ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
七十四層迷宮区の最上階。その最奥へと向かった解放軍の動向を追うべく、イタチはアスナをはじめ、十三人の攻略組プレイヤーを伴って、再び迷宮区の奥を目指していた。
「クライン、スイッチだ!」
「おうよ!」
「メダカ、ゼンキチ!右後方のデモニッシュサーバントは任せたぞ!」
「了解した!」
「カズゴ、あそこのリザードマンロードをパリィしろ!アレン、スイッチ用意!」
「任せとけ!」
「分かった!」
イタチの指示のもと、次々現れるモンスターに対処していく攻略組プレイヤー達。フロアボス攻略においても通用する指揮官適正だが、前世において暗部の隊長を務めていたイタチにとっては、多少イレギュラーが混ざっているとはいえ、ほぼ単純なAI制御で動くモンスター相手の戦闘を指揮するのは然程難しいことではない。
行く手を阻むように現れた十数体のハイレベルモンスターを次々撃破しながらも、十四人の攻略組プレイヤーは確実に歩を進めていた。
「まだ軍の連中には追い付かねぇか……」
「粗方狩り尽くした後の道を歩いていたからな……進行ペースは、おそらく俺達が攻略に向かった時よりも上だろう」
「ひょっとして、もうアイテムで帰っちまったんじゃねえか?」
クラインの言葉に、しかしイタチやアスナは安心できない。解放軍が攻略最前線に復帰するために、血眼になっているとすれば、二十五層の再現が起こる可能性は拭えない。取り越し苦労で済むならそれに越したことは無いが、少なくともボス部屋の前へ行くまでは不安は拭えない。
「ボス部屋はもうすぐそこだ。ここまで来た以上、最後まで確認して……」
うわぁぁあああああ!!!
『!』
イタチの言葉が終わる前に響き渡った悲鳴。聞こえたのは、迷宮区の奥――ボス部屋がある方向からである。
「イタチ君!」
「はい……!」
「あ、おいっ!」
アスナはイタチに目配せすると、迷宮区の通路を一気に走りだす。敏捷パラメータを目一杯ゲインして走るその速度は、まるで光と影。あまりの速さに、同行していた攻略組プレイヤーは誰も付いて行けない。
「馬鹿っ……!」
解放軍に対して毒づいたアスナの呟きに、イタチは激しく同意した。悲鳴が聞こえたとなれば、言うまでも無く戦闘を行っているということ。この辺りはモンスターのポップも少なく、戦っている相手となれば、それはフロアボス以外には有り得ない。
通路を走ってしばらくして、ようやく目的の場所が見えてきた。フロアを守護するボスが詰めている部屋の扉は、予想通り開いている。それを確認した二人は顔を顰めながらも、扉の前まで駆けつける。
「!」
「……」
そこにあったのは、かつての二十五層攻略において起きた惨劇の再現とも呼べる光景だった。青白い篝火に照らされた部屋の中央で、大型剣を手に猛威を振るうフロアボス、ザ・グリームアイズ。その周囲には、先程すれ違った軍のプレイヤー達が倒れている。HPバーは既にレッドゾーンに突入している者もいた。
(人数は…………二人足りない)
凄惨な状況にありながら、イタチは倒れている軍のメンバーの数を数えたが、二人足りない。それ即ち、ボスに殺されたことを意味するのだが。
「何をしているの!早く転移結晶で脱出しなさい!」
現状把握に努めるイタチの傍らで、アスナは悲痛な面持ちで脱出を呼び掛ける。だが、既に転移結晶を手にもっていたメンバーの一人から返って来たのは、絶望的な事実だった。
「駄目だ!結晶が使えない!」
「なっ……!」
絶句するアスナ。無理も無い。SAOにおける緊急脱出手段である転移結晶というアイテムが無効化される空間、それがボスの部屋に設定されたことなど、これまで一度も無かった。これでは、迂闊に足を踏み入れることはできない。だが、逡巡するアスナの隣に立つイタチは、
「アスナさんは、ここでお待ちください」
「えっ……イタチ君!?」
それだけ言うと、躊躇い無くボス部屋へと足を踏み入れた。両手には、いつの間にスキル設定をして装備したのか、二本の剣が握られていた。白と黒の剣を手に持つその構えは、「黒の忍」たるイタチが持つユニークスキル「二刀流」である。
