ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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つい最近、ソードアート・オンラインⅡのファントム・バレットを見て思った。
このトリック、金田一少年の事件簿の『獄問塾殺人事件』に似ている、と・・・・・・
やはり、あの男を黒幕に選んだのは間違いではなかったのかもしれない。


第五十話 絶望が渦巻く世界の中で

 イタチとケンシン、ユリエールが、シンカー救出作戦に赴いていたその頃。パーティーには同行せず、教会に残ったアスナは、イタチに言われた通りユイの相手をして過ごしていた。

 

「ほら、ユイちゃん」

 

「はい、ママ」

 

 教会の庭で、ユイとボール遊びをするアスナ。シンカー救出に赴く事ができなかったことで、イタチ等が今どうしているのか、気になるところではある。しかし、攻略組トップのイタチと、彼が信頼を置くケンシンならば、譬え難易度が六十層相当のダンジョンであろうと突破は容易だろうと考えられる。ならば自分は、ここでユイと子供達、サーシャを守るのみだ。

 

「いくよ。えいっ!」

 

 今度はユイがアスナの方へとボールを投げる。だが、投げたボールは勢い余って方向を違え、アスナの横を通り過ぎてしまった。

 

「わっ、ごめんママ……」

 

「いいよ、ユイちゃん」

 

 ボールのパスに失敗してしゅんとなるユイに、アスナはくすりと笑いかける。ちょっと待っててと言って、ユイに背を向けボールを取りに行く。ほんの数秒……ユイから視線を離してしまった、その時だった――――

 

「きゃぁぁああっ!」

 

「ユイちゃんっ!!」

 

 背後から聞こえたユイの悲鳴に、驚愕して振り返るアスナ。眼前の十数メートルほど先にいたのは、軍のユニフォームに身を包んだ男性プレイヤー。その腕には、ユイが捕らえられていた。

 おそらく、教会の敷地の外からアスナとユイの様子を窺っていたのだろう。そして、アスナがボールを取りに背を向けた数秒の短い間にユイを捕らえたのだ。

 

「ユイちゃんを離して!」

 

 愛剣のランベントライトを抜き、ユイを捕らえている兵士に構える。対する男は、にやにやと下卑た笑いを浮かべて余裕そうな表情である。その態度が、アスナの怒りに火を注ぐ。

 

「良いのか、この娘まで巻き添えを食らうぞ?」

 

 その言葉に、アスナはぎりりと歯噛みする。圏内である以上、いかなる攻撃を受けてもHPは減少する事は無い。ユイのHPゲージは一切見えないが、恐らくは通常のプレイヤー同様に保護される筈だ。しかし、だからといって剣を向けても良い理由にはならない。有体に言えば、アスナは手出しができないのだ。だが、そんな中、アスナは頭の隅に引っ掛かるなにかを感じた。

 

(あの人の声……どこかで……)

 

 SAOがデスゲームと化した日、プレイヤーのアバターは現実のそれと同じものとなった。そして、それは声も同じ。故に、アスナは目の前の兵士とは、現実世界で会ったことがあるかもしれないと考える。

 だが、そうこうしている内に、ユイを捕らえた兵士は新たな行動に出た。左手でユイを捕らえた状態で、右手で腰のポーチを探り、アイテムを取り出したのだ。それは、濃い青色の結晶……転移先を自由に決定できるアイテム、回廊結晶である。

 

「コリドー・オープン!」

 

 起動キーと共に発生する、青色の渦。ユイを抱えた男は、躊躇せずその中へと身を投じた。

 

「この娘を返して欲しくば、付いてくることだな」

 

「ま、待ちなさい!」

 

 ユイを攫った兵士を追って、アスナも慌てて回廊結晶が生み出した渦の中に飛び込む。平和な教会の敷地内に起きた、衝撃の一幕。三人の影が回廊結晶の光に消えた後には、何事も無かったかのような静寂が残るばかりだった……

