ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
「何故、ここへ来たんだ?」
四十七層北部のフィールド。既に日は沈み、夜の闇に覆われた空の下で、イタチとシリカ、そしてピナは向かい合っていた。恐らく、主街区の転移門を使用して、近隣の村へと転移することで、イタチより先回りすることができたのであろうが、それは問題では無い。どうしてこの場所に来たのかと問うイタチの声色は、非難の色を帯びていた。だが、対するシリカは動じた様子が無い。イタチの険しい視線に怯まず、その目を見つめ返す。
「勿論、イタチさんのカーソルをグリーンに戻すためのお手伝いをするためです!」
「……何故、そんなことを考えたんだ?」
当然の質問である。イタチのカルマ回復クエストに協力することに何のメリットがあるというのだろうか?むしろ、デメリットの方が多い筈だ。オレンジプレイヤーと行動したなどという噂が広まれば、一般プレイヤー達から危険人物として見られかねない。それが分からないシリカでもないだろうに、何故自分のもとへ来たのか、イタチには理解できない……こともないが。
「親友を助けた礼をしたいというのなら、やめておけ。俺は君を利用して依頼を遂行したんだ。感謝される謂れは無い。」
それだけ言うと、イタチはシリカの横を通り過ぎていく。だが、シリカもその後に続いていく。勿論、ピナも。
「あたしがやりたいと思ったから来たんです。それに、もっとイタチさんのことも知りたかったから。」
「……俺のことなど知っても、何も良い事など無いぞ。」
にべもなく、イタチはそう返した。シリカのためにも、自分のためにも、これ以上互いに関わりをもつべきではないとイタチは考える。だが、イタチがいくら隔意をもって接しても、シリカは諦めようとはしない。そして、そんな彼女を援護する存在もいる。
「きゅるっ!」
「…………」
シリカの肩を離れて、イタチの肩に乗るフェザーリドラ、ピナ。テイムモンスターというものは、主であるプレイヤーを守るために行動すると聞いている。それが、モンスターと同様に警戒対象である筈のオレンジプレイヤーに懐いているのだ。一度死んだことによって生じたバグだろうかとすら考えてしまう。
「ピナも、イタチさんのことが好きみたいですよ。きっと、助けてくれたイタチさんに感謝しているんですよ。」
「主人を利用するような男に懐くようでは、先行きが不安だな……ほら、早く主人のもとへ戻れ。」
そう言って、イタチは肩に乗るピナを除けようとする。ピナはイタチの手が及ぶよりも早く肩を離れ、イタチの頭上を滞空する。そしてそのまま、
「きゅるるっ!」
「!」
イタチの頭にキックを放つ。さしものイタチも表情こそ変わらなかったが、内心では動揺していた。
「イタチさんがネガティブなことばかり言うから、ピナが怒ったんですよ!」
単調なアルゴリズムでしか動かない筈の使い魔には有り得ない行動。バグとも思えない、まるで本物の感情をもっているかのように動くピナに、イタチは目を丸くする。
「……そうか。」
ピナに関しては色々と突っ込みたいことはあったが、ひとまずその疑問は口にすることなく飲みこむことにした。
黙々と歩き続けるイタチと、その後に続くシリカ。ピナは先程からイタチの肩に止まったまま離れようとはしない。やがて二人と一匹は、目的のクエストの受領場所に辿り着いた。
「ここが、カルマ回復クエストを受けるための場所なんですか?」
「そうだ。」
イタチとシリカ、ピナの眼前にあるのは、小さな教会。主街区にも同様の建物はあるが、この北部辺境に建っている教会はそれよりも小ぢんまりとしている。イタチは躊躇うことなく、教会へと入っていく。教会の内装は、祭壇へと続くバージンロードを中心に左右に整然と長椅子が並んでいる、普通の教会と何ら変わらないものだった。規模としては、やはり主街区のそれに劣るが。
「あ、あそこに神父さんがいますよ。」
「クエストフラグを立てるために会話するNPCだ。」
