ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百五十五話 決着【terminate】

(どうにか間に合ったようだな……)

 

HALが操るボスの放った、最大最強の攻撃。それが直撃したフィールドの中央に立っていたイタチは、内心で冷や汗を流していた。その赤い双眸に手裏剣の紋様を浮かべているイタチの背には、赤く巨大な上半身のみの巨人が聳えていた。

 

須佐能乎

 

それが、イタチがボスの攻撃に対して発動した忍術である。写輪眼最強とされるこの術は、膨大かつ高密度のチャクラでできた巨人を顕現させるというものである。巨人自体があらゆる忍術や物理攻撃に対して絶大な防御力を持つ上、イタチの須佐能乎は『八咫鏡』と呼ばれる絶対防御の盾を持っている。あらゆる物理攻撃を弾き、盾自体の性質変化を変えることで忍術を無効化するの能力を持つのだ。先のボスの攻撃を防御できたのも、これのお陰である。

 

(何とか凌ぎ切ることはできた。とはいえ、状況は切迫している……)

 

忍術が使えるお陰で、HALの改造が施されたボスとも互角以上に渡り合えているが、現実世界における計画は今も進んでいる。早々に決着をつけなければ、計画の最終段階は実行され、会場のSAO生還者達の命は無い。

また、イタチはここに至るまでかなりの忍術を行使している。現実世界では、HALの兵士を無力化するために『月読』を使い、先の攻防で『天照』を使った。『須佐能乎』もまた、大量のチャクラを消費する。忍術にシステム上のMPのような概念や設定があるかは分からないが、忍術を発動する度に自身の中で力が減っている感覚はある。詰まるところ、イタチが発動できる忍術にも限りがあり、底が見えてきているのだ。

 

(ここで一気に決めるしかないな……)

 

ボスは今、魔法や剣技が届かない高さに滞空している。地上に引き摺り下ろして勝負をつけるべく、イタチは新たな手を打つ。

 

イタチ君……これって……!」

 

「これも、忍術……なの?」

 

イタチが発動した須佐能乎に、プレイヤー達は皆、絶句した様子だった。イタチの前世を知るアスナとリーファは、これが忍術であると察しがついたようだが、想像を絶するスケールの異能だったために、同様の反応を示していた。

そんな仲間達が見守る中、イタチは須佐能乎に新たな形を与える。上半身だけの状態だった身体が収縮し、二本の足が生えた人型を作り出す。頭部は鴉天狗を彷彿させる形となり、背中には一対の翼が生えた。イタチの身体は須佐能乎の変化とともに浮かび上がり、頭部に相当する位置に収まっている。

 

完成体・須佐能乎

 

それが、イタチが形成した須佐能乎の姿だった。最初の前世において、片手で数えるほどしか使ったことがなかったが、滞空状態のボスを落とすには、これ以上の術は無い。

 

「アスナさん」

 

「は、はいっ!」

 

「奴を地上へ落とします。奴の反撃の流れ弾が来る筈なので、皆の退避をお願いします」

 

地上で呆けた様子のアスナへそれだけ告げると、イタチは須佐能乎の翼を羽ばたかせ、上空のボス目掛けて跳び上がった。

 

『くっ……させるか!』

 

当然、ボスを操るHALも黙ってはいない。上空で展開した毛髪に埋められた宝石から、光線・光弾を放っていく。イタチの操る須佐能乎は、それらを回避し、時には右手の八咫鏡で防御し、時には左手に持つ剣『十拳剣』で切り裂きながら、ボスへと接近していく。

 

『なっ……!?』

 

「行くぞ」

 

その宣言と共に、イタチの須佐能乎が十拳剣を勢いよく振るう。ボスの毛髪は、埋め込まれた宝石同様、次々に切り刻まれていく。

 

『これ以上はさせん!』

 

遠隔攻撃の起点となる宝石を破壊されたボスは、右手に持った大剣を振るう。対するイタチは十拳剣で応戦し、両者は鍔迫り合いとなる。しかし、HALが操っているとはいえ、細かな戦闘動作はAI頼りのボスでは、イタチが手足のように操る須佐能乎には敵わない。そもそも、互角のサイズの敵を相手するように設定されていないのだから、当然だろう。数度の打ち合いの果て、ボスは大剣を持つ右腕ごと、イタチの操る須佐能乎によって切り落とされる。

 

『ぐぐぐ……!』

 

「地上に戻ってもらうぞ」

 

HALの悔し気な呻き声を無視したイタチは、そう言うと須佐能乎をボスの頭上へと飛び上がらせる。そして、須佐能乎の右手にチャクラを集中させ、新たな術を放つ。

 

八坂ノ勾玉

 

須佐能乎の右手から手裏剣のように投擲されたのは、繋がった三つの勾玉だった。ボスの身体に命中した途端――それは、大爆発を起こした。

 

『フォォオオアアァァアア!!』

 

悲鳴のような咆哮とともに、地上へと落下していくボス。先の一撃で飛行能力を失ったのだろう。受け身も取れず、地上へと勢いよく墜落した。

イタチもまた、それを追って地上へ降り立った。ボスとは距離を取り、仲間達が待機している場所へと向かう。

 

「イタチ君!」

 

地上へ戻ったイタチのもとにいの一番に駆け付けたのは、アスナだった。イタチは須佐能乎を解除すると、アスナの方へ向き直った。

 

「何とか奴を地上へ落しましたが、ボスのHPはまだ残存している以上、事態は予断を許さない状況です」

 

「さっきの……えっと、忍術?はもう使えないの?」

 

「これ以上の維持は限界です。残り少ない力で奴を仕留めるには、アスナさん達の協力が不可欠です。力を貸してもらえませんか?」

 

記憶を一部失くした影響からか、最近は見ることが無かった、仲間達に対して真剣に頼みごとを口にするイタチの姿。それを目にしたアスナ達は僅かに驚くも、それも一瞬のこと。イタチの頼みに対し、全員揃って頷いた。

 

 

 

 

 

(くっ……なんてスキルだ!)