「グルォォオオオ!!」
「ヒィ……!」
再度、大型剣を振り上げる青眼の悪魔に、軍のプレイヤーには、最早立ち向かう気力は無い。無慈悲な一撃が、軍のプレイヤー達の命を再び刈り取らんと繰り出されようとした、その時。
「ハァァアッ!」
「グガァァアッ……!」
ソードスキルを発動しようとした悪魔の背中に放たれる、二筋の閃光。二刀流突撃系ソードスキル「ダブルサーキュラー」である。二本の剣から繰り出される強烈な斬撃は、その背中に見事に直撃、仰け反らせるまでに至った。
「今の内に出口から脱出しろ!」
「グルォォオオッ!!」
イタチが敢行した背後からの不意打ちにより、ボスであるザ・グリームアイズのタゲは解放軍からイタチへと移っている。今ならば、ソードスキルの発動に注意しさえすれば、脱出時にHP全損は免れるだろう。ところが、
「そんな恥を晒せるか!我々解放軍に撤退の二文字は無い!戦え!戦うんだ!!」
パーティーのリーダーであるコーバッツは、現状を省みずに戦闘続行しようとしている。命令に従い、解放軍のメンバーは体勢を立て直そうとするも、今も尚恐慌状態にあり、まともな戦闘など到底不可能である。
(拙いな……)
目先の功績に目が眩み、退く事を考えないコーバッツのやり方に、内心で舌打ちするイタチ。おそらく、アインクラッドの治安を預かる自分達は絶対的正義であり、いかなる敵にも負ける筈が無いのだ、とでも思っているのだろう。碌に危険な戦闘を経験したことのないプレイヤーの、思い上がりも甚だしい考え方だが、今はそれを矯正している場合ではない。
「全員、突撃!!」
「!」
コーバッツの無謀極まる攻撃命令が下される。生き残ったメンバーを横並びにしての攻撃だが、ボスのHPは未だ七割以上残っている。一斉攻撃しても仕留め切れない以上、ソードスキル発動後の硬直が発生する頃には、ボスの反撃を食らうのは目に見えている。
「ウォォオオオ!!」
だが、コーバッツ以下軍のメンバーには、そんなことを考えている余裕すら無いのか、遂に無鉄砲な攻撃が開始される。ソードスキルの何発かがボスのHPを減らしたが、微々たるものだ。当然のことながら、ボスに致命傷は与えられていない。そして、軍のメンバーの攻撃が止んだ頃、青眼の悪魔が再び標的を軍のパーティーへと移したのだ。
「グルォォオオッッ!」
反撃とばかりに、軍に振り下ろされる、大剣の一振り。直撃すれば、HP全損は免れないことは明らかなその一撃に、しかし軍のメンバーは誰一人として動けない。最早死を待つのみだった軍のメンバー。だが、刃がすぐそこまで迫ったその時、黒い影が間を駆け抜けた。
「ふんっ……!」
二本の剣を交差させてその一撃を受け止めたのは、先程、このボス部屋へ乱入してきた黒衣のプレイヤー――イタチである。大型剣より放たれた一撃を受け止めたイタチは、握った剣をそのまま振り抜き、刃を弾き返した。
攻撃をパリィされてよろめいた悪魔を前に、しかしイタチは目線を別の場所――扉の方へと移していた。
「アレン、スイッチだ!」
「分かった!」
次の瞬間、ボス部屋の扉から小柄な白髪の少年が、長剣を手に、ザ・グリームアイズの背中に切り込んだ。発動したソードスキルは、片手剣四連撃技の「バーチカル・スクエア」。連続技故に、技後に大きな隙が生じるが、後方にスイッチ要員が控えていれば、危険は回避できる。
「グルォォオッ!」
攻撃を繰り出したアレンの方へと振り返る青眼の悪魔に、しかしアレンは動じた様子はなく、後ろにいる仲間へ合図を送る。
「カズゴ、畳み掛けろ!」
「任せとけ!」
すかさず飛び出したのは、アレンの仲間である、大剣使いのカズゴ。繰り出すのは、両手剣ソードスキル「スコッピード」。下から上へと振り上げて攻撃する三連続技である。
「グガァァアッッ……!」
強力なソードスキルの連発には、流石のフロアボスも耐えきれなかったのか。バランスを崩して、剣を地面に付いて支えにして立っていた。
イタチはそんなボスの様子を目端に捉えながらも、回り込んでアレンとカズゴ、そして今しがた扉から出てきたヨウ等と合流して、青眼の悪魔と向かい合う。
と、さらにそこへ、
