ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
2024年4月11日
攻略組トップギルドの血盟騎士団副団長のアスナと、最強のビーターとして知られるソロのイタチの衝突から約一カ月が経過した。あれから四層が攻略され、攻略組は五十九層に達していた。
最強プレイヤーとして知られるアスナとイタチのデュエルを経て、攻略方針にNPCを犠牲にする作戦の禁止という項目が加えられたが、攻略のペース自体が落ちることはなく、方針の変更に異を唱える者も現れなかった。
そして、今日も今日とて、攻略のために朝早くから活動するプレイヤー達は、迷宮区を目指す。
「街を出てすぐのところだな……キヨマロ、迷宮区の攻略って、どれくらい進んでるんだ?」
「五十九層の迷宮区は、二十階ある内の六階までがクリアされている。」
主街区をからフィールドへ続く道の上に、七人のプレイヤーの姿があった。白地に赤いライン、十字架の紋章が特徴的な服装をした彼等は、攻略ギルド、血盟騎士団のメンバーである。
「うっへ~、まだ十四階もあるのかよ~……」
「仕方ないだろう。今回の迷宮区は、これまで以上にトラップの数が多い。一個一個解除して慎重に進まなければならない以上、攻略のペースも落ちるのは必然だ。」
「キヨマロの言う通りだよ、ギンタ。地道にやっていくしかないと、僕も思う。」
集団のまとめ役である黒髪の少年、キヨマロの攻略状況の説明に、ハンマー使いの金髪の少年、ギンタは心底嫌そうな顔をする。そんな彼を、キヨマロが窘める。
「ま、メンドーなのは確かだけどなぁ……」
「あのねえ、カイト。トラップの解除は君の担当なんだから、もっとしっかりしてくれないかなぁ……」
ギンタに同調する様に文句を口にするシーフのプレイヤー、カイトに対し、先程のギンタに対して言ったように、短剣使いの青年、ダレンが窘める。
「ったく……これじゃあ、いつになったらフロアボスのところに辿り着けるのか、分かったもんじゃねえぜ。」
「……ま、どうにかなるだろ。」
四人のやりとりを呆れた様子で見ていたのは、刀使いのイヌヤシャ、大剣使いのコースケである。個々のメンバーの能力は高いが、個性が強すぎていまいち纏まらない欠点をもつパーティーなだけに、不安が隠せない。そんな落ち着きの無い一同に、
「皆、いい加減にしなさい!」
『!』
パーティーのリーダーを務める副団長、アスナが大声で叱りつけた。道中、散々騒がれた末に、堪忍袋の緒が切れたといった具合か、ややヒステリック気味な声色だった。
「わ、悪かったよ……だから、そんなに怒らなくても……」
「あー……まあ、俺も謝るから……」
アスナの怒声に萎縮するギンタとカイト。相手は女性で、同い年かあるいは年下である筈なのに、溢れんばかりの気迫に押されて平謝りしてしまう。
「……最近の副団長、なんかぴりぴりしてないか?」
「この前のデュエルで負けた事をまだ気にしてるんじゃねえか?」
コースケの呟きに、隣を歩いていたイヌヤシャは、アスナに聞かれることなどお構いなしに自身の考えを述べた。ここ最近、やけに怒りっぽくなっているアスナの様子を訝しむ血盟騎士団メンバー達。いつからかと思い返すと、アスナが神経質になった理由として、一か月前のデュエルにおける敗北が浮上してくる。
「仕方ねーと思うぜ。相手はあのビーターだ。誰がやったって勝てっこねーよ。」
「けど、団長なら勝てるんじゃねえか?」
「あー、確かにそれは言える。同じユニークスキル使いだし、デュエルで負けたところはおろか、HPがイエローゾーンに突入したところも見たことねえからな。ダレンはどう思う?」
「僕は団長が勝つと考えている。贔屓するつもりはないけど、あのイタチの二刀流でも、打ち破れるとは思えないな……」
「ハァ……」