 

 

 

 

 

 はじまりの街の中央広場にある転移門。その中に、青白い光と共に、四人のプレイヤーが現れた。

 

「ようやく脱出できたな」

 

 一仕事終えてほっとしたかのように呟いたのは、黒装束に額当てを付けた、赤い双眸の少年――イタチである。

 

「それにしても、イタチ殿も無理をする……」

 

「確かに……感謝はしていますが、危険過ぎたのではありませんか?」

 

 そんなイタチに半ば呆れた様子で言葉を掛けたのは、イタチの依頼である、アインクラッド解放軍リーダー救出作戦に同行していた二人のプレイヤー、ケンシンとユリエールである。

 

「あの場面で、死神を突破する方法は他にありませんでした。それに、元よりこの依頼はある程度の危険を前提に引き受けていると考えていましたが」

 

 しかし、二人から向けられる、若干の非難の意思を孕んだ視線を向けられても、どこ吹く風とばかりに無表情を崩さない。

 そしてもう一人、救出された男性プレイヤー……アインクラッド解放軍リーダーことシンカーは、空高く昇る太陽の光に目を細めていた。

 

「よかった……もう一度、生きて日の光を浴びることができるとは。これも、あなたのお陰です。ありがとうございます、イタチさん」

 

 三日間もダンジョンの奥底に閉じ込められていたのだ。この世界の太陽の光も仮想のものであろうと、今のシンカーには関係無い。死と隣り合わせの空間から抜け出せたことへの感動は、イタチですら推し測れないものがあると考える。

 

「それでは、教会へ戻りましょう。アスナさんやサーシャさんがお待ちの筈です」

 

「そうでござるな」

 

 イタチの言葉に頷く三人。高レベルダンジョンに向かったことで、アスナとユイが心配しているだろうと考えているイタチとしては、早く帰って無事を知らせておきたいと思う。シンカーとユリエールも、軍の責任者として、これからやることは山積みだが、一息入れるくらいは許されるだろうと考え、一先ず教会で落ち着いてから話をすることにする。

 そして、転移門がある中央広場を出て、歩く事十分弱。目的地の教会へと、四人は辿り着いた。イタチを先頭に四人が敷地内に入ると、教会の扉が開いてサーシャが姿を現すと同時に、こちらへ走り寄ってくる。その表情には、自分達が帰って来たことによる安堵は無く、焦燥に駆られている様子だった。

 

「サーシャ殿、どうしたでござるか?」

 

「何かあった様子だな……」

 

 血相変えて走ってくるサーシャの姿に、イタチとケンシンは自分達の居ない間に何事かが起こったことを察する。同時に、アスナとユイの姿が無いことにも。

 

「イタチさん、大変です!」

 

「一体、何があったんですか?」

 

 サーシャの第一声に、いよいよ只事ではないと悟るイタチとケンシン。途切れ途切れの息のサーシャが、事情を尋ねるイタチに差し出したのは、一枚の羊皮紙型アイテム。受け取ったイタチは、早々に書かれている内容へ目を通す。隣にいるケンシンも横から羊皮紙を覗き込む。

 

「黒の忍こと、ビーター・イタチへ。血盟騎士団副団長のアスナと小娘を預かった。返して欲しくば、シンカーとユリエール、ケンシンの三人を連れて、はじまりの街西部の遺跡まで来い…………か」

 

「ありきたりな誘拐・脅迫文書でござるな」

 

 羊皮紙を読み終えたイタチは、嘆息しながらそれを折り畳む。そして、瞑目しながら己の見通しの甘さを痛感する。シンカー救出に赴けば、解放軍が何らかの動きを見せることは明らかだった。自分達への妨害は勿論、教会への襲撃も予想はできていた。アスナを残しておけば、問題は無かろうと考えていたが、このような事態を招いた事実を前にしては手抜かりがあったことは否めない。

 

「シンカーをダンジョンに放置した上、まさかこんな手に出るなんて……」

 