「イタチ!大丈夫だったか!?」
クラインやメダカをはじめとした、残りの攻略組メンバーも到着する。部屋の入口に屯する九人のプレイヤーを見るや、イタチは指示を放つ。
「ボスは俺達が始末する。クライン、メダカ、お前達は軍の連中を頼む」
イタチの要請に、クラインはじめ風林火山のメンバーと、横で聞いていたアスナは驚き、メダカは感心したような表情を示した。前者の反応は当然である。フロアボスをたった四人で相手しようというのだから、正気の沙汰とは思えない。だが、イタチと比較的付き合いの長いクラインには、それが冗談には聞こえなかった。
「ボスを倒すって……おいっ!大丈夫なのかよ!?」
「無茶だよ!それより、軍の人達と一緒に撤退しなきゃ……」
「どの道、軍の連中は梃子でも動きませんよ。全員生還するには、ボスを倒す以外に道はありません」
「ハハハ!相変わらず、とんでもない事を考えるな、イタチは!」
クラインとアスナは揃って、軍に勝るとも劣らぬイタチの無謀な行動に不安を抱き、止めようとする。ただ一人、メダカだけはイタチの無茶に笑い声をあげていたが。
「茶化している場合じゃねえぞ、メダカ!……来るぞ、イタチ!」
「そういうことだ。頼んだぞ、二人とも!」
「あぁっ!おいっ!ちょっと待てよ!」
クラインの制止を聞かず、イタチはカズゴ達三人を伴って、態勢を整えた青眼の悪魔に再び向かい合う。
「待ってイタチ君!なら、私も行くわ!」
「フロアボス相手は危険すぎます。アスナさんは、お下がりください」
「駄目よ!あなた達だけ戦わせるなんてできないわ!」
「俺はあなたを護衛する任務に就いています。護衛対象に危険な真似をさせるわけにはいきません」
「ここまで来て、そんなことを言っている場合じゃないでしょう!」
「二人とも、言い争いは後にしてください!」
「まあ、アスナも強いし……なんとかなるさ」
アスナに退くように勧めるイタチだが、当のアスナは聞く耳を持たない。だが、今はそんな事を言っている場合ではないだろうと、アレンとヨウに窘められ、イタチは渋々アスナの参戦を了承するしかなかった。
アインクラッドの次の階層への扉を守護するフロアボスは、数十人の攻略組が、長期間の偵察を経て、ようやく安全に攻略できる、難敵である。
それを、遭遇して間もなく、たった五人で相手にするなど、不可能である。だが、そんな条理を覆す存在が、一万人いたプレイヤーの中に、たった一人いる。
(本来ならば、俺がしゃしゃり出るべきではないが……最早そんなことを言っている場合ではない)
「忍者」としての前世の記憶を持ち、ゲーム攻略においてそれを遺憾なく発揮し、遂には「二刀流」というユニークスキルまで手に入れたプレイヤー――それが、イタチだった。この仮想世界にあって、己がどれほど規格外の存在であるかを自覚していたイタチは、自分が前に出ることで、ゲームバランスが崩壊し、それを修正するために、GMが難易度を上方修正することを何よりも恐れたのだ。故に、今日までの攻略において、イタチはクォーターポイントを除き、フロアボス攻略戦では積極的に前へ出ず、他のプレイヤーが主体となって攻略するように取り計らっていたのだ。
フロアボスと正面切って戦うのは、第一層以来初めてだが、それなりに腕のあるメンバーが一緒ならば、難しくはないとイタチは考える。
「グルォォオオッ!」
怒号を放ち、大剣を振りかざす悪魔を前に、イタチ等攻略組は、行動を開始する。
「カズゴ、パリィだ!」
「応!」
即席のパーティー――パーティー登録すらしていない――のリーダーとなったイタチが、カズゴに指示を出す。カズゴはイタチの指示通り、自身が持つ大剣で、青眼の悪魔が持つ大剣を弾く。
「アスナさん、スイッチです!」
「分かったわ!」
続いて、攻撃を弾かれた悪魔へ向かって、アスナが跳躍する。光芒を伴い発動するのは、細剣系ソードスキル「カドラプル・ペイン」。四連撃の刺突が、悪魔の胸板に放たれ、仰け反らせる。
「ヨウ、追撃を頼む!」
「ああ、分かった」
