ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
『ドーピングコンソメスープ』――通称『DCS』。
それは、SAO事件発生よりおよそ一年前に都内のレストラン『シュプリームS(シロタ)』にて発生した殺人事件の容疑者にしてこのレストランのオーナーシェフ、至郎田正影が作った、本人曰く『究極の料理』である。
その正体は、数え切れない高級食材と、多種多様な違法薬物を精密なバランスで配合し、特殊な味付けを施して七日七番煮込んで作られる、真っ当な料理とは程遠い代物である。
事件当時、至郎田が経営するレストランは『成功を呼ぶレストラン』として芸能人や有名スポーツ選手の御用達となる程に評判だった。しかしそれは、料理の中に配合された様々な薬物の影響によるものだったのだ。そして、そんな違法薬物に塗れた料理を出すことを嫌ったチーフシェフである海野が、この件を公にすると言い出したことをきっかけに、至郎田は海野を殺害。至郎田はトリックを用いてアリバイ工作を行い、外部の人間の犯行に見せかけようとした。だが、工藤新一や金田一一と並び、当時その名を馳せていた中学生探偵・桂木弥子とその助手によって、その犯行を暴かれるに至った。
弥子の名推理――披露していたのは主に彼女の助手だったが――によって、容疑を決定づけられた至郎田だったが、彼はあっさりと犯行を認め、料理をする余裕を見せていた。
その理由は、すぐに明らかになった。彼には、拳銃を所持した警察官がいたその場を逃げ切る絶対的な自信があったのだ。それこそが、『ドーピングコンソメスープ』である。身体能力を強化する様々な薬物の効果を倍増し、さらに血管から注入(たべ)る事でさらに倍増させる効果があるそれを、至郎田は注射器を用いて自らの体に注入したのだ。結果、至郎田の体は服を破る程に筋骨隆々とした人間離れした姿に強化された。最早化物としか形容できない肉体へと変貌した至郎田は、その身体能力をもって逃亡を図ったのだが……その目論見は、即座に潰えることとなった。肉体を強化した直後、自らが究極と称する料理を愚弄した弥子の助手へと襲い掛かった瞬間に、薬物の副作用が発生。至郎田の身体は急激に痩せ細り、髪は真っ白に染まり、まるで老化したかのように衰えてしまったのだった。
その後、至郎田は逮捕され、至郎田が企て『ドーピングコンソメスープ』を利用した『食の千年帝国』という野望は砕け散った。犯罪界にその名を深く刻み込んだ、脅威の一品であるそのレシピを知る者も、作った本人である至郎田のみぞ知るものとなった。その至郎田も、刑務所の中で服役しており……禁断の料理が世間に出る可能性は、完全に閉ざされた。
「HALには恐れ入ったよ。まさか、刑務所に服役していた至郎田を、看守もろとも電子ドラッグで操って、それを再現させたんだからな。しかも、電子ドラッグで至郎田の料理人としての能力も強化されたお陰で、効果もさらに倍増だ」
「それを使うことが、何を意味するのか分かっているのか?」
『DCS』こと『ドーピングコンソメスープ』が込められた注射器の針を自身の腕に突き立てるエイジに対し、目を細めながらイタチが問い掛ける。事件当時より効果が倍増しているということは、その副作用も増大化している可能性は高い。加えて、エイジの体は度重なる電子ドラッグの行使により、相当なダメージを受けている。この上、電子ドラッグの副作用まで受ければ、命の危険に発展しかねない。だが、そんなイタチの言葉に対し、エイジはフッと笑みを浮かべた。
「これぐらいしないと、お前には勝てないだろう?僕もただでは済まないだろうが、悠那を取り戻すためならば、この身ぐらいはいくらでも犠牲にしてやるさ」
「そうか……」
イタチを倒す。そのためならば、自分の体への……否、命のリスクすら鑑みないと、その瞳に狂気すら宿しながら言ってのけるエイジに対し、イタチがそれ以上掛けられる言葉は無かった。
