ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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黒と白の剣舞
第四十話 閃光のアスナ


2024年10月17日

 

 世界初のVRMMORPG、ソードアート・オンラインがデスゲームと化し、一万人のプレイヤーが囚われた日から、もうすぐ二年近くが経過しようとしている。現在の最前線は、七十四層。現時点で生き残っているプレイヤーは、八千四十八人。それが、ゲームの舞台たる浮遊城、アインクラッドの現状だった。

 今日も今日とて、最前線の迷宮九攻略を終えた攻略ギルドやソロプレイヤー達が迷宮区より主街区へと帰る。主街区からの攻略組プレイヤー達の行く先は様々。最前線に宿を取る者もいれば、他層の宿やギルドホームへと行くプレイヤーもいる。

そんな中、攻略組最強のビーターとして恐れられているプレイヤー――「黒の忍」ことイタチは、複雑に入り組んだ五十層の裏路地を歩いていた。イタチの拠点がある階層は確かにここだが、現在向かう先は違う。攻略時に手に入れた不要なアイテムを処理するべく、行きつけの雑貨屋を目指しているのだ。この階層に住まうプレイヤーですら把握し切れていない道を、迷うことなく進み続けること十数分。遂に目的の店が見えてきた。

 

「よし決まった!「ダスクリザードの革」二十枚で五百コル!」

 

 店に近づくごとに聞こえてくる、明らかに割に合わない取引。ドロップアイテムの「ダスクリザードの革」は、攻略組も使用する、高性能な防具の素材となる。五百コルで取引は無いだろうと、イタチは内心で呆れながらも、店から出て行く気弱そうな槍使いを見やる。

ダスクリザードは七十層に出現するモンスターである。これと戦闘を行えるのは、上層で活動しているプレイヤーである。だが、攻略組ではない。同じ槍使いでも、聖竜連合のヤマトや血盟騎士団のヨシモリといった攻略組プレイヤーに比べると、覇気が無いのは明らかだからだ。

ぼったくられる槍使いには同情するが、上層に進出するならば、交渉術の一つは習得しておくべきだし、交渉する相手も選ぶべきである。イタチは口を挟むことなく、槍使いの後ろ姿を見送った。

槍使いの姿が路地の奥へ入って見えなくなったところで、イタチは店の扉を開いて中へと入る。

 

「相変わらず、阿漕な商売をしているみたいだな、エギル。」

 

「よぉ、イタチか。安く仕入れて安く提供するのがウチのモットーなんでね。」

 

 来店したイタチを迎えたのは、チョコレート色の肌をした巨漢。筋肉質な巨躯にスキンヘッドという出で立ちは、向かい合う者を圧倒する雰囲気がある。イタチの嫌味に対して開き直る店主――エギルの言葉を聞き、イタチは内心で「嘘を吐け」と呟きながらも、その経営方針には敢えて触れない。

 エギルは五十層で商店を営む後方支援プレイヤーであると同時に、攻略最前線で活躍するに値する高位の斧使いプレイヤーなのだ。イタチとの仲は、第一層攻略会議に始まり、攻略後にビーター宣言をした以降も好意的に接してきた――イタチに言わせれば奇特な――人物であり、今やイタチが選んだ御用達の商人プレイヤーの一人となったのだった。

 

「まあいい。それより、俺の方も買収を頼む。」

 

 いつもの如く、無表情なままウインドウを操作するイタチ。エギルの方は、どんなアイテムが出てくるのだろうと楽しみにしている様子である。攻略組トップクラスの実力者として知られるイタチが持ってくるアイテムの質と量は、他の攻略組プレイヤーの比ではない。今までレアアイテムを取引したことも何度もある。今度も、もしかしたら未確認のレアドロップが出てくるのではという期待があった。だが、今回イタチが持ってきたアイテムは、エギルの予想を遥かに上回るものだった。

 

「おいおい……S級のレアアイテムじゃねえか!俺も現物を見るのは初めてだぜ……!」

 

 エギルの視線は、イタチが表示したトレードウインドウに表示されている、あるアイテムに釘付けになっている。その名は、「ラグー・ラビットの肉」。SAOというゲームの中で出回っている高級食材アイテムは、いずれも入手困難な代物なのだ。S級食材ともなれば、そのドロップ率は言わずもがな。プレイヤー間では十万コルを下らない値段で取引されている程だ。期待を良い意味で、それも遥かに裏切る代物に、エギルは目を白黒させていた。

