ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

47 / 158
朝露の少女
第四十六話 彷徨える少女


2024年10月22日

 

 一万人のプレイヤーを虜囚として閉じ込めている監獄たるデスゲーム。残る階層は二十五層。現在の攻略組の戦いの舞台は、第三のクォーターポイントたる七十五層。攻略は迷宮区手前まで完了し、あとは偵察を繰り返してボス戦本番に臨むのみである。

これまでに無い強敵たるフロアボスとの戦闘を前に、緊張の張りつめたプレイヤー達。だが、攻略組代表のヒースクリフから思わぬ通告がなされた。

 

「休暇……ですか?」

 

「ウム」

 

 珍しく動揺した様子のイタチの問いに、しかしヒースクリフは毅然とした態度で答えた。

 

「クォーターポイントである七十五層の攻略の難易度は、これまでの比ではあるまい。そこで、私を含めた攻略ギルド代表者の会議の末、攻略組プレイヤー諸君には、フロアボス攻略戦に向けた準備期間が必要と判断された。よって、これから二週間、攻略組は活動を停止する」

 

 これまでの攻略において取られなかった措置でありながら、しかし会議の場にいたプレイヤーは誰一人として異議を唱えなかった。これまでに無い強敵を相手に準備期間が必要だというのも事実だが、同時に七十五層攻略戦を恐れていたことも事実だった。

 

「それでは、これより二週間、攻略活動の停止を命ずる。攻略組プレイヤー諸君は、各自自由に行動したまえ」

 

 ヒースクリフの言葉によって、その日の会議は解散した。この二週間という期間の間、攻略組プレイヤーは各々の判断で必要な行動を取るだろう。レベリングや装備をはじめ各種必須アイテムの確保にはじまり、精神整理のための休暇まで、選択は様々である。

 

(だが、二週間が経った時、この場から姿を消す人間もいるだろう……)

 

 この休暇を経た時に懸念される事態。それは、戦いに恐怖し、攻略組を脱退する人間の出現である。イタチは勿論、ヒースクリフや他の攻略組幹部も在る程度予想している懸念事項である。攻略を安全かつ確実に行うためには、一人でも戦力が欠けることは避けたいところではあるが、誰も敢えてそれを口にしようとはしない。この猶予期間はいわば、来るべき強敵との戦いに参加し得る人間を選抜するための、覚悟を試す通過儀礼なのだ。

 この二週間の葛藤を経て尚、死と隣合わせの戦場に残ることを選択したプレイヤーのみが、死闘に挑むに値するのだから――――

 

 

 

 

 

2024年10月30日

 

 二週間という猶予を与えられた攻略組プレイヤー達は、イタチやヒースクリフが予想した通り、レベリングや装備調達に向かう者が大部分だった。残りのプレイヤーは、死地に向かう前の最後の休息を各々のやり方で過ごしていた。アインクラッドに来て知り合った仲間達と過ごす者、最後の休暇を中層の観光名所で満喫する者など、時間の使い方は様々である。

 そして、当のイタチが取る行動はそのいずれでもない。現在のイタチのレベルは、『107』。安全マージンを超過し、ゲーム当初にレベル上限と思われていた『100』をも突破している。装備をはじめ、各種アイテムに関しても、ストレージと拠点の両方に常に十分な量を確保していたので、今更調達に動く必要も無い。スキルに関しても、武器系スキルをはじめ索敵・隠蔽といった補助系に関しても、熟練度は完全習得もしくはそれに近い値となっている。そして、忍として大戦に身を投じた前世を持つイタチには、死地に向かう覚悟を決めるための猶予など不要。よって、イタチはこの二週間するべきことは無い……手持ち無沙汰な状態にあるのだ。

 そんなイタチは、今、どうしているかと言うと――――

 

「……アスナさん、無理に付いてこなくてもよかったんですよ……」

 

「だ、大丈夫よ!私だって、役に立てるんだから!」

 

