ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第四十五話 紅の殺意

2024年10月23日

 

 SAO最強のプレイヤーと目されるイタチとヒースクリフのデュエルから三日が過ぎた。「引き分け」という珍しい結果に終わった伝説の戦いから、攻略組も中層プレイヤーも、未だ興奮から冷め遣らぬ中、二人の間では戦いの後にある取引がなされた。そしてその結果として、現在のイタチはと言うと……

 

「……やっぱり、ちょっとイタチ君のイメージには合わなかったかな……」

 

「……無理も無いでしょう。ソロで活動していた頃は、四六時中黒装束でしたからね」

 

 テーブルの向いに座り、目の前のイタチに対して違和感を覚えるアスナに対し、イタチ当人は憮然と返した。現在のイタチの服装は、常の黒装束とは正反対の色合い。木の葉を模したマークに横一文字の傷が入った額当ては外している。着用しているのは、アスナと同じ、白地に赤で色取られた、血盟騎士団のユニフォーム。

 イタチとアスナがいるここは、五十五層主街区、グランザムにある血盟騎士団本部。何故イタチが今この場にいて、アスナと向かい合って茶を飲んでいるのか。その理由は単純。イタチが血盟騎士団に入団したからだ。

 

「しかし、アスナさんもせっかくなのですから、お休みになられればよろしいのでは?アスナさんの休暇は、団長との取引で確約されたのですから」

 

「そんなわけにはいかないの。入団した以上、あなたには色々と教えてあげなきゃならないし……そもそも、あなたの入団を取引に手に入れた休暇なんて、楽しめるわけがないじゃない」

 

 イタチとヒースクリフの間に取り交わされた約定は、アスナへ休暇を与える代わりにイタチが血盟騎士団へ入団するというものだった。ヒースクリフは、この予想外の取引に若干の驚きを示していたが、当初の目的である戦力調達はできるのだ。アスナに休暇を与えるとしても、イタチを取り込むメリットは大きいと判断したのだろう。ヒースクリフは取引を快諾し、イタチの血盟騎士団入団が決まった。

 当初、このことを聞いたアスナは当然の如く反発したが、イタチの意思は変わらなかった。ソロプレイに拘るイタチには考えられない選択には驚いたが、入団すると決まった以上、アスナは自分が面倒を見なければならないと感じた。イタチが入団して以降、パーティーはアスナとのコンビで固定されている。

 

「それにしても……本当に良かったの?イタチ君としては、ソロでの攻略にこそ意味があったんでしょう?」

 

「問題ありません。パーティーの結成は、攻略のあらゆる局面で必要とされています。ギルドに所属すれば、その手間も省けるのですから、むしろ好都合です」

 

「……ごめんね。巻き込んじゃって……」

 

 事務的に淡々と入団のメリットを述べるイタチだが、本意ではないのではとアスナは思った。イタチの言う通り、ギルドに所属すれば、パーティーを組むのに苦労する必要は無くなり、攻略における危険は減る。だが、ビーターであるイタチがギルドに所属することになれば、ギルメン達にも累が及ぶことになり、それはイタチの望むところではない。尤も、血盟騎士団に所属するメンバーのほとんどは、ビーターの風評被害に臆するほど軟弱ではないのだが。

 それでもアスナは、自分の脱退を認めさせるという私事のためにイタチを巻き込んでしまったことに負い目を感じずにはいられなかった。

 

「俺の選んだことです。アスナさんには一切の責任はありません」

 

「イタチ君……」

 

 責任を感じているアスナの内心を汲んで、イタチは飽く迄自分の意思であると断言する。遠回しな気遣いだが、アスナにとってはそんなイタチの気持ちが嬉しくもあった。

 と、そこへ

 

「おお、そこにいたか!」

 

 イタチへ向けて、野太い声が掛けられた。振り返った先にいたのは、背中に大斧を背負った、もじゃもじゃの巻き毛の大柄な男性。テッショウと共にヒースクリフと同席していた、幹部の一人である。名前は確か、ゴドフリーといったか。どうやら、イタチに何か用事がある様子だ。

 

「俺に何か御用でしょうか?」

 

「ウム。これより、訓練を行うのでな。私を含む団員四人のパーティーを組み、ここ五十五層の迷宮区を突破して五十六層主街区まで到達するというものだ。お前にも、参加してもらうぞ」

 

 宣言されたのは、訓練の実施に際しての参加の要請……否、命令。攻略ギルドではありふれた事だが、アスナには許容できるものではなかった。

 

「ちょっとゴドフリー!イタチ君は私が……」

 