 

「イタチ、お前え別に金に困ってねえんだろ?自分で食おうとは思わんのか?」

 

「思わん。」

 

 恐る恐る質問するエギルに対し、しかしイタチは即答した。その言葉に、エギルはさらに目を丸くする。そんなエギルに対し、イタチは溜息交じりに説明をする。

 

「S級食材を調理するには、相当な熟練度の料理スキルが必要だ。料理スキルを取っていない俺には無用の長物でしかない。故に、売りに出して惜しむ必要など俺にはない。」

 

「けどよお……お前なら、知り合いに料理スキルを取得している奴の一人や二人、いるんじゃねえのか?」

 

 エギルの言葉に、イタチの頭の中に何人かの知り合いのプレイヤーの顔が浮かぶ。

攻略ギルド、ミニチュア・ガーデンのリーダーであり、イタチと同じく元ベータテスターのメダカ。

聖竜連合所属の料理人であるヨウイチとマオシン。

血盟騎士団所属のパン職人であるカズマ、薬剤師のシェリー、戦闘要員兼執事のハヤテ。

 いずれも完全習得とまではいかないものの、それなりの熟練度を有しているプレイヤーの筈である。だが、彼らにはそれぞれ所属するギルドがある。自分の都合で連れまわすわけにはいかないし、こんなS級食材の存在が知れれば、俺も私もと食べたがる人間が多数現れるのは想像に難くない。アイテムはたった一つであり、何人もの人間の胃を満足させる量は無いのだ。

 

「……確かに、心当たりは何人かいるが、料理を頼むと碌なことにならん。ここで売り払うのが得策だ。そもそも、俺は食事には興味が無い上、脂っこい肉料理は嫌いなんだ。」

 

「そうなのか?初耳だぜ……」

 

 転生したイタチこと、桐ヶ谷和人の嗜好は、前世と全く変わらない。脂っこい肉料理、特にステーキといったものは嫌いなのだ。ちなみに、好きな食べ物は、昆布のおむすびにキャベツである。年齢に見合わず、粗食なイタチの様子に、翠や直葉等家族は遠慮しているのではと心配したりもしていたが。

 

「そういうことだ。俺に不要の物とはいえ、S級食材である以上はそれなりの値段で買い取ってもらうぞ。」

 

「あ、ああ……」

 

 イタチの催促に従い、エギルは買取料金を提示する。ウインドウに表示された金額は、十五万コル。高級食材の取引相場である十万コルは超過しているが、S級食材としてはかなり控え目な値段である。恐らく、この取引が済んだ後、先程イタチが列挙した攻略ギルド所属の料理スキル持ちのプレイヤーの誰かに売り飛ばすのだろうが、その時の価格は五十万コルを下らないだろう。

 本来ならば、さらに取引価格を釣り上げても罰は当たらないが、イタチはそれ以上の金額を要求しない。

 

「……分かった、十五万コルで構わん。取引成立だ。」

 

「毎度!また頼むぜ、イタチ!」

 

 トレードウインドウのOKボタンをクリックし、アイテムと引き換えに料金を受け取る。今日も今日とて、阿漕な取引だったと思いながらも、残りのアイテムも売却。それが済むと、イタチは用事が済んだとばかりに、拠点へ帰ろうと踵を返す。

 

「イタチ君。」

 

 だが、振り返ったイタチの視線の先、出入り口の扉の前に、新たな人物が現れる。栗色のストレートヘアに、小さな卵型の顔、大きなはしばみ色の瞳でイタチを見据えるこの美少女は、攻略ギルド、血盟騎士団副団長のアスナである。後ろには、その護衛であろう同じ純白と真紅に彩られた制服に身を包んだ男性が二人立っている。長髪で大剣を装備した男性は見知らぬプレイヤーだが、もう一人のハンマーを装備した少年は、攻略会議で見知った顔である。

 

「お久しぶりです、アスナさん。それに、ギンタも。」

 

「おう!元気そうだな、イタチ!」

 

