ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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活動報告にて、『ソードアート・オンラインⅡ放映記念』と称して『フェアリィ・ダンス』と『ファントム・バレット』の予告編を投稿しました。興味のある方は、ぜひご覧ください。


第四十四話 最強の剣士

2024年10月19日

 

 アインクラッド五十五層主街区、グランザム。「鉄の都」と称される名前の通り、この街の尖塔全ては鋼鉄製。空を覆う鈍色の雲に、秋に入りつつあり涼しくなってきた気温も相まって、この上なく無機質で冷たい雰囲気が街を覆っている。

 そんな寒空の下、街道を連れ立って歩く、二人のプレイヤーがいた。男女それぞれ、黒と白の対称な服に身を包んだこの二人のプレイヤーは、イタチとアスナ。向かう先にあるのは、アスナが所属する攻略ギルド、血盟騎士団の本部がある。

 

「あの人が俺を呼び出すとは……先日の攻略騒動に関する事情聴取でしょうか?」

 

「ううん、それに関しては、私がきちんと説明したわ。原因は……ギルドの一時退団を申請したことなの。以前から、ギルドとはちょっと距離を置きたいと思ってたんだけど……勿論、解放軍との協議が、予想より早く決着が着きそうだったから申請したんだよ。でもそしたら、団長がイタチ君との立ち合いを望むって言いだして……」

 

「……」

 

 アスナが希望する、一時退団とは即ち、攻略組の指揮を放棄するということであり、ゲーム攻略そのものの停滞を招くことに繋がる。攻略組に属するイタチとしては止めるべきなのだろうが、アスナの内心を知った今となっては、反対することはできない。

イタチの推測だが、恐らくアスナはここ最近、ギルド内部で相当に息苦しい思いをしていると考えられる。先日の護衛――クラディールの一件からも分かるように、血盟騎士団にはアスナを神聖視する輩が多い。数少ない女性プレイヤーであり、「閃光」の二つ名を持つ実力者でもあり、高い指揮官適性を有するアスナ。リアルでもそうだったが、そんな彼女を色眼鏡で見る人間は、老若男女を問わず山ほどいた。そして、デスゲーム開始と共に閉鎖されたこの世界の人口は、男性プレイヤー――それも大凡アスナより年上の――が過半数を占めている。相談できる同性の話し相手も少ない中、四六時中そんな視線に晒されていれば必然的にストレスも溜まる。攻略の鬼と呼ばれるまでに刺々しい性格になってしまった原因の一端も、そこにあるのかもしれない。そして、それが原因となって、ギルド内の空気の悪化に繋がるという悪循環を生みだしていたとも考えられる。

いずれにせよ、ストレスを溜めこんでいることだけは明白なわけなのだから、アスナにも休暇を与えても問題ない……否。与えるべきであると、イタチは考える。だが、それを申請したところ、何故自分の名前が出てくるのか。考えられることは、ただ一つ。

 

「……アスナさん。まさかとは思いますが、ギルドを脱退した後、俺とパーティーを組もうと考えてはいませんでしたか?」

 

「うん……そうだよ」

 

 思い上がりなどではなく、自分が呼ばれる原因として考えられたことに関する問い。そして、対するアスナは、控え目に頷いた。

 

(それは反対するだろう……)

 

 アインクラッドにおいて、アイドル的な知名度と人気を持つアスナが、休暇を異性と……それも、悪名高いビーターと過ごすなどと知られれば、相当なスキャンダルである。悪くいけば、攻略組の士気の低下に繋がる。悪評を鵜呑みにせず、イタチの事情・性格を把握した人間も攻略組にも少なからずいるが、クラディールのようにビーターという存在を快く思わない人間は未だ多い。もとより、ネットゲーマーとは嫉妬深いものなのだから、イタチとアスナがプライベートで行動を共にしているなどと知られれば、波紋を呼ぶことは間違いない。血盟騎士団の団長が、イタチを呼び出したのも当然のことと言えよう。

 

(これは、また説得が必要だな……)

 