 

地面に墜落したボスのアバターを操って起き上がらせながら、HALは心中で悪態を吐く。普段の冷静さを半ば失っている状態だが、それも無理は無い。イタチが発動した忍術という未知の力は、HALの理解を完全に逸しており、それが故にここまで一方的に追い詰められるに至ってしまったのだから。

 

(とはいえ、辛うじてHPはまだ残っている。現実世界の一斉スキャンまでは……残り一分か。これならば!)

 

最後の砦である紅玉宮のフロアボスは、残存HPが少なくなっている上に、両手を武器諸共に失って満身創痍の状態である。だが、スキル全てが封じられているわけではない。残る力の全てを防御に回せば、これから始まるプレイヤー達の猛攻を防ぐのも不可能ではない。

加えて、イタチは先程まで発動していた忍術、須佐能乎を解除している。発動時間の限界が来たのか、もしくはMPのような原動力が枯渇したためかは分からないが、須佐能乎を超える術が来ないのならば、イタチは最早脅威足り得ない。

プレイヤーの殲滅は諦めるほかないが、計画が実行されるのならば、HALの勝利である。

 

(防御障壁を全方位に展開……同時に遠距離攻撃に対する反射能力も付与。さらにボス本体の防御力をアップさせるスキルを発動。これならば、持ち堪えられる筈。あとは……)

 

防御スキルの多重発動により、ボス自身は身動きが取れなくなってしまうという代償を払う羽目になったが、この際やむを得ないと割り切る。最後に保険としていくつかの仕掛けを施す。

そして、態勢を立て直した次の瞬間――

 

(おっと、早速来たか)

 

銃声をはじめ、多種多様な轟音とともに、ボス目掛けて、プレイヤー達が放った銃撃と魔法の遠距離攻撃の雨霰が降り注ぐ。しかしそれらは、ボスが展開した防御結界に阻まれ、もと来た方向へと真っ直ぐ跳ね返された。地上と建物の各所に展開していたプレイヤー達はそれらを回避、あるいは防御するために動き回る羽目になり、追撃はできそうもなかった。

 

(さて……彼はどう出る?)

 

そんな中、HALが思考を走らせるのは、やはり自身を追い込んだプレイヤーたるイタチの動向だった。展開した結界は、遠距離攻撃に対してのみ発動するタイプである。よって、イタチが取る行動は……

 

「……ハァァアアアアア!!」

 

跳ね返された遠距離攻撃によって巻き上がる煙幕を切り裂き、赤い雲の模様が入った黒コートを靡かせたイタチが現れる。その両手には、SAOの最終決戦において装備していた黒と白の片手剣が握られていた。

二刀を携えたイタチは、HALが操るボスのもとへと一気に肉迫。近接攻撃に対しては効果を発揮しない防御結界を突き抜け、ボスへとその刃を振り翳す。

 

「スターバースト・ストリーム……!」

 

発動したのは、二刀流ソードスキル『スターバースト・ストリーム』。二刀流ソードスキルの中でも強力な威力を持つ十六連撃の剣戟が、容赦なくボスを襲う。

だが……繰り出した剣戟はクリーンヒットしているにも関わらず、ボスのHPは僅かずつしか減っていかない。HALがボスに発動させた防御力向上のスキルの影響である。

 

『残念だったね、イタチ君。この局面で、君が二刀流を使って来ることは分かっていたよ。まともに受ければ、ボスのHPを削り切るには十分な威力だ。尤もそれは、ボスの防御力向上スキルを計算に入れなければの話だがね』

 

勝ち誇ったように口にするHALの言葉に、しかしイタチはソードスキルによる攻撃の手を緩めない。システム外スキルも駆使することで、ボスのHPを僅かでも削り切ろうとする。そして、十六連撃全てが終わった時。ボスのHPは……ほんの僅かに、残されてしまっていた。

 

『どうやら君の快進撃もこれまでのようだね。さらばだ、イタチく――』

 

「スイッチ!」

 

「やぁぁぁぁあああああ!!」

 

『っ!?』

 

勝利を確信したHALの言葉は……しかし、イタチが放った言葉と、次いで響き渡った裂帛の気合を込めた声によって遮られてしまった。

ソードスキル発動を終えたイタチの後ろから現れたのは、イタチの黒と対を成す純白の服に身を包んだアスナ。SAO時代に『閃光』と称されたその敏捷をもって、ボスへと流星の如く飛び掛かった。

 

『……フフ、そう来ると思っていたよ』

 

だが、追撃を仕掛けようとするアスナを前にしても、HALの余裕は崩れなかった。イタチに代わり、アスナがボスの眼前へと躍り出たその瞬間を見計らって、HALは仕掛けておいた罠を作動させる。

 

「アスナさん、避けて!」

 

