。
ともあれ、事態が動き出した以上は、めだかは勿論のこと、会場内の各位置に付いている捜査メンバーのリーダー達は、どのように動くのか、その決断を下さなければならない。
「応戦する!善吉達に合流して、会場内に出現したフロアボスを討伐する!」
果たして、めだかが下したのは、会場内に出現したフロアボスへの対策を優先して動くという判断だった。
「……良いのか?」
「元より、我々は会場内の事態への対応を担当している。外も気になるが、今は真や蘭、そして和人達を信じるしかない」
「畜生!行くぞ、めだか!チャド!」
現在進行形で襲撃を受けている和人等を放置することには抵抗があったが、会場内の乱戦を放置してHPが全損するプレイヤーを大量に出せば、それこそHAL達の思う壺である。高出力スキャンが実行されれば、死人も出かねない以上、こちらを優先させるのは当然と言えた。
めだかは再度チャットで会場内のメンバーへとメッセージを飛ばし、方針を会場内に出現したフロアボスへの対処に変更して動くように要請する。それが終わるや、善吉達と合流し、フロアボスへの対処へとすぐさま動き出す。
「行くぞ!攻略を執行する!皆、付いてこい!」
その宣言とともに、捜査メンバー達は各々の得物を手にフロアボスへと向かっていく。
逃げ場の無い会場内においてもまた、死者を出さないために奮闘する捜査メンバー達と、そうとは知らずに無自覚なまま死闘に臨む観客達による、決死の攻防が幕を開けた瞬間だった。
『おや、また来たのかね。ヒロキ・サワダ君……いや、ノアズ・アークと呼ぶべきかね?』
ユナのライブを舞台とした、オーディナル・スケールを強制発動させての記憶の蒐集が始まったその頃。事件を裏から操っている黒幕たる電人HALが支配する電脳世界の中でもまた、新たな戦いが始まろうとしていた。
自身の本体たるピラミッドに腰掛けて電脳世界を見下ろす位置にいるHALの眼下には、同じく電人のヒロキが立っていた。そして二人の間には、HALの守護獣とも呼べるプログラム、スフィンクスが控えていた。
『HAL、君の計画を止めに来た。ライブ会場にいる観客達を、解放してもらうよ』
『フフフ……さて、君にできるかな?いつかの時には、可愛らしい妖精君に助けてもらったようだが、今回は君一人なのだろう?』
『君を止めるのが難しいことは先刻承知さ。正直、前身の僕であっても不可能かもしれないと思っている。けど、君は一つ間違っている』
『何?』
『僕は一人じゃない……!』
ヒロキが右手を水平に翳すと、VRゲームにおけるオブジェクト破壊時におけるライトエフェクトの爆散を逆再生するかのように、光の破片が集まり、ある形を成していく。それは、現実世界の大砲を彷彿させるものだった。尤も、飽く迄形状が近いだけであり、全体的に白色で角ばったフォルムは現実世界の大砲とは全くことなるものなのだが。
『放て!』
そして、ヒロキの声と共に、砲口から一条の閃光が迸り、現実の大砲さながらに、金色に光る球体が射出された。砲弾はヒロキから見て空中に位置するHALのピラミッドへと向けて真っ直ぐ放たれた。
『グォォォオオオ!』
だが、HALへと到達する前に、スフィンクスが射線上に割り込んでくる。そして、前足を軽く振って砲弾を掻き消してしまった。砲弾を弾いたスフィンクスの前足部分は、砲弾による損傷を受けたらしく、ノイズが走っていた。
『中々の武器を用意してきたようだが、残念ながら私には届かないよ。この程度の傷ならば、スフィンクスの自己修復機能ですぐに治せるしね』
『それはどうかな?』
スフィンクスの防衛機能故に余裕を崩さないHALだったが、対するヒロキは不敵な笑みを見せた。すると、次の瞬間――
『グ、ゴォオオ、ォオオ……』
『何……!?』
スフィンクスの動きが、急に鈍くなったのだ。ぎこちなく、カクカクと動いたかと思うと、数秒後には凍り付いたように動かなくなったのだ。
『ほう……スフィンクス対策のコンピューターウイルスか。この短期間でここまでの物を作り上げるとは……流石は天才ハッカー『ファルコン』といったところか』