 アスナが何故、自分にここまで入れ込むのか。その感情が全く分からないわけではないイタチだったが、かといって素直に受け入れるわけにはいかないと考える。今回の会合において、血盟騎士団の団長はじめ、幹部に事情を説明することはもとより、アスナにも自分とパーティーを組むのはやめるよう説得せねばならないだろうと考える。

だが、ここ最近のアスナは、どこかイタチの知っているアスナではない。イタチの知るアスナは、リアルにおいて生徒会長を務める優秀な人物ではあったが、自己主張に乏しい……人の後ろに隠れているような面があった。だが、このゲームに囚われてからアスナには、自分の意思を貫くための、信念とでも言うべきものが形成されたと、イタチは感じる。人間としての成長と言うべき、喜ばしい変化なのだろうが、説得して主張を抑え込むことが困難になったことには、素直に喜べないイタチだった。

 

 

 

 街道を歩くことしばらく、二人連れだって歩いていたイタチとアスナは血盟騎士団本部へと到着した。二人が招かれたのは、円形の部屋。中央には半円形の巨大な机が置かれ、弧を描いて並んだ椅子に、五人の幹部プレイヤーが座っていた。その中央に腰掛ける深紅のローブに身を包んだ人物こそが、血盟騎士団団長にして、イタチと並び称される最強のプレイヤー、ヒースクリフである。剣士というより、学者……もっと言えば、教授と呼ばれても不思議ではないその容貌で、しかし真鍮色の双眸に宿った光には、歴戦の剣士を思わせる威圧感を宿していた。

 

「久しいな、イタチ君。君と会うのは、いつ以来かな?」

 

「最後に会ったのは、六十七層のボス攻略戦の時だと思います」

 

「そうか……あれはつらい戦いだったな。我々も危うく、死者を出すところだった。だが、犠牲者無しで勝利を収められたのには、君の活躍が大きい。我々攻略ギルド一同、君に感謝しているのだよ。先日の軍の暴走を止め、犠牲者を最小限に抑えたのも、君のお陰だと言うじゃないか」

 

「身に余るお言葉です。それより、アスナさんの脱退に関してですが……」

 

 互いに謝辞を述べると共に、脱線しかけた話題をイタチが修正する。すると、ヒースクリフも無関係な世間話に突入しかけたことに自嘲したような笑みをふっと浮かべ、常の真剣な表情へと戻る。

 

「そうだったね。済まない、話の腰を折ってしまった」

 

「いいえ、お気になさらずに。それより、彼女の一時脱退に関して俺を呼び出したということは、脱退後に彼女が組む相手に問題があるということでしょうか?」

 

 一気に核心に迫ったイタチの問いに、対するヒースクリフは苦笑する。無表情で平坦なイタチの口調からは、その内心を読むことは困難である。しかし、捉えようによっては、自分がパーティーを組むのに文句があるのか、と言っているようにも聞こえる。四人いる幹部の内、二人程そのように受け取った様子だった。

 

「最強ギルドなどと呼ばれているが、我々も常に戦力はギリギリだ。そして次の階層は、君も知っている通り、第三のクォーターポイント……難易度は、これまでの階層の比では無い筈だ。そんな中、アスナ君のような貴重な戦力を簡単に手放す真似はできない」

 

「お言葉ですが、それ程大事な人材ならば、もっと丁重に扱うべきではないのですか?護衛の人選などが最たる例だと思いますが」

 

「貴様っ!」

 

 イタチの不遜な態度に、幹部の一人が激昂しかける。だが、対するイタチは動じた様子もなく、見向きもしない。立ち上がり掛けた幹部も、ヒースクリフが手で制した。

 

「クラディールは自宅で謹慎させている。迷惑をかけたことは謝罪しよう」

 

「確かに、クラディールを護衛に起用するのは俺もどうかと思ったぜ。この際、イタチにやってもらった方が良いんじゃねえか?」

 

「何を言うか!」

 

「ウォンッ!」

 

 ヒースクリフの隣に座っていた幹部の一人、テッショウが、口を開く。他の幹部とは違い、イタチの皮肉に笑って返すばかりか、あまつさえ護衛の任命を勧める始末。当然のことながら、先程激昂した幹部が再び激発する。そして、テッショウに向けられた敵意に反応して、足元に控えていたテッショウの使い魔であるグレイウルフ――名前を「犬」という――が、牙を剥き出しにして吠える。