イヌヤシャの言葉に、アスナの苛立ちの原因が、ビーターことイタチとのデュエルにあると考え始めるメンバー達。小さい声で話しているつもりのようだが、アスナとその横に立っているキヨマロには聞こえてしまっている。アスナは表情を不機嫌にしながらも口を閉ざしたままである。そんな彼女やメンバーを見て、キヨマロは溜息を吐いてしまう。こんな険悪な状況で、迷宮区攻略など御免被る。そう考えたキヨマロは、そろそろ本気で黙らせようかと振り返ろうとする。
「お前等、あんまり……」
「あれ?おい、あれって……」
血盟騎士団では定番となっている、キヨマロの阿修羅の如き表情を向けようとしたところ、何かを見つけた様子のコースケに出端を折られてしまった。コースケの視線の先には、丘の上に立つ一本の大木がある。そしてその根元には、腰を下ろして木にもたれ掛かる人影があった。黒いコートに身を包んだ中性的なシルエットは、攻略組にとってよく見知った姿だった。
「イタチ……だよな?」
「間違いなく、イタチだな。」
未だ攻略組プレイヤーが動くには早い時間帯。今日一番乗りで迷宮区に到達して攻略を開始するのは、自分達血盟騎士団だとばかり思っていただけに、イタチがこんな場所にいるのは意外だった。
「アイツ、これから攻略に行くのか?」
「なら、誘ってみようぜ。」
「ケッ……何でまた、面倒臭え野郎を一人増やさなきゃならねえんだ。」
恐らくは迷宮区をこれから攻略しに行こうとしているのだろうイタチをパーティーに加えようと言いだすギンタ。それに対し、イヌヤシャは心底面倒くさそうな顔で呆れている。しかし、パーティーは既に上限七人である。イタチが誘いを受けても、メンバーに加えることはできない。
「いや……ちょっと待って。迷宮区にこれから行くにしては、やけにのんびりし過ぎてない?」
「どちらかといえば、一息吐いているって感じだな。」
ダレンとキヨマロが言った通り、未だ日がのぼり切らない太陽が作り出す木陰に座るイタチには、常に纏っている筈の覇気が感じられない。少なくとも、戦いに赴く雰囲気ではない。
するとそこへ、
「ん?……メッセージが来たぞ。アルゴからだ。」
「新しい攻略情報みたいだな……迷宮区の新しいマッピングデータか!」
「しかも、十二階まで踏破されてるみたいだな。」
攻略組への情報提供を行う鼠のアルゴは、新たな情報が入手でき次第、随時フレンド登録している攻略組プレイヤー達に提供する役割を請け負っている。提供する情報の出所は、大概最前線で活動するプレイヤーなのだが、目の前に一仕事終えた様子のイタチがいて、それが今送られてきたとなれば、考えられることは、
「もしかして……イタチがこのデータをアルゴに渡したのかな?」
「それって……まさかイタチは、昨日の夜からずっと迷宮区攻略を続けてたってことなのか?」
情報供給の速さからして、それしか考えられなかった。最前線の迷宮区は、強力なモンスターやトラップで犇く危険地帯であり、ソロでの攻略は不可能とされている。だが、ビーターと言わしめる強大な戦闘能力を持つイタチならば、そんな荒業すら簡単にやってのけても不思議ではない。
「それしか有り得ねえだろ。ま、あの様子じゃあ、俺達についてくることはできねえだろうがな。」
「そうだな……ゆっくりさせてやろうぜ。」
遠回しにイタチを気遣い、このまま残して行こうと仲間達を促すイヌヤシャとコースケ。血気盛んなメンバー達も、特に反論もせず、再び迷宮区へ足を向けようとする。だが、
「副団長?」
パーティーをまとめるリーダーであるアスナは一人、道に立ち尽くしたままだった。その視線は、未だイタチの方を向いていた。どうしたんだろう、と皆が不思議そうに彼女を見つめていた。
「……行けばいいじゃねえか。」
誰もがアスナに話しかけられない中、口を開いたのは、イヌヤシャだった。アスナをはじめ、全員の視線が集中する。
「行きたいんなら、行きゃあいいじゃねえか。別に、お前一人抜けたって、俺は構いやしねえぜ。」
口は汚いが、迷っているアスナの背中を押していることは容易に察することができた。そして、それに同調するようにほかのメンバーもイヌヤシャの援護を始める。