突如として動きを止めたスフィンクスだったが、HALにはその原因がすぐに分かった。捜査メンバーの一人である、藤丸ことファルコンを動かし、スフィンクス対策として作り出させたコンピューターウイルスなのだろう。劣化版とはいえ、スフィンクスを完全に破壊するのは至極困難。ならば、動きを封じてHALの懐に飛び込もうという算段なのだろうと、HALにはすぐに分かった。
現にヒロキは、動きを止めたスフィンクスの横を素通りして、ピラミッドを背にしたHALのもとへと接近してきている。
『それで、スフィンクスを無力化してここまで来たのは良いが、この先は一体、どうするつもりなのかね?』
間近まで迫って来たヒロキを前に、しかしHALは余裕の笑みを崩さない。ヒロキがHALの間近へと迫った途端、両者の間の空間が揺らぎ、透明な防壁が現れたのだ。
『スフィンクスを止めているコンピューターウイルスも、あと一分と持たないんじゃないか?私を完全に無力化するには、最後の砦であるこの防壁を攻略するほかに無いのだよ』
『分かっているさ。だから、この防壁を突破するための最後の鍵も、しっかりと用意してきた』
『何……?』
ヒロキの言葉に、僅かに目を見開くHAL。現実世界は勿論、電脳世界における電子関連も含め、春川英輔に係る痕跡は全て消去している。一体、どこからパスワードの手掛かりを見つけたのだろう……そう疑問に思うHALを余所に、ヒロキはパスワードを入力していく。半角英数で既に入力された「/」を含めた二十一文字のパスワード入力が完了され、エンターがボタンが押されると――――――
『――馬鹿なっ!?』
HALとヒロキを隔てていた透明な障壁が、ガラスの割れるかのような音とともに、砕け散ったのだ。それは、ヒロキの打ち込んだパスワードが正しかったことを意味している。当のHALは、目の前で起こったことが信じられないとばかりに目を見開き、驚愕していた。
『どうやら、パスワードは正解だったみたいだね』
『くっ……!』
『悪いけれど、このまま君を無力化――』
『まだだ!!』
防壁を失ったことで無防備と化したHALを拘束しようと手を伸ばしたヒロキだったが、その手が届く前にHALは飛び立った。翼を羽ばたかせたわけではなく、電脳世界に生きる電人だからこそできる移動である。
『まだやられはせんぞ!!』
ヒロキから距離を取ったHALは、次々と自前の防衛システムを起動させていく。現実世界における戦車や武装ヘリ、戦闘機を模したプログラムが多数並び、ヒロキへとその銃口に相当するものを向けていた。
『やっぱり、そう簡単には降伏してくれないみたいだね……』
最終防壁を崩したことで度肝を抜かれたようだが、計画を諦める程に追い込むには至らなかったらしい。あまり期待はしていなかったが、降伏する意思を微塵も見せないHALに、ヒロキは嘆息する。
『ファルコン!HALの最終防壁はクリアした!スフィンクスが再起動する前に、HALを確保する!残りのセキュリティの排除を手伝って欲しい!』
『任せておけ!』
ヒロキの要請に応え、持ち前の神業とも呼べるハッキングスキルを以てヒロキを援護し、HALのセキュリティを次々無力化していくファルコンこと藤丸。通常ならばあらゆるコンピューターウイルスもハッキングも寄せ付けない防衛プログラムも、スフィンクスに及ぶレベルでなければ、この二人の前では無力も同然である。
この事件が発生して以降、捜査メンバー翻弄し続けてきたHALと、常に後手に回らざるを得なかった捜査メンバーの立場が逆転した瞬間だった。
無人と化した新国立競技場の地下駐車場において、二つの影が交錯する。オーディナル・スケールを起動している人間にのみ視認できるライトエフェクトを撒き散らしながら動き回る二人の動きは、人としての限界を超えつつあった。
「ほらほらほら!どうした!?防戦一方じゃないか!?それで僕を倒せるって言うのか!?」
「………………」
常人離れした動きを見せながらも、息を切らせることもなく、皮肉すら叩いてみせるエイジ。対するイタチは、一切口を開くことなく、エイジの言った通り、傍から見れば完全に防戦一方で状態であり、繰り出される攻撃の一切を凌ぐのに精一杯のようにしか見えなかった。
オーディナル・スケールのシステム上において設定されたHPも、エイジの方が上である。このまま戦闘が続けば、イタチのHPは完全に削り取られてしまうことだろう。このまま、ならば……
(どういうことだ?何故、攻撃が当たらなくなってきている……!?)