 

「テッショウ君、君も抑えたまえ。今はそんなことを言っている場合ではあるまい」

 

「ああ、そうだった!悪い、団長。犬、お前も落ち着け」

 

「クゥウウン……」

 

 隣に座る幹部を刺激した上、幹部としてはあるまじき言動を諌めるヒースクリフに、テッショウは頭をがしがし掻きながら反省し、使い魔の犬を宥める。

 

(やれやれ……これでかつては副団長だったのだから、恐れ入る)

 

 ヒースクリフの隣、幹部席に座る茶髪のビーストテイマー、テッショウは第二十五層攻略までの間、副団長を務めた古株の強豪である。難関のクォーターポイント攻略を契機に頭角を現したアスナによって、副団長の座を奪われはしたものの、その人望の厚さは変わらず、幹部の地位にある。

 

「それで団長、どうやって決着を付けるんだ?」

 

「それについては、私に提案がある」

 

 テッショウの問いかけに、ヒースクリフは不敵な笑みをもって答えた。言葉通り、何か思惑があることを臭わせる笑みだ。

 

「イタチ君、欲しければ剣で――二刀流で奪いたまえ。私と戦い、勝てばアスナ君を連れて行くがいい。ただし、負けたら君が血盟騎士団に入るのだ」

 

 ヒースクリフの提案に、アスナは驚愕する一方で、イタチはある程度予想通りといったところなのだろう。僅かに眉を動かした程度だった。まさか、攻略組随一の実力を持つイタチをギルドへ入れることができれば、強大な戦力になることは間違いない。過去にも、血盟騎士団や聖竜連合、ミニチュア・ガーデンといった攻略ギルドがイタチを勧誘したことはあったものの、イタチ自身はそれらを全て拒否してきたのだ。理由は言わずもがな、ビーターとして憎まれ役を買っている自分が所属したギルドの人間に累が及ぶことを防ぐためである。

 最強ギルドと呼ばれる血盟騎士団のリーダーを務めるヒースクリフならば、その辺りの事情も承知の筈である。だが、その辺りのリスクを顧みても、イタチをメンバーに迎えるメリットが大きいと判断したのだろう。先日の七十四層攻略騒動も、イタチがアスナを巻き込んだ部分は大きい。護衛としての責務を弁えているイタチならば、この申し出を簡単には断れないことも計算の内なのだろう。

 

「団長、私は別にギルドを辞めたいと言っているわけじゃありません。ただ、少し離れて、色々と考えてみたいだけです」

 

 当然のことながら、アスナはこの提案には反対する。もとよりこれは、血盟騎士団内部の問題であり、先日の攻略騒動とは無関係である。イタチを巻き込むこと自体が間違っている。故にアスナはあくまで説得に徹し、ヒースクリフに納得させようとする。

 

「…………」

 

 アスナがヒースクリフを必死で説得する傍ら、イタチは沈黙しながらもこの提案に関して思考を走らせる。ストーカー紛いの行為をする男性プレイヤーを副団長という重役を担うアスナの護衛に付けた時点で、血盟騎士団上層部の過失は消えない。故に、この提案を断ったとしても、その責任を追及すればアスナの一時脱退を通すことは不可能ではない。尤も、脱退中に彼女と自分でコンビを組むつもりは無いのだが。

 デュエルを受けるとしても、アスナの一時脱退を条件とすればヒースクリフはそれを受けざるを得ない。故に、どちらを選択してもアスナに必要不可欠な休暇を与えることは可能なのだ。余計な手間を省くのならば、デュエルを引き受けるという選択はするべきではない。

 

(だが、これはある意味好機でもある……)

 

 ヒースクリフという人物は、イタチがマークしている重要プレイヤーの一人である。血盟騎士団団長であり、イタチと同じユニークスキル持ちであることは言わずもがな。もう一つ、あるイタチがその動向を注目している理由がある。

さらに言えば、先日の七十四層攻略前に起きたデュエルで感じた気配の正体も気になっていた。あの気配の正体に血盟騎士団が関わっている可能性が高いからだ。故に、イタチの選ぶ選択肢は……