「さて……それじゃあ、そろそろ再開しようか。戦いはこれからなんだからな……!」
『ドーピングコンソメスープ』の効果は即効性であり、すぐに効果が現れる。それでも油断できないのがイタチだったが故に、会話で時間を稼いでいたエイジだが、その必要も無くなったと判断したのだろう。イタチとの戦闘を再開するべく、注射器を投げ捨てて立ち上がる。もうすぐ薬物の効果により、筋肉が増強される筈。そう考えていたエイジだったが……予想外の事態が起こった。
「なっ……どういうことだ。体に力が、入らない……!」
立ち上がろうとしたエイジだったが、体に力が入らず、再び地面に膝を着いてしまったのだ。先程注入した『ドーピングコンソメスープ』の効果が、まるで働いていない。
一体、どういうことなのかと逡巡するエイジに、イタチがある物を見せる。
「無駄だ。お前が注入しようとしていた物は、ここにある」
そう言ってイタチがポケットから取り出した物。それは、一本の注射器だった。そのシリンダー部分には、『DCS』の文字が見える。
「ど、どういうことだ!?それはさっき僕が使った筈……何故、お前が持っているんだ!?」
「お前が自分に突き刺した注射器をよく見てみろ」
そう言われ、イタチの方へ向けていた視線を、先程地面に投げ捨てた注射器の方へと向ける。そこには、先程エイジが使用した注射器が転がっていた。だが、次の瞬間には、地面に転がっていたそれが、注射器ではなく……一本のボールペンへと姿を変えたのだ。一体、何が起こっているのかと疑問に想い、硬直しているエイジに対し、イタチが再び口を開く。
「先程の斬り合いの最中に、お前のポケットに入っていた注射器をすり替えた上で、幻術を掛けさせてさせてもらった。お前が先程まで注射器だと思い込んでいたのは、俺のボールペンだ」
「なっ……!?」
イタチの説明に、信じられないとばかりに目を見開くエイジ。
エイジが電子ドラッグ以外に、拳銃や毒物等の殺傷性のある武器を持っている可能性を危惧したイタチは、先程の斬り合いの最中、写輪眼が持つ動体視力をもって、エイジの動きや服の膨らみ等から、隠し持っているであろう凶器の存在を確認していたのだ。そしてその結果として、イタチはエイジのポケットの中にある注射器の存在を察知。これを取り除くための行動に出た。
イタチが死角からの奇襲に際して、わざわざ自分が攻撃を仕掛けることを、言葉で知らせていたのは、このためである。自身の方へと注意を向けさせ、その瞳――写輪眼を直視させて幻術に嵌め、密かに行った所持品のすり替えに気付かせないためのイタチの策略だった。
前世のイタチならば、写輪眼を見た相手を瞬時に幻術の世界へ閉じ込め、活動を完全に停止させることができた。だが、現在のイタチは忍術の存在しない世界へ転生してからのブランクがあり、忍術の感覚は完全には戻っていない。その上、電子ドラッグの影響下にあるエイジに幻術が絶対に効くとは限らなかった。故にイタチは、エイジの注意が戦闘中に及んでいない、注射器という特定の箇所に対する認識を歪める幻術を使ったのだった。
「これでお前の武器は全て無くなった。大人しく降伏してもらおうか」
「………………」
HALから託された切札である、電子ドラッグ2はパワードスーツを破壊されて機能を停止し、最後の身体強化手段であるドーピングコンソメスープも奪われた今、イタチの言う通り、エイジには抵抗する手段は一切無くなった。
やがて観念したエイジは、自嘲するような笑みを浮かべながら、口を開いた。
「……確かにお前の言う通り、僕にはもう戦う術は残されていない。悔しいが、完敗だ。だが、この場で僕を倒したとしても、既に手遅れだ」
「会場で集団スキャンをするために、オーディナル・スケールのイベント戦闘に偽装して大量のフロアボスを放ってSAO生還者を襲わせていることなら、既に知っている。そちらは、俺の仲間達が対処している。俺もすぐに行くがな」
