ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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皆さま、こんばんは。作者の鈴神です。
いつも本小説を読んでいただき、ありがとうございます。
おかげさまで、遂に一周年を迎えることができました。
月に二回のスローペースですが、今後も投稿を続けられればと思います。
今回は一周年を記念して、二話連続投稿します。「心の温度」へストーリーは突入します。お楽しみに。


第三十五話 真相

 荒野のような寂れた丘のフィールドへと襲来した三人のレッドプレイヤー。彼らは笑う棺桶と呼ばれる最凶ギルドとして名高い殺人集団のトップスリーだった。ある人物の依頼により、三人のプレイヤーの始末を請け負ってここまで来たのだが、予想外の邪魔が入り、依頼遂行は失敗に終わった。三人の内二人は深手を負わされ、離脱。残る一人は、麻痺毒の塗られたダガーを背中に突き刺され、動けずに地面に横たわっていた。

 

(畜生!……ヘッドもザザも、敵わなかったのかよ……!)

 

 初撃で麻痺毒を塗ったナイフに刺されたことで動きを封じられたジョニーだったが、PoHとザザの二人ならば、イタチ相手でもすぐに殺して、またプレイヤー殺しに興じられる。今となっては、その考えも浅はかだったと認めざるを得ない。まさか、イタチがあの二人を退けるどころか致命傷まで負わせるとは思わなかった。最早、取れる手段は逃げの一手のみ。ポーチに仕込んでおいた転移結晶を利用し、自分も離脱を試みる。ところが、

 

「ぐぅっ……!?」

 

 腰のポーチへと手を伸ばすジョニーだったが、その手が転移結晶を掴むことはなかった。突然の痺れと共に、静止する右腕。何が起こったのか、理解できなかったジョニーの耳に、あの男の声が聞こえた。

 

「悪いが、お前だけは逃がしはしない」

 

「テ、メェ……!」

 

 離脱を試みるジョニーの腕が、イタチが握る逆棘のスピアによって地面に縫い付けられていた。頭陀袋に空いた二つの穴から覗く怒りに満ちた双眸も、麻痺した状態ではイタチを睨みつけることすら儘ならない。非常に業腹だが、捕まるしかないとジョニーは悟った。

 ジョニーが大人しくなったのを見計らって、イタチはその場にいた全員に改めて話し掛けることにした。

 

「また会いましたね、ヨルコさん」

 

 ラフコフのトップツーを相手に大立ち回りをやってのけてなお、全く息の上がった様子を見せず、残された幹部に容赦なくスピアを突き刺すイタチを前に、ヨルコは竦み上がってしまう。だが、圏内PKなる事件を偽装し、プレイヤー達を混乱に陥れた立場にある以上、このまま黙ったままでいるわけにはいかない。

 

「ぜ、全部終わったら、きちんとお詫びに伺うつもりだったんです……ほ、本当です!」

 

 上ずった声で話すヨルコは、今回の騒動に関する責任に関して、必死に弁明する。彼女や隣のカインズの目には、イタチはレッドプレイヤー以上に恐ろしい存在として映ったのだろう。

 

「あとできちんと事情を説明していただきます。それから……あなたがカインズさんですね。はじめまして、イタチです」

 

「い、一応あなたとは、あの教会の壁で会っている筈なのですが……いつから気付いていたんですか?」

 

「最初からです」

 

 ヨルコ同様に怯えた様子のカインズの問いに、イタチはにべもなく即答した。その言葉に、カインズとヨルコは顔を引き攣らせた。

 

「あの時、鎧が砕けるポリゴン片の中に、転移結晶の光が確かに見えました。ヨルコさんの時も同様です」

 

 常人離れした動体視力を持つイタチにとって、爆散するポリゴン片の中にある転移結晶の光を見抜くのは、さして難しいことではなかった。

 

「……どうして、アスナさんに話さなかったんですか?」

 

「あなた達がこのような行為に及んだ理由について知りたかったんです。愉快犯で圏内を騒がせたいだけならば、参考人として出張る必要がありませんでしたからね。何か、込み入った事情があることは容易に察しがつきました」