 アスナの抗議に対しても、ゴドフリーは動じない。堂々とした、傲然とも呼ぶべき態度で応じる。

 

「副団長と言っても規律を蔑にしていただいては困りますな。入団する以上は、フォワード指揮を預かるこの私に、実力を見せてもらわねばなりませんしな」

 

「あ、あんたなんか問題にならないくらい、イタチ君は強いわよ!」

 

「アスナさん、落ち着いてください……」

 

 ヒートアップするアスナを手で制するイタチ。内心では溜息を吐きつつも、すっと椅子から立ち上がると、ゴドフリーに頷く。

 

「分かりました。集合場所と時間を教えてください」

 

「聞きわけが良くてよろしい!では、三十分後に、街の西門に集合!ハッハッハッハッハ……」

 

 高笑いしながらその場を立ち去るゴドフリーの背中を見送りながら、イタチも行動を開始する。

 

「イタチ君……私も一緒に行こうか?」

 

「……そこまで心配には及びません。ここから一つ上の階層へ上る程度ならば、時間もそれほど掛からない筈です。」

 

 心配そうな表情を浮かべるアスナに、イタチは肩を竦めつつも、問題無いと答える。

 

「気を付けてね」

 

「はい。それでは後ほど」

 

 それだけ言葉を交わすと、イタチはアスナと別れてギルド本部を出て行くのだった。

 

 

 

 

 

 ゴドフリーに言われた通り、三十分で準備を終えたイタチは街の西門へと到着していた。そこにいたのは、ゴドフリー以外に二人のプレイヤー。両方とも、イタチには見知った顔である。

 

「おっ、イタチか」

 

「久しぶりだな、コナン」

 

 一人は、アスナと同じ細剣使いの男性プレイヤー。中性的な声質の持ち主であるこの少年の名前は、コナン。攻略メンバーの一人として数えられる凄腕剣士であり、頭の切れる参謀あるいは探偵としても知られている。そして、もう一人は……

 

「クラディール……でしたね」

 

 コナンの後ろ側に立っていたのは、先日のアスナと共に迷宮区攻略に挑んだ際、護衛の立場を巡って対立・デュエルにまで及んだ長髪の男――クラディールだった。

 

「……先日は、ご迷惑をおかけしまして……」

 

「いえ、こちらこそ……」

 

 頭を下げて、イタチに対して先日の一件を謝罪するクラディール。敵意を剥き出しにしていたあの時からは想像できない、人格の変貌に、しかしイタチは内心を見せることなく会釈する。

 

「ウム。君たちの間の事情は聞いている。だがこれからは同じギルドの仲間、ここらで過去の争いは水に流してはどうかと思ってな」

 

 豪快に笑うゴドフリーのテンションに、しかしその場にいた三人は今にも揃って溜息を吐きそうな雰囲気だった。

 

「一件落着したところで、そろそろ出発だな。だがその前に、今日の訓練は限りなく実戦に近い形式で行う。諸君等の危機対処能力も見たいので、結晶アイテムは全て預からせてもらおう」

 

 結晶アイテムは、攻略に身を投じるプレイヤーにとっては、緊急時の生命線である。唯一の離脱手段である転移結晶などが最たる例である。一般のプレイヤーが聞けば、無茶苦茶だと思われて当然のゴドフリーの指示に、しかしイタチを含めた三人のプレイヤーは文句を言うことは無かった。各々、ポーチにしまっていた結晶アイテムを取り出し、ゴドフリーが持っていた袋へ全て投入する。アイテムウインドウまで可視化して確認する徹底ぶりで、これでゴドフリー以外の三人は結晶アイテムの使用が完全にできなくなってしまった。

 

「よし、それでは出発!」

 

 準備は整ったとばかりに、五十五層のフィールド目指して歩き出すゴドフリー。それにクラディールが続き、さらにその後を、イタチとコナンも追うのだが……

 

「コナン、分かっていると思うが……」

 

「ああ、問題ない」

 

 前を歩く二人には聞こえない声量で言葉を交わし、すぐさま二人に追いつく。言葉と共に交わした視線は、常時では見ることのない、本気の目。「忍」と「探偵」としての目だった。

 

 

 

 

 

 主街区グランザムを出てから歩く事しばらく。ようやく、目的の迷宮区が近づいてきた。強豪プレイヤーのイタチが所属しているパーティーにしては、非常にゆっくりとした歩調である。原因は、パーティーを率いているゴドフリーが筋力特化型のプレイヤーであるからに他ならない。敏捷に特化したプレイヤーならば、フラストレーションを抱いても仕方の無いペースだが、誰一人文句を言わない。

 

