ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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レッドギルドのパロキャラがまた暗躍しているようです。
まだ分からない方は、土曜夕方のアニメにご注目ください。


第四十七話 ユイ

2024年10月31日

 

 アインクラッド二十二層の外れにあるログハウス。朝の到来を告げる日の光が窓から差し込む中、腕を組んだ状態で椅子に座ったまま眠っていたイタチは、ゆっくり目を開いた。

 座ったまま眠るその姿には、隙と言うものが全く感じられない。索敵スキルと、前世にて培った忍としての危機察知力の両方を常時発動させることで、どれだけ微かな異常にも反応し、必要とあらば、即座に抜剣できるよう武器を傍らに立て掛けている。

 昨日、身元不明の少女を保護したイタチは、アスナと少女を寝室のベッドに寝かせ、自分はリビングに用意した椅子に座ったまま夜を明かすこととなった。

 

(結局……何も起こらなかったか……)

 

カーソルが無いという、バグとしか形容できない異常を内包した少女であり、プレイヤーと考えられるものの、その正体は一切不明。そのため、イタチは警戒レベルを最高まで引き上げていたのだ。だが、一晩経っても、忌避していたような異常事態は起こらず、取り越し苦労となった。

現在時刻は七時五十九分。あと十数秒で八時である。今日はあの少女の身元を探るために、はじまりの街へ行かねばならない。アスナにもそろそろ起きてもらおうと考え、イタチは椅子から立ち上がると、軽く伸びをして寝室へ向かおうとする。と、その時だった。

 

「!?」

 

 イタチの耳に、突然聞こえてきた声。否、人間が発する音に間違いないが、これは口を閉じた状態で鼻歌のように歌う――ハミングである。ほんの微かなメロディーだったが、イタチはそれを聞き逃さなかった。即座に音の出所を探ると、アスナと少女が寝ている筈の寝室に行き着いた。そして、新たな疑問が生まれた。

 

(馬鹿な……聞き耳スキルを持たない俺に、何故部屋の中の音が聞こえる……?)

 

 SAOのシステム上、扉のしまった部屋の中の音声は、外にいる人間には聞こえない。「聞き耳スキル」と呼ばれるスキルを習得している限りはその限りではないが、十二あるイタチのスキルスロットには、そのスキルは存在しない。故に、寝室の中から音声が聞こえるなど、有り得ないのだ。

 

(…………)

 

 警戒レベルを最大まで引き上げると、イタチは椅子に立て掛けていた剣を手に取る。それと同時に、俊敏な動作で、しかし一切音を立てずに寝室の扉へと近づく。想定外の事態に直面しても、イタチは冷静な姿勢を一切崩さない。迂闊に扉を開くことなどはせず、部屋の中の気配、とりわけ敵意・殺気に注意を払いながら、しかしこちらの存在は気取らせないよう、扉を開く。

 

(やはりハミングの出所は、あの少女か……)

 

 扉の隙間から部屋の中の様子を窺うが、緊急の危険が無い事は分かった。しかし、システム外の現象を起こしていることは間違いない。ベッドの上でアスナと並んでいる少女から視線を離さず、イタチは接近を試みる。そして、まずは傍で寝ているアスナを起こす。

 

「アスナさん、アスナさん、起きてください」

 

「んん……イタ、チ……君?……あれ、この歌は……!」

 

 隣でハミングを奏でる少女に気付いたのだろう。驚いた表情をするアスナの機先を制して、声を上げないよう無言で呼び掛ける。アスナにはベッドを抜け出て、イタチの隣に立ってもらった。薄手の寝間着姿のままだが、そんなことを言ってはいられない。

 

「イタチ君、これって……」

 

「これが聞こえたので、俺は部屋へ入ってきました」

 

「ちょっと待って……このハミング、私の起床アラームに合わせてるわ……」

 

「本当ですか?」

 

 またしても、疑問が生まれた。プレイヤーの起床アラームは、本人にしか聞こえないものである。隣で添い寝していたとしても、聞こえるものではないのだが、目の前の少女はそれに合わせているのだ。

謎ばかり増やす少女を前に、どうするべきかと逡巡するイタチだったが、先に動いたのはアスナだった。迂闊に少女を刺激するべきではないと言おうとするも、アスナはイタチの制止を掛けようとする様子に目もくれず、少女へと手を伸ばした。