 

 イタチには、今回の事件についての大凡の事情は、最初からお見通しだったのだろう。それを悟らされ、カインズとヨルコは脱力する。

 

「イタチ……だが、何故笑う棺桶の連中が襲ってくることが分かったんだ?」

 

 麻痺から回復し、膝を付いて立ち上がったシュミットからの問いかけに、対するイタチは相変わらずの無表情で答えた。

 

「あなた達の黄金林檎が壊滅した切欠になった指輪事件……その真相に行き着いたからだ」

 

「どういうことだ?」

 

「指輪事件の真相って……犯人が分かったんですか!?」

 

 シュミットはその言葉に訝しげな表情を浮かべ、ヨルコとカインズは、自分達の知りたかった事件の真相を知っているということに驚き、その先を知りたがっている様子だった。イタチはそんな三人に対し一つ頷いて説明を続ける。

 

「黄金林檎のリーダー、グリセルダさんは、サブリーダーのグリムロックさんと入籍していました。システム上、結婚している夫婦はアイテムストレージが共有状態になります。そして、片方が突発的な事故等で死亡した場合、ストレージに納められているアイテムは、もう片方のストレージに容量の限り納まることになります」

 

「それって……まさか!」

 

 そこまで語られたところで、イタチが何を言いたいのかを察したヨルコが息を呑む。シュミットとカインズも表情を驚愕に染めていた。そしてイタチの説明は、核心へと迫る。

 

「グリセルダさんが死亡したその時、ストレージに納められていた指輪は、グリムロックさんのストレージに残った筈です。シュミットに暗殺の手引をさせたのが、ギルドのメンバーだったのならば、犯人はただ一人……そして、この計画に関与していたのならば、関係者全員を殺害し、真相を闇に葬ろうと考えてもおかしくはありません」

 

「それじゃあ、犯人は……グリムロック、なのか!?」

 

「け、けど……それじゃあ、あの人がリーダーを……奥さんを殺害したということですか!?」

 

「実行したのは、おそらくレッドプレイヤー……笑う棺桶でしょう。依頼したのは、グリムロックさんで間違いないでしょうが」

 

 その事実に、衝撃を受ける元黄金林檎メンバーの面々。犯人の正体を知ることができたが、その動機は理解できない。そんな混乱状態の一同に、イタチはさらに続ける。

 

「そこから先は、本人に直接聞いてみるといい。総仕上げとして、関係者全員を始末するこの場を見届けるために訪れていた主犯が、もうそろそろ連れて来られる頃ですから……」

 

 イタチの説明がちょうど終わったその時、この場に近づく足音が複数近付いてきた。ヨルコとカインズ、シュミットは、接近してくる人物に警戒心を抱くが、イタチは全く動じない。今からここへ来る人物が、誰なのか分かっているのだろう。やがて、薄暗い森の奥から三つの影が現れた。

 

「ご苦労だったな、カズゴ、アレン」

 

「ったく……相変わらず、無茶やらかしやがって……」

 

「ホント……他人を頼るってことをいい加減に覚えて欲しいね」

 

 現れた影の内の一人は、イタチよりもやや大柄な、黒装束に身を包んだオレンジ色の髪が特徴的な少年――両手剣使いのカズゴ。二人目は、イタチよりもやや細身の体格に、白い髪をした少年――長剣使いのアレン。攻略組の強豪プレイヤーの一人として知られる彼等は、イタチとはベータテスト時代からの知り合いだった。そして今回、この二人はイタチの依頼により、事件の真の黒幕たる人物を捕縛し、この場に連行したのだ。

 

「そいつで間違いないのか?」

 

 二人に挟まれる形で連行されてきた人物に視線を移すイタチ。カズゴの大剣と、アレンの長剣を突きつけられた状態で立ち尽くしている男性プレイヤー……かなりの長身で、裾の長い革製の服を着込み、つばの広い帽子を被っている。銀縁眼鏡をかけたその容貌は、まるで香港マフィアのようだった。