「よし、ここで休憩!」

 

 迷宮区手前の安全エリアに入ったところで、ゴドフリーから休めとの指示が出た。メンバーは各々、手近な岩に腰かけて休み始める。

 

「では、食糧を配布する」

 

 そう言うと、ゴドフリーはウインドウを操作して革袋を四つオブジェクト化して、内三つをメンバーへと投げ渡した。中身は、水の入った瓶と、NPCショップで格安で売っている固焼きパンである。ゲーム攻略に際してはほとんど飲食をしないイタチだったが、貰った手前、食べないわけにはいかない。パンをひと齧りして咀嚼すると、瓶を傾けて水を飲む。ふと、視界の端に、メンバーの一人……クラディールの顔が映った。

 

その口元は、はっきりと歪んでいた――――

 

「うぐぅっ!」

 

「あがっ!?」

 

 そして次の瞬間、瓶を下ろしたイタチの視界に飛び込んできたのは、倒れ伏す二人のプレイヤー。ゴドフリーとコナンである。そして、異変はそれに止まらない。今度はイタチの視界がぐらりと傾いた。全身に力が入らなくなり、仰向けの状態で倒れる。視界左上のHPバーに点滅しているのは、麻痺のデバフアイコン。それが意味するところはつまり、クラディールを除くパーティーメンバー三人は、麻痺毒に犯されたということだ。

 

「クッ……クックックック……」

 

 そして、当のクラディールの方は案の定といったところか。押し殺しているようで、全く隠せていない笑い声を漏らしていた。そしてそれは、徐々に高笑いへと変わっていった。

 

「ヒャハハハハハハハハッッ!!」

 

 悪魔のような、不気味な笑い声を上げるクラディール。聞く者を戦慄させるようなその声に、麻痺で動けない三人はそれぞれ異なる反応を示す。

 

「ど、どういうことだ…………この水を用意したのは……クラディール、お前……」

 

「ゴドフリー!解毒結晶を使え!早く!」

 

 焦りを露に叫ぶコナンの声に、ゴドフリーは未だ現状を理解できないながらも、パーティーから回収した結晶アイテムを詰めた袋に手を伸ばすものの……

 

「ヒャッハァ――――!!」

 

 クラディールは、ゴドフリーが手を伸ばした袋を蹴り飛ばし、それを妨害する。ゴドフリーは未だに目の前で起こっている出来事が信じらない様子で、見当違いのことを呟く。

 

「クラディール…………何の、つもりだ?……これも……何かの、訓練……なのか?」

 

「ゴドフリーさんよぉ……馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、あんた筋金入りの脳筋だなぁ!」

 

 狂気を孕んだ嘲笑と共に、腰に差していた剣を抜くクラディール。そのまま振り上げると、ゴドフリーの背中目掛けて振り下ろす。

 

「ぐあぁっ!」

 

 プレイヤーによる、プレイヤーへの意図的な攻撃。これによって、グリーンだったクラディールのカーソルが、オレンジへと変化した。

 

「やめろ!クラディール!!」

 

 必至の形相で叫ぶコナンに、クラディールは狂気の笑みを顔に張り付けたまま振り返る。地面に倒れ伏すコナンを見るその顔は、面白くて仕方が無いとばかりに歪んでいた。

 

「コナン君よぉ……お前も、名探偵だなんだと呼ばれていた割には、大したことねえよなぁ!」

 

 嘲笑するクラディールに苛立ちが増すが、麻痺に犯された身では抵抗の手段は無い。一通りコナンを馬鹿にして満足したのか、クラディールは手に握った剣を再び振り上げる。

 

「いいか?俺達のパーティーはぁ……」

 

「ぐぁあっ!」

 

 再度振り下ろされる刃に、悲鳴を上げて震えるゴドフリー。クラディールは次に、標的をコナンへと切り替える。倒れ伏すコナンへ歩み寄り、先程と同じ様に剣を振り上げる。

 

「荒野で犯罪者プレイヤーの大群に襲われて!」

 

「うぅっ!」

 

 背中を斬り付けられる衝撃に、コナンは呻く。アバターに痛覚は無いが、攻撃を受けて走る衝撃と、それに伴って減少する己の命たるHPバーが減少する恐怖は耐え難いものがある。

 コナンの反応を楽しんだ後は、最後の標的――イタチへと目を向ける。

 

「ぐぅ……!」

 

「勇戦空しく三人が死亡!」

 

 目の前の命を脅かす存在であるクラディールから逃れんとして、身を捩じらせるイタチ。最強プレイヤーである筈のイタチが、自分程度の相手に手も足も出ない様が、余程痛快だったのか、先の二人以上に高笑いして剣を振り下ろす。

