ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
2024年11月1日
はじまりの街へ来て早々、解放軍と刃を交えるという波乱の展開を経た翌日。子供達が昨日の夕食時同様に騒々しい朝食を摂っている傍ら、イタチとアスナ、サーシャとケンシンの四人がコーヒー片手にそんな光景を眺めていたそんな時。
来訪者は、唐突にやって来た。
「……誰か、教会の入り口にいます」
教会の敷地内へ入ったプレイヤーに、イタチの索敵スキルが反応する。
「おろ……誰でござるかな?」
「こんなに朝早くから来るなんて、一体誰かな?」
「とりあえず、行ってみましょう」
早朝の来訪者への警戒を怠らず、片手剣を携えてサーシャとケンシンを伴って入口へと向かう。
教会の正面入り口に向かったイタチを出迎えたのは、銀髪で長身の女性プレイヤー。髪型はポニーテールで、クールで整った顔立ちが印象的な人物。服装は、濃緑色の上着と大腿部がゆったりとふくらんだズボン。第一層に拠点を置く最大ギルド『アインクラッド解放軍』のユニフォームである。
その姿を確認したイタチは、剣を持つ手に力を込め、表には出さずに警戒レベルを上げる。しかし、隣に立つサーシャとケンシンは、全く警戒した様子が無い。
「イタチ殿、そう身構える必要は無いでござる」
「何?」
「大丈夫ですよ。この人は軍の人でも、私達の知り合いですから」
ケンシンに続き、サーシャからも警戒を解くよう促され、剣を下げるイタチ。冷静に話し合いができる状態になったことを見計らって、サーシャとケンシンは、来訪者たる軍のプレイヤーを教会の中へと招き入れた。
来訪者を連れて教会へと入った三人は、子供達が朝食を摂っていた大広間へと入る。軍のプレイヤーの姿を見て警戒を抱く子供達に、サーシャは落ち着くよう促した後、奥の部屋へと向かって行く。途中、広間の隅の方のテーブルにいたアスナとユイも連れて行った。関係者のみの話し合いであるため、ユイには泊まっている部屋で待たせておくつもりだった。だが、やはりアスナやイタチと離れるのが嫌なのか、付いて行くと言って聞かなかった。
何はともあれ、六人揃って?の話し合いが、はじまりの街の教会奥の一室で行われることとなった。
「はじめまして。ユリエールです。ギルドALFに所属してます」
「ALF?」
「Aincrad Leberation Force……つまり、アインクラッド解放軍の略です」
イタチの説明に、成程と頷くアスナ。正式名称を口にしたイタチに、ユリエールは苦笑する。
「すみません……どうもその名前は苦手で……」
「そうでしたか……申し訳ありません。挨拶がまだでしたね。俺はイタチ。ソロプレイヤーです」
「私はギルド血盟騎士団所属のアスナといいます。この子はユイです」
イタチの謝罪と共に、遅れた挨拶をする二人。アスナの所属を聞いたユリエールは、得心したように頷いた。
「KoB……成程、徴税部隊では敵わない筈です」
徴税部隊というのが、昨日イタチとケンシンが共闘して追い払ったメンバーであることを悟ったイタチの視線が、僅かに細められる。
「つまり、昨日の件で抗議に来た、ということでしょうか?」
「いやいや、とんでもない。その逆です。よくやってくれたとお礼を言いたいくらいです。」
ユリエールの言葉の意味を察しかね、顔を見合わせるイタチとアスナ。サーシャとケンシンは苦笑いするばかり。そんな中、ユリエールは、早朝に教会へ出向いた理由たる本題を切り出す。
「今日は、お二人にお願いがあって参りました」
「お願い?」
真剣な表情で口を開いたユリエールに、イタチとアスナも佇まいを直して聞き入る。
「もともと私達は……いえ、ギルドの管理者シンカーは、今の様な、独善的な組織を作ろうとしていたわけじゃないんです。ただ、情報や食糧などの資源をなるべく多くのプレイヤーで均等に分かち合おうとしただけで……」