 

「ああ、間違いない。ブッシュでハイディングしていたところを、アレンが見つけた」

 

「目を使った索敵はかなり得意だからね」

 

 得意げに語るアレン。彼の言う通り、視覚を利用した索敵能力に関しては、イタチと互角以上と噂されている。中層レベルのハイディング程度を見抜くのは、造作も無いことだった。

 

「それから、もう一人いるぜ」

 

「何?」

 

 カズゴの言葉に、訝しげな顔をするイタチ。グリムロック以外に、カズゴとアレンが連れてきた人物がいるというのだろうか。しかし、誰なのだろう……そこまで考えたところで、カズゴの背後から件の人物が姿を現した。

 

「黒鉄宮の生命の碑を見に行った筈が、まさかこんなところに来ているなんてね……イタチ君」

 

「アスナさん……!」

 

 予想外の人物の登場に、さしものイタチも驚愕に目を見開く。第二十層のグリムロック行きつけの店で見張りをしている筈の人物が何故ここにいるのか、すぐには理解できなかった。おそらく、どこかから情報が漏れ、アスナに伝わったのだろうが、その経路が思いつかない。尤も、皮肉を口にするアスナが内心に抱える凄まじい怒りの原因については、心当たりがありすぎたが……

 

「私がこの場にいることが、不思議に思えて仕方ないみたいね。私もいろいろと言いたい事があるけど、それは後にしましょう。まずは、この事件の真相を確かめる方が先よ」

 

 この場で最も激しい剣幕だったアスナに先を促され、イタチはグリムロックに対し口を開く。

 

「はじめまして、グリムロックさん。俺はソロプレイヤーのイタチです。ヨルコさん達が起こした圏内事件をきっかけに、指輪事件の捜査も行わせていただきました。あなたが指輪事件の黒幕……グリセルダさん暗殺の主犯ですね?」

 

「……誤解だ。私はただ、事の顛末を見届ける責任があると思ってこの場にいただけだよ。姿を隠していたのも、仕方の無いことだ……あの恐ろしいオレンジプレイヤー達相手に、鍛冶屋の私が敵う筈もあるまい」

 

 この期に及んで言い逃れを試みるグリムロック。イタチは無表情のまま内心で呆れつつも、言葉を続けた。

 

「笑う棺桶の連中による襲撃が、あなたの依頼によるものかは、こいつを締め上げれば分かる話です。ついでに、グリセルダさん暗殺の件に関してもね」

 

 イタチが指差したのは、背中に麻痺毒塗りのナイフを刺され、右手をスピアで地面に縫い付けられた状態で横たわるジョニー・ブラック。イタチに捕らえられたことに相当腹を立てているらしく、最後に悪態を吐いてから一切口を開いていない。現状では依頼主を白状しそうにないが、いざとなればフィールドでHP全損ギリギリまでダメージを与えて拷問してでも吐かせようとイタチは考えていたが。

 

「レッドプレイヤーの言うことなど、信用に値するのかね?私が実際に雇ったと言う物証が無い以上、それも言いがかりにしかならないよ」

 

「……往生際が悪いんじゃねえか、オッサン」

 

「カズゴの言う通りですよ。いい加減、罪を認めてください」

 

 イタチのみならず、カズゴとアレンまでもが呆れた様子で口を開く。だが、グリムロックは相変わらず、知らぬ存ぜぬでこの場をやり過ごす気らしい。

 

「ついでに言わせてもらうが、彼女が死んだ時、指輪はストレージには残っていなかった。おそらく、彼女は指輪を装備した状態で殺害されたのだろう。残念だが、私は指輪の行方については一切知らない」

 

指輪のことについても、グリセルダの死後にドロップしたものをレッドプレイヤーが拾ったと言い張る始末。ジョニーの証言で逮捕にまで持ち込めるかと考えていたが、予想以上に手強い相手だと認めざるを得ない。どうしたものかとイタチが考えていたところ……

 