 

「がはぁっ……!」

 

「俺一人になったものの、見事犯罪者を撃退して生還しましたぁ!ヒャハハハハハハッ!!」

 

 自分以外のパーティーメンバー三人を殺害した後、帰還した際の事情説明で、そう答えるつもりなのだろう。筋書きを口にしたクラディールは、さらに高笑いを浮かべる。

 対するイタチは、平時では有り得ない焦りを表情に滲ませながらも、口を開こうとする。

 

「この毒……貴様、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の生き残りか?」

 

「ほほう……やっぱり、あの討伐戦で殺しまくったビーターは違うねえ!俺の正体どころか、毒の出所まで分かっちまうなんてなぁっ!」

 

 圧倒的優位にあることによる余裕故か、クラディールはハイテンションのままイタチの推測に答えると、左のガントレットを除装した。その腕にあったのは、漆黒の棺桶を模したタトゥーで、蓋にはにやにや笑う目と口。ずれた隙間からは、白骨の腕が飛び出している。見紛う筈も無い……殺人ギルド、笑う棺桶の紋章である。

 

 殺人ギルド『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』――――

 SAO最凶最悪の殺人ギルドとしてアインクラッドに君臨し、攻略組を含めた全プレイヤーを戦慄させたPK集団。PoHと呼ばれた、強大なカリスマと人心掌握術を持った人間によって纏め上げられたこの集団は、ただ只管『殺す』という目的のためだけに活動をしてきた。

 討伐戦が行われたのは、約二カ月前。攻略組と解放軍が同盟を組み、綿密な偵察を行った上で計画された作戦は、しかし内通していた何者かによって情報が漏洩していたために、迎撃態勢を整えていた敵勢相手に苦戦を強いられることとなった。討伐戦の末、攻略組プレイヤーは数人の死者を出し、笑う棺桶のメンバーはその倍以上の人数が命を落とす結果となった。

 

「この麻痺テクも、そこで教わったのよ。さて……そろそろ、止めと行くか。あと二人も残ってるわけだしなぁっ!」

 

「がはぁっ!」

 

 本格的に止めを刺すべく、再度剣を突き立てるクラディールに、しかしイタチは抵抗する術が無い。腹部に刃を突き立てられる不快な感触に、イタチの顔が苦悶に歪む。プレイヤーの命を示すHPの減少と相まって、その恐怖は測り知れない。クラディールは、窮地に陥り絶体絶命の状況にあるイタチの姿を見て、満足そうに笑みを深める。

 

「ほら死ね!死ね!死ねぇえ――――!!」

 

 クラディールの凶刃が、イタチの腹部を抉る。HPはイエローゾーンから、そろそろレッドゾーンへと突入しようとしていた。後少しでイタチはポリゴン片となって砕け散る。この世界からも、現実世界からも永久退場するのだ。その瞬間を想い浮かべ、恍惚の表情を浮かべるクラディール。イタチの死を信じて疑わなかった……そしてだからこそ、“それ”に反応できなかった――――

 

「オリャァァアアアア!!」

 

「んなっ!……ぐぁぁああっ!!」

 

 突如クラディールに襲い掛かり、その身体を吹き飛ばした強大な一撃。何者かの奇襲を受けた事を理解するのには、しばし時間が掛かった。谷間の岩壁に強かに打ちつけられ、砂煙を上げながら地面に落ちた後、イタチがいた方へと視線を向ける。そこにいたのは、黒い和風の装束に身を包んだ、大剣使いのプレイヤーだった。

 

「出てくるのが遅かったんじゃないか、カズゴ?」

 

「文句を言うな。証拠を押さえてから助けに来いっつったのはお前だろうが」

 

「イタチ君!しっかりして!」

 

 麻痺毒が抜けず、未だ地面に仰向けになった状態で、助けに入った者と軽口を叩き合うイタチ。大剣を持ったプレイヤーは、イタチとはよく見知った相手――攻略組プレイヤーのカズゴである。

 そして、カズゴに次いでイタチに駆け寄り、回復結晶を使ってレッドゾーンに突入しかけていたHPを回復したのは、血盟騎士団副団長にして、現在のイタチのパートナーとして行動を共にしている、アスナ。

 だが、現れたのは彼らだけではなかった。

 

「まあまあ。落ち着けよ、カズゴ。イタチが初めて俺達を頼ったんだ。いいじゃねえか、それくらい」

 

「ヨウの言う通りですね。それにしても……イタチも相変わらず、よくもまあ、こんな無茶なトラブルに飛び込みますよね」

 