 イタチの挨拶に元気よく返したのは、高校生くらいの小柄な金髪の少年――ギンタ。がたいの良いプレイヤーばかりが目立つ血盟騎士団の戦闘要員の中では、体格的に見劣りする面があるが、戦槌スキルを完全習得した強豪プレイヤーの一人なのだ。アスナの護衛としても、実力は申し分ない人物である。

 

「珍しいですね。あなたがこんな場所へ来るとは。エギルに何か用事でもおありですか?」

 

 この店に来ていの一番に声を掛けられた以上、用事があるのはエギルではないことは明らかなのに、敢えて問いかけるイタチに、アスナは不機嫌そうな顔を浮かべる。

 

「なによ。もうすぐ次のボス攻略だから、ちゃんと生きているか確認にきてあげたんじゃない。」

 

 フレンドリストのメニューを利用すれば、生存の確認は勿論、居場所も分かる筈である。故に、本来ならば、こんな場所に来る手間をかける必要性などどこにもないのだ。攻略組のメンバーとしての事務的な用事がある以外に、個人的な感情があることは明らかなのに、イタチは飽く迄気付いていないフリをする。

 

「そうですか。なら、心配は御無用です。俺はこの通り、生きておりますので。」

 

 額面通りの意味で受け取り、答えを返すイタチに、アスナはさらに苛立ちを募らせる。そして、アスナに対するイタチの不遜な態度に、後で控えていた長髪の護衛も眉を顰める。既に険悪になりつつある空気に、ギンタは「またかよ」と呆れた様子で苦笑を浮かべ、エギルは大人としてフォローに回るべく動く。

 

「イタチ、そのへんにしとけよ。あんまりアスナちゃんを怒らせるな。」

 

「……別に、そんなつもりはない。それではアスナさん、俺はこれで。」

 

「あっ、ちょっと!イタチ君!」

 

 もうこれ以上話す事は無いとばかりに、アスナの横を通り過ぎて店の扉から外へと出る。一方のアスナも、イタチを呼び止めようと、後を追って店を出る。それに伴い、血盟騎士団の護衛二人も続く。

 

「やれやれ…………」

 

 他者を遠ざけたがる、イタチの相変わらずな態度に、店に残されたエギルは、一人溜息を吐いていた。

 

 

 

 アルゲードのレンガ造りの猥雑な街路を、エギルの雑貨屋を出たイタチは、脇目も振らず歩いて行く。目指す先は、自身が拠点としているアパートメント。だが、その後ろには……

 

「イタチ君ってば!」

 

 店を出て以降も、イタチを呼び止めて何かしらの話をしたがっているアスナが続いていた。イタチは無視して歩き続けるも、どこまで進んでも向こうは諦める素振りが無い。このままでは、ホームまで付いてくるだろう。今日はこの後、ホームで仮眠を取ってから、フィールドで夜のソロ狩りに出る予定だったのだが、アスナの追跡がある状況では、まともな休みも取れそうにない。仕方なく、イタチは立ち止まって振り返り、アスナに向き直った。

 

「一体、俺に何の用ですか?攻略会議はもうすぐなんですから、今すぐに打ち合わせる必要のあることは、思いつかないのですが……」

 

「そういうのじゃないけど……でも、せっかく会ったんだから、この後一緒に食事でもしないかな、と思って。」

 

 現実世界をそのまま再現したようなやり取りに、必死に呼び止めようとしているアスナは内心で溜息を吐く。アスナ一人に限った話ではないが、イタチは必要以上に他者と関わりを持ちたがらない。かといって、気ままなソロプレイヤーというわけではない。

 彼が只管に孤独を求めるのは、ビーターとして、全プレイヤーの妬み嫉みを一身に受けるために他ならない。だが、イタチが実際に利己的な行為に走ったことなど一度もない。それどころか、ボス攻略などでは自ら矢面に立ってリスクの高い回避盾やタゲ取りに動くことの方が多いのだ。SAO製作者としてデスゲーム開発に加担した責任から、イタチが攻略最前線で常に危険を冒していることを、アスナをはじめとした多くの攻略組プレイヤーは知っている。だからこそ、アスナなどはこうしてイタチの孤独を解消できればと、友好的に接しているのだが、当のイタチは隔意を完全に捨てようとはしない。尤も、アスナの場合は攻略組の一員としての義務や、リアルでの知り合いという感情とは違う、それ以上の感情があることは明らかなのだが。