そうして、イタチ率いる五人のパーティーは、着実にボスのHPを削っていった。その連携は即席であり、メンバー登録をしていないにも関わらず、強い結束力を示していた。パーティーを組んでいなければ視界の端に確認できないHPバーも、各メンバーの頭上に付いたカーソルを直接見て確認し、退くべき時には退かせて回復する。そして攻める時には最適の武器・人選で攻撃を仕掛けているのだ。戦いに夢中で誰もが気付いていないが、パーティーメンバーのコンディション、ボスの挙動の両方を確認しながら的確な指示を出すイタチの指揮力は、閃光のアスナに迫るものがあった。前世の忍時代において、暗部の隊長を務めたこともあるイタチは個人の実力だけではなく、人をまとめ上げるリーダーシップも高く、今回の戦闘ではそれが遺憾なく発揮されていた。
(軍の連中は……どうにか、クラインとメダカが押さえてくれているか……)
仲間に指示を飛ばし、時には自分も前に出て戦いながらも、イタチは部屋の反対側にいる解放軍の様子を、時折視界の端に捉えて窺っていた。イタチの予想通り、解放軍のリーダーであるコーバッツは、クラインやメダカの説得にも応じず、戦闘続行をすると言ってごねているようだった。四段あったボスのHPバーも、イタチ等の活躍で遂に最後の一本に迫りつつある。追い詰められたボスが、今度は何をしでかすか分かったものではない。クライン達が軍を抑え込んでいる間に、片を付けねばならない。
「俺が決める!スイッチ!」
そして、遂にイタチが前へ出た。アレンによってパリィされて隙を見せたボスの懐に入り込んだイタチは、間髪入れずに二刀流の最高レベルのソードスキルを発動する。
「スターバースト・ストリーム!」
途端、イタチの持つ白黒の双剣が、これまでにない輝きを帯びる。繰り出される、文字通り星屑の奔流が如き十六連撃は、残り一本だったボスのHPバーを一気に削り取った。
「ゴァァアアア……ガァアア……!」
イタチが発動した二刀流奥義の前に、遂に青眼の悪魔は、か細くなる雄叫びとともに力尽きた。次の瞬間には、莫大なポリゴン片を撒き散らして爆散した。
戦いを終えたボス部屋の中央に浮かび上がるのは、勝者を祝福する『Congratulations!!』の文字。それは、七十四層フロアボス、青眼の悪魔こと、ザ・グリームアイズが倒され、攻略が完了した事を示していた。
「終わったか……」
勝利の余韻に浸るでもなく、イタチはそう呟いた。望まぬ攻略戦の末の、望まぬ勝利。イタチの得たものは、多大な経験値に、多数のレアアイテム。だが、それは全て仮想のもの。喪われた命は、仮想世界においても、現実世界においても取り戻すことはできない。己を犠牲にして、この世界を終わらせるべく戦ってきた筈が、またしても取り零してしまった命がある。忍時代の頃から感じていた、そしてこの世界へ転生し、仮想世界へ来てからより一層強くなった、果てしない虚無感がイタチの心を占める。
「イタチ君……」
そんなイタチの内心を慮って、アスナが声を掛ける。イタチとはリアルでの知り合いである他、数あるSAOプレイヤーの中でも最も長くイタチと共闘した経緯を持つ彼女には、イタチがどのような人間なのかを少なからず理解している。
「あなたのせいじゃないわ……イタチ君は、皆を守ってくれたじゃない」
「そうですよ、イタチ」
「お前の事だ。どうせ、全部自分のせいだとでも思ってんだろうが、そいつは思い上がりだぜ」
「ま、そういうことさ。お前一人で背負うことなんて、無いんよ」
イタチと即席のパーティーを組んで戦っていた、アスナはじめとした攻略組メンバーもまた、イタチを元気づけようと声を掛ける。このボス戦における犠牲に関しては、イタチには全く非は無い。犠牲者が出た責任は、パーティーを指揮したコーバッツにこそある。だが、当人はというと……
「貴様等!我等の手柄を横取りするとは、何事だ!」
己のパーティーメンバー二名が、自分のミスが原因で犠牲となった事を棚に上げ、自分達を救った攻略組メンバーに逆上していた。
「手前ぇ!いい加減にしやがれ!イタチが行かなかったら、全滅しててもおかしくなかったんだぞ!」
「クラインの言う通りだな。貴様等は己の無謀を反省するべきであろう。我等に怒りを向けるとは、筋違いだ」
助けられた立場にありながら、逆切れするという態度に、クラインやメダカもまた、苛立ちを露にする。