 イタチのすぐ近く、麻痺で倒れたゴドフリーを介抱している、こちらも同じく攻略組プレイヤーの、ヨウとアレンの姿があった。

 先程突き飛ばされたばかりのクラディールは、突然の闖入者の登場に目を丸くして驚いていた。

 

「な、何故貴様等が……!?」

 

 予想していなかった事態に直面し、思考が働かない中でも、クラディールは剣を杖代わりにして立ち上がろうとする。だが、地に足を付いて、いざ立ち上がろうとしたところで、さらに思わぬ事態が彼を襲う。

 

「か、身体が……!」

 

 次の瞬間に襲ってきたのは、手足に力が入らなくなる感覚。そのまま地面にうつ伏せになって倒れ伏す。その様は、先程三人のプレイヤーが麻痺に陥った時のそれと酷似していた。

 そして、クラディールが視界の端に視線を走らせれば、自身に起こった異変を裏付ける予想通りのアイコンが点滅していた。

 

「ま、麻痺だと!?一体、誰が……!?」

 

「私よ」

 

 自身が麻痺に陥った原因を探ろうとするクラディールに答えたのは、いつの間に接近していた女性プレイヤー。砂煙の向こうから姿を現したのは、血盟騎士団ならば誰もが見知っている顔。ウェーブのかかった髪の彼女は、血盟騎士団所属の薬剤師プレイヤー、シェリーである。麻痺毒が塗られているであろう、緑色に光る刀身をもつナイフを片手に得意気な表情でクラディールを見下ろす。

 

「シェリー……何故貴様が!?」

 

「まだ分からないのかしら?あなた、罠に掛けたつもりが、逆に罠に嵌まったのよ」

 

 一瞬、シェリーの言葉の意味を理解できなかったクラディールだが、自らの置かれた状況を照らし合わせて、彼女が言わんとしているところをようやく悟るに至った。

 

「ま、まさか……!」

 

「そのまさかよ」

 

 得意げな表情で、シェリーはしてやったりと笑みを浮かべて答える。驚愕と絶望が綯い交ぜになったクラディールの表情を見て満足したシェリーは、すぐそこで倒れているコナンのもとへ歩み寄り、解毒ポーションを取り出し、飲ませる。

 

「あなたが殺人ギルドのメンバーだって言うことは、随分前から分かっていたことよ。ただ、証拠が不十分だったから今まで泳がせておいたけど、イタチ君が囮を買って出てくれたおかげで、こうして証拠を取り押さえることができたってわけ」

 

「ま、まさか……俺がそいつを狙うと分かっていて……!」

 

 イタチが入団して以降、PKするための機会を窺っていたことは事実である。だが、まさか自分が殺人ギルドの生き残りと内通していることまで突き止められていたとは、全く思わなかった。

 

「そういうことだ。お前の魂胆なんざ、ハナからお見通しだったってワケだ。俺達が罠に掛かれば、お前はべらべらと喋ってくれると思っていたが、まさかここまで上手く引っ掛かるとはな」

 

 麻痺が抜け、徐々に動けるようになったコナンの言葉。同時に、隣に立つシェリーは二つの結晶アイテムを取り出す。音声を録音するための録音結晶と、画像を記録するための記録結晶である。先程のクラディールの行動を全て押さえたアイテムである。

 絶望に顔を染めるクラディール。さらにそこへ、麻痺によって身体が動かない彼のもとへ現れたのは、先程まで致死寸前だったイタチ。殺害されそうになった時に見せた焦りの表情は演技だったのだろう。何事も無かったように、常の無表情へと戻っていた。

 

「残念だが、貴様はこれで終わりだ、クラディール」

 

「テメエ……この、ビーター野郎がぁっ!」

 

 悔しそうに吠えるクラディールだが、麻痺で動けず地に伏せている状態では、抵抗する術など無い。動けたとしても、この場にいるイタチ含む攻略組プレイヤー全員を相手に勝てる見込みも無い。

 殺人ギルドの生き残りたるクラディールの、完全な敗北。狂気の殺人劇に幕が下ろされた瞬間だった――――

 

 

 

 

 

 クラディールを拘束後、イタチ等攻略組は、その身柄を五十層に駐屯している軍のプレイヤーへ引き渡した。現場に居合わせていたカズゴ達は、クラディールを黒鉄宮へと護送する軍のプレイヤー達を第一層の黒鉄宮にある監獄まで見送るために別れた。そして現在、イタチを筆頭とした、現場に居合わせていた血盟騎士団メンバーは、先日の会議同様、ヒースクリフはじめとする幹部と共に会議室に集まっていた。