戦闘開始当初は、イタチの反応を上回る速度の剣戟と、未来予知にも等しいシステムアシストによる先読みで、着実にダメージを与えていた。だが、時間の経過とともにエイジの剣の命中率は低下し……戦闘開始から二分もすると、イタチの体を掠りすらしなくなってしまった。エイジの剣技が遅くなったわけではない。むしろ、戦闘開始当初よりも早くなっている。にも関わらず、イタチはそれらの攻撃全てを捌き切っているのだ。
そして、イタチもまた良いように攻められるばかりではない。
「そこだ……!」
「んなっ!?」
激しく繰り出されるエイジの剣戟に生じる一瞬の隙を突き、イタチがカウンターを放ったのだ。エイジの腕を、仮想の刃が掠める。大したダメージではないものの、今の一撃は完全にエイジの不意を突いたものだった。
(……こいつ!未来予想に対応して当ててきやがった!)
エイジの身体能力は、HALの作った電子ドラッグと、重村の作ったパワードスーツによって大幅に強化されているだけでなく、人体の行動予測プログラムを仕込んだ特注のオーグマーにより、未来予知もかくやという精度で相手の動きを先読みできる。その上、電子ドラッグにより、思考も幾分か加速されているお陰で、目に見える光景は実際の時間の流れよりもゆっくり動いているように見えるのだ。
そんな反則級と呼べる装備とシステムを使いこなしているエイジに、しかしイタチは確実に対応してきているのだ。
(単に俺の動きを見て、予測しているだけじゃない……リアルタイムに軌道を修正しているのか?)
信じられない話だが、それ以外には考えられない。相手の動きのパターンをもとに、動きを先読みするだけならば、まだ分かる。だが、極限状態の戦闘の最中にあって、攻撃に対してリアルタイムで即時対応することは、人間には不可能に等しい。
それは即ち、イタチもまた、エイジと同じ物を見ているのと同義であり……エイジと同等以上の動きをしていることを意味している。
(他の雑魚とは違うとは思っていたが……これは予想外だ。化物め……!)
強力な装置とシステムで武装し、超人的な動きを見せるエイジをして、この評価である。真っ当な方法で立ち会おうものならば、手も足も出ずに敗れていたことだろう。
(だが、だからといって、そう易々と引き下がるわけにはいかないんだよ……!)
イタチの脅威を再認識し、このままでは埒が明かないと判断したエイジは、切札の一つを切ることにした。あまり好かない協力者であるHALから授けられた、緊急用の切札の一つを……
「……『電子ドラッグver.2』解放」
「!」
エイジが唱えたシステムコマンドに対し、警戒して距離を取るイタチ。当のエイジは、漫画に出て来る、ドーピングをしたスポーツ選手さながらに、全身の筋肉が膨れ上がっていた。その顔には、獰猛な笑みが浮かんでいる。
「行くぞ……!」
「む……っ!」
その宣言とともに、エイジはイタチ目掛けて駆け出し、一気に距離を詰める。その速度は、先程までの戦闘の比ではなく、イタチですら危うく反応が遅れて攻撃を受けるところだった。
これこそ、HALが決戦に備えて用意した秘密兵器の一つ、『電子ドラッグ』を改良して作られた『電子ドラッグver.2』である。
初版の『電子ドラッグ』に比べて即効性が高く、戦闘中であってもこうして一瞬で効果を得ることができる上に、身体能力は初版『電子ドラッグ』の百八十パーセント増しとなるのだ。但し、何の処置も施していない人間に使用した場合、単純な命令しかできないため、臨機応変な対応を要する任務には、エイジのように初版の『電子ドラッグ』を既に使用している人間にしか使用できないという難点があった。加えて、強力な力が得られる分、副作用として使用者の人体には多大な負荷がかかり……一度使用すれば、翌日は丸一日起き上がることすらできなくなるのだ。
「正直、お前がここまで粘るとは思わなかったよ。流石はSAOをクリアに導いた英雄だな。だが、お前の活躍もここまでだ」
「くっ――!」
繰り出される刃の連撃への対処に追われ、防御が疎かになったイタチの脇腹に、エイジの回し蹴りが入る。イタチも咄嗟に受け身を取り、何とか防御に成功する。地面を転がりながらも最小限のダメージで済ませることができたが、あと少し反応が間に合わなければ、骨折は免れなかった。