「待ちなさいグリムロック……証拠なら、あるわ……!」

 

 白を切り通してこの場を後にしようとするグリムロックを呼び止めたのは、それまで黙って話を聞いていた当事者の一人――ヨルコだった。意外な人物からの言葉に、その場にいたイタチはじめとした者達全員の視線が彼女へ集中する。

 

「グリムロック……あなたはつまり、グリセルダさんは死ぬ間際にあの指輪を装備していたから、あなたの手元には残らなかった……そう言いたいね?」

 

「……その通りだが、それがどうかしたのかね?」

 

 一瞬、訝しげな表情を浮かべながらも、飽く迄ポーカーフェイスを装って返答するグリムロック。対するヨルコは、強い意志を秘めた瞳でグリムロックを睨みつけながら続ける。

 

「……リーダーの死後に、すぐに行方を晦ませたあなたは知らないだろうけど、リーダーが殺された現場には、殺人犯が無価値と判断して捨て置いて行ったアイテムがあったわ。発見してくれたプレイヤーがそれを届けてくれた時、私達はこの墓標に遺品を埋めた。リーダーが使っていた愛剣は、耐久値が尽きて消滅したけれど……もう一つ、あなたの容疑を決定づける、確たる証拠がここにあるわ!」

 

 そう宣言したヨルコは、隣にいたカインズと目を合わせると、墓標の裏の地面を素手で掘り始めた。その場にいた全員が固唾を呑んで見守る中、遂にヨルコが確たる物証と宣言したものを取り出した。

 

「それって、もしかして……」

 

「永久保存トリンケット、ですね」

 

 アスナとイタチは、そのアイテムに見覚えがあった。永久保存トリンケットとは、マスタークラスの細工師だけが作り出せる小さな箱型のアイテムであり、SAO唯一と言ってもいい、耐久値無限という属性をもったアイテムなのだ。中へ収納したアイテムは、フィールドに野晒しにしても耐久値が減少することは無いとされている。

 全員がその箱に注目する中、ヨルコがその蓋を開く。中には、金と銀、二色の指輪が入っていた。

 

「リーダーがいつも身に着けていた指輪……この金色の指輪は、黄金リンゴの印章が入った指輪よ。そして……この銀色の指輪は、彼女が片時も左手の薬指から外すことのなかった、結婚指輪よ!」

 

 それを聞いた時、グリムロックは衝撃に凍りついた。先ほどまでの余裕はどこへやら。顔の筋肉は硬直し、手先が震えている。

 二つの指輪を見るや、今度はイタチが前に出る。

 

「SAOにおいて、指輪アイテムはシステム上、片手に一つずつしか装備できない。つまりグリセルダは、殺されるその時までこの二つの指輪のみを装備していたということになる。レアドロップの指輪は、あなたのストレージに入っていたという何よりの証拠です。グリムロックさん、これ以上言い逃れはできませんよ……」

 

 目に涙を浮かべて、今にも泣き出しそうな顔になっているヨルコに代わり、イタチがそう締めくくる。グリムロックを見つめるその目は、先程レッドプレイヤーと戦った時のような、氷のように冷たく、怒りに満ちたものだった。

 対するグリムロックは、自嘲気味に顔を歪めたまま震えていた。もはや反論の余地もないことを悟ったのだろう。この反応は、罪を認めたも同然だった。

 

「なんでなの、グリムロック!どうしてリーダーを……奥さんを殺してまで、指輪を奪ってお金にする必要があったの!?」

 

 悲愴感に満ちたヨルコの叫びに、グリムロックは唐突に、硬直した状態で浮かべていた笑みを消した。

 

「金……金だって?」

 

 突然の表情の変化に、その場にいた一同が戸惑いの表情を見せる。ただ一人、イタチだけは相変わらず冷めた視線をグリムロックへ送っている。

 

「金のためではない……私は、どうしても彼女を殺さねばならなかった。彼女がまだ、私の妻でいる間に」

 

「どういうことだよ?」

 