 腕にしがみ付く女性プレイヤーを伴い、深い森の中を進んでいた。今現在、二人がいるのは二十二層の外れにある森の中。彼に同行しているのは、七十四層攻略からパーティーを組んでいた女性プレイヤー、アスナである。

 

「しかし、よかったんですか?折角の休暇なのですから、もっと時間の使い道があったでしょうに……」

 

「イタチ君にだけは言われたくないよ!でも、よりにもよってこんな所に来なくてもいいじゃない……」

 

 目に涙を浮かべながら、イタチの腕を掴む手により力を入れるアスナ。その姿に、イタチはどう声を掛ければよいのか分からない。

他のプレイヤー同様、二週間の猶予を与えられた二人だが、この場所へ来たのはレベリングでも装備の調達でもない。ある依頼を果たすためなのだ。情報屋のアルゴ経由で寄せ得られた依頼とは、この階層に広まった、ある噂を確かめることだった。

 

 

 

その噂が出始めたのは、数日前のこと。二十二層の外れの森に足を踏み入れた木工職人が、『幽霊』を見たと言うのだ。話によれば、その木工職人プレイヤーは、森の中で暗くなるまで木材を拾い集めていたという。そして、いざ帰ろうとした時、近くの木の陰に潜む白い物体が目に入った。発見した当初は、モンスターかと思ったが、どうやら違ったらしい。それは、白い服を着た、長い黒い髪の小柄な少女。プレイヤーだろうと思った木工職人プレイヤーが視線を合わせたところ、その少女の頭上には、SAOのプレイヤーなら必ずある筈の、カーソルが無かったのだ。

 

 

 

これを契機に、二十二層にてカーソルの無い幽霊少女を目撃するプレイヤーが続出した事から、この森は気味悪がられ、誰も足を踏み入れていなくなったという。落ちている木材を独占するために、どこかのプレイヤーが仕掛けた悪戯なのか、それとも新手のオレンジもしくはレッドプレイヤーによる暗躍なのか……その真相は、誰にも分からない。この手の事件は、犯罪者プレイヤーを取り締まるアインクラッド解放軍の管轄だが、現在組織内部で激しい抗争が起こっているらしく、根も葉もない噂に人員を割く暇も無いという。そして、アルゴを通して白羽の矢が立ったのは、二週間の猶予を与えられ、実質手持ち無沙汰となっていたイタチだったというわけだ。

 

「ねぇ……まだ、着かないの?」

 

「……もう少しかかります」

 

 オレンジ、またはレッドプレイヤーが関与している可能性もあった依頼だったため、アルゴを通したこの依頼を引き受けることとなったイタチだったが、最初からアスナを同行させるつもりは無かった。

 

(全く……カズゴもヨウも、余計な世話を焼いてくれたものだ……)

 

 この依頼を受けるに当って、イタチはアスナとパーティーを組むつもりは無く、パーティー自体は休暇に入った時点で一時解散していたのだ。そもそも、この依頼はアスナではなく、カズゴとヨウにパーティー申請をするつもりだった。以前パーティーを組んで攻略をした時に聞いたのだが、二人には霊感と呼ばれる能力があるらしく、現実世界で幽霊を何度も見たことがあると言う。ヨウに至っては、実家が霊媒師を行っているという話だった。まさに、幽霊騒動を解決するのに適切な人選である。だが、二人はイタチの要請を断り、後日何故か依頼の話を知ったアスナが来てパーティーとして同行すると言いだしたのだ。この二人が要らぬ世話を焼いたことは明白だった。

殺人ギルドに通じていたクラディールを捕縛した一件以来、血盟騎士団を脱退したイタチだったが、アスナとのパーティーは継続中だった。これを申し出たのは、アスナ本人である。これに対し当初は困惑したイタチだったが、シェリーなど事件関係者の後押しを受けた末に承諾することにした。血盟騎士団への不信をアスナに適用することで断ることも可能だったが、これをすればシェリーをはじめ攻略組プレイヤーからの制裁が下ることは明らかだったため、実行に移す事はできなかった。そもそも、クラディールの一件に関して、アスナには何も伝えていなかった後ろめたさもあった。そして、アスナがパーティー申請を出したその日の内に、シェリーからアスナを無碍に扱うなと釘を刺すメッセージが届いたのだ。

