ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
2023年12月24日
攻略組のトップスリーとして名高いアインクラッド解放軍が十二名に及ぶ犠牲者を出した、二十五層攻略から七カ月が経過した。レッドプレイヤーを巻き込んだ、攻略組最大級の被害を出した事件の顛末は、攻略組はじめ、ゲームクリアを望むプレイヤーにとって絶望的なものだった。
まず、攻略ギルドのトップスリーの座にあったアインクラッド解放軍が、二十五層以降、一線を退く羽目になった。十二名に及ぶ犠牲者を出したことで、組織の立て直しが必要になったからだ。加えて、犯罪者プレイヤーの活動があの一件以降活性化したのだ。裏で糸を引いているのは、二十五層フロアボス攻略においてボスを使ったMPKを行った主犯、黒ポンチョを纏ったレッドプレイヤー、PoHである。それに対処することも必要とされ、治安維持のために、ギルドの活動方針を攻略から組織強化に切り替える必要ができたのだ。
ちなみに、PoHに騙されてギルドメンバーに犠牲者を出したキバオウに関しては、当初は自ら責任を負ってギルドの脱退を表明した。だが、解放軍が活動方針を攻略から治安維持へ切り替えて第一層に拠点を置いて活動を始めたことをきっかけに、軍へと復帰。傲岸不遜な人物ではあったものの、初期の攻略から参加しているため人望もそれなりにあり、今後の犯罪対策を一任する人材としては適任と考えられていたことから、攻略組プレイヤーから然程抗議の声が上がることはなかった。何はともあれ、解放軍そのものが攻略最前線から退いた現在、キバオウは軍の中でも人一倍犯罪者の取り締まりと組織強化のために積極的に動いている。
そして現在、およそ八千人のプレイヤーを閉じ込めて浮かぶ鋼鉄の城、アインクラッドの攻略最前線は、第五十層に及んでいた――――
現実世界と同じ気候を再現するアインクラッドは現在、冬真っ只中。そして、この日はクリスマスイブだった。中層を中心に、街は普段よりも活気に溢れていた。日も沈み、暗くなった街では、酒屋やレストランを借り切ってクリスマスパーティーを開くプレイヤー達もいた。そんな浮かれた雰囲気とは程遠い、三十五層のフィールドの中。命懸けの戦いに身を投じているプレイヤー達がいた。
「ォォオオオオオ……オ、オォ…………!」
迷いの森と呼ばれるダンジョンの一角にある、巨大なモミの木の下で、異形の存在が息絶える。サンタクロースを醜悪にカリカチュアライズしたこのモンスターの名前は、「背教者ニコラス」。クリスマスイブにのみ、この場所に現れるイベントボスである。ポリゴン片をばら撒きながら、地に伏して息絶えるその周囲には、十五人に及ぶプレイヤーの姿があった。
「ふぅ……ようやく、終わりかよ……」
力尽きてその場にへなへなと倒れる、赤い鎧に身を包んだ侍風のプレイヤーは、攻略ギルド、風林火山のリーダー、クラインだった。その周囲には、彼と同じギルドのメンバー六人も地面に座り込んでぐったりした様子だった。
「ったく……流石は、年に一度のイベントボスってか……」
「まあ、なんとかなったじゃねえか……」
「ハハ……ヨウの言う通りだね。でも、僕ももう限界だよ……」
風林火山一同がへたり込む横で、同様に力尽きて倒れているプレイヤー達がいた。オレンジ髪のプレイヤー、カズゴは両手用大剣「ローリングスター」を地面に突き立てて支えにしている。その隣では、白髪の少年、アレンと熊の爪を首から下げたヨウが、それぞれの武器である、長剣「イノセント・ソロウ」と刀「重魂」を手から放り出した状態で、雪の上に大の時になって寝転がっている。
「全く……イタチはこんなのと一人で戦おうとしていたワケ?」
「無茶苦茶だよ、全く!」
信じられないとばかりに、目の前の黒衣の少年、イタチに問いかけるのは、逆立った髪型が特徴的な少年、ゴン。それに同調するように声を上げたのは、ベータテスト時代からの敏捷特化型プレイヤー、セナである。
「だが、イタチを手伝ったお陰で、我々も中々に美味しい思いができたではないか……ふむふむ、流石は年に一度のイベントボス。攻略組でも手に入らないものばかりだな。」
そこら中で倒れている仲間を横目に、この場にいるただ一人の女性プレイヤー、メダカはアイテムウインドウを開いて、先の戦闘で手に入れたレアアイテムを確認していた。イタチも同様にウインドウを操作していたが、アイテムが望んだものではなかったのだろう。すぐにウインドウを消してしまった。