「そんな……僕を助けるために、関係の無い人が巻き添えに……」

 

 脅迫文を読み、シンカーとユリエールはアスナとユイが解放軍に攫われたことに顔を青褪めさせる。特にユリエールに至っては、自分が依頼をしたことによって他者を危険に晒したという事実を前に、責任感に押し潰されそうになっていた。

 

「MPK紛いの行動を起こした連中です。この程度のことはやっても何ら不思議ではありません」

 

「それで、イタチ殿はどうするでござるか?」

 

 普段の間の抜けた印象を一切排した、侍然とした表情で問いかけるケンシン。分かり切ったことを尋ねる剣客に対し、イタチが出した答えは……

 

「要求通り、連中の元へ行く。同時に、アスナさんとユイの救出も行う」

 

 破格の力を持つ死神が最奥に控えたダンジョンから帰還して早々、次なる救出作戦の幕が開けた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 先細り構造をもつ浮遊城・アインクラッド第一層は、全ての階層の中で最も広いフロアである。その地形は非常にバラエティに富んでおり、森や草原、湖沼までもがある。そのはじまりの街西部には、石柱が立ち並ぶ、遺跡を彷彿させるエリアがあった。

 

「ママ……」

 

「大丈夫だよ、ユイちゃん」

 

 普段ならば、人などいない筈の遺跡の中に、複数の人影があった。同じ灰緑と黒鉄色で統一された装備を身に纏った男性プレイヤー……軍の兵士達が、拘束された状態にある二人の女性プレイヤー……アスナとユイを取り囲んでいる。

 

「ハッ!まさか、血盟騎士団の副団長が母親の代わりなんてやってるなんてな!」

 

「それに、二人揃ってこんなに簡単に捕まっちまうんだから、傑作だな」

 

 縄で縛られて身動きの取れない二人を嘲るのは、二人を囲む軍のパーティーのリーダー二人。その下卑た笑いに、アスナが鋭い視線を向ける。

 

「こんな小さい子まで巻き込んで……卑怯な真似して、恥ずかしくないの!?」

 

「何とでも言え。ここは学校じゃない。この世界では、俺達が正義だ」

 

「文句があるなら、抵抗してみたらどうだ。ほら、どうした?」

 

「くっ……!」

 

 眼鏡を掛けた軍のリーダーが、アスナの頬に手を触れる。その卑しい手つきは、下卑た笑いと相まって、酷い嫌悪感をアスナに与える。この上無い屈辱に、アスナの目に怒りと共に涙が浮かぶ。

 本来ならば、両者の視界にハラスメント警告が出現し、アスナはこの男をSAOの刑務所たる黒鉄宮へ送ることが可能となる。だが、アスナの視界にはコード発動を促すシステムメッセージは現れない。何故なら、今のアスナの頭上に浮かぶカーソルは、犯罪者を示す『オレンジ』なのだから。

 

「ククク……まさか、人質を取って圏外に誘き寄せただけで、こんなに簡単に罠に掛かってくれるなんてな」

 

 男の言葉に、しかしアスナは歯軋りして睨みつけるばかりである。ユイを攫ったこの男は、回廊結晶を使用してアスナを圏外へと誘き出したのだ。その後、ユイを突き飛ばしてアスナの怒りを煽り、自身へ攻撃するよう仕向けたのだ。結果、男の目論見通り、アスナは渾身の一撃を繰り出し、男に全損しない程度のダメージを与えた。そしてその代償として、カーソルをオレンジに染める結果となったのだ。そして、突き飛ばされたユイは、アスナが男に攻撃を与えている間に、他の軍の兵士が確保。再びユイを人質に取られたアスナは、言われるがままに拘束されてしまったのだった。

 今にして思えば、あからさまな挑発だった。冷静に分析すれば、男の意図を察知することもできた筈だったが、ユイを誘拐して危険な目に遭わせようとしていた男を前に、それができなかった。二人して拘束され、オレンジプレイヤーになってしまった今となっては、己の迂闊さを呪うばかりだった。

