ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

26 / 158
黒の忍
第二十五話 竜使いシリカ


2024年2月23日

 

 アインクラッド第三十五層には、迷いの森と呼ばれるダンジョンが存在する。巨大な木々が立ち並ぶ、樹海と呼ぶべき深き森は、碁盤状に数逆のエリアへと分割され、一つのエリアに踏み込んでから一分で、隣接エリアへの連結がランダムに変更される仕様となっている。そのため、森を安全に抜けるためには、主街区の道具やで販売している高価な地図アイテムによって四方のエリアの連結を確認して進む必要がある。この階層が攻略最前線だった当初、転移結晶を使えばいいと考えた攻略組プレイヤーがいたが、試してみたところ、主街区へは戻れず、ランダムに森のどこかへ飛ばされてしまった。以来、この森の探索に向かうプレイヤーには、地図の携帯が義務付けられている。

 そんな出口なき迷路の中、道に迷った一人の少女がいた。

 

「ピナぁぁあああ!!」

 

 真夜中の森の中、少女の悲鳴が木霊する。腕の中にあった、彼女の使い魔であり、唯一の友達である淡い水色の小竜――ピナの、その命の数値たるHPが底を尽きたのだ。

 そもそも、ピナがこんな目に遭ったのは何もかも主たる少女、シリカの所為だった。迷いの森に同行していたパーティーとの口論が原因で、地図を持っていないにも関わらず一人パーティー抜けて単独行動に走り、道に迷うに至ったのだ。そして、地図も無しに迷いの森を歩き続けて疲弊したシリカの前に現れたのは、このフィールドに出現する中でも最強クラスのモンスター、「ドランクエイプ」だった。シリカのレベルならば、一対一ではさほどの脅威ではない相手だったものが、今回は三体が一度に現れたのだ。一体を仕留めようと追撃を仕掛ければ、別のドランクエイプがスイッチして横合いから攻撃を仕掛けてそれを妨害する。しかも、ダメージを負ったドランクエイプが手持ちの瓢箪を煽ると、HPが回復し始めたのだ。一人と一匹で相手をするには、分が悪すぎる相手だった。やがて、戦闘を続けていく内に生じた隙を突かれ、棍棒の一撃を受けたシリカのHPはレッドゾーンに突入した。そんなシリカに更なる追い打ちをかけるドランクエイプの攻撃。それを食い止めるべく、身を呈してシリカを庇ったのは、シリカの親友でありパートナーの、ピナだった。

 

「ピナ!ピナ、しっかりして!」

 

「きゅる……」

 

 涙ながらに訴えかけるシリカの願いも、デジタルデータの世界においては何の意味も為さない。HPが尽きたピナの身体は、野生モンスターのそれと同様、白い光に包まれると同時に、ポリゴン片と共に砕け散った。後に残されたのは、ピナのものであろう、一片の羽だけだった。

 

「お願いだよ……あたしを独りにしないでよ……ピナ……」

 

 親友が遺した羽を涙ながらに抱きしめて絞り出した言葉に、しかし今しがた消えてしまった親友は、何の答えも返してくれなかった。

 

「グルルルル……」

 

その背後には、ピナを死に追いやり、今またシリカの命を奪おうとするドランクエイプの姿が三つある。HP残量がレッドゾーンに突入しているシリカがこれ以上の攻撃を受ければ、HPを根こそぎ奪われる……即ち死は免れない。だが、親友たるピナを殺された今のシリカには、死の恐怖すら意識する余裕の無い、虚無感が心中を占めていた。むしろ、いっそこのまま殴り殺されても良いとすら思えていた。

 

「グォォオオオオ!!」

 

 戦闘に立っていたドランクエイプが、棍棒を振り上げる。シリカの命を奪う一撃が振り下ろされようとした、その時だった。

 

「グォォァアッ……!?」

 

 三体並んでいたドランクエイプ達が、次々に苦悶の声を上げたのだ。次の瞬間には、三体ほぼ同時にポリゴン片を撒き散らして爆散した。シリカ以外の何者かが、ドランクエイプ三体を倒したのだ。

