ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第十九話 サチ

 第十一層、タフト。既に攻略済みの階層であるそこは、主に中層プレイヤーが活動する場所として知られている。しかし現在、そんな階層の宿屋に、十人もの攻略組プレイヤーが犇いていた。

 

「ふぁあ…そろそろ、交代の時間だな。リーダー、よろしく頼んます…」

 

「カズゴ、時間だぜぇ…」

 

「んぅ…おう、任せとけ。」

 

「おぅ…今、行く。」

 

 宿屋の一室に、眠そうな顔をした、攻略ギルド、風林火山に所属するプレイヤー二人が入り、同ギルドのリーダーであるクラインと、攻略組ソロプレイヤーのカズゴが入れ違いに出て行く。月夜の黒猫団がMPKに遭ったことにより、再度犯人による接触があると予想し、攻略組十一人がローテーションを組んで宿の見張りに当ることにしたのだ。

そして現在、クラインとカズゴが見張りを交代する時間となったのだ。風林火山のメンバー二人と入れ違いに、クラインとカズゴは月夜の黒猫団が泊まっている部屋の前を巡回する。

 

「カズゴ、悪りぃが、俺はちょっとイタチんとこに行ってくらぁ。」

 

「ああ、ここは俺が見張っとくよ。」

 

 宿の廊下を一回りした後、クラインはカズゴに見張りをしばらく頼むことにする。向かう先は、この警護開始から交代無しで見張りを続けているメンバーのいる、宿屋の玄関口。ロビーを出た表門の壁に、件の人物は寄り掛っていた。

 

「おう、イタチ。そっちはどうだ?」

 

「特に異常は無い。静かな夜だ……不気味な程にな。」

 

 素人目に見ても、宿の玄関口に立っているイタチには、油断した様子が全く見られない。視線の先は、常に暗闇の向こうに潜む何かを見据えているかのようだった。

 

「しっかしよお……その、PoHって奴、そんなにヤバいのかよ?」

 

「少なくとも、俺が今まで見聞きして知った犯罪者プレイヤーの中では、段違いに危険な人物だ。MPK程度で終わるような奴とは思えん……」

 

「本当かよ……俺も今まで、その手のオレンジプレイヤーとはやり合ってきたが、みんなチンピラみてえな、大したことねえ奴ばっかだったぜ。そいつだけ、何が違うってんだ?」

 

「PoHを他のオレンジプレイヤーと同じ物差しで測るな。奴は生粋のレッドプレイヤーだ。」

 

 真剣な表情で、キッとクラインを睨むイタチ。今回のMPKの話だけでも、PoHという殺人者、レッドプレイヤーは、攻略組としても通用する実力者であることが分かっている。

デスゲームと化したこのソードアート・オンラインというゲームを脱出することは、全てのプレイヤーの悲願である筈。だが、PoHという男をはじめとした、レッドプレイヤーは違う。この世界からの脱出を望まず、デスゲームをよりデスゲーム足らしめるためだけに、積極的に殺人を行っているのだ。

 

「奴を放置しておけば、犠牲者はまだまだ増えるだろう。何としても、止めねばならん……」

 

「厄介なことになっちまったなぁ……」

 

 イタチの話に、溜息を吐くクライン。イタチがピンチと聞いて駆けつけ、成り行きで事の次第を聞くに至ったが、まさかこんな事態に直面するとは夢にも思わなかった。そんなクラインの様子を見て、イタチは改めて口を開く。

 

「……嫌なら、この件からは手を引いても構わない。お前もギルドのリーダーだ。仲間の安全を守るならば、これ以上関わらない方が賢明だ。」

 

 レッドプレイヤー絡みの事件、しかも相手は攻略組に通用する実力者となれば、死闘になる可能性は高い。イタチはクラインに、事件から手を引いて攻略最前線に戻ることを提案する。だが、

 

「馬鹿なこと言うなよ。俺やカズゴ達は、勝手に関わってんだ。心配される謂れは無えよ。」

 

 クラインは頑として手を引く気は無いと言う。仲間として自分を気遣ってくれるのはありがたいが、プレイヤー同士の殺し合いに発展しそうな案件なだけに、やはり不安がある。

 

(最悪の場合は、俺が奴を仕留めなければならんな……)