それに気付いたのは、スイッチに伴ってアスナの後ろに退くこととなったイタチだった。アスナとボスの間にある空間に発生する異変。それは、アイテムボックスに格納している装備をジェネレートする際に発生する光ものだった。

そうして光の中から現れたのは、一本の短剣だった。だがそれは、SAO攻略組として最前線で戦っていたイタチやアスナも見た事の無いものだった。

 

(その武器はシステム管理者のみが使用できるものだ。一突きで対象アバターのHPを全損させることができる)

 

「なっ……!?」

 

突如として現れた脅威に目を見開くアスナ。ちなみにHALが罠として仕掛けたこの武器は、防御も不能。ソードスキル発動の構えに入っていたことで、回避は間に合わない。刃は真っ直ぐ、アスナの腹部を目指して動き出し……

 

 

 

「油断し過ぎよ、アスナ」

 

 

 

しかし、アスナを傷付けるには至らなかった。

必滅の刃がアスナに触れようとしたその瞬間、アスナの耳に、聞き覚えのある声が入る。そしてその直後、アスナの視界を緑色の閃光が横切り、次いで金属同士が衝突して発生する甲高い音が響いた。

何が起こったのか理解できず、アスナはソードスキルを発動する姿勢のまま、空中で当惑した。ただ一つ、自身を狙っていた短剣が、いつの間にか視界から消え去っていたことから、自身が危機を脱したということだけは分かった。

 

「決めなさい、アスナ」

 

「えっと……ハイ!」

 

恐らく自分を助けてくれたのであろう、聞き覚えのある声に対して、未だ困惑しながらもアスナは頷いた。助けてくれた相手の正体や感謝云々よりも、今はとにかく、目の前の強敵を倒すことに集中することとした。

 

「行くよ……ユウキ!」

 

ボスへと肉薄したアスナは、イタチから受け取ったバトンを繋ぐべく、ソードスキルを発動させる。発動させる剣技は、その名を呟いた親友から託された、絶対無敵の十一連撃――『マザーズ・ロザリオ』である。

イタチの二刀流にも匹敵すると謳われる、『絶剣』ユウキが託したこの剣技ならば、数ドット程度しか残っていないボスのHPも十分に削り切れる。譬え防御スキルを発動させていたとしても、無意味である。

 

「せやぁあああっっ!!」

 

繰り出される十連撃の刺突によって、ボスの身体に十字架を描かれる。そしてフィニッシュに、その中央を穿つように渾身の一撃を放った。

 

「これで、終わりよ!」

 

怒涛の十一連撃全てが綺麗に決まった。これでボスのHPは全損した筈。その様子を見ていたプレイヤーの誰もがそう思っていた。

しかし――――――

 

「ボスのHPが、最後の一ドット残っている!?」

 

「馬鹿な!あれだけの連撃だぞ!どうなってやがんだ!?」

 

『マザーズ・ロザリオ』が決まった後のボスのHPゲージを見たプレイヤー達が、驚愕に目を見開く。彼等が口にしたように、ボスのHPは一切減っていなかったのだ。

 

『残念だったね、『黒の忍』ことイタチ君。それに『閃光』のアスナ君。君達がスイッチを仕掛けて来ることなど、想定の範囲内だよ』

 

この局面でボスのHPを確実に削り切るには、イタチ単身ではなく、不意を突くためのスイッチ要員を用意しておくことは、用心深いイタチの性格からして簡単に想像できることだった。加えて、そのスイッチ要員には、ボスが対応できない程の速度で動くことが可能な、イタチが真に信頼を置くアスナが選ばれることも。

だからこそ、HALは最後の一撃を貰わないための保険として、あるスキルを最後まで温存していたのだ。その名は、『無敵化』。SAOにおける一部のボスとの戦闘時には、次の行動に移る間、如何なる攻撃をもってしても一切のダメージを受けないインターバルが発生する。HALはこの仕組みを利用し、一定時間、一切のダメージを受けないスキルとして開発していたのだ。尤も、発動できる時間は五秒にも満たず、連発することは不可能なため、当初の予定では使用することの無い、本当の意味での保険だったのだ。しかし、そんな保険は、この局面でHALにとって思わぬ形で役立つこととなった。

 

(集団スキャンの残り時間まで十秒を切った!ここまで来れば、私の勝利は確定だ……!)

 

イタチとアスナは、大技を繰り出した直後につき、技後硬直で動けない。二人に匹敵する速度で迫れる剣士は近くにはいない。結論として、ボスのHPを削り切れる者は誰一人としていないのだ。

最早ここに至っては、HALの計画を阻止することは不可能。そう確信したHALは、全てのプレイヤー達に向けて勝利を宣言しようとする。

だからこそ、HALは気付けなかった。ボスが発動した反射障壁によって跳ね返された魔法によって発生した砂煙の向こう側で――

 

 

 

 

 

左手に持った剣に、チ、チ、チと音を立てる雷光を宿して、ボスを見据える一人のプレイヤーの存在に。

 

 

 

 

 

『プレイヤー諸君』

 

HALが高らかに全プレイヤーに向けて勝利宣言を開始する。

その瞬間――

 

『この戦い』

 

紅玉宮のフィールドを、一筋の青白い光が駆け抜けた。

 

『私の』

 

それは、地上を走る稲光の如く、ボスへと迫り――

 

『勝利』

 

ボスの心臓部を、真っ直ぐ貫いた――――――

 

 

 

 

 

千鳥!