 

「お誘いはありがたいのですが、俺もいろいろと忙しいので。」

 

「忙しいって……もう夕方よ?迷宮区攻略も今日の分は終わっているのに、この後何をするつもりなの?」

 

 問いかけられて、イタチは返答に窮した。普通に仮眠を取った後、夜の狩りに出かけると答えても良いのだが、相手はアスナである。夕飯抜きで、二時間程度の仮眠を取ってすぐに狩りに出るなどと言えば、説教はもとより、当然止められてしまうだろう。

 高圧的に出てアスナに詮索するなと冷たく突き放すことも一つの手として浮かんだが、イタチはその案を即座に却下した。数ヶ月前に彼女や彼女の所属する血盟騎士団の御用達鍛冶職人であるリズベットとトラブルを起こしたばかりである。あの騒動により、恨まれ役のビーターであろうと他の攻略ギルドメンバーとある程度の折り合いを付けるべきであると身に染みたイタチとしては、正当な理由無しにアスナの提案を突っぱねることはできない。「ビーターだから」という理由は例によって通用しない。どうやり過ごしたものかとイタチが逡巡する間隙を不審に思ったアスナは、やはり方便だったのかと確信すると、イタチに畳みかける。

 

「やっぱり何も無いんじゃない。この前の剣のことといい……そうやって、人の好意を素直に受け取れないのは、どうかと思うわよ?」

 

 例の一件について蒸し返され、さらに黙り込むイタチ。アスナの用意してくれた剣の受け取りを拒否したがために、鍛冶師たるリズベットとのデュエルにまで発展したあの事件からしばらく、攻略組プレイヤー全員からビーターとして以上の敵意を向けられた経緯がある。血盟騎士団からは攻略中ずっと白い目で見られ、薬剤師プレイヤーのシェリーに至ってはフロアボス攻略戦までポーションを売ってくれなかったのだ。

 肩身の狭い想いをした思い出が脳内に蘇ったことで、攻略組最強のビーターとして畏怖されている筈のイタチの背中が小さくなっていく。そんなイタチの様子を見て、アスナはますます饒舌になる。このまま押していけば、イタチに要望を通させるのは容易い。

 

「安心しなさい。高級レストランで食事なんて誘わないわ。料理スキルをコンプリートしているこの私が、特別に腕によりをかけてご馳走してあげるわ。何でも、好きなものを作ってあげるわよ。」

 

 つい最近完全習得した料理スキルを披露するチャンスとばかりに、胸を張って満足する料理を作って見せると宣言するアスナ。

攻略組プレイヤーが、それも最も上の立場にある人間が、戦闘に直接関係しないスキルを完全習得した事例など聞いたことがない。呆れられてもおかしくないそれを自慢するアスナに、イタチは呆れ半分、関心半分の感情を抱く。

 一方、それを聞いていた後ろの護衛二人は、

 

「アスナ様!こんなスラムに足を運びになるだけに留まらず、素姓の知れぬやつをご自宅に伴うつもりですか!?」

 

「俺も食べたいんだけどな~……」

 

 長髪の男は、イタチを自宅へ迎えて夕飯を振る舞おうというアスナに抗議する。ギンタは、料理スキル完全習得者であるアスナの手料理を食べられるイタチを羨んでいた。アスナから特別扱いされているイタチに、憎悪と羨望という全くベクトルの異なる感情が向けられている、奇妙な構図である。

 

「この人は素性はともかく、レベルは多分あなたより十は上よ、クラディール。」

 

「いや、十五は上なんじゃねえか?正確に聞いたことはねえけど、イタチは俺でも歯が立たないくらい強えからな。」

 

「な、何を馬鹿な!私がこんな奴に劣るなどと……!」

 

 クラディールと呼ばれた男が、アスナとそれを援護するギンタの言葉に衝撃を受け、次いでイタチに対して胡散臭そうな、憎々しげな顔を向ける。そして、何かに考え至ったのか、再び目を見開くと、今度は怒気を孕んだ視線を向けてきた。

 

「そうか……お前、たしかビーターだな!」

 

「そうですが、何か?」

 