 

 未だ顔すら知らないプレイヤーだが、脅威足り得る存在であると、イタチは考える。攻略組に匹敵する実力を持つ以上、生け捕りは難しい。最終的には殺るか、殺られるかの戦いになると予想される。

 

「……無理はするなよ。」

 

「その台詞、お前にそっくりそのまま返してやらぁ。」

 

警告のつもりで発した言葉だったが、クラインは呆れ半分にそう返してきた。フロアボス攻略の時もそうだが、イタチは自己犠牲的に危険な役回りばかりを引き受けている。今回もそれと同様、全て一人で解決しようとするに違いないと、クラインは予想していたからだ。

その後、クラインはイタチのもとを離れてカズゴがいる廊下へと戻ろうとした、その時だった。

 

「クライン!イタチ!」

 

 宿の奥から、血相変えて二人の元へ駆けつけてきたのは、クラインと同じく現在見張りのシフトを引き受けているカズゴだった。ただならぬ様子に、イタチとクラインは訝しげな顔をする。

 

「何事だ?」

 

「何かあったのか?」

 

「拙い事になった!あのサチっていう女、いなくなったぞ!」

 

 カズゴから告げられた衝撃の事実に、イタチとクラインは目を見開く。サチとは、月夜の黒猫団に所属している唯一の女性プレイヤーである。黒髪を肩まで伸ばした、大人しい雰囲気の少女で、第二十一層からの救出時においてもかなり怯えていたのをイタチは覚えている。

とりあえず、状況を把握するために、イタチはカズゴに事情説明を要求する。

 

「どういうことだ?何故、彼女がいなくなったんだ?」

 

「見張りの途中で、索敵スキルを使ったんだ。それで、部屋の中の人数を確認していたら……あの女の個室だけ、反応が無かったんだ。」

 

「部屋の中は確認したのか?」

 

「ああ……扉の解錠はフレンド登録している奴が自由に行える設定にしてあったお陰で、中に入れたからな。確認してみたが、部屋は蛻の殻だった。」

 

 宿の扉の鍵は、ギルドやフレンド、パーティーメンバーが自由に解錠できるよう設定できる。月夜の黒猫団の警護をすることが決まってから、緊急事態に備えてここに残っている攻略組は全員、フレンド登録をしているのだ。

 

「おいおい、そいつぁ拙いんじゃねえか……!」

 

「窓のロックが解錠されていたから、恐らく窓から裏口へ行ったんだろう。」

 

「……カズゴ。この事は、もうケイタや他のメンバーにも伝えたのか?」

 

「いや、まだだが……」

 

「分かった。サチは俺が探しに行く。お前達は他のメンバーを起こして事情を説明しておいてくれ。あと、念のために宿の中も捜しておいてくれ。」

 

 イタチはカズゴとクラインにそう指示を飛ばすが、二人は納得した様子ではない。クラインは、早々に無茶をしようとしている親友に対し、舌打ちしながら問いかける。

 

「お前一人で行くつもりかよ……!」

 

「俺は『索敵』の派生で、『追跡』が使える。フレンド登録しているサチの居場所も追える。」

 

「なら、俺達も同行した方が良い筈じゃないのか?」

 

「この騒動を、レッドプレイヤーに知られないようにしたい。第十一層主街区へ入って以降、少なくともこの宿を監視している様子はない。大人数で動いて、事情を察知した敵が先にサチを確保するのだけは防がなければならん。」

 

「けどよぉ……」

 

「安心しろ。サチは今のところ、この階層から動いていない。すぐに探し出せるさ。二人とも、他の月夜の黒猫団のメンバーを頼んだぞ。」

 

フレンド登録の機能により、サチのいる階層を調べながら、未だに納得した様子のないクラインに心配無用と言ってやる。その後、イタチは二人の制止を無視して裏口へ向かう。

 

(裏口は……あそこか。)

 

 宿の裏に出たイタチは、裏口を確認するや否や、右手を縦に振ってメニューウインドウを呼び出す。スキルメニューのタブに指を走らせ、『索敵スキル』から『追跡』を選択。探索対象の人物にフレンド登録した名簿から『サチ』を選択。すると、イタチの視界に映る地面に、目には見えない足跡が浮かび上がる。これが、索敵スキルの派生、追跡スキルである。