 

 

 

 

 

『っ!………………なん……だ、と?』

 

「終わりだ……HAL」

 

HALの勝利宣言は、最後まで続かなかった。

遠隔でボスを操るHALが、別視点のカメラからボスの正面を確認してみると、そこには驚くべき光景があった。

今しがた、二刀流ソードスキルを発動したことによる技後硬直で動けなくなっていた筈のイタチが、ボスの心臓に白銀の剣を突き立てているのだ。ボスの心臓部には、背中まで貫く大穴が空いている。そして、それを引き起こしたイタチが左手に握る剣からは、バチバチと電撃が迸っていた。

そして、ボスのHPゲージは――――――

 

『これ、は………………』

 

完全に、ゼロとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

HPを全損したボスは、今までのフロアボスがそうであったように、その身を白銀に染めて、ポリゴン片を撒き散らして爆散した。

その様子を、ボスに止めを刺したイタチは、最後の一撃を繰り出した心臓部から間近で眺めていた。

 

『――――――私よ』

 

「?」

 

途中、ボスを操っていたHALが何かを呟いたのを耳にした。だが、それが何を意味するのかを考えるよりも先に、ボスが消滅したことによってその身は宙に投げ出されたため、着地に集中せざるを得なくなった。

 

「イタチ君!」

 

ボスを倒したイタチを待っていたのは、最後の一撃を与えるための作戦に協力してくれたアスナだった。遠くで待機していた他のプレイヤー達も、続々とイタチのもとへ駆け寄っていった。

 

「えっと……これって、どうなっているの?」

 

イタチのもとへ集まったプレイヤー達を代表して、アレンが問いかけた。

皆が見つめるその先には、ボスへのとどめを決めた本人である筈のイタチが、二人いた。

 

「イタチって……双子、だったの?」

 

「いえいえ!そんな筈はありませんよ!正真正銘、お兄ちゃんは一人だけです!」

 

リズベットが思わず口にした呟きを、イタチの家族であるリーファが否定する。しかし、そう考えるのも無理は無い。今ここにいるイタチは、双子と言われても納得してしまう程に瓜二つなのだ。顔は勿論、身長、体格……それに、身に纏う装備に至るまで。

今現在は、片方が両手に剣を持ち、もう片方が左手にのみ剣を持っている状態だった。

 

「もしかして……忍術?」

 

「はい。その通りです、アスナさん」

 

恐る恐る問いかけたアスナに、イタチは頷いた。その途端、両手に剣を持っていた方のイタチが、ポンッという音とともに煙を発生させて消えた。

その様子を見た一同が、再び驚愕に目を見開いた。

 

(『影分身の術』……チャクラ残量はギリギリのような感覚だったが、どうにか発動できたか)

 

ボスへの最後の攻撃を仕掛けるに当たってイタチが使用した忍術の一つ『影分身の術』。実体を持つ、自身と全く同じ分身を作り出すこの忍術を使ったイタチは、ボスへ攻撃を仕掛ける際、まず分身の方をボスへ突撃させ、二刀流ソードスキルを発動した。そこからさらにアスナにスイッチしてもらい『マザーズ・ロザリオ』の十一連撃を浴びせたのだ。そして、それでも倒れなければ、最後に後方に控えている本体のイタチが、最後の一撃として最強クラスの雷遁忍術『千鳥』を放つという作戦だった。

イタチの策は見事に功を奏し、スイッチを見越していたHALの裏をかき、見事ボスを倒すに至ったのだった。

 

「ところで……こんなところで、皆に見せちゃって良かったの?」

 

「今更です。あれだけ派手にシステムで説明のつかない力を行使した以上、言い逃れはできませんよ」

 

イタチとしては、忍術の行使はできる限り衆目にさらしたくはなかった。忍術などというシステムで説明のつかない異能を行使すれば、うちはイタチとしての前世のことまで説明しなくてはならないからだ。

しかし、今回ばかりはそうはそうはいかなかった。今回の一軒が全て片付いた後で、自分と親しい間柄の者達にだけは説明しておくべきかもしれないと、イタチは考えていた。

 

「そっか……分かったよ。ところで……私たち、勝ったんだよね?」

 

イタチの問題を一先ず棚上げすることにしたアスナは、改めてこの戦いの結果について確かめるように問いかける。

 

「はい。間違いありません」

 

その言葉により、かつてのSAO事件当時ですら中々体験することのなかった激闘を制したことを確かめた面々は、緊張の糸が切れて脱力する。中には武器を手から落とし、その場にへたり込む者もいた。誰も彼もが、満身創痍の状態だったのだ。

 

「そうやってすぐに気を抜くのが、昔から悪い癖よ、アスナ」

 

「……へ?」

 

全てが終わったことで、周りのプレイヤー同様、地面にへたり込みそうになっていたアスナに、唐突に声が掛けられる。何やら聞いたことがあるような声に振り返ると、そこには、

 

「お、お母さん!?」

 

「エリカよ」

 

アスナが思わず口にした、リアルが割れる呼称を訂正させたのは、ALOのシルフアバターのプレイヤーことエリカ。イタチをはじめとした一部の面々が知るその正体は、アスナの母親、京子である。

 

「全く……あなたって子は。さっきもそうだったけど、重要な局面で油断が過ぎるんじゃないの?」

 

「……もしかして、あの時助けてくれたのって……」

 