「まあ、まとめ役なら俺が請け負うこともできるからな。」
「それに俺達、かなり強いしな。」
「バーロ。ギンタ、お前じゃ危なっかしくて、背中を預けられねえよ。」
にかっと笑って気づかいをみせるメンバー達の優しさに、アスナは一瞬迷った素振りを見せたが、やがて意を決したように顔を上げると、メンバー達に向き直って口を開いた。
「キヨマロ君、私の代わりにパーティーのリーダーをお願いします。迷宮区攻略は、慎重に進めてください。」
「了解。」
それだけ言うと、アスナはメンバーに背を向けて丘の上に立つ木へと向かう。残されたパーティーは、キヨマロを先頭に迷宮区を目指す。
(イタチ君……)
丘の木にもたれるイタチの姿を目に、アスナは一か月前のデュエルを思い出す。NPCを犠牲にしての攻略に異を唱えたイタチに対し、今後の対立激化の憂いを払うために独断で行った決闘だったが、自分はそれに敗北し、イタチの提示した条件を呑んだ。
普段、表情や意思表示に乏しいイタチが、デュエルを経てまで要求した内容は、NPCを犠牲にする作戦方針の撤回。アスナの中で、イタチは効率重視で行動する人物という印象が強かったので、この要求にも、何か攻略組にとって深い意味があったのではと、アスナは考えた。
だが、本人の口からその真意は語られず、仕方なくある人物に調査を依頼したのだ。アスナが依頼をしたのは、攻略組をはじめ、全てのプレイヤーの中で名前が通っている情報屋、鼠のアルゴだった。アスナの問いに、しかしアルゴは依頼料を受け取らずに答えてくれた。
『イタっちはな、たとえNPCであっても、犠牲を出すということに慣れてしまえば、それが倫理観の破綻に繋がると思ってるんダ。』
アルゴは、攻略の傍らでレッドプレイヤーとの暗闘を続けているイタチの支援を情報提供という形で行っている。故に、イタチが攻略組をはじめ、一般プレイヤー達の心に、レッドプレイヤーに付け入られる隙が生じることを何より忌避していることを知っていた。
それを聞いたアスナは、自身の価値観を覆されるような衝撃を受けた。血盟騎士団副団長として、攻略組を統べる立場にある自分の為すべき事は、一日も早くこのアインクラッドの頂きを極め、この世界を脱出することであると、今まで信じて疑わなかった。そして、目的を果たすためならば、システム的に許される、ハラスメントに抵触しない行為全てが肯定されると考えていたのだ。
だが、目的のためならば手段を選ばないその姿勢は……仮想世界とはいえ、そこに住む存在を犠牲にすることを厭わない考え方は……レッドプレイヤーそのものではないか。
かつて、デスゲーム開始の宣言をした茅場晶彦は言っていた。この世界は、自分達のもう一つの現実であると。NPCは、確かに何度死のうと際限なくリポップする。だが、自分達と同じ人間にしか見えない彼等の消滅と再生を繰り返す在り様を当たり前のこととして受け入れた時、自分達の現実が揺らいでしまうだろう。ゲーム世界として当たり前の光景が認識の中に定着する。それは、この世界を現実として受け入れられなくなることと同義だ。たかがゲームと一笑に付されてもおかしくない考えだが、この世界はゲームであっても遊びではない。この世界をゲームとしてしか認識できなくなった時――それは、現実の崩壊と同義だ。犯罪・殺人を犯すオレンジプレイヤーやレッドプレイヤーが掲げる、「システム的に許されることなら何をやってもいい」という詭弁が罷り通ることを意味する。
他を顧みずに、只管攻略に邁進していたアスナは、無意識の内にそんな考えを攻略組のプレイヤー達に植え付けようとしていたのだ。攻略組の上として指揮を預かる立場にある人間としては、許されざる行為だと、今では思う。
(やっぱり本当は、優しい人なんだよね……)