「だが、軍は巨大になり過ぎた」
イタチの言葉に頷くユリエール。解放軍が現在のような、アインクラッド最大のギルドへと肥大化した経緯については、この場にいるユイを除く人間のみならず、現在生存しているプレイヤーのほとんどが知っている。
軍が巨大化した契機となったのは、二十五層攻略において発生した、大規模MPK事件。当時攻略ギルドに名を連ねていたアインクラッド解放軍のサブリーダー、キバオウが、偽の攻略情報を与えられて無茶なフロアボス攻略に走り、十名以上の死者を出した、ゲーム攻略における史上最悪の事件。
主犯は、PoHと呼ばれるプレイヤーであり、後にアインクラッドの全プレイヤーを戦慄させた殺人ギルド『笑う棺桶』のリーダーだった。当時、攻略とは無関係の別件でPoHの行動を偶然に知り得たイタチは、紆余曲折を経てフロアボスを打倒した後、報復に向かうキバオウを追跡してPoHと邂逅。その場にいた他のオレンジプレイヤーを交えた戦闘の末、十名ほどの共犯者を捕縛することに成功するも、主犯のPoHと取り巻きであり、後に『笑う棺桶』の幹部となるプレイヤー二人は逃がしてしまったのだった。
事件後、PoHに騙されて多大な犠牲を払ったとして、キバオウは、責任は全て自分にあると発表し、解放軍脱退はもとより、今後一切攻略組には関わらないとした。だが、既に事態はキバオウの脱退で済まされる程度のものではなかった。解放軍は攻略組内部で完全に信用を失い、遂にギルド事態が攻略組脱退を余儀なくされたのだ。
攻略組を追われた軍は、ディアベルをリーダーとして、その活動方針を攻略から治安維持へと変更。第一層に拠点を置いていたギルド『MTD』を取り込んで体勢を盤石化。黒鉄宮に本拠を置いた治安維持組織と化したのだ。ちなみに、脱退を表明していたキバオウは、第一層に本拠を移した後に軍へと復帰した。二十五層で大惨事を引き起こした人物ではあったものの、初期の攻略から参加していた古参であった故に、人望も厚く、復帰に際して抗議を上げる人間は然程いなかった。やがて、ゲーム攻略が五十層以降に差しかかると、軍は各層に拠点を設けて犯罪者プレイヤーへの監視と取り締まりを強化していった。そして現在、ディアベルやキバオウをはじめとした実戦部隊の大部分が上層の拠点へ出払っている間、本拠である第一層では、組織内の問題が頻発していた。
「犯罪者の取り締まりを行うディアベルやキバオウが上層に出払っている中、ここ第一層では内部分裂が続きました。そんな台頭してきたのは、ヨロイとツルギという二人のプレイヤーでした」
苦々しい表情で軍内部の実情を口にするユリエール。今口にした二人のプレイヤーには辟易している様子が見て取れた。
「ヨロイ・ツルギ一派は権力を強め、効率の良い狩り場の独占をしたり……調子に乗って、徴税と称した恐喝まがいの行為すら始めたのです。しかし、ゲーム攻略を蔑にする二人を批判する声が大きくなり、ヨロイとツルギは配下の中で最もハイレベルのプレイヤー達を、最前線に送りだしたんです」
「それって、もしかして……」
「間違いなくコーバッツ中佐、でしょうね……」
イタチとアスナには、ユリエールの説明に思い当たる節があった。七十四層攻略時に出くわした、解放軍のコーバッツ中佐と名乗った男が率いていた大部隊。当時は、何の前触れもなく攻略に参加してきた彼等の真意がまるで分からなかったが、彼等の上司が権力を維持するために攻略最前線で手柄を立てようと考えたのであれば、納得できる。
「パーティーは敗退、犠牲者二名を出し、攻略組プレイヤーからも抗議を受けるという最悪の結果に終わり、コーバッツ中佐は謹慎を申し渡されました。また、ヨロイとツルギは強く糾弾され、もう少しで彼等をギルドから追放できるところまでいったのですが……」