 

「まさか、クラディールが殺人ギルドのメンバーだったとは……すまなかったね、イタチ君。迷惑をかけた……」

 

「いえ、お気になさらずに。結果的に、死者は一人も出ずに事態は決着したわけですから」

 

 謝罪をするヒースクリフに対し、しかしイタチは皮肉をもって返す。イタチの小憎らしい言動に、ゴドフリーを含む幹部達は反論できず、不愉快そうな表情を浮かべる。

 

「しかし、監督不行き届きに止まらず、殺人ギルドのメンバーであることにすら気付かず、このような事態を起こしたのは事実です。俺としてはもうあなた達を信用することはできませんね」

 

 カズゴ達に待ち伏せをさせていた以上、最初からイタチにはクラディールの本性が分かっていた筈である。飽く迄無表情で、しかし白々しく話すイタチの態度に、幹部は苛立ちを募らせる。

 

「申し訳ありませんが、これ以上血盟騎士団に所属することは不可能です。今日をもって、ギルドからは脱退させていただきます」

 

 予想通りの申し出だった。イタチはクラディールの正体を暴くためだけに血盟騎士団への入団を承諾したのだ。だが、こうして目的を果たした今、これ以上所属する意味など無い。信用できないと言うイタチの言葉に、ヒースクリフ含め幹部たちは最早言い訳はできなかった。

 

「フム……ここに至っては、もはや言い訳などできんな。了解した。君のギルド脱退を承諾しよう」

 

 流石のヒースクリフも観念したのか、イタチをそれ以上引き留めるような真似はせず、素直に脱退に応じた。イタチがヒースクリフとのデュエルに臨んだ目的は、アスナに休暇を与えるかどうかである。そして、三日程度とはいえ入団した事によって、その条件は確約された。今にして思えば、最初からイタチはこれを狙って血盟騎士団に入ったのではないか、と考えてしまう。

 だが、イタチの要求は、それだけには止まらなかった。

 

「それからもう一つ。アスナさんに即刻、一時脱退の許可を出してください」

 

 イタチからの意外な要求に、アスナを含めたその場にいた全員が驚いた表情を浮かべる。ただ一人、ヒースクリフだけは覚悟していたようで、額に手を当てて瞑目していた。副団長の一時脱退など、そう簡単に認められる筈もなく、幹部数人が激発しそうになるのを宥めつつ、ヒースクリフがイタチに尋ねる。

 

「……確認までに、理由を聞かせてもらえないかね?」

 

「幹部に付けられていた護衛が殺人ギルドのメンバーだったのです。彼女のギルドに対しての不信は俺以上の筈。本来ならば、血盟騎士団に見切りを付けて完全に脱退されてもおかしくありませんが、彼女も責任ある立場です。籍だけは残して、しばらくギルドを離れさせて差し上げるべきだと考えました」

 

 今思えば、アスナは護衛と称された殺人鬼を四六時中連れていたことになる。女性であることも考えれば、精神的ショックは計り知れないだろう。加えて、護衛を指名したのは血盟騎士団幹部である以上、その不信は間違いなくイタチ以上であるのは間違いない。

 

「……分かった。アスナ君の一時脱退を認めよう。」

 

「なっ!?だ、団長!?」

 

 ヒースクリフの決定に、幹部の一人が異議を唱えようとする。だが、ヒースクリフは反論を一切認めず、決定を覆そうとはしなかった。それでもなお、食い下がる幹部に対して、口を開いたのは、

 

「お前ら、いい加減にしろ。あいつを護衛に指名した件は、ここにいる幹部全員の責任だろうが。それで脱退を認めねえってのは、勝手が過ぎんだろ」

 

 立ち上がって喚く幹部を、怒気の籠った声で制したのは、テッショウだった。足元に控えている使い魔の犬も、牙と共に敵意を剥き出しにしていた。

 今までに無いテッショウの剣幕に動揺した幹部たちは、ヒースクリフに無言のまま睨まれると同時に、着席した。

 

「ともかく、これは決定事項だ。イタチ君は脱退、アスナ君は一時脱退とする。彼女が脱退した後は、組織の腐敗を正さねばならんな……テッショウ君、よろしく頼んだよ」

 

「任せてください!」

 

 結局、イタチの要求すべてが罷り通ることとなった報告会。一部の幹部は未だに不満を露わにしていたが、今回ばかりはイタチの言い分が正しい。ヒースクリフの決定に従い、ギルド内の綱紀粛正を徹底する方針を明らかにすると同時に、会議はお開きとなった。

 

 

 

 

 