 

「?」

 

 何が起こったのかを理解できないシリカ。少なくとも、期せずして自分が生き残ったことだけは理解できた。ポリゴン片が作り出す光の幕の向こうに、黒い人影、そして赤く光る双眸を見ることができた。黒コートに身を包んだ赤眼の少年は、シリカのもとまで近づくと、口を開いた。

 

「……すまなかった。君の友達を、助けられなかった……」

 

 開口一番に出たのは、謝罪の言葉。どうやら、先程の戦闘で、シリカのパートナーであり親友のピナが殺されたところを見ていたらしい。シリカは涙を拭いながらも、黒衣の少年に向き直った。

 

「いいえ……あたしが……馬鹿だったんです……ありがとうございます。助けてくれて……」

 

 嗚咽を堪えて礼を言うシリカ。黒衣の少年はゆっくりと近づくと、片膝を付いてシリカが手に持つ羽を見つめながら、無表情ながらも優しく声を掛ける。

 

「その羽……アイテム名は設定されているか?」

 

 黒衣の少年の問いかけに、シリカはピナが遺した羽の表面をクリックしてみる。アイテムならば、これでアイテム名がウインドウに表示される。少年の予想通り、羽にはアイテム名が設定されていた。アイテム名は、『ピナの心』。それを見て再び泣きだそうとするシリカを、黒衣の少年が宥める。

 

「落ち着け。心アイテムが残っていれば、まだ蘇生の可能性がある。」

 

「え……本当ですか!?」

 

 少年の言葉に先程から一転、シリカの表情に希望が宿る。少年は先を促すシリカの視線に頷き、説明を続ける。

 

「攻略後に入った新しい情報だがな。四十七層の南に、「思い出の丘」と呼ばれるダンジョンがある。その頂上に咲く花が、使い魔蘇生用のアイテムらしい。」

 

「四十七層……」

 

 少年の言葉を聞いたシリカの顔に、再び影が差す。シリカの現在のレベルは44。安全マージンを取って攻略に向かうには、その階層プラス10のレベルが必要になる。つまり、四十七層の蘇生用アイテムを手に入れるには、57以上のレベルが必要になる。折角、親友を取り戻す術が見つかったというのに、自分の力が及ばない事実に、シリカは打ちひしがれる。

 

「だが、アイテムを手に入れるには、使い魔の主人が直接出向かなければならない。他のプレイヤーに代役を頼むことはできない。」

 

「情報だけでも、とってもありがたいです。今は無理でも、頑張ってレベル上げすれば……」

 

「……蘇生猶予期間は、死後三日だ。それを過ぎると、アイテムは「形見」に変化してしまう。」

 

「そ、そんな……」

 

 少年の口から告げられた言葉に、シリカの表情は再び絶望に染められる。三日で安全マージンを満たすことなど、どんな裏技を使ってもできっこない。ピナはその命を犠牲にしてまで自分を助けてくれたのに、自分は何もしてあげられない。こんな現状を作り出した自分の愚かさ、そして親友を救えない自分の無力さ全てが悔しくて、涙が止められない。そんな今にも泣き出しそうなシリカの顔を見て、少年は問いかけた。

 

「……君の親友、助けたいか?」

 

「…………はい。」

 

 涙ながらに震えながら、シリカはどうにか言葉を絞り出した。そんな痛切なシリカの願いを聞いた少年は、立ち上がり、右手を振ってウインドウを開いた。すると、シリカの視界に、アイテムのやりとりをするためのトレードウインドウが表示される。少年が手元のウインドウをクリックする度に、トレード欄に次々アイテム名が表示されていく。「イーボン・ダガー」、「シルバースレッド・アーマー」、「ムーン・ブレザー」、「フェアリー・ブーツ」……

 中層プレイヤーとして、どれ一つとして見た事のあるアイテムは無かった。

 

「この装備なら、五、六レベルは底上げできる。俺も同行すれば、恐らく突破できる筈だ。」

 

「え……」

 