 グリムロックの不気味な自白に、それまで刃を向けて、傍観を決め込んでいたカズゴが、訝しげに問いかける。

 

「彼女は、現実世界でも私の妻だった」

 

 グリムロックの口から発せられた衝撃の事実に、その場にいた全員が驚愕する。

 

「……なら、なおさら分かりません。その人は、死ぬ間際まであなたの奥さんだった筈じゃないですか?」

 

 今度は、アレンからの問いかけ。グリムロックとグリセルダが現実でも夫婦だったというのは驚きだったが、ならばなおのこと分からない。妻でいる間とは、一体どういう意味なのか。

 

「一切の不満のない理想的な妻だった。可愛らしく、従順で、ただ一度の夫婦喧嘩もしたことがなかった。だが……共にこの世界に囚われたのち、彼女は変わってしまった」

 

 妻であるグリセルダを殺害するに至った動機を独白するグリムロックの瞳は、どこか虚ろだった。だが、その場で話を聞いていた人間は誰も同情しようとはしない。

 

「強要されたデスゲームに怯え、恐れ、竦んだのは私だけだった。彼女は現実世界にいたときよりも、遥かに生きいきとし、充実した様子で……私は認めざるを得なかった。私の愛したユウコは消えてしまったのだと」

 

 グリムロックの言葉に込められていくどす黒い感情。そのおぞましさに、ヨルコやカインズはもとより、攻略組プレイヤーである筈のシュミットやカズゴ、アレン、アスナでさえも、凍りつくような寒気を覚えた。

 

「君達に理解できるかな……もし向こうに戻った時、彼女に離婚を切り出されでもしたら……そんな屈辱に、私は耐えられない。ならば……ならばいっそ合法的殺人が可能なこの世界にいるあいだにユウコを!……永遠の思い出のなかに封じてしまいたいと願った私を……誰が責められるだろう?」

 

 まるで、自分のしたことに正当性があるかのように開き直り、勝手な論理をのたまうグリムロック。そんな常軌を逸した思考のグリムロックに対し、いち早く我に返ったカズゴが口を開く。

 

「そんな理由で……あんたは奥さんを殺したってのかよ!?」

 

 大剣を握る力を強めながら、怒気を孕んだ言葉をぶつけるカズゴ。グリムロックを今にでも一刀両断しそうなその剣幕に、しかし当人はどこ吹く風と、口の端を歪めて続けた。

 

「十分すぎる理由だ……君たちにもいつか解るよ。愛情を手に入れ、それが失われようとした時にはね」

 

 その場にいる若者たち全員に対して、放った言葉に、一同は背筋が冷たくなるような感覚を覚えた。そんな冷たい沈黙が支配したその空間の中……

 

「戯言は終わりですか、グリムロックさん」

 

 グリムロックの独白による戦慄で硬直していた一同を正気に戻したのは、イタチの言葉だった。先のグリムロックの独白が底冷えするような感覚を覚える言葉だったのに対し、イタチの発した言葉には、聞いた者を問答無用で凍りつかせる絶対零度の冷たさと、刃の如き鋭さを宿していた。

 グリムロックの言葉を遥かに凌ぐイタチの剣幕に、その場にいた全員は身体の芯まで凍りついたかのような感覚に囚われた。だが、その言葉によって己を全否定されたグリムロック本人だけは、かろうじて問いを投げることができた。

 

「戯言……だと?」

 

「それ以外の何物でもありませんよ。もし本当に、愛情が失われたのならば……その苦痛は、屈辱なんて言葉では表せない……大切な人を失った悲しみを前に、そんな戯言はのたまえない」

 

 グリムロックに対する怒気と苛立ち、憐みを込めたイタチの言葉には、僅かな悲しみが垣間見えていた。イタチの前世、うちは一族は、どんな一族よりも愛情深いとされていた。愛する人を失った悲しみによって、その瞳力を昇華させ、同時に狂気に走ってきた経緯がある。イタチ自身も、両親をはじめ、一族を皆殺しにした。そして終いには、残された弟を、一族を皆殺しにするために守った木の葉隠れの里を襲う復讐鬼にしてしまったのだ。