現在の会場の状況については、つい先程、HALを追い詰めてシステム権限の一部を奪い取ることに成功したヒロキからの連絡を受け、イタチも把握していた。尤も、会場入りする前からHALの目論見についてはある程度想定していたため、大して驚きはしなかったが。
ともあれ、こうしてエイジは無力化できたのだ。イタチが次にすべきことは、会場にいる仲間達と合流して、現在進行形で暴れまわっているフロアボスを制圧することである。
すぐに次の行動に移らず、エイジに降伏を促しているのは、これ以上余計なことをしないようにと釘を刺すとともに、HALが未だに諦めず進めている計画に関して、イタチ等が把握していない情報を聞き出すためである。
「いいや、お前は間に合わない。会場にいるSAO生還者は、全滅だ……!」
「まだ何か隠し玉があるということか?」
指一本動かせなくなったこの状況下にあって不敵な笑みを浮かべるエイジ。それを見たイタチは、自分達が想定していない、この状況を覆せるような何らかの手段を、未だに隠し持っていると確信する。
幸い、前世で使用した忍術や写輪眼はまだ行使可能であり、むしろ前世の感覚に近づきつつある。時間も有限なので、ここは手っ取り早く、幻術で口を割らせるべきかと思考を巡らせたイタチだったが……そこで、事態は動きだした。
(エレベーターが動いている……?それに、ドアの……解除音!)
ふと周囲に注意を巡らせていた時。イタチの聴覚が、ある音を感知する。イタチがこの地下駐車場へ移動する際に利用したエレベーターの軌道音と、地下駐車場を閉鎖するために施錠されていた各扉の鍵が解除される金属音である。
「気付くのが遅かったな。HALからのお迎えだ」
「……!」
地下駐車場へと通じる扉全てが開くと同時に、大勢の男達が姿を現す。筋骨隆々とした屈強な肉体を有しており、頭にはオーグマーを装着していた。そしてそのいずれもが、虚ろな表情を浮かべていた。地下駐車場へ向かう際に、直葉を人質に取っていた、電子ドラッグで洗脳された兵士達である。
「こいつ等は、HALが横須賀の米軍基地から密かに集めた兵士達だ。お前が今まで相手してきた雑兵とは格が違うぜ」
「………………」
エイジの言う通り、現れた電子ドラッグで洗脳された兵士達は、体格も身のこなしも一般人を洗脳したそれとは明らかに違う。暗部の経験を持つうちはイタチとしての前世を持つ和人には、歩く姿を見ただけでもそれが分かった。さらに最悪なことに、ざっと見渡しただけでも、その人数は五十人近くいる。
(忍術で身体能力が強化されているとはいえ、この人数は……)
先日の公園で戦ったHALの兵士三人の連携とその戦闘能力を鑑みると、一筋縄ではいかないことは間違いない。ましてや今、目の前に現れたのは、戦闘を生業とする兵士である。苦戦はあの時の比ではない。限定的ながら忍術が使えるとはいえ、人数が人数である。超小型量子演算回路の効果もいつまで持つか分からない以上、まともに戦うには形勢は非常に不利である。
動きを封じるだけならば、基本忍術の『金縛りの術』が考えられる。だが、電子ドラッグで洗脳された兵士に果たして有効かが疑問視される。確実に動きを封じるならば、『月読』クラスの強力な幻術を放つ必要があるというのがイタチの見立てである。だが、現状では万華鏡写輪眼の発動までは感覚的には難しい。それに、電子ドラッグで洗脳された兵士達は、監視カメラによって位置情報を確認しているため、焦点が定まっていない。よって、仮に『月読』が使えたとしても、瞳術等の視覚情報による幻術はまず通用しない。
(やむを得ん……一点突破を図るほか無いか)
迫りくる兵士達の様子を眺めながら、戦闘は避けられないと判断したイタチは、『瞬身の術』を発動して全速力で強行突破を図ろうとする。包囲が比較的手薄になっている箇所を確認すると、一か八かの突破を仕掛けるべく動き出そうとした――――――その時だった。
「でやぁぁあああ!!」
「うぉぉおおおお!!」