 

「いいでしょう。その提案、お引き受けいたします」

 

「い、イタチ君っ!?」

 

 常のイタチには有り得ない返事。そんなイレギュラーな発言によって、懸命に説得して解決しようとしたアスナの努力は水泡に帰してしまうのだったが、イタチは見て見ぬふりをした。

 

 

 

 

 

2024年10月20日

 

 イタチとヒースクリフのデュエルは、会合の翌日に取り行われることとなった。場所は、先日開通したばかりの七十五層主街区、コリニア。その中央付近に位置するコロシアムが、今回の会場である。コロシアム入り口の看板には、「生ける伝説 ヒースクリフ VS 二刀流の悪魔 イタチ」と、今回のメインイベントがでかでかと記されている。観客席は、血盟騎士団や聖竜連合といった主要攻略ギルドのメンバーや、新たに開通した階層へ観光に訪れたプレイヤー達が埋め尽くしている。

 攻略組トップクラスの、しかもユニークスキル持ちの実力者二人と戦いともなれば、一際注目を浴びる事は言うまでも無い。だが、デュエル決定から一日足らずでこれ程の人だかりができたのには、血盟騎士団の経理に就いている人間が一役買っていることは言うまでも無い。

 そんな地上の喧騒を余所に、コロシアム控室では、攻略組最強の男との戦いを前にしたイタチが、精神統一するように静かに壁に凭れ掛かっていた。そんなイタチに、苛立ちと心配を綯い交ぜにした声色で、アスナが話し掛ける。

 

「もう……どうして、あんな事言ったのよ!?私が説得しようと思ってたのに……」

 

「あの場合、俺に拒否権はありませんでした。護衛でありながら、ボス攻略にアスナさんを巻き込んだんです。危険行為に及んだ責任を問われても仕方の無い立場にある以上、あちらの提案を拒否することはできません」

 

「それだって、私が勝手に手を出したことじゃない……イタチ君が責任を取る必要なんて……!」

 

「護衛対象の暴走を抑えるのも、俺の任務の内でした。結果はどうあれ、俺が責任を取るべきなのは確かです。」

 

 ヒースクリフとの決闘に至った経緯に関して、自分の護衛としてのミスを前面に出して、当然の義務と主張するイタチに、アスナは複雑な表情を浮かべる。責任感の強いイタチらしい理由といえばそうなのだが、アスナはどうにも納得できない。

 

(イタチ君……あなたは、何を考えているの?)

 

このデュエル自体、イタチは望まぬもので仕方なく引き受けたと言っているが、何か他に思惑があるように思えてならない。問い詰めたとしても、はぐらかされるだけだろう。だが、常日頃表舞台に立つ事を忌避するイタチが、護衛の不手際を償うためとはいえ、このような提案を聞き入れるのには、何か理由がある筈なのだ。

無表情なイタチの内心がまるで見えないのはいつものことだが、今回は胸騒ぎがする。自分の知らぬところで、イタチがまた何か無茶をやらかしているのでは、と心配になる。

 

「それでは、アスナさん。行って参ります」

 

「……頑張ってね」

 

 様々な想いが胸に渦巻いていたが、アスナにできたのは、そう言って試合に向かうイタチを送り出すだけだった。デュエルは初撃必殺モードで行う以上、HP全損などという事態は起こらないだろうし、イタチがそう簡単にやられるプレイヤーではないことは承知している。アスナの懸念は、その先にある。このデュエルの決着が何を齎すのか、知る由も無いアスナには、その行く末を案じることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 試合をするコロシアムへと入場したイタチを出迎えたのは、観客の声援と真昼の日差し。そして、眼前にて赤い鎧を身に纏って静かに佇む最強の男――ヒースクリフ。対するイタチは、常の通り、黒装束に木の葉を模したマークに横一文字の傷が入った額当てを着けた、忍を彷彿させる戦闘装束に身を包んでいた。

 

「すまなかったなイタチ君。こんなことになっているとは知らなかった」

 

「その発言……管理が行き届いていないともとれますよ」

 

「いやはや、手厳しい……ならば、ギルドの綱紀粛正は今後君に一任することにしよう」

 