「……俺は援護を頼んだ覚えは無いぞ。お前達が勝手に付いてきたんだろうが。」
イタチの突き離すような態度と物言いに、その場にいた攻略組プレイヤー達は呆れた様子で良い顔をしない。その真意を知っているだけに。
「イタチ、そんな言い方は無いと思いますよ……」
「ったく……お前えは本当に素っ気無えよなぁ……」
今回のイベントボス攻略は、当初イタチが一人で成し遂げようとしていた。だが、それを放っておけないと考えた、クラインはじめとする攻略組プレイヤー達が、フレンド登録を行い、その居場所を突き止めて追跡。イベントボスとの戦闘に合流したのだった。
当初こそ、年に一度だけポップするボスだけに、流石のイタチでも危険過ぎると考えて援護に向かったプレイヤー達だが、共闘して早々、その認識を覆されることとなった。
「それにしても……本当に規格外なスキルだよな、ソレ。」
「ゼンキチの言う通りだ。それがあったから、一人でボス攻略をしようなどと考えたのだろうな。」
イタチの“両手”に装備された剣に目をやりながらぼやくのは、メダカと、その補佐を務めるゼンキチだった。
「ったくよぉ……そんな凄ぇ裏技知ってたのに、何で黙ってたんだよ?」
「……取得できたのは、つい最近の事だ。習得を狙っていたことに違いは無いが、正確な習得条件は俺にも分からん。」
「もしかして、そのスキルを手に入れるために、今まで二本で戦っていたのか?」
「それが習得条件だとしたら、オイラ達には到底習得できねえわな。」
「ホント……イタチってバグキャラ過ぎるよね。」
イタチに呆れ半分、感心半分の視線を送る攻略組一同。それと同時に、先の背教者ニコラスを倒した規格外のスキルも、イタチならば有り得ない話では無かったと思えた。
「もうすぐ第五十層の攻略だな……やっぱり、そのスキルを使うつもりなのか?」
「ああ。勿論、そのつもりだ。」
カズゴの問いに、しかしイタチは当然の様に答えた。ソードアート・オンラインがデスゲームと化してから一年以上が経過し、2023年ももうすぐ終わろうとしている現在、アインクラッドの攻略最前線は第五十層……クォーターポイントである。第二十五層の双頭の巨人を考えるに、相当に強力なフロアボスであることは間違いない。犠牲者ゼロで戦いを乗り切るには、それ相応に強力な武器が必要となる。イタチはその時のために、自身が新たに習得した力を攻略組の前に晒そうとしているのだ。しかしそれは、イタチの身に新たな危険が降りかかる可能性を意味する。
「本当に良いの?こんなスキルを持っていることが知られたら……」
「……皆まで言うな。全て覚悟の上だ。」
アレンの不安な問いかけに、しかしイタチはいつも通りの無表情で答えた。ただでさえ
「ビーター」という誹りを受けているイタチである。先のイベントボスを倒したスキルが衆目に晒されれば、嫉妬深いネットゲーマー達からどのような誹謗・中傷を受けるか分からない。しかしイタチは、それさえも自身の罪として甘んじて受けようと言うのだ。
「ったく……イタチ、お前えって奴は…………」
「もう夜も更ける。早く主街区へ帰るぞ。」
クラインの言葉に、しかしイタチはそれ以上の問答を許さず、武装をしまうと一人主街区目指して迷いの森へと足を向けた。披露困憊で動けなくなっていたプレイヤー達は、その背中を複雑な心境で見送っていた。
迷いの森を抜けたイタチは一人、三十五層主街区を転移門目指して歩いていた。その姿、心境は、あの二十五層の攻略、そしてレッドプレイヤーとの死闘から帰還した時に酷似していた。
(蘇生アイテム……どうして、俺が手に入れてしまったんだ……)
イタチがイベントボス、背教者ニコラスに挑んだ理由は、つい最近手に入れたスキルを、第五十層フロアボス討伐を前に試すことが主な目的だった。それに加えて、ドロップするというアイテムの中に、興味を惹くものがあったからだ。それこそが、“蘇生”アイテム。そのアイテムの存在を聞いた時、イタチは無意識の内に、ある希望を抱いてしまった。それは、今まで失われたプレイヤーの命を取り戻すことができるかもしれない、という希望だった。
(このデスゲームには、あらゆる蘇生手段は働かない……チュートリアルでも言われていたことだったのにな……)
ソードアート・オンラインがデスゲームと化してから、既に犠牲者は二千人近くに及んでいる。意図せずとはいえ、ゲーム制作に、もっと言えば茅場晶彦の計画に協力してしまった経緯があるイタチは、それらの犠牲が自分の罪であることを信じて疑わない。だからこそ、自分の罪を消すことなどできないと理解していても、失われた命を取り戻す方法があるのならば、それに命を賭けねばならないとイタチは考えていた。