ここからが本台なのだろう。ユリエールの真剣な表情に、苦悩と悔恨が入り混じり始めた。
「追い詰められたヨロイとツルギは、シンカーを罠にかけるという強硬策に出ました。シンカーを……ダンジョン奥深くに置き去りにしたんです……!」
その言葉に、アスナとサーシャ、ケンシンは驚愕を露にする。イタチは僅かに目を細めているのみだが、内心は怒り心頭だろう。
「転移結晶はどうしたでござるか?」
ケンシンの問いに、しかしユリエールは首を横に振るのみだった。信じられないとばかりに今度はアスナが声を上げる。
「まさか手ぶらで!?」
「彼は良い人過ぎたんです……ヨロイとツルギの、丸腰で話し合おうという言葉を信じて……」
回廊結晶の出口を、高難易度のダンジョンやモンスターの群れが潜む危険地帯に設定して、プレイヤーを放りだす、『ポータルPK』と呼ばれる手法である。組織内で対立する人物との対談ならば、一般プレイヤーの命綱である転移結晶くらいはもって置くべきだが、それを敢えてしなかったとなれば、文字通り「良い人過ぎる」のだろうが、事態はそれで済まされるわけではない。
「それは、いつのことでござるか?」
「……三日前です」
「三日も前に……それで、シンカーさんは?」
現実世界なら、三日も飲まず食わずの状態が続けば、確実に餓死してしまうだろう。だが、ゲーム世界であるSAOにおいては飢えや渇きがあっても死に至ることはまず無い。問題は、精神の方だろう。
「何故、すぐにディアベルやキバオウに連絡を取らなかったんですか?彼等に知らせれば、その二人を逮捕し、シンカーさんを救出することもできたでしょうに」
「私が彼の行方を知ったのは、昨晩のことだったんです。勿論、上層にいるディアベルに連絡を入れようとはしました。しかし……よりによってこんな時に、二人ともキャンプ狩りで明日の夕方までダンジョンに籠っているとのことで……」
治安維持に努めるアインクラッド解放軍といえど、全く狩りを行わないわけではない。活動資金を集めるため、定期的に、他のプレイヤーの活動を阻害しない程度に短期の狩りを行うのだ。しかし、よりにもよってこんな時期とは、本当にタイミングが悪い。
「黒鉄宮の生命の碑を確認したのですが、まだ存命でした……恐らく、安全地帯にいるのでしょう。しかし、ダンジョン内部ではメッセージは送れず、ギルドのストレージにもアクセスできません。これも全て……副官である私の責任です」
ヨロイとツルギの暴走を止められず、シンカーを危険に晒しながら何もできない自分の無力さに沈痛な表情を浮かべるユリエール。
「ダンジョン自体もかなりハイレベルで、とても私一人では突破できませんし……ヨロイとツルギが睨みを利かせる今、身動きは取れず……上層の部隊にも彼等の一派がいる可能性を考えると、助力を当てにはできません」
そこまで言われれば、イタチ等もユリエールが何を言いたいかを察することはできる。意を決して顔を上げるとイタチをまっすぐ見つめる。
「そんな中、昨日、ケンシンさんと同等以上に恐ろしく強いプレイヤーが街に現れたという話を聞き付け、いてもたってもいられずに、お願いに来た次第です。イタチさん、アスナさん、ケンシンさん……どうか、私と一緒にシンカーの救出に行ってください」
絞り出す様な声で三人に助力を懇願するユリエール、をアスナ、イタチ、ケンシンは三者三様の反応を見せる。ケンシンはシンカー救出に動くことを躊躇う様子は無い。アスナの方も、助けには行きたいものの、裏付けが必要と考える故に首を縦に振ることができない。イタチはといえば、ユリエールの話が始まってから終始無表情のまま。腕を組んだ姿勢のまま、考え込んでいる様子ではあるが、その真意は窺えない。
「無理なお願いだということは、私にも分かっています。でも、彼が今どうしているかと思うと、もう……おかしくなりそうで……」