二人分の気合と覇気の籠った声が、地下駐車場に響き渡る。イタチが声の聞こえた方向へと振り返ると、そこでは蘭と真の二人が、電子ドラッグで洗脳された兵士達を蹴散らしていた。エントランスに控えていた兵士達を無力化した後、地下駐車場に通じる扉を破壊し、この場に駆け付けてきたのだろう。
二人ともオーディナル・スケールを起動しており、プレイヤーアバターであるランとマコトの服装となっていた。ランのすぐ傍には、こちらもオーディナル・スケールを起動した直葉ことリーファの姿もあった。
常人離れした身体能力で兵士達を次々に薙ぎ倒したランとマコト、リーファの三人は、イタチのもとへと辿り着く。マコトとランが迫りくる兵士の攻撃を捌く中、リーファはイタチのもとへと駆け付けた。
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
「ああ。怪我は無い」
イタチの手を取り、心配そうな表情を浮かべるリーファだが、本当に怪我は無い。エイジとの戦闘の中で多少の打撲はしたものの、繰り出される攻撃全て、上手く打点をずらして受け身を取っていたお陰で、行動に支障を来す程のダメージを負うことは無かった。
「それより、会場の方が問題だ。HALの計画が最終段階に進んでいる以上、早く戻らなければならん」
「イタチ君、ここは私達が!」
「先に戻ってください!」
四方八方から迫りくる兵士達を相手に激闘を繰り広げていたランとマコトが、イタチに先を行くように促す。電子ドラッグの効果で強化された兵士達は、腕力に加えて耐久力も段違いであり、流石のランとマコトも苦戦を強いられている様子だったが、十分互角以上に戦えている。これならば、この場を任せて会場に戻っても問題は無いだろう。
「道案内は私が!こっちだよ、お兄ちゃん!」
「頼んだ」
ランとマコトにこの場を任せたイタチは、リーファに先導されて、地上の会場へと通じる扉を目指して走り出す。
その場に残ったランとマコトは、二人の後を追おうとする兵士達を食い止めるべく、先程以上に激しく襲い掛かってくる兵士達を、より一層激しい拳撃と蹴撃をもって果敢に迎え撃つのだった。
「フフフ……どいつもこいつも、無駄な足掻きをするな。もうここまで来れば、HALの計画を止めることなんて、できる筈も無いのにな……」
イタチに装置を破壊されたことで、完全に動けなくなっていたエイジは、必死に抵抗を続けるイタチ等の様子を見て、嘲るような笑みを浮かべていた。ランとマコトにHALが用意した兵士達の相手を任せ、イタチは妹とともにこの場を脱したようだが、会場内にはまだまだ大量の兵士を潜伏させている。常人離れした動きを見せたイタチだが、行く手を阻む敵す全てを突破するのは不可能に等しい。それに、よしんば会場に戻ることができたとしても、今度は解き放たれたアインクラッドフロアボスの群れを相手しなければならない。結論からして、どの道、計画の遂行を阻むことはできないのだ。
『随分と派手にやられたようだね、エイジ君』
「重村教授!?どうして……」
イタチとの戦闘で機器を破壊され、身動きが取れなくなった状態のエイジのもとへ、重村からの通信が届く。それと同時に、疑問に思う。計画実行中の現場の指揮を執っているのはHALであり、重村は計画の本命である悠那の蘇生のための、データの収集に専念していた筈である。
『どうにも、HALが電脳世界で追い詰められたようでね。通信を行う余裕すら無いらしい』
「そうですか……こんな時に頼りにならないとは。やはり、あのような男を計画に招き入れるべきではなかったのではありませんか?」
元々好意的な印象が無かった相手だけに、エイジの口から出ることばは辛辣だったが、その反面、驚愕もしていた。スフィンクスという無敵の防衛プログラムを有し、電人として電脳世界においては無双の力を誇る筈のHALが、自身のフィールドで追い詰められたという。電子ドラッグで洗脳した兵士達は、今もなお、計画のために動いているようだが、大勢への影響はどのくらいのものなのだろうかと、エイジは不安も覚えていた。