「既に勝ったつもりですか……それより、そろそろ始めるとしましょうか」

 

 皮肉の応酬もそこそこに、イタチはウインドウを操作してデュエルの申請を行う。ヒースクリフがそれを承認すると共に、お馴染みの開始六十秒のカウントダウンが開始される。

 イタチは片手剣二本を両手に構え、ヒースクリフは右手に剣、左手に盾を持つ。お互い、最初からユニークスキルを行使しての本気の打ち合いをするつもりなのだ。イタチの赤い双眸と、ヒースクリフの真鍮色の瞳から放たれる視線が交錯する中、カウントダウンは遂にゼロへと至った。

 

 

 

 

 

(イタチ君……お願いだから、無事でいて……)

 

 コロシアム入口から、試合の様子を見ていたアスナは、悲痛な面持ちでその戦いを見守っていた。イタチの攻略組としての実力は、指揮官である自分もよく知っているが、今回は相手が相手である。第二のクォーターポイントである五十層攻略時に、強大なボスを相手に、イタチと並んで前線維持を務めた英雄なのだ。

 二人のユニークスキルは、いずれもゲームバランスを崩壊せしめるレベルのものである。それが互いに全力でぶつかり合うのだから、譬え一撃必殺ルールだとしても、下手をすればどちらかが命を落とす結果となってもおかしくない。元凶となった自分がこんなことを願うのは甚だおかしいが、どうか二人とも無事に試合が終わるようにと願わずにはいられなかった。

 そんな、祈るように試合に目を向け続けていたアスナに、ふと後ろから声が掛けられる。

 

「彼なら、大丈夫だと思うわよ」

 

 ふと聞こえた声に、アスナは後ろを振り返る。そこにいたのは、ウェーブのかかった茶髪の女性。血盟騎士団所属の薬剤師、シェリーだった。

 

「シェリーさん……でも、やっぱり……」

 

「きっと平気よ。今までだって、命がけの戦いに身を投じてきた彼なら、あなたが心配するような事態にはならないわ。それに、経緯はどうあれ、今あそこで団長相手に戦っているのは、他でもないあなたのためなのよ。彼が初めて、あなた一人のために剣を振るっているのだから、信じてあげるのが筋じゃない」

 

 年上なのは間違いないが、自分とはそれほど年齢が離れてはいないであろうこの女性の言葉には、どこか達観したものがあった。単純な年齢では推し量れない、人生経験の差を感じさせるシェリーの発言は、アスナの胸に響いた。

 

「……はい」

 

 儚げながら、強い意志を感じさせる瞳で答えたアスナに、シェリーは笑みを浮かべた。そうして二人は、コロシアム入口の向こうで繰り広げられている激闘へ再び視線を向けた。

 

 

 

 

 

 コロシアム中央にて交錯する、黒と赤、二つの影。赤い影は、縦横無尽に高速で振るわれる黒白の刃を正確に、確実に弾き返す。そして黒い影も、赤い影がカウンターで仕掛けてくる斬撃を紙一重で回避する。砂煙を巻き上げながら激しく打ち合う剣士と忍の戦況は、互いに一進一退を繰り返す、微細なバランスの上に成り立っていた。

 

「こうして戦うのは初めてだが……成程、これほどの激しい攻撃ならば、フロアボスが次々倒されていったのも頷ける」

 

「あなたの方こそ、文字通り鉄壁の防御には、付け入る隙がまるで無い」

 

 互いに世辞を交わしながらも、獲物を振るう手は一切休めず、相手の動きへの注意は一瞬たりとも緩めない。ヒースクリフが持つユニークスキル「神聖剣」とは、完全な攻防一体の剣技を実現したスキルである。盾を攻撃に利用できるソードスキルを行使できるほか、何より攻撃・防御の切り替えスピードが、普通の盾持ち剣士の比ではない。防御に回る際には、ソードスキルを中断することすら可能なのだから、本体に攻撃を届かせるのは、容易ではない。

二刀流の使い手であるイタチとて例外ではない。攻略組トッププレイヤーとして、閃光の異名を持つアスナに比肩する勢いで敏捷をゲインして剣を振るっているものの、刃は悉く盾に阻まれ、本体には届かない。ならばと、只管激しい攻撃に晒して神経を削る戦法を先ほどから取っていたが、ヒースクリフの防御は一向に崩れる気配を見せない。