 

「ねえ、起きて……目を覚まして」

 

 軽く揺すってのアスナの呼びかけに答えるように、少女の瞼がゆっくりと開かれていく。天井を見つめていた少女の瞳は、やがてアスナの方へ向けられた。

 

「よかった……目が覚めたのね。自分がどうなったか、分かる?」

 

 目覚めてみて、いきなり見知らぬ女性が現れれば、警戒心を露にするかもしれない。傍らに立っていたイタチはそう思ったが、幸い少女にはその様子はなかった。アスナの問いに対し、少女はふるふると首を横に振り、否定の意を表した。

 

「そう……お名前は?言える?」

 

「な……なまえ…………私の、なまえ……は、……ゆ、い……ゆい。それが……なまえ。」

 

「ユイちゃんか。良い名前だね。私はアスナ、この人はイタチよ」

 

 名前だけは言えたので、一先ず安心するアスナ。次いで、自分の自己紹介と、隣のイタチの紹介を行う。

 

「あ……うな。い……ち」

 

 たどたどしく、二人の名前を反駁する少女に、アスナは少々困ったような顔をする。イタチは相変わらずの無表情である。見た目からして、八歳程度かと思っていたが、見た目以上の幼さを想わせる口調だった。

 

「ね、ユイちゃん。どうして森の中にいたの?どこかに、お父さんかお母さんはいない?」

 

「…………分かん、ない……何にも、分かんない…………」

 

「そんな……」

 

 どうやら、アスナは少女に起こった事態を軽く見ていたようだ。森の中にいた理由はおろか、両親のことすら、何も思い出せないこの現状。おそらく、このユイと名乗った少女は、この世界に来て何か怖い想いをして、記憶喪失となってしまったのだろう。そう考えると、アスナにはどう接すれば良いのかわからず、また少女の事を想うと悲しくなってしまった。

 どう言葉を紡げばいいのか分からず、顔をそむけたアスナをフォローするべく、今度はイタチが口を開いた。

 

「ユイ……だったか」

 

「?……うん」

 

 少女を警戒させないよう、常の無表情を幾分か柔らかくするよう意識して声をかける。対するユイには、怯えた様子は無かった。

 

「俺はイタチだ。」

 

「い……ち」

 

「イタチ、だ」

 

 イタチの駄目だしに、ユイは難しい顔をすると、再び口を開いた。

 

「……いっち」

 

「…………難しいなら、好きに呼べばいい」

 

 言いやすいように呼ばせておくと、某鼠の情報屋のような名前で呼ばれかねないため、イタチは好きなように呼べと言う。多分、「お兄ちゃん」とでも呼ばれるのだろうと考えていたイタチだったが、次の瞬間にユイの口から出た言葉に硬直することとなる。

 

「……パパ」

 

「…………俺が?」

 

「あうなは……ママ」

 

 その言葉に、アスナもイタチ同様衝撃を受ける。どう答えるべきか逡巡するも、ユイの不安そうな表情を見ると、迷いは消えてしまった。

 

「そうだよ……ママだよ、ユイちゃん」

 

 その言葉を聞くや、先程までの不安そうな表情はどこへやら。満面の笑顔を浮かべ、瞳をきらきらと輝かせてアスナに抱きついた。

 

「――パパ!ママ!」

 

 いつの間にか父親にされてしまったイタチ。忍時代にも経験した事の無い事態に硬直していた思考をどうにか再起動させて、弁明するかのように言葉を紡ごうとする。

 

「……いや、俺は……」

 

「イタチ君」

 

 だが次の瞬間には、ユイの呼称を否定しようとした言葉を引っ込めることとなる。原因は、ユイを胸に抱くアスナが、イタチの方へ向ける“凄まじい笑顔”だった。笑っているようで笑っていない、威圧感満点のアスナの表情を前に、さしものイタチも口を開けない。

 

「……いえ、何でもありません」

 

「ならよかった。それじゃあユイちゃん、ご飯にしよう」

 

「うん!」

 

 何故こうなった、と心の中で唱えたイタチの問いに、しかし答える者は誰一人としていなかった……

 

 

 