 

(急がねば……)

 

 地面に浮かび上がった足跡を追って駆け出すイタチ。追跡スキルは、対象が同じ階層にいなければ発動できない。宿を飛び出したサチの真意は分からないが、精神的に不安定なことは間違いない。どこへ行くかも分からない以上、すぐに保護しなければならない。

 

(……あそこか……)

 

 足跡を辿る内、イタチはサチが隠れているであろう場所への入り口へと至った。そこは、主街区の外れの水路の入り口だった―――

 

 

 

主街区の地下水路は圏内でありながら、その通路の入り組み様は、さながらダンジョンだった。隠された宝箱などもあることから、一時は攻略組はじめ多くのプレイヤーが足を踏み入れたが、帰り道が分からなくなったために転移結晶を使用しなければならない者まで出たこともある。十一層、タフトの地下水路に関しては、目ぼしい宝箱は全て開けられているため、人の出入りは極端に減っていた。

そして現在、そんな水路の中を、月夜の黒猫団の唯一の女性ギルメン、サチは一人で歩き続けていた。

 

(どうして……どうして、こんなことになったの?)

 

 自身の胸の内に湧いた疑問に、しかし答えは出せない。同じパソコン研究会と一緒に、成り行きでこのソードアート・オンラインというゲームをプレイした。世界初のVRMMOというゲームなだけに、サチも当初は興味を惹かれたが、プレイして早々、後悔することとなった。

 小説やSFの世界にしか存在しなかった異世界を再現した仮想世界は、確かにサチや仲間にとって、言葉に表せない程の感動を覚えさせられるものだった。だが、このゲームはMMORPG、つまりバトルメインのゲームなのだ。圏内から一歩外に出れば、そこはモンスターが闊歩する危険なフィールドである。人一倍怖がりなサチにとって、このゲームをプレイするのは荷が重すぎた。メンバーと共に数十分プレイしたが、戦闘への恐怖から、早々にログアウトしたいと思った。だが、それは叶わぬ願いとなってしまった。

 夕暮れの赤に包まれたはじまりの街において行われた、SAO制作者こと、茅場晶彦からの、チュートリアルという名の処刑宣告。ゲーム内の死=現実の死となったこの世界に、サチは激しく恐怖した。当初は他のパソコン研究会のメンバーと共に、外部からの助けを待った。だが、二週間、三週間と経過しても助けはおろか、連絡の一つも来なかった。救出が期待できず、また自分達の日々の生活費を稼ぐためには、戦う以外に選択肢はなかった。そしてある日、研究会のリーダーであるケイタは、会議で他のメンバーに対し、狩りを行い、生活費を稼ぐことを提案した。ゲーム内に閉じ込められてから、かなりの時間が経過していたこともあり、他のメンバーも腹を括ったのだろう、反論する者はいなかった。サチは内心ではフィールドに出ることが怖くてたまらなかったが、圏内に一人残されるのは、もっと嫌だった。結果、無理を押して仲間達についていくことにしたのだった。

 最初の内は、順調だった。レベル上げの効率は攻略組などには及ばなかったが、それでも着実に、そして安全にメンバーのレベルは上がっていった。そうして、活動範囲が第十七層まで広がった、ある日のこと。プレイヤーホームの購入を考えていた、ギルメン全員のもとへ、黒いポンチョを纏った男が現れた。第二十一層に、美味い儲け話があると言った男の言葉に乗せられ、安全マージンが不足した状態で危険なフィールドに入ってしまった。モンスターの群れに襲われ、絶体絶命の危機を迎えたが、黒ポンチョの男を追っていた攻略組プレイヤーのお陰で、命からがら逃げ延びることができた。

 だが、サチの恐怖は治まらない。こんなデスゲームという異常事態の中、ゲームにおける殺人によって、現実の人間の命をも奪うプレイヤーの存在に、サチの心は恐怖で掻き乱されていた。何故、こんなことをするのか?人を死に追いやって、殺して……何が楽しいのか?サチには全く理解できなかった。

 

(やだ……こんなの、嫌だよ…………!)