 

「あなた達がやっていることは、譬え仮想世界であろうと許されることではないわ。それに、こんなことをしたって、イタチ君があなた達に屈するわけが無いわ」

 

「どうかな?お前達二人がこちら側に囚われているならば、ビーターの奴とて手出しはできまい」

 

得意気に語る二人のプレイヤーを前に、しかしアスナは侮蔑と嫌悪を込めた視線を送るしかできない。自分とユイが人質となってしまった以上、イタチは軍のプレイヤーを攻撃することはできないだろう。身動きが取れず、為す術も無いアスナは、怖がるユイに寄り添い、その不安を少しでも和らげることしかできなかった。

そんなやり取りが数分ほど続いた後、軍のリーダー二人が、アスナを人質に誘き出した標的が、遂に姿を現す。

 

「要求通り、指定された人間のみで来たぞ!」

 

先頭に立つのは、黒装束に額当て、そして赤い双眸――黒の忍ことイタチである。それに続く三人のプレイヤー……頬に十字傷の入った赤い髪の侍風プレイヤー、ケンシン。そして、アインクラッド解放軍の最高責任者であるシンカーとその副官であるユリエールである。

脅迫状通り、自分達の指定したメンバーのみでこの場所に現れたことを確認したリーダー格の男二人は、その笑みをさらに深める。

 

「確かに、こちらの要求通りだな。それにしても、シンカー……まさか本当にダンジョンから生きて戻ってくるとはな」

 

「ヨロイ……!」

 

「シンカー殿、落ち着くでござる。アスナ殿とユイは無事でござるか?」

 

 他の兵士とは違う、一際派手な金属鎧に身を包んだ男がシンカーを睥睨する。恐らく、彼こそがシンカーの排除を目論んだ幹部、ヨロイなのだろう。シンカーを騙し討ちしようとしながら、いけしゃあしゃあとした態度を崩さないヨロイに、シンカーは苛立ちを募らせる。隣に立つケンシンもまた、怒りをその目に宿しながらも、或いはだからこそ常以上に冷静な姿勢で臨む。

 

「ああ、安心しろ。この通り、無事だ」

 

 ヨロイの後ろに控えていた兵士達が、左右へ道を開けるように動く。兵士たちの包囲の奥に居たのは、人質として囚われている二人――アスナとユイである。一見、外傷は見られないが、アスナのカーソルはオレンジに染められている。察しの良いイタチとケンシンは、彼女が何らかの罠に嵌められたことを悟った。

 ともあれ、こうして要求に応じた以上は、改めてヨロイ達の要求を問わねばならない。

 

「それで、俺達をここへ呼び出した理由は何だ?」

 

「シンカー殿を見殺しにしようとしたお主達が、まさかこのまま、アスナ殿とユイを引き渡すつもりではあるまい」

 

 前へ出たイタチとケンシンに、ヨロイは不気味な笑みを浮かべて口を開く。

 

「この期に及んでその余裕ぶり。相変わらず憎らしい限りだ……だが、どこまでその強気な態度を保てるかな?」

 

 人質を取られて危機的状況に陥っているにも関わらず、常の無表情を一切崩さないイタチに挑発的な態度を取るヨロイ。だが、イタチはその言葉、そして声に引っ掛かりを覚えた。

 

(相変わらず、だと?まるで、俺と今までに会ったことがあるかのような口調……)

 

 SAOで悪の象徴とされているビーターのイタチと、治安維持に務めるアインクラッド解放軍の関係は、水と油。これまでイタチが軍の関係者と言葉を交わしたのは、二十五層攻略までの、ゲーム攻略における事務的な会話のみ。ならば一体、どこで会ったと言うのか……

 

(それにあの声……まさか…………!)