クラディールのPK未遂事件によってイタチとアスナの関係が、ギクシャクしていたのは明らかだった。カズゴとヨウ、そしてシェリーは、そんな自分達二人の関係改善を図ってアスナを差し向けたのだと、イタチは思った。そのような経緯により、イタチとアスナはパーティーを組むことになった。組むことになったのだが…………

 

「ひっ!……今、何か動かなかった!?」

 

「……野生動物くらい、このエリアにもいますよ」

 

 この人選は完全にミスキャストである。リアルでアスナと同じ学校に通うイタチは、彼女が幽霊や怪談を大の苦手としていることを知っていた。学校の文化祭の際、お化け屋敷の視察だけは他の役員に任せていたことから薄々感じてはいたが、このSAOに入ってそれは確信へと変わった。ホラー要素の強い六十五、六十六層の攻略において、アスナが迷宮区攻略に出ることは無かったからだ。無論、イタチとて依頼の内容を教えていなかったわけではない。幽霊騒動が起きているということは念押しした上でパーティーを組むかの是非を問いかけたのだが、アスナは明らかに無理をした表情で依頼に同行する意志を表明したのだった。

しかし、話で聞くのと現場に立つのとでは事情が違う。幽霊が出没すると噂される森の中へ入って以来、アスナは怯えっぱなしだった。枝葉が音を立てる度に震え、涙目になるアスナを宥めるのに、イタチは一人苦労していた。そして、イタチの服の裾を掴み、びくびくした様子のアスナを伴って歩くことしばらく。ようやく、イタチは依頼にあった場所へと辿り着いた。

 

「ここですね……」

 

「な、何も、いないじゃない!ゆ、幽霊なんて……きっと、何かの見間違いだったのよ!」

 

 木々の枝が空を覆い隠すせいで、昼間にも関わらず薄暗い森の中。アスナは尚も声を震わせて強がっている一方で、イタチは索敵スキルを発動させ、周囲の木々の間に何かいないかと視線を走らせる。

 

「……何も、見当たりませんね」

 

「あ、当たり前だよ!やっぱり、ただの出まかせだったんだよっ!」

 

「そうかもしれませんね。もう少し辺りを調べたら一度引き上げ、夜中に出直してみましょう」

 

「ええっ!?夜にまた来るの!?」

 

「木工職人のプレイヤーが、幽霊らしき影を見たのは夜中です。ならば、同じ時間帯にここを訪れてみる必要はある筈です」

 

「そ、それは確かに、そうだけど……」

 

「……アスナさんは、無理に来なくてもいいですよ」

 

「そ、そんなことないよ!これくらい、平気だもん!うん!」

 

 先程まで、明らかに平気ではなかっただろうと突っ込みたくなるところを抑え、イタチはアスナを軽くあしらって周囲の探索を始める。アスナは、不満たらたらな表情で、しかしイタチからはあまり離れず周囲の草むらを探索する。

 

(幽霊か……本当にいるのか?)

 

 森の中を探索する中、イタチの頭にふとそんな疑問が浮かんだ。イタチのいた前世の忍世界にも、この世界同様、幽霊の話は多数あった。木の葉の暗部として、また暁のメンバーとして各国を巡って任務をこなす傍ら、その手の噂を耳にすることはよくあった。だが、現実問題として幽霊が存在するかどうかの可能性に関しては、この世界とあまり変わらない。いや、カズゴやヨウのように、幽霊を視認できる人間がいる分、こちらの世界の方が可能性は高いかもしれない。

 忍術においては、魂のみの存在となって肉体を離脱し、標的に憑依する「霊化の術」と呼ばれる術が存在する。また、かつて一度死んだイタチを現世に蘇らせた禁術「穢土転生」は、浄土にある魂を現世に口寄せする術とされている。これらの術の存在から、「魂」が存在することは間違いない。何より、イタチのリアルである桐ヶ谷和人の中身は、忍の世界から転生したうちはイタチのものなのだ。圏内事件を解決した折にも、殺された女性プレイヤーの姿を見ている。だが、今回の騒動が100%幽霊の仕業であるという確証は無い。