 ユイが目を覚ましたところで、一同はリビングへ移動。アスナだけはキッチンへ向かい、朝食の支度を行う。イタチとユイは、昨日の間にアスナが購入してきたソファーに座って料理が来るのを待っていた。

その間、二人の間に会話は無く、ユイがイタチを不思議そうに見つめるだけだった。当初こそ『パパ』などと呼ばれて頭を痛めたイタチだったが、ユイと名乗る目の前の少女の精神を安定させることができるならば、仕方ないと割り切ることにしていた。こうして隣に座ってこちらの表情を眺めている以上、何か話でもしてやるべきかと思ったが、記憶喪失の少女相手に何を話せばいいのか、子守の経験に乏しいイタチにはまるで分からない。そもそも、イタチの知る父親とは忍としての父親であり、ユイが求めている、ごく普通のそれとは全く異なるものであることは間違いない。

イタチからするとやや気まずい沈黙が支配することしばらく、アスナが料理を持ってキッチンから姿を現した。

 

「はい、ユイちゃん、イタチ君」

 

 アスナがユイに用意したのは、甘いフルーツパイ。一方、イタチに用意したのは、サンドイッチである。挟まっている具材は、小麦粉などは使わず、塩を塗してシンプルに焼いた、脂気の無い魚と、キャベツに似た野菜。料理スキルを完全習得したアスナにしては、シンプルな料理である。

 

「アスナさん、これは……」

 

「全くもう……脂っこい料理が苦手なら、そう言ってくれれば良いのに。イタチ君ったら、本当に自分のことは何にも話さないんだから……」

 

 どうやってイタチの嗜好に関する情報を手に入れたのか、一瞬疑問に思ったものの、情報源はすぐに思い浮かんだ。

 

(エギルの奴……余計なお節介を……)

 

 イタチが料理に関する嗜好を話したのは、S級食材であるラグーラビットの肉を売りに掛けた時だけ。つまり、イタチの好みを知っているのは、食材を受け取ったプレイヤーであるエギルのみなのだ。おそらく、イタチとパーティーを組むに当って、得意の料理で友好関係を築くために、アスナに聞かれたのだろう。そのお陰で、好みの料理が出てきたのだから、嬉しいかと聞かれれば否定はできない。だが、本来ならば、アスナと自分は深く関わり合うべきではないと考えているイタチの心境は、複雑だった。

 

「……いただきます」

 

 溜息を吐きたくなる気分だったが、とりあえずは差し出された食事を口にすることにする。小麦粉等を使わずに作ったフィッシュサンドは、通常のものに比べて脂気が無く、イタチ好みのシンプルな味だった。

 

「……美味しいです」

 

「そう。よかった」

 

 無表情ながら、お世辞の無い率直な感想に、アスナは顔を綻ばせる。そんなイタチの反応を見て、ユイはイタチの更に盛られたサンドイッチに興味を示す。

 

「ユイ、これはお前が好きな味とは限らないぞ」

 

「う~……パパと同じのがいい」

 

「……そうか。なら、食べてみるか?」

 

 イタチが差し出したサンドイッチを手に取り、かぶりつくユイ。子供が食べるには、シンプル過ぎる味だと思われたが、ユイは嫌な顔をせず、もぐもぐと咀嚼した後呑み込むと、にっこり笑った。

 

「おいしい」

 

「……そうか」

 

 案外、ユイと自分は食事の好みは同じなのかもしれないと思うイタチだった。ユイはそのまま残りのサンドイッチを食べ終えると、ミルクティーを口にする。そこでアスナは、今日の予定を切りだした。

 

「ユイちゃん、午後はちょっとお出かけしようね」

 

「おけかけ?」

 

「ユイちゃんの友達を探しに行くんだよ」

 

「ともだち……?」

 

 不思議そうな顔をするユイに、アスナはどう説明したものかと若干戸惑いの表情を浮かべる。イタチに助力を乞おうかと考えたものの、彼は対人スキルに関しては当てにならないことは明らかである。

 

「お友達っていうのは、ユイちゃんのことを助けてくれる人のことだよ。さ、準備しよう」

 