そして、そんな過ちに気付かせてくれたのは、ほかでもない、目の前の人物。自己中心的な人物としての認識が濃い、ビーターと蔑まれているイタチだった。第一層のフロアボス攻略を経て、攻略組が真っ二つに割れることを防ぐために、自らビーターを名乗った少年。行き場の無いプレイヤー達の憎しみを一身に受けるために孤独を貫いている彼のことを理解しようと、自分はこの世界まできた。現実世界でも努力してきたつもりだった。だが、このアスナは結局、自身のことで一杯一杯。他人を気にする余裕すら無く、あまつさえ自分に付いてきてくれるプレイヤー達を間違った道に引き込もうとさえしていた。そんな自分を、イタチは見捨てようともせず、正しい道に引き戻そうとしてくれた。
だからこそ、アスナは思う。現実世界でできなかったことを、この仮想世界でやろうと……イタチを、本当の意味で理解しようと。
「イタチ君。」
「……何ですか?」
木にもたれたイタチは、右手を宙にかざしている。どうやらメニューウインドウを操作していたらしい。話し掛けられた声だけで、アスナだと判断したのだろう。顔は合わせずに、そのまま返事をした。
「朝早いみたいだけど……もしかして、今迷宮区から戻ったところなの?」
「……だとしたら、何ですか?」
とりあえずは、何気ない世間話から始めようと考えたアスナは、そう話し掛けた。対するイタチは、相変わらずの冷たい態度で接する。だが、アスナはそんなイタチに対して動じる素振りもない。というより、慣れてしまったと言うべきか。
「さっき送られてきたマッピングデータも、あなたが提供してくれたんでしょう?夜通し攻略してたなら、やっぱりあなたも疲れちゃったんじゃない?」
「……しばらくしたら、またすぐに攻略に戻ります。」
「駄目よ。そんな無理してたら、命を落とすことになりかねないんだから。」
無愛想なイタチに対し、アスナはいつもの攻略一筋の態度とは一変、年上としての余裕のある態度でイタチに話し掛ける。そこには、常に纏っている刺々しい雰囲気が無いアスナの雰囲気に、イタチは違和感を覚えると同時に、内心で僅かに動揺する。そもそも、自分達はリアルで面識はあるが、それほど親しい間柄ではない筈だ。何を考えているんだろうと考えるイタチをよそに、アスナもイタチ同様、木の根元に座り込む。
「……攻略には、行かなくて良いんですか?」
「他のギルドの方に先に行ってもらっているから、問題無いわ。」
「……副団長がパーティーを離れれば、士気が下がるのではないですか?」
「今日、同行しているパーティーは、私の指揮無しでも十分戦えるメンバーよ。問題無いわ。」
(……キヨマロ、ギンタ、ダレン、カイト、イヌヤシャ、コースケといったところか……)
アスナの指揮無しで戦える精鋭部隊と聞いて、血盟騎士団メンバーの名前を脳内で列挙するイタチ。正鵠を射た面子だったが、今はそんなことはどうでもいい。血盟騎士団副団長がビーターと一緒にいる現場を見られれば、あらぬ疑いを掛けられる危険性がある。攻略の士気に関わる問題である以上、このまま放置するわけにはいかない。意を決して、立ち上がろうとする。
「……もう俺は休み終えたので、行かせていただきます。」
「駄目よ。夜通し攻略したなら、もっと休まないと。なんなら、寝てもいいわよ。私が護衛してあげるから。」
腕を掴んで引き止めながら、冗談交じりにそんなことを言ってくるアスナに、イタチは頭が痛くなる気がした。どうにかこの場を乗り切ろうと考えるイタチだが、アスナは何を言っても引きさがる気配が無い。そんなイタチを余所に、アスナはアスナで木にもたれて寛ぎ始める。
(良い天気……)
こうしてこの場に座って見れば、何故イタチが宿ではなく、ここへ寄り道して休んだのかが分かる。傍から見れば冷血漢そのもののイタチだが、柔らかく温かい日差しや、穏やかに吹く風に心和ませることもあるのだろう。アスナも知らず、心癒される気分だった。暖かい春の気候は、アスナの身体を優しく包みこんでいった……
「っくしゅん!」