 クラディールの射殺さんばかりの視線に、しかしイタチは動じず無表情のまま答えた。もとより、プレイヤーに憎まれることを目的に、自ら流布させた蔑称であるため、指摘されたところでイタチの心は微塵も揺るがない。

 むしろ、イタチが気になったのは、自分をビーター呼ばわりされて侮蔑されたことに怒りを露に険しい表情を浮かべ始めたアスナの方だった。そんなアスナの様子に思慮が思い至らず、クラディールはアスナの怒りの火に油を注ぐ言動を続ける。

 

「アスナ様、こいつら自分さえ良けりゃいい連中ですよ!こんな奴と関わると碌なことがないんだ!」

 

 予想通り、アスナの視線はさらなる冷気を帯び、眉根を不愉快そうに寄せる。クラディールの傍に控えていたギンタは、視線が及ぶ範囲から抜け出そうと後ずさっている。

 

「ともかく!今日はここで結構です。副団長として命令します。行くわよ、イタチ君!」

 

 半ば怒鳴り散らすようにそれだけ言うと、アスナはイタチの腕を引っ掴んでその場を後にする。イタチは背後から未だ突き刺さる苛立ち露な視線を感じつつも、アスナに従い歩きだした。

 

「……よかったんですか?」

 

「……いいんです!それよりイタチ君、夕食は何が食べたい?」

 

 余程怒り心頭だったのだろう。これ以上あの護衛のことを思い出したくないため、話題を夕食へと挿げ替えるアスナ。イタチとしては、先のクラディールが言ったように、ビーターに関わって碌なことが無いという意見には賛成なのだが、それを口にするのは火に油を注ぐことに等しい。故に、口には出さず、しかしアスナの夕食を断るべく、先のアスナが口にした話題から見つけた突破口をもとに、離脱手段を講じる。

 

「そういえば、アスナさん。先程、エギルの店で非常に珍しい食材アイテムを見つけましたよ。」

 

「へぇ……どんな食材?」

 

「ラグー・ラビットの肉です。」

 

 何気なく放ったイタチの言葉に、次の瞬間、アスナは驚愕に目を見開いて後ろを歩くイタチへと振り返る。あまりの衝撃に、硬直した様子のアスナは、口をぱくぱくしながらもどうにか言葉を紡ぐ。

 

「そ、それって!S級の超高級食材じゃない!なんでそんなものが、あのお店に入ってるのよ!?」

 

「今日、偶然ドロップしたものを売りに来たプレイヤーがいたんです。明日には売りに出されることでしょうが、今から行けば、まだ交渉は間に合うのではないでしょうか?」

 

 料理スキルを取っているプレイヤーならば、誰もが夢見るS級食材。それが今、この五十層の外れにある店に保存されているという。攻略組として、中層プレイヤーでは及ばない莫大な財を有しているアスナならば、交渉で入手することは難しくない。ならば、やるべきことは一つ。

 

「……イタチ君、ちょっと待っててくれるかな?」

 

「ごゆっくりどうぞ。」

 

 イタチから許し(アスナが必要だと思っているだけである)を得たアスナは、来た道を引き返してエギルの店へと一直線に向かう。よほどS級食材が魅力的だったのだろう。想像以上の効果にイタチは無表情ながら内心では大いに驚いていた。

 

(だが、効果は覿面……これで、心おきなく帰れる。)

 

 イタチの予想通り、料理スキルを完全習得しているアスナはS級食材のラグー・ラビットに釣られてエギルの店へと一直線に向かって行った。お陰で、これでイタチの帰り道を阻む障害は無くなった。

 アスナが向かって行った方角を見やりながら、イタチは今度こそ一人で五十層に構えている拠点へと帰って行った。

 

 

 

 

 

 攻略組最強クラスと名高いイタチが五十層に構える拠点は、エギルの店からほど近い場所にある。雑多な建物に囲まれた場所にある、目立たないアパートメントにある一室。住人もイタチ一人という、極端に人気のない場所……

 

「イタチ君!いるんでしょ~!?」

 

「…………」

 

にも関わらず、何故か今、扉の前に、イタチの名を呼ぶ少女がいた。一時間程前に別れた際と同じ、白地に赤で色取られた血盟騎士団の制服に身を包んだ美少女――アスナである。