 

 現実ではない場所で、人が人を殺す。今回のMPKで、サチは死を間近に感じたばかりでなく、人を殺そうとする悪意が存在することを知った。その事実は、サチの精神をただひたすらに苛む。

 助けてくれた攻略組プレイヤー達から、安全のために外出禁止を言い渡されていたにも関わらず、宿を飛び出した理由は、サチ自身にも分からなかった。ただ、目の前の現実が信じられなくて……一人になりたくて……そして、何もかもから逃げたかった。そんな感情が、サチの胸中を占めていたのだ。

 地下水路をひたすらに歩き続けたサチは、やがて目の前の十字路になっている場所の隅に座りこみ、最近手に入れた隠蔽能力つきのマントを被ってうずくまった。

 

(怖い……怖いよ…………)

 

 ソードアート・オンラインという死の牢獄に囚われて半年。最前線で戦う攻略組の活躍によって、百層ある鋼鉄の城は四分の一が攻略されようとしている。だが、そんな長い月日の間、サチのような一般プレイヤーは勿論のこと、攻略組のプレイヤーでさえ、この世界で過ぎゆく時間の中で、先行きの見えない不安を抱いているのだ。サチがこの場所へ来て怯えるに至ったのは、それが心中に溜まり、破裂した結果だった。

 膝を抱えて一人震えるサチ。と、そんな時だった。

 

「その話、ホンマに信用できるんやろうな?」

 

 水路の向こうから突然聞こえた声に、サチはビクッと震える。どうやら、この水路に自分以外の誰かが入っており、誰かと話しこんでいるようだった。

 

(……誰なんだろう?)

 

 自分が言うのもなんだが、こんな夜更けに水路に入ろうと考える人間の思考は理解し難い。話をしている人物は、どうやら十字路の角の向こう側にいるらしい。サチは、誰がいるのか確かめるべく立ち上がることにした。

 

「第二十五層攻略では、血盟騎士団やら聖竜連合やらが出張るおかげで、ワイ等の出番は全部持っていかれているんや。その話がデマやったら、タダじゃ済まさへんぞ?」

 

 先程から関西弁の濁声で話している男性の口から、「攻略」という単語が出てきた。恐らくこの人物は、攻略組に属する人間だと推測される。だが、そうなると何故、攻略組のプレイヤーが、第十一層の地下水路に、それもこんな真夜中に入っているのか、疑問は募るばかるだった。

 サチは通路の角から頭を出し、向こう側を覗きこむ。視線の先の水路は排水溝からの月明かりに照らされており、話している人物のシルエットが確認できる。関西弁で喋っているのは、サボテンのようなヘアスタイルだ。そしてもう一人の話している人物は、黒い服に身を包んだ長身の男。飄々とした態度で、関西弁の男に対して口を開く。

 

「Oh…怖い怖い。そんなにいきり立つなよ。」

 

「!」

 

 男の声を聞いた瞬間、サチは背筋がゾクリと震えた。独特のイントネーションの混じったその喋り方に、サチは覚えがあったからだ。それはつい数日前のこと……ギルドホームの購入に際して資金集めに行き詰っていた自分達に、美味い儲け話があると話しかけてきた男のものだった。だがそれは、自分達をモンスターに殺させるための罠だったのだ。そして、MPKを仕掛けたレッドプレイヤーの名前は―――『PoH』。

 

(い、いや……嫌!)

 

 黒ずくめの男、PoHの声が聞こえた途端、サチは十字路の角から出していた首を急いで引っ込め、再びその場に蹲った。隠蔽能力つきのマントに加え、サチ自身も隠蔽スキルを無意識の内に発動していた。どうしてあの人物がこの場にいるかは分からないが、とにかく今は、絶対に見つかりたくない。見つかれば、何かされる……悪ければ、殺される!とにかく、見つかりたくない、その一心で、サチは身を隠したのだった。

 

 

 

 どれだけの時間が経ったか、サチには分からなかった。とにかく、懸命に身を隠し続けた。この暗闇に包まれた水路の中、自分が存在しているか、それすら分からなくなるほどに。だが、永遠のように続いた静寂は、突然破られた。

 

「サチ、だな。」

 

「!」

 