故にイタチは、愛する人を失う悲しみも、愛する人が己の望まぬ道へ進んでしまう悲しみも知っていた。そしてだからこそ、己の抱いた感情を、愛情と履き違え、妻を殺害したことの正当性をのたまくグリムロックを許せなかったのだ。

 

「あなたが抱いていたのは、ただの所有欲だ。俺の言葉を否定したいのならば、左手の手袋を脱いでみることだ。グリセルダさんは死ぬ間際まで外さなかった指輪を、あなたは既に捨ててしまっている。違いますか?」

 

 イタチの問いかけに、しかしグリムロックは何も返せなかった。左手の手袋を外すことはできず、その場に膝をついて震えだす。その様子を見て、周りで聞いていた者達は、イタチの言葉が真実であることは明らかであること悟った。

 やがて、ヨルコやカインズ達、元黄金林檎メンバーがグリムロックのもとへ歩み寄ると、一度イタチに向かい合った。

 

「……イタチさん。この男の処遇は、私達に任せてもらえませんか?」

 

「分かった。笑う棺桶についての情報も得ておきたいが、こっちは幹部を捕らえている。聴取する相手には事欠かない」

 

 未だ地面に突っ伏したままのジョニー・ブラックは、イタチの言葉に舌打ちすらせずに我関せずを決め込んでいる。そうそう簡単に口を割りそうにないが、どんな手を使ってでも情報を絞り出してやるとイタチは内心で呟いた。

 やがて、膝をついて動かないグリムロックにカインズとシュミットが手を貸して、主街区方面へと歩き出した。ヨルコは最後に一礼し、礼を述べると三人の後を追っていった。

 黄金林檎の元メンバー四人が朝靄の奥へと姿を消すのを見送ってから、イタチはその場に残った攻略組メンバー三人に改めて向き直る。

 

「カズゴ、アレン。こっちに向かっている攻略組に合流し、ジョニー・ブラックを黒鉄宮の監獄エリアに送り込む。手伝ってくれ」

 

「いや、それは俺達だけでやるさ」

 

「イタチには、他に済ませなきゃならない用事があるからね」

 

 イタチの頼みに、しかしカズゴとアレンは苦笑しながらその役割を進んで引き受けた。何が言いたいのかを理解しているイタチは、反論することもなく、二人の提案を聞き入れた。

 

「……分かった」

 

「彼女、あんまり怒らせちゃ駄目だよ」

 

「……まあ、ガンバレ」

 

 麻痺で動けないジョニー・ブラックを担ぎ上げ、攻略組が向かってくる方向へと歩いていくカズゴとアレン。去り際に、この後起こることについての注意と激励を受けたが、イタチは力なく頷くしかできなかった。

 そうして、枯れ木が立ち並ぶ寂れたフィールドに残されたのは、イタチとアスナのみとなった。

 

「イタチ君、何か弁明はあるかしら?」

 

「……ありません」

 

 アスナの開口一番の問いかけに、イタチは表情を陰らせながら否定した。無表情ながら凄まじい怒り・苛立ちを孕んだ言葉を口にするアスナに、さしものイタチも冷や汗ものだった。イタチを見つめる視線は、先のグリムロックに向けていたイタチのそれによく似ている。しばらく続いた沈黙を、イタチが破る。

 

「しかし、よく気付きましたね。俺がこの層にいることを」

 

「生憎だけど、私のギルドには、誰かさんと同じくらい推理が得意な人がいてね……事件の経緯を教えたら、然程時間をかけずにトリックを見抜いた上、真相まで付きとめてくれたわ。それに、その子の知り合いには、あなたとフレンド登録をしている子がいてくれたお陰で、あなたの居場所も簡単に割り出せたわ」

 

(コナンにシェリーだな……)

 

 イタチは攻略組の中で、ベータテスト時代からの知り合いであるソロプレイヤーを中心にフレンド登録をしている。一部の例外が、シバトラのようにリアルの知り合いといった特殊な事情を持つ人物や、シェリーのような得意先の生産職プレイヤーなのだ。おそらく、居場所の情報はシェリーから漏れたものだと推測される。