無言ながら、三人の意見が纏まらないことと、その理由を察し、席を立ち上がって涙ながらに助力を乞うユリエールに、アスナは複雑な表情を浮かべる。一方のイタチは救出作戦について今も尚思考を走らせる。
(嘘を言っているようには見えない……救出に赴くのも吝かでは無いが……)
解放軍の暴走を看過し続ければ、他の階層にまで飛び火する可能性は高い。クォーターポイントという巨大な壁を前に、解放軍内部で動乱が起こることは避けたい。故に、シンカーの救出は必須であり、騒乱の火種たるヨロイとツルギなるプレイヤーは早急に排除せねばならない。となれば、救出に出向く以外の選択肢は無いと思われるが……
「だいじょうぶだよ、ママ。その人、うそついてないよ」
どうすべきかと一同が決めかねている中、口を開いたのは、この場では最年少のユイだった。その言葉遣いには、先程までのような幼さは全く無かった。
「ユ……ユイちゃん……そんなこと分かるの?」
「うん。うまく言えないけど……分かる」
(恐らくは、本当に分かるのだろうな……)
現時点でユイの正体を知るただ一人のプレイヤーであるイタチは、ユイがユリエールの内心を知ることができた真の理由を知っている。だが、今はそれを口にするわけにはいかない。イタチがおよそ真実と断定しているそれを話せば、ユイがママと慕うアスナは混乱する。ユイをどのように見ればいいのか、距離感に戸惑うことは必須である。
そして、それはユイ自身にも飛び火する。自分という存在を認識できず、父母と呼ぶイタチとアスナが自分から遠退くかのような錯覚を覚えるだろう。その先に待つのは、ユイという人格の崩壊――――
(俺だけが真実を知りながら、ユイを守るという名目のもと皆に本当のことを知らせず……その実、ユイを利用しようとしている)
イタチとて、自分が最低な行為をしているという自覚はある。ユイの正体を考えれば、罪の意識を覚えることではないし、この程度のことは前世の忍時代に数えきれないほどやってきた。
ならば、やるべきことは変わらない。ユイが全てを思い出し、同時に自分の真意を知ることで、アスナからも軽蔑されたとしても……彼女はこの世界を生きるプレイヤーの希望になり得る存在ならば、自分に向けられる侮蔑は甘んじて受けよう。イタチはそう考えた。
「パパ……」
そんな考えに耽る内心までも悟られたのか、ユイが心配そうな顔でイタチの顔を見つめてきた。それに気付いたイタチは、すぐに顔を上げて行動方針を下す。
「そうだな……解放軍の暴走は明らかであり、リーダーがダンジョンに囚われている状態ならば、救出に出向く以外に手段は無い。その依頼、引き受けましょう」
「あ、ありがとうございます!」
イタチの言葉に、深々と頭を下げて礼を言うユリエール。隣に座るケンシンはイタチの決断に笑みを浮かべている。反対側に座るアスナは戸惑った様子ながら、ユイの後押しもあったためか、行くことにはもう迷いは無いようだった。
「ケンシン。お前、今レベルはいくつだ?」
「68でござる」
本来、SAOにおいて他人のステータスを詮索する行為はマナー違反である。だが、共にパーティーを組んでダンジョンに乗り込む以上は確認しなければならない事柄だった。
「ろ、68って……攻略組とまではいかなくても、第一層で活動して上げられるレベルじゃないじゃないですか!?」
「そうでござるな……教会の子に、少しでもまともな暮らしをさせたかったため、上層にもちょくちょく行っていたおかげでござるよ」
第一層在住のプレイヤーとしては破格のレベルに、アスナが驚きの声を上げる。対するケンシンは、照れくさそうにしていた。