 突然水路に響いた、自分の名前を呼ぶ声に、サチは震えながら俯けていた顔を、ビクつきながらも恐る恐る上げた。目の前にいたのは、先のPoH同様の黒ずくめ……だが、その顔はつい先程見知ったばかりのものだった。

 

「あなたは……イタチ?」

 

「覚えていてくれたのか。」

 

天井の排水溝から差し込む月明かりに、イタチの中性的な面立ちが照らしだされる。サチは、目の前に現れたのが、自分を助けてくれた人物だったという事実に若干安堵した様子だった。だが、ほっとしたのも束の間。この近くには、自分達を殺そうとしたレッドプレイヤーがいるのだから。

十字路の向こうを指さしながら、サチはイタチに尋ねた。

 

「あ、あの……あそこに、誰かいない?」

 

「?……いや、誰の姿も見えないな。索敵スキルにも、反応は無い。」

 

 どうやら、自分がこの場にいることに気付かずに、件の人物は水路から姿を消したらしい。当面の危機が去ったことに、今度こそサチは息を吐いて安堵する。それと同時に、精神的余裕ができたことで、イタチに聞きたいことができた。

 

「どうして、此処が分かったの?」

 

「索敵スキルの派生スキル、追跡を使った。それで、お前の足跡を追ってきた。」

 

「……凄いね。攻略組は、そんなスキルも持っているんだ……」

 

 羨望と諦観、その両方を含んだ声色に、イタチはサチの心に危うさを感じた。行方不明になったサチを見つけた以上、早急に連れて帰るべきなのだが、この状態ではその行為は意味を為さないと考える。イタチは一先ず、文字通り腰を据えて話してみることにした。

 サチの隣に座りこみつつ、何故こんな行動に出たのかを聞くことにした。

 

「サチ、どうして宿を出たんだ?皆今頃、心配しているぞ。」

 

「ごめんね……イタチは私を捜しにきてくれたんだよね。」

 

「いや、俺は大丈夫だ。だが、何故こんな無茶なことをしたのか、聞かせてくれるか?」

 

 カウンセラーなんて柄じゃないことは、イタチ自身が百も承知だが、サチをこのままにしてはおけなかった。とりあえず、サチの内心を知ることから始めようと考えたのだった。

 

「……私、死ぬの怖い。怖くて、この頃あんまり眠れなかったの。それで、あんなことが起きたせいで……」

 

 その先は、言わずとも分かった。こんな死と隣り合わせの世界の中で、毎日怯えながら暮らすプレイヤーの話は、アルゴ経由で何度も聞いていた。サチもその一人だったのだろう。そんな状態にあって今回は、自分と同じようにゲームに囚われた人間に殺されかけたのだ。サチが今、感じている恐怖は計り知れない。やがて、恐怖に青ざめた様子で、ぽつりぽつりと胸中に浮かんだことを呟いていった。

 

「ねえ、何でこんなことになっちゃったの?なんでゲームから出られなくなって……それで、現実でも死ななきゃならないの?それに、こんな状況で人が人を殺すなんて……あの茅場って人は、何がしたかったの?こんなことに……何の意味があるの?」

 

「…………」

 

 かつて忍としての前世を生きたイタチにとって、現状のデスゲームと化したSAOの世界は、さほど珍しいものではなかった。前世の忍世界、その闇を歩いてきたイタチは、その道に走った人間の狂気や絶望など、嫌と言うほど見てきたからだ。だから、こんな異常事態で人殺しを率先して行うプレイヤーが出現することも、ある程度は予測できていたことだったのだ。

 だが、目の前の少女が感情を吐露する姿を見て、それは飽く迄前世の話であったことを、改めて認識した。自分が今いる世界、この日本という国は、平和そのものだ。そんな場所で生きていた人間が、いきなり死と隣り合わせの戦いの世界に放り込まれて、正気を保っていられるわけがない。攻略最前線に立ち、一日も早くプレイヤー達をこのゲームから解放しなければと考えて戦ってきたイタチだったが、その陰にはサチのように死の恐怖に怯える日々を送らねばならないプレイヤーが大量にいるのだ。最前線にトッププレイヤーとして君臨することで、多くのプレイヤーの憎しみを一身に背負うと同時に、ゲーム攻略を安全に行うことで、この世界に閉じ込められたプレイヤーを一人でも多く助けられればと考えていた。だが、今は目の前の少女の心すら救えない。前世においても感じた、同様の無力感に打ちひしがれながらも、しかしイタチは意を決して口を開いた。