 少年の言葉の意味が理解できず、シリカは地面にへたり込んだままその顔を見上げる。少年は相変わらず変化の無い表情で、その真意は測り知れない。だが、親友を救うための無茶に付き合ってくれると言ってくれたことだけは分かった。

 

「どうして……そこまでしてくれるんですか?」

 

 少年が差し伸べてくれた助力に、しかしシリカは警戒心を抱かずにはいられない。フェザーリドラ、ピナのビーストテイマーとして中層プレイヤーの間で高い知名度を持つシリカに、下心を持って接する男性プレイヤーは、これまで何人もいた。年の離れた男性プレイヤーから結婚を申し込まれたこともあるだけに、シリカは親友を助ける唯一の術だとしても、少年の手を取ることをどうしても躊躇ってしまう。

 そんなシリカの問いかけに、黒衣の少年は少し間を置いてから答えた。

 

「……半分はあるプレイヤーからの依頼、もう半分は個人的な感情からだ。詳しくは言えないが、君に危害を加えるつもりは無い。」

 

 シリカの求めていた答えは返って来なかったが、「個人的な感情」と言った時の少年の顔には、下心や危険な思考は感じ取れなかった。相変わらずの無表情だが、それだけはシリカには分かった。

 

「信じるかどうかは、君次第だ。ここで断るなら、俺は無理に同行しようとは思わない。」

 

 真意を語ろうとしない少年に、シリカは警戒心を解けないものの、四十七層の思い出の丘を自分一人で攻略することなど不可能なことは理解していた。知り合いの中層プレイヤーを頼るにしても、ここから十二層も上の階層で活動できる強豪プレイヤーに心当たりは無い。

 親友たるピナを助けるためには、シリカに選択の余地は無かった。意を決して、目の前の少年の助力を受けることにする。

 

「いえ……お願いします。あたし一人では、到底辿り着けませんから……私に力を貸してください。それで、全然足りませんけど……」

 

 四十七層の思い出の丘を攻略すべく、目の前の少年に同行を依頼するシリカ。先程のアイテムのお礼も兼ねて、依頼料を支払うべく、手持ちのコル全てをトレードウインドウで少年に差し出そうとするシリカ。だが、少年はそれを断った。

 

「金は要らない。俺には俺の目的がある……君に同行するのは、そのためだ。」

 

「本当に、良いんですか?」

 

「ああ。それよりも、早いところ、この森を突破しよう。立てるか?」

 

「あ、はい。ありがとうございます。あの、あたし、シリカっていいます。」

 

「俺はイタチ。しばらくの間、よろしく頼む。」

 

 イタチの差し出した手に掴まりながら、お互いに自己紹介をする。その後、イタチが取り出した地図を元に、二人揃って三十五層の主街区を目指すのだった。

 

 

 

 三十五層主街区、ミーシェは白壁に赤い屋根の建物が並ぶ牧歌的な農村の雰囲気に溢れる街である。アインクラッドの攻略最前線が五十五層となっている現在、この階層は中層プレイヤーの主戦場であり、街も活気に溢れていた。

 そんな街中を、迷いの森で出会ったイタチとシリカは連れ立って歩いていた。シリカが先導する形で、イタチが後ろから付いて行っている構図だ。

 

(ピナを助けるためにパーティー組んじゃったけど、掴みどころの無い人だな……)

 

 三十五層の街の中を、イタチと名乗った黒衣の少年を伴って歩くシリカ。ちらちらと振り返って視線を送るが、彼はほとんど表情を変えない。迷いの森で挨拶を交わしてからは、全くと言っていいほど口も利かない。

 要するに無愛想なのだが、危険な雰囲気を纏っているわけでもない。シリカ自身、犯罪者プレイヤーとまではいかないが、下心丸出しの男性プレイヤーと会うことは多々あった。そのため、男性プレイヤーの悪意というものには人一倍敏感だった。明日は四十七層の思い出の丘を攻略しに行く以上、もう少し話をしておいた方が良いかもしれない。そう思い、シリカが話しかけようとしたところに、

 

「お、シリカちゃん発見!」

 