 そんなイタチの内心を余所に、アスナは言葉を続ける。

 

「二人とも、あなたがいるから大丈夫だと思って、今回の事件には関わらないつもりだったらしいわ。けど、私から事件について知らされて、あなたが独断専行に走ったことには、呆れ果ててたわよ。無論、私もだけど」

 

「……申し訳ありません」

 

 激しい剣幕のアスナに、謝罪を口にしてはみたものの、怒りは全く治まる気配は無い。しばらくイタチを睨みつけていたアスナだったが、やがて溜息と共に再度口を開いた。

 

「認めるのは非常に癪なんだけど……私一人じゃ、圏内PKのトリックを見抜く事も、真相に至ることもできなかったわ。でも、だからこそ思うの。一人では出来ないことがあるからこそ、皆で力を合わせる必要があるんだって」

 

 イタチに対し、叱りつけるような口調で話すアスナの表情は、いつになく真剣なものだった。イタチにもその事実に気付いて欲しい……もっと自分を頼って欲しいという思いの込められた言葉に、イタチは口を挟む余地がない。

 

「だから……二度とこんな無茶をやらかすのはやめなさい。もっと周りを頼って、一人で何でもやろうとしないこと。良いわね?」

 

「……努力します」

 

 険しい視線のアスナから目を逸らして答えるイタチ。ある意味、ボス攻略戦の時以上に追い詰められている状況である。普段通りの平静を装っているが、アスナの逆鱗に触れたことを僅かばかり後悔していた。

 

「……それにしても、君があんなことを言うなんて思ってもみなかったわ」

 

「?……どういうことですか?」

 

 意外そうな表情で放ったアスナの言葉に、イタチは若干顔を顰める。敢えて何のことかと聞いているが、アスナが何を言いたいのかは察しがついていた。

 

「君が、“愛情”っていう言葉にあそこまでこだわるなんて、思わなかったわ」

 

「……申し訳ありません。あの時は、感情的になり過ぎました」

 

「別に、悪いなんて言ってないわ。失礼を承知で言うけど……本当に意外だと思っただけ」

 

 イタチという人間を、現実・仮想世界を問わず、冷めた人間であると認識している人間は、アスナだけではない筈だ。ビーターという負のイメージが強いこともあり、イタチというプレイヤーには冷酷、残忍といった人物像が定着しているのだ。勿論、アスナやクラインといった一部の攻略組プレイヤーは、イタチをそんな風な人物だとは思っていない。だが、愛情深い人間としての印象が強いとは考えたことがなかった。

 アスナの感想に対し、内心でばつが悪い表情を浮かべるイタチ。愛情という言葉に過剰に反応し、感情に露にしてしまったことについて、忍としてあるまじき行為であると心底恥じていた。

 

「俺は、あなた方が思っている程できた人間ではありませんよ」

 

「そうかしら?……けど、私は本当のあなたを……現実世界でも知り得なかった、桐ヶ谷和人君のことを、少しだけ垣間見ることができた気がしたわ」

 

 リアルネームで呼び合うのは、SAOにおいてはマナー違反に抵触する行為である。それを承知で敢えて口にしているのは、それだけアスナが真剣である証拠だろう。イタチ自身は、リアルネームで呼び合うことに関しては特に忌避や抵抗は無かったので、アスナに対して反抗や注意も口にしなかった。

 

「……ねえ。もし君なら……仮に誰かと結婚したあとになって、相手の隠れた一面に気付いたとき、どう思う?」

 

「実際にそういった事態に直面しない限りは、そんなことは分かりませんよ。しかし、愛情はそんなことでは失われない……それだけは言えます」

 

 アスナの唐突な問いに、しかしイタチは即答した。具体的な感情は、その時にならなければ分からないが、それでも愛情が消えることは無いと、そう答えたのだ。

 