 

 ヨロイと名乗るこの男と相対した時から感じていた、既視感にも似た何か。その声には、確かに覚えがある。間違いなく、自分はこの男を知っている……

 イタチの思考がそこまで及んだところで、ヨロイの傍に、些か派手な鎧に身を包んだ、もう一人のリーダー格の男が現れる。並び立つ二人の姿……それを視界に納めた時、イタチは確信する。自分がこの男達に会った場所を、そして、その正体を――――

 

「……相変わらずなのはお互い様ではありませんか?

――――“勝先輩”に、“小泉先輩”」

 

 イタチの言葉に、勝と呼ばれた男――ヨロイと呼ばれた男はさらに笑みを深め、傍らに立つ男――ツルギは、鎧の下からでも分かる程の、苛立ちを露にした歯軋りの音を響かせる。

 

「やはり、お前なら気付くと思っていたが、遅すぎたんじゃないか、イタチ――いや、“桐ヶ谷和人”?」

 

 桐ヶ谷和人――――それは、忍世界にて二度目の死を迎えたうちはイタチが、新たにこの世界に転生して得た名前。つまり、現実世界の名前なのだ。それを知っているのは、イタチと現実世界で面識のある人間に他ならない。

 解放軍から真のリーダーたるシンカーを放逐し、軍とその拠点たるはじまりの街を意のままに支配しようとした幹部二人は、イタチの目の前で、それまで顔を隠していたヘルメットを外す。そこに現れたのは、イタチとアスナが現実世界の学校で見知った顔だった。ヨロイの方は、現実世界では眼鏡だったそれがサングラスになっていたが、顔立ちは同じ――――

 現在のシンカー同様、かつてイタチこと和人を剣道部から放逐せんと卑劣の限りを尽くした上級生、勝琢也と小泉邦弘である。

 

「まさか、アスナさんだけでなく、あなた達までこの世界に囚われていたとは……流石に、俺も予想外でした」

 

「俺も、まさかお前や生徒会長様までがこの世界に来ているとは、最初は驚いたもんだぜ。」

 

 ヘルメットを脱いだことで露になった顔に、先程までよりも凶悪な笑みを浮かべるヨロイ。隣のツルギも、イタチに対する怒りの中に嗜虐心を覗かせている。

 

(ヨロイ、ツルギはイタチ殿とリアルで知り合い……恐らくは、アスナ殿も……)

 

 生徒会長と呼ばれている人物がアスナであり、二人の知り合いであることは、ケンシンやシンカー、ユリエールといった部外者にも分かった。加えて、目の前で相対するイタチとヨロイ、ツルギもまた現実世界で面識があることも察しがついた。尤も、イタチにとってもアスナにとっても、再会を喜ぶような仲でないことは明らかだが。

 

「剣道部では散々やってくれたお前が、まさか攻略組のビーターやってるとはなぁ……しかし、相変わらずボッチなのは変わらねえな」

 

「まあ、そのお陰でこうして人質を楽に確保できたんだがな」

 

「与太話はそのくらいで良いでしょう。それより、アスナさんとユイを解放して欲しいのですが、俺達に何をさせるつもりですか?」

 

 ヨロイとツルギが口にする嫌味に口を挟み、再度イタチは要求を問う。その態度に、ツルギが怒りを露にする。

 

「テメエ……自分の立場が分かってんのか!?」

 

「まあ待て、ツルギ。それじゃあ、早速こちらの言う事を聞いてもらおうか?」

 

 今にも斬りかからんばかりの殺気を滾らせるツルギを宥め、ヨロイはいよいよとばかりに、アスナとユイを人質に要求を突き付ける。

 

「まずは、武装解除だ。その背中に吊っている物騒なものをストレージにしまってもらおうか」

 

 ヨロイの言葉に、しかしイタチとケンシンは僅かな苛立ちも見せない。要求に従い、ウインドウを操作して現在武装している剣と刀をストレージに納める。むしろ問題は、ここからだ。