 シリカを呼び止めるプレイヤーの声。イタチと一緒に振り向いてみると、シリカに近づく二人組の男性プレイヤーの姿があった。

 

「随分遅かったんだね。心配したよ。」

 

「今度パーティー組もうよ!好きな所連れてってあげるからさ。」

 

 いつも通りの見慣れた光景。ビーストテイマーとして知名度の高いアイドルプレイヤーであるシリカをパーティーに加えたがる男性プレイヤーによる、パーティーへの勧誘。シリカは戸惑いながらも、視線をイタチの方へ向けながら、

 

「あの……お話はありがたいんですけど……しばらく、この人とパーティーを組むことにしたので。」

 

 イタチの腕に掴まり、誘いを断ることにした。シリカに腕を掴まれたイタチは、赤い眼を見開いて少々意外そうな顔をしながらも、抵抗はしなかった。一方、断られた男性プレイヤー二人は、イタチに向けて剣呑な視線を送る。羨望と敵意を滲ませたそれは、分かりやすい嫉妬心に満ちていた。

 

「すみません……」

 

 頭を下げてそう言うと、イタチの腕を引っ張ってその場を後にする。残された男達は、尚も未練がましくイタチの背を睨んでいるのだった。

 

「すみません、迷惑かけちゃって……」

 

「……人気者なんだな。」

 

「いえ……マスコット代わりに誘われてるだけですよ、きっと……」

 

 ピナをテイムしたのは、本当に偶然だった。第八層の森の中で出会ったフェザーリドラ、ピナは、敵意を見せることなくシリカに近寄ってきた。それに対し、シリカはたまたま手持ちにあったナッツを放ったところ、好物だったらしく、小竜がそれを平らげると同時に、テイムイベントが起こった。フェザーリドラは滅多に現れないレアモンスターであるだけに、現在でもテイムしたのはシリカのみ。以来シリカは、レアモンスターを従えた美少女ビーストテイマーとして、アイドルの仲間入りを果たすこととなったのだ。

 可憐な容姿に魅入られる男性プレイヤーは多く、パーティーやギルドへの引く手も数多。だが、そんな環境に遭って慢心した結果、いつも安らぎを与えてくれた親友を失う羽目になってしまった。それを思い出す度、シリカの目に涙が浮かぶ。

 

「それなのに、竜使いシリカなんて言われて……良い気になって……!」

 

「……慢心した者の末路というものは大概そういうものだ。悔いる心があるのなら、二度と同じ過ちを犯さないようにしろ。」

 

「……はい。」

 

 イタチの至極真っ当な説教に、シリカは落ち込んだ様子で返事をする。俯いてまた泣きそうになっているシリカの様子を見たイタチは、

 

「だが、助けると決めたのは君だ。そのために、行きずりで素性の知れない俺の力を借りることを決めたのもな。」

 

 言い方を変えて、遠回しに励ますように話しかけた。そんなイタチの言葉に、シリカは少し驚いた様子で顔を上げた。

 

「君が決めたことだ。なら、恐れるな。護衛を請け負った以上、俺も全力で依頼をこなす。蘇生アイテムを手に入れて、君の親友を必ず取り戻そう。」

 

 イタチがシリカにかけた言葉は、前世で自身が父親から、別れの間際にかけてもらったものと同じだった。普段から人と接する機会があまり無く、とりわけ人を励ますような状況に直面することが極端に少ないイタチには、他にかける言葉は見つからなかった。無表情ながら、その真意は目の前の少女をどうにか元気づけられればという一心だった。言葉足らずで、傍から見れば何を考えているかも分からないイタチの励ましに、しかしシリカにはその意思は通じていたようだった。

 

「……はい!」

 

 涙を浮かべながらも、笑みと共に答えてくれたシリカの顔を見て、イタチの表情が自然と和らぐ。迷いの森で出会った時に比べて、二人の間の空気が和やかになったところで、二人は先程よりやや軽快な足取りで主街区を歩いて行く。

 

「イタチさんのホームって、どこですか?」

 