『この大事な局面におけるしくじりについては、私も擁護できんね。だが、幸い計画本体のプログラムは私の方へ移管されたお陰で影響は無く、電子ドラッグで洗脳した兵士もHALの方で何とか動かせるらしい。それに、君も人のことは言えないのではないかね?』
「……すみません。黒の忍を取り逃がしました。奴はチートと思しきスキルを行使していました。予想外の攻撃のお陰で、僕も……」
『ああ、気にしなくて良い。彼があのようなチートを行使したことは驚きだったが、彼のスキャンが上手くいかない程度のことは想定の範囲内だ。不完全なスキャンに終わった彼の分のデータは切り捨てることとなるが、集団スキャンが完了すれば、問題は無い。計画は完遂され、悠那は蘇る』
重村から通信で伝えられた、計画の進行に支障は無く……悠那は必ず蘇るという言葉に、エイジは安堵する。自身はイタチに敗れ、HALも十全の状態ではなくなった今、計画への影響は避けられないと考えていた。しかし、結論から言えば、計画の最終も苦役たる悠那の蘇生それ自体は成し遂げられる。それだけが、エイジにとっては救いだったのだ。
だが、そんなエイジが抱いた希望も、重村から告げられた言葉により、絶望へと一転する。
『しかし、君には最後の仕事が残っている。君が持っている悠那の記憶も、提供してもらうよ』
「………………は?」
重村が何を言っているのか、エイジには分からなかった。否、理解したくなかった。だが、重村より告げられたさらなる言葉により、否が応でもこれから自分が何をされるのかを、理解させられることになる。
『鋭二君。君が一番長く、SAOで悠那と一緒にいたのだろう?ならば、悠那の蘇生に必要な記憶を提供するのは、当然じゃないか』
重村がそう告げた直後。エイジの足元の空間に、ライトエフェクトが迸る。それは、SAOにおいてボスモンスターが出現することを示す現象である。瞬く間にエイジの眼前の床面一帯を覆った光の中から現れたのは、人間一人は軽く丸のみにできる程に巨大な鮫のモンスター。アインクラッド九十三層フロアボス、『ホーディ・ザ・グレートシャーク』である。
その大顎が開かれ、鋭い牙が無数に並んだ口がエイジに迫る。たまらず、エイジは恐怖に慄きながら逃げようとするが、パワードスーツを破壊されたことで、身体はろくに動かなかった。
「そんな……僕と悠那を、ずっと一緒にいられるようにしてくれるって約束したじゃないですか!?」
『私とHALが与えた装備も使いこなせないような奴に用は無い』
助けを求め、重村へ縋りつこうとするエイジだったが、当の重村は情け容赦の無い非情な一言とともに、それを一蹴した。
「嫌だ……奪わないでくれ……!」
『さらばだ』
そんな別れの言葉とともに、重村の通信は途絶えた。それと同時に、巨大鮫が広げた大顎にエイジは呑み込まれ、駐車場には断末魔にも似た叫びが木霊するのだった。
イタチがランとマコトの手を借りて、地下駐車場から脱出していた頃。ライブ会場の中では、HALが送り込んだ旧アインクラッドフロアボスモンスター達と、オーディナル・スケールを強制的に起動させられた観客達との壮絶な乱戦が展開されていた。
「カズゴ、アレンに続け!スイッチだ!」
「応よ!」
「アスナ、敵をギリギリまで引き付けてくれ!シノンはその隙にボスの急所を狙撃しろ!」
「任せて!」
「了解」
「キヨマロ!そっちのボスをもっと遠ざけろ!このままだと巻き込まれる!」
「分かってるよ!今、対応する!」
敵味方が入り混じっての混戦の中、アインクラッドでの戦闘経験によって洗練された連携のもと、メダカをはじめとするSAO生還者達は、ボスに果敢に戦いを挑んでいた。Lやイタチ等による捜査に協力している面々は、オーディナル・スケールプレイヤーランクが百位以内――特にメダカやアスナは三十位以内――に入っていることもあり、強力なフロアボスの群れ相手に一歩も退かず、互角以上に渡り合っていた。また、メダカの圧倒的なカリスマにより、面識の無い、会場内に居ただけのプレイヤー達すらも指揮下に入ったことにより、メダカの指揮が行き届く範囲では、未だに残存HPがゼロになったプレイヤーは一人もいなかった。