 

(まあ……もし本当に出てきたら、離脱するほか無いのだが……)

 

 イタチは幽霊の存在を半ば以上確信しているものの、怨霊として頻繁に出没するかについては懐疑的だった。今回の一件についても、完全否定はしてはいないものの、肯定・否定が五分五分といったところだった。捜索をしてみるまで分からないと考えてはいるが、今回の一件は幽霊の仕業ではなく、犯罪者プレイヤーの関与もしくはプレイヤーの見間違いだろうと内心で結論を出していた。万一、本物の幽霊が出現した際には、如何にイタチといえども対抗手段が無いわけなので、転移クリスタルで離脱するほか無いと考えている。尤も、とり憑かれるリスクなどは考慮してはいないのだが。

 

「イタチ君……もう、帰ろうよぅ……」

 

「……そうですね」

 

 辺りの茂みを一通り探索してみたものの、幽霊騒動の手掛かりとなるものは見つからず。アスナも涙目でイタチに帰ろうと訴えかけていたので、ここらで引き上げることにしようと考えるイタチ。腕にしがみ付くアスナを伴い、ぎこちない足取りで街に戻ろうと踵を返した、その時だった。

 

「!」

 

「?……どうしたの、イタチ君」

 

「今、何かがこちらを見た気配が……」

 

「な、何かって……!」

 

 イタチの言葉に戦慄するアスナ。ようやくこの不気味な森を脱出できると思った矢先に、最も恐れていた事態が起きたのだ。冗談だと言って欲しい……そう願うアスナだったが、傍らに立つこの少年がそんなことを言うキャラでないことは自分がよく分かっている。

一方、腕にしがみ付く力を強めるアスナを余所に、イタチは針葉樹の向こうの気配を感じた地点に視線を向けていた。赤い双眸に索敵スキル発動の光を宿し、森の中に潜む何かを探し出そうとする。しばらくすると、木々の向こうを横切る白い影を捉えた。

 

(あれが、噂の幽霊なのか……?)

 

 森の向こうに立つ白いそれは、明らかに人の形をしている。白い服を纏い、黒い髪を靡かせた小柄な少女。全ての特徴が噂に合致するそれは、自分達が探していた人物に間違いない。

 幽霊と思しき少女は、木々の間から姿を現すと、足を止めてこちらに顔を向けてきた。前髪に隠れてその表情は読み取れないが、自分をじっと見つめていることだけは分かった。

 

「ひぃいいっ……!」

 

 隣に立つアスナもまた、イタチの隣で索敵スキルを発動して少女の様子を見ていたのだろう。少女がこちらを見た瞬間、地面に蹲って震えだしてしまった。

 

「…………」

 

 イタチと少女の視線が交錯する。お互い、感情を読み取れない表情でありながら、互いの内心を探ろうとしているようだった。だが、それは長くは続かなかった。森の奥に立っていた少女が突如、地面に倒れたのだ。イタチは地面に倒れた少女をしばらく凝視していたが、やがて少女の元へと歩き始めた。

 

「ちょっ!……イタチ君!」

 

「あの子は幽霊ではなさそうです。近づいて確かめてみましょう」

 

 それだけ言うと、イタチは何の躊躇いも無く森の中を突き進む。アスナもまた、その場に一人残されることを恐れ、渋々付いて行くのだった。

 少女が倒れていたのは、イタチの居た場所から二十メートル程先の地点。イタチは少女から視線を離さず、しかし周囲への索敵も怠らず接近すると、尚も地面に倒れ伏している少女の傍らで膝をつき、少女を抱き上げる。

 

(NPC……いや、プレイヤーか?しかし、カーソルが出ない……)

 

 腕の中で気を失ったままの少女の様子を見たイタチは、疑問を浮かべる。NPCならば、この時点でクエストフラグが立つ筈である。もしくは、イタチが抱き上げたことによる、ハラスメント警告が出る筈なのだ。だが現在、少女に接触したにも関わらず、そのいずれも発生しないのだ。ならばプレイヤーなのだろうか。だが、いずれにせよ、頭上に在って然るべきカーソルが出ないことについて説明がつかない。

 

(NPCでもプレイヤーでもない……人の形をした、存在…………まさか!)