「五十層だ。だが、依頼を完遂するまでは、君と行動を共にするつもりだ。君が取っている宿の部屋を取ることにしよう。」

 

 イタチの言葉に、シリカの表情がさらに明るくなる。未だ素性の知れない少年だが、悪い人とは思えない。ピナがいなくなってしまった今、自分と一緒にいてくれる人がいてくれるという事実は、シリカにとって何よりの心の支えだった。

 

「ここ、チーズケーキが結構イケるんですよ!」

 

「ほう……それは楽しみだ。」

 

 先程まであった緊迫した空気が解け、楽しそうに話すシリカ。イタチもそれに同調して、イタチの抑揚の無い喋り方にも感情が戻り始める。そんな時だった。

 

「あら、シリカじゃない。」

 

 宿へ入ろうとしたところで、突然、シリカに声がかけられる。振り向いてみると、そこにいたのは真っ赤な髪を派手にカールさせた、槍使いの女性プレイヤー。

 

「……どうも、ロザリアさん。」

 

「へぇーえ、森から脱出できたんだ。よかったわね。」

 

 今一番、シリカが会いたくない相手だった。迷いの森で口論になったパーティーのメンバーであり、喧嘩別れしてピナを失う羽目になった原因でもある。ピナが死んだのは自身の責任と分かっていても、関わり合いたくなかった。だが、ロザリアはシリカに付いている筈の存在が欠落していることを、目敏く気付いて追及する。

 

「あら?あのトカゲ、どうしちゃったの?」

 

 その一言を放った瞬間、シリカの身体が硬直する。使い魔はアイテムストレージへ格納することはできず、主人の傍に付いているのが常なのだ。

 

「あらら、もしかしてぇ……?」

 

それがいなくなっている理由はただ一つ。ロザリアもそれが分かっている筈でありながら、尚も言葉を続ける。そんなロザリアに対し、シリカは意を決してロザリアを睨み返す。

 

「ピナは死にました……でも、絶対に生き返らせます!」

 

 強い意思を瞳に宿してそう宣言したシリカに、しかしロザリアは嗜虐的な笑みと口調を変えずに続ける。

 

「へえ、てことは、思い出の丘に行く気なんだ。でもあんたのレベルで攻略できるの?」

 

 最も痛いところを突かれて、シリカは押し黙ってしまう。如何にイタチが付いていてくれても、不安は拭えないのが本心だった。そんなシリカに代わり、即答したのはイタチだった。

 

「できるさ。」

 

 そう答えたイタチに、ロザリアは値踏みするような視線を送る。人を小馬鹿にしたような、胡散臭い物を見る様な目で、今度はイタチに言葉をかける。

 

「あら?あんた誰?」

 

「その子のガードだ。思い出の丘への同行を引き受けている。」

 

「あんたもその子にたらしこまれた口?見たトコ、そんなに強そうじゃないけど。」

 

「それはあなたには関係の無い話だ。行くと決めたのはシリカだ。依頼を受けた俺は、それに従うのみだ。」

 

 それだけ言うと、イタチはシリカを連れて宿へと入って行った。その後ろ姿に対し、ロザリアは獲物を見る爬虫類のような視線を送っていた。

 

 

 

 シリカが部屋を取っている宿、風見鶏亭の一階にあるレストラン。イタチとシリカは、その一角にある席に向かい合う形で座っていた。ロザリアとの邂逅によって、シリカの気分は迷いの森で出会った時のように沈んでいた。

 

「……なんで、あんな意地悪言うのかな……」

 

「……それが、ロールプレイだからだ。」

 

 前世の忍時代に、人間の心の闇というものを散々見てきたイタチには、ロザリアのように悪役を気取る人間の心理を理解することは容易かった。シリカの問いかけに答えるように、感情を交えずに自身の考察を述べる。

 

「法的規制の無いゲームの世界ならば、現実世界で許されない詐欺や窃盗……そういった犯罪行為が罷り通る。それが従来のゲームにおける人間心理であり、それはこの世界でも変わらない。或いは、こんな状況だからこそ、現実世界では許されない行為に走る人間が現れるのかもしれない。」