「あの野郎……この期に及んで、まだあんな勝手なことのたまってやがるぜ」
「オイラもあんまりだと思うんだがな~……」
その怒号は当然のことながら、イタチやアスナのもとにまで響いていた。その場にいたイタチを除く四人は一様に不快な表情を浮かべる。その中でも、アスナの剣幕だけは特に険しかった。
「あなたねぇ……いい加減にしなさい!!」
相当に怒り心頭の表情でコーバッツに対して激発するアスナ。だが、コーバッツは怒りの対象をクラインとメダカからアスナへと変更して、こちらも負けじと苛立ちをぶつけてくる。
「黙れ!誰が助けなど求めた!?貴様等が勝手に乱入してきたのだろうが!解放軍の力をもってすれば、あの程度のボスは、敵ではなかったわ!」
傲岸不遜かつ恩知らずな物言いを繰り返し、激昂するコーバッツ。攻略組メンバーは、怒りを通して呆れ返ってしまう。このまま怒号の応酬を繰り返しても、埒が明かない。そう思ったイタチは、溜息交じりに前へ出た。
「アスナさん、もうそのへんにしてください」
「イタチ君……でもっ!」
「これ以上無駄な問答を繰り返しても何も生まれません。それより、やるべきことがある筈です」
相変わらず冷静なイタチの物言いに、アスナをはじめ、その場にいた攻略組メンバーは若干クールダウンする。イタチは仲間達が少しは落ち着いたことを確認するや、続ける。
「攻略組を長く離れていた身でありながら、指揮を預かるアスナさんの制止を無視しての独断専行に及び、死者を出してしまった。ギルドは違えど、看過できる所業ではない筈です。アスナさんには、攻略の足並みを乱した解放軍に対して何らかの処置を要求してもらわねばなりません」
「んなっ!…………貴様!!」
尚も激昂するコーバッツに、しかしイタチは一切目もくれず、傍を通ってアスナに呼び掛ける。
「さあ、行きましょう、アスナさん。ゲートをアクティベートした後、ギルド本部までお送りします」
「あ……う、うん……」
「クラインとメダカも、一緒に来るか?」
「お、おう……行かせて、もらう……」
「そうだな……これ以上ここにいても、仕方あるまい」
アスナに続き、クラインとメダカもイタチの後を追って、次なる階層――第七十五層へのゲートへと向かう。カズゴやアレンといった、他の攻略組メンバーも同様に続く。後に残された解放軍のメンバー――コーバッツ一人だけ――は、去り行くイタチの後ろ姿を憎々しげに見つめていた。
「にゃはは。それにしても今回は派手にやったもんだな、イタっち」
「……あの場面において、残った人間全員を生還させるには、これ以外の方法が思いつかなかった。ボス攻略は、その結果に過ぎない」
イタチとテーブル越しに向かい合う、旧知の女性情報屋プレイヤー、鼠のアルゴの茶化すような言葉に、当人は憮然たる面持ちで返した。ここは、五十層主街区、アルゲードの、エギルが経営する雑貨屋の二階である。期せずして起きたフロアボス攻略戦の翌日、イタチは馴染みの情報屋であるアルゴとコンタクトを取っていたのだ。
「それで、軍の連中はどうなった?」
「イタっちの言う通り、アーちゃんが攻略組を代表して抗議に出たヨ。例のコーバッツ率いる軍の部隊は、イタっちの予想通り、はじまりの街に陣取ってる幹部連中が放ったんだト」
「成程な……つまり今回の攻略進出は、ディアベルやキバオウの預かり知らぬところで計画されていたということか」
「そういうことだネ。第一層に籠っている連中は、あの二人が治安維持のために本部を留守にすることが多いのを利用して、好き放題やってたらしいヨ。ディアベルとキバオウも、今回の件で、本部へ召還されて、組織運営の見直しをするって話ダ。リーダーのシンカーは穏健派だが、犠牲者が出た以上は本腰入れて綱紀粛正する筈だヨ」