アスナはふと感じた肌寒さに、くしゃみが出た。深いまどろみの中にいたような感覚から目覚め、身体を起こす。ふと、疑問が浮かぶ。身体を起こす、ということは、自分は今まで横になっていたということだろうか。しかし、それはつまり……
「お目覚めですか、アスナさん。」
突然横からかけられた声に、朦朧としていた意識が一気に覚めると同時に、閉じていた瞳を開く。目の前では、黒づくめの少年が芝生の上に座っていた。
「な……あな……どう……」
五十九層主街区の外れにある丘の上には、西に沈んで行く夕日のオレンジ色の光が射していた。自分が横になっていたことと合わせれば、今朝イタチのもとを訪れた自分はイタチの隣に座ったままうたた寝してしまったとしか考えられない。そしてイタチは、どうやら寝入った自分を起こそうとはせず、そのままここに止まってガードしてくれていたようだ。
驚いて混乱しているアスナを余所に、イタチは芝生から立ち上がると、その場を後にしようとする。
「目が覚めたようでしたら、もう護衛は用済みでしょう。俺はこれで、失礼します。」
ソロ攻略で無茶を繰り返しているイタチを休ませてあげたいと思って近づいた筈が、逆に気を使わせてしまったらしい。イタチほどではないが、攻略の鬼と恐れられているアスナも、普段のストレスや恐怖から著しい睡眠不足だったのだ。思えば、ここまでぐっすり安眠できたのは、これが初めてだったかもしれない。
ともあれ、勝手に隣に座って眠った挙句、護衛をやらせてしまった以上、このまま何もせずにイタチを帰すわけにはいかない。既に背を向けて主街区目指して歩こうとしているイタチに、アスナは勢いよく立ちあがって制止をかける。
「ちょ、ちょっと待って!」
背後から呼びかけたアスナに対し、イタチは足を止めて振り返る。これ以上、何を話す必要があるのだろう、と疑問を浮かべながらイタチは振り向く。未だ慌てた様子で落ち着きの無いアスナは、どうにか言葉を紡いだ。
「お、お礼がしたいから、これから私と、ご飯に行きましょう!」
咄嗟に思いついた言い訳だったが、我ながら良いアイデアだと思えた。一緒に食事をすれば、親交を深めることができる筈。イコール、もっと彼を理解することができると考えれば、この誘いは間違っていなかったと思う。
だが、それに対するイタチの答えは予想通り、
「いえ、結構です。護衛についても、俺が勝手にやったことなので、アスナさんが恩に着ることはありません。」
「いいから、一緒に来なさい!」
予想通り、イタチはアスナの誘いを断り、一礼するとその場から立ち去ろうとする。対してアスナは、高い敏捷パラメータを発揮して一気にイタチに近づき、腕を掴んでそのまま主街区目指して歩きだす。敏捷特化型プレイヤーである筈のアスナが腕を掴む力は凄まじく、イタチは振り払う事ができない。そしてそのまま、なし崩しに食事に連れて行かれてしまうのだった。
アスナによって強引に食事に連行されたイタチが連れてこられたのは、第五十七層、マーテンの主街区にあるレストランだった。前線にほど近いこの階層は、攻略されてから然程間が無く、中層から観光に来るプレイヤーも多かった。そして夕暮れの食事時、あたりのレストランで食事をするプレイヤーの数は、一層多くなっている。
「血盟騎士団のアスナじゃないか?」
「あれが、閃光の?」
「もう一人の、黒づくめの奴は?」
攻略最前線で活躍する、突出した実力と美貌を兼ね備えているアスナは、中層プレイヤーの間でもかなりの知名度をもつ。そして、そんな有名人と、人の多い場所で食事をしようものならば、目立ってしまうのが道理である。イタチは相変わらず無表情だが、入店してから周囲の奇異の視線に晒され、居心地が悪かった。
それはアスナも同じの筈だが、何故か彼女は周囲の視線を気にしていない、というより、意識に入っていなかった。イタチを食事に誘うまでは良かったが、何を話せばいいのか、切り口に困っている様子である。やがて多少は心の整理がついたのか、口を開いて話し掛け始めた。
「今日は、ありがとう。」