 次の要求こそが、この男達の本命と言っていいだろう。武装を解除したイタチとケンシンを確認するや、ヨロイは一振りの剣をイタチに投げつけてきた。はじまりの街に売っている初期装備、スモールソードである。

 

「そいつを拾って、隣の侍を斬れ。ああ、HP全損にはしなくていいぞ。それは俺達の役目だからな」

 

 その要求を聞いて、イタチはヨロイとツルギが何を企んでいるのかを明確に察する。だが、人質を取られている現状、抗う術は無く、命令通りに剣を拾い上げる。

 次いで、隣に立つケンシンの方を向くと、その視線に対し、無言で頷いて返してきた。どうやら、お互い覚悟はできているようだ。

 

「やめて!イタチ君!」

 

「パパ……!」

 

 縛られて身動きが取れない状態で、涙ながらにイタチを止めるべく悲痛な叫びをもって呼びかけるアスナ。隣のユイも、今にも泣き出しそうだった。だが、イタチは止まらない。無言のまま振りかざした剣で、ケンシンを袈裟掛けに斬った。

 

「……っ!」

 

 イタチとて、本気で斬りつけたわけではなく、急所を外しての浅い一太刀である。剣も大したパラメータではないので、ケンシンのHPは一割と減っていない。問題は、攻撃を加えたイタチの方である。グリーンカーソルのプレイヤーを故意に傷つけたことで、そのカーソルは緑色から、犯罪者を示すオレンジへと染められていた。その様を見て、ヨロイとツルギが狂気の笑みを浮かべた。

 

「ククク……これで貴様はオレンジプレイヤー、犯罪者だ!この状態ならば、グリーンの俺達がお前を斬っても問題は無い!」

 

 ツルギはそう叫ぶと同時に、イタチ目掛けて一気に駆け出す。そして、右手に握っていた刃を振り上げ、イタチを背後から斬りつける。中層プレイヤー相当の敏捷で繰り出されるツルギの斬撃は、イタチにとって回避することは容易いものの、人質を取られてる手前、下手に相手を刺激するわけにはいかない。回避と防御はせず、しかし急所は外し、ダメージを最小限に止めて時間稼ぎに徹するべく、イタチは動く。

 

「卑怯者!無理矢理オレンジにした相手を傷つけて、自分だけはグリーンのままでいようなんて……人間として恥ずかしくないの!?」

 

 怒りの籠った瞳でヨロイとツルギを睨みつけて叫ぶアスナだが、当人たちはどこ吹く風とばかりに全く動じない。

 

「何とでも言え。さっきも言ったが、ここでは俺達が法律……俺達が正義だ」

 

「その通りだ。ああ、安心しろ。そして、正義の解放軍である俺達が、犯罪者プレイヤーであるお前を斬り捨てる!」

 

「イタチ君、逃げて!」

 

 アスナの悲鳴が木霊する。だが、イタチは逃げることは許されない。今ここで逃げ出そうとすれば、ヨロイは間違いなくアスナとユイに刃を向ける。隣に立つケンシンも、手出しができない。要求されていない行動を取れば、やはり人質に危害が加えられることは間違いないからだ。イタチとて、初期装備とはいえ、剣を握っている以上は、抵抗する手段が無いわけではない。イタチの実力をもってすれば、この装備でも確実にツルギを倒せるだろう。だが、人質の安全を顧みれば、そんな真似はできない。

今イタチにできることは、ツルギが繰り出す斬撃を、急所を外す形で受け、苦悶の表情を浮かべたフリをするくらいだ。攻略組トップクラスのステータスを持つイタチのHPは、中層クラスのツルギが繰り出す攻撃では、簡単には削り切れない。幸い、ツルギ当人も必死に斬撃を回避しているイタチの姿に嗜虐心を刺激されている様子だ。抵抗できないイタチをじわじわと痛めつけ、追い詰めていくつもりなのだろう。