イタチを含めた一部のプレイヤーのみが知ることだが、ケンシンは元ベータテスターだった。その実力は、監視者としてプレイしていたイタチが強豪プレイヤーとしてマークしていた程のものだった。よって、攻略組とまではいかずとも、一歩手前の上層プレイヤーに相当する実力はあるとイタチは踏んでいた。
「ユリエールさん、シンカーさんが閉じ込められたダンジョンの難易度は如何程のものですか?」
「確か……六十層相当だったと聞いています」
「なら、問題は無いな。シンカーさんの救出には、俺とケンシンの二人で行きます。ユリエールさんには案内をしてもらいましょう」
「ちょっとイタチ君、私も行くに決まってるでしょ!?」
この期に及んで、イタチがまた自分をハブにしようとしていると考えたのか、アスナが抗議の声を上げる。しかしイタチも予想していたのか、いつも通りの落ち着いた様子でアスナを説得にかかる。
「アスナさんには、ここに残ってもらわねばなりません」
そう言って、イタチは視線で、アスナがここへ残らねばならない理由を指し示す。イタチの赤い双眸が示したのは、現時点で自分達の娘として扱われている少女、ユイだった。
それを見て、アスナは得心したように頷いた。イタチとアスナが救出へ赴くこととなれば、ユイが一緒も一緒に行くと言い出しかねない。記憶喪失という事情も考慮に入れれば、二人の内どちらかが残る必要はあるだろう。
イタチはさらに、理由を説明していく。
「解放軍と刃を交えてから一日が経過した現在、暴走状態の連中がこの教会に対して何らかの報復行為をする可能性が少なからずあります。圏内とはいえ、サーシャさん一人では有事の際に対処し切れない可能性がある以上、アスナさんには残っていただきたい」
「……分かったわ」
最初は反論しようとしていたアスナだったが、ユイのことを考えればそれも止む無しと判断したのだろう。尤も、ユイの世話をする役目に関して、イタチに任せることなどできないと判断したのが理由としては大きいのだが。
「それでは、出発しましょう。ユリエールさん、案内をお願いします」
「はい、分かりました」
それだけ言うと、イタチとケンシン、ユリエールは席を立って教会の出口へと向かう。アスナとユイ、サーシャも三人の見送りに立った。
「パパ、がんばってね」
「……ああ」
教会の入り口で手を振りながら見送るユイに、イタチは短く答え、軽く手を振って返すのだった。やがて三人の影が街の奥へと消えて行くのを見届けると、アスナ達三人は教会の中へと踵を返す。
「私はお先に。早く戻らないと、あの子たちがまた何かやらかすんじゃないかと心配なので……」
「あ、分かりました。さあ、ユイちゃん。教会の中で、パパを待ってようね」
「うん!」
速足で教会に戻っていくサーシャを見届け、ユイもアスナに手を引かれて教会の中へと向かって行く。
その後ろ姿を向かい側の街路樹の影から密かに見つめる、男の存在に気付かずに…………
アインクラッド第一層、はじまりの街の最大施設、黒鉄宮。文字通り黒光りするこの巨大な建物は、かつてベータテストにおいては死に戻りの場所とされていたが、デスゲームと化した現在は、プレイヤー全員の名簿である生命の碑が置かれている。ここまでは、一般プレイヤーも墓参り等の事情で出入りは自由なのだが、建物の奥の大部分は解放軍が占領してしまっている。
ユリエールを先頭とした三人は、その地下へと続く回廊へと入っていた。
「まさか、第一層にそんなダンジョンがあろうとは……ベータテスターである筈の拙者も知らなかったでござるよ」
「上層の攻略の進み具合によって解禁されるダンジョンなのだろう。しかし、第一層に六十層相当の難易度とは、流石に俺も想像していなかったがな」
「お二人が知らないのも無理はありません。ヨロイ達は、このダンジョンを発見した後、独占を試みたようです。しかし、あまりの難易度に踏破することはおろか、モンスターの撃破すら敵わず、長らく放棄されていたとのことです」