「いえ、こちらこそ。」
周囲の視線に内心でうんざりしながらも、イタチは淡々と返す。こんな場面を他の攻略組プレイヤー、特に血盟騎士団のメンバーに見られでもしたら、本気で誤解されかねない。イタチとしては、すぐにでも退席したいのだが、今日のアスナは口先でどうこうできる相手ではない。同時に、閃光の二つ名をもつ敏捷特化型プレイヤーである以上、逃げた所で振り切れる望みも薄い。
何故ここまで自分に執着するのか……全く分からないわけではないが、自分の立場も考えて欲しいとイタチは思ってしまう。
「思えば、あんなに寝たのって、第一層であなたと出会って以来かもしれないわ。」
「……いかに血盟騎士団副団長の役職にあるとはいえ、十分な睡眠を取らなければ、命に差し障りますよ。」
「う~ん……一応、お休みは十分貰ってるつもりなんだけどね。怖い夢を見て、飛び起きちゃうのよ。」
それを聞いたイタチは、罪悪感を覚えずにはいられない。攻略組としてトップクラスの実力者となることを見越して第一層から突き離してきたイタチだったが、まさかトップギルドの攻略の鬼と化すとは思わなかった。最前線に立って大勢の攻略組プレイヤーの命を預かる重役にあるが故のプレッシャー……義務教育すら脱していない、裕福な家庭で育った少女が一人で背負えるものではない。そして、彼女をそんな状況に追いやったのは、他でもない自分自身なのだ。
SAOという地獄を作り出した禊として、一人でも多くのプレイヤーの命を救うために戦ってきたが、それでも多くの犠牲を払ってきたし、見てきた。アスナもその一人だ。イタチが見放したがために、責任感と恐怖の板挟みにあって苦しんでいる。攻略組としての強い姿しか望まれていないアスナは、そんな内心を吐露する相手がいないのだ。こうして自分を食事に誘ったのも、そんな孤独を紛らわしたかったからだろう。ならば、多少なりとも付き合う義務はあると、イタチは思った。
「悩みがあるなら、同年代のギルメンに相談してみたらどうですか?」
「……うちのギルドに限った話じゃないけど、男の人ばかりなのよね。だから、どうにもそういう話になるとね……」
「前線メンバーではありませんが、薬剤師のシェリーあたりはどうですか?少し年上ですが、同性ですよ。」
「あの人もちょっとね~……悪い人じゃないんだけど、なんか雰囲気が近寄りがたいっていうか……というより、前線メンバーのコナン君以外と親しそうにしているところを見たことないのよね。」
「確かにその通りですね。」
血盟騎士団所属の女性薬剤師、シェリー。調薬スキルをコンプリートしている後方支援プレイヤーであり、彼女の作る高性能ポーションは攻略組の間で重宝されている。イタチも面識があり、対犯罪者プレイヤー用の麻痺毒の調合を依頼したことがある。ただ、イタチのような強豪プレイヤーに対しては、仕事の見返りとしてアインクラッドの有名ブランドの小物類を要求するので、彼女への依頼は常に懐と相談して慎重に行わなければならない。
そんな彼女が唯一心を許しているプレイヤーというのが、前線で戦っているアスナと同じ細剣使いの男性プレイヤー、コナンなのだが。
「コナン曰く、目つきの悪いあくび娘だそうですよ。」
「ぷっ!……確かに、あの人いつも眠そうにしてるわよね。」
こんな風な皮肉を言い合い、時に周囲に流布させていたりするのだ。しかし、何だかんだ言っても互いを信頼していることは、傍から見ても明らかだった。
「やっぱり、支えになってくれる人がいるって、羨ましいよね。」
「……血盟騎士団のメンバーは、皆あなたのことを信頼していると思いますが?」
「そうなんだけどね……なんていうか、その……」
イタチの指摘に、しかしアスナは納得した表情を見せない。その真意を口にしようとする顔には、若干赤みが差していた。何を恥ずかしがっているのだろう、とイタチは不思議そうに見つめるばかり。若干気まずい雰囲気が二人の間に流れた――――そのときだった。
きゃぁぁああああ!!