 

「ほらほら、どうしたどうした!攻略組としての実力は、現実世界での余裕は、どこへ行った!?」

 

「ぐぅっ!」

 

 イタチが抵抗できないことをいいことに、勝手なことをのたまうツルギ。攻略組最強と呼ばれたプレイヤーを、中層程度のレベルしかない自分が追い詰めているという、目の前の現状に酔い痴れていることは間違いない。イタチを嘲り、己の優位に現を抜かしながらも、その猛攻の手は緩めない。ツルギの一方的な攻撃が繰り広げられること五分。全快だったイタチのHPは、三割近くまで削られようとしていた。

 

「もうやめて!イタチ君を殺さないでっ!」

 

「ククク……安心しろ。攻略組のアイツのステータスなら、まだまだ持ち堪えられるだろう。ツルギの後は、俺も楽しむのだからな。この程度でへばって貰っては困る」

 

 アスナの叫びも空しく、ヨロイとツルギの凶行は止まらない。狂っている、とその場にいた二人以外の人間全員が思った。ツルギがイタチに対して五分以上も剣を振い続けられるのは、仮想世界故に身体的な疲労が無いというだけではなく、メンタル面の狂気がそれをブーストしているからなのだろう。

 散々、一方的にイタチを斬りつけ続け、ついにHPバーはイエローゾーンへ突入した。それである程度はストレスが解消されたのだろう。狂気に満ちた笑みを浮かべつつも、一先ず攻撃の手を止めたツルギは、その様子を見ていたアスナやケンシン達へと振り返る。

 

「フハハッ!たまんねえな、こりゃ!俺達正義が、悪のビーターを叩き潰す……本当、最高だぜ!」

 

 顔に浮かべる狂気や、無抵抗の相手を一方的に攻撃する姿には、正義と呼べるものは一切存在しない。浅ましい限りのこの男に、シンカーとユリエール、アスナは怒りを通り越して薄ら寒いものを覚えた。そんな中、ケンシンだけはこの凶行が開始されてから一切変わらない、真剣な表情で口を開く。

 

「ツルギ……それに、ヨロイ。何故このようなことができる?お前達とて、この世界に囚われた人間であろう。如何に現実に近い世界を再現しているとはいえ、所詮ここは仮想世界。譬え一時的にその欲を満たせたとしても、全ては幻想でござる」

 

 突然のケンシンからの諭すような言葉に、ヨロイとツルギの顔から笑みが消える。その言葉は、二人の心に何らかの形で響くものがあったのだろう。

 

「ツルギ、お主の剣技を見て分かったでござるが、相当な実力でござる。今となっては腐敗しているものの、かつてはゲーム攻略に邁進していたのではござらんか?」

 

 ケンシンの言葉に、その場にいた全員が息を呑む。恐らく、現実世界では何らかの剣術を会得しているであろうこの侍は、先の一方的なイタチへの攻撃から、その動きに剣道の心得があることを見破ったのだろう。そしてそれが、名門私立中学における、高度な技であることも。

 

「お主等とて、根は腐っていたとしても、攻略をするという目的のもと行動していた筈。それが何故、このような真似に及んだでござるか?」

 

 ケンシンの問いかけに、しかしツルギとヨロイは答えない。そして次の瞬間には、怒りに歯を軋ませ、声を張り上げる。

 

「知った風な口を聞くな!貴様等と俺達とでは、この世界に囚われることの重みが違うんだよ!」

 

 心の奥底を曝け出されたことの怒りからだろうか。これまでに無い、感情的な態度に出るヨロイに、ケンシンは僅かに目を細める。一方、イタチとアスナは彼等二人が何を思い、このような凶行に及んだのか、その理由に辿り着いた。

 

「この世界に囚われてから、二年が経過した……俺達の現実の時間は、同じだけ浪費されたんだ!今さら現実世界に帰ったところで、何になるってんだ!」

 