(とはいえ、このままではジリ貧だな……)
如何に連携が取れているとはいえ、フロアボスは会場中にいる。仮想空間でアバターを操るVRならばまだしも、動き続けるための体力に限界があるARでは、このまま戦闘を継続することは不可能である。フロアボスを全滅する前に力尽き、プレイヤー全員がフロアボスの餌食になる未来はほぼ確定だった。
この場を切り抜けるには、どうすれば良いのか。捜査に協力しているメンバーを中心とした即席のレイドを指揮する傍ら、メダカをはじめとした者達は思考を走らせる。
『キシャァァァアア!!』
「メダカ、危ねえ!避けろ!!」
「っ!!」
そんな中、全体の指揮を執っていたメダカの背後に、一体のフロアボスが現れる。巨大で鋭利な大鎌のような腕を持つ蟷螂を彷彿させる昆虫型のフロアボス、『カマック・ザ・エアスラッシャー』である。フロアボスに共通する巨体に似合わず、非常に俊敏に動けるこのモンスターは、『閃光』と呼ばれたアスナですら追いきれない程の速度でレイドの背後に回り込み、奇襲を仕掛けて来る曲者として知られていた。
そして今、そんな厄介なボスモンスターの凶刃が、メダカ目掛けて振り下ろされようとしていた。メダカも背後から迫る脅威を回避すべく、行動を起こそうとする。だが、レイドの指揮に注意が向いていたことで、反応が遅れていた。
(避け切れない――!)
頭上のすぐそこまで迫った大鎌を前に、最早これまでかと考えた……その時だった。
『諦めないで!!』
「なっ!」
メダカのHPを全損させんと迫った大鎌は、その直前で、甲高い金属音とともに弾かれた。一体、何が起こったのか。視線を真上から正面へ戻したメダカの視界に映ったのは、先程まではいなかった、大盾を持った一人の少女だった。そして、その容姿にはメダカをはじめ、捜査に協力しているメンバーは見覚えがあった。髪の色は白髪だが、間違いない。何より、少女の頭上に表示されているプレイヤーネームとそのランクが物語っている。
「君は……重村悠那か!?」
『……正確には、ユナよ。今の私は、ユナという名前を持った亡霊。重村悠那本人じゃないわ』
メダカの言葉を、少女――ユナは自嘲するように否定した。捜査に参加する関係上、ある程度の事情を知っていたメダカや、その周囲に集まったメンバー達は、それを聞いて沈痛な面持ちとなっていた。
『あなた達に、お願いがあるの!ここにいる皆を助けて!』
「……話には聞いていたが、やはり集団スキャンとやらが行われるのか?」
メダカの問いに、ユナは真剣な表情で頷いた。事情を知っているのならば、話は早いと、ユナは続ける。
『その通りよ!全員のエモーティブ・カウンターの平均値が一万を超えたら……高出力のスキャンが行われる!そうしたら、脳にとんでもないダメージが来るわ!』
「そんな!どうすれば……そうだ、オーグマーを外せば!」
「そうよ!皆!オーグマーを外して!危険よ!!」
ユナの言葉にアスナ等が周囲のプレイヤー達にオーグマーを外すようにと声を上げる。だが、誰一人として聞く耳は持たず、目の前のフロアボスとの戦闘を続けていた。
「無理だ……皆、今までのイベントバトルの影響で、現実と仮想の区別がつかなくなっているんだ」
「クソッ!どうすりゃ良いんだよ!」
バトルに夢中で呼び掛けに応じないとなれば、無理矢理外すしかないが、観客の数は数万人に達している。会場内の捜査メンバーだけで全観客のオーグマーを外すことなど、到底不可能である。
迫るタイムリミットに、アレンやカズゴは、苛立ちや焦りを隠せなくなっていた。そんな中、打開策を提示してきたのは、他でもないユナだった。