 

 イタチの中で導き出される答え。それは、このSAOというゲームの製作に関わった人間のみが知る情報である。その推測が当たっていれば、目の前に現れた謎の少女についても全て納得できる。ならば、自分がすべきことは……

 

「……プレイヤー、なの?」

 

 そこまで考えたところで、傍らに立っていたアスナによって思考は中断された。視線を少女からアスナの方へ移すと、イタチは口を開く。

 

「幽霊ではないことは確かですね。しかし、カーソルが出ないことが妙です」

 

「本当だ……何かのバグかな?」

 

 プレイヤー、NPCを問わず、この世界の動的オブジェクトには必ず付随する筈のカーソルが表示されないことに気付き、訝るアスナ。イタチは、自分が考え至った仮説については口にせず、目の前の少女の異常に関して知らぬふりをする。

 

「おそらくは、そうでしょう。それより、このまま放置しておくわけにはいきません。とりあえず、この階層にある俺の拠点へこの子を連れていきましょう」

 

 目の前の少女について、疑問に思うことは多いが、このまま森の中に止まるわけにはいかない。アスナはイタチの言葉に頷き、二人は少女を連れて森の出口を目指すことにした。

 

 

 

 イタチが二十二層にて購入した拠点は、主街区の外れに建てられている小さなログハウスだった。モンスターは出没せず、プレイヤーも滅多に訪れることのないエリア故に、嫌われ者のビーターの隠れ家として最適と判断して購入した拠点の一つだった。

血盟騎士団や聖竜連合といった大型ギルドは、その組織規模に応じた大型の拠点を必要とするため、購入するギルドホームは、大概が五十層以上から選ばれる。また、その他の攻略組プレイヤーに関しても、アイテムや装備の購入・点検の利便性等を考慮し、大型の主街区をもつ五十層のアルゲートのような街に拠点を置くのが主流となっている。故に、二十二層のような田舎町とも言えるエリアにおいて拠点を買う物好きな攻略組プレイヤーは、イタチくらいだった。

 

「うわー!ここがイタチ君のホームなんだ!いい眺めだねえ!」

 

 南側の窓を大きく開け放って身を乗り出し、その絶景を一望し、感嘆の声を上げるアスナ。そんな彼女の様子にイタチは内心でため息を吐く。

 

「アスナさん、今はこの子を寝室に運ぶ方が先決です」

 

「あ!ごめんごめん……ちょっとはしゃいじゃったね……」

 

 大人気ない行動を恥じつつ、イタチの後を追って寝室へと向かうアスナ。イタチはベッドの傍まで近づくと、抱きかかえていた少女をその上にそっと寝かせた。未だ目を覚まさない少女を心配しながらも、イタチは改めて考察を口にする。

 

「可能性としては、この子はプレイヤーであり、あの森の中に迷い込んでいたというのが一番有り得ることです。」

 

「でも、どうしてあんな所に……」

 

「事情は分かりませんが、見たところの年齢からして、恐らくは保護者がいる筈です。恐らくは、フィールドに出たところではぐれたのではないでしょうか?」

 

 ナーヴギアの年齢制限は、十三歳以上。無論、それを守らずにログインする子供もいるだろうが、それでも保護者に当る家族が共にログインしていると考えるのが自然である。

 

「そうだよね……見た感じ、十歳はいってない……八歳くらいかな?なら、保護者がいて当然だもんね」

 

「俺が出会ったプレイヤーの中でも、最年少なのは間違いありません。それより、この子の保護者がいる階層として考えられるのは……」

 

「はじまりの街、ね……」

 