だが、手に入った蘇生アイテム、「還魂の聖晶石」の効果は、死亡後十秒間がタイムリミット。つまり、デスゲーム開始から今日までに失われた命を取り戻す術は存在しないのだ。
(分かっていたこと……だった筈だ。)
それでも、イタチは落胆を覚えずにはいられなかった。イタチとて身勝手で都合の良い、呆れ返るような考えだと自覚している。
そして、後悔を重ねても何一つ変えられないと分かっていても、イタチには今の生き方を変えることはできなかった。即ち、孤独と自己犠牲をもって、このゲームをクリアし、虜囚と化したプレイヤー達を解放するという道である。
(……譬え失敗する道と分かっていても……俺には、これしかできない……)
二十五層の戦いの後、イタチは己にそれまで以上に厳しい修練を課した。自分が持つ何もかもを、この世界を終わらせるための攻略に費やしてきたのだ。結果、習得を狙っていたスキルを手に入れるに至り、攻略組の中で最強と呼んで差し支えないステータスと実力を身に付けた。だが、どれだけ力を付けたとしても、己一人の力には限界がある。イタチは、それを乗り越える術も、そのために必要なものが何なのかも、生前の失敗から理解していた。だが、イタチにはそれ以上の選択を考えられなかった。
第五十層の攻略は、既にフロアボスの部屋が発見され、攻略用の戦力を整え、行動パターンを収集する段階に入っている。年内には、本格的な攻略が行われると考えられている。と、そこまで考えたところで、
「よお、イタっち。」
「アルゴ……」
イタチの目の前に現れる、新たな人影。小柄な金色の巻き毛の女性プレイヤー。鼠のヒゲを模したフェイスペイントが特徴的な彼女は、情報屋のアルゴだった。
「その様子だと、ニコラスを倒すのには成功したみたいだナ。」
「ああ。しかし、攻略に関しての情報交換は、明日の筈だ。何か俺に用でもあるのか?」
イタチの問いに、アルゴは苦笑を浮かべながら首肯する。
「イタっちへの届け物を頼まれてネ。ほら、これだヨ。」
アルゴがアイテムウインドウを開いて取り出したのは、結晶型のアイテム。イタチもそのアイテムが何なのかを知っていた。
「記録結晶?録音タイプのものだな……一体、誰からの物だ?」
「聞いてみれば、分かるヨ。イタっちに宛てられた、ラブレターだからナ。大切にするんだヨ。」
それだけ言うと、アルゴはそそくさと、文字通り鼠のような速さでその場を後にした。残されたイタチは、渡された記録結晶を見つめながらも、やがて転移門を通過して五十層に取っている宿屋に帰っていった。
宿に着いたイタチは、武装を解除した後、椅子に座って机の上にアルゴから受け取った録音クリスタルを置く。ラブレターなどと言っていたが、これを自分に渡そうとしたのは、女性ということだろうか?自分が普段接することの多い攻略組プレイヤーの中から、女性を何人か思い浮かべてみるものの、このようなものを渡す人物には該当しない。
(まあ……とりあえず、聞いてみるか。)
アルゴが渡してきたものということは、自分と面識のある人物なのだろう。ならば、危険物である可能性は無い筈だ。あれこれ思案しても始まらないので、イタチは結晶のスイッチを押した。途端、録音されている音声が聞こえてきた。
『メリークリスマス、イタチ。』
「……サチ?」
その声には、聞き覚えがあった。二十五層攻略時に起こったMPK事件の折に知り合った、中層ギルド、月夜の黒猫団に所属していた女性プレイヤー、サチの声である。あの事件が解決してから、ギルドのメンバーとのフレンド登録は全て削除していたため、メールで届ける手段が無かったから、アルゴに頼んだのだろう。だが、半年以上も会っていない自分に、何故こんなものを贈ってきたのか、理由が分からない。そんなことを考える間もなく、録音結晶は言葉を紡ぎ続ける。
『覚えているかな、私のこと。月夜の黒猫団の、サチだよ。
えっとね……まずは、なんでこんなメッセージを贈ったのか、説明するね。
あの、二十五層の事件から、私はギルドの前線から身を退いて、支援する仕事に就いたんだ。イタチから、もっと仲間を信じて、弱さを見せても良いんじゃないかって言われてから、いろいろ考えて……思い切って、ケイタに本当の気持ちを伝えてみました。そしたら、戦いが怖いって言う私を、誰も責めずに……逆に謝られちゃいました。「気づいてあげられなくて、ごめん」って。それで、今はギルドホームを守るために活動しています。「皆の帰る場所を守る」……それは、私にもできる……それでいて、ちょっとした誇りを持てる仕事です。