 血盟騎士団本部正面の通用門から出てくる人影。施設を使う血盟騎士団のギルドメンバーの、白地に赤で色取られたユニフォームではない、黒装束に額当てを付けた少年――イタチである。脱退を表明し、予定通りギルドマスターたるヒースクリフからも許可を得た彼は、本部で用事を済ませてから待ち合わせを約束していた人物のもとへ向かっていた。

 

「その様子だと、交渉は上手くいったようだナ」

 

「待たせたな、アルゴ」

 

 本部の門前でイタチを待っていたのは、メーキャップアイテムで顔にげっ歯類のヒゲを模したペイントを施した女性プレイヤーだった。イタチをはじめ攻略組全員にとっての御用達情報屋プレイヤー、鼠のアルゴである。

 

「トップギルドにレッドプレイヤーが紛れていた、カ。商売道具にすれば、かなり儲かったんだがナ」

 

「そんなことをすれば、攻略組が空中分解することはお前にも分かっているだろうが。言うまでも無いことだが……」

 

「分かってるヨ。こればかりはオイラも黙っとくヨ」

 

 咎めるようなニュアンスで釘を刺すイタチの言葉に、アルゴは常の飄々としたおふざけムードゼロの真面目な表情で答えた。常は金にがめつい情報屋としての面が目立つアルゴだが、攻略組に助力するまともな思考の持ち主であることには間違いなく、攻略組の団結に皹を入れるような真似はしないだろうというのがイタチの認識である。これで攻略組への影響が及ぶ心配は無いだろうと考えたイタチは、依頼していた案件についての確認を取ることにする。

 

「それより、奴の行方は掴めたのか?」

 

「……残念だけど、またどこかへ消えちゃったヨ。相変わらず、姿を隠して暗躍するのは上手いネ」

 

「そうか……」

 

 イタチがアルゴに調査を依頼したのは、今回のクラディールによる殺人未遂事件を裏で糸を引いて操っていた人物の行方である。アスナと七十四層攻略をした折、クラディールとデュエルをし終えた際にその気配を察し、今回の凶行を予測するに至ったのだが、いつもの通り姿を消してしまった。

 

「『地獄の傀儡師』……スカーレット・ローゼス。クォーターポイント攻略前に、とんでもない奴が現れたナ。聖竜連合のハジメは、攻略そっちのけで捜索を続けているケド、オイラの勘ではまず見つけられないヨ」

 

「『笑う棺桶』の殲滅戦の時に討ち漏らしたのは、痛恨のミスだな。乱戦だったとはいえ、奴だけでも確実に始末しておくべきだった」

 

「イタっち……」

 

「奴はPoHと並ぶ天性の殺人者だ。このまま野放しにすれば、いずれまた何かをしでかすだろう」

 

 この世界で決着が付くことは無く、現実世界まで持ち越しになるやもしれない。イタチの前世の忍としての直感が、逃れられぬであろう“赤い”殺人鬼達との戦いが未だ続くことを告げていた――――

 

 

 

 

 

 会議を終えたアスナは、イタチと言葉を交わすこともせず、その場で別れてギルド本部のとある部屋へと向かっていた。本来ならば、お礼か謝罪をしなければならないのだろうが、どうにも話しかけ辛かったのだ。

アスナがクラディールを罠に嵌める作戦を聞かされたのは、四人が本部を出てから少し経った頃だった。同じギルドに所属するシェリーに呼び出されて向かった場所に待っていたのは、カズゴ達攻略組プレイヤー。そのまま事情を説明されたアスナは、今すぐにイタチを助けに行かねばと衝動に駆られた。だが、今アスナが飛び出せば、作戦が台無しになると言い聞かされ、渋々承諾せざるを得なかった。いかにクラディールの化けの皮を剥がすことが目的とはいえ、イタチを危険に晒さねばならなかったのだから、アスナは胸が締め付けられる思いだった。

自分がもっと早くクラディールの本性に気付けていたのならば、イタチが危険を冒す必要も無かった筈。攻略指揮を預かる、副団長などという大層な肩書を持ちながら、何もできず、イタチを危険に晒してしまった自分に、アスナは果てしない無力感を覚えていた。

そんな遣る瀬無い思いを抱いて歩くこと数分。アスナは遂に目的の人物がいる部屋へとたどり着いた。扉をノックすると、「どうぞ」と素っ気ない声が返ってきた。アスナは僅かに躊躇いながらも、扉を開いて部屋へと入った。

 

「シェリーさん……」

 