 第一層主街区、はじまりの街。約一万人のプレイヤー達の死闘が始まった、このゲームにおける最初のステージである。基部として直径十キロという、浮遊城アインクラッドにおいて最も広大な面積を有する階層にあるこの街は、規模も他層の主街区とは比にならない程広い。中央広場は、デスゲーム開始宣告を行うに当って、約一万人のプレイヤー全員を収容できる程の広さだったのだ。

 現在は、かつては攻略ギルドに名を連ねていた、アインクラッド解放軍の本拠地が置かれている。その規模は、攻略組を抜けた現在も、アインクラッド最大の軍勢を擁するに至っている。そんな軍が統治する街には、フィールドへ出る事を諦めたプレイヤーが多数引き篭もっているため、人口もアインクラッド最多とされている。

 

「はじまりの街には、俺の知り合いがいます。連絡を入れ、明日にでも会って、この子の親を探してもらいます。それで駄目ならば、アルゴに連絡を入れ、新聞の尋ね人欄に載せてもらいます」

 

「そうね……それが妥当よね」

 

「ところでアスナさん。もうこの件からは手を引かれてはいかがですか?」

 

「えっ?それって……」

 

 今後の方針がまとまったところで切りだされたイタチの勧告に、アスナは思考が追い付かなかった。目を丸くするアスナをよそに、イタチは続ける。

 

「当初の目的である、幽霊騒動の原因と思しき少女を保護したのです。これで依頼は完了したも同然です。ここから先は、依頼とは関係無い人探しです。保護したのが俺である以上、探すのも俺が……」

 

「却下よ」

 

 アスナを気遣い、この一件から手を引くことを提案するも、きっぱり断られてしまった。予想はしていたことだが、改めて聞くと、溜息を漏らしそうになる。

 

「幽霊騒動は終わったでしょうけど、保護した以上は私もこの子に対して責任を持つべきだわ。保護者探しには、当然私も同行します」

 

「保護者を探すくらいならば、俺でも……」

 

「私もやるの!良いわね!?」

 

「……分かりました」

 

 保護した少女が、このSAOに囚われたプレイヤーの一人でなく、自分が想像している存在である可能性が微かでもある以上、アスナがこれ以上関わるのは、イタチの望むところではなかった。だが、森の中では終始恐がってばかりであまり役に立てなかったので、事後処理に相当する保護者探しで名誉挽回しようと考えているのだろう。この後の仕事から降りるようにというイタチの言葉を聞き入れる様子はまるで無かった。

ここ最近のアスナは例の如く押しが強く、言い出したら聞かないことが多い。意思が強くなったとでも言うべきなのか。とにかく、イタチにとって、以前より説き伏せるのが難しい人物となったのは間違いない。

そんなことを考えているイタチをよそに、アスナはイタチ所有のプレイヤーホーム兼倉庫として利用しているログハウスの中を見渡し、不服そうな表情を浮かべていた。

 

「このログハウス……中が殺風景過ぎない?」

 

「……もともと、持ち歩き切れないアイテムを収容するための倉庫としての用途で購入したホームですから、家具は必要最小限しか置いていません」

 

「それにしたって……そういえば、食べ物とかは置いてあるの?」

 

「……いえ、ありません」

 

 アスナの問いに、ばつが悪そうに答えるイタチ。アスナの反応は予想通り、不機嫌なものとなっていた。

 

「せっかく良いプレイヤーホームなのに……物置代わりに使うだけなんて、勿体なさ過ぎだよ!どうするの!食べ物が無いんじゃ、あの子が起きた時に困るじゃない!?それに、あの子が起きたらどうするのよ!あんな状態で森の中を歩き回ってたんだから、お腹が空いているのは間違いないでしょう!?」

 

「そうは仰られましても、俺は料理スキルを持っていないので……」

 

 アスナの問いかけに、嫌な予感を感じつつ答えるイタチだったが、予感は的中し、苛立ちを露にしたアスナの怒声がイタチへ降りかかる。だが、料理スキルを持っていないイタチには食糧アイテムを集める趣味など在る筈も無い。また、食糧アイテム自体が耐久値の消耗が激しいことから、モンスタードロップやトレジャーボックス経由で入手した場合には速やかに売り払っていたのだ。