シリカが指差した祭壇のあたりには、一人の神父が立っていた。イタチもカルマ回復クエストを受領するのはこれが初めてだが、フィールドの情報収集のために一度訪れたことはあったので、クエスト受領のNPCについては知っていた。
イタチとシリカは祭壇の傍に立っている神父のもとへ歩み寄る。オレンジプレイヤーのイタチがいたからなのだろう、神父の頭上に金色のクエスチョンマークが点滅していた。それを確認するや、イタチは神父に話し掛ける。
「神父、良いだろうか?」
「はい。何でしょうか、旅のお方?」
「過去に犯した罪の清算をしたい。どうすればいいのか、教えて欲しい。」
イタチの「罪」という言葉に反応したのだろう。カルマ回復クエストのフラグが立ち、神父は穏やかな表情でその問いに答えた。
「己の罪を悔い改める心を持ち、贖罪をお求めになるのでしたら、ここから西の洞窟へ行くと良いでしょう。そこで、五十一の聖結晶を集め、奥の祭壇に捧げるのです。さすれば、禊の滝への道が開かれ、咎人の罪は必ずや洗い流されましょう。」
「ご、五十一……それだけ、アイテムを集めろってことなんです……よね?」
「そういうことだ。」
神父の言葉に顔を引き攣らせるシリカ。中層プレイヤーとして、収集クエストを何度か受諾したことがあったが、アイテムを五十一個も集めるようなタイプのクエストはなかった。そもそも、五十一個もアイテムを集めるとなれば、ストレージが圧迫されてしまう。一日そこらで達成できるクエストではないことは確かだ。
このクエスト達成の難易度が、このSAOにおける犯罪への抑止力となることを期待されていたのだろう。しかし、デスゲームになった現在に至っても、犯罪者プレイヤーは増加の一途を辿るばかりだったが。
(本来ならば、すぐにでも行きたいところだが……)
視界左に表示されたクエストログのタスク更新を確認したイタチは、自分のすぐ後ろに立っているシリカとピナを一瞥するイタチ。現在時刻は深夜。フィールドではモンスターのポップ率が高まる危険な時間帯である。攻略組トップの実力をもつイタチならば問題は無いが、シリカはここより低い階層で活動している中層プレイヤーである。装備アイテムで底上げしているとはいえ、夜間の狩りをするには心許ない。
イタチが今ここでフィールドへ出ると言えば、シリカとピナも付いてくる可能性が高い。そう考えたイタチは、
(……仕方ない、明日にするか。)
別段、今日の思い出の丘攻略で疲労したわけでもなかったが、朝を待って動くことにした。シリカに関しては、転移結晶を使って帰すという手段も無いわけではなかったが、ここまで付いて来た以上、説得したところで聞き入れてくれるとは思えなかった。明日になれば、考えも変わって帰る気になるかもしれないと、淡い期待を抱いていたこともある。
「とりあえず、クエストは明日だ。今日はこの教会に泊まる。」
「はい。分かりました、イタチさん。」
「きゅるっ」
イタチの言葉にシリカとピナが揃って頷き、二人と一匹は教会に泊まることとなった。
2024年2月25日
翌朝、イタチは教会を出発し、西にあるカルマ回復クエスト達成のためのダンジョンへと向かう。そしてその後ろには……
「イタチさん、待ってくださいよ~!」
「きゅるるっ」
昨晩から同行しているシリカとピナが当然のように付いて行く。イタチとしては、ここまで七面倒臭いクエストならば、翌朝にはシリカも同行を諦めて帰ってくれるだろうと思っていたが、予想外に粘るので、少々驚いていた。
「……ダンジョン内部は転移結晶が使えるが、油断はするなよ。無理だと思ったら、いつでも街に帰っていいんだからな。」
「大丈夫です!イタチさんがちゃんとグリーンに戻れるまで、お付き合いしますから!」
「きゅるるっ!」
引き返すつもりは無いと言うシリカとそれに同調するピナに、イタチは内心で溜息を漏らす。可愛らしい見かけによらず、意外と頑固な性格なのだと思う。こうなったら、本当にクエストが完了するまで自分に同行するのだろう。昨晩抱いた淡い期待が徒労だったと思うと、足取りがほんの僅かばかり重くなる。