 アスナを待っていたのは、血盟騎士団の薬剤師プレイヤー、シェリー。この部屋は、シェリーがギルドのメンバーに支給するポーション類を生成するための場所なのだ。部屋に置かれた机の上には試験管やフラスコがたくさん並んでいた。部屋の主であるシェリーは奥の椅子に腰かけていた。

 

「イタチ君からメールで話は聞いたわ。ギルドを抜けられるみたいだけど、やっぱり喜べないって顔してるわね」

 

 会議を終えたアスナがこの部屋へ来る理由について、シェリーは既に把握していた。アスナと然程年の差を感じさせない、精々十八歳くらいであろう容姿でありながら、年齢に不相応な聡明さを備えた彼女の言葉に、アスナはこくりと頷いた。

 

「……イタチ君のことをもっと知りたくて……私なりに、一生懸命やったつもりでした。けど結局、彼に迷惑をかけて、危険に晒して…………」

 

「そう……」

 

 アスナの独白に、シェリーは黙って聞き入っていた。最強ギルドの攻略の鬼として知られ、一時は狂戦士などと呼ばれた彼女だが、その実十七歳の少女なのだ。誰にも分かってもらえない重荷を背負う彼女にとっての相談相手は、同じギルドに所属する同性のシェリーただ一人だった。

 

「……もう、私には、イタチ君に会う資格なんて……無いんです」

 

「……本当に、それでいいの?」

 

 涙をぽろぽろ流しながら話すアスナに、しかしシェリーはいつも通りのクールな表情で、意見を述べていた。

 

「彼が未だに人との関わりを拒んでいるのは事実よ。今回のギルド入団も、クラディールを捕まえるためだけで、その後はすぐに脱退するつもりだったのは間違いないわ。」

 

 淡々とした口調で、しかし真剣な表情でシェリーは続ける。

 

「けどね、そんなことを繰り返していて、彼は大丈夫だと思う?あの子が他者と関わりを持とうとするのは、攻略時のパーティー編成の時くらい。あなたや私、他の攻略組プレイヤーもあの子の味方のつもりでいても、未だに彼をビーターとして蔑む人もいる以上、彼は私達の手を取ろうとはしない。一緒に戦っていても、彼はいつも一人なのよ」

 

「けど、私には何も……」

 

「なら、あなたはどうしたいの?」

 

 アスナの核心に触れるような問いを投げるシェリー。今までより深く踏み込んだ問いを投げる彼女の真剣な眼差しに、アスナは硬直する。

 

「あなたが彼にできることなんて、本当は何も無いのかもしれない……いえ、あなただけじゃない。私やマンタ君だって、アイテムや武器を提供できても、彼を本当の意味で支えることなんてできないわ。それは、皆同じよ」

 

「なら、やっぱり私は……」

 

「けどね、私を含めて誰も諦めてはいないわよ」

 

 再びネガティブ思考に陥るアスナを、シェリーは制して続ける。

 

「攻略組プレイヤーは皆、彼と共に歩こうとしている。彼がいくら拒絶しても、関わることを止めようとした子は誰もいなかったわよ。皆、彼のことを仲間と思っているからこそ、彼にしてあげられることを探しているのよ」

 

「……」

 

「何もできないのは、私も含めて皆同じよ。何もできないことを言い訳にするのはやめなさい。本当に彼のことを想っているのなら、打算で接するよりも、思ったままに、やるべきだと思ったことをやりなさい」

 

 叱りつけるようなシェリーの言葉に、アスナはただ黙って聞き入っていた。思えば、イタチには仲間と呼べる人間はたくさんいるのに、彼自身には何ら変化が無い。それは、彼等もまた、イタチを真の意味で支えるに至ってはいないのだろう。ならば、自分だけが無力感に打ちひしがれているのは甚だおかしい。

 

「……はい。シェリーさん、私、頑張ってみます!」

 

「……なら、やるべきことは分かってる筈よね?」

 

 意地の悪い笑みを浮かべたシェリーに、アスナは苦笑しながらも力強く頷いた。その後、礼を述べた後、アスナは部屋を出て、血盟騎士団本部をも飛び出した。何ができるかを考えるよりも、まず動いてみよう。シェリーとの対話を経て、そう思ったのだ。今まで引っ込み思案で、何をするにも躊躇っていたアスナに起こった、心境の変化である。

 向かう先は、黒の忍こと、イタチのホーム。もう一度、パーティーを組んで、一緒に攻略を行うのだ。断られたとしても、何度でも頼み込むつもりだった。彼の隣に自分が立つ事で、その孤独を埋めるのだ。そして、迷宮区にて実現できた、「黒と白の剣舞」――それを完成させることこそ、自分の目標なのだから。

 


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