「無論、愛した人が間違った道へと進んでしまえば、それは悲しいことです……グリムロックさんではありませんが、その人を手に掛けねばならないかもしれません。しかし、その人への愛情だけは絶対に失われない……だからこそ、その人を喪う痛みは、永遠に続くんです」

 

 イタチの言葉には、まるで自分もまたその痛みを背負っているかのような、真に迫る重さがあった。アスナの知らないイタチが持つ、何も知らない自分のような人間には触れることが許されない、秘めたる何かを垣間見たような気がした。だからこそ、アスナはそれ以上問うことはしなかった。

 

「それから最後にもう一つ。イタチ君、私とフレンド登録しなさい」

 

「……分かりました」

 

 アスナが最後にイタチに要求したのは、フレンド登録。単独行動に走り、レッドプレイヤーとの戦闘と言う危険行為に及んだ手前、断ることはできないとイタチは判断し、やむなく承諾した。ゲーム攻略を進める一方で、レッドプレイヤーとの暗闘を繰り広げる立場にあるイタチは、極力フレンド登録を避けねばならないと考えていた。人間同士の殺し合いに身を投じる以上、自分と繋がりのある人間に危害が及ぶ危険性がどうしても発生してしまう。イタチは、アスナとのフレンド登録によって、彼女にまで類が及ぶことを何より懸念していた。

 

「シバトラさんやシェリーさんとフレンド登録しているんだもの。今更だけど、私ともフレンド登録はすべきだったのよ」

 

「……そうですね」

 

 アスナからのフレンド登録を受諾し、フレンドリストに互いの名前が追加される。アスナはそれを確認して満足そうな笑みを浮かべた一方、イタチは今後の行動が制限されるのではと溜息を吐きたい思いだった。

 

「二日も前線から離れちゃったわ。明日からまた頑張らなくちゃ」

 

「そうですね。今週中に、今の層は突破したいところです」

 

 朝日が昇り、靄が晴れて行く森の中を歩きだすイタチとアスナ。主街区に向けて歩いていた歩みを、しかし突然、イタチは止めた。足音が止んだことを不審に思ったアスナが、振り返ると……

 

「イタチ君、どうし……え?」

 

 振り向くと、そこには来た道を振り返ったイタチの姿。そして、その視線の先には、グリセルダの墓標がある。だが、イタチが見ているのは、もっと別なもの。丘の向こうから朝日が昇り始める眩い景色の中に、一人佇む女性の姿があった。イタチとアスナには見覚えのない女性プレイヤー。だが、身に纏うローブには、見覚えがあった。ヨルコが行った、二件目の偽装殺人の際に、グリセルダに扮したカインズが着ていたものだ。シュミットはそれを、グリセルダが身に着けていたものと同じだと言っていた。それはつまり――

 

「グリセルダさん、ですね」

 

 イタチの呟きは、アスナに言ったのか、それとも目の前の墓標の傍らに立つ女性に向けてのものなのかは分からない。死んだ筈の人間が目の前に立っている……心霊現象か、あるいはただの幻覚なのかは分からないが、イタチとアスナは目の前の人物が、今は亡き黄金林檎のリーダー、グリセルダであると疑わなかった。

 朝焼けの光を背に佇む女性は、イタチとアスナにふっと微笑みかけると、すぐに消えてしまった。まるで、先程の光景が夢だったかのように――――

 

「イタチ君……」

 

 アスナは思わず、すぐ近くに立っていたイタチの名を呼ぶ。何を言えば良いのか分からなかったし、何を言って欲しかったというわけでもない。対するイタチは、

 

「行きましょう」

 

 それだけ言うと、再び主街区へ歩き始めた。アスナの横を通り過ぎるその横顔は、どこか穏やかだった。その表情を見て、アスナの心に温かいものが込み上げ、自然と笑みが浮かんだ。

 

「そうだね」

 

 黒の忍と、白の女騎士が並んで歩きだす。二人の背中を、二人が歩む道を照らしだす、新しい朝の光は、まるで新しい運命への道標のようだった。

 


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