 準備というのは、アスナの装備――正確には服――を外出用に切り替えることである。初冬の季節である以上、現在ユイが纏っているワンピースだけでは肌寒い。SAOで風邪をひくことなど有り得ないのだが、アスナとしてはこのままの恰好でユイを外へ連れ出すことはできない。そのため、ユイにウインドウを出してもらい、着替えを行おうとするのだが……

 

「……やっぱり、出ないなあ……イタチ君、どうすればいいと思う?」

 

 通常、SAOのプレイヤーは右手の指を振ることでウインドウを開く。だが、ユイにはそれができないのだ。バグと言えばそれまでだが、これは致命的過ぎる。アスナの問いかけに、イタチは数秒黙考してから、答えた。

 

「右手で駄目なら、左手を振ってみてはどうでしょう?」

 

「……単純だけど、試してみるしかないわね」

 

 イタチが考えたにしては、馬鹿正直過ぎるアイデアに思えるが、今は何であろうと試してみるほかない。アスナはユイに左手を振るよう指示して、実践してみると……

 

「でた!」

 

 嬉しさを隠さずに言ったユイの言葉に、アスナは呆気にとられてしまった。結局、イタチの考えは間違っていなかったのだが。

 

「ユイちゃん、ちょっと見せてね」

 

 いつまでもこのままでいるわけにはいかないと、思考を再起させたアスナは、ユイの右手を動かして、可視モードがあると思しき場所をクリックさせる。途端、ユイが開いたウインドウが、アスナとイタチにも見えるようになった。

 

「な……何これ!?」

 

 それを見たアスナは、驚きのあまり目を見開いて声を上げる。無理も無い。ユイのウインドウには、プレイヤーに付いていて然るべきHPバーもEXPバーが無かったのだ。各種コマンドボタンにおいても同様である。『アイテム』と『オプション』は存在するだけで、他のコマンドは見当たらない。そして何より目を引くのは、ユイのネーム表示だった。そこには、『ユイ/Yui-MHCP001X』と記されていた。

 

(やはり、彼女は……!)

 

 アスナの後でユイのウインドウを覗いていたイタチは、その情報によって、自身が考えていた仮説――彼女の正体に確信を持つこととなった。

 

(だとしたら、記憶喪失は何らかのバグ……権限を取り戻すには、やはり記憶も取り戻す必要があるな)

 

 やるべきことは変わらないと、行動方針を確認したイタチは、アスナを促す。

 

「疑問は多いですが、これもシステムのバグである可能性があります。とにかく今は、彼女の記憶を取り戻すことが先決です。早く準備をして、出発しましょう」

 

「……そうだね」

 

 アスナはイタチの言葉に頷くと、改めてユイのウインドウを操作する。アイテム欄を開かせ、予め用意していたセーターを格納、そのまま装備フィギュアへとドロップさせる。次いで、同系色のスカートと黒いタイツ、赤い靴を次々装備させていった。

 

「わあー……」

 

 おそらくは、これもアシュレイブランドだろうと思われる服装に身を包んだユイは、顔を輝かせ、両手を広げたりしている。自分のコーディネートが喜んでもらえたことに満足そうな顔をしたアスナは、改めて出かけるよう呼び掛ける。

 

「さ、じゃあお出かけしようね」

 

「うん。パパ、だっこ」

 

「……俺が?」

 

 屈託ない笑顔でせがまれ、再度硬直するイタチ。これから向かうはじまりの街は、解放軍のテリトリーである故に、どのようなトラブルに巻き込まれるか分からない。そのため、ユイの世話はアスナに任せて自分は緊急事態のためにフル装備状態で同行する予定だった。だが、ユイがこんなことを頼むとは流石に予想外だった。

 

「……アスナさんにしてもらえ」

 

 故にイタチは、ユイのことはアスナへ任せようとする。決して意地悪などではなく、ユイやアスナの安全を考慮しての提案したのだが……

 

「うぅ……」

 

「ちょっとイタチ君!」

 

 イタチに断られたユイは、目に涙を浮かべて今にも泣きだしそうだ。そんなユイの様子を見て、アスナはイタチへ非難100%の鋭い視線を突き立てる。女二人を相手に完全に悪者にされたイタチには弁明などできる筈もなく……

 

「……分かりました。ユイ、こっちに来い」

 

「わーい」

 