「「!」」
店の外から突如響いた悲鳴に、イタチとアスナは揃って腰を上げる。次いで、各々武器を手に取り、攻略組として突出した敏捷を遺憾なく発揮して店を飛び出し、先の悲鳴の聞こえた方向を目指す。入り組んだ路地を曲がって辿り着いたのは、レストランからそう遠く離れていない場所にある広場。
「……!」
「あれはっ!」
そこでイタチとアスナを待ちうけていたのは、想像を絶する光景だった。広場の北側に建つ教会。その二階の飾窓からは、一本のロープが垂れ下がっている。そして、その先端には、首をロープで巻かれて吊るされた、全身フルプレートの男性プレイヤー。その胸には、一本の槍が突き刺さっている。
SAOにおいて、圏内は安全エリアとして指定されており、どのような攻撃を受けてもHPが減少することはおろか、プレイヤーの身体には傷一つ付かない。だが、そんなシステム的に有り得ない事象が今、目の前で起こっているのだ。
「私がロープを切る!イタチ君は下から受け止めて!」
「了解。」
アスナの指示にイタチは頷き、二人はそれぞれの行くべき場所へ再び駆け出す。フルプレートの男が吊るされている壁へと駆け寄り、その様子を見上げるイタチ。
「?」
胸を貫かれた状態で吊るされている男。その視線は、虚空に向いている。恐らくは、槍によって削られている自身のHPゲージを凝視しているのだろう。HPが尽きることイコール現実の死を意味するこの世界にいる以上、プレイヤーとして当たり前の反応である。だが、イタチはどうにもその表情に違和感を覚えてしまう。自分の命たるHPを見ているようには思えない。もっと別の、何かを見ているようで……
(確かめてみるか……)
目の前で死にかけている男が発する違和感の正体を確かめるべく、自ら接触を試みることにする。アスナからは下で待機するよう言われていたが、人命救助の名目があれば言い訳できるだろう。背中に吊った片手剣を引き抜き、壁に向かって勢いよく走り出す。
現実世界ではできない、SAOならではの技。敏捷を極めたプレイヤーのみが発動できるシステム外スキル、「壁走り(ウォールラン)」である。攻略組でも知っている人間は少数で、習得している人間はさらに少ないシステム外スキルだが、イタチは忍としての前世があるお陰で、習得するのは造作もなかった。
「あぁ……ぁっ!」
壁を走って接近するイタチに驚愕するフルプレートの男。イタチの刃が、男を吊っているロープを断ち切らんと近づいたその時だった。
「ぁあっ!!」
イタチの刃がもう少しで届きそうだったその瞬間、男がか細い悲鳴を上げると共に、その身体が光に包まれた。ガラスが破砕されるかのような耳触りな音と共に飛び散る、青いポリゴン片。イタチの刃は空を斬り、男に突き刺さっていた槍が地面に突き刺さる。
圏内でHP全損という異常事態に戦慄する広場のプレイヤー達。その現場を誰よりも近くで見ていたイタチの目には、断末魔と共に男の身体から発された、ポリゴン片とは違う、青白い光が焼き付いていた――――