その報告を聞いたイタチは、一先ずほっと胸を撫で下ろす。今回の強引な攻略が、軍全体の総意によるものでなかったことは予想ができていたが、裏付けが取れて何よりだった。一部の幹部の暴走であったのならば、この一件に関わった者達の処断及び、迷惑を被った攻略組への謝罪・賠償の方針で解決できる――ただし、キバオウ等強硬派がこれに応じるかは定かではない――が、軍そのものが攻略に積極的に動いていたとなれば、今度は攻略組対解放軍という構図で抗争が勃発する最悪の可能性も無きに非ずだったからだ。つい最近行われた、殺人ギルド、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)との血で血を洗う全面戦争のような展開になることを、イタチは何より恐れていたのである。
前世において、忍界大戦を経験したイタチは、戦争の悲惨さというのを目の当たりにし、精神的な重圧故にトラウマを抱えかけた経緯もある。そのため、万に一つ、億に一つの可能性でも、プレイヤー同士の殺し合いが勃発する事態があると考えた事で、僅かながら動揺していたことは確かだった。
(だが、それも杞憂に終わったのだから、何よりだ……)
問題は未だ残っているが、一先ず最悪のケースは避けることができたことに安心するイタチ。一息吐いた後、今度はこれからの行動方針に思惟を向ける。
「アルゴ、攻略ギルドと軍の協議にはどれぐらいかかりそうだ?」
「そんなに掛からない筈だヨ。軍が勝手な行動をしたといっても、攻略ギルドへの被害は皆無ダ。アーちゃんに迷惑をかけたことに関しては、シンカーあたりが謝罪して、コーバッツや幹部連中の処分は向こうに任せる筈ダ。心配しなくても、攻略再開はすぐにできる筈だヨ」
イタチの内心を見透かしたアルゴの言葉に、イタチは僅かながら苦笑する。攻略ホリックと言われても過言ではないイタチの関心がどこに向いているのかを理解するのは、アルゴでなくてもできる。
「そうだな……何より、七十五層は第三のクォーターポイントだ。攻略は、これまで以上に慎重に進めねばならない」
「こっちも、いつも以上に情報収集には力入れるヨ。それと、あんまり無茶しないようにナ」
「分かっている」
アルゴの何気ない、しかし本気で心配した様子の言葉に、しかしイタチは軽く返事をしたのみだった。今回の突発的なボス攻略もそうだが、イタチは事あるごとに自己犠牲的な無茶を繰り返している。前線には出ないものの、イタチの活躍を後方支援プレイヤーの中では誰よりも詳しく知っているアルゴには、時折イタチが本気で死にたがっているのではとすら思ってしまうことがある。
故に、本気で命のやり取りをする場面に立ち会うことができない自分に無力感を覚えることもあった。
(戦場には、オイラは行けなイ。アーちゃん、皆……イタっちを頼んだヨ……)
情報屋としての限界を言い訳にしている自分に、忸怩たる思いを抱きながらも、アルゴはアスナをはじめとした攻略組メンバー達に、イタチの命運を託すしかできなかった。だが、元よりイタチは情報屋としての自分を求めている。ならば、その期待に応えることこそが、彼を生かす唯一の術であるのだと、アルゴは改めて思った。
攻略への揺るがぬ覚悟を胸に秘めたイタチと、仲間たちを救うために自分に課せられた役割を果たすことを改めて決意したアルゴ。最前線で戦う剣士と、それを後ろから支える情報屋。正反対の立場にして、それぞれの頂点に立つ二人の間に流れる、緊張に満ちた沈黙。だが、それは唐突に破られた。
「イタチ君!」
「「!」」
突如、階段の方から現れた一人の少女。純白に赤で色取られた、攻略ギルド、血盟騎士団のユニフォームに身を包んだ彼女は、副団長のアスナ。先日、イタチとパーティーを組んで迷宮区攻略に挑み、ボス攻略にまで至った間柄である。
ボス攻略における解放軍の暴挙に関して抗議を行い、その処遇を巡って論争を繰り広げている筈のアスナが、何故こんな場所にいるのか?予想外の人物の登場に、イタチとアルゴは顔を見合わせ、不思議そうにしている。一先ず、事情を聞くことにした。
「何があったんですか、アスナさん」
「どうしよう……大変なことになっちゃった……!」
「それは分かったから、落ち着いて、アーちゃん」
アルゴに促され、息も切れ切れの状態からようやく落ち着いてきたアスナ。泣きそうな表情はそのままに、事情を語り始める。
常日頃、主にゲーム攻略において独り苦心しているイタチには珍しい、他者との関係――この場合はアスナ――に端を発する面倒事が発生した瞬間だった。