 泣く泣く、ユイの頼みを聞き入れることになってしまった。常の戦闘時と何ら変わらない、黒コートに額当てを纏ったイタチがユイを横に抱く様はかなり違和感があったが、本人は気にせず楽しそうに声を上げていた。

 

「アスナさんも武装をお願いします。第一層は軍のテリトリーですので」

 

「分かったわ」

 

 アスナはイタチの言葉に頷き、アイテム欄を確認した後、イタチと連れ立ってログハウスを出て行った。

 

 

 

 

 

 ログハウスを出て歩くことしばらく。主街区へ続く道中、三人は湖畔に何やらおかしな人だかりに遭遇した。

 

「パパ、あれ何?」

 

「む……何だろうな?」

 

 ユイが不思議そうな顔をして聞いてくるが、イタチも目の前の集団が何をしているのか分からない。だが、集まった人々が掲げている旗には、『がんばれニシダ』、『ヌシを釣れ』などと書かれている。

 

「ひょっとして、釣りの大会か何かかな?」

 

「おそらくはそうでしょう。しかし、俺達には関係ありません。先を急ぎましょう」

 

 そう言って、湖畔の集団の横を通り過ぎようとするイタチ。だが、

 

「パパ……」

 

 腕の中でイタチの服を引っ張るユイ。その視線は、湖畔の集団に向けられていた。

 

「ユイ……俺達には、行くべき場所があるだろう」

 

「うぅ……」

 

 イタチの言葉に対し、不満そうな顔をするユイ。先程は泣き脅しでこうして横抱きすることになったが、これ以上甘えさせるわけにはいかない。父親である以上――本人は認めていないが――イタチは心を鬼にすることも必要であると考えていた。

 

「ほら、行くぞ」

 

「ちょっと待って」

 

 だが、思わぬ人物がユイの援護射撃を始めた。声を掛けたのは、同行していたアスナだった。

 

「アスナさん……まさか、あの集団のもとへ行くつもりですか?」

 

「勿論、単に遊びに行くつもりはないわ。でも、二十二層に暮らしている人達が集まっているなら、ユイちゃんのことについても知っている人がいるかもしれないわ」

 

 意外な盲点を突かれ、押し黙るイタチ。尤もなことを言っているようだが、アスナも目の前で行われている釣り大会に興味があっての提案なのだろう。だが確かに、あれだけの集団ならば、ユイのことを知っている人間がいてもおかしくない。ユイの真の正体を知るイタチにとっては、彼女のことを訊ねるのは意味のある行為には思えない。だが、他のプレイヤーと触れ合う事で、ユイの記憶が戻る可能性が少なからずあることを考えれば、決して無駄な行動ではない。

 

「……分かりました。行きましょう」

 

 納得できない部分は多少あったものの、ここで反論すればまた悪者にされることは容易に予想できたため、アスナの提案にイタチは頷くほかなかった。

 

「ママありがとー」

 

「うん、ユイちゃん」

 

 笑顔で感謝するユイに、微笑むアスナ。仲良し親子モードの二人の姿に、イタチは完全に沈黙してしまっていた。そうして、三人揃って釣り大会の見物に向かうことになり、草原に腰かけている後方の集団に混じることとなった。

 

「それでは、次の挑戦者を募集します!誰か、筋力パラメータに自信のある方、いませんか!?」

 

 このイベントの主催者であろう、眼鏡をかけた初老の男性が、その場に集まっているプレイヤー達に呼び掛ける。どうやら、旗に記してあったニシダという名前のプレイヤーは、彼らしい。しかし、釣りの大会らしいことをしていて、何故筋力パラメータの高いプレイヤーを必要としているのか、見当もつかない。

 そんなことを疑問に想っていたイタチに、横から声が掛けられた。

 

「イタチ君なら、打って付けなんじゃない?」

 

 アスナの言葉に、イタチは内心で嘆息する。確かに、攻略組最強クラスに目されるイタチならば、適役だろう。二刀流というユニークスキルを持っている関係上、スピードタイプのプレイヤーでありながら、筋力値も攻略組の中では上位クラスである。

 

「いや、しかし……」

 

「パパ、がんばって」

 