 

 SAO制作者の茅場晶彦は、「これは、ゲームであっても遊びではない」と言っていた。だが、ゲーム世界である以上、譬え常に死と隣り合わせの状況であっても、所詮はゲーム、ロールプレイという認識は簡単には覆されない。むしろ、この状況を楽しんで積極的に犯罪に走るプレイヤーも多い。前世、現世を問わずそういった思考の持ち主を何度も見てきたイタチにとって、犯罪行為に走るプレイヤーの出現は、SAOがデスゲーム化した当初から予測できたことだった。

 

「俺達のカーソルは緑色だ。だが、グリーンカーソルのプレイヤーへ、攻撃をはじめとした犯罪行為を行った場合、カーソルはオレンジへと変化する。その中でも、プレイヤーキル……つまり殺人を行うプレイヤーは、レッドプレイヤーと呼ばれる。」

 

「そんな……殺人なんて……」

 

「実際に起こった話だ。手段は直接的・間接的問わず、アイテム強奪のためにプレイヤーキルを行うレッドプレイヤーは実在する。或いは、殺し自体を快楽とするプレイヤーもな。」

 

 恐怖に顔面蒼白になっているシリカに、しかしイタチは脅すように言葉を続けた。イタチにとってレッドプレイヤーというものは、それだけ警戒すべき存在なのだ。

 

「だから、君もそう簡単に人を信用しないよう気を付けることだ。本来ならば、俺の様に得体の知れないプレイヤーとパーティーを組むなど、もってのほかだ。」

 

「イタチさん……」

 

 自分すらも信用するなと警告しているイタチの口調に、シリカは戸惑う。何か言わなければならない。そう考えたシリカは、椅子から立ち上がり、机の上で組んでいたイタチの手を握った。

 

「イタチさんは良い人です!あたしを助けてくれました!」

 

 咄嗟に思いついた言葉は、それだけだった。手を握られたイタチは、若干目を開いて驚いたものの、すぐに感情を交えない表情に戻った。

 

「その認識は甘いと言わざるを得ない。本当の悪人は、悪人には見えないものだ。」

 

 冷たくそう言い放つイタチだったが、シリカの認識は揺るがなかった。そもそも、イタチが本当に犯罪者プレイヤーならば、自分のことを警戒させるような言動を取るのだろうか。裏をかくために、敢えてそのように話しているとも考えられるが、シリカにはどうしてもイタチが、自分に害なす人間には思えなかった。

 目を逸らさず、真っ直ぐイタチを見据えるその瞳には、一切の揺らぎが感じられない。イタチも冷淡な表情を崩さず、シリカの顔を見つめていた。そんな二人の膠着状態が解けたのは、NPCのウェイターが料理を持ってきてからだった。

 

「さて、料理も来たことだし、食事にするか。」

 

「……はい。」

 

 頼んでいたシチューとパンを食べる間、二人の間に会話は無かった。迷いの森から主街区に戻るまでの時と同じ空気だったが、シリカの心には、イタチに対する警戒心は無かった。ただ、もっと話をしてみたい、彼の事を知りたいと思っていた。

 二人揃って食事を終える頃、デザートのチーズケーキが運ばれてくる。

 

「あ、これがかなり美味しいチーズケーキですよ。」

 

「成程、これが……」

 

 皿に盛られたチーズケーキに視線を向けているイタチの表情は、どこか綻んでいた。フォークを手に取り、ケーキを切って口へと運ぶ。咀嚼しながらチーズケーキをじっくり味わって食べるイタチの表情は、今までになく和らいでいるように見えた。シリカ絶賛のチーズケーキは、どうやらイタチにも気に入ってもらえたようだった。

 

(イタチさん……ちょっと可愛いかも。)

 

 あんなに無愛想だったイタチが、チーズケーキ一つでこんな顔をするとは思わなかった。意外な一面を見つけたシリカの顔にも、自然と笑みが浮かぶ。

 親友を喪って傷ついた少女の心に、僅かばかりの希望の光が灯った瞬間だった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。