イタチには、アスナにこの拠点の場所を知らせた覚えは無い。なのになぜ、こんな場所に現れているのか。皆目見当もつかないが、このまま放置しておくわけにはいかない。仮眠中で気だるい体を起こし、アスナが自分を呼び続けている玄関へと向かう。扉を開くとそこには、予想違わず、アスナの姿があった。イタチを追い詰めたことがよほど嬉しかったのか、どこか勝ち誇った様子だった。

 

「……どうして、この場所が分かったんですか?」

 

「アルゴさんに聞いたの。」

 

 ドヤ顔で胸を張って答えるアスナに、イタチは溜息を吐きたい気分になった。

 

(アルゴめ、余計なことを……)

 

 確かに、情報屋こと鼠のアルゴには、拠点としているこのアパートメントの場所を教えている。ゲーム攻略に関する情報はもちろん、オレンジ・レッドプレイヤーに関する極秘情報のやりとり等を行うには、外界から隔離され、固定されたプレイヤーホームのような場所が好ましかったため、彼女にだけはこの拠点を教えている。無論、ビーターたるイタチの拠点が明らかになれば、イタチを敵視するプレイヤーが大挙して押し寄せてくる可能性もあるため、二十万コルもの口止め料を払っていたのだ。だが、まさかそれを払ってまで、アスナはここを突き止めたというのだろうか。

 

「まったく……目を離すと、すぐに逃げ出すんだから。ほら、まだ夕食だって食べてないんでしょ?すぐに私のホームに行くわよ。」

 

 そう言って、先程と同様、アスナはイタチの腕を掴んで連行していく。アスナの立場を重んじて、ビーターとの親交があるなどという風評が立たないよう配慮したのだが、本人はそんなことはどうでもいいらしい。ホームにさえ逃げ込めば、アスナの誘いは無くなるだろうとある意味油断していたイタチには、食事を断るための理由など備えている筈も無く、アスナのホームへ同行する以外に道は無かった……

 

 

 

 

 

 アスナのホームは、六十一層主街区、セルムブルグにある。辺りを湖に囲まれた、花崗岩から作り出された建物で構成された城塞都市である。その景観は他の階層とは比べ物にならないほどの美しさをもち、プレイヤーホームの値段も比べ物にならないくらいに高い。アスナの場合は、血盟騎士団副団長として、攻略で稼いだ莫大な財産あってこそ買えたのだろう。

 そんな高級住宅に今現在招かれている、黒衣を纏ったイタチは、最高級のプレイヤーメイドの木製家具で占められている空間の中にあって、いかにも場違いに思えた。

 

「じゃーん!これがS級食材、「ラグー・ラビットの肉」だよ!」

 

「…………」

 

 イタチを家に招き入れたことに勝利感を得たのか、妙にテンションの高いアスナが、今日買ったばかりだというS級食材アイテムを取り出して自慢げに披露していた。対するイタチは、アルゴへの口止め料に加えて、S級食材まで買ってのけるアスナの資金力に、半ば以上呆れた様子だった。

 

「……これを料理なさるおつもりですか?」

 

「うん!二年近くこの世界にいるけど、私もS級食材ってはじめて扱うのよね。絶対美味しいから、楽しみにしててね。」

 

「……ちなみに、如何程かかりましたか?」

 

「四十万コルだったよ。普通は五十万以上はするところを、エギルさんに、おまけしてもらってね。」

 

 イタチが売却した値段は、十万コル。実に四倍の値段で売りつけたことになる。阿漕極まる商売にイタチは内心で大いに溜息を吐くが、笑顔を絶やさないアスナのテンションに水を差すのは躊躇われたため、終始無表情を保った。

そんなイタチの内心をよそに、アスナは料理を始める。イタチからのリクエストは特に無かったことから、シチューを作ることにしたらしい。料理道具を次々ストレージから取り出し、調理を進めていく。流石に料理スキルを完全習得しているというだけあって、見事な手際である。そうして、僅か五分足らずで、アスナ作のラグー・ラビットのシチューは完成した。鍋の蓋を外したアスナが、感嘆の声を漏らす。

 

「わっ、凄く美味しそう!早く食べよう、イタチ君!」

 