「私よ。昔からそうだったけど、いつまでたっても、危なっかしくて見てられないんだから……」

 

ボスへの攻撃に際して、アスナがスイッチした瞬間を狙った攻撃を防いでくれたのは、エリカだったのだ。あのタイミングでの不意打ちは、イタチでも想定しきれていなかったのだが、それに対応できたのは、やはり母親故なのかもしれない。

 

「あれ?……けど、エリカさんは、私が呼んだ人の中にはいなかったような……」

 

「ヒロキ!会場の状況はどうなっている!?」

 

ふと呟いた唯の言葉を遮るように、イタチがこの状況を見ているであろう協力者への問いを、虚空に向かって放った。

 

『大丈夫だ。ボスを倒してくれたお陰で、HALからアーガスメインサーバーの管理権を奪うことができた。今、ファルコンと協力して、高出力スキャンを止めている』

 

それに対し、ヒロキはイタチのすぐ傍に小型ウインドウを開いて答えた。これならば、現実世界の会場でオーディナル・スケールを起動してプレイしている者たちの命も大丈夫だろう。

 

『ただ、会場に出現したSAOフロアボスは消えていない。こっちはシステムを掌握して高出力スキャンを止めるので手一杯だから、悪いけれど、今すぐ現実世界に戻って対処してくれないかい?』

 

一先ずの脅威は取り除くことができたと知り、安堵したのも束の間だった。会場が未だに混乱状態だと聞いた以上、イタチも動かざるを得ない。

激戦に次ぐ激戦によって疲弊した精神と、現実世界に残している肉体に鞭打ち、次の戦場へと繰り出すべく、イタチは動き出そうとする。だが、その時だった。

 

『これで完全クリアだな、イタチ君』

 

唐突に、イタチの名を呼ぶ声が虚空に響き渡る。一体何事かと、それを聞いた一部のプレイヤー達が身構えるが、イタチだけは然程大きな反応をしなかった。

 

 

「茅場さん……やはり見ていましたか」

 

イタチが口にしたその名に、周囲のプレイヤー達がざわめく。何せそれは、SAO事件を引き起こした主犯にして、今はもうこの世にはいない人間の名前だったのだから。

 

『私の作った世界が、真にクリアされる瞬間を見たいと思うのは、当然のことだろう?』

 

「そうですか……」

 

『それよりもイタチ君。この世界を制覇した君を讃えて、これを授けよう』

 

姿なき茅場の声がそう告げた途端、イタチの頭上に光が収束し始める。集まった光は輝きを増し、やがてその中から、1本の剣が生み出された。イタチの持っている片手剣や、カズゴの持つ両手用大剣を超える大きさの、長大な剣である。

空中に現れた大剣は、イタチのもとへと真っすぐ下りてくると、その手に収まった。

 

『アインクラッドは確かにクリアされた。だが、まだ君にはやることが残っているのだろう?』

 

「……そうですね」

 

『さあ、行きたまえ。君たちの助けを待つ者たちのもとへーー』

 

 

それを最後に、茅場の声は完全に消えてしまった。

おそらくはこの世界において強力無比であろう武器を授けられたイタチは、最後の仕上げとして、もとの戦場へと向かうのだったーーーーーー

 

 

 

 

 

『グルォォオオオ!!』

 

「きゃぁあっ!」

 

オーディナル・スケールの強制起動と突如として出現した多数のアインクラッドフロアボスによって混乱の真っ只中のイベント会場の中。

その一角において、フルダイブ中のイタチ等を守るために悠那が展開していた障壁が、ボスモンスター達の執拗なまでの攻撃により、遂に破られた。

 

(まずい……このままじゃ……!)

 

悲鳴とともに吹き飛ばされた悠那は、必死に立ち上がろうとする。フルダイブ中とはいえ、オーディナル・スケールが強制起動されている状態でボスモンスターの攻撃を受ければ、HPは減る。全損すれば、強制スキャンが起こることもありうるのだ。

 

「くっ……!私が、守ら、ないと……!」

 

吹き飛ばされた衝撃でふらつく足でどうにか立ち上がった悠那は、イタチ等のもとへ戻ろうとする。だがそこへ、

 

『シュロロロロ……!!』

 

「なっ!?」

 

アインクラッドフロアボスの一体であるアストラル系モンスター『シーザー・ザ・ガシアスファントム』が立ちはだかった。それに続くように、上空からは女性の鳥人型モンスター『モネ・ザ・スノウハーピィ』が、その身に纏う雪を舞い散らせながら降り立つ。

二体のボスモンスターに狙われ、窮地に陥ってしまった悠那は歯噛みする。このままでは、イタチ等はおろか、自分の身も守り切れない。

 

『フォォオオオ!!』

 

「くっ……!」

 

そうこうしている内に、雪を纏った女鳥人が、氷の矢羽根を悠那に向けて飛ばし始めた。盾を落としてしまった状態の悠那にはこれを防ぐ術はなく、悠那は迫る恐怖に思わず目を瞑ってしまった。だが、その瞬間ーー

 

『フ、ォオ、アァ……』

 

『シュ、ロロォ……』

 

(……え?)