「そういえば、イタチさん。」
「なんだ?」
「最初にあたしの依頼を受けてくれた時、半分は依頼で、半分は個人的な感情だって言ってましたよね?」
「ああ……そう言ったな。」
依頼が終わればもう関わることも無いだろうと考えていたために出てしまった本音。まさか、シリカが覚えていたとは思わなかった。その上、自分の核心に迫るような問いを投げかけられ、イタチは若干身を固くしてしまった。
「イタチさん。あたしを助けてくれた本当の理由……教えてくれませんか?」
真剣な表情で問うシリカに対し、イタチは常のように拒絶の意思を示して突っぱねることができない。その瞳に宿った、他者との繋がりを希求する強い思いに、イタチは一切の誤魔化しが利かないことを悟る。そもそも、この少女は自分の真意を知るために……自分という人間を知るために、危険を承知でここまで来たのだ。依頼を全うするために利用したという負い目もある以上、イタチもそれに答えざるを得なかった。
「……聞いたところで何の得もしないぞ?」
「それでも、あたしは知りたいんです。」
念を押すイタチの言葉に対し、シリカはどうしても聞きたいと、言葉と視線で訴える。観念したイタチは、意を決して口を開いた。
「君に、妹の面影を見たから……それが、個人的な感情に由来した理由だ。」
イタチの放った言葉に対し、シリカは驚きに目を丸くして瞬きする。そして、次の瞬間には、
「ぷっ……あはははっ!」
思わず噴き出してしまった。お腹を抱えて笑うシリカを見ていたイタチは、予想はできていたが、あまり愉快な気分にはなれなかった。立ち止まった状態で笑い続けるシリカに背を向け、イタチは先程よりも速足でダンジョンを目指した。
「ははっ……ああ!待ってくださいよぉ、イタチさん!悪かったですってばー!」
「きゅるるー!」
自分に背を向け、振り返らずに歩いて行ってしまうイタチを、シリカは笑いを堪えて必死に追いかけ、ピナもその後ろを飛んでいった。
この後、ダンジョンに到着するまでの間、イタチはシリカとピナに対して一切口を開かなかった。
カルマ回復クエストを行うために訪れた、教会西部にあるダンジョンは、一般的なフィールドダンジョンと比べて単純な造りとなっている。道は曲がりくねった一本道で、マップ無しでも道に迷うことはなかった。時間はかかったものの、最深部の祭壇に辿り着くのは難しいことではなかった。
「ここが、神父さんの言っていた祭壇ですね。」
「そうだ。恐らく、あの盃に集めた聖結晶を乗せるんだろう。」
シリカの確認する問いに、イタチは首肯する。祭壇の上には、巨大な盃が置かれている。捧げ物を入れるには、ぴったりの器だろう。
「マップ情報は渡しておくが、極力俺の目の届かない場所へ行くのは避けろ。いいな?」
「はい、分かりました。」
「それじゃあ、聖結晶集めを始めるぞ。」
「はい!」
「きゅるるー!」
イタチの言葉に従い、聖結晶探索を開始する。聖結晶はダンジョン内部のいたる場所に隠されている。岩陰に落ちていることもあれば、地面に埋まっていることもある。そしてもう一つの在り処が、
「ケケケェェエッ!」
二足歩行の植物型モンスターが、イタチやシリカに襲い掛かる。イタチは背中から片手剣、フレイムタンを引き抜き、即座に一刀両断する。そして、ドロップアイテムがウインドウに表示される。
「贖罪の聖結晶……まずは一つ。」
こうして、ダンジョン内にポップするモンスターを倒すことによって、ドロップアイテムとして手に入れることができるのだ。だが、カルマ回復クエストのためのダンジョンは、モンスターのポップ率が非常に低く、モンスター狩りのみでアイテムを揃えることは不可能である。
(地道に集めるほかないな……)
嘆息しながら剣を鞘に納め、再び結晶探しに取りかかる。前世の忍時代にも、同じような任務に就いたこともある。この手の探し物は、大抵普通の人から見て死角に落ちているものだ。通路を歩いているだけでは見えない箇所を探していくイタチ。その数分後、
「ありました、イタチさん!」