苦笑しながら説明するユリエール。話を聞いているケンシンは同じく苦笑し、イタチは無表情ながら内心では軍に対して大いに呆れていた。
「成程……しかし、モンスターとの戦闘すら儘ならなかったとなれば、相当な量のポーションや転移結晶を消費した筈であろう。もしや、軍が徴税を行うようになった原因の一端となっているのではござらんか?」
「在り得る話だな」
ケンシンの推測に、間違いないだろうと確信するイタチ。独占しておきながら、レベルが及ばぬ難易度故に放置していたダンジョンを、よもやPK――それも、上司を抹殺するため――に利用するとは、呆れ果てて言葉も無い。八千人程度の人間が暮らす世界ながら、世も末という言葉がよく似合う状況に、その場にいた一同はげんなりするのだった。
そうこうしている内に、遂に三人は黒鉄宮の隠しダンジョンへと通じる入口へと差し掛かった。
「ここが入口です」
「いよいよでござるか……」
「前線には俺が出る。ケンシンはユリエールさんの護衛を頼む」
ダンジョンへの突入を前に、ウインドウを操作してスキルと装備を二刀流に切り替えるイタチ。ケンシンの方も、武器である腰に差した刀を手に突入準備を整えた。
「よし……行くぞ」
「承知した」
イタチの合図と共に、ダンジョンの入り口である、地下に通じる入口へと入って行く一同。薄暗い階段を下りることしばらく、下水道を模した通路へと到達した。
「ユリエールさん。シンカーさんはどちらに?」
「ええと……向こうです」
ウインドウを開き、フレンド登録している相手の位置を確認する機能を用いてシンカーの現在地を確認するユリエール。イタチを先頭に、三人は再び歩を進める。
そして、数分歩いた時、遂に敵が姿を現した。
「ゲコゲコゲコゲコ!」
三人の行く手を阻むように現れたのは、不気味な巨大カエル――スカベンジトードの群れ。幾重にも重なる鳴き声と共に襲い来るカエル達に、しかしイタチとケンシンは一切同様しない。
「ケンシン、ユリエールさんの護衛を頼む」
「了解したでござる」
ケンシンにユリエールを任せ、スカベンジトードの群れへと突撃するイタチ。エリュシデータとダークリパルサー、二本の剣を手に容赦なく薙ぎ払うその姿は、無双そのもの。周りを囲んで一斉に飛び掛かるも、スカベンジトード達は触れることすら敵わない。
「ゲコゲーコ!」
「うわっ!」
「ユリエール殿、後ろに」
イタチが繰り出す嵐のような剣戟を突破し、後方のケンシンとユリエールへ襲い掛かるカエルが現れる。驚くユリエールを背に、ケンシンが前に出る。
「はぁあっ!」
「ゲコッ……!」
愛刀「夜明け前」を素早く抜刀すると同時に放った斬撃は、飛び掛かって来たカエルを一太刀で仕留めた。
(相変わらず、良い腕だな……)
カエル相手に無双の限りを尽くす傍ら、討ち漏らしを狩るケンシンの剣技に、イタチは密かに舌を巻いていた。イタチやアルゴ等、情報通のプレイヤーのみが知ることだが、ケンシンはこのSAOにおいて初めてカタナスキルを習得したプレイヤーなのだ。攻略組に属さずにいながら、誰よりも早くエクストラスキルであるカタナを習得できたのには、ベータテストの経験以上に、現実世界における経験に裏打ちされた強さが大きく関わっていると、イタチは考えている。
(おそらくは、剣道……いや、剣術。それも、殺人剣の使い手だな……)
その剣技は、対人戦闘で使えば、ケンシンよりもレベルが上のプレイヤーであろうと、HP全損にするのは容易いであろうと、イタチは考える。何故そのようなものを習得しているかは分からないが、敵に回らない限り、イタチはそれを深く知りたいとは思わない。もとより、SAOにおけるリアルの詮索はタブーである。
そんな思考を頭の片隅に退けつつも、イタチとケンシン、ユリエールの迷宮区進行は続く。その後も、カエルやザリガニ、ドブネズミといった、下水道に生息するモンスターを排除しながら歩を進めることおよそ二時間。遂に三人は目的の場所へと辿り着いた。