 

悠那の眼前を、何かが通り過ぎた。それを感じた悠那は、瞑っていた目を見開く。するとそこには、先ほど悠那を狙っていたモンスター二体が、その身を横一文字に断ち切られ、ポリゴン片をまき散らして爆散する光景があった。

一体何が起こったのかと、視線を辺りに向けてみる。すると、

 

「イタチ……?」

 

そこには、赤い雲の模様が入った黒コートに身を包んだ、イタチの姿があった。しかし、イタチの現実世界の体は、未だに会場の一角の席にある。ここにいるイタチは、紅玉宮へダイブしたアバターなのだと、悠那はすぐに理解する。

その手には、見たこともない長大な、圧倒されるようなデータ量を秘めた剣が握られている。恐らく、先程のボス二体を倒した得物も、これだったのだろう。

イタチは悠那の方へと振り返ると、三つ巴の文様が浮かんだ赤い双眸を向けた。それと同時に、悠那とイタチの頭上に浮かんだ、プレイヤーランクを示すアイコンが、音を立てて切り替わった。イタチは最強を示す「1」に。悠那はそれに次ぐ「2」の数字である。この瞬間、イタチと悠那のランクは入れ替わり、イタチがオーディナル・スケール最強の座を掴んだのだ。

 

「……」

 

「……」

 

互いに視線を交わす、イタチと悠那。やがて二人は静かに頷き合うと、それぞれの為すべきことのために動きだした。

イタチはイベント会場に現れたモンスターの掃討。そして、悠那は……

 

(ーー怖いこと……悲しいこと、たくさんあったよね。思い出の中に消えてしまった人もたくさんいた……)

 

本来の主役がいなくなったステージの上へと、決意を胸に歩きだした。

 

(それでも今を生きる皆の、その胸にはまだ温もりが残ってる……)

 

ステージに立った悠那は、祈るように両手を胸の前で組むと、一人歌い始めた。

辺りのプレイヤー達の多くは、ユナが戻ってきたと勘違いしていたが、構わず悠那は歌い続ける。

 

(みんながそれぞれの楽しかった時を、笑顔を忘れないでいてくれるなら、それ以上は何もいらないわーー)

 

この場にいる皆に、この歌を聞いている全ての人へと、笑顔を届けるためにーーーーー

 

 

 

 

 

「なんだ……一体、何が起こったというんだ……!?」

 

旧アーガス社のメインサーバーが置かれたサーバールーム。そこで計画の推移を見守っていた重村は、信じられないとばかりに驚愕に目を見開き、体を震わせていた。

彼の手に持つ端末の画面。そこに映し出されていた、ライブ会場にいるプレイヤー達のエモーティブ・カウンターの平均値が、上昇を停止。かと思えば、急激に低下し始めていたのだ。

どうやら事態は、重村達にとって最悪の方向へと急転したらしい。別の端末を操作し、ライブ会場内の映像を確認してみると、そこには信じられない光景が映し出されていた。

 

「これは……まさか、桐ケ谷和人?」

 

今回の計画を遂行するにあたり、HALが敵対していたSAO生還者の一人であるイタチこと桐ケ谷和人が、会場内のフロアボスを次々に撃破しているのだ。しかも、イタチの持っている武器は、アインクラッド第百層のラスボスをクリアした者のみが入手できる伝説級のアイテムである。今回の計画を遂行するにあたり、旧アインクラッドの、特にラスボスに関連する情報を確認していた重村には、それがすぐに分かった。

そして、そんな武器をイタチが持っているということは……

 

「HALの奴……まさか、しくじったというのか……!?」

 

その事実を認識したことで、重村はさらに衝撃を受ける。

確かにHALは、創造主である春川英輔に似て、自信過剰なところはあったものの、確かな能力を持っていた。最後の砦として用意していたSAOのラスボスも、攻略など不可能と言わざるを得ない程のカスタマイズを施していたことも知っている。

だからこそ、HALが敗れたなどという事実は、簡単に信じられるものではなかったのだ。

 

「何故だ……あと少し……あと少しだったのに……!」

 

愛しい娘を取り戻したい。その一心で、あらゆる犠牲を払うことを覚悟の上で実行した計画が完全に潰えたことに絶望し、項垂れる重村。

HALが敗れたことによって、電子ドラッグで洗脳した兵士達も軒並み活動を停止していることだろう。旧アーガス社のメインサーバーを置いているこの建物を守っている兵士達が力を失ったとなれば、Lが部下を差し向けて、重村を確保しにかかることは間違いない。だが、最早重村にとっては、そんなことは些末事だった。

 

「すまない……悠那……!」

 

必ず取り戻すと、そう心に誓った娘に対し、謝罪を口にする重村。その時ーー重村の右手に結んでいたブレスレットが、唐突に千切れ、地面へと落ち……チリン、と小さな金属音を室内に響かせた。

その音にはっとなって顔を上げた重村の目に映ったもの。それは、鏡のように辺りの光景を反射していたサーバーの外装フレームに映った、娘の姿だった。

ばっと後ろを振り向くと、そこには紛れもなく、重村が愛してやまなかった、一人娘がそこに立っていた。

 

「悠、那……」

 

「ありがとう、お父さん」

 

目の前に現れた娘は、父親である重村を責めるでもなく、悲しむでもなく、感謝を口にした。仮想の世界で命を落とし、この世界から消えてしまった自分を、未だに強く愛してくれている、父親へと……

 

「私はお父さんの思い出の中にいるよ。いつまでも……」

 

目に涙を浮かべながら、ただ短く、それだけ伝えた悠那は、すっとかき消えていった。

その場に一人残された重村は、涙を浮かべながら崩れ落ちていった。

 

 

 