 アスナに続き、ユイまでもが期待に目を輝かせてイタチを見つめる。イタチはこの手のイベントにはあまり参加したがらない性格である。だが、このままだらだらと時間が経過するのを待っているわけにもいかない。進展が無い以上、自ら行動を起こすほかない。それに、何らかのアクションを起こせばユイの記憶を戻す手助けになるかもしれない。

 意を決したイタチは、座っていた芝生から立ち上がると、プレイヤーを募っていたニシダのもとへと歩み寄る。途中、装備していた額当ては外しておくことにした。

 

「おや、この辺りでは見ない顔ですね。他の階層からお越しになったんですか?」

 

「……はい。イタチといいます。よろしくお願いします」

 

 実際、イタチはこの階層に拠点としているホームを持っていたのだが、普段は最前線の宿屋か五十層のアパートメントで寝泊まりをしている。そのため、他の階層から来たと言った方が表現としては当て嵌まっている。

 

「それじゃあイタチさん。あなたには、主釣りを手伝ってもらいましょう」

 

「……具体的には、何をすれば良いのでしょうか?」

 

「はい。まずは、私が竿を振るって、主をヒットさせます。イタチさんには、その後主を釣り上げてもらいます」

 

 先方を、釣りスキルの熟練度が高いニシダが務め、ターゲットである『主』をヒットさせた後、イタチが交代で前へ出て竿を取り、それを釣り上げる。要するに、釣り竿を使ってスイッチを行おうというのだ。

 

(……システム的には、不可能ではない、筈だが……)

 

 それは、スタッフの一人としてSAO製作に携わったイタチでも確認できなかったことである。ベータテスト当時は、戦闘用のソードスキルの調整に力を注いでいたため、武器系スキル以外の生産系・娯楽系のスキルに関しては、イタチの知らないことが多い。それをまさか、こんな所で試すことになろうとは、思いもしなかったのだが。

 

「それではイタチさん、行きますよ!」

 

 そう言うと、ニシダは竿を手に取り、糸の先に餌をセットする。餌の正体は、赤黒いトカゲ。大人の二の腕ほどはあろう大きさである。

 

(一体、どれだけの大物なんだ……)

 

 あれが餌だとすれば、狙っている『主』と呼ばれる魚の大きさなど想像もつかない。ひょっとしたら、魚などではなく、モンスターなのではと考えてしまう。

 

「それでは、行きますよ……そらっ!」

 

 ニシダの握った竿が勢いよく振るわれ、糸の先に付いた餌たるトカゲが湖へと投げ込まれる。アスナやユイをはじめ、見物に来ていたプレイヤー達の視線が集中する。ニシダの傍に立つイタチも、水面に垂れた糸の動きに集中していた。

 そして、数十秒後、突然、竿の穂先が水中へと深く引き込まれた。獲物がヒットした証である。

 

「掛かりました!あとはお任せしますよ!」

 

「了解」

 

 ニシダにタイミングを合わせ、竿を受け取る。

 

「!」

 

 握った竿は、凄まじい重さを伴っていた。攻略組として鍛え上げた筋力パラメータをもってしても、引き上げるのが困難な重さに、イタチは「主」と呼ばれる標的の難度を改めて思い知る。下手をすれば、竿ごと引き込まれかねないパワーが働く中、イタチはボス戦もかくやというパワーをゲインし、竿を引っ張る。基本がスピードタイプのイタチらしからぬ力技だったが、竿に掛かった獲物は確実に引き上げられている。水面に迫る影を見てそれを確信したイタチは、止めとばかりに一気に竿を引き抜いた。

 

「む……」

 

すると、あまりの重さとイタチの力に耐えられなくなった糸が、遂に切れてしまった。その様子に、その場に集まっていたギャラリーは落胆の声を出す。惜しいところまでいったが、これまでかと諦めの表情を浮かべる一同だったが、当のイタチだけは、竿を片手に水面を睨みつけていた。

 

「イタチ君?」

 

「パパ?」

 

 アスナとユイが訝るが、イタチは二人の方を振り向こうとはしない。何故なら、イタチが発動させていた索敵スキルは、水面に近付いていた影の正体が何かを完全に捉えていたのだから。

 

(来る……!)