(そうか……私と同じ…………)

 

 怒りを露わに、感情に任せて声を張り上げるその姿を見て、アスナは自分に似通った境遇……言うなれば、親近感を覚えた。

 デスゲームの幕が上がって以降、二週間が経過しても第一層の突破すらできず、犠牲者が増えるばかりの現状に、アスナは絶望するしかなかった。そして、この世界への精一杯の抵抗として、剣を手にはじまりの街を飛び出したのだ。その後、自分は幸運にも現実世界での知り合いだった、イタチこと和人に再会することができ、その後は互いにすれ違いながらも、今に至ることができた。

だが、この二人は違う。最初は現実世界への帰還を望み、フィールドで狩りをしていたのだろうが、第一層攻略までに掛かった一カ月という月日の間に、自分たちの現実が破壊される恐怖に耐えられなかったのだろう。名門私立中学に通うアスナをはじめとした生徒は、生まれながらに将来を嘱望された存在であり、その期待に応えることを義務付けられている。だが、二年以上の月日をこのゲーム世界で浪費してしまった今、現実世界に帰れたとしても、そこに自分たちの居場所は無い。同じ境遇の人間でなければ理解できない心理……だが、このような凶行に及ぶには、――少なくとも彼等にとっては――十分な理由だった。

 

「現実世界には、もう俺達の居場所なんてありゃしねえ……なら、この世界で好き勝手させてもらうだけだ!」

 

「GMも言っていた……この世界は、俺達にとってのもう一つの現実。ならば、帰還する必要など無い……この世界で一生を終えるだけだ!」

 

 救いようも無い程に荒んでいる……この場にいる全員が、そう思った。彼等は、デスゲームという世界の牢獄が生み出したモンスターなのだろう。レッドギルドにもこのような人物は多数いた。現状、加害者としか見えない彼等だが、同時にこの世界に囚われた、それこそ自分達と同じ被害者なのだ。この場にいる人間の中で、特にイタチとアスナは、彼らの感情をよく理解できる。尤も、理解はできても、同情しようとは思わないし、今やっている所業を許すわけにもいかないが。

 

「ククク……さて、気を取り直して続きと行こうか。もうちょい楽しみたいが、解放軍はリソースを分け合うものだ。俺ばかり良い思いをするわけにはいかねえからな」

 

「ここからは、俺の番だ。イタチがくたばったら、同じ要領でそこの侍とシンカーも、オレンジプレイヤーにした上で制裁してやる。ああ、女だけは殺さずにおいてやる。後でじっくりと、楽しませてもらうからなぁ!」

 

 最早、この二人を止める術など無い。絶望のもとに生まれ、加速し続ける狂気。絶望が渦巻くこの世界の中で起こる、ありふれた悲劇。それが、再現されている、ただそれだけのことなのだから――――

 

「あっ……ああっ……!」

 

「ユ、ユイちゃん!?どうしたの、ユイちゃん!?」

 

 そんな中、今まで恐怖に竦み、大人しく怯えるばかりだったユイに異変が起こった。両目を見開き、過呼吸を引き起こしたかのように震えだす。ヨロイとツルギの狂気に当てられたせいだろうか。不安に駆られるアスナだが、何が起こっているのか、何をすればいいのか、分からない。周囲にいた他の者達もそれに気付き、軍のプレイヤー達は訝るような視線を、イタチやケンシン等は心配そうな視線を向けていた。

 

(ユイ……まさか!)

 

 唯一、ユイの正体を知っていたイタチだけは、彼女に何が起こっているのかを理解していた。そして次の瞬間、

 

「うあ……あぁぁぁぁああああああああああああ!!」

 

 凄まじい悲鳴が、遺跡を満たした。途端、ユイの身体からは白い光の柱が立ち上る。SAOのシステム上、あり得ない現象の中、同じくSAO内で初めて聞くノイズと世界を構成するポリゴンのブレが、辺りに生じた――――

 


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