「分かりました……」

 

 アスナに促され、用意された食器類や付け合わせをテーブルの上に並べていく。そして、互いに向かい合う形で席に着くと、「いただきます」と言ってスプーンを手に料理を口に運ぶ。ブラウンシチューの中にある大ぶりな肉を一口食べたアスナは、心の底から幸せそうな顔をしていた。一方のイタチはというと、やはりアスナに連行されてから一切変わらぬ無表情。実を言えば、いかにS級食材といえど、汁気たっぷりの肉はイタチの好むところではない。それゆえに売却したのだが、まさかこんな形で自分の目の前、食卓へと並ぶとは予想外だった。だが、有難迷惑とはいえ、大枚はたいて買った食材で作った御馳走を無碍にすることなどできる筈もない。イタチは不満を表に出すことなく、ただ黙々と食べ続けるのだった。

 

「ああ……今まで頑張って生き残っててよかった……」

 

(……ぐぅ……)

 

 食後のお茶を啜りながら美食の余韻に浸り、良い仕事をしたとばかりに呟くアスナ。一方イタチは、想像以上のボリュームの肉をどうにか完食できたことにホッとしていた。外から見た限りでは無表情そのものだったが、その実普段食べない量を無理に胃へ納めたことによる反動でぐったりしていた。リアルならば間違いなく逆流しているであろう過剰な満腹感に密かに耐えているイタチに、アスナが声を掛ける。

 

「そういえばイタチ君、聞きたいことがあるんだけど。」

 

「……何でしょうか?」

 

 食べ過ぎで話すのも億劫だったが、アスナにそれを気取られぬよう、飽く迄ポーカーフェイスを貫いて問い返すイタチ。対するアスナが急に持ちかけた話題はというと、

 

「イタチ君は、ギルドに入る気はないの?」

 

「ありません。」

 

 気遣いをもって問いかけた言葉に対し、否定の意思をもって即答するイタチ。そんな態度に、アスナは思わずむっとなるが、イタチ相手にこんなことで苛立っていては限が無い。元より、予想されていた返答だったので、落胆することもなく続ける。

 

「ベータ出身者が集団に馴染まないのは解ってる。でも、七十層を超えたあたりから、モンスターのアルゴリズムにイレギュラー性が増してきてるような気がするんだ。」

 

 アスナの言っていることは事実である。イタチも、モンスターの行動パターンが以前より多様化していることには気付いていた。今まで機械的だったそれが、まるで学習しているかのように、強さが上昇しているかのように感じるのだ。

 故に、アスナがイタチにソロプレイを控えるよう勧めているのは、身を案じてのことなのは、容易に想像ができた。

 

「ソロだと、想定外の事態に対処できないことがあるわ。いつでも緊急脱出できるわけじゃないのよ。パーティーを組んでいれば安全性が随分違う。」

 

「……さっきもギンタではありませんが、安全マージンならば十分に取っているつもりです。それに、ビーターと組みたがる物好きなプレイヤーなど、いませんよ。」

 

「もう……そんなことばっかり言って。なら、パーティー申請を出す人がいたら、組むのね?」

 

 そう言うと、アスナはイタチの返答を待たずにウインドウの操作を始める。すると数秒後、イタチの目の前に、パーティー申請のウインドウがポップした。

 

「……何のつもりですか?」

 

「見ての通りよ。しばらく、私とパーティーを組みなさい。」

 

「お断りします。」

 

 またも拒絶の意思を以て即答したイタチ。対するアスナはこんなイタチの態度にはもう慣れきっているので、全く動じることもない。冷静に努めて、その理由を問う。

 

「どうしてかしら?」

 

「血盟騎士団副団長が、ビーターとパーティーを組んでいるなどという噂が攻略組に広がれば、士気の低下を招きかねません。攻略に支障を来たすような行動は俺の望むところではないからです。」

 

 二年近くが経過した現在でも、ビーターを毛嫌いするプレイヤー――アスナの護衛であるクラディールのような――は少なくない。それが、攻略ギルドの頂点に立つ血盟騎士団の副団長こと、「閃光」のアスナと行動を共にしているなどというスキャンダルが表沙汰になれば、ビーター排斥派の不穏分子を刺激しかねない。最悪の場合は、アスナの所属する血盟騎士団と、ベータテスターを中心としたイタチ擁護派のプレイヤーが敵対する可能性もある。そうなれば、ゲーム攻略が大幅に遅れる原因となるのは言うまでもない。