 

(大した防御だ……単純に守りに徹するに留まらず、反撃の隙をも窺っているとは……)

 

 ヒースクリフの実力に対し、素直に感嘆するイタチ。神聖剣というスキルは、ボス攻略で幾度となく見てきたが、こうして合い見えることで改めてその脅威を認識することができる。

 そして同時に、使い手であるヒースクリフ自身も、神聖剣を行使するに足る実力者であることを実感させられる。デュエル開始から五分が経過したが、その間にイタチが浴びせた斬撃は数百発に及ぶ。ソードスキルこそ使っていないが、あらゆる角度から変則的に繰り出されたそれらを一切受け付けない、並外れた集中力・持久力を持つプレイヤーを、イタチはSAOで見たことがない。前世の忍世界ですら、これほどのやり手はそうそういなかった。実力から見て、間違いなく上忍に相当するとイタチは感じた。

 

(埒が明かんな……ならば)

 

 ソードスキル無しの連撃で消耗させて隙を突くつもりだったが、ヒースクリフのプレイヤーとしての耐久力を考えると、この作戦は効率的ではない。小手先だけの技で崩せない相手ならば、力技で攻撃を通すほかない。忍らしからぬ戦法だが、均衡を崩す手段は他に無いとイタチは考える。

 黒白の剣――エリュシデータとダークリパルサーを構え直し、再度ヒースクリフに向かって突進を仕掛ける。両手に握る刃は、光芒を描いていた。

 

「!」

 

「スターバースト・ストリーム」

 

 これまで、ソードスキル無しの変則軌道の斬撃を繰り返してきたイタチだったが、ここに至って奥義クラスの上級技を放ってきたことに、対面するヒースクリフは顔を強張らせ、観客たちは一斉にどよめく。

 

「はぁっ!」

 

「ぐ……!」

 

 流星の奔流が如き勢いで繰り出されていく斬撃を受け止めるヒースクリフの表情に、苦悶が見え隠れする。傍から見れば、まだまだ余裕があるように見えたが、実際はイタチの激しい攻撃に晒されたことで消耗していたのだ。そして、ここに至ってイタチが放った大技は、本人の目論見通りに、戦いの均衡を崩した。

 

(このまま……押し切る!)

 

 十六連撃ソードスキルの猛攻を前に、ヒースクリフは防戦一方。安定していた盾防御も、一撃加えるごとに衝撃で揺らいでいる。スターバースト・ストリームの十五撃目で盾をパリィし、最後の一撃を懐に入れられれば、このデュエルはイタチの勝利である。

 

「はぁぁあっ!」

 

 そして、スターバースト・ストリームの十五撃目。イタチの斬撃が、ヒースクリフの防御を完全に崩した。

 

(ここだ!)

 

 赤い双眸を見開き、右手に持ったエリュシデータを振り翳す。スターバースト・ストリーム最後の一撃。それが、ヒースクリフの頭部を直撃しようとした、その時だった。

 

(む……!)

 

 突如目の前に起こった異変に、僅かに目を細めるイタチ。赤い双眸が捉えたヒースクリフが、システムには有り得ない動きをしたのだ。

 

(これは……)

 

 世界全体が静止したかのような感覚。ヒースクリフに振り下ろされようとしていた刃は、直撃寸前で止まっている。イタチ自身も動けない、刹那の世界の中。ただ一人、ヒースクリフのみが、動いている。弾かれて右にずれた盾が、左へと移動している。エリュシデータの刃を弾くには十分な位置と角度を確保している。

 

そして次の瞬間、世界は再び動き出した。

 

「これで終わりだ」

 

 勝ち誇ったような呟きと共に、ヒースクリフのカウンターが炸裂する。ソードスキルではないが、多技を使って硬直に陥っているイタチに十分なダメージを与えるに足る、的確な突き。いかにイタチとて、完全な死角からの、動けないがために不可避の一撃を捌く事などできる筈は無い。イタチとヒースクリフのデュエルは、この一撃にて決着する――――筈だった。