シリカが聖結晶を発見したらしい。イタチが目を向けると、結晶を掲げて笑顔を浮かべていた。イタチは頷き、よくやったと無言で答えた。そして再び、聖結晶の探索。イタチは岩陰を探して見るものの、なかなか聖結晶は見つからない。すると、
「きゅるるっ!」
今度はピナが鳴き声を上げた。索敵にモンスターが引っ掛からないこの状況で何事だろうと視線をやると、ピナの口には探しているアイテムが咥えられていた。
「わぁっ、ピナも見つけたんだ!えらい、えらい!」
シリカに続き、ピナまでもが結晶を発見する。イタチは主人に追随する活躍を見せるピナを傍目に、自分も聖結晶を探し続ける。だが、このあたりの岩場には無いのか、一向に見つからない。仕方なく、シリカが視界に入るギリギリの場所まで移動しようと考えたところで、
「やった!二つ目ゲット!」
「きゅるきゅるっ!」
シリカが新たな聖結晶を発見し、ピナもまた、どこからか聖結晶を咥えて持ってくる。
「………………」
並外れたペースで聖結晶を見つけて歓声を上げるシリカとピナ。そんな二人を尻目に、イタチは聖結晶を求めて移動し、岩場の影を探し続けるのだった…………
約六時間後、ダンジョン外部は夕暮れの時間帯。イタチとシリカ、ピナは休憩を挟みつつ聖結晶探索を続けた結果、現在に至る。
「良かったですね!これでイタチさんのカーソルをグリーンに戻せますよ!」
「きゅるきゅるきゅるっ!」
「……………………」
イタチとシリカは集めた聖結晶を出し合い、その数を数えていた。全部できっかり五十一個集まった贖罪の聖結晶の内訳は……
イタチ:11個
シリカ:23個
ピナ:17個
「いや~、まさか採集スキルがこんなところで役に立つなんて、思ってもみませんでした!」
「きゅるる!」
「………………」
圧倒的な差をつけて聖結晶収集第一位に輝いたのは、シリカ。本人曰く、採集スキルをスキルスロットに入れているとのこと。採集スキルは、フィールドに落ちているアイテムの収集において役立つスキルである。索敵スキルと同じ要領で、フィールドに落ちているアイテムの在り処や、アイテムの埋まっている場所を視認することができるのだ。習得度はあまり高くないとのことだが、今回の聖結晶探しでめきめきと習得度を上げた末に、イタチの倍以上の数を集めるに至ったのだった。
次いで、主人に追随するように聖結晶を集めて第二位に至ったのは、シリカの使い魔であるピナ。索敵や回復といった支援スキルを持っていることで知られるフェザーリドラだったが、まさかここに至ってアイテム探索などという能力を発揮するとは、主人であるシリカすら予想外だった。
そして、贖罪の聖結晶を最も必要としていたイタチが集められたのは、五分の一程度の数だった。ダンジョン内部に稀に現れるモンスターを警戒し、常にシリカとピナの危機に駆けつけられる距離で聖結晶探しを行っていたのだが、探索を行った範囲はここにいる二人と一匹の中では最も広かった筈である。探し方も、傍から見ても全く無駄のないものだった。それでも、この程度の数しか集められなかったのは、一重に運が無かったためとしか言いようがない。
「イタチさん、早速結晶をあの盃に乗せましょう!」
「きゅるっ!」
「…………ああ。」
シリカとピナに頼り切った結果となってしまったことに、忸怩たる思いを抱くイタチだったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。溜息を吐きたい気持ちでいっぱいだったが、意を決し、集めた結晶アイテムを革袋に詰めて祭壇の盃へ持っていこうとする。
「そういえば、イタチさん。」
「……何だ?」
「妹さんのこと……教えてくれませんか?」
祭壇へ向かおうとするイタチを呼び止めたシリカの質問は、妹に関することだった。動きを止めて硬直した様子のイタチに、シリカは言葉を続ける。
「あたしに似ているから助けてくれたって言ってましたけど……どんな子だったのかなって、気になっちゃって……」