Lが捜査本部から派遣した実働部隊が、無防備な状態で項垂れた重村を確保したのは、それから約十分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうだった、イタチ?」

 

「……最高の歌だった、と言っておこう」

 

場面は再び、ライブ会場へ戻る。悠那の歌声が響く中で無双を繰り広げたイタチは、瞬く間に会場内のフロアボスを殲滅。花火さながらにボスモンスター達をデータの破片へと爆散させていき、悠那が歌い終わる頃には全てが片付いていた。

会場内の安全が確保された時点でイタチとその仲間達は全員、フルダイブから現実世界へ帰還し、今はこうしてステージから降りてきた悠那と合流していた。

 

「ありがとう」

 

「それで、お前はこれからどうなる?」

 

説明されずとも、イタチにはある程度予想がついていることではあるものの、他の面々にも情報を共有すべきと判断し、敢えて問いかけることとした。

それに対し、悠那は少しばかり躊躇いを見せながらも、話し始めた。

 

「……私の本体はデータは、百層ボスのリソースの一部で作られていたの。お父さんとHALは、そこが絶対の安全圏だと考えていたけれど、あなたたちはその壁を打ち破った。保存データは間もなく初期化されるから……皆とはここでお別れ」

 

「そんな……!」

 

「どうにかならねえのかよ……!」

 

悠那から齎された事実を聞いて、動揺する一同。ここにいる関係者は皆、彼女のことについてイタチやLからある程度の情報を聞かされており、彼女がSAO事件の犠牲者である重村悠那を再現しようとして作られたAIであることも知っている。しかし、譬え実態がAIであったとしても、この事件において自分達を助けてくれた功労者である少女が消滅することは何としても避けたかった。

 

「ありがとう。私のことを心配してくれて。けど、もう十分なんだ。とても楽しかったよ。大勢の人の前で歌うっていう夢が叶ったんだもん。これ以上の幸せはないわ」

 

自身の消滅を憂いてくれる仲間たちに対し、悠那は何も心残りは無いという言葉とともに、本心からの笑顔で応えた。

 

「それと最後に、皆から預かったものを返すね」

 

「記憶をスキャンされたSAO生還者達の記憶をもとに戻すことができるのか?」

 

イタチの問いかけに、悠那は頷いた。この事件における被害者達に関する最大の懸念事項だっただけに、アスナをはじめとした面々は、解決することができると聞いて心底安心していた。

 

「記憶障害の原因になっていたのは「死の恐怖」。でも皆は、それを乗り越えて戦った……だから、きっと、思い出せるよ」

 

その言葉とともに、悠那のアバターは光に包まれ、無数の粒子になって辺りに散った。

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ……ゆう……悠那ぁ……」

 

HALが横須賀から呼び寄せた、電子ドラッグで洗脳した大勢の兵士達が行動不能になって倒れ伏しているライブ会場の地下駐車場の中。電子ドラッグver.2の副作用で立ち上がる力すら失ったエイジは、一人自身の無力さを嘆いていた。

 

「すまない……僕は、……僕は、また……君を……」

 

HALの電子ドラッグや重村のパワードスーツといったチートツールを用いたにもかかわらず、結果はこの有様。ARならば無双の力を奮うことができた自分も、SAO最強の剣士とされたイタチの前には、敵わなかった。

悠那を救えなかったSAO事件の時といい、今回の計画といい、どこまで自分は無力なのか……思い出せば思い出すほど、自分が惨めに思えて仕方がなかった。

大切なものを何一つ守れない……そんな自分が、存在する価値などあるのだろうか。いっそこのまま、消えてなくなりたい……そんな考えが思い浮かんだ、その時。

どこからともなく舞い込んだいくつかの光の粒が、エイジの頭上へと降り注いだ。そしてーー

 

エーくん……

 

「っ!?」

 

ふと、エイジの頭の中に直接語りかけるような、自身の名を呼ぶ、聞き覚えのある声が聞こえた。

同時にそれを聞いた瞬間、ありえないとも思った。

自分をそう呼ぶ人は……取り戻したいと思った人は……すでにこの世にはいないのだから。

だが、そんなエイジの思考をよそに、姿なき声はエイジへと語りかけ続ける。

 

ありがとう……私のことを、いつまでも想っていてくれて……

それに、私の夢を、覚えていてくれて……

 

「悠、那……?」

 

その言葉を聞いた瞬間、エイジは否が応でも声の主が自分の思い求めてやまない少女ーー悠那なのだと理解せざるを得なかった。

 

エーくん……あれはあなたのせいでも……誰のせいでもないわ。

あの時、あの場所にいた、私を含めた皆が最善を尽くした結果……

 

悠那はエイジのことを責めることはしなかった。SAO事件の時に助けることができなかったことは勿論、今回の暴挙と呼ぶべき計画に加担したことについても。

 

だから……そろそろ自分を許してあげて

 

「う、うぅ……」

 

エイジへと語りかけるその言葉の中にあるのは、エイジの苦しみに寄り添い、その苦しみを少しでも取り除きたいという、純真な優しさだった。そしてその優しさは、エイジの心にも強く響いていた。

 

大好きだよ、エーくん――

 

それが最後の言葉だった。エイジの頭の中に響いていた声は、完全に聞こえなくなった。

一人残されたエイジの目からは、とめどなく涙が溢れ、嗚咽が漏れた。

広い駐車場の中、先ほどよりも多くの光の粒が雪のようにエイジの上から降り注いだ。光の中、エイジは自身ををそっと優しく包み込むような、懐かしい温もりを感じていたーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