 

「はっ!」

 

「!」

 

 だが、突発的な、予想不可能のアクシデントに際しても、イタチが思考を放棄することはなかった。ヒースクリフがどうやって回避したかを考えるより早く、死角を突かれており、技後硬直によって動けない現状を即座に把握し、対処に移った。イタチから見て左側に回り込んだヒースクリフに向けて、反撃するべく身体を捻る。身体の回転と共に、左手に握った剣を遠心力に従って振るい、カウンターを仕掛けると同時にヒースクリフの突き出した剣の回避に動く。

 イタチからの思わぬ反撃に驚くヒースクリフだが、対処する術は無い。ヒースクリフの刺突がイタチを穿つのが先か、イタチの振るった刃がヒースクリフを斬りつけるのが先か。刃が交錯する刹那の攻防が、終わりを迎える。

 

「ぐぅっ!」

 

「くっ!……」

 

 ヒースクリフが膝を付いて崩れ、イタチが地面を転がる。そして、デュエルの結果が二人の間の空中に表示される。果たして、勝者は――――

 

『DRAW』

 

 その結果に、コロシアムに詰めかけた観客達はおろか、デュエルを行っていたヒースクリフさえもその表情を驚愕に染める。デュエルの結果は、ドロー……即ち、引き分けである。

初撃必殺モードの勝敗は、最初に強攻撃をヒットさせるか、HPを半減させた方が勝ちとなる。だが、プレイヤーのHPの増減はコンピュータによって正確に計測されている。そのため、相討ちになったように見えても、高確率で勝者が決定するのだ。引き分けという結果は、二人のプレイヤーが完全に同じタイミングでダメージを受けた場合にのみ発生するため、非常にレアなケースである。驚かない人間の方がおかしいと言えるだろう。

 

「結果は引き分け……ですか」

 

 そんな中、真っ先に再起したのは、デュエルを行っていたイタチだった。地面に転がった姿勢からゆっくり立ち上がり、剣を背中の鞘へと納める。もとより、引き分けという結果自体には然程驚いている様子は見受けられない。

 イタチの言葉に、ヒースクリフは正気を取り戻すと同時に、地面に膝をついていた姿勢から立ち上がり、佇まいを直すとイタチに改めて向かい合う。

 

「フム……そのようだ。大変珍しい、実力が互いに拮抗していた結果だが、この場合はどうするべきなのだろうね?」

 

 常日頃、賢者然として落ち着いた様子のヒースクリフにしては、珍しく、僅かながら狼狽しているかのように見えた。イタチはそんなヒースクリフの態度に、しかし敢えて何も言及しようとはしない。

 

「引き分けという結果については、取り決めていませんでした。かと言って、これ以上デュエルをしても仕方ありません。今日のところはこれでお開きに。俺とアスナさんの処遇に関しては、後日改めて話し合いをして決議しましょう」

 

「ウム……すまないね」

 

「いえ、こちらこそ」

 

 最強プレイヤー同士の戦いに決着は付かなかったが、デュエルを行うきっかけとなったアスナの脱退やイタチの血盟騎士団入団についての件に関しては、結局話し合いで決着を付けることとなった。

 その後、ドローという結果に衝撃を受け、この後どうなるのかとざわめいている観客に応えるように、二人は握手を交わした。勝敗こそ決することは無かったが、最強プレイヤー同士の戦いに恥じない、遥か高みの次元にある圧倒的な戦いを見ることができ、観客は満足したらしい。握手をした途端、コロシアムに詰め掛けた観客から一斉に拍手喝采が二人に降り注いだ。

 やがて、血盟騎士団の運営スタッフがイベント終了を告げると共に、イタチとヒースクリフは互いに背を向けてコロシアムを後にした。

互いの顔が見えなくなったところで、二人は各々、被っていた仮面を外すかのように、表情を一変させた。ヒースクリフは、イタチとのデュエルで受けた驚愕と畏怖に目を細め、顔を若干硬直させていた。一方イタチは、いつもの無表情ながら、コロシアムを去りゆくヒースクリフの背中を、目を細めてみつめていた。その赤い双眸に、疑惑とも確信ともつかない光を宿しながら……

 


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