 アスナも攻略組の指揮を預かる身として、その辺りのリスクを理解していないわけもない。故に、イタチの言い分は正しいと認めざるを得ないのだが、だからといってイタチとパーティーを組むことを諦めた様子はなかった。

 

「そうね……確かに、あなたのことを快く思わないプレイヤーは攻略組みにもまだいるわ。でもね、攻略の指揮を預かる私には、主力プレイヤーの実力を確認する義務があるの。」

 

 思わぬ方面の指摘に、僅かに目を見開くイタチ。てっきりこのまま、自分の正論に閉口してパーティーを組む話はお流れになるだろうと考えていたが、やはりそうはいかなかった。

剣の一件以来、イタチはアスナをはじめ攻略組プレイヤーの、特に女性プレイヤーから寄せられる攻略に関わりの無い案件に対して、正当な理由がある限り承諾するようにしていた。要するに攻略組プレイヤーに対する態度をある程度軟化させていたのだが、それに従ってアスナのイタチに対するアプローチもより積極的かつ強硬的になってきていることをイタチは感じていた。

イタチが名乗る『ビーター』と呼ばれるプレイヤーの性質は、『憎まれ役』であっても『敵』ではない。攻略組というコミュニティに所属している以上は、他の攻略組プレイヤーとの繋がりはある程度持たねばならず、完全に敵対しないよう注意しなければならない。だが、剣の一件以来、イタチがプレイヤーより向けられる感情に、ビーターとしての憎悪・疑心と最強プレイヤーとしての受ける妬み・嫉みに加え、アスナのような有名プレイヤーと親しくなることで受ける嫉妬まで加わったのだ。もともと匙加減の難しかったプレイヤーからの感情のコントロールが難しくなったことは間違いない。そしてアスナは、そんな危うい感情のバランスのもとで活動しているイタチの隙を突く形で優位を掴んでいるのだ。

 

「ボス攻略の作戦を立てるには、正確な情報が何より必要よ。それは、フロアボスに止まらず、味方についても同義よ。スキルやステータスの詮索はマナー違反だけど、指揮を預かる身としては、ある程度の実力は知っておきたい。

特にあなたは、二刀流っていうユニークスキルの使い手で、最前線で活躍する主力プレイヤーよ。なのに、ソロプレイばかりで、どれくらいの実力を持っているかがほとんど分からない状況。これじゃあ、綿密な作戦なんて立てられないわ。だから、あなたが私とパーティーを組むことは、ゲーム攻略の効率化に繋がる行為なのよ。」

 

「…………」

 

 懇切丁寧な、しかも正鵠を射たアスナの解説に、イタチは沈黙するばかりである。まさか、アスナがこんな切り口からパーティー結成を正当化するとは予想外だった。自分のプレイスタイルが、ボス攻略の効率を引き下げていると指摘されては、イタチも反論できない。

 現実世界にいた二年ほど前の、隔意をもって接していた桐ヶ谷和人を呼び止めることすら敵わなかった結城明日奈からは考えられない強硬的な物言いに加え、見事な論破だった。彼女にここまで劇的な変化が起こったのも、SAOで過ごした二年もの戦いの日々の賜物だろう。血盟騎士団という最強ギルドの副団長として最前線で剣を振るい、攻略組プレイヤー達をまとめ上げてきた中で鍛え上げられた精神力があるからこそ、現実世界では反応に不安を抱いてびくびくしているしかなかったイタチに対しても屈せず立ち向かえるようになったのだ。

ともあれ、全プレイヤーの怨嗟を一身に背負うためのソロプレイを逆手に取ったアスナの返しに、イタチに選択の余地は残されていなかった。

 

「それで、まだ言いたいことはあるかしら?」

 

「……ありません。」

 

 腰に手を当てて確認するアスナに、イタチはパーティー申請のウインドウにタッチするほかなかった。視界の隅に映る自身のHPバーと並んで、イタチのバーが表示されたことを確認したアスナは、明らかに勝ち誇った様子だった。

 


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