「イタチ君、悠那はやっぱり……」

 

「ご想像の通りです。保存データが初期化されたことに伴い、彼女もまた消滅したということです」

 

会場の至る場所に雪のように舞い散る光の粒子を眺めながら口にしたアスナの言葉に、イタチは淡々と答えた。悠那の消滅は、他の皆にとっても衝撃だったのだろう。その場にいた仲間たちの誰もが、沈痛な面持ちだった。

とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかない。危機は去ったとはいえ、事件自体はまだ解決していない。Lの方で主犯の一人である重村は確保できただろうが、もう一人の主犯である春川英輔の行方は未だ知れない。ヒロキとファルコンの力をもってすれば、すぐに居場所は分かるだろうが、計画が失敗に終わったことで何をしでかすか分からない以上、早々に捕らえる必要があった。

 

「そういえば、イタチ君」

 

「……なんでしょうか?」

 

脳内で今後のことについて思考を巡らせていると、ふと、隣に立つアスナから声をかけられた。

 

「記憶だけど……ちゃんと戻ってる?」

 

そう問いかけるアスナは、心配そうな表情を浮かべていた。だが、それも当然だろう。今回の事件におけるイタチの記憶消滅は、イタチがアスナを守るために身を挺したことがきっかけなのだ。故にアスナは、イタチの記憶が本当に戻っているのか、不安で仕方がなかった。

 

「ええ。悠那のお陰もあって、当時の記憶は大分戻ってきています」

 

「そっか……良かった……」

 

「心配をおかけしました。それに、実を言うと、あの戦いの最中に記憶は戻り始めていたんです」

 

「そうだったの!?」

 

イタチから齎された予想外の事実に、目を見開いて驚くアスナ。それを聞いていた周囲も同様である。

 

「恐らく、SAO時代を想起させる戦いに挑んだことがきっかけだったのでしょう。戦いの最中で、事件当時のボス戦をはじめ、様々な記憶が過っていました」

 

「そ、そうだったんだ……」

 

「もう!お兄ちゃんったら……事情を聞いた時は、私も心配したんだからね」

 

「何はともあれ、結果オーライってことかしら」

 

記憶が取り戻せたのなら、危険を冒した甲斐はあったとシノンが結論付け、他の仲間たちもまたそれに同意した。

そんな中、リズベットがあることに気づき、口を開いた。

 

「そういえば、気になってたんだけど……イタチが最後に放ったあの一撃。それに、使ったのは、左手に持っていた剣だったけど、それって……」

 

「『ダークリパルサー』ですね。リズベットさんとアスナさんからの贈り物です」

 

「やっぱり分かってたんだ!」

 

「ええ。この戦いに終止符を打つにはあの技と……そして、あの剣以外には無いとも、思っていました」

 

そう言いながら、イタチは『ダークリパルサー』を持っていた手を握りしめた。SAO事件の最終決戦において耐久値を全損したことによって失われてしまった剣だったが、先程の戦いで再び手にする機会ができた。ちなみに、SAO事件当時における、この剣を巡ってひと悶着を起こした記憶が戻ったのも、その時だった。

そうして事件当時の記憶が戻ったことを改めて実感していたイタチだったが、一方で再び手にした剣を特別扱いされたことで、その製作者たる鍛冶師が顔を真っ赤に染めることとなった。

 

「ちょ、ちょっと!変なこと言わないでよ!」

 

「イタチ君……まさか、本当はリズのことを……!」

 

「アスナ!あんたも勘違いするんじゃないわよ!」

 

別にそのような意図をもっての発言ではなかったのだが、イタチの放った言葉はその場にいた当事者達にえらい誤解を植え付けてしまっていた。また、SAO事件当時における剣を巡るトラブルの一部始終を知っている者たちは、先程からニヤニヤと悪い笑みを浮かべながらその様子を面白そうに眺めていた。

 

「ええ!?また新たなライバルの登場なんですか!?」

 

「ま、今更でしょ。何人いようと、負けるつもりはないけどね」

 

「うぅぅ……リズさんにまで参戦されたら、私ももう勝ち目が……」

 

「ちょっと!だから違うっての!人の話聞きなさいよ!」

 

顔を真っ赤にしながら否定するリズベットだが、イタチを慕う者たちの暴走は止まらない。さらに周囲は面白がって火に油を注ぐような言動で煽り立てるので、収拾がつかなくなる一方だった。

そんな暴走している女子勢の様子を、渦中の当事者であるイタチは、呆れた表情で見ていた。だが、助け舟は誰にも出さない。自分が口を出せば、混乱に拍車がかかることは分かり切っているからだ。

あれだけの壮絶な戦いの後だというのに元気が有り余っている一同に背を向けたイタチは、再度、会場に舞い散る光の粒子に目を向けた。

 

(安らかに眠れ……悠那)

 

儚げに舞う光を眺めながら、イタチは心の中でそう祈った。前世の自分や弟のように、深すぎる愛情故に暴走した人間たちにより生み出され、そして同じ人間の手により消滅の道を辿った、不完全ながら悠那の記憶と人格を持っていた人工知能。譬え本人が納得した、満足したと言っていたとしても、その末路には、アスナ達だけではなく、イタチもまた心を痛めずにはいられなかったのだ。

 

 


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