『方法は一つよ。計画の核になっているプログラムを、あなた達の手で破壊するの!』
「計画の核になっているプログラム……?」
「一体、それはどこにあるんだ!?」
最早、一刻の猶予も無い中で、ユナの提示したそれは最後の頼みの綱と呼べるものだった。先を促す捜査メンバー達に、ユナは盾で時折飛来するフロアボスの攻撃を弾きながら、説明を続けた。
『計画の核になっているプログラムは、旧SAOサーバーにインストールされた『スフィンクス』の核にされているわ。そして、スフィンクスには、あなた達がついこの間倒した、クォーターポイントのフロアボスのリソースの一部が使われているわ』
「クォーターポイントのフロアボス……つまり、第百層のラスボスということか」
「成程……つまり、そいつを倒せば、良いってわけだな!」
『焦らないで!まだ話は終わってない!』
ユナの話を聞くや、会場内にそのフロアボスを探しに行こうとするカズゴ達だったが、それをユナが止めた。冷静に話を聞いていたメダカやアスナも、やはり一筋縄ではいかないらしいと改めて気を引き締める。
『ボスモンスターがいるのは、旧SAOサーバーの中……第百層『紅玉宮』よ!』
「SAOサーバーって……どうやって行けばいいんだよ!?」
「落ち着け、ゼンキチ。話の流れから察するに、そこへ行くにはフルダイブするしかないのだろう。そして、この場でそれを話すということは、私達にはその手段がある。差し詰めそれは、“コレ”なのだろう」
不敵な笑みを浮かべながら、自身の装着したオーグマーを指で小突くメダカに、ユナは頷いた。
『オーグマーはナーヴギアの機能限定版でしかないわ!私の手でアンロックすれば、フルダイブ機能を使えるわ』
「やはりな……ならば、話は早い!皆、準備をしろ!」
メダカの指示に従い、捜査メンバー達は観客席に座り、背もたれに寄りかかり、姿勢を安定させる。フルダイブに伴い、脱力して転倒等するリスクを避けるためである。
「ユイちゃん、イタチ君をお願い!きっと、後から来る筈だから!」
『了解です!』
『フルダイブ中のあなた達の体は、私が守るわ!皆、急いで!』
そう言った途端、ユナを中心に透明なドーム状の結界が展開される。恐らく、ランク一位にのみ許された、強力な防御系のスキルなのだろう。フルダイブ中に、周囲にいるフロアボスモンスターの攻撃を受けた際に何が起こるか分からないことが不安だったが、これならば問題は無い。
フルダイブに際しての懸念が無くなったことを確認したメダカ達は、一斉にキーコードを口にする。
『リンク・スタート!』
その言葉とともに、メダカ達の意識は、仮想世界の中へと飛ばされる。空中に放り出される形でダイブした一同の眼前に映るのは、かつて自分達が命懸けの戦いを繰り広げた浮遊城の、未踏の決戦の地――――――
「ここがアインクラッド第百層……『紅玉宮』か」
「まさか、二年も経った今になって、ここを訪れることになるなんてね……」
攻略組として最前線の戦いに身を投じていたメダカやアスナには、目の前の光景には感慨深いものがあった。だが、そんな懐かしさや感傷を覚える余裕は、すぐに消えた。
吹き抜けになっている紅玉宮の内部へと降下していく面々の目の前の空間が、突如として揺らいだのだ。揺らぎは石を投げ入れた水面の波紋のように広がり、その中から、巨大な影が現れる。攻略組にとっては見慣れた、ボスモンスター出現の予兆である。
皆が目を見開いてその光景を眺める中……それは、完全に姿を見せた。右手に剣、左手に槍を構えた巨大な、神々しいまでの威容を放つ、女神のような姿をしたモンスター。アインクラッド第百層フロアボスモンスター、『アン・インカーネーション・オブ・ザ・ラディウス』である。
「行くぞ、今度こそ最後の戦いだ!攻略を執行する!!」
『応!!』
メダカの声に呼応して、他の攻略組メンバー達も各々の得物を構えて臨戦態勢に入る。
戦いは今、終局に向けて加速していく――――――