「奥からプレイヤーの反応がします……おそらく、シンカーさんでしょう」
「本当ですか!?」
ユリエールの期待に満ちた表情に、イタチは静かに頷く。やがて通路の向こうには、十字路が見えてきた。奥には、光が漏れる部屋がある。その中央に立つのは、成人男性ほどの大きさの影。歓喜に満ちたユリエールの顔を見るに、間違いないだろう。あの人影こそ、自分達が救出に来た、アインクラッド解放軍のリーダー、シンカーなのだ。
「シンカ――――!!」
「ユリエ――――ル!!」
ユリエールの呼び掛けに、シンカーも大声で返す。あの人影こそが、自分が会いたくてたまらなかった人なのだという確信を得たユリエールは、一気に彼が待つ安全エリアらしき場所へ駆けて行く。イタチもケンシンと一緒に併走するが、疑問に思うことがあった。
(どういうことだ?彼がシンカーなのは間違いないのだろうが、何故安全エリアから出てこちらへ駆けて来ない……)
ユリエールの姿を見れば、救援が来たことは分かる筈。喜びの余り、あちらからも駆け寄るのが普通の反応である。だが、当のシンカーは安全エリアから一歩も動かない。
(まさか……!)
「来ちゃ駄目だ――!その通路は……!」
安全エリア手前の十字路に差しかかったその時。イタチの索敵スキルが、姿が見えない敵を捉えた。同時に、身に迫る危険を悟ったイタチは、脇目も振らず走るユリエールの首根っこを掴み、後方へ跳び退く。ケンシンも危険を察知したのか、イタチ同様後ろへと跳んでいた。そして次の瞬間、二人の目の前に振り下ろされたのは、鋭く光る、大鎌。しかも大きさが尋常ではない。
(『The Fatal-scythe』……ボスモンスターか!)
SAOには、迷宮区最上階に潜むフロアボスや、迷宮区への進行を阻むフィールドボス以外に、一定の場所や時期によって限定的に出現するタイプのボスがいる。恐らく、これもその類であろう。イタチとケンシン、ユリエールが見つめる先、十字路の右側からぬっと姿を現したのは、地面から浮遊した、二メートル半はあろう巨大なローブを纏った異形。フードを被った奥にあるのは、髑髏の仮面。武器が大鎌であることも相まって、「死神」という言葉が当てはまるモンスターだった。
「イタチ殿、HPが見えぬ……どうするでござるか?」
「……俺の識別スキルでもHPが見えない時点で、九十層以上のボスであることは間違いない。撃破は絶対に無理だ」
さしものケンシンも、思わぬ強敵の登場に動揺した様子で、イタチに指示を仰ぐ。それに返ってきた答えは、絶対に勝てないとのこと。最強の二刀流スキルの使い手として知られるイタチでも勝てない相手……だが、それを聞いてもケンシンは絶望した様子は無かった。問われたイタチは、相変わらずの無表情、しかし脳をフル回転させることで目の前の敵を突破する策を考えていた。
「両サイドに分かれて突破する。俺は左、ケンシンはユリエールさんを連れて右だ。合図をしたら、一気に走れ」
「承知した。ユリエール殿、拙者から絶対に離れないようにするでござる」
「わ、分かりました」
予想外の強敵の出現に戸惑うユリエールだが、シンカー救出が目の前であることが彼女を後押ししているのだろう。イタチの提案した強行突破に異を唱えようとはしなかった。
そうこうしている間にも、目の前に立ちはだかる死神は、再び大鎌を振り上げていた。そして、先程ユリエールを襲おうとした凶刃が、再び振り下ろされる。
「今だ!」
刃がイタチの頭上に迫ったところで、イタチがゴーサインを出す。次の瞬間、イタチとケンシンは己の持てる敏捷の限りを尽くして駆け出した。二手に別れた標的に、死神は逡巡すること一秒足らず。イタチに狙いを定めてきた。
(こっちへ来たか……予想通り!)