 

 そうイタチが確信した途端、水面から浮上する。辺りに水を撒き散らしながら現れたそれは、全高二メートル超の巨大魚。体長に至っては、頭から尻尾にかけて七メートル以上はありそうだ。イタチの予想通り、『主』と呼ばれた魚の正体は、モンスターだったのだ。

 

「に、逃げろぉおおっ!」

 

「うわぁあああ!!」

 

 突然のモンスターの出現に浮足立つ一同。二十二層はモンスターのポップしないフィールド故に、この場にいるプレイヤー達の中には、装備を用意して来なかった人間が過半数である。そうでなくても、これほどの大型モンスターを相手できる程の実力をもったプレイヤーはいるまい。ただ二人の例外を除けば――

 

「イタチさん!早く逃げんと!」

 

 ギャラリーが逃げ惑う中、主を釣り上げた当人であるイタチだけは、その場に立ち尽くしたままだった。ニシダから渡された竿を地面に置くと、背中に掛けていた剣を引き抜き、モンスターに向けて構える。

 

「ニシダさんはそこでお待ちください。今、始末しますので」

 

 後方でイタチを心配して残っていたニシダにそれだけ言うと、イタチは剣を構える。ソードスキル発動のプレモーションである。対する魚型モンスターは、水中から陸へと上がり、イタチに向けて突進を仕掛ける。イタチはそれを確認すると、待機状態にしていたソードスキルを発動させた。

 

「ふっ……!」

 

「ギョォォオオオ!?」

 

 次の瞬間、イタチの剣から迸った光――ライトエフェクトによって、魚型モンスターの五体がぶつ切りにされる。四連続ソードスキル、『バーチカル・スクエア』である。イタチの繰り出した四連続斬りは、魚を下ろすかの如く見事に斬られていた。下ろされた魚の切り身は、地面に落ちると共にポリゴン片を撒き散らして消滅した。

 

「……」

 

 数秒足らずの戦闘にて、モンスターをソードスキル一つで撃破したイタチは、別に何でもないかのように剣を背に掛けた鞘へと納める。その後、アイテムストレージを開いて先程の巨大魚がドロップしたアイテムを取り出す。そして、未だに呆けた様子のニシダの方へ向かうとアイテムを差し出す。

 

「先程の主からドロップしたアイテムです。どうぞ」

 

「お、おお!……これはどうも。しかし、お強いんですなぁ……失礼ですが、レベルは如何ほどで?」

 

「……まあ、そこそこ高い方です」

 

 ニシダの言葉に、返答に窮するイタチ。正直にレベルを話せば、イタチが攻略組プレイヤーであることが間違いなくバレてしまう。ステータスについての質問は、マナー違反に該当する行為であるため、言葉を濁してもニシダがさらに問い詰めることは無い筈だ。そう考え、イタチは適当にはぐらかそうと試みる。と、そこへ、

 

「お疲れさま、イタチ君」

 

 それまでイタチの釣りと無双を見物していたアスナが、労いの声を掛けに近づいてきた。勿論、ユイを伴って。

 

「あれ、アスナさんじゃないか!?」

 

「間違いない……血盟騎士団のアスナさんだ!」

 

「どうしてこんなところに……」

 

 アスナの登場によって、ギャラリー達の先程までの沈黙はどこへやら。血盟騎士団副団長、閃光のアスナの名前は中層プレイヤーの間でも有名らしい。何故このような下層に、攻略組プレイヤーがいるのか、その理由は彼等には見当もつかないが、滅多に会えない超レアな人物に会えた喜びが勝ったらしい。見物人の男性プレイヤー達は一様に喜色を浮かべていた。

 

「ユイちゃん、凄かったね」

 

「うん、ママ。パパ、すっごーい!」

 

 だが、アスナの登場によるテンション上昇も、十秒ともたなかった。アスナをママ、イタチをパパと呼ぶ少女、ユイの登場によって、急速に低下する周囲の温度。硬直すること数秒……次の瞬間には、

 

「「「な、なにぃぃぃいいいいい!!!」」」

 

 湖全体を震撼させる、プレイヤー達の絶叫が木霊する。アスナとユイが驚愕に目を剥く中、イタチはまた一つ厄介事が増え、事情を説明しなければならなくなったことで、額に手を当てて非常に頭の痛そうな表情をしていた。

 


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