だから、こうして自分が本来できたことを蔑にせずに済んだのも全部、イタチのおかげだと思ってるんだよ。本当に、感謝しています。それが言いたかったんだ。
あとそれから、イタチは相変わらず凄い勢いで攻略しているみたいだね。百層あったこの世界も、遂に五十層まで到達したって聞いて、驚いたよ。でも、五十層のフロアボスって、あの二十五層のボスと同じくらい強いって、アルゴさんから聞いたんだ。それでね……イタチがまた、二十五層の時のことを思い出して、無理をしちゃうんじゃないかって、心配になりました。イタチがビーターって言われて蔑まれて……憎まれ、恨まれながら攻略していることも、知ってます。でも、そうやって無理を続けていたら、きっといつか倒れてしまうんじゃないかと、心配でたまりません。
……あの地下水路で話をした時から、君が本当は優しい人だということを、私は知っています。だから君は、犠牲になったみんなのことを思って、傷ついてしまうばかりか……それを全部自分のせいにしてしまっていると思いました。でも、これだけは覚えていて欲しかった……こんな悲しみに満ちた世界の中で、私が仲間たちの中に陽だまりのような温かさを見つけられたのは、イタチのお蔭なんだって……イタチに救われたんだって。
イタチは私なんかよりも、ずっと強いプレイヤーだから、この先の攻略でも活躍して……きっとこの世界を終わらせられると信じています。でも、その過程では、きっとこれまで以上に悲しい思いをして、傷つくと思う……でも、それと同じくらい、君に救われた人がいる筈だよ。だって、私がそうだったんだもの……きっと、イタチはもっと多くの人に希望を与えることができると、信じています。
だから、何があっても、生きることを諦めないでほしい……そして、この世界が生まれた意味、私たちがこの世界に来た意味、君が今ここにいる意味を見つけてください。それが、私の願いです。
……だいぶ時間が余っちゃったね。それじゃあ、折角クリスマスだし、歌を歌います。曲名は、『赤鼻のトナカイ』です。どんな人でも、きっとそこにいる意味はあるっていうことを、思い出させてくれるから、私はこの曲が大好きです。私みたいにちっぽけな存在にも、意味を見つけられたんだもの。きっと、イタチなら、比べものにならないくらい大きな意味を見つけられると、私は信じてる……そんな想いを込めて、歌います。』
録音クリスタルから流れる、サチの歌声。それは、イタチの心に静かに、そして温かく響いていた。それはまるで、凍てついた心の氷を溶かす、陽だまりのように……
やがて歌が終わると、サチからの最後の言葉が再生される。
『……私にとって……ううん、私達みんなにとって君は、この世界を生きるための希望の光だったよ。じゃあね、イタチ。君に会えて、本当に良かった。さよなら。』
「…………」
録音クリスタルの光が消える中、イタチは黙ったままだった。しかし、サチからのメッセージに込められた思いの温もりは、確かにイタチの胸に染み渡っていた。思えば、こんな言葉を投げかけられたのは、この世界に来てから……転生してから、初めてだったかもしれない。自分が今ここにいる答えを見つけられず、その果てにこの仮想世界まで来てしまったが、サチの言葉に希望を見出すことができた。何一つ、前世から引き継いだ過ちを何一つ変えられなかった自分が、何かを変えられるかもしれないという希望を。
「ありがとう、サチ……」
この場にはいない、サチへの感謝の思いが、自然と口から出た。サチが意味を見つけられたのならば、自分もいつかはこの世界に転生した意味を見つけられる筈。メッセージを通して受け取った希望を胸に、イタチはこの世界で戦い、生き続けることを心に誓った。
クリスマスイブの夜から五日後。攻略組は遂に、第二のクォーターポイントである五十層ボス攻略を果たした。二十五層同様に強力なステータスを持つ強敵を相手に、しかし攻略組は一切の犠牲を出さずにこれを倒したのだ。そして、この戦いを契機に、第二のユニークスキル使いが現れた。黒衣と赤眼、そして木の葉を模した紋章に横一文字の傷が入った額当てが特徴的な、そのプレイヤー……その名は、イタチ。
それは、のちにアインクラッドを制覇すると信じて疑われなかった、生き残ったプレイヤー達の新たな希望の光だった――――