 

「恐らく、意味なんて無いんじゃないか?」

 

「意味が、無い……?」

 

「ああ……あったとしても、それは茅場晶彦にしか理解できないものだ。この世界を創造し、観賞する。奴はそれが目的だと言った。だから、君は勿論、俺や他の皆も、奴の目的である世界の一部にしか過ぎない……それ以上の意味なんて、無いのだろう。」

 

 デスゲーム開始時に茅場が口にした自身の目的について反芻し、イタチはその意図を冷静に推察した。だがそれは、サチにとって残酷な真実でしかなかった。茅場は、この世界を創造するためならば、誰を閉じ込めてもよかったのだ。自分は悪戯な運命に翻弄され、この世界へ来て、怯えているのだろうか……そう考えると、最早こんなことを考えることすら無意味に思えてしまう。そんなサチの考えを読みとったイタチは、再度口を開く。

 

「だが、俺は意味が無いならば……だからこそ、意味を作るべきなのだと思う。」

 

「……?」

 

「現実世界でも、同じだろう?誰しも、自分が存在する意味を見つけるために、生きている。この世界だって同じだ。意味が無いのなら、自分で作り出すしかない。」

 

 それが、イタチの出した答えだった。この世界に転生してから十年以上が経っても、自身の存在の意味を見出すことは、できなかった。そして、焦燥から無意識に現実から逃避しようとした末に、この世界に来てしまった。しかもその過程で、自分は前世と同じ過ちを繰り返していたのだ。この事実を前にしても答えを出せず、イタチは「攻略」という新たな逃げ道へと入ってしまった。

しかし今、目の前の少女が吐露した感情に、新たな道を見出した。答えが見つからず、出せないのならば、自ら作り出すしかないのだと。

 

「俺はな、自分を知るということは、自分にできないことを許せるようになることだと思っている。」

 

「自分を……許す?それって、諦めるってこと?」

 

「違う。自分一人でできないことがあるからこそ、それを補ってくれる仲間がいる。それに気付くことは、何よりも大切なことだ。自分が本来できたであろうことを、蔑にしないためにもな。」

 

 サチの瞳を真っ直ぐ見据え、イタチはそう告げた。それは、禁術によって二度目の生を受けた自分が、片目を犠牲にする禁術まで使って悟った答えだった。この世界に転生してからも、その考えは変わらない。未だに前世の生き方に縛られていても、いつか現実にしたいと切に思っていることだからだ。

 対するサチは、今まで無表情そのものだったイタチの表情に、初めて覗いた強い感情を前に、口が開けない。ただ、目の前の少年が口にした答えには、自分には想像もつかない重みがあるということだけは分かった。

 

「お前は一人じゃない。支えてくれる仲間がいるだろう?」

 

「……うん。」

 

「なら、もっと仲間を信じろ。信じられる仲間なら、もっと自分の弱さを見せても良い筈だ。あいつ等なら、きっとお前を拒絶しない。」

 

「……うん。ありがとう、イタチ。」

 

 イタチの言葉に頷いたサチの頬に、涙が伝う。この世界に恐怖する感情が消えたわけではない。だが、イタチと今日ここで話して得た答えは、サチにとって何よりも大切なものとなった。

 しばらくしてから、イタチは宿にいる仲間にメッセージを送り、サチを無事に保護したことを伝えた。二人揃って宿屋に戻った時、必要以上にサチを責めるような真似をする人間はいなかった。リーダーのケイタは、「心配したんだぞ。」と一言告げると、サチを部屋へと送った。サチとイタチの間にどんなやり取りがあったのか、気になる者もいたようだが、ケイタやクラインの計らいにより、詮索する真似をする人間は、現れなかった。

 何はともあれ、サチは無事に帰り、騒動は落着したのだった―――

 

 

 

 

 

だがこの時、攻略組を死に追いやらんとする赤き狂気の魔手は、誰もが預かり知らぬ場所で伸びていたのだ。後日、攻略組最大級の被害を発生させる事件が、フロアボス攻略において勃発することなど、イタチすら知る由は無かった―――

 


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