SAOにおいて、現実の話をすることは、プレイヤーの間ではタブーと化している。理由は様々だが、最たるものは、リアルの話をすることで、この世界を現実として認識できなくなってしまうことを忌避するためとされている。この世界に囚われている以上、現実世界の情勢を把握できないため、茅場晶彦が行ったデスゲーム宣告すら現実のもとのとは思えなくなる懸念があるのだ。
そんなプレイヤー事情を顧みれば、イタチに対する質問はしてはいけない筈である。それでもシリカは、聞きたいと思ったのだ。自分に妹を重ねた理由を知れば、イタチを理解できると思えたのだから。
対するイタチは、数秒間口を閉ざしたままだったが、聖結晶を集めてもらった借りがある以上、このまま黙秘し続けるわけにはいかないと考えていた。やがて観念した素振りで一息吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「仲は……良くも悪くもなかった、と思う。」
昔のことを……現実世界での日々を思い返しながら話すイタチの瞳は、どこか悲しみを帯びていた。
「……妹といっても、本当は従兄妹でな。むこうは知らないが、俺は小学生になる前から悟っていた。それがために、どうにも馴染めず、距離を置いてしまったというわけだ。」
リアル事情を話すイタチに神妙な面持ちで耳を傾けるシリカ。だが、妹である直葉とどこか距離を置いていた本当の理由は、別にある。それは、シリカには話せない、うちはイタチとして忍世界を生きた前世に遡る。
かつての自分が属したうちは一族は、術や力に傾倒した一族として知られていたが、その実、他のどの一族よりも愛情深い一族だった。うちはには繊細な者が多く、強い情に目覚めた者は、瞳力の増強と共に深い闇に落ち、そして破滅へと向かう。イタチも例に漏れず、弟、サスケへの深い愛情を抱いていた。一族粛清の中で彼一人を生き残らせ、そして自分を殺させることで一族の名誉を守らせようとした。だが、結果は最悪のシナリオを辿り、サスケは自分が守ろうとした里を潰さんとする復讐鬼となってしまった。
今の自分はうちは一族でもなければ、写輪眼も持っていない。だが、前世の失敗の記憶は、桐ケ谷和人の心に深く癒えない傷を負わせていた。故に、自分が「愛情」を抱けば、また同じ過ちを繰り返してしまうのではないか、と考えてしまう。直葉をはじめ、家族との距離を曖昧にしてしまったのも、二度と帰れないかもしれない仮想世界へと来てしまったのも、そんな不安を抱いていたからだと、今になって思う。
「いつも俺と向き合うために、一生懸命だった妹に対し、真実を話すことも、向き合うことすらせず、この世界まで逃げてきてしまった……君を助けようと思ったのは、そんな後悔があったからだ。まあ、君を囮に使った時点で、信用に値する話ではないがな。」
自嘲するイタチに、しかしシリカは不信など微塵も抱かずイタチに眼差しを向けていた。現実世界では一人っ子のシリカだったが、今ならイタチの妹の気持ちが分かる気がした。
「妹さんは、きっとイタチさんのことを信じていますよ。だから、イタチさんが本当のお兄さんじゃないって知っても、きっと仲良くなれます。あたしだって、イタチさんのことを信じられたんです。イタチさんも、妹さんのことを信じて、向き合ってあげれば良いじゃないですか。」
自分が抱いた思いをそのまま言葉にしたシリカ。二日足らずの付き合いの自分でも、イタチが本当は優しい人なのだと分かったのだ。きっとイタチの妹は、もっとイタチのことを分かっているに違いない。ならば、譬え真実をしったとしても、嫌いになる道理なんて無い、そう思ったのだ。
(信じる……か。)
シリカの言葉に、イタチは目を細めて前世を振り返る。前世の自分は、何もかも自分一人でできると思い込むために、他者を信じる心を閉ざした。それがために、全て失敗したのだ。そして今もまた、ソロプレイを貫いてこのゲーム世界の攻略を続けている。その先には、前世と同じ失敗が待ち受けていると分かっていても、生き方を変えることができなかったのだ。この死の牢獄たるSAOという世界の創造に加担した自分には、仲間を信じる資格などありはしない。そう思っていた。だが、今になって思えば、それこそ前世と同じ、ただの思い上がりだったのかもしれない。前世から凝り固まった価値観に一石を投じたシリカの言葉に、イタチはその在り様を大きく揺さぶられている気がした。