この強行突破の成功の分かれ目は、いかにして自分がタゲを取るかにあった。理由は単純で、ユリエールを連れて行く役目をもったケンシンでは、機動力でイタチに敵う筈もなく、死神の刃を回避できる可能性が低いからだ。
そして、死神のタゲが自分に移るよう考えて選んだ進路は、左側。死神から見て右側面を通過するルートである。進路方向を決定するに当って、イタチが注目したのは、死神の“利き腕”。SAOにおいて出現するモンスターは、右手にメイン武器を装備する傾向にある。この死神も例に漏れず、大鎌は右手に握られている。そして、モンスターのアルゴリズム上、タゲを取るならば攻撃しやすい右側面と相場が決まっているのだ。
「オオオォォオオオ!!」
方向と共に再び振り上げられる死神の刃。だが、イタチは後ろを振り向かず、まっすぐ安全エリアを目指して走る。常より速度を落としていたため、ケンシンの方が既に安全エリアに近い位置にいる。
(そろそろだな……)
安全エリアに近づくケンシンとユリエールの姿を捉えつつ、死神が大鎌を横薙ぎに繰り出す様子を横目で確認する。直撃を受ければ即死は免れないそれを、かなりギリギリまで引き付け、刃を構えた状態で同時に前方へとジャンプ。同時に身体を捻り、後方へと振り返る。
「ふん…………っ!」
直後、イタチの構えた二刀と死神の大鎌とが交錯する。死神の刃、その反りの部分を交叉した刀で受け止める。目一杯ゲインした、攻略組プレイヤー中最強クラスの筋力値をもってしても、受け切れるかどうかという衝撃。反りではなく刃で受けていたならば、最悪の場合、剣もろとも断ち切られていたかもしれない。だが、そんな即死レベルの一撃に対しても、イタチはやはり冷静だった。
もとよりイタチは、完全に防ぎ切ることなど望んではいない。向かってくる衝撃に逆らうのではなく、その勢いに身を任せる。地面から足を離すための跳躍、受け流すために交叉させた刃。大鎌の反りを滑る様に勢いを殺ぎ、ダメージを最小限に抑え込む。即死、武器破壊に及ばない程度の威力に減衰させたものの、その一撃は決して殺し切れるものではない。もとより、余らせた威力こそイタチの狙いなのだから。
「おぉ…………ぉぉおおお!!」
二刀と大鎌の衝突を経て、飛ばされるイタチの身体。その行く先は、光に満ちた安全エリアの中。
「おろろろぉぉお!?」
「きゃぁぁあっ!」
途中、ケンシンとユリエールを巻き込んで安全エリアの中へと突入する。安全エリアの中に入ってしまえば、いかに高レベルのボスモンスターといえども、プレイヤーには手出しができない。イタチは最初から、死神の一振りによる衝撃を利用し、己の身をこの場所まで飛ばすことを狙っていたのだ。
「任務成功だな」
自分の作戦の巻き添えを食らい、気絶した様子のケンシンとユリエール、そして一連の流れを見て呆然としているシンカーを余所に、イタチは一人呟いた。