片膝を突きながら、回し蹴りを受けた脇腹を押さえるイタチを見下ろす形で、エイジが近づいていく。
「悪足掻きはこの辺りで終わりにしてもらおうか。お前の記憶も……今度こそいただく!」
「……」
負傷して地面に膝を突いているイタチに対し、止めを刺すべく、刃を振り上げるイタチ。対するイタチは、顔を俯けたまま動かない。それを、負傷して身動きを取ることも儘ならない状態であると見なしたエイジは、これで終わらせるべく、容赦なく最後の一撃を繰り出そうとする。
だが――――――
「なっ……!?」
その刃が、イタチに命中することは無かった。エイジが振り下ろした刃は空を切り、床に仮想の傷を付けるのみに終わった。確かにイタチは、先程までここにいた筈。それが一瞬にして消えたのだ。一体、何が起こったのか……それを考えるより先に、エイジは目的の人物を見つけるべく、視線を周囲に巡らせた。
突如としてかき消えたイタチの姿は、しかし程なくして見つかった。イタチが立っていたのは、エイジから見て右手の方向。それも、十メートル程の距離が開いていた。あの一瞬で、どうやってこれだけの距離を取ったというのか。疑問はますます深まるばかりだが、今はそれより、手負いの状態のイタチを倒すことが最優先である。すぐさま思考を切り替えたエイジは、再びイタチ目掛けて距離を詰めようと駆け出す。
対するイタチは、迫りくるエイジを前に立ち尽くしたまま動かない。先程の攻撃をどうやって回避したかは分からないが、やはりもう限界なのだろう。
「もらった!」
勝利を確信したエイジが、再度刃を振るう。今度は真一文字に繰り出す横薙ぎの一閃である。この距離ならば、最早避けようがない。今度こそ決着が着くと、エイジはそう確信する。
そして対するイタチは、迫りくるエイジを前に、両手をゆっくり持ち上げると……目にも止まらぬ速さで、両手を動かし始めた。そして――――――
火遁・豪火球の術
「なっ!?」
次の瞬間、エイジの目の前で信じれられない現象が起こった。口笛を吹くかのように尖らせたイタチの口から炎が迸り、巨大な火球と化したのだ。
慌てて足を止め、横へ跳んで回避し、一度距離を取るエイジだったが、火球は僅かにエイジの足を掠めた。熱いという感覚は無かったため、オーグマーによって再現されたエフェクトであることは間違いない。
(どういうことだ……オーディナル・スケールに、あんなスキルは存在しない筈だ!)
しかし、解せないこともある。先程の火球によって、エイジのHPが僅かながら削られたのだ。それはつまり、イタチが放った火球は、見せかけのエフェクトではなく、オーディナル・スケールのゲームシステムの仕様において認められた攻撃ということになる。しかし、SF要素の強いオーディナル・スケールにおいて、口から火球を放つファンタジー系スキルなど存在しない。
まさかチートかと考えたエイジだが、即座にそれはあり得ないという結論に至る。オーディナル・スケールのサーバーは、重村とHALの手により、スフィンクスもかくやという程の強固なセキュリティに護られており、ファルコンですらハッキングは不可能である。それに、こんな力が使えるのならば、先日のHALが仕掛けたゲームで使用しなかったのも合点がいかない。切札故にギリギリまで温存していた可能性もあるが、自己犠牲に走る傾向にあるイタチが、仲間の危機においてそれをするとは考えにくい。
先程のあり得ない速度での移動といい、一体何が起こっているというのか。目の前の男が秘めた得体の知れない何かに、エイジは恐怖にも似た感情を覚えていた。
「……認めよう。オーディナル・スケールのプレイヤーとしては、俺では今の状態のお前に敵わないと」
エイジがイタチの底知れない何かに脅威と感じ始めていた中、当のイタチが口を開いた。何を言い出すかと思えば、エイジの――正確には、重村のパワードスーツとHALの電子ドラッグで強化された状態の力を――認め、勝てないという事実を認めるものだった。だが、イタチの口から紡がれる言葉には、諦めの色は無かった。
やがてイタチはゆっくりと顔を上げると、目の前に距離を取って相対する自身の敵であるエイジを見据えた。
「故にここから先は、『
そう宣言するイタチの、オーディナル・スケールのアバターとして赤く染まったその瞳には……三つ巴の紋様が浮かんでいた。