「……イタチさん、あたしだけじゃありません。きっと、みんなあなたを信じていると思います。だから、あなたも信じてください!」
「……そうだな。」
苦笑しながら頷いたイタチ。信じること――確かにそれは、前世から自分の中に欠けていたものだろう。今の自分に本当にできるのか分からない。だが、前世の自分に足りなかったものを見つけられるかもしれないと思えたのは事実だ。ならば、その思いを信じてみるのも良いかもしれない。目の前の少女が齎した言葉には、それだけの価値があると、イタチは感じたのだ。
「きゅるるっ」
「ピナも、喜んでいるみたいですよ!」
シリカの横を滞空していたピナが、イタチの右肩に乗って頬ずりしてくる。イタチは嫌そうな顔はせず、右目を閉じながらそっと笑みを浮かべていた。
「それじゃあ、そろそろ行くぞ。」
話もひと段落したところで、イタチは集めた聖結晶を入れた革袋を持ち上げて祭壇へと持っていく。通常ならば、五十一個のアイテムを持ち運びするにはストレージに格納しなければならないところを、イタチは攻略組としてずば抜けた筋力パラメータでそれを軽々持ち上げてみせた。祭壇の盃に聖結晶を注ぎ込むと、やがて眩い光と共に炎が噴き出した。それはまるで、オリンピックの聖火のようだった。
「わぁあ……」
「きゅる……」
盃で炎を上げて燃え盛る聖結晶を見て感嘆の声を漏らす主従。イタチもこの世界に来て初めてみる光景に、しばし見入っていた。しばらく燃え盛っていると突然、盃の聖火から導火線のように炎の筋が祭壇を伝い、ダンジョンの壁へと走っていく。火の線は岩壁に四角を描くと、やがてその場所を刳り抜くように岩壁が消滅した。
「どうやら、道が開けたようだな。」
「行きましょう、イタチさん!」
「きゅるる!」
新たにできた通路へと歩いていくイタチ。そのあとを、シリカとピナが追いかける。通路は幅一メートル、高さ二メートル程度の広さだったが、イタチもシリカも比較的小柄な体格だったため、通るのに苦労はしなかった。やがて十メートルほど歩くと、通路の奥に光が見えた。そして、水の流れる音も聞こえた。
「あれが、禊の滝だな。あれをくぐれば、オレンジカーソルをグリーンに戻せるらしい。」
「イタチさん、一緒に行きましょう。」
シリカはそう言うと、右手でイタチの左手を握る。握られた方のイタチは一瞬困惑していたが、振り払う素振りは見せなかった。当のシリカは、顔を赤くしていたが。
「きゅるっ」
そして、ピナは遠慮なくイタチの肩に止まる。イタチはこちらも特に気にすることはなかった。やがて二人と一匹は揃って歩きだし、洞窟の奥から外へ通じる滝へと至った。
「冷たっ!」
「きゅぅっ!」
滝をくぐったシリカとピナが小さな悲鳴を漏らす。アインクラッドは現実世界の季節を反映した気象設定である。今日は快晴だったとはいえ、季節は冬と春の境目あたり。水を被れば、当然冷たかった。ピナは濡れた羽毛を乾かすべく、身震いして水滴を振り払おうとしている。肩の上で飛び散る水滴に、イタチは目を細めたが。
「あ、ピナ!駄目じゃない!ごめんなさい、イタチさん……」
「きゅぅ……」
「いや、大丈夫だ。気にしていない。」
シリカに叱られながらイタチの肩から下ろされるピナ。イタチは顔を拭いながらもそう答えた。しばらく縮こまっていたシリカだったが、イタチの頭上のカーソルを再び見上げる。
「よかった……ちゃんとグリーンに戻れましたね!」
「ああ、そのようだ。本来なら二日かかるクエストを、今日一日で終わらせられたのは、君たちのおかげだ。ありがとう。」
「こちらこそ、ピナを助けてくれて、ありがとうございました。」
「きゅるるるっ」
微笑みあうイタチとシリカ、そしてピナ。時刻はすでに夕方。アインクラッド外周に沈もうとしている夕日が、まるで本当の兄妹のように寄り添う二人をそっと照らしていた。