 しかし、アスナにとってそんな事情は関係無い。子供を保護する目的のログハウスではないのに、何故こんな叱責を受けねばならないのかと理不尽な気持ちになるイタチをよそに、アスナの説教は続いていた。

 

「言い訳しないの!全くもう……しょうがないわね。私のホームから食材と道具を取ってくるわ。イタチ君は、この子を看ていてあげて」

 

「そんなことをしなくても、主街区で食糧を買えば済む話では……」

 

「良くないわよ!街で買った既成の食糧アイテムの耐久値なんて、一日もつかどうかじゃない。仮に明日あの子が起きたとしたら、今日これから買いに行っても、何も用意できないじゃない。まさか、街へ買いに行くまで待たせるつもりじゃないわよね?」

 

「……いえ、そんなつもりは…………」

 

「なら、あの子のことは任せるわ。私はホームに行くから、きちんと面倒を見ておくのよ。良いわね?」

 

「了解しました……」

 

 先程までの森の中で怯えた姿はどこへやら。フロアボスも泣きだすようなアスナの剣幕に気圧され、言われるがままになるイタチ。そこには、攻略組最強プレイヤーとしての面影も、万華鏡写輪眼を極めた強大なる忍の前世を持つ男としての面影も無かった。

攻略組プレイヤーの中では非常に高い情報力を持ち、攻略や戦闘に関する知識では誰にも負けないイタチだが、娯楽に関連した話題には無頓着な面が多々ある。特に食事に関しては、仮想の空腹感を解消するための『作業』と認識していたことから、食糧アイテムを摂取する回数は少なかった上、その場その場で食べて終わらせていたため、耐久値を気にすることは全くと言っていい程無かったのだ。そのような生活を続けてきたため、食糧アイテムに対する関心は皆無に等しく、これが話題となった際にイタチは情報面で脆弱さを晒してしまう傾向にある。特にアスナは、料理スキルをコンプリートした猛者である。イタチが敵う道理が無い。

 

(やれやれ……)

 

 日に日に自分に対して強硬になっていくアスナに、イタチは気疲れした様子で額に手を当てる。物怖じして他人の後ろに隠れる性格が直ったことは良い事なのだろうが、イタチとしては素直に喜べない。

 

(シェリーめ……余計なことをしてくれたものだ……)

 

 アスナの変化に一枚噛んでいるであろう、目つきの悪い欠伸娘の生意気な表情を想い浮かべ、嘆息する。負い目があったとはいえ、アスナとパーティーを組んだことを、早くも後悔し始めているイタチだった。

 

(だが、今はそんなことより……)

 

 イタチは、アスナの影がログハウスの外、森の向こうに消えた事を確認すると、思考を切り替えてその足を寝室へと向ける。部屋に設えてあったベッドの上では、先程森の中から連れてきた少女が深い眠りについている。その寝顔は、安らかとは言えない、どこか魘されているようにも思えた。

 

(もし、俺の考えが事実なら……彼女はこの世界に生きるプレイヤーの救いになるかもしれない…………)

 

 現状では、飽く迄可能性の話。だが、絶望の尽きないこの世界を必死に生きるプレイヤー達を救う手助けになる可能性。イタチはどうしてもそれを否定できなかった。或いは、それは自分にできないことだったからこそ、期せずして目の前に現れた、何ら確証も無い、希望とも呼べないものに縋り付きたかったのかもしれない。

 

(全く……この地獄を作り出したのは他でもない俺だというのに……)

 

 己のエゴを丸出しにして、少女に無責任な望みを託そうとする自分に、嫌気が差す。己一人で何もかもを背負おうとした前世を持っていたとしても、責任を転嫁しても良い理由になどなりはしない。それを自覚しても尚、自分では救い切れない物を救える希望を、イタチは信じずにはいられなかった――――

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。