ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
2022年5月11日
桐ヶ谷家の家からさほど遠くない場所にある雑木林。早朝のため未だ日の光の届かない鬱蒼とした空間の中、朝露を裂いて走る影があった。
「ふっ…!」
目にも止まらぬ速さで駆け抜ける黒い影から、幾筋かの銀色の線が迸る。それと共に、影が通過した場所に何かが突き刺さる音が立て続けに鳴り響く。機関銃のように絶え間なく成り続けた音は、影が停止すると共に止んだ。朝日が立ち込め始める林の中に現れたのは、一人の少年――桐ヶ谷和人だった。
「…こんなものか。」
誰にでもなく、和人はそう呟いた。一息吐いて、タオルを手に額の汗を拭う。
(手裏剣術は、大体感覚が戻ってきたな。)
和人が見回す雑木林の木々には、ダーツの的が至る場所に取り付けられており、いずれも矢が数本ずつ、ほぼ中心に突き刺さっている。これらは和人が修行のために設置した物である。
うちはイタチの記憶を持って転生した和人は、前世において行っていた忍術修行を今も続けていた。修行のための場所を探し、この雑木林に目を付けたのが五歳頃だった。その後は、家族に黙って密かに家を出てこの場所に来て修行をしていた。当初は忍者としての体力作りから始め、現在は忍具を使った修行に至っている。
尤も、忍具である手裏剣やクナイは今の時代では入手困難な代物であるため、代用品としてダーツの矢を忍具に見立てて修業を行っていた。
(しかし…やはり手に馴染まんか。それに、この世界の俺ではこれが限界か……)
手裏剣修行において放ったダーツの矢は、全ての的をほぼ中央に命中させていたが、和人の内心は不満足だった。前世において使っていた武器に比べれば、今自分が手に持っている武器は、重さも鋭さも劣るものである。扱いに慣れていない道具では、思うような動きもできない。そして何より、和人は現在、生前同様に忍術が使えない状態にあるのだ。
忍術を発動するためのエネルギーである「チャクラ」には、身体エネルギー由来の「陽遁」と、精神エネルギー由来の「隠遁」が存在する。前世のうちはイタチがいた世界では、この二種類のチャクラを練り上げることで忍術が発動するのだ。体内を巡るチャクラは、印結びの反復練習で感じ取り、徐々に練れるようになる。だが、和人はうちはイタチからの転生後、チャクラを「練る」ことができなくなってしまったのだ。
原因は不明だが、恐らく転生前のうちはイタチがいた忍世界と、転生後の桐ヶ谷和人のいる世界とでは、世界の理が大きく異なっているためと考えられる。忍術無しで繁栄した文明ともなれば、チャクラが練れなくてもおかしくはない。前人未到の「異世界」である以上、元居た世界との勝手の違いも、こうして転生した後でなければ分からない。「チャクラ」という言葉はこの世界にはあるものの、それはインド起源の神秘的身体論における、物質的な身体(粗大身)と精微な身体(微細身)にある複数の中枢を指すらしい。忍術にも似たような概念があり、前世の忍世界では「八門遁甲」と呼ばれている。ちなみに、忍術の世界で言う「チャクラ」に該当するものは、東洋医学で「氣」と呼ばれている。閑話休題。
ともあれ、現状の和人はチャクラ(=氣)の流れを感知することはできても、前世のように「練る」という行為ができないことから、忍術のような超常現象を引き起こすことはできないのだ。中医学の「氣」の概念について学ぶことで、身体能力の向上に利用することが出来そうだが、忍術だけは発動できそうにない。
(…尤も、本当は必要ないのだろうな……)
転生後も和人がかつてのイタチ同様に忍術修行を行っている理由については多々あるが、最大の理由は、かつて自分が忍だったことを…もっと言えば、忍として自分が犯してきた罪を忘れないためだった。転生しても、魂がうちはイタチのままである以上、かつての自分が犯した罪からは逃れられないし、償いができるとも思わない。忍者としての在り様を前世から引き継いでいるのは、背負い続けなければならない業に向き合うためだった。さもなくば、また過ちを繰り返した果てに、大切な物を傷つけるかもしれないと…和人は言い知れぬ不安を抱いていた。
転生してから十年以上が経過した今も尚引きずっている、前世の「うちはイタチ」の影。親しい者をその手にかけた、血に塗れた生涯だったが、それを後悔するつもりは毛頭ない。しかし、同時に自分が罪深い人間であるという自覚もある。背負った業に対する意識が、自分はここにいてはいけない人間なのだと、そう訴えかける。転生した今を生きることを決心していたが、過去を省みれば過ぎた幸せとしか言いようがないこの世界は、イタチの心を苛む。いっそのこと、地獄へ落ちた方が楽だったのかもしれない、と思うこともある。
(いかんな…悪い癖だ……)
知らず、過去に執着するあまり、今を生きることを否定していることに内心で溜息を吐く。この世界に転生した理由、存在の意義を探すために生きているのに、過去に囚われている自分がいる。
『本当の変化とは規制や制約…予感や想像の枠に収まりきっていては出来ない。』
それが前世のうちはイタチの考え方だった。桐ヶ谷和人に転生した今でも、それは変わらない。だからこそ、答えを探すためには、「変化」が必要だということにも気付いている。しかし、己が変わること…それ即ち、過去を忘れることのように思えてしまう。自身を縛る制約が何も無い今、変化することは容易いが、慣れない自由に和人は戸惑い続けている。もし和人に、その苦しみを打ち明けられる親しい人がいたのなら、過去と今、両方を受け入れて生きることもできただろう。だが、うちはイタチとしての過去を…前世を知る人間は誰一人としてこの世界にはいない。故に、和人は行き場のない葛藤全てを一人抱え込むしかできなかった。
(さて…そろそろ帰るか…)
忍者としての修行を通して心の内に湧いた秘めたる想いを呑みこみ、和人は家に戻るべく支度を始める。雑木林の中に設置したダーツの矢と的を手早く回収し終えると、人に出くわさないよう注意しながら家を目指し、塀を跳び越えて中へと入る。ランニングに出ていたと言えば言い訳できるが、修行のことはできるだけ内密にしておきたい。自宅の敷地に入った和人は、母屋の部屋へは戻らず、道場へ入る。修行へ行く前に用意しておいた道着に着替え、竹刀の素振りを始める。
「お兄ちゃん、おはよう。」
「ああ、おはよう。」
程なくして、朝稽古のために起きてきた直葉が道場へ入ってくる。直葉も道着に着替えると、いつもの日課である手合わせを行う。稽古が終わった後は、朝食の準備に取り掛かり、二人に続いて起きてきた母、翠と共に食卓に着く。そしていつも通り、海外で仕事をしている父を除いた三人での朝食が始まる。そこでふと、母である翠がある話題を口にする。
「そういえば、最近取材でアーガスの会社に行ったんだけどね。」
「アーガス?それってたしか、今話題のゲームを作ってる会社だよね、お兄ちゃん。」
「ソードアート・オンラインだ。この間話した、新ジャンルのVRMMO先駆けのゲームだな。その開発主任は、ナーヴギアの基礎設計者としても知られる、ゲームデザイナーにして量子物理学者、茅場晶彦とのことだ。」
現代の技術の最先端であるフルダイブシステム、その最先端に立つ人物として、あらゆるコンピュータ雑誌の記事においてその名を知られた人物である。和人も、フルダイブシステムにより、仮想現実を確立した人物としてその人間性に注目していた。裏方に徹し、メディアへの露出を避ける傾向に、かつて忍だった自分を重ねているということもある。
「そう、その茅場晶彦さん。昨日、私のインタビューを受けてくれたんだけれどね。ソードアート・オンラインのゲームを作るために、剣道とかの武術の達人を探しているんだって。」
「剣道の達人か~…お兄ちゃんなら、ぴったりなんじゃないかな?」
「…買いかぶり過ぎだ。今の中学じゃ、あんまり活躍できちゃいないさ。」
正確には、活躍の場を用意して貰えない、というのが正しい。和人の実力は小学校同様、剣道部の中では抽んでていた。既に三年生はじめ、顧問すら相手にならないレベルである。だが、家柄を重んじる校風が未だに残る私立中学では、一般家庭出身の生徒は、部活動の大会などにおいて活躍の場を用意してもらえないことが多いのだ。加えて、突出した実力を持つ和人を嫉妬した生徒達が、先日のような妨害工作を行っていることもある。
「そう、それよ!和人ってたしか、有段者の人にも勝ったことがあるじゃない?だから、茅場さんにあなたのことを話してみたのよ。剣道が強いし、スタッフにどうかって。」
「親馬鹿だと思われたんじゃないか?仕事に来てまで、自分の子供の話しまでしてたんじゃ…」
苦笑しながら話す和人。職場で息子の話をするなど場違いも良い所だ。ましてや、情報誌編集者がインタビュー中では、話をしてもらっている相手に失礼ではないかとすら思う。十中八九呆れられたと思った和人だが、翠の口から思わぬことが発せられた。
「それがね、あなたのことを話したら、茅場さんが会ってみたいって言ったのよ。」
「…本当に?」
冗談だろう、と和人は思った。最先端VRMMOというゲーム制作に忙しい筈の茅場晶彦が、インタビューに来た雑誌記者の話を真に受けたというのだろうか?
「本当よ!その証拠にほら、連絡先までもらったんだから。」
翠が取り出したのは、電話番号が書き記されたメモ用紙。半信半疑だが、とりあえず受け取る和人。翠は説明を続ける。
「茅場さん、あなたにゲーム制作の協力を依頼できるかを知りたいそうよ。もし協力してもらえるなら、クローズドベータテストに参加させてくれるって言ってたわ。あと、ベータテストに参加すれば…」
「その後の正式版パッケージの優先購入権がもらえる、だろう?」
ソードアート・オンラインのクローズドベータテストには、和人も応募している。そのため、ある程度の事情は知っている。現状での応募者数は10万人に匹敵しているとのこと。抽選で選ばれるベータテスターは千人。倍率は100倍である。望み薄としかいえない現状だが、制作スタッフになれば、それが無条件で手に入るというのだ。
「まだ腕が落ちていないなら、やってみたらどう?」
「そうだな………まあ、行くだけ行ってみるさ。」
「お兄ちゃんなら、きっと大丈夫だよ!」
直葉がそう言って太鼓判を押す。確かに、剣道の実力は有段者のそれを超える自信はある。これは慢心でも誇張でもなく、ほぼ正鵠を射た自己評価である。前世で数えきれない戦場を渡り歩いてきたのだ。元の世界で言う、“忍”でも“侍”でもない相手の動きを先読みするなど和人には造作もなかった。転生後に剣道を始めておよそ六年、多様な剣術の流派の技をその目に映し、和人の会得した技は数えきれない。
(まあ、ちょうどよかったのかもな…)
ソードアート・オンラインなるゲームに興味があったのは確かである。ベータテストの当選が望み薄の現状でこの誘いは、渡りに船といえる。密かにその人間性に注目していた茅場晶彦に会えるという特典まで付くのならば、行ってみる価値はあると考える和人だった。
「あ、でもお兄ちゃん、部活は?」
「大丈夫だ。しばらくは休むことになったからな。」
直葉の問いかけに、何もなかった風で答える和人。先日の剣道部での騒動の結果、自分に下った裁定は、二週間の部活動停止処分だった。集団リンチを仕掛けた六人の処分は注意だけなのを考えれば明らかに不公平だが、それを口にしても詮無いことである。名門高校を受験する人間にとってはマイナス要素以外の何でもない汚点が生じるが、和人は別段気にする風もない。むしろ、高校は名家出身のエリート揃いの私立ではなく、進学重視の公立校に切り替えようと考えていたのだから。
そして放課後、和人は学校の帰りに今朝貰ったメモ帳に書かれた番号へ電話する。電話の相手は茅場晶彦本人。まさか会社の部署の番号ではなく、自分が持つ携帯電話の番号を教えてくるとは思わなかった。余程制作スタッフが不足しているのだろうか、と考えてしまう。
何はともあれ、アポを取得した上でアーガス本社へ行くことになった。会社のフロントには既に話を通していたらしく、桐ヶ谷和人の名前を出すとすぐに社内へ案内してくれた。ビルの奥にある開発室と称される場所へ案内され、和人は件の人物に対面することになった。
「やあ、君が桐ヶ谷和人君だね。」
「はじめまして、茅場晶彦さん。」
和人を出迎えたのも、ソードアート・オンライン開発主任の茅場晶彦本人。白いシャツにネクタイを締め、長い白衣を羽織った科学者然の姿で、線の細い鋭角的な顔立ちの20代前半であろう若い男性。
「昨日、取材を受けた君のお母さんに聞いてね。小学校の大会では常に優勝し、プロの有段者相手でも勝てるほどの実力だそうじゃないか。」
「…今はもう、それほどではありませんよ。」
「そうかい。まあ、せっかく来てもらったんだ。まずは私が君をここへ招待した理由、開発中のVRMMO、ソードアート・オンラインのモーションキャプチャーテストについて話そう。」
そう言って茅場は、開発室の机の上にあった一台のパソコンを操作する。モニターに出たのは、ポリゴンで構成された人の形をしたオブジェクト。
「もうすぐ公開予定の情報だが、このゲーム…ソードアート・オンラインというMMORPGには、「魔法」の要素が存在しない。その代わりとして、タイトルが示す通り、「剣技」――ソードスキルが存在する。」
「成程、現実世界では再現できない動きでも、仮想世界ならばシステムの力でいくらでも実現できる。フルダイブ環境を最大限に利用し、体感させることを目的としているのですね。」
「その通りだ。理解が早くて助かるよ。」
「だが、そのソードスキルをフルダイブ環境で実現させるには、システムの力だけでは限界がある。映像を解析してデータを集めるにも時間と手間がかかる。効率的にデータを得るには、その手の専門家に実際にダイブしてもらった上で動いてもらった方が良い。モーションキャプチャーテストというのは、そのために行われる、というわけですか。」
「…君は想像以上に聡明だな。説明はほとんど必要なかったじゃないか。」
「昨日の母からの説明と、先程の話で大体事情は分かりました。魔法が存在しないゲームの要であるならば、その総数は百や二百という数では収まりきらない。おそらく、剣だけでなく、小太刀や薙刀、槍といった各方面の武術の専門家を集めてデータを集めているのでしょう?」
ほとんどの事情を説明する前に理解している和人の理解力に、茅場は舌を巻く。武術の心得があるということで仕事の依頼を考えたが、学生とは思えない、年齢に不相応な冷静さと理解力に、別の興味を抱く。周囲とは異なるオーラを持った、それは自分の同類を見つけたような気持ちだった。
「全くその通りだ。既に武術の専門家を方々で探して依頼しているのだが、なかなか思うようにデータが集まらない上、フルダイブ環境に慣れるのには時間がかかっていてね。君のような学生の手も借りたいほどなのだよ。無論、無償でやってくれとは言わない。学生である以上、金銭で報酬を支払うのは無理だが、君にはベータテスト参加権と、スタッフとしてナーヴギアのセットを譲渡することを約束する。」
「分かりました。俺でよければ、協力しましょう。」
「よろしく頼むよ。」
こうして、和人は茅場のゲーム制作の協力依頼を受けることとなった。研究室の奥に通された和人を待っていたのは、市販でも売られている、ヘッドギア型マシン――ナーヴギアが接続された、リクライニングチェア。ナーヴギアは、和人もメディアで紹介されて写真を何度か見ていたが、現物を見るのは実はこれが初めてだった。尤も、ギアから伸びる無数のケーブルは、明らかに市販の物には付いていないであろう仕様だった。ケーブルが伸びる先には、無数のモニター。つまり、このナーヴギアを通してモーションキャプチャーを行うのだろう。
「使い方については、分かるかい?」
「ナーヴギアを被り、リンク・スタートと言えばダイブが始まり、仮想世界に意識が飛ばされると聞いていますが。」
「その通りだ。それでは、その椅子に腰かけてナーヴギアを装着してくれたまえ。既に用意は整っている。」
「分かりました。」
茅場に言われるまま、ナーヴギアを頭に被る。目から上を覆うバイザー部分には、現在時刻と電源残量が表示されている。それらを見てから、和人は眼を瞑り、開始コマンドを唱える。
「リンク・スタート。」
その一言と共に、先程まで聞こえていたノイズ全てが遠ざかり、視界が暗闇に包まれる。中央から広がる虹色のリングを通ると、次の瞬間自分は全く別の、デジタルデータで構築された世界に転送されていた。
軽い興味で足を踏み入れた、「仮想世界」。まさかこの、最先端の技術で作られた夢の世界が、後に悪夢の世界へと変貌することなど、この時の和人には思いもよらなかった。そして、今後の自分の人生、己の在り様を大きく変えるということも―――
和人の身体能力については、チャクラのアシスト無しでも非常に高い運動神経を持っているという設定です。また、動体視力については写輪眼並みという設定で、生前の血継限界と同様、相手の動きを